烈火の魔女
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烈火の魔女。

……みっともないコードネームだ。

でも、それが今のあたしに残っている唯一の名前だった。

 

あたしは今日も上から指令を受けるがまま、“ギシ”を狩りに赴く。

飛行金属で出来た箒に乗って、コンクリートに囲まれた商店街を疾走する。

人の気配は無い。おそらく既に住人避難の手配が済んでいるから。

もっとも、この寂れようでは避難するような住人など最初から居なかったのかもしれない。

 

 

現場に到着すると、“ギシ”は居た。

軒先に屈みこんで泥水を啜っていた奴に対し、あたしは明確に敵意を込めて呼びかけの言葉をかける。

奴は腰だけ先に持ち上げ、人間には不可能な捩れた動きで立ち上がる。

それからゆっくりと遠心力をかけ、あたしの方に振り向いた。

 

一見すると人間の女性に見えなくもないが……やはりそれは難しい。

頭部から生える黒い紐束は、髪と呼ぶには太すぎる。

目玉は飛び出している上に、左右で大きさがまるで違う。

鼻やあごはニュルニュルと終始変形しており、骨どころか皮膚すら存在しているかどうか怪しいものだ。

そして何より足が無い。

幽霊だから……ではなく、触手の塊がその身を支えているから。

 

 

奴らは、“ギシ”と呼ばれている。

そう呼ばれている由来。そもそも奴らは何者なのか。

そんなことは知らないし、興味も無い。

奴らは人間を模す。そして食らう。

だから狩る。それだけだ。

 

 

奴は間接を無視した角度でゆったりと首を傾げると……。

次の瞬間、その形の定まらない右腕を伸ばして、あたしに突きかかって来た。

あたしは右手の箒でその攻撃を払いのけると、空いている左手でマッチに火をつける。

余談だが、片手でマッチに火をつけるのは他人に自慢できる数少ないあたしの特技の一つだ。

あたしはマッチを奴に向かって軽く放ると、間髪居れずに掌を宙のマッチに向け、思いっきりマナを放出した。

マッチの小さな火が、巨大な炎塊になる。周辺の酸素が、一瞬でただの熱源になる。

奴はその熱源に巻き込まれ、ギィィと不気味ながらも苦しげな悲鳴を上げる。

思った以上に火力が強かったため、巻き込まれそうになったあたしは慌てて身を庇う。

 

あたしの血に宿るマナは、炎のマナ。

燃え盛る炎の力を増大する。

並みの“ギシ”なら、この攻撃を食らっただけで一発だ。

 

だが生憎、奴は並みの“ギシ”ではなかったようだ。

奴の胴が割り開かれ、そこから現れたムカデの背骨のような触手が上半身と下半身を分断する。

そうして長大化した奴の身体は、全長30mはあろうかという巨躯へと成長した。

その長身が震えると、その身を包む火の粉はあっけなく払われた。

 

あたしは舌打ちをして、咄嗟に飛び退く。

その体型から予想された通り、奴はその長い体躯を振り回してあたしをなぎ払おうとする。

あたしは素早く身を翻して箒に跨り、急上昇して奴の攻撃を回避する。

店舗の軒先や電灯が根こそぎ吹っ飛んだ。

 

危機一髪で空に逃れたあたしだが、ここも安全ではない。

息をつく間もなく、奴はその紫色の狐のような顔をこちらに突っ込ませてくる。

既に人間のフリをしていた頃の面影は微塵も無い。

人間を形どっていたパーツは全て奴の体内に吸収されたようだ。

 

奴が怒涛の攻撃を仕掛けてくる。

尾や頭を振り回すその軌道を、あたしは正確に見切り、かわしていく。

あたしみたいな虫けら相手にあんなに暴れ狂って、ご苦労なことだ。

ふと億劫になったあたしは、懐から取り出した煙草に火をつける。

わざわざその時間を作ってまで。

火をつけたマッチの方は、奴に一応ぶつけてやったが、大したダメージにはなっていないだろう。

あたしはゆったりと煙草の匂いを嗅ぐ。

 

 

 

 

 

 

別に余裕があるわけじゃない。

奴らは常軌を逸した怪物だ。

単純な馬力だけなら常に奴らのほうが遥かに上回っている。

戦闘のリズムがちょっとでも崩れれば、あたしは死ぬしかない。

 

それでも、あたしの脳髄は冷え切っていた。

肉体の鼓動がどんどん早まっていくにもかかわらず、

それに反比例するようにあたしのテンションは底辺へと向かっていく。

 

興味が湧かない。

こいつらの一匹や二匹を倒したところで何がどうなると言うのだ。

また、こいつらにあたしがやられたところで、すぐに代わりの魔女が来るだろう。

 

 

 

 

 

 

焼けた葉っぱの香りがあたしの鼻腔に充満する。

煙草は吸わない。吸わないが、煙草の匂いを嗅いでいると何故か落ち着く。

同僚には迷惑な趣味だとよく言われるが、あたしはやめるつもりはない。

 

……おっと。奴の攻撃が更に激しくなってきた。

煙草程度の火種ではまともな火力にはならないので、武器には出来ない。

かと言って、ポイ捨てはあたしの主義に反する。

あたしは煙草の火力を上げて、一瞬で燃やし尽くして灰にする。

 

あたしは再び懐を探る。次に取り出したのは缶ウィスキーだ。

奴が突撃してくるのを紙一重ですり抜けつつ、片手でタブを起こして、奴の身体に缶の中身をぶちまけた。

続いて火を摺ったマッチを再び奴の身体にぶち当てる。

 

燃え盛る奴の身体。だがその動きは鈍らない。

奴を殺すには人間界の炎では駄目だ。

だとすれば魔界の炎が必要になる。

魔女の血から導かれる、全てを焼き尽くす獄炎が。

 

あたしは両手を前に突き出し(おっと、手放し運転だ)、全力で奴の身体、正確には炎上している炎にマナを送り込む。

もうもうと美しく輝いていた柑子色の炎は、あたしの干渉によって禍々しい赤黒い炎に変わる。

赤黒い炎は、瞬く間に奴の身体を侵食し、食らい尽くす。

 

奴はギィィ……いや、ギェェか?

まぁそんなのはどっちでもいいか。

とにかく、奴は表現しづらい悲鳴を上げ、融け堕ちた肉体は地上に墜落していった。

 

 

 

 

 

 

今日も終わった。つまらない仕事が。

あたしは地上に降り立ち、再び煙草を取り出す。

……ん?

 

ガキが居た。まだ年端も行かない雄のガキだ。

ガキは目を爛々と輝かせて、このあたしを見ている。

避難しなかったのか?

それとも何処かから紛れ込んだのか。

終わったこととは言え、どちらにしても迷惑なガキだ。

 

ガキの方はあたしに興味があるようだが、あたしは付き合ってやる義理はない。

背を向け、早足で歩き出す。

煙草に火をつけようと、マッチを手に取る。

 

炸裂音。

あたしの身体が宙を舞った。

強い力ではたき飛ばされたあたしは、コンクリートの壁に叩き付けられる。

一瞬、ガキの仕業を疑ったが、流石にそんなわけはなかった。

 

 

 

ふざけんな……聞いてないぞ、もう一匹居るなんて……!!

 

 

 

隠れていたのであろう、現れたもう一体の“ギシ”は、一時的な呼吸困難で動けないあたしの身体に、尖らせた触手を容赦なく突き立てた。

血がはじけ飛ぶ。

内臓の一部がイった。

 

奴は、あたしに牙を向けて笑った……ように見えた。

戦闘不能になったあたしを、ゆっくりと食らう気だ。

 

 

 

そうか……今日で終わりか……。

思ったより……遅かったな……。

 

 

 

ふっと自嘲的に笑ったあたしは、力なく俯く。

すると、あたしの血が身体から流れ出している所が目に映る。

思わず傷口を抑えた両手が真っ赤に染まる。

何をやってるんだあたしは。

そのままにしておけばいい。

あたしの中の魔女の血なんて、全部流れ出てしまえ。

あたしは手に付いた血を振り払った。

 

 

 

…………。

……………………。

………………………………?

 

 

 

来な…………い…………?

 

 

 

不審に思ったあたしは、既に貧血が始まっている頭を無理やり起こす。

霞んだ視界の端に、“ギシ”の背中が映る。

 

“ギシ”の牙は、あたしには向いていなかった。

その牙は、凄惨な光景に腰を抜かしている少年に向けられていた。

 

 

 

 

 

死ねない……。

 

 

まだ……死ねないッ!!!

 

 

 

 

 

内から湧き上がった激情に突き動かされ、あたしは無理やり立ち上がった。

それに気付き、“ギシ”が再びこちらに頭を向けた。

 

血の足りない身体がふらつく。

箒やマッチはさっきの攻撃で吹き飛ばされて見当たらない。

酒はあの一本だけだ。

武器は何も無い。あたしの身体そのものを除いて。

 

“ギシ”がゆっくりと狙いをつけ、あたしに突進してくる。

避ける体力も無いと思ったのだろう。実際にその通りだ。

あたしは、傷口からあふれる血潮を再び両手に塗りたくる。

魔女の血には、大量のマナが秘められている。

 

 

……いや、この解釈は不正確だ。

魔女の血は……マナ、そのものだ。

 

 

最後の力を振り絞り、あたしは両手からマナを発する。

塗りたくられた血液から火花が飛ぶ。

高まったマナが、とうとう自然発火を起こす。

燃え盛る血液。まるで赤い油みたい。

手先が煮えたぎるように熱い。さっきから寒気がしていたからちょうどよい。

 

構わずに突っ込んでくる“トガ”の身体に、手が触れる。

いや、ギリギリで触れていない。

限界まで圧縮した炎のマナが発した超高温は、“ギシ”の身体をあたしに触れる前に融かす、どころか一瞬で蒸発させてしまう。

自ら火に飛び込んできた虫は、その勢いのまま……。

骨も皮も肉も……灰すら残さないまま、現世から消失してしまった。

 

 

 

限界を迎えたあたしは、仰向けにバッタリと倒れこむ。

見上げると、真っ青な顔で慌てて走り去る、逆さまな少年の姿が見えた。

 

 

 

 

 

 

不思議だ。

気分がすっきりしている。

これが死を目前にした悟りというものだろうか。

あたしはもう二度と開かないことを期待して目を瞑る。

 

 

「烈火の魔女。ごくろうさま」

 

 

そんなあたしの行為を邪魔するように、声がかかる。

仕方なくあたしは再び瞼を開く。

 

誰かがあたしの顔を覗き込んでいるのが見える。

よく見ると、見知った顔だ。

 

「シミズか……」

「キヨミズよ」

 

清水の魔女。こいつのコードネームだ。

理屈はよく分からないが、どんな酷い怪我でもたちどころに治してしまうマナを持っている。

あたしの開いた腹は、いつの間にかこいつの力によって塞がれていた。

 

「なんだよ……もうちょっとでかっこよく死ねたのにさ」

「あなたにそんな権利は無いわ」

「へいへい、どーせあたしは無感情な戦闘ロボットですよ」

「子供、助けようとしたでしょ」

「……見てたのか?」

「見てたわ」

 

あたしは大きく後ろから回した腕で、頭をかく。

どうにもばつが悪い。

 

「……冷めた目で物事を見ようとしても、いつも最後は血が滾って我を忘れちまう。ダメだな、あたしは」

「諦めなさい。あなたには達観なんて向いていないわ」

「どうしてそう思う?」

「達観の才能が無いから」

 

 

……ぷっ。

 

 

「あははははは」

「何がおかしいの?」

「いや、今の言葉で自分ってもんがちょっと分かった気がしてね」

「あらそう」

 

 

思いっきり笑ったあたしは、身を起こす。

ちょっと見渡してみると、吹き飛んだ箒はすぐに見つかった。

マッチの方は泥水に浸かって使い物にならなそうだ。

 

 

「じゃ、行こうぜシミズ」

「キヨミズよ」

 

 

あたしは思わず鼻歌を歌う。

仕事の後にこんなに機嫌が良いのは、あたしにしては珍しいことだった。

 

 

説明
引き続き流用アップ。
ところでバイオレンスって制限なしでもいいのかしら?
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