「戦神楽」 紅蓮編 (4)猛禽
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 痛い。

 痛い。

 痛い。

 自分の腹にナイフが刺さっているという非現実的な現実と、これが現実であることを証明する腹の激痛とで気が狂いそうだ。喉からは聞いたこともないような叫喚が迸っていた。

 たった今持ち直したばかりの意識が吹っ飛びそうになったが、激痛はそれすらも許してはくれないようだった。

 迫りくる痛みに耐えて声を漏らしていると、突如、暗闇から声がした。

 

「いいなあ、その声。とっても好きだよ」

 

「だ……れだっ……!」

 

 辛うじて首を動かし、声の方向を見る。

 

「本当に、いいよね。無抵抗の生き物をちょっとずつ弱らせていくのって」

 

 暗闇から姿を現したのは、不思議な生物だった。

 声と、ほとんど隠されていないボディラインは成熟した女であることを示唆しているが、頭部は少しばかり変っていた。

 人間の耳が在るべき部分に、まるで猫のような耳。目はくっきりと吊り上がり、その中に納まる金色の瞳の瞳孔は縦に開いている。何より口元が獣のような兎唇――顔全体に、うっすらと毛が生えているようにも見える。

 額には、黒々とした紋章が広がっていた。

 半分獣が混じった人間、という印象を受けるその獣女は、長い爪のはえた指の間に数本のナイフを挟んでいた。

 

「もっと鳴いて欲しいな」

 

 目を細めて、ナイフを目の前に突きつける。

 そのまま刃をゆっくりとおろしていき、胸の中心にすぅっとまっすぐ真紅の線をひいた。

 思わず喉の奥から苦痛の呻きが漏れた。

 

「もっと」

 

 十字をきるように今度はナイフを横に滑らせる。

 

「もっと」

 

 さらに、斜めに。

 まるで絵画を描くように、ナイフは薄く皮を切り裂いて、縦横無尽に赤い線を引いた。

 何だ、これは。

 誰だ、これは。

 いったい今、何が起きているんだ?

 拘束された手足を懸命に動かすが、絶望的なほどに頑丈だ。

 女は獣のような唇の間から細くとがった舌を伸ばして、滲みだした血を舐めとった。

 

「もっと」

 

 長い爪が、腹に刺さったままのナイフを引っかけた。

 そのまま一気に引き抜く。

 

「ぐあぁぁぁあああああ!」

 

 喉から悲鳴が裂け出る。

 腹の傷から真紅の液体が迸った。

 

――ここは『緋檻』

 

 このままでは、このよくわからない獣女に嬲られて、殺されてしまう。

 まだ、何も始まっていないのに。

 

――生きたいと願え

 

 頭の片隅で声がする。

 額が熱い。

 

「好きだよ。これから死にゆくモノは、全部好きだよ」

 

 耳元で、獣女の声がする。

 

――そして奪え

 

 頭の中で声がする。

 もはや激痛は取り返しのつかないところまで来ている。

 指一本動かせなくなってしまう前に。

 これまで珀葵(ヒャッキ)にいた時は、『生きたい』なんて願う事はなかったけれど、今、オレは心の底から死を疎んだ。

 可笑しな話だ。

 自らの生の為に相手を屠(ホフ)ろうと言うのか?

 

――生きたくば、奪え

 

 そうだ。まだ何も始まっていない。

 死なない。

 殺したい。

 

「ヤ メ ロ」

 

 あの時と同じだ。

 叉姫と言う少女が現れ、オレの中の殺意を暴いたあの瞬間と。

 奪え。

 何もかも、奪い取れ。

 激痛とは別に、額が酷く熱かった。

 身体が勝手に反応した。

 

――奪エ

 

 その声に従って、オレは意識を集中した。

 手ではなく、足でもなく、体中のどの部分でもない何かが反応して、目の前の獣女に襲いかかった。まるで拘束された手足以外の何かが、獣女に向かって攻撃を仕掛けたような感覚だった。

 

「私の仙(セン)がっ……!」

 

 女の悲鳴。

 同時に、体中に何かが満ちる感覚があった。

 獣女の中から何かが流れ込んでくる。奪い取ったそれが何かは分らなかったが、使い方は本能的に知っていた。

 両手に集中して、思いきり力を込める。

 ぼぎり、と大きな音がして自分を拘束していたモノが吹き飛んだ。先程まで、どんなに力を込めても全く動かなかったというのに。

 高揚しているからか、それとも意識が薄れているからか、傷の痛みが多少遠のいていた。

 一歩、踏み出す。

 腹の傷から流れ出した血が、地面にぽたりと染みを作った。

 本能的に出した左手は、恐怖の表情をした女の頭部を鷲掴(ワシヅカ)んでいた。

 恐ろしいほどの力が、自分の中で荒れ狂っている。

 

「……燃えろ」

 

 ただ、それだけでよかった。

 一瞬にして、自分の手の中にあった女の頭部が発火した。

 声もなく、表情もなく、瞬間的に頭部が蒸発してしまった女は、生命としての活動を停止し、首から下の身体だけがどさりと地面に落ちた。

 何の感慨もなく、一瞬前まで生き物だったその塊を見下ろした。

 首のない女の体の上に、オレの血がぽたり、ぽたりと滴(シタタ)り落ちる。

 体中にみなぎる得体のしれない力が、オレの傷をやんわりと癒していった。

 浅い傷は皮膚がみるみる再生し、深く抉(エグ)られていた腹の傷から流れ出る血も、少しずつ量が減っている。

 痛みが遠ざかってきてようやく感覚が戻ってきた。

 肉の焦げる匂いがする。

 それは、目の前の死体の首のあたりが盛大に焼けてしまったせいだ。

 

「……奪え」

 

 ずっと頭の中の声が繰り返す言葉を反芻して、オレは膝をついた。

 何もかもがマヒしていた。

 女の腰に括りつけてあった細い剣をベルトから外した。

 

「……奪え」

 

 同じように、武具らしきモノを次々と剥いでいった。

 感情はない。ただ淡々と作業を進めていくだけだ。

 そうしている間に、胸の傷は少しずつふさがっていく。

 

「……奪え」

 

 うわ言のようにそう繰り返しながら。

 獣女から外した武具を、一つ一つ身につけていく。

 素肌に直接装着すると、ひやりとした感触で、少しずつオレの頭を冷静にしていった。

 二つの篭手と左の肩当て。ベルトに括った細身の剣。制服のズボンの上から膝下のガードを装着した。

 重い。

 それでもオレはやめなかった。

 ああ、重い。

 すべての装備を剥ぎ取って、すべてを奪い取って。

 オレは首なしの死体を見下ろした。

 しかし、驚くほど何の感情も湧かなかった。

 

 

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 少しずつ暗闇に目が慣れてくると、ここが限定された空間だという事がわかった。

 足元は赤茶けた土が敷き詰められ、先程まで背中に当たっていたのは煉瓦のようなものを積んでできた壁だった。天井も似たような素材でできている。

 思ったより狭いこの空間の出口は一つで、扉はなく、ぽっかりと真っ暗な口をさらに濃い闇として開いていた。

 獣女の死体が転がるすぐ近くに、自分が先ほどまで着ていた学ランの上着とシャツが落ちていた。

 オレは落ちていたシャツを引き裂いて、さすがに治りきらなかったらしい腹の傷に巻いた。白い布に、じわりと血が滲んだ。

 そして、汚れてしまった学ランの上着を装備の上から半ばかけるようにして羽織り、腹の傷を抑えて空間の出口に向かった。

 先ほどから自分の中に入り込んできた不思議な力の正体の事も、ここが緋檻のどこなのかも、これからいったいどうするのかも分らなかった。

 もちろん、自分のこの足がいったいどこへ向かうのか。

 

「くっそ……」

 

 叉姫、アイツ、導き手とか言ってたな。

 

「なんて不親切な導き手だよ」

 

 何が単純な世界だ。

 オレには何にもわかりゃしねえ。

 なぜ今殺されかけたのか。ここはどこなのか。これからどうしたらいいのか。

 ただ、殺して奪うだけじゃ駄目だ。情報がいる。もっと詳しい現状を知る必要がある。そうしなければ、生きていけない。

 しかし、少し血を流しすぎた。動きが鈍くなってきている。

 今、敵に会ったら――

 

 

 

 こんな時ばかり、いやな予感は当たるんだ。

 最後に一つ残された、空間の脱出口から声がした。

 

「残ったのは人間だ」

「人間であるな」

 

「獣人を殺(コロ)した」

「獣人を燃やした」

 

「仙を使った」

「紅蓮(グレン)の炎だ」

 

 ばさりと大きな翼が翻った。

 

「これは面白(オモシロ)いな、鷲牙(シュウガ)」

「可笑(オカ)しなことであるな、鷹爪(ヨウソウ)」

 

 これは、絶体絶命のピンチというヤツか?

 血が足りない。

 それなのに、オレの目の前には再び異形のモノが二体、立ちはだかっていた。

 二人とも、人間の形をした身体だというのに、背には不釣り合いなほど大きな翼が一対生えている。刺青の施された顔にはまるで猛禽のようにくっきりと吊りあがった金色の瞳、そして銀色の瞳。一人は癖っ毛でもう一人はストレート。二人とも黒のハイネックノースリーブと肘まで隠す篭手をつけてはいるが、見た限りでほとんど装備を身につけておらずかなりの軽装だった。

 二人の額には、頭を燃やしてしまった獣女と同じ紋章が黒々と刻まれていた。

 金眼と銀眼の猛禽。

 二人は違う容姿をしているにもかかわらず、まるで一対のモノであるかのように動き、話した。

 

「もしや、神に近い方の『人間』なのか?」

「神に近い方の『人間』だとしたら面白い。主(ヌシ)サマと同じである」

 

 一難去ってまた一難、なんて軽い言葉で済ませていいだろうか。

 思考停止寸前。

 それでも、考えろ。

 

 

 生きる、ために。

 

 

 細身の剣を鞘から抜き、慣れた構えをとる。竹刀よりもずいぶん重いが、おそらく同じように扱えるだろう。

 奪い取れ。

 そうだ。

 欲しいものは奪え。

 

「面白い」

「面白くはあるが、手傷を負っているようだ」

 

「このままでは弱ってしまう」

「弱ると楽しめなくなる」

 

 奪うものは――情報。

 オレの知らない事は、コイツラに聞けばいい。

 荒い息のまま距離をとり、すっと剣を構えた。細身の剣でよかった。もし大剣なら全く扱えなかっただろう。

 剣先に意識を集中する。

 

「仙(セン)を使う」

「奪った仙(セン)を使っている」

 

 叩きのめせ。完膚なきまでに切り刻んで、支配下に置け。

 摺り足で僅かに移動しながら距離をはかる。間合いをはかる。

 見たところ武器を手にしていない二人より、剣を持っている自分の方がよっぽど有利だ。

 ぼう、と手にした刃に焔が灯った。獣女の頭を蒸発させた焔だ。

 

「仙(セン)を使った」

「紅蓮(グレン)の焔だ」

 

 全身に力がみなぎっている。

 地面を一蹴り、オレは一瞬にして有翼人の片方との間合いを詰めた。

 

「残りの仙(セン)が少ない」

「少なければ戦えない」

 

 剣を持つ手に衝撃が加わった。

 見れば、ソイツは、オレの剣戟を足で止めていた。その足は、硬いうろこに覆われ、鋭い爪が装飾された猛禽の足だ。

 斬れない!

 すぐに剣を退き、体勢を整える。

 既に息が荒い。剣に灯った炎も消えかかっている。

 金眼と銀眼の猛禽はオレを囲むように翼を広げた。

 

「主(ヌシ)サマにいただかねば」

「主(ヌシ)サマに報告すべきである」

 

 距離を置いてくるくるとオレの周囲を飛び回る二人に、また、叉姫の二重人格とはまた違う、不思議な二人の掛け合いに酔いそうになる

 

「キサマはまだ死なせん」

「死ぬべき時ではない」

 

「まだ楽しませてくれ」

「まだ楽しませてくれ」

 

 にぃ、と二つの顔が笑う。

 違う顔なのに同じ表情で。体格も顔も髪型も違うというのに、一対のモノに見える。

 金眼と銀眼の猛禽。

 鷹と鷲。

 大きな翼を一振りで、その場に突風が吹き荒れた。

 

「……っ?!」

 

 その突風に目を閉じた一瞬、その一瞬の間に周囲の景色は一変した。

 

 

 

 

説明
 満たされる、充たされる、ミたされる――
 神の嘆きが創り出した平和な世界『珀葵』、そしてそこから零れ堕ちたモノが業を背負う世界『緋檻』。
 珀葵に蕩揺う平和の裏で、緋檻の民は業を重ねていく。

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◆これは、戦略シミュレーションゲーム『戦神楽』の宣伝用に執筆されたものです。
 RPG版のシナリオ原本でもあります。
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