騎士協奏曲:言葉 U惑わされる者たち-3 |
U 惑わされる者たち-3
朝日が昇る前の早朝四時半。うすく霞がかかっていて、ものを判別するのも少し難しかった。
「馬の視界も遮られるこの時間帯に行けと言うわけか」
「時間の関係で仕方がないからな、これでも着く頃には十時をまわっているところだろう。イリル、馬の操縦は任せる」
「気がぬけないねー。馬があばれて馬車が転倒したり、車輪が穴にはまったりねぇ」
何気に嫌な想像を膨らませるクリスナ。ティスとシェウリはその言葉を聞いて意気消沈したが、イリルは大して気にすることも無く馬の鬣を撫でていた。馬は気持ちよさそうに鳴く。それを見て満足そうにしていたイリルが急にクリスナに顔を向けた。
なあに、と首を傾げてクリスナが尋ねた。
「今の環境には慣れたか? 部屋とかさ」
一息ついてクリスナは小さく笑いながら返事を返す。
「うん、慣れたよぉ。部屋が広すぎて遭難しかけたり外側から間違えて鍵を掛けたまま衣装室に入って出られなくなったり、ベットが大きくてなかなか寝付けなくて二、三時間しか寝られなかった事を除けば快適だったし」
「……そうですか」
快適とは言えないような気がしたがイリルはこの際何も言わない事にした。クリスナたちに車に乗り込むよう言って、それから自分も鞍に乗る。手綱をしっかりと握り、履いている軍靴の底を鐙に掛けた。前進するように命令をしたが馬は動かない。もう一度舌鼓と共に手綱で馬を叩きながら、ふくらはぎで馬腹を圧迫し前進するようにまた命令をかけた。
ようやく馬は動き、馬も車もテンポ良く揺れる。だが揺れはそこまで酷くなく、心地よいくらいであった。
「馬車って結構快適ですねぇ、うっかり眠っちゃいそうですよね」
「いや、護衛だから……寝ないでいただきたいな。いくらあまり寝ていないからと言って……」
「冗談ですよぉ。本当にねむったら騎士の名折れですもんー」
ティスと言葉を交わしながら、剣の鞘を力強く握る。欠伸を漏らしそうになるがそれも必死で食い止める。このような空気の中、欠伸なんて場違いだから、と。
シェウリの方は窓を覘いたまま動かない。どうやら馬車の心地よさに早くも負けてしまいそうなのだろうとクリスナは思う。馬を走らせるイリルとは距離があり、そして壁も存在するから会話は届かないだろう。シェウリの方もうつつの夢の中に半分行ってしまっているからあまり聞き取れないだろう。
「……で、イリルにわざわざ馬を任せてまで訊きたい事は何? 陛下に何か頼まれてるんじゃないの。ティスウィンリーク=S=シェスティア・ルーラスカ王太子殿下」
彼は見た目に似合わない厳しい眼差しでティスを見やった。ティスは言葉のほうには申し訳なさそうにしたが、その眼差しには何の反応も示さなかった。
少しの間だけ重苦しい空気が漂って、決意したかのようにティスは重い口を開いた。
「エアリス=フォルトパーソンが、城に戻ってきた本当の理由を訊け、と」
内容だけを、訊きたい事だけをティスは話した。それを聞いて彼は眉間にしわを寄せる。癪に障ったか、ティスは思ったが今更弁解するつもりは無かった。
「悪いけどその名前は捨てたんだよ、もう二度と名乗れないし、名乗ってはいけない。今はクリスナ、何にも関係ないクリスナ=グラフィなんだよ。後、理由なんて貴方達に言う必要なんて無いと思うのだけど、違う?」
彼は作り笑顔をしながら首を傾げた。ティスには何時もと何も変わりのない、同じ動作だというのに、今の彼にはとても恐ろしく思えた。全身で恐いと、恐ろしいと叫んでいるような感覚に囚われているような気がしていた。それでも胸の中に渦巻いていた疑問を、ぶつけた。
「……イリルが、関係ある、のか」
途絶えそうになる言葉たちを必死に紡ぐ。彼の反応はあまり良くは窺えなかった為にちゃんと言えたか不安になったが、次に放たれた一言できちんと伝わっていたのだと、言えたのだと理解するのに瞬き一つの時間も要らなかった。
「イリルには、何も言うな。何もばらすな、言うな。――訊くな……っ」
彼はそれだけを言って俯いた後、元のクリスナ≠ノ戻った。強く握り締めていた鞘も車のソファーに無造作に置かれている。だがティスにとってはそれが一番安心した、恐怖心もほんの少しずつ和らいでいく。
重苦しい空気の中で息をするのはとても苦しくて、とても苦い。それなのに長い時間をここで過ごさなければならないと思うと、溜め息が絶えない。
急に居辛くなってティスは持参していた本を鞄から取り出す。題名は『嘆息王子と姫様選び』。背表紙の幅は十センチほどあり、栞は最初の二、三頁ところに挟まれていた。
本を読み始め、丁度読み終わった頃に外で馬が鳴いた。それと同時に鞭で馬を叩く音も聞こえる。馬車の速度が急におち始め、少しして完全に止まった。最後の最後で大きく揺れて、窓に寄りかかって寝ていたシェウリも窓枠に頭を打って完全に目を覚ました。
「痛い……、酷い……」
ぼそりとシェウリが呟いた言葉は、残念ながら誰の耳にも届かなかった。少しすると車のドアが開き、イリルが待ち構えていた。ティスが最初に出て、クリスナが最後に出るという順番で車から降りる。
もう七時を過ぎて完全に昇った太陽を背に、真っ白な建物が影を帯びていた。国家会議所、それは一階のエントランスを除いて二階から五階の最上階まで全て国家間の議会の為に造られた城にも似た建物。技術は細かく、かつ繊細。
建物の中心部には、かつてここを支配していた帝国への革命の象徴である『コレイヌスの槍』の彫りがされていた。公国を除く西の地の代表的な六ヶ国の王族が建国時から長い間所持し続けている、六本の槍で一つになるという『コレイヌスの槍』。今は敵対している国々も、かつては手を取り合っていたという証。これを一対でも失くすということは各国々に対する冒涜であり、一本でも盗むということは国に対する侮辱行為に等しい。
かつての象徴が霞むほどに時間は経ち、今では戦争開始前の会議の場となってしまった国家会議所。公の場といえどこれから敵国となるスール国のお偉いさんたちが大勢いる、気を抜けば命取りだ。最近は料理に毒や盗聴器が付けられていたりなど、手の込んだ細工がしてある場合が多く見られるため飲食類にはなるべく手を付けないように、そして決して気を抜かないようになどの事をティスは念入りに、何度も王佐のクライスから聞かされていた。
そのようなことを思い出して、ティスは思わず体を強張らせる。そのような気の抜けない世界に自分達が足を踏み入れようとしていると思うと、ぞっとした。
考えを巡らしていたティスは急に頭を優しく叩かれたことに酷く動揺してしまった。声も思わず裏返る。
「な、なんだ。何か用でもあったか、イリル」
「……いや、大丈夫だと言いたかっただけだ、なんか強張ってるみたいだったからな。とりあえず言っておくけどな、俺らはお前達を護るためにいるんだから、余計な心配はしなくてもいい。むしろ心配されると信頼されてないのかと思うから、できれば心配しないでもらいたいが」
あはは、と笑ったイリルを見て、ティスは口元をすこしだけ緩ませた。
そうだ、そうだったと思った。
こんな屈託の無い笑顔を見せてくれる人々の為にも、自分は頑張らなければいけないのだ。守れるようにならなければいけないのだ。いつか国王という大きな役割を任されるまでに努力して、勉強をしておくべきなのだ。そうすれば少しずつでも、誰かが笑っていられるから。
きっと、手を差し伸べてあげられるから。
「ねぇー、はやく中に入ろうよぉ。シェウリ様、寒そうー」
クリスナの言葉にシェウリを振り向くと、その頬は赤く紅潮していて手もしもやけになっているのでは、と疑う程に赤い。
「そうだな。行くか、ティス」
「ああ。ある意味戦場へ、な」
冗談を言い合った後、二人は歩いていく。ティスの斜め左後ろでイリルは歩んでいる。公の場、ということはきちんと身分の差をはっきりさせなければならない。公の場では護衛以外のなんでも無いイリルの立場に相当の行動である。
クリスナはシェウリを振り返ると、
「行こ。早く行かないとおいてかれちゃうよ」
そう言って、シェウリのしもやけになりかけの手を握って歩き出す。予想外の事に虚を突かれて足元が危なっかしくなり、足が絡まりかけたがそれをなんとか回避する。シェウリは不可解な何かが湧き上がってくるのを感じたが、後の為にそれを無視することにした。
彼らは城にどんどん近づいていき、そして城に飲み込まれるようにその扉の中に姿を消した。
説明 | ||
騎士と王子、城に勤める者たちが織り成す、願いと思惑の物語。 第一章のU-3です。 |
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