紅葉鬼
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山が紅く染まる。

 

 今年も紅葉の季節が、日本という島国を北から次第に覆っていく。

 

 春、芽吹いた木々の緑は夏の強い日差しをいっぱいに浴びて美しく光り輝く、そして季節は移り変わる。

 

 太陽の恩恵も弱く、短くなり、風が身を震え上がらせるころ、木々の緑はその役目を終え自らの体を燃えるような赤で包み人々に冬の訪れを告げる。

 

 

 

「山が赤くなるのはのぅ、小鬼が寒さをしのぐために山の木に火をつけているからなんじゃよ」

 

 

 

 祖母は縁側から見える山の紅葉の理由をそう語った。

 

 記憶に残る祖母は、いつも縁側に座り遠い山を見つめていた。

 

 遊びに来る村の子供たちに懐から飴玉を渡し、いつも紅葉を引き起こす小鬼の話をしていた。

 

 思い出すのはいつも秋の風景。

 

 夏や正月にも田舎には遊びに行っていたはずなのに、その頃の思い出はいまいちあやふやで記憶の引き出しから出てくることはなかった。

 

「山向こうから北風が吹く頃になると、この辺りは急に冷え込むからな・・・」

 

 荷物を足元に下ろし一人つぶやく。

 

 今は秋、まだ木々には緑が残るが気温の冷え込みと日の長さが、季節は確実に移り変わっていることを告げている。

 

 あれから十年。

 

 俺は今年19になった。最も明日にはさらに歳をとるわけだが今日はまだ十代だ。

 

 荷物の中から黒いジャンバーを取り出し腕を通す。

 

 半年遅れの合格祝いに両親が買ってくれた本皮のジャンバーだ。北風から身を守る盾ができたことで周りを見渡す余裕も生まれる。

 

 駅のホームから見渡す景色に記憶との違いはない。

 

 

 今年、一年間回り道をしたものの何とか目標の大学に入った。大学の生活にもなれた時、ふと祖母に合格の報告もしていないことに気づき、思い立つがまま一人ふるさとのこの地に来たのだ。

 

 再び荷物を背負い無人の駅を出る。

 

 刈り取られた田のあぜ道は風をさえぎるものもなく、音を立てる風が身を振るわせる。地図を見てきたわけでもないのに足は行きさを知っているのか、迷うことなく同じ景色の続く道を進んだ。

 

「不思議なものだな、十年も来ていないと言うのに」

 

 つぶやく声を聞く者はだれもいない。

 

 もともと人口の少ない村は高齢化によって更なる過疎化が進んでいるのだろう、駅を出て小一時間、村人にはいまだ出会わない。

 

 景色は変わらなくとも確かに時は回っている。記憶の中の祖母はもう記憶の中にしかいない・・・。

 

 最後にこの村に来たのもやはり秋だった。

 

 それ以来祖母に会うことは出来なくなり、ここにくる事も無くなった。

 

最後の記憶はいつのことだろう? 「もう寒くないよ・・・」 祖母はそういった。あれはどこでだったろうか?

 

 

 

 少し小高い丘、数体の墓石が並ぶ小さな墓地。

 

 見渡す山々はまだ緑をたたえている。こんなに寒いのにまだ紅葉せずにがんばる木々は昔よりも少し我慢強くなったのかもしれない。

 

 名前を探して墓石の前に荷物を降ろした。

 

 近くに花屋はないことを知っていたので家の近くで買った仏花を供える。長旅で少しくたびれているがこの際我慢してもらおう。

 

 手を合わせ大学合格の報告をする。

 

 墓石には祖父の名もあるが記憶にはない。祖母の記憶だけが鮮明だ。

 

 こうして墓前に立つと忘れかけていた思い出が少しづつよみがえるようだ。

 

 やさしかった祖母、いつも回りの子供にいじめられていた俺を守ってくれた。優しい言葉をかけてくれたのは、ばあちゃんだけだ。

 

 でも、なぜ俺はいじめられていたんだろう? 思い出したくないからか記憶はあいまいなままに途切れる・・・

 

 

 

 焼香も終え、墓地を出る。

 

 坊主になった田んぼの端にも、紅葉の美しいことで有名なナナカマドの木が植えられていたが、葉はやはりまだ緑だ。

 

 しかし、木は寒さに震え、緑のままその葉を落とし始めていた。

 

「・・・?」

 

 俺の頭に今更ながら疑問がわきあがる。

 

 紅葉が日本を覆うのは北からだ、寒さは次第に南に下りその足跡として紅葉を残す。

 

 しかし、今日電車でここに向かう途中の山は赤かった。すでに関東でも山の上は色づき始めているというのに、この北の果ての村の山はなぜ緑なんだ?

 

 俺は不思議な感覚を持ちながら、来た道を戻った。

 

 村にはもう親戚と呼べる人はいない。かといってこの小さな村のこと、宿泊施設などあるわけでもなく、今日の宿は二駅離れた近くの宿場町の旅館に泊まることにしているのだ。

 

 駅に戻ると待合所には二人の老人がいた。ほとんどゴーストタウンかと思っていたが、まだ住人はいるようだ。

 

 俺は空いている椅子に座り時刻表を調べる。次の電車までにはまだ三十分以上あった。

 

 俺は興味もない掲示物に目をやっていたが狭い待合室のこと、老人たちの話し声がいやがおうにも耳に入り込んできた。

 

「・・・やはり今年も・・・だめ見たいじゃの・・・」

 

「じゃけ、この村の山だけ・・・もう十年か・・・」

 

「そうよの、昔はそれはそれはみごとで綺麗なもんじゃった・・・」

 

「そうよの・・・死ぬまでにもうあの紅葉を見ることはないのかのぅ・・・」

 

 紅葉?十年?もしかするとこの村はあれから、祖母がなくなってから、紅葉をしていないのか? そんな馬鹿なことがあるのか? まさかとは思うが、祖母に何か関係があるのでは……

 

 いやまさか、本の読みすぎだろう。自分が話の主人公にでもなったつもりでいるのか。

 

「・・・のせいだな・・・」

 

「ほんに、今頃どこに行ってしまったのか」

 

 えっ?今何のせいだと?俺の耳は老人のある言葉に引かれ、聞き耳を立てた。

 

「小鬼が戻らなければこの村の紅葉は帰っては来ないからのぅ・・・」

 

 小鬼? 祖母が話した紅葉を起こす小さな鬼のことか? 寒さをしのぐために山の木々に火をつけると教えられた。

 

 いや違う。

 

 そう思っているだけ、教えられたんじゃない! 知っていたんだ。

 

 祖母に本当に言われた言葉は、そんなことをしなくても大丈夫、これからは大丈夫と、『もう寒くないよ・・・』と!

 

 俺が言われたんだ。ばあちゃんに言われたんだ。「寒かったろうね」と、村の子供たちにいじめられた。「鬼だ、鬼だ」と。

 

 額に角を抱いていたあの頃。山に住み、秋、食料を拝借しに人のいる村に下った。

 

 作物を盗み角を隠し村の子供に混じって遊んだ。だがすぐにばれていじめられた。

 

 そうだ、そのときばあちゃんがかばってくれた。いつもばあちゃんは鬼の俺にも、他の子供にも同様に接してくれた。あの日まで……

 

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 あの日もひどくいじめられ、泥だらけになった俺をばあちゃんは風呂に入れてくれた、そして山まで送ってくれたんだ。そして……

 

「いいかい、お前は賢いいい子だ。こんなところで過ごさねばいけない定めはばあちゃんが取り払ってあげるよ。大丈夫、ばあちゃんの息子夫婦には子供がいないんだ。お前を実の子供として育ててくれるよ」

 

 ばあちゃんはやさしく微笑むが、俺は素直に喜ぶことはできなかった。

 

「でもおいら鬼だ。角もある。出来ねえだよ・・・」

 

 ばあちゃんはそっと俺の額に手をあてて何事かを祈った。

 

 ばあちゃんの手のひらの温かさが額から全身にわたって広がり、心地よい気持ちに包まれたとき 『パキン』 と乾いた音が響き俺の額から角が消えた。

 

 見ると俺の角はばあちゃんの手のひらから次第に飲み込まれ、そして消えた。

 

「うっ・・・」

 

 胸を押さえ、ばあちゃんがうずくまる。

 

「どうしたばあちゃん、どっか痛いか?」

 

「心配ないよ、お前はもう私の孫だよ。今まで寒かったろうね、木々に火をつけて温まることはもうないよ、そんなことをしなくても大丈夫、これからは大丈夫。もう寒くないよ。甘えていいよ。お前は私の孫なんだから。明日はできるだけ村の子供と同じような服を着てうちにおいで」

 

 そう言うと、ばあちゃんはふらふらと立ち上がり山を降りて帰っていった。

 

 

 

 

 次の日約束どおり、昔盗んだ村の子供の服を着てばあちゃんの家にいった。

 

 すると、そこにばあちゃんはもういなかった。知らないおじさんとおばさんがおれの名前を呼んで「どこに行ってたの」だの「あなたもおばあちゃんにさよならを言いなさい」などとまるで親のように俺をしかった。

 

 葬儀の席には俺の席もあった。正式なばあちゃんの孫として。

 

 俺は悟った、ばあちゃんは自分の命と引き換えに俺を解き放ってくれたと。今はこの人たちが俺の両親なんだと。これからは人間として生きていくのだと……。

 

 そして過去を忘れた。人間として生きるには不必要な記憶を消し、人間らしい人間になるために……。

 

# 「しかしやはり燃えるような赤い山がなくては寂しいのぅ」

 

「そうよの、紅葉は寒いこの季節、なぜだか見ているだけで温まる気がしていたからのう・・・」

 

 老人の話は続く、さっきから同じ内容を繰り返しているようだが本人たちにその自覚はない。

 

 

 しかし、俺は老人たちの話から自分がなぜここに来たのかを理解した。

 

 あの時、小鬼だったあの時、山の木々を燃やして赤く染めていたことは、自分が暖まるだけのものではなかったのだ。

 

 村人、ひいては山に住む動物たちにやんわりと暖かい、自然のぬくもりを与えていたのだ。

 

 人間として過ごしたこの十年、人の温かさに多く触れた。

 

 いじめられていた小鬼の心ではない、やさしい両親とそのぬくもりを教えるために自分の命をなげうってまで人間にしてくれた祖母。

 

 いま、俺の心はいろりにたかれた炎のように温かい、今までありがとう……

 

 

 

 

 

 

「・・・おや、今そこに青年がいなかったかの?」

 

「いや、わしは気づかなんだなぁ・・・」

 

 駅のホームに電車が入り、老人たちはその列車に乗り込んだ。誰もいなくなった駅の待合室に大きな旅行かばんが残されていた。

 

 

 

 その年、山は十年ぶりに真っ赤な紅葉をたたえた。

 

 今までになく、どこよりも美しく、やさしい赤い色はうわさとなり、紅葉を一目見ようと人々が集まりだした。村は今まで以上の活気を取り戻した。そしてまことしやかにささやかれるうわさがある。

 

 

 

「ここの紅葉は一匹の人の心を持った若い鬼が寒さをしのぐために山の木々に火を放っているそうだ」 と、そしてもうひとつ 「なぜかその鬼には角がなく、いつも黒いジャンパーを着ているのだ」と・・・

 

 

 

おわり

 

説明
山を真っ赤に赤く染める紅葉。
知っていますか? それは、山に住む子鬼が寒さをしのぐため森に火をつけるからなんだそうです。
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