ナンバーズ No.06 セイン 金欠問題 |
「研究助成金を打ち切られた?」
研究室の中に、間の抜けたような少女の声が響き渡った。それは博士の生み出した人造生命体の6番目のモデルである、セインの声だった。
彼女はその大きな水色の瞳を見開き、博士の前に立ちつくしていた。
「うむ。まあ、資金巡りの方で色々とあってな。私の後見人から資金をストップされてしまってね…」
そのような問題に直面していても、博士は悠々とした姿と落ち着いた態度を崩さなかった。彼は最新式のマッサージチェアに身を埋めていて、マッサージの最中だった。
「それってお金が無いって言う事だから、博士、もう研究ができないって事じゃあないですか」
再びセインがそう言った。彼女は博士よりもずっと慌ててしまっている。まだ性格も幼く、稼働歴も短いセインだったが、お金の事くらいはよく分かっていたからだ。
お金が無ければ、博士は研究が出来ないし、何よりもこの研究施設全てが機能停止になってしまう。ここには電気も引いて、水道も来ている。そして何より、自分達が生活するための食べ物も何も無くなってしまう。幾ら人造生命体とはいえ、セイン達は人間がするのと同じような生活を送っていた。食べ物だって食べる。
「そう。できなくなる。幾ら私のしている研究が、公のもので無いとしても、やはりこの施設にある機材やらは全て、ある協力者伝いに提供してくれているものだ。彼の協力が無くなってしまった今、私達は自力でこの状況を切り抜けるしかない」
と、博士がセインに向かって声高らかに言った時、研究室の奥の方にいたウーノが電子パットを持って博士の元へと歩いてきた。
「博士…。今月の食費ですが、あなたと、私達、潜入任務中のドゥーエを除く6人だけでこれだけかかりました。今月分は何とか賄えますが、来月分の食費はありません。電気、水道など、研究施設のインフラも停止するでしょう…」
電子パットにはどうやら、この研究施設でかかった費用の出納帳が表示されているらしい。そうした金銭関係も全てウーノが担当している。彼女はいつも表情薄だったが、この時ばかりはと少し深刻な表情をしていた。
彼女が博士に言っている事の意味は、セインにも良く分かる。このままでは食べ物が無くなってしまう。いつも入るアップロード中の培養液だけでは、空腹は満たされないだろうし、そもそもセイン達にとって何よりも大切な、アップロードに使っている機材や、培養液を生成するだけでも、相当な費用になるらしい。
今からはその費用さえも、自分達で賄わなければならないのだ。
そんな事ができるだろうか。セインには分からなかった。自分達は、破壊工作をする事はできるけれども、お金を稼ぐ事はできない。稼ぎ方だって分からない。
そうだと言うのに、セインやウーノの前で見せる博士は悠々とした姿を見せていた。まるで問題など何も無いと言いたげな様でさえある。
「ほほう、そうか。思ったよりも事態は切迫しているようだな? さてセイン。そこで私達はお金を稼がねばならない。それも、例え君達姉妹全員がどこぞやの企業で働いて、毎月稼いでくれたとしても、全く足りないくらいの金額をだ。
分かるかね? それこそ莫大な金が無ければ私の研究は進まない。そこでだ。セイン。君にある任務を行ってもらおう。私達全員の為に、君に働いて頂きたい」
博士はセインをじっと見つめて言ってくる。
「は、はい。えっと、どういった所で働くんでしょうか? あの…、あたしはタイピングもできませんし、頭もあまり良くありません」
セインは思わず赤面してそう言ったが、博士はセインのその発言があまりに突飛だったせいか、思わず笑っていた。
「そんな事では無いよセイン。君にしかできない事だ。君のその素晴らしい才能でしかできない事だよセイン。ウーノ。あれを」
と博士は言うと、今度はウーノは奥の部屋から、何かの塊を10ほど、カートに乗せて持ってきた。とても人の力では運べないほどの大きさのものだ。
その塊のように見えたものは、近くで良く見れば塊では無い。膨大な量の紙の束だった。数える事ができれば、その束は恐らく、数万枚か数十万枚はあるだろう。
それを見てもセインは、まだ博士たちの言っている事が理解できなかった。
「セインちゃんの能力は、くだらない能力よ」
食卓の場でセインの2つ上の姉であるクアットロが発した言葉が、異様に響き、セインにとってはとても刺激的な感情を心に味わった。
今、6人の姉妹達は同じ食卓を囲っている。それはいつもウーノが作っているものであり、普通の人間が食するものと何ら変わりは無い。博士は研究に没頭しており、食卓を囲う場にはあまり現れない。
クアットロの発した言葉は、彼女より下の妹達にとっては、その場を沈黙させ、絶句さえさせるのに十分だった。それにセインにとっては、彼女の持つ能力こそが、自分自身の存在意義でもあったからだ。
「ねえ? そうでしょう? ディエチちゃんもそう思うでしょう?」
と、クアットロが自分のすぐ横に座って、黙々と食事を続けているディエチに向かって言った。
ディエチはクアットロが発した言葉に対しては何の感情も示さない、無表情のままだったが、咀嚼しているものを飲みこむと答えた。
「はあ…、わたしは、セイン姉様の能力も、非常に重要なものだと思っています」
セインの方は向いてこずに、ディエチはそう答えた。無表情のままではあったが、彼女は自分の意志でそう答えたようである。
だがセインは、クアットロの発した残酷な言葉に絶句したまま、その場で泣きたいくらいの感情に襲われていた。
どうしてこんな感情が生まれてくるんだろう。自分は博士に作られた存在なのに、どうしてこんな感情があるのだろう。しかし、
「クアットロよ。余計な事を言うな。セインの能力はお前には存在しないものだ。あいつにはお前に出来ない事ができる。それをくだらないなどと言うものではない」
食卓の場に発せられた、迫力ある一言で、再び皆が静まり返った。それは上から数えて3番目の姉妹であるトーレの言葉だった。彼女はまるでクアットロを戒めるかのようにそう言っていた。
「はーい…」
クアットロも、さすがにトーレにだけは頭が上がらないと言った様子で、再び食事に手を出し始めた。
ちらりとクアットロはセインの方を見て来る。彼女のかけている眼鏡が異様に光り、まだ何か言葉を自分に向かって言いたげだ。クアットロの方は見ないようにして、セインは再び食事に手を出し始めた。
自分がもし、クアットロの言う通り、くだらない能力しか持っていないのだったら、この食事も、あと何回食べる事ができるのだろうか?
そうした切実な現実も、セインの能力にかかっているのだった。
セインは博士から託された膨大な量の紙の束を持って、ある場所を泳いでいた。彼女の左脚には丈夫なワイヤーのリングが付けてあり、それが紙の束を纏めた、立方体の寄せ集めのような物体に繋がっている。
セインはただ流れの中に身をゆだねながら泳ぎ、自分の本能が示すままに動いている。
しかしそれは、セインにしかできない事だった。彼女以外の姉妹がそれをする事はできない。もちろん人間にもこのような事をする事は出来ない。
セインは今、地中の中を漂っていた。土が堆積し、全てを覆っている地中を、セインはまるで水中を泳ぐかのように移動していた。
セインは地面をかき分けて移動しているのではない、地中の中を何の痕跡も残さずに移動する事ができる。それが彼女しか有していない能力だった。
セイン自体は何も感じない。ただ地中が温めている温度のようなものを感じる事はできる。セインは全ての無機物を透過する事ができるが、その対象がマグマのような熱いものであったら彼女は透過できない。
あくまで彼女の肉体が透過する事ができる能力だ。
大きさにもよるが、セインと共に連結した別の物質も同時に物質を透過させてやる事ができた。大体、彼女の体の体積の3倍くらいの大きさのものまでならば、能力を使用して無機物を同時に通過できる。
今、セインが持っている物質の大きさは、許容限界ほどの大きさのものだった。脚にくくったロープは水の中を漂うかのように、時にはピンと張り、時には蛇行しながら、ブロック状の物体に繋がっている。
セインは地中を、もしくはコンクリート壁のようなものを透過している際には何も感じない。
地中にいては何も見る事ができない。音は異様に聞こえてくる。空気に関してはセインの肺活量は人間から比べると異常とも言えるほど強化されたものであったし、セイン自体の体が酸素をあまり必要としないでも動けるため、30分以上は地中にいる事ができる。それは水中でも同様だ。
セインは地中の所々で立ち止まって、視覚の内部にあるセンサーを作動させた。地中では何も見る事は出来ないが、視覚の中に内蔵されているセンサーであれば、現在位置を確認する事はできるようになっている。
セインは自分の現在位置が目標地点からそれほど離れていない事を確認した。もう少しだ。息つぎをしなくても、もう目標地点に辿り着く事ができるだろう。
クアットロは自分のこの能力がくだらないと言っていたが、果たしてそれはどういった理由で言われたのか、セインには理解できなかった。
ただ地中や物質中で泳ぐ事ができる。それはセインしか有していない能力であり、しかも博士に与えられたもの。だとしたら何か意味があるはず。くだらない能力では決してないはずなのだ。
だが、セインはトーレのように高い戦闘能力も持っていないし、クアットロのような電脳戦も苦手としている。頭が良いわけでもないし、持っている特異的な能力と言ったら、この地中を水中のように泳ぐ事ができる能力だけだ。
これがくだらない能力などと言われてしまったら、もう、セインに存在している理由は無くなってしまう。
博士は、そんなくだらない能力を生み出すために、自分を誕生させたのだろうか。
セインはそう思いながら地中で方向転換し、急激に上昇した。上昇する際も、まるで水中で体を動かすかのように体を登らせていけばいい。ただ、水中のように浮力というものが地中には無いから、彼女は自分の脚の動きと手かきによって地中を上昇していかなければならなかった。
そうしたセインの能力は強化されており、泳ぎに関しては姉妹で一番なのは間違いでは無かった。地中を泳ぎ上がる事に関して、セインは何も苦痛を感じないし、疲れもしない。その部分の筋肉や骨格が特別に強化されている為だ。
すでに地中ではなく、セインはコンクリートで覆われた、ある建物の地盤となる場所の中にいた。自分の視覚の中にあるセンサーで最終確認をする。事前にセインが確認した情報によれば、目的の場所は広いフロアなのだが、少しでも位置を間違えると計画が失敗になる。
それだけは避けたい。何しろ今回の任務は、人知れずに行わなければならない事だったからだ。
セインは身を泳がせ、ようやく地上に出た。地上と言ってもそこはどこかの建物のフロアであり、彼女はそこに自分が持ってきたものと似たような立方体の束が数多く積まれているのを見た。
セインは自分が持ってきた方の束を地中から持ちあげ、それを設置した。セインが持ってきた紙は、この倉庫に置かれているものと似た姿をした紙幣で、ここには何百万枚という紙幣が保管されている場所だった。
元々ここに置かれている方の紙幣は、あくまで紙幣の製造会社が制作した、とある国の本物の紙幣で、既に最終チェックが済んだ方の紙幣である。セインが持って来たものは、博士が機械で膨大な量を複製した偽物の紙幣だ。
既に最終チェックが済み、不備が無いとされた紙幣に、偽札を混ぜたらどうなるだろうか? 博士はそうセインに尋ねてきたが、お金の事を良く知らないセインにとってはよく分からなかった。
むしろ、ここにある大量のお金を持っていってしまった方が、博士や自分達の為になるのではないのか。そうも思った。
セインは紙幣がブロックごとに束になっている場所から顔を覗かせ、倉庫の出口で、厳重にトラックに積まれていく紙幣の姿を見た。
博士が制作した偽札も、あのようにして運ばれていくのだろうか。
せっかく作った偽札を、そのまま銀行とかに流して、博士は一体何をするつもりなのだろう、そう思いながらセインは誰にも知られないまま戻る事にした。偽札の束は誰にも知られず、本物の紙幣と紛れて置いてある。博士の意図も分からないまま、セインは帰路についた。
現金の直接の手渡しによる取引が、ほぼ電子化されている現在においても、やはり現金や鉱物資源というカネの、物としての価値は健在だった。
電子商取引だと、滅多に起こらない事ではあるのだが、人為的なミスが生じるし、何よりも、クレジットカードや電子取引ばかりで生活をしている現在の人々にとってみても、現金や資産が形となってある方が安心するらしく、相変わらず紙幣は流通している。
その紙幣の数は昔と比べて多くもなく少なくもなく、紙幣の価値は銀行でも一般家庭でも認められていた。
そして何より、銀行の取引明細に記載されない、手渡しでの現金の取引ができるという事もあり、闇世界では現金の方が相変わらず力を持っていた。
裏の世界に生きる者達からしてみれば、コンピュータ上に表示される数字の羅列よりも、現金の束の方が物としての説得力があるのだ。
とはいえ博士にとっては、紙幣は無縁の存在だったから、今まで彼自身も紙幣はほとんど手にした事が無かったようだが。
彼が行っている研究にかかる費用は、紙幣に換算したら膨大な量となってしまい、それであったら、銀行などの取引明細に記載されるリスクはあるものの、電子取引で機材の購入や研究施設の設備費用を払っていた方が楽だったからだ。
何より博士の出資者が電子取引を望んでいた。その出資者は多額の現金を博士の海外口座に振り込んでくれているわけだが、今ではそれをストップされてしまっている。
博士の海外口座の残高は一気に減少し、今では危機的状況にさえ陥っていたが、そこで初めて博士は現金と言うものに手を出したのだ。
しかしながら事もあろうか、博士が初めて手を出した現金とは、銀行から流通させられている、本物の現金ではなく、偽札だったのだ。
近年の現金は非常に精巧にできており、簡単には偽造する事が出来ない。だが、博士が目を付けた現金は、ある発展途上国の現金だった。
海外の紙幣であっても、特に発展途上国の場合、紙幣の製造を先進国の企業に委託する事も多い。国自体が機関を置き、国が紙幣を製造することもあるが、ほとんどの国は企業に紙幣を印刷させている。もちろん、その管理は厳重で、偽札が紛れ込む事も普通ならばできない。
博士が偽造した紙幣は先進国に比べるとかなり粗末な作りになっており、偽札の作成も先進国の現金に比べれば容易な事だった。金型は一週間以上もかけて博士が作成し、それをウーノが数百万枚も印刷して、額面にして1兆という額になった。それはその途上国の経済を左右するに十分たる額面の金額だ。
そして最終的にそれをセインが製造会社へと運んだのだ。
今までの任務とは違い、期間と手間を必要とする任務だったが、博士に言わせれば、この方法によって、莫大な金を手に入れる事ができると言う。
だが何故、偽札を流しただけで莫大な現金を手に入れる事ができるのか、セインにとってはやはり良く分からなかった。
(先日、発覚しました某国の偽札の大量流出事件によって、現在、同国の通貨価値は大幅に減少しています。ここ、数日のインフレ率だけでも1000%を超えており、突如発生したこのインフレによって市場に与える悪影響は致命的とも言われ…)
テレビのアナウンサーが言っている言葉の意味が、セインにとってはまだ良く分からなかったが、どうやら自分が持っていった偽札が世の中に流れたことで、大変な事が起きているようだぞと、彼女はそれだけ理解していた。
「よくやったな、セイン」
セインは皆が集った食卓の席で、姉のトーレに頭を撫でられながらそう言われた。彼女は相変わらず表情薄だったが、あのトーレに頭を撫でられるほどの事を自分はしたのだろうか。セインにはよく分からなかったけれども、どうやら、テレビで大ニュースが組まれるほどの事をしでかしたらしい。
でもそれがどうして博士達の元に、再びお金が舞い込んでくる事に繋がるのか、それが分からなかった。
セインがぼうっとした目でテレビの方を見つめていると、突然、博士が手を鳴らしながら食卓の場にやって来た。それに伴ってウーノはカートに載せた豪華な食事を持ってきている。
セインの眼はテレビから、一気にその豪華な食事の方へと向けられた。
「よくやってくれた。目下のインフレによって、現在、某国どころか、世界の経済は大打撃を受けている。しかしそれに反して、私は研究資金を手に入れる事が出来た。これで、当面の活動資金を入手する事ができる。
これらは全て、セインのお陰だ。彼女が大量の偽札を紛れこませた事によって、私は逆に莫大な現金を手に入れる事が出来た。そしてこの某国は、この偽札流通事件を、我々ではなく、国内のマフィアの犯行だとして処理をした。つまり、我々は大きな利益を手に入れる事が出来たが、疑われる事は決してないという事だ。
全ての問題は解決した。ここに祝杯を上げようではないか」
そう言いながら博士は持ってきたシャンパンのボトルを、音を鳴らしながら開けた。栓が勢い良くはじけ飛び、テーブルの上に転がった。
食事が始まってからしばらくして。
「セイン。これは記念品だ。メダルのようなものだと思っていい。今日は、君の為の祝杯でもあるのだ。遠慮はいらないぞ」
と、博士は言い、豪勢な食事に満腹になりかけていたセインの手に、何やらずしりと重い金属の塊を置いた。
それは偽札の金型だった。セインが造幣所まで持っていった紙幣とは鏡で写したように間逆の模様が刻まれている。どうやら偉い人であるらしい人の顔と、紙幣の額面金額を示す数字が刻まれている。
「これが、あたしのメダル?」
金型に刻まれている偉い人の顔は、セインにとっても知らない人物で、あまり好きになれた顔では無かった。
だが、博士からのプレゼントなのだと思うと、セインはそれを大切にしようと思った。
セインの前に並べられた豪勢な料理など目もくれず、セインはじっと手元の金型を見つめていた。
するとそこへ、
「あらあらセインちゃん。どうやら、自分が、とんでもない事をしでかしちゃったって事を、もしかして気づいていないのではなくって?」
どうやらアルコールが回っているらしいクアットロが、シャンパングラスを片手に迫って来た。その眼鏡をかけた顔は赤らんでいる。
博士に作られた存在である彼女らも、きちんとその体には酒類のアルコールが回るように出来ているのだ。
「しでかしちゃった…、って?」
セインが恐る恐るクアットロに尋ねた。
「そうねえ…。あなたはまだポッドから初めて出て来て数年も経っていないから、世の中の事なんて知らないでしょうけれども、あなたのした事がばれちゃったら、そうねえ、死刑にでもなるんじゃない?」
クアットロが軽々しく発した、死刑と言う言葉に、セインは思わず身を震わせた。
「し、死刑?」
セインもその言葉の意味は良く知っていた詩、それがどれだけの罪を犯した罰であるかという事も知っていた。
「そう、死刑よ。そんな金型を持っているようなセインちゃんは、多分、この事件の主犯格だと思われて、死刑にされちゃうんじゃあないかしら? あらやだ。怖〜い」
と、わざとらしい素振りでクアットロはセインに言ってくる。しかしながら、今度はセインも負けてはいなかった。
「これは、博士からあたしに贈ってもらったメダルなんだ。誰にもあげないよ!」
セインはそのように言って、大切そうに博士から貰った偽札の金型を隠した。
その日、セインは眠りにつこうと思ったが、どうもうまく眠る事が出来ないでいた。枕元に博士から貰った、偽札の金型のお守りを置いて、心を落ち着けようとしたけれども、それでも眠る事ができない。
逆に、クアットロが言って来たあの言葉が気になる。
本当に、自分は死刑になるような事をしでかしてしまったのだろうか。
そんな事は無い。自分はただ、博士に与えられた任務をこなしただけだ。ただ、偽物のお金をばらまいただけじゃあないか。それで、博士はお金を手に入れる事が出来たから、今日、あたし達はあんなに美味しい料理にありつく事ができたんじゃあないか。
そのように自分に言い聞かせても、セインの不安は抜けきらなかった。
どうしてもあの姉の存在感が、このあたしの心の中を支配して、不安に陥らせてしまっている。
クアットロの事は姉として尊敬しているけれども、彼女の口の端々から出てくる言葉の一つ一つは、セインを不安や、劣等感に陥らせていた。
ならば。この眠れない時を過ごすぐらいだったら、セインにはする事があった。それは彼女にとっての自己証明であり、今日、自分がした事に対しての成果の証明だった。
「ふぁあああ…。こんなに遅い時間に、トレーニングをするの? セインちゃん。それに、わたしは直接戦闘訓練は得意じゃないのよ…」
クアットロが眠っていた所をセインは無理矢理わがままを言って起こし、彼女をトレーニングルームに連れてきた。そこはトレーニングルームというよりも、何も無い空虚な空間になっている。
研究施設の一角にある、実践戦闘訓練室だった。ここならば、並みの人間よりも遥かに強化された彼女達の力を存分に発揮する事ができるのだ。
セインもクアットロも直接戦闘をする破壊工作員として博士に生み出されたわけではない。しかし、戦闘に参加する事ができるだけの身体能力はある。だからこの実践戦闘訓練室を利用する事もあった。
だが、二人きりで利用するのは初めてだった。あくまで、対戦闘員を想定しての訓練が行われるための部屋だから、セインのような潜入工作タイプと、クアットロのような情報戦タイプのモデル同士が二人きりで利用する事は無いのだ。
「こんな所で一体、何をするのセインちゃん?」
ようやく頭の回転が良くなってきたのか、まともな声でクアットロは言って来た。とりあえず戦闘スーツに着替えさせて、眼鏡までかけている。
セインはただじっと黙って、姉を見つめていた。言葉では言い表せない事柄を、クアットロに伝えたかったのだ。
「大切な話っていう程度のものじゃあないわね?」
クアットロは何かを察したかのようにそう言った。彼女の放った言葉が、だだっ広い訓練室に響いた。
「決闘しよう。お姉ちゃん。二人きりで。誰も見ていないこの場所で! もしあたしが勝ったら、お姉ちゃんがあたしに言った言葉は全部忘れる。いいや違う。忘れる事ができるの。お姉ちゃんに勝たないと、あたし、夜も眠る事ができないんだもの!」
セインの声も同じように空虚な空間に響き渡った。
「あら、そう。それはいい度胸ねえ、セインちゃん。
でもあなた、勘違いしていない? わたしは確かに、力こそあなたに劣るけれども、物理的攻撃ができないわけじゃあないわ。何故、普段それを見せないのか? 答えは簡単。私の物理的攻撃は、対象に致命的なダメージを与える事ができてしまうから。だから、わたしはこの場で訓練をしないの。もしあなたにわたしの攻撃が命中したら、死なないまでも、機能停止くらいには陥るわ」
クアットロはその眼鏡のレンズを意図的に光らせ、セインに忠告してきた。彼女の声が訓練場の広い室内に響き渡り、セインを圧倒しようとする。
「いいよ。当てるつもりで本気で来て。あたしもお姉ちゃんを捕まえて見せるから」
だが、セインも負けてはいなかった。クアットロに負けじと声を発し、自分の声を響かせた。
「あらそう…、それは、良かったわ」
セインの言葉に応じたのか、クアットロは眼鏡を外してそれを羽織っているケープにかけた。
眼鏡を外したクアットロの姿を、セインは見た事が無かったが、彼女の素顔は眼鏡をかけていた時とは似ても似つかぬものだった。
「やって見なさい。あなたの度胸を見せて見なさい」
まるで、開いてはならない扉を開いたかのような姿をしていた。眼光はトーレの厳しい目にも匹敵するほど鋭く、距離を開けて立っているというのに、クアットロの体が異様に大きくセインには感じられたのだ。
クアットロは自分の周囲に、グラフィックの羅列を表示させた。それは通常使う場合のものであれば、物理的には意味を成さない、情報の表示盤でしかない。だが、今クアットロが表示させたのは、物理的な攻撃も行う事ができる。特殊なものだった。
クアットロはセインの方へとその照準を定め、ずらりと並んだキーボードの上で指を動かすのだった。
セインはそれが攻撃の合図だと知り、即座に回避行動に移った。
クアットロがまず最初に発してきたのは、超音波による物理攻撃だった。音声の発生源は彼女が持っている携帯性に優れたポータブル端末であり、それは今、クアットロの周囲にグラフィックを発生させている装置と一体化している。
博士によって改良されているその携帯性のスピーカーは、人体にとって有害な音波を発する事も可能になっていた。それは、セイン達のような人造生命体でも同様だ。
音波は激しい空気の振動を生み、セインの方へと迫って来た。彼女はその攻撃を避けるために、素早く地面に潜った。地面に潜るのはどうせクアットロにも読まれている行動だろう。
セインの特技と言えば、地面に潜る事ができるだけ。それはクアットロにはくだらない能力と言われたものだ。
だが地中はセインにとって、最も得意な世界でもあった。地中の世界には誰も入り込んでくる事は出来ない。そこは逃げ場であり、戦いの本領を発揮する事ができる場所でもある。
地中から奇襲を仕掛ける。それは、セインの特技を生かした戦法だった。潜入任務が専門のセインとは言え、多少は攻撃能力も有している。機械に頼ることでしか攻撃をする事が出来ないクアットロに勝つ手段はいくらでもある。
だが、セインはクアットロへとある程度距離を縮めた時、ある衝撃に襲われた。
その衝撃は、最初は微細なものでしかなかったが、突然、巨大な鉄槌に頭を殴られたかのような衝撃に彼女は襲われた。
衝撃は猛烈なもので、セインは思わず頭を抱え、地中にまで到達してきている何者かの攻撃に対して身を縮めて備えようとしたが、駄目だった。
あまりに強烈な衝撃であったものだから、セインは最初、その攻撃の正体が何者であるかという事が理解できなかった。激しい頭痛に襲われるような攻撃。その正体が音であるという事を知った時、セインにはもはやどうする事も出来なかった。
「セインちゃんは、やっぱりお馬鹿さんねえ。音は地上にいる時よりも、水中や地中にいる時の方が、よっぽど大きな音として伝わる事になるのよ。つまり、セインちゃんはこの攻撃に、自分から無防備な世界へと飛び込んだようなものなのよ」
クアットロはそのように眼光を光らせながら、自分の装置が地中に向かって発生されている音の波形を見つめていた。音と言っても、クアットロ達人造生命体にとっても聴こえる事が出来ない、超音波であったから、その音が向かっている方向にいないクアットロにとっては無害だった。
「耳を塞いでも駄目よ、セインちゃん。あなたの頭はもう破裂寸前。鼓膜を破いて、音が聞こえなくなっちゃった方がいいって思えるほどの音でしょう?」
このままセインはどうする事も出来ないまま、音の射程外へと逃れるだろう。クアットロはそのように思っていた。だが、地中に向けられたセンサーは、セインが近づいてくる事を示している。
「向かってくる気? セインちゃん。もし、この攻撃をこれ以上くらい続けたら、あなた、死ぬわよ。どこから来るか、何て言う事は、もう分かっているってのにね」
だが、クアットロの想像に反し、セインは前方から接近してくる。このまま尻尾を巻いて音の射程へと逃れるかと思ったが、そんな事は無い。地中をクアットロの方へと接近してきていた。
しかし、クアットロは口元をにやけさせてそのように言い放つ。セインのしている事は、まるで罠の中に飛び込んでくる鼠も同然だったのだから。
「センサーが、私の味方よ、セインちゃん。あなたの居場所は、このセンサーが教えてくれる。地中に隠れても無駄なの。だから言ったでしょう? あなたの特技は、機械一つで簡単に見抜く事が出来てしまう。その程度の能力でしかないのよ」
クアットロはピンポイントの音波攻撃を仕掛けようとした。これならば、まるで衝撃波を放つかのように、セインに対してダメージを与える事ができる。しかも、広範囲の音波攻撃よりも更に強烈で、並みの人間が食らおうならば、鼓膜にダメージが与えられるどころか、死にさえするだろう。
だが、クアットロは容赦せずその攻撃を放った。しかし次の瞬間、セインの反応が二つに分かれるのをセンサーは知らせた。
二つに分かれた物体。クアットロは頭を巡らせた。セインには分身を作り出すような能力は無い。だから、一つの反応はセインではない。クアットロがセンサーを見ている事を突いて、わざとダミーを作り出したのだ。
ダミーをどうやって作っているのかは分からないが、二つに分かれた反応が地中を移動し、左右両方からクアットロに接近してきた。
クアットロはすかさず、片方に向かって音波を発射した。それは地上にいる分には何も感じられないが、地中にいる者にとっては致命的なダメージになる音波だった。
センサーで反応するその一つの反応が砕けた。それはセインでは無い。砕けた時の反応からして、この訓練施設の地の地盤か何かを、セインの能力でいったん溶かされ、再び能力を解いて固めて放たれた、言わば岩の人形のようなものだった。
と言う事は、反対方向の反応がセインか。そう思ったクアットロは、その方向に向かって音波を放とうとしたが、それよりも前に、地中からその何者かは上へと飛び出した。
クアットロは素早くその何者かに向けて音波を発射したが、目の前で粉々に砕け散り、センサーの反応が消える。しかも放った音波が砕いたものは岩であるらしく、それが目の前で砕けたものだから、彼女は一瞬怯んだ。
「馬鹿な。これも違う! セインちゃん。どこに行ったの?」
とクアットロが言った時だった。彼女は自分が背後から首を掴まれるのを感じた。
「ばぁ! お姉ちゃんも駄目だね。センサーばかりに気を取られていて、あたしが背後から近付いている事に気がつかないんだから」
背後から首を掴んできたのはセインだった。彼女は子供が悪戯をするかのようににやりとした表情を見せ、クアットロの背後から近づいてきていた。
「ダミーを作り出して、自分の体は能力を使わず、地上からこっそり近づいていたというのね。まんまとしてやられたわね、セインちゃん」
彼女に背後から首を掴まれていても、クアットロは不敵な笑みを絶やさずそう言った。それは決闘に負けた事を意味していたが、クアットロはこれ以上卑劣な手を使う気にはなれなかった。
ただ逆にセインのある事に気が付き、彼女は自分の羽織っているケープにかけてあった眼鏡をかけ直し、再びいつもの姿を見るなり、セインに一言言った。
「セインちゃん。耳から血が出ているわよ。相当音波でのダメージをくらったようね」
と、クアットロが指摘するなり、セインは薄らと笑いを浮かべたが、どうやらそれが限界であったらしく、彼女の視線はどこかへと泳いでいき、やがて背後にばったりと倒れてしまった。
どうやら死んではいないようだが、強化された彼女の肉体でもクアットロの音波をまともに食らえば、機能不全に陥っても無理は無い。
クアットロは倒れたセインの顔を見下ろしたが、何故その顔が恍惚たる笑みを浮かべているかのように見えたのかは、彼女にも良く分からなかった。
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リリカルなのはのナンバーズが主役の小説の6編目です。博士の研究所が金欠問題に直面し、博士はセインの能力を使って、経済テロを起こそうとします。 | ||
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