ナンバーズ No.05 チンク 刃、空洞、存在理由 |
2人の少女達が、何かに取りつかれたかのように彼女の姿を見つめている。
彼女は懐から合計10本のダガーを取り出して両手で器用に5本ずつ持ち、それを2人の少女達に見せつけると、堂々たる声で言い放った。
「良いか? 妹達よ、見ていろよ、姉の力を」
そのように言い放った彼女は、その10本のダガーを、広々としたフロアの数十メートル先にある的に向かって投げつけた。
彼女の放ったダガーは、目にも留まらぬスピードで的に次々と命中する。一本もその的を外すような事は無かった。確かに全てが命中した。
しかも、それだけでは終わらない。付き刺さったダガー達は、命中した直後、光を放ちながら爆発を起こした。球体の姿をした的は、粉々に吹き飛ばされてしまう。爆風は、彼女と2人の少女達のいる場所にまで届いた。
2人の少女達は、思わず歓声を上げていた。
「凄いや、チンクお姉ちゃんはやっぱり」
そのように声を上げた方の少女は、水色の髪と同色の瞳が印象的な、6番セインだった。思わず彼女が姉と呼んだ人物に駆けよる。
「うらやましいです。一体、どのようにしたら、お姉様のように強くなれるのですか?」
もう一人の少女は、茶色い髪と優しげな目が特徴の10番ディエチで、彼女らに取り囲まれているのは、姉妹達の中で姉と呼ばれるべき存在、5番チンクだった。
彼女は堂々たる姿勢を見せ、妹達に言った。
「うむ。精進を怠らぬ事だな。姉はお前達よりも早く生まれただけに過ぎない。お前達ももっと鍛錬を積めば、強くなる事ができるぞ」
そう言ったチンクの声はフロアに響き渡り、更には彼女を取り囲む2人の妹達にも十分に響いたようだった。
しかし、セインとディエチに囲まれている彼女の体は、非常に小柄であり、5つも下の妹で、まだ生体ポッドから出てきたばかりのディエチの肩ほどしかなかった。
体格の方も未成熟で、その姿は10歳から11歳ほどの子供程度しか無い。銀色の長い髪をなびかせて、戦闘スーツの上に、彼女の装備である灰色のコートを纏った姿は、堂々としていたが、その体はあまりに小さい。
「そっか。お姉ちゃんの言う通りに頑張るよ」
と、セインの方が言って来た。彼女は自分の胸くらいの身長しか無い存在でも、きちんと姉として認識する事ができているらしく、尊敬の眼差しを向けて来ていた。
「ディエチもな。動き出したばかりにしては上出来だ。あとは、経験を積めば優秀になれるぞ」
「はい。分かりました」
チンクはディエチにもそう言い、彼女はそれに応えた。チンクはそんな妹達を見ていて満足した。
妹達の教育係は、いつしか3番トーレから、5番チンクへと移っていった。現在は2番ドゥーエと3番トーレが任務に赴いている事が多く、研究所で誕生していく妹達の教育係がチンクしかいなかった。
ウーノは博士の世話で忙しいし、クアットロは教育係には不向きだというので、チンクがその役割を担っている。
その役割を博士が与えてくれた事自体はチンクも嬉しかった。妹達に対して偉そうに振る舞う事ができるから、というわけではない。妹達の成長を見守ってやる事ができるし、気にかけてやる事もできる。
チンクにとっては、妹達の存在が何よりも可愛かった。今は6番セインと10番ディエチしかチンクの妹はいないが、いずれ、欠けている番号の妹も誕生する。
チンクが研究所の中央通路を歩いていると、クアットロとすれ違った。
それだけならば、日ごろ良くあることだ。しかし、その時にクアットロがした表情に、チンクは思わず彼女の方を向いて言い放った。
「何が可笑しい!」
その声は、妹達の前では決して見せない口調だった。チンクは、妹達からは冷静沈着な性格だと思われているが、今のクアットロの行為だけはチンクも見逃せなかった。
「あらあら…、何ですのチンクちゃん? わたしが何か言って?」
クアットロは何事も無かったかのようにそう言葉を返してくる。それが作り笑いである事はチンクもすぐに分かった。
「わたしを見て、何故笑った?」
チンクはそう言いつつ、クアットロへと詰め寄った。チンクとクアットロは、ほとんど稼働歴の変わらぬ姉妹同士。上下関係は無いも等しく、二人とも対等の口を効く事が出来る。
だが、クアットロに詰め寄ったチンクの背の高さと言ったら、クアットロの顎の下辺りまでしかない。
クアットロも身長が高い方ではない。むしろ上の姉達に比べたら小柄な方だ。そんな彼女が、眼鏡越しにまるで軽蔑の眼でもしながら自分を見下ろしてきている。チンクはその目が我慢ならなかった。
「あらあ? 怖い顔をして? どうしたの? なでなで。わたしはただ、チンクちゃんはいつもちっちゃくて可愛いですわねって、言おうとしただけよ…」
そう言いながら頭を撫でてくるクアットロの手を、チンクは乱暴に振り払った。
「わたしを子供扱いするな!」
研究所の通路内に、チンクの声がこだました。何事かと、一番上の姉であるウーノが姿を見せた。
「何事? 喧嘩なの?」
いつも落ち着いた口調と表情を絶やさないウーノは、そのように言いながら、チンク達の元へと近づいてきた。
「いえいえいえ、そんな事はありませんわよ、ウーノお姉様。そんな、喧嘩だなんて…」
と、わざとらしい口調でクアットロは言っていた。
「ああそう。じゃあ行きなさい」
ウーノはそれだけ言って、その場からクアットロを追い払っていた。クアットロは、チンクへと意味ありげな目線を残し、そのまま通路の奥の方へと行ってしまった。
チンクは今の滅多に見せないような声を聞かれてしまった事が、思わず恥ずかしく、ウーノから目線をそらした。まさかセイン達に聞かれていやしないかと不安になる。
そうチンクが心配そうな目を泳がせていると、ウーノが言って来た。
「背の事を馬鹿にされた?」
ウーノはただ淡々とそう言って来ただけだが、彼女のその言葉には、今さっきのクアットロの行いの全てが表されていた。
「いや…、馬鹿になど、馬鹿になどされていない…」
自分にしてはあまりに自信の無い声であると言う事は分かっていたが、チンクはそんな口調で答えるしか無かった。
「来なさい。博士が話があるそうよ」
ウーノはチンクの感情には構わず、そう言って来た。
チンクはウーノに従って、博士の研究室の中へとやって来ていた。博士の研究室では相変わらず多くの電子画面が表示され、博士は新たな研究と開発作業に集中しているようだった。
「チンク、君に与える事になる新しい任務なのだが…」
博士は椅子に座りながら、自分の目の前に、一つの電子画面を表示させ、チンクにそのように言って来た。
チンクは黙って博士の言う言葉を聞いていたが。彼女はいつもとは違って目線を反らし、いつもは冷静そうな表情を絶やさないはずの顔を、若干赤らめさせていた。
「その前に、何か、話したい事があるのではないのかね?」
博士はチンクにそう尋ねた。しかし、チンクは、
「い、いえ、特には…」
と言うだけで、直立不動の姿勢のままだった。だが、明らかにいつものチンクとは様子は違い。その目は揺らいでいる。
博士はそんなチンクの様子を察すると、近くにいるウーノに一言告げた。
「ウーノ。悪いんだが、少し席をはずしてくれないか?」
そう博士が言うと、ウーノは少しの疑問の表情も見せず、研究室の奥の方へと向かっていった。ウーノが行ってしまい、研究室の奥の扉が閉まると、博士は目の前の電子画面を消し、チンクへとその目を向けた。
「チンク…、私に何か話したい事があるのではないかね?」
と、彼は言った。
チンクはどうやって話を切りだそうか迷った。チンクが話したかった話は、他の姉妹達の間でその話を聞かれる事があってはならない。それはチンクの姉であるウーノにも聞かれたくない話だった。
博士はそれを察して、ウーノを奥の部屋へと行かせたのだ。今はこの部屋にはチンクと博士しかいない。
「どれ。私は誰にも話はしないし、アップロードの際の同期も、その事に関してはしないようにしよう」
それは例え、他のモデル同士でも記憶の共有ができるチンク達の間でも、プライバシーが守られるという事だった。
「博士は…」
チンクはそのように話し始めた。だが、言葉が詰まって先の言葉が出てくるまでに大分時間がかかってしまった。
「博士は、どうしてわたしの体を、小さくしたのですか?」
ようやく話す事ができたチンクの言葉。こんな事をとても妹達が見ている前で博士に尋ねる事は出来ない。だが、これはチンクにとっては率直な悩みだった。
チンクの体格は、姉妹達の中でも最も小柄に設定されていた。その外見年齢と言ったら、人の体で言ったら、10歳か11歳ほどの少女でしかない。身長も135cmしかないし、すぐ下の妹であるセインの方が20cm以上も背が高い。
セイン達に対しては姉風を吹かせる事ができるのだが、チンクはどうしても身長や体格のコンプレックスを感じてしまっている。
「博士…?」
チンクはそう呟いた。すると、博士は、チンクへの距離を縮め言った。
「君達には、それぞれ役割がある。ウーノにはウーノの。ドゥーエにはドゥーエの。皆、それぞれ自分の役割を認識し、それを生きがいとしている。だが、君はその役割をまだ認識していない。だから、そう思うのだね?」
博士の言葉を、チンクはしっかりと心の中に響かせた。確かに博士の言う通りかもしれない。自分にはまだ、博士が自分に与えた、役割と言うものを認識できていない。彼が与えた任務をただ盲目的にこなす事しかできていない。
「そうかもしれません。ですが、私には、まだ分かりません。せめて、何故わたしを小柄なモデルにしたのか、教えて頂ければ…」
チンクは戸惑いながらもそう言った。自分の口から出てくる言葉の一つ一つが、とても恥かしいものとして頭には認識される。博士は、そのような恥じらいの感情もチンクには与えていた。だからこそ、自分の体格の事を気に病んでしまうのだ。
だが、博士はチンクがそのような恥じらいの感情を見せる事に、何の疑問も持たなかったようだった。代わりに博士は言って来た。
「私の口から言うよりも、むしろ、君が任務を通じて実感として感じる方が良いだろう」
そう言うなり、博士はチンクの方に向けて、一つの電子パットを差し出した。
チンクは博士から与えられた任務を元に、ある施設へと潜入していた。その施設は何かの研究施設であるらしく、今は深夜。研究施設は静まり返り、辺りの灯りは全て消されていた。
チンクは慎重に道を進んでいた。それも、ただの道ではない。おそらく、大人の体格を持つ者ならば通る事が出来ない道だ。
通気ダクトは研究所の天井に迷路のように張り巡らされていた。迷路は研究施設の排気のために張り巡らされたもので、その中の匂いはとても薬品臭い。何かのガスが外へと廃棄されている。
ただ、通気ダクトを通って外へと廃棄されるガスは、人体にとっては無害なガスだったから、チンクは安心して防護マスクも付けずに中に入り込む事ができた。確かに匂いは不快なものだったが、耐えられない程では無い。
しかし、こんな狭い通気ダクトを通ろうとする者がいると、誰が考えるだろう。その狭さと言ったら、チンクほど小柄な体格な者であっても這って進む事しかできないくらいの狭さだ。
しかもダクトの灯りを照らすものなど何も無い。そもそもここを通って行くものはガスだけであって、その他のものは何も通る必要が無いのだ。灯りなど無い。普通ならば懐中電灯を使って灯りを作るものだが、チンクにはその必要が無かった。
彼女の眼は今、ただの人間にとってみるならば不気味な色に光っている。暗がりの中にある彼女の眼は二つの円形の光を放っていた。
チンクの今の視覚モードならば、暗闇でも物を見る事ができる。暗視スコープを付ける必要なく、彼女の眼、そのものが暗視スコープになっているのだ。
そしてこんな狭い所を通れるのも、チンクが子供ぐらいの体格しかないから故だ。
チンクはゆっくりと体を進めていく。ダクトの中は彼女の体格であっても、頭を上げる事が出来ないほどに狭い。普通の人間ならば、閉所恐怖症で卒倒してしまうかもしれないほどの狭さだ。
だが、チンクはそうした狭さの中にいても、怖いと言う感情も感じなかった。ただ目の前に向かってゆっくりと進んでいくだけ。そうした思考しかチンクの中には存在しない。
博士には感謝したかった。この任務の為に、チンクは一回アップロードをしていたのだ。元々戦闘型のモデルとして、姉妹達の中でも特に戦闘に特化したトーレにも匹敵する力を持つチンクだったが、この眼の改良はまだだった。
両目を暗視モードに切り替える事ができるようになったのは、最後のアップロードの時で、彼女はこれが気に入っていた。
特に、敵を奇襲するときに便利だろう。敵が気づかないような暗がりから、一気に奇襲する事ができる。それも、チンクのように小柄だからこそできる芸当だ。
数時間は這うようにして、チンクは研究施設の中を進んだ。根気のいる作業だった。チンクがトーレと組んで博士の与えた任務をこなす時は、やることも派手で、あっという間に片付けてしまうような事ばかりだったが、今回の任務は違う。研究施設へとやっとの思いで忍び込み、博士の必要とするものを奪ってくる必要があったのだ。
博士はあるデータカードを集めている。すでに研究所には、トーレの手に入れたデータカードが一つあり、チンクが奪おうとしているのは、2つ目のデータカードだった。
博士が言うには、データカードは1枚では意味を成さないらしく、幾つも揃えて初めて、中に込められている情報を解読する事ができるらしい。
博士がデータカードを集め、最終的に何をしたいのかはチンクにも分からなかった。他の姉妹も、博士に一番近い、ウーノでさえそれは知らないらしい。
だが、聡明な博士が探しているものだ。きっと何か大きな意味があるのだろう。その意味は非常に大きく崇高な意味を持ったものであるはずだ。
それはちょうど、自分達姉妹が博士によって生み出された理由と同じだ。
チンクは何時間もかけてダクトの中を移動していき、ようやく目標とする出口へとたどり着いた。
出口も狭く、これは人間の子供ほどの体格でなければ出る事も出来ない。この狭い迷宮の中に閉じ込められてしまうだけだ。
チンクの体でも、外に出るのは大変な作業だった。内側からダクトのパネルを外し、一部の関節を外してまで外へと出た。チンクの骨格は、関節を外してもほとんど痛みを感じないようにできていたため、外に出た後は音を鳴らして関節を元に戻した。
チンクはゆっくりと研究施設の中を移動し始めた。足音もほとんど立てずに、殺風景な廊下の中を歩いていく。
この研究施設はチンクの脳内にインプットされた情報によると、重警備の研究施設だった。取扱物は、コンピュータ機器やそのパーツなのに、警備は厳重に敷かれている。
チンクはその研究施設の最深部まで潜り込む必要があった。
脳内にインプットされている情報によれば、目標物まで、入り組んだ道と警備網をかいくぐらなければならない。チンクは既に研究施設の中に踏み込む事が出来たが、それでも潜り抜ける事が出来た警備は半分程度でしかなかった。
チンクは廊下を歩いて行きながら、暗い研究施設を見回す。それぞれのフロアが廊下から繋がっており、全ての扉が閉じられ、厳重にロックがかけられており、中を覗く事もできない。
だが、チンクが目標とする場所は一箇所だけだった。他の部屋になど興味もない。
ふと、チンクは自分の視界の中に入って来た赤い光に気が付いた。その赤い光からは、警告と表示が出ている。自分の視界の中にアップロードされている警報装置で、ある物が近づいてくると鳴るように設定されている。
チンクは素早く身を隠した。廊下の中を、ゆっくりとゴミバケツのような物体が巡回している。そのゴミバケツは赤い光を頭部と思われる部分に装着し、その赤い光をゆっくりと回しながら周囲を見回していた。
あれは、警備ロボットだ。この重警備の研究施設の中を監視するために幾つもフロアに配置されている警備ロボット。
彼らはこの施設で働く者達全ての情報をインプットされており、もし異なる顔の人物を発見するならば、即座に警報装置を鳴らして非常体制を敷く。そんな存在だ。
わざわざ身を隠して警備ロボットをやり過ごす事など、普段のチンクならばする必要もない。彼女がコートの内側に隠したナイフの刃先が光る。これさえあれば、あのロボット達を一撃のもとに破壊する事もできる。
だが、ロボットを破壊してしまってはすぐに警報を鳴らされてしまうだろう。博士が必要とする目標物を、安全に入手するためにはそれはしてはならない事だった。
ロボットをやり過ごすと、再びチンクは廊下の中を研究施設の更に奥に向かって歩き出した。
目標物は案外簡単に見つける事ができた。それは厳重に、研究施設の最深部に保管されていた。
目標物があるフロアは異様に広く、たった一枚のカードキーを保管している割にはあまりにもそのフロアが大きすぎる。
殺風景も良い所といったフロアで、金属の箱の中にあるかのような部屋だ。一定のブロックを仕切るかのように並ぶパネルの境目だけがある。部屋の中心に吊り下げられる形で台があり、その上に箱が乗っていた。
だが、このフロアはただのフロアではない。そう簡単に目標物に辿り着く事ができるようになっているわけではないのだ。チンクは自分の視覚のモードを再び変えた。すると、彼女は幾重にも折り重なっている、赤外線のレーザーを見た。
赤外線だから、ただの人間の視覚ではそれを認識する事は出来ない。しかしながら、博士によるアップロードのお陰で、チンクは赤外線の線をも認識する事ができるようになっていた。
周囲の色は緑色に変化するが、赤外線のレーザーの線は白いラインで見る事ができる。
赤外線のラインはまるで何かを走査するかのようにランダムな動きを見せ、しかもそれは幾つもある。
これは、赤外線に触れてしまうと、警報が鳴るシステムだ。赤外線自体には何も害は無いが、光を一瞬でも遮断するだけで、それは警報を鳴らすきっかけになる。
博士の任務を安全に、そして確実に遂行するためには、この赤外線に触れ、警報を鳴らすわけにはいかない。
チンクは少しの時間その場に立ち止まり、一見ランダムに動いているような、赤外線のラインのパターンを解析しようとした。
どんなものであれ、パターンはあるはず。この赤外線の動きだって、所詮はプログラムによって動かされているはずだ。チンクはそう思って赤外線の動きを解析しようとしたが、無理だった。
この赤外線の動きは、完全にランダムに動いている。その動きは複雑過ぎ、人間には到底追いつく事が出来ない。
だがチンクは自分に言い聞かせた。博士はこの任務をこなすことで、自分の存在意義を理解できると言っていた。
ならば、何としても成し遂げたい。それにチンクにとってできない事じゃあない。
チンクは自分の羽織っていた灰色のコートを脱ぎ、更に戦闘スーツの肩と腰に付いているプロテクターも全て外した。
元々小柄だったチンクがボディスーツだけの姿となり、更に小柄になった。
しかし、それで随分と動きやすくなる。チンクは、赤外線を認識できる視覚のまま、赤外線のランダムな動きが作り出す柵の中へと飛び込んだ。
赤外線の動きは容赦なくチンクを追い詰める。だが、チンクは素早く赤外線のレーザーの動きを探知し、それを避けた。
元々小柄な上に身軽なチンクは、次々とやってくる赤外線を避けていく。
彼女は無心だった。ただ、博士が与えてくれたプログラムに従って、自分の体を動かした。
クアットロの言ってきた蔑みも、妹達の与えてくれる賛辞も、今のチンクの中には無かった。ただ、自分の中に内在するプログラムと言う本能を使い、体を動かすだけだ。
チンクは幾つにも折り重なる赤外線を避け、更にまた重なる赤外線を避けていく。自分の体格が少しでも大きければ、赤外線に触れてしまうだろう。だが彼女の体の大きさが程良かったために、それを避け切る事が出来た。
チンクは赤外線を避けつつ、天井から吊り下げられている台の上に載せられた、金属製の箱へと手を伸ばした。
箱へは簡単に手が届き、チンクはそれを奪い取った。だが、箱を台の上から持ちあげた時、彼女は奇妙な手ごたえを感じた。
箱を乗せていた台が若干、上に登り、吊っていたワイヤーが少し上に持ち上がる。何かの機械音さえも聞こえた。
チンクは赤外線レーザーを避けつつも警戒を払った。
突然、箱のあるフロアの奥の壁が上方へと上がった。今まで何の変哲もないただの壁だったのに、そこはシャッターであるようだった。シャッターが上方へと開き、そこに姿を現したものは、先ほど、廊下を破壊していたロボット達を幾つも重ねて作り上げたような、兵器だった。
「非常事態発生、非常事態発生」
警報が鳴った。更に金庫のような部屋の内部は赤い色によって照らされていく。
チンクは理解した。自分が今抱えている金属製の箱を、天井から吊り下げられている台の上から取れば、重さが減った事を天秤のような原理を持つ装置が感知し、警報が作動する仕組みになっていたのだ。
壁に備え付けられたロボットが、チンクに向けて銃口を向けてきた。侵入者には容赦なしという事か。
チンクは箱を抱えたまま、素早く部屋の入り口に放置している自分の灰色のコートを取りに向かった。もう、部屋を走査している赤外線など構わない。視覚のモードを元の人間の視覚に戻し、彼女はまるでロケットのように部屋の入り口へと飛び込んだ。
ロボットが銃弾を発射してきた。狙いは的確だ。ロボットはチンクのいる場所へと正確に銃弾を放ってくる。
だがチンクも負けてはいない。素早く銃弾を避けるだけの機能は有している。姉妹達の中でもトップクラスのスピードを持つチンクだったから、銃弾を避ける事はできる。だが、そのスピードも長くは持たない。
チンクは素早く自分の着ていたコートを鷲掴みにし、その中にずらりと収まっている刃を手にした。
ダガーほどの大きさのチンクの武器。それを彼女は一度に5本抜き取った。そして素早く壁にあるロボットに向けて投げつける。
銃弾によって2本のダガーが叩き落されたが、3発も命中すれば十分だった。チンクは、素早く灰色のコートを被り身を伏せた。
その直後、チンクを狙って銃弾を放ってきていたロボットは、命中したチンクのダガーの爆発に巻き込まれ、そのパーツを吹き飛ばされていた。たった3本のダガーだったが、起きた爆発は手榴弾ほどのものがあり、爆発の被害は金庫室全てに及んでいた。
金庫の中のように殺風景だった部屋は黒ずみ、さらに爆風によって部屋の形さえも変形していた。
チンクは、灰色のコートの中から顔をのぞかせ、ロボットが大破した事を確認する。爆発に巻き込まれても、チンクは灰色のコートによって爆風からもロボットの爆発の破片からも防がれ無事だった。
博士がくれたコートは特殊繊維で出来ており、耐爆服としての効果もある。チンク自身が爆弾でもあるダガーを用いて戦うため、このように密閉された場所でその武器を使うための防御に使えるのだ。
「何だ今の音は!」
「金庫室だ! 大変だぞ。火災報知機も鳴っている! 急ぎ確認を!」
警備員の声だろう。こちらに向かってきている。チンクは自分が抱えていた金属製の箱が無事であることを確認すると、その金庫室から素早く外へと出た。
足音が聞こえてくる。それも廊下の両方からだ。逃げ場は無いかのように思えた。
だが、警備員達がその場に駆け付けた時、チンクの姿はそこには無かった。彼らが見たのは、金庫室で破壊されたロボットと、爆発で粉砕された部屋の中のあり様だった。
まさか、子供ほどの体格の少女がこんな事をしでかしたとは夢にも思わなかっただろう。更に、彼らの足下にある通気ダクトから彼女が、金庫室で保管されていたものを抱え、逃げ出していると言う事も彼らは想像もできなかったはずだ。
「チ、チンクお姉ちゃん…?」
チンクが煤だらけのコートを羽織って戻って来た姿を見るなり、妹のセインは彼女を見てその水色の瞳を持つ目を見開いていた。
自分のあり様にそんなに驚いたのかとチンクは思った。確かにまるで火事の中から逃げてきたかのような酷い姿ではあるが、博士の任務をこなすためならば、このくらいのあり様になっても不思議ではないはずだ。
今回の任務では、生体ポッドの中に入り、治療をしなければならないような怪我もしていない。ただ、いつも羽織っているコートは、新品のものに代えてもらう必要があるようだが。
「チンクお姉ちゃん、大丈夫?」
セインが、何も答えずに歩いて行くチンクの背後から近づいてきて、彼女に尋ねてくる。その水色の瞳は大きく見開かれ、本当にチンクの事を心配している事がよく分かる。
チンクは妹の方をちらりと見るなり答えた。
「ああ、大丈夫だ」
「でも、そんなにボロボロで…」
と、セインは言って来たが、
「どこも怪我はしておらん。今は博士の元にこれを送り届ける方が先だ」
そのように彼女の言葉を遮り、チンクは答えるのだった。
セインを追い払ってしまうと、チンクは少し言い過ぎてしまったかと、まだこちらの方を向いているセインの姿をちらりと見たが、そのまま研究所の奥へとすたすたと歩いていってしまった。
チンクは自分の持ってきた、彼女でも脇に抱える事ができる程度の大きさの金属製の箱を持ち上げて見て見た。
そこには金属に刻印が彫り込まれ、テンキーが備え付けられている。暗号を知らないと開く事が出来ないと言う構造だ。
これは、以前に自分とトーレが手に入れた、あの金属製の箱と同じものだ。トーレは列車に飛び乗り、何とかこれを入手する事が出来たが、あの時も彼女はチンクの手助けが無ければこの箱を手に入れる事はできなかっただろう。
だが、今回の博士の任務ではチンクがたった一人で、この箱を入手する事ができた。
あの研究施設に入り、誰にもその姿を見られる事無く、この箱を入手する事ができたのは、自分だけだ。
博士の与えてくれた、この体があったからこそ、この任務を達成する事が出来たのだ。
チンクはその意味を理解した。自分の記憶の中にはっきりとそれが刻み込まれる。それはこの金属の箱に彫り込まれた刻印のように、はっきりとしたものだ。
もう、クアットロの蔑みの眼も気にならない。妹達の前でも、姉達の前でも堂々としている事ができる。
この姿こそが、私なんだ。
説明 | ||
リリカルなのはのナンバーズが主役の小説の5編目です。チンク姉が何故小柄なのでしょうか?彼女は博士からの任務を通じてそれを知る事になります。 | ||
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コメント | ||
いやあ、博士自身も、作られた存在、だったわけですから。(エックス) 博士はロリコンだった訳じゃなかったんですねwww(ゲストさん。) |
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