Between the light and the dark 第二章ー城の外2 |
後ろから幼い気配が必死についてきている。振りかえると水色の髪の少年が、往生していた。どうやらフワフワの髪が枝に引っかかったようである。暴れているその姿はまるで、小動物が罠にかかったみたいだった。
「取りますから、じっとしていテ」
クスクス笑って縺れている毛に手を伸ばすと、少年は赤茶けた瞳でじっと自分を見つめた。
小柄な方なのだろうか、身長は自分よりも少し大きい。
「はい、どうゾ」
乱れた髪を整えてやると、少年はふんぞり返った。
「礼を言う」
「どういたしましテ」
そのままテクテクついてくる。川を見たいのだろうか。
「お名前を聞いてませんでシタネ」
「アオイだ」
「へえ、きれいな名前」
「苦しゅうない」
えらそうに言った少年は、また髪の毛を枝に引っ掛け顔を顰めた。
川に出た。大きくも小さくもない川だった。澄んだ水がピルピルと流れている。
「すごい…!」
ずっと王宮で過ごしていた王子は初めて見るのだろう、歓声を上げて走り寄る。が、ワカは動けなかった。そこに奴がいたからである。
「どうした」
「ア…」
背中を汗が伝う。奴はこちらを見てゲコ、と鳴くと、なんと跳ねてきた。
足がすくんで動けない。恐怖がせりあがって声も出ない。
「あ、カエルだ」
その単語を言うなー!
かたまっているワカとカエルを眺めていたアオイは、無造作にその足を掴むと、川に向かって投げた。ポッシャンと音がした。
「お前、カエルが嫌いなのか?」
「そっその単語を言わないデ!お願いだカラ!」
ほとんど泣きそうになりながら、ワカは叫んだ。死ぬことより奴と対峙する方が恐ろしい。
「へーえ」
嬉しそうに、とっても嬉しそうにアオイは笑った。
「なあ、ワカとやら」
ニヤニヤ笑いながら身を寄せる。
「言わないでやるから、ぼくの言うことを聞け」
「はイ?」
恐怖の残っている体を抱きしめられた。何をしているのだ、このお子さまは。
「別に死ねとは言わない。ただちょっと、足を…痛い!」
「何をやっとるんだ、お前は」
イランの鉄拳に悲鳴を上げたアオイは、頭を押さえて振り返った。
「さっさと水浴びでも素潜りでもしろ。アオイ、お前はおれと来い」
「嫌だ、この暴力男!…ぎゃー!ぼくは王子だぞ!」
片手にアオイを担ぎあげ、片手に少女をぶら下げたイランの後ろ姿は、まさしく子連れ狼だとワカは思った。
****
何よ、何なのよ、あの女。すごく邪魔。
キキョウが睨みつけている目線の先には、ワカと呼ばれている娘がイランと話している。
すぐに分かった。あの子はイランが好きなのだ。そしていつもは無愛想な男の表情も、笑わずとも柔らかい。他人には分からない通じるものが二人にはある気がした。
面白くない。苛立ちのまま、芋に箸を突き刺すと欠片が飛んだ。
相変わらず文句は言うものの、キキョウは少しずつ下界に馴染んできた。泣いても誰も構ってくれないし、お腹はすくし、腹が減ると今度は体に力が入らない。それでも、みなと宿の一階でご飯を食べるのは嫌だった。意地になっていたといっていい。
「お前、食わねえと倒れるぞ」
「倒れた方がましよ。そんなもの食べるくらいなら」
盆を持ってきたアカンにプンと顔を背けると、横にいたイランがその茶碗を取って、スタスタとキキョウの元へくる。
な、何かしら。あーんって食べさせてくれるのかしら。胸を高鳴らせながらの、ほのかな期待は一瞬で砕けた。
「いいから食え!」
「むぐーっ!」
飯を手づかみで口に突っ込まれたキキョウが悶絶の声をあげると、アオイが爆笑した。
「わ、分かったわよ、自分で食べるわよ!別に、食べたいから食べるんじゃないのよ、あんたに無理やり口に手を突っ込まれるのが嫌だからよ!」
これが言い訳となった。わたしがこんな不味いご飯を食べるのは、イランに乱暴されるのが嫌なんだからね。
と、目の前の三人が同時に上を見上げた。
「帰ってきたな」
「帰ってきましたネ」
「アカンはへべれけだわ」
そして何事もなかったように食事を再開する。この人たちは何なんだろう。イランは、父の知人だと言った。アカン、シラン、カナン、ワカはその部下だとも。臣下という感じではないし、兵を倒す彼らの姿は常人離れしていた。
「ぼくらを守ってくれているじゃないか。信用できる人たちだと思うけどね」
「…叔父さまも信用できる人だったじゃないの。もうわたし、何を信じていいか分からなくなったわ」
あの美しい叔父が、執拗に自分たちの命を狙っている。信じたくはない、でも何度も王宮の兵士たちはわたしたちを襲ってきた。
「姉さまはさ」
寝台の上で、弟は覗きこむように姉を見た。
「きれいなものしか信じたくはないんだよ。汚いものに目を逸らせてさ。だけど、きれいなものの下にも、汚いものもあることを知るべきだよ」
「…どういう意味よ、それ」
「分からなかったらいいよ。お休み」
わたしは頭が悪いのかしら。謎かけのような言葉を言った弟は、先程からチラチラとワカを見ている。
部屋に戻った五人を迎えたのは、赤い顔して酒を飲んでいるアカンと、鼻をつまんで顔をしかめているカナンだった。
「この酔っぱらいをどうにかしてください」
「酔っぱらってなんかいねえよ。ちょっと目が回っているだけだ。いやー。クズハの王は話の分かるおっさんだねー」
「オウバイが何をした」
「躁どころじゃないです。あの人、なんなんですか。大人の皮かぶった子供ですか」
キキョウとアオイは目を見合わせた。父さまの話をしているのよね、この人たち。
「後で聞こう。明日は港まで行くぞ。お前たちも風呂を済ませて、早めに寝ろ」
「じゃあ、ワカ。体を洗ってくれ」
アオイがにっこり笑った。
「あれを言ってほしくなかったらな」
「止めテー!」
ワカが絶叫してイランの後ろに隠れる。
「あ、そんな態度を取るのか?カエルカエルカエルカエル!!」
「ギャー!」
「やかましい!」
「もっと言ってやれよー。アオイ。闇者がカエル怖がるなんて前代未聞…」
その言葉は小さく霞んで消えて、部屋の中は静かになった。
イランたちは怒りの眼差しをアカンに注ぎ、キキョウとアオイはぽかんとして、五人を見つめている。
「闇者?」
アオイが呆けた声を出した。
「闇者って…金次第で何でもする、あの闇者…?」
キキョウも噂でしかしらない。実物なんて、誰も見たことすらない。恐ろしい集団で、金さえ出せば、どんな依頼もこなすと聞いている。父は闇者と契約したのか?
「ごめんよー」
肩をすくめて、アカンが言った。
「ばれちゃったらしょうがねえだろ、イラン」
「ばらしたのはお前だー!」
ゴオンと怒りの鉄拳がアカンの頭に落ちる。
「このへべれけ酒浸り男!禁酒して十日しか経ってねえだろうが!」
「いや、十日ももったんだって。最高記録だぜー」
「自慢するな!この馬鹿!」
「えー。そういうわけで、この話は聞かなかったことにしてね」
「聞いちゃったわよ!わたしたち、しっかり聞いちゃったわよ!」
「じゃあ、忘れ薬を飲みますか?ちょっと体に湿疹ができますが」
「飲まないよ!誰が飲むかよ、そんな薬!ワカもそうなの?」
「はあ、一応」
「なにが一応だ、お前はもっと自覚を持て!カエル部屋にまた叩きこむぞ!」
「ひィ!それはご勘弁ヲ!」
「イランご乱心―。あんたたち、避難しないと巻き添え食うわよ」
「巻き添えって?」
「犯されちゃうの」
「犯すかー!」
しばらく部屋は大騒ぎだったが、隣の「うるせー静かにしろ!」悼みいるご忠告でぴたりとやんだ。
「仕方ねえな」
舌打ちしてイランが髪を両手でかきあげた。そしてアオイとキキョウに向き直った。
その後ろには、ワカ、シラン、カナン、アカンも立ち上がって寄り添うように控える。
「おれたちは闇者だ」
圧倒するような迫力に、アオイとキキョウが気圧された。
「クズハの国王、オウバイとの契約によって、お前たちをティエンランに送り届ける。そして城の中が一掃されたら、またクズハに戻るまで守ってやる」
****
部屋の中は二人の寝息が聞こえている。王女は泣き疲れたのだろう、頬が濡れていた。
闇者だと告白した後、イランは一切を包み隠さず、王子たちに話した。アオイは納得していたようだが、キキョウは衝撃を受けたらしい。まさか叔父と母が関係を持っているなど。
子供には少しきつい話だったのかもしれない。
ワカは蒲団をかけ直してやると、窓辺に腰を下ろして、静かに目を閉じた。この上では仲間の四人が各々の報告を行っている。
念のため、部屋に残ったワカも、神経をとがらせてその会話に耳を澄ます。
カナンとアナンによると、解毒剤の副作用で躁を通り越して陽気になった王は、バリバリと政務をこなす反面、様々な嫌がらせを弟に行っているらしい。
「それが…頭上から盥を落としたり、寝ている顔に落書きをしたり、なんてゆうか…」
「ガキ以下だな」
「政務も、未だ寝台から起き上がれない振りをして、こっそり書類を持ってきてもらって、指示していました。気が付かない弟さんも弟さんですが」
「城内も何となく動き出したぞ。美辞麗句を並べるだけの役立たずよりも、名君の誉れ高かった王に傾きはじめた輩もいる。片や馬鹿王大歓迎の弟派と対立してな。あいつら権力には敏感だから」
「町の噂では、王女王子は王位を狙う王弟に、殺されそうになり命辛々外に逃げ出したことになっているわ。あながち嘘じゃないけど、噂を流したのはきっと国王ね」
「お前はそんなところで寝ているのか」
驚くほど近くから声が聞こえて、ワカは仰天した。アオイが自分を見下ろしている。
「寝ていたのではなかったのデスカ」
「ふと目を覚ましたら、お前がこんな所で寝ているからだな、不憫に思って声をかけてやっただけだ」
「そりゃドウモ…」
「来い」
手を引っ張られ、無理やり起こされた。そのまま寝台に誘おうとする。
「あの、その、結構です、お仕事もあるのデ…」
振り切ろうとしても、がっちりと離れない。本気をだせば、加減が出来ない。
「あれを言っちゃおっかなー」
途端に体が固まった。
「あの、上にイランたちがいるんです、だから本当にもうやめてくだサイ…」
「女ってさ」
寝台にワカを押し倒したアオイが微笑んだ。その赤茶色の目は静かで、侮蔑すら混じっている。
「最初は嫌がるくせに、結局喜ぶんだよな。演技なのか」
「喜んでいるように見えますか、これガ」
「喜ばせてやるよ」
「このマセガキ」
ボコンと水色の頭が跳ねる。イランが拳を振り下ろした状態で立っていた。
「ガキはさっさと寝ろ。ワカ、話がある」
「はイ」
乱れた衣を直しながら、素早く起き上がる。頭を押さえて蹲っているアオイには見向きもしなかった。
****
東の老婆の館では、結局何もしていなかったとワカは頭を掻いた。
「お掃除とか、ご飯を作ったりトカ…。あ、ジン語を叩きこまれマシタ」
「ジン?それに関係する仕事でもあるのかしら」
「さあ、何も言われないまま解散になっテ。他の子たちも、理由は知らなかったみたいデス」
「そうか、分かった。散れ。ワカは残れ」
三人が消えた後も、イランは隣に立つワカに何も言わない。冬の終りの夜風がゆるゆると吹いている。
「何カ」
「あそこで、一人の女が接触してこなかったか」
「…きまシタ。クンという人デス。…お知り合いデスカ?」
「そんなもんだ」
お願い、わたしを連れて逃げて。
おれはお前を許さない。一生許すものか。
この大馬鹿者が。
声が聞こえる。過去の闇の間から。
まさか親友に裏切られるとはな。
シシドは自害した。お前の行いを詫びながら。
何故だ、爺さまが教えたことだろう!親兄弟にも情けは無用と教えたのは爺さまじゃないか!
「どういうお知り合いだったんデスカ…」
「お前には関係ない」
「イラン」
ワカが縋るように見上げる。天に月がないことにイランは安堵した。月明かりを浴びれば、この娘の瞳は黒曜石のような黒から濃く蒼い色へと変わる。まるで男を狂わせる色だった。一度だけ狂った。小さな体を引き寄せて、柔らかい唇を吸った。が、堰を切った理性は、過去とは違いすぐさま正気に戻った。
「あたしハ」
目を逸らさずに真っ直ぐ黒い瞳はイランを見つめる。
「あなたが好きなんデス」
「そうか」
「そういう風に育てられたんデスカ」
「そうだ」
「何故」
「都合が良かったからな」
ワカは何か言おうと口を開いたが、すぐに閉じた。悲しげに俯いたまま黙っている。
女などただの道具に過ぎない。唯一人、手にしたいと願った女は、寸前で引き離され何事もなかったように、当主として君臨している。
自分だってそうだ。問題のある者ばかり押し付けられたものの、頭として未だにこの里にいる。
突然ワカが抱きついてきた。
「少しダケ」
顔も上げずに涙に濡れた声で言う。
「お願イ。少しだけ、こうさせてくだサイ」
小さな手が縋るように背を掴んだ。
お願い、わたしを連れて逃げて。
あの時も女は縋るように自分に抱きついた。秘かに想っていた親友の女。
虫の音、月明かり、頬を伝う涙。朧に光る女の黒髪、男たちの叫ぶ声、砕け散った友情。
ワカの肩が、嗚咽を堪えるように震える。
今宵の月は出ずとも、その瞳が蒼く濡れずとも。
イランには分かっていた。
だから男は突き放すように女を身から離し、振り返りもせずに去った。
****
「難儀な男だよ、全く」
その光景をカナンは林の木の上から見ていた。横にアカン、上にシランがいる。
一見の闇夜の中でも三人には、ワカが崩れるようにしゃがんだのも、小さく啜り泣くのも分かった。
「どうしてイランさんはワカちゃんだけに冷たく当たるんだろう。ぼくにはさっぱり分からないや」
「あの事件が関係しているのかしら」
「どうだろうな」
口に銜えていた草を噛みながら、アカンが答えた。その事件をカナンはよくは知らない。
「なにがあったんですか」
「本人に聞いたら?」
シランもアカンも知っているくせに、教えてくれない。
「聞いて素直に教えてくれる人だと思いますか」
「女装でもして寝技に持ち込んでみたら?案外うまくいくかもよ」
「嫌ですよ。シランさんじゃあるまいし」
まあ、失礼ね。シランが鼻を鳴らした。
「あいつが丁度、ワカと同じ年の頃な」
ぽつんとアカンが言った。
「掟を破ろうとしたことがあった」
「里抜けしようとしたんですか?」
思わず驚いた声が出た。誰よりも規律にうるさいイランが。あり得ない。大体、そんなことをすれば殺されるのが当たり前ではないか。
「またどうして」
「それは言わねえ。ガキくせえ理由だったが」
かんでいた草を吐き捨てて、アカンは幹に凭れる。
「感情を持たないように訓練されていたおれには、衝撃だったよ。馬鹿な奴だと思った。と、同時にとてつもなく羨ましかった」
「わたしも」
シランの声にはいつもの皮肉っぽさがない。
「使い捨ての命だと、虫ケラだと教えられてきたから…。でも、だからこそイランは、里抜けしようとしたのかもしれないわね」
良く分からないや。カナンは頭を掻く。その様子を見て、アカンがひっそりと笑った。
「あいつは、なんだかんだ言って、ワカが大切なんだよ」
おれたちとは比べ物にならないほどに。
目線を泣いているワカに向けた。
「それが取り返しのつかないことに、ならなきゃいいんだけどな」
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ティエンランシリーズ第五巻。 クズハの王子アオイたちの物語。 「難儀な男だよ、全く」 視点:ワカ→キキョウ→ワカ→イラン→カナン |
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コメント | ||
天ヶ森雀さま:コメントありがとうございます。さて馬鹿姉弟は成長できるのか!?(まめご) カエルが苦手とは、やはりワカちゃんは闇者らしくはないのですね(笑)。アオイとキキョウがどうなっていくのかが楽しみです。(天ヶ森雀) |
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