それ散る+D.C.2 SS「魔法の桜外伝」 |
それ散る+D.C.2 SS「魔法の桜外伝」
(1)
春はまだ遠いというのに、この初音島には桜が咲き乱れている。
話によると、ここの桜は一年を通じて咲いているそうだ。
自分の目で見るまでは半信半疑だったが、噂は本当だったようだ。
俺、桜井舞人は白い息を吐きながら、季節外れの桜並木を見上げた。
―― 実に不思議な景色だ。
前方を俺と同年代らしき、男女の二人連れが歩いていた。
大きなリボンをつけた女が、男に何か話しかけている。
彼専用であろう、飛び切りの笑顔も見えた。
百人に訊けば、百人とも可愛いと答えるに違いないレベルだ。
ちくしょう、この果報者め。
「桜井くーん!」
のんびり歩いていると、後ろから声をかけられた。
おっと、しまった。連れを忘れていた。
「「え?」」
何故か二人連れの男の方が、俺と一緒に声を出して振り返った。
そして小走りにやってきた俺の連れを見て、俺の顔を見て、極まり悪そうに会釈をした。
多分彼も、『サクライ君』なのだろう。
まあ、そう珍しい苗字じゃないからな……
俺は、気にするなと手を振った。
満開の桜のアーチの下を、星崎希望と並んで歩く。
どうだ、俺の連れだってそんじょそこらの美少女とは格が違うだろう?
「ひっどーい! 待っててって言ったのに」
「ははは……」
置き去りにされかけたプリンセスは、ご立腹だった。
「連れを忘れて先に行っちゃうなんて、ありえない」
「まあ膨れるな、女。見ろ、見事な桜じゃないか」
「……綺麗だけど、季節感が変になりそうだよ」
こいつはもう、俺のことを『舞人君』とは呼んでくれない。
『さくっち』ですらない。
『桜井君』と『舞人君』の間には、とてつもない距離があるのだ。
だから、俺もこいつのことを『希望』と呼ぶことは出来ない。
俺の恋人であったことを忘れてしまった女。
野郎どもの嫉妬の視線を浴び続けたクールガイは、今やピエロと化して哀しく笑うのみである。
この島には『願いが叶う魔法の木』があるらしい。
どこから情報を仕入れたのか、お膳立てをしてくれたのは、山彦と八重樫の二人だった。
日帰り旅行だが、どうやって希望をその気にさせたのか、興味のあるところだ。
彼女にとって、今の俺は単なるクラスメートの一人にすぎないのだ。
「のぞ……星崎は、どうして来る気になったんだ」
本人に訊くのが一番早い。
「魔法の木にお願いをするためだよ。本当だったら、すごいよね」
「得体の知れない男との同道は、危険だとは考えなかったのか」
「う〜ん……まあ、日帰りだからね」
「甘いな。ここにいるのは、見かけこそ気品溢れるハンサムボーイかもしれないが、その実はハードボイルドを身上とする危険極まりない男だ。気がついたときには、パンツがないかもしれないのだぞ」
「桜井君が? あははははっ」
一笑に付されてしまった。何故だ。
「八重ちゃんが、口は悪いけど人畜無害な人だからって。私もそれには賛成」
「……」
屈辱だった。
「あー、女。それで何を願うつもりなのだ」
「そんなの、秘密に決まってるでしょ」
希望はけらけらと笑った。
パンフレットを出して、目的地を確認してみる。
『願いが叶う魔法の木』は、この先の桜公園という場所にあるようだ。
「遠いの?」
「見かけは数センチだ」
デフォルメされた地図上の数センチが徒歩5分なのか、車で10分なのか、見当もつかなかった。
「前の人たちに訊いてみようか。制服を着ているから地元の人だよ、きっと」
「ああ、そうかもな」
希望が先ほどの二人連れに近付き、声をかけた。
ここを真っ直ぐ行って交差点を右に……とリボンをつけた女の声が聞こえてくる。
親切な人たちでよかった。
俺は少し後ろで立ち止まって、話が終わるのを待つことにした。
ハンサムボーイは、往々にしてシャイなのである。
「徒歩で10分くらいだって」
まもなく希望が戻ってきた。
美人は得だ。
見知らぬ相手でも、まず邪険にされることはないだろう。
俺なんか、遭難寸前まで他人に道を尋ねる気になんかなれない。
「うむ、ご苦労」
「どうして離れて立ってたの、変な桜井君」
「俺に一目ぼれさせてしまっては、彼氏に悪いからな」
「すっごく綺麗な人だったよ〜」
希望が少し頬を赤らめていた。
俺のジョークはスルーですか。そうですか。
「星崎も見習うといいぞ」
「うん、そうだね」
希望が屈託なく笑った。
「……」
同じことを数ヶ月前に口にしていたら、ただでは済まなかっただろうに。
分っていても、やはり寂しかった。
「あ、あの木じゃないかな」
桜公園の奥に、魔法の木は立っていた。
ひときわ大きく、どの桜の木よりも多くの花を枝に載せて、ゆったりとそよいでいる。
不思議な威厳と圧倒的な存在感に、俺は言葉を忘れて太い幹を見上げた。
寒そうな青空の大部分が花霞で隠れ、俺と希望を包み込むように花びらが舞い落ちてくる。
「……」
言われなくても分った。
これはただの桜の木ではない。
願いが叶う魔法の木という触れ込みも、あながちウソではなさそうだ。
しかし……
俺とは合わない。
そう直感した。
うまく言えないが、波長が違うのだ。
「桜井君、どうしたの」
「え……」
希望が横から俺を見つめていた。
「怖い顔してる」
「ああ、いや何でもない」
俺は手の甲で、顔をくしゃくしゃと擦った。
「星崎は、願い事あるんだろ」
「うん……えっと、どうすればいいのかな。かしわ手を打つとか、するのかな」
「分らんが……意識をこいつに注入する気持ちで願えばいいんじゃないか」
俺は幹をコンコンと叩いた。
「要は気合だ」
「桜井君が言うと、うそっこに聞こえるなぁ」
「何を言う。ワタシヲシンジナサイ」
「折角来たんだから、ご利益にあずかりたいよ」
観光パンフレットに載るような名所だ。
俺たちの他にも、観光客が何人か木の周りに集まっていた。
どうやら木に両手をついて願い事をするのが、オーソドックスなやり方らしい。
希望が彼らの真似をして、両手を伸ばして木の幹に触れた。
「……温かい」
「そうか」
俺も手の平でごつごつした樹皮を撫でてみた。
息が白くなる寒さなのに、温もりが感じられる。
心地よい、ほのかな温もりだった。
「桜井君は、お願いしないの?」
「いや、俺はいい」
もちろん、たったひとつだが願い事はある。
だが、俺は願わなかった。
俺の願い事は、ここでは叶うことはないと分ったから。
希望が真剣な表情で、口の中で何かつぶやいていた。
ぞくっとするような、綺麗な横顔だ。
「……」
俺はそっとため息をついた。
―― いや、俺のせいなんだ。分ってる。
俺は希望の邪魔をしないように、ポケットに手を突っ込んで木の幹にもたれた。
このせつなさを、口笛を吹いて表現してみたくなったけど我慢した。
「私の大切な想い出を返してください」
希望のささやくような声が聞こえた。
こいつ、何か覚えているのか?
肌が粟立つほどの衝撃だった。
「……」
落ち着くんだ、俺。
もしかしたら、引き出しの奥にしまったはずの、恥ずかしい日記帳が見当たらないだけかもしれないじゃないか。
『大切な想い出』は人それぞれだ。
希望がそんなそぶりを見せたことは、あの時以来一度もない。
俺は動揺に気付かれまいと、幹の裏側に回って木の根元に腰を下ろした。
ここじゃ駄目なんだ。
あの場所じゃないと駄目なんだ。
そして鍵を握っているのは俺だけだ。
鍵はあっても、鍵穴が見つからない。
だからずっと、堂々巡りを繰り返してきた。
「ふぅ……」
吐く息が白かった。
まあいい、今日はこいつを無事に家まで送り届けて、明日にでもあの場所に行ってみよう。
せいぜい『人畜無害な桜井君』を演じ切ってやるさ。
お前は、「ほら私の言ったとおりでしょ」と笑ってくれればいい。
「舞人君、どこ?」
幹の向こう側から、声が聞こえた。
今……何て言った?
俺は自らの正気を疑いながら、立ち上がった。
「舞人君?」
また声が聞こえた。
「俺は、ここにいる」
俺の声は震えていたかもしれない。
かくれんぼをしている子供のように、幹の陰から希望が顔をのぞかせた。
なつかしい表情だ。
『桜井君』と『舞人君』の間の距離が、突然ゼロになった。
「……思い出したのか」
「うん。ただいま……かな?」
「……」
俺はあらためて、願いが叶う魔法の木を見上げた。
どうだと言わんばかりに、枝がざわざわと揺れている。
この木は一体何者なんだ?
「少しは嬉しい顔をしてよぅ」
「ああ、さしものクールガイも、驚きのあまり失禁してしまいそうだ」
「舞人君」
「何だ」
「ごめんね」
「いや……」
「無くしたものが何なのか、分らなかったんだよ。人なのか物なのか思い出なのか。だけど、ずっと心の奥に引っ掛かってた」
「そうか」
ごめん、俺のせいなんだ。
喉まで出かかった言葉を、俺は飲み込んだ。
希望と寄り添って、高台に向かう小径を歩く。
俺はほとんど、希望の話に相槌を打つだけだった。
沢山話したいことはあったが、声を聞いているだけで心地よかった。
俺は希望のペースに合わせて、ゆっくりと歩いた。
たまにはフェミニストを気取るのも、悪くない。
「わぁ、綺麗な海」
丘の頂の展望台に立つと、きらきらと輝く海を一望することが出来た。
フェリーがゆっくりとこちらに進んでいる。
俺たちはおそらく、あのフェリーに乗って戻ることになるのだろう。
麓に目を移すと、桜公園が箱庭のように小さく見えていた。
「あの大きいの、魔法の桜の木だよね」
「ああ。まるで島の主みたいに目立ってやがる」
「木なのに、どうやって魔法を覚えたのかなぁ」
待てよ、あの木の魔法の力で希望の記憶が戻ったということは……
魔法が切れたらどうなるんだ?
嫌だ、考えたくない。
俺は頭を振って、ろくでもない疑念を追い払った。
「いい所だよね。住んでみたくなるくらいに」
「……」
「舞人君、また難しい顔してる」
「え」
「本当に喜んでくれているのかなぁ」
「ば、馬鹿を言え。かの、かの、彼女の記憶が戻って嬉しくないはずがなかろうっ」
「えへへ。私、かのじょ」
希望がそっと腕をからめてきた。
余計な心配は、もうよそう。
魔法の効果がいつまで続くのか定かでないが、俺がこいつの笑顔を曇らせてどうするんだ。
俺がすべきことは、分っているではないか。
俺は希望を腕にぶら下げて、嬉々として歩いた。
折角、電車に乗って船に揺られて、遠いところをやってきたのだ。
初音島の観光名所を残らず踏破してやる。
バカップルの日々よ、もう一度だ。
たとえ一日きりでも、数時間だけでも。
(2)
潮風が湿り気を帯びてきた。
そろそろフェリー乗り場に向かわなくてはならない時間だ。
心行くまで初音島を闊歩して、身体は心地よい疲労を感じていたけど、俺の気持ちは高揚したままだった。
桜公園のプロムナードで、来たときに道を尋ねた女の人がベンチに座っているのを見つけた。
一緒にいた男の人の姿は見えない。
「初音島はいかがでしたか」
挨拶くらいしておくべきかと迷っていると、向こうから声をかけてきた。
よろしければどうぞ、と身体をずらして三人がけのベンチに座るよう勧められる。
「この時間はどのベンチも一杯ですから」
見ると小径沿いに並べられたベンチは、ことごとくカップルや家族連れで埋まっていた。
「いいんですか」
「わたしはそろそろ帰りますから、どうぞ」
「ではお言葉に甘えて」
希望がどれだけここが気に入ったかを力説する隣で、俺はゆっくりとくつろいで空を眺めた。
満開の桜と青空のコントラストが美しい。
二人の話し声が耳に心地よかった。
「実はバカップルなんです、私たち」
「そうなんですか、兄妹かなって弟くんと話していたんですよ」
ちっ、希望のやつ余計なおしゃべりを。
まあいい、今日のところは不問にしてやろう。
「魔法の木さまさまですよ。ね、舞人君」
希望が言った時、女の人がはたと動きを止めた。
俺は次の一瞬、彼女の眉が曇ったのを見逃さなかった。
「まさか本当に……あ、あれってもしかしてクレープ屋さん!?」
何か言いかけた希望が、唐突に立ち上がった。
視線の先を見ると、パステル色の移動販売車が木々の間に隠れるようにとまっている。
「え、ええ。美味しいと評判なんですよ」
「私、買ってくるっ。舞人君ここにいてね。また置き去りにしたら怒るからね」
俺の返事も聞かずに、希望は駆けて行った。
あいつのクレープ好きは相変わらずだ。
「……」
女の人と二人で取り残されてしまう俺。
会話に参加していなかったせいで、少々居心地が悪い。
「あの桜の木の魔法は、島の外には及びません」
やがて、女の人が正面を向いたまま、静かに言った。
「……」
「もし彼女が……」
「分ってます」
俺も、正面を向いたままで答えた。
「あなたは……いえ、ごめんなさい。わたしが訊くことじゃありませんね」
「一介のハンサムボーイです。彼女持ちなので、惚れないでください」
「……」
反応がないのですべったかと横目で窺うと、女の人は微笑んでいた。
「お強いんですね」
「ハードボイルドを身上としております」
向こうから誰かが早足で近付いてきた。
彼女と一緒に歩いていた男の人だ。
「それでは」と女の人が立ち上がる。
俺は会釈をして、二人の後姿を見送った。
弟だと言っていたはずだが、制服姿のまま人目を憚らず寄り添う様子は、どう見てもカップルだ。
「理想のお姉ちゃんだな」
俺は白い息をついて、また空を眺めた。
「あれ、帰っちゃった?」
やがて希望が戻ってきた。
クレープを三つ、手にしている。
「王子様が来てさらって行った」
「そっか。どうしよう、これ」
「希望なら二つくらい食えるだろ」
「……う〜ん。じゃ、半分こしよ」
希望はベンチに腰掛けると、「はい」とチョコレート味のクレープと、半分にしたイチゴ味のクレープを差し出した。
何だか嬉しそうだ。
「ああ、その前に。金は俺が払う」
俺はポケットに手を入れて、財布を取り出そうとした。
「駄目。今日は私のおごり」
「そうもいかん。俺にも男としての面子がある」
「これ……ね。バレンタインチョコのつもり。ちょっと遅くなっちゃったけど」
希望がチョコレート味のクレープを指して言った。
「あ……」
俺は間抜けな顔をして、希望の顔とクレープを見比べた。
バレンタインデーのほろ苦い一日が思い出される。
「ごめんね、舞人君。彼女失格だよね」
希望が視線を落とした。
そんな顔をしないでくれ、お前のせいじゃない。
「……それじゃ有難くいただいておこうか。結果オーライだ」
「うんっ」
最終フェリーが出る時間が近付いていた。
「舞人君、そろそろ行かないと」
「ああ」
動こうとしない俺を見かねたように、希望が言った。
くじけそうになる心を引っぺがすように、ベンチから立ち上がる。
「よし、帰るぞ」
「うん」
桜の花びらが、公園のプロムナードをピンク色に染めていた。
「いい所だよね。住んでみたくなるくらいに」
「それ、さっきも言ってたぞ」
「……」
ふと静かになった希望を振り返ると、不安そうに青ざめて見えた。
ああ、あのときの表情と同じだと思った。
こいつにまたこんな顔をさせるとは、俺は……
「ねえ、舞人君」
「……」
「私……私、また舞人君のこと忘れちゃうんでしょ」
「なっ……お前、何を」
心臓がドキリと跳ねた。
気付いていたのか?
何故だ。
希望はあの話を、聞いていなかったじゃないか。
「ははは、何を言い出すのかと思えば」
「分るよ。分っちゃうんだよ」
「折角思い出したのに、また忘れるはずないだろ」
「ううん」
希望が首を振った。
「分っちゃうんだよ」
「……」
俺はかける言葉を失った。
「ねえ、舞人君」
「……」
「私、待ってるから」
「……」
「舞人君が迎えに来てくれる日を待ってるから」
希望がすがるように見つめていた。
あの時の俺は、応えてやることが出来なかった。
だが今は違う。
「ああ。必ず行く」
俺は言った。
「約束だよ?」
「約束だ」
そう、俺がなすべきことはひとつだ。
だから、約束できる。
「えへへ、約束してもらっちゃった」
希望が泣き笑いしていた。
「安心して元カノに戻っちまえ」
「ひどいなあ」
最終便のフェリーは、思ったよりすいていた。
俺たちは人のまばらな一角の座席に、並んですわった。
窓の外を初音島が、ゆっくりと小さくなってかすんでいく。
「舞人君。私、眠ってもいいかな」
希望がふらりと揺れた。
魔法が切れかけたせいか、急激に眠気が襲ってきたようだ。
そのまま、俺の肩に頭をあずけてくる。
「ゆっくり休むといい」
俺は手を伸ばして、流れるような黒髪を撫でた。
「舞人君……」
希望は何か言いかけて、すうすうと寝息をたて始めた。
安心しきった子供のような、綺麗な寝顔だ。
ふう、とため息をつく。
次に希望が目を覚ましたとき、俺は『桜井君』に格下げされていることだろう。
「安心してくれ、プリンセス。今度こそ迎えに行くから」
俺はもう一度、希望の黒髪を撫でた。
様々な思いが浮かんでは、青一色の景色に溶けていく。
「……」
そろそろ『人畜無害な自称クールガイ』に戻らなくてはならない。
希望の肩に回した腕を抜いて、備え付けの毛布をかけてやる。
俺は腕を組んで自分の身体を抱えながら、小さく口笛を鳴らした。
fin
説明 | ||
それ散るの舞人と希望がD.C.2の初音島を訪れます。シリアスです。時代が云々等は気にしてはいけません。 | ||
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コメント | ||
それ散るはやっぱりいいね!久しぶりに思い出させていただきました(lypoD) | ||
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それ散る それは舞い散る桜のように D.C.2 桜井舞人 星崎希望 | ||
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