Between the light and the dark 第六章ー別れ
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女官たちが含み笑いをしながら下がった瞬間、しっかりと腰に回っている手を振りほどいて転げるように逃げた。

「今日も行くのか」

不機嫌なアオイの声に、ワカは頷きながら髪を後ろで括る。

「シランが帰ってきたのデ」

「お前たちって本当に仕事熱心だよな」

「それはどうモ」

不貞腐れたようなアオイに行ってきますと声をかけて、アカンの部屋へ行く。

「変なのよ」

開口一番にシランはそう言った。

鍛冶屋は不眠不休の勢いで活動しており、王家がほとんどそれを買い占めているという。世間に出回る数は必然的に少なくなり、値上がりを起こしているというのだ。

「一応宮殿の中にも入ってみたんだけど、めぼしい情報が掴めなくて…。どこまで首を突っ込んでいいか分からなかったし」

「十分だ。ご苦労だったな」

アカンは両手を合わせ、何かを考えるようにじっと顔に当てている。

「予想するまでもないが」

目をつむったまま言った。

「戦になることは間違いない。本家が動く、チャルカとジンが関わっている、狙われるのはどこの国だ。クズハか、ティエンランか、それともボイルか。アスタガは関係ねえな。何もない国だから」

「ボイルもどうでショウ。半年以上、雪に埋もれていマス」

「チャルカとジンの間ってことはないわよね、あの国王がジンに喧嘩を売るわけがない」

「この先は、おれらだけでは動けない。本家に悟られると厄介だからな」

小さくアカンが息を吐いた。

「ティエンランとクズハに警告した方がいいのでハ」

「そこまで立ち入る必要はない。黙っていろ」

「はイ」

「よし、今日は休め。しばらく存分に寝ていなかっただろう。おれも疲れた」

伸びをすると、枕下から愛用の徳利を引っ張り出した。シランがお休みと声をかけて部屋を出てゆく。

「あの、あたし今日ここで寝てもいいデスカ」

「どうしたんだよ。マセガキに手を焼いているのか」

ワカは困って頭を掻いた。とっても手を焼いている。

「明け方には帰れよ」

「はイ」

蒲団にもぐり込むと、アカンが椅子に座って酒を飲むのをぼんやりと眺めた。

「あの、アカン」

「どうした」

「いえ、…なんでもありまセン」

沈黙が流れた。

「ジンに行くのは、多分、あたしデス」

アカンは黙っている。

「戦になるほどの大事です、生きてみんなの元に帰れるとは思いまセン。だから、教えてください、昔、イランになにがあったんデスカ」

「おれに聞くのはお門違いだ」

「あの人に聞いても、絶対に教えてくれナイ」

「そうだな。あいつも未だに引きずっている」

再び沈黙。

「一つ言えるのは」

チャポンと酒が鳴った。

「闇に生きるものは光に憧れてしまうんだ。どいつもこいつもな」

ひっそりと自嘲的に笑った。

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王の寝所の近く、大樹の枝上でイランは腕を組んで目をつむっていた。オウバイの周りで慌しい気配が動いている。キツネの側近も老獪なキツネだったと、イランは舌打ちをする。

ツキヤマの衣をめくれば、さぞかし立派な尻尾が生えているに違いない。九本ぐらい。

ふとカナンが近づいてくるのに気が付いた。様子がおかしい。焦ったように全力で走ってきている。

「イランさん」

息が切らしつつ、枝上に着地した。反動で僅かに撓む。

「思ったより早かったな」

「お話が。ここに来る前に里に寄ったんです…」

聞いてイランは激高した。

「あいつらは何を考えてるんだ!」

「落ち着いて、イランさん、お、落ち着いて」

胸倉を掴まれて、反動で枝から滑ったカナンが泣きそうな声を上げる。

「ワカは本家に取り込まれる、そしてあの放浪王子に宛がわれる、そう言ったんだな」

「そ、そうです」

頭がグラグラしてきた。ワカをどう利用する気だ、何の為に、どんな目的で男に近づけさせる、大切に育ててきたワカを。

高ぶった感情を必死になって抑えつけた。落ち着け、今はすべきことがある。

「明日には終わる。お前はティエンランに戻って、このことをワカたちに言ってくれ。おれも終わり次第すぐ合流するから」

「分かりました。オウバイさんは…」

「もう心配ない」

カナンは一礼すると、跳ねるように飛んで消えた。

身体を幹に投げ出し、両手で顔を覆う。大量に汗をかいていた。あの二人はおれを恨んでいる。ならば、なぜおれを狙わない。衆の一人であるワカに目を付けた。

それも今更になって。クンが当主を引き継いだからか。それとも都合のいい依頼が舞い込んできたからか。その両方か。

深い息を吐いて、両手で髪を掻きあげた。駄目だ、明日のことに集中しなければ。

引き攣れる胸の痛みを宥めるように、深呼吸を繰り返す。しかし、それは中々去ってはくれなかった。

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何となく楽しい予感に、ミカゲは目を覚ました。横にはこの国の王妃が静かな寝息を立てている。初めて見た二十年前とは違い、目の周りにはうっすらと皺ができていた。

どんなに美しい女も年には勝てない。それにこの女には美しさ以外の美徳は全くと言っていいほどない。

それはミカゲにとって、ある種の親しさを感じさせた。わたしたちは共犯者だ。

美に奢り、独占欲の強いフヨウは子供を我が乳で育てた。溢れる愛情を注いでいる表向きの素顔は、乳母でさえも子に近づけさせない為だった。

その二人の子も、立派に馬鹿に育った。姉のキキョウは自分と身を飾ることにしか興味がないし、弟のアオイは女官にちょっかいをだしては捨てている。

こんな子供たちが引き継ぐというのなら、自分が継いだ方がまだマシではないか。

そして王宮を、いやこの国の全てを自分好みに変えるのだ。美しい国クズハを。

「失礼いたします、ミカゲさま。ツキヤマさまがお待ちでございます」

「こんな朝っぱらから」

「火急の御用でとおっしゃっています」

ミカゲは跳ね起きた。もしかして兄が死んだのではないだろうか。ツキヤマはもう一段階強い毒を用意させると言っていた。横にいる医師も頷いた。

「陛下がお隠れになりました」

沈痛な面持ちで老人は項垂れた。取り急ぎ重鎮たちを集めているから、改めて国王として挨拶をしてほしいという。すぐに了承して王妃の元に戻った。

「まあ、それではわたくしも一緒に参ります」

フヨウも喜々とした声を上げた。衣はやはり紫がいいのかしら、扇はどうしましょう…。

悲しみの欠片もない女に苦笑する。ミカゲも人のことは言えない、病弱な兄に毒を少量ずつ飲ませるよう、医師に指示をしたのは自分なのだから。

喜び勇んで王座に座る。すっかり体に馴染んだ王座に。

「皆の者。面を上げよ」

押さえつけようとしても、どうしても言葉が跳ねてしまう。

「我が兄、オウバイは偉大な王であった。心から残念に思う。が、兄はわたしにこの国をよろしく頼むとおっしゃった。わたしにはその才があるからと。皆の者も、身を粉にして主の為に尽くしてくれ」

「よくもまあ、スラスラしゃあしゃあと嘘が付けるものだ」

笑いを含む声にぎょっとする。重鎮たちがザァッと場を開けると、死んだはずのオウバイがクツクツと笑いながら歩いてきた。隣で王妃が扇を落とす音がする。

「ミカゲ、君は昔からオツムが少し足りなかったね。人間は馬鹿ばかりじゃないんだよ。真剣に国を憂える者たちだっている。美麗美句ばかりで実質が伴わず、挙句の果てに王妃の寝室に夜な夜な通っている人間を誰が信用するんだい?」

「陛下!わたくしはミカゲさまに脅されて…!」

フヨウが震えあがった。ミカゲも震えあがった。この女の浅ましさに。

「いい訳を聞こうか。脅されてどうしたんだい」

兄の顔が冷笑に変わる。

「信じてくださいませ、わたくしは今でも陛下だけを想っております」

「そうかそうか」

頷いたオウバイは、笑いを引いた。

「ではこれからも想ってくれ。地下牢の中で。夫の死を知りながら涙一つも見せずに、喜び勇んで喪服を纏い、その席に座るお前にムズシがはしる」

「そんな、ひどい…!」

「捕らえよ」

王妃は抵抗したが、そのまま兵たちに引きずられていった。

「なぜだ、王宮のものは全てわたしの味方だったはずだ。ツキヤマ、裏切ったな!」

「裏切り者に裏切り者呼ばわりされるとは」

激昂する声に、冷静な老人のしわがれた声が答えた。

「最初から陛下付きの医師が怪しいと思っておりました。お身体が毒に蝕まれるのを阻止するために、あなたさまに近づいただけのこと。後は全て陛下のご指示です」

「人間の気持ちは変わるものだよ、ミカゲ。さあ、どうする。罪を認めて牢に入るか、潔くこの場で殺されるか」

そうだ、この男さえ死ねば、万事うまくゆく。剣の腕は昔から自信があった。腰の剣を抜きながら猛烈な勢いで段を駆けおりる。

「兄を殺すという選択肢もある!」

周りの男たちは慌て逃げ惑ったが、兄は顔色一つ変えなかった。ただ突っ立っている。

剣をなぎ払ったその時、高い金属音が響いて弾き返された。オウバイの前に、黒髪短髪の男が短剣を構えている。ト、トン、と軽く跳ねると目にも止まらぬ早業で仕掛けてきた。気が付けば男に縛りあげられていた。

「これは謀反だよ、ミカゲ」

冷静な兄の声がする。地に押さえつけられているミカゲにはその表情は見えない。

「牢にぶち込んでおけ。生かすか殺すかはまた話し合って決めよう」

「お前がいくら名君であっても!」

もがきながらミカゲは叫んだ。縄が食い込むことも気にならなかった。

「国がどれだけ発展しようとも、全てお前の子供が滅ぼすだろうよ!」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

足音がする。それは自分の前で止まり、黒い沓が見えた。

「未来のことは未知だ。だけどもね、ミカゲ」

兄の手が優しく自分の髪を撫でた。

「それが己の罪の言い訳だとしたら、非常にお粗末だと思わないかい」

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ここ最近、ワカの様子がおかしい。ぼんやりして心あらずだ。

カナンが帰って来てから。

寝台でその細い体を抱きしめても何の反応もしない。押し倒すと、やっと目の焦点があって

「わああア!」

反応するのだ。

「もう遅い」

ジタジタと逃げようとする体を押さえつけると、痛々しい顔で見上げる。泣きだす一歩手前の顔。そうなるとアオイは無理じいできなくなってしまう。

ぼくはこんな性格じゃなかったのに。むしろそんな顔をされると余計に嗜虐心が湧いたのに。

「ワカ、どうしたの」

べっとりと抱きついたまま、聞いてもうんともすんとも答えない。

「ワカ」

その体がぴくりと動いた。身を起こそうとする。

「どいて、アオイ。イランが帰ってきタ」

「嫌だ」

「離しテ」

「離さない」

「離セ!」

真っ赤な顔して、渾身の力で振りほどこうとする。が、足で蹴られてもアオイはすっぽんの如く、離れなかった。

苛立ちはグルグルと回る。あの黒髪の男の名が出たことで。

「何だよ。イラン、イランってさあ…」

自分の声がこんなに醜く嫌らしいことに驚いた。

「ワカはぼくと恋仲の振りをしなきゃいけないんだろう?アカンたちに怒られるぞ。それに」

白い首に口を落とした。

「あんまり暴れると、またあの単語をいうぞ」

途端に大人しくなった。変わりに震えている。

「いい子だ」

首をゆっくり舐めて、赤く染まっている耳を噛んだ瞬間、アオイは衝撃を受けて横に吹っ飛んだ。

「痛い!」

「このクソガキが」

起き上がったアオイは、初めて感じた殺気に身を震わせた。

なんだよ、イラン。取り込み中だぞ、邪魔するな。

声は縮みあがったように口から出ない。夏だというのに体が冷えるほどの怒気を発していた男は、そのままワカにすごんだ。

「お前は何をしているんだ。ああ?」

「あなたには関係ナイ」

ワカは対峙するようにイランを睨みつける。

「あなたはあたしのことをこれっぽっちも思っていないくせに、あたしを縛りつけル。もう嫌なんです、あたしはあなたのものじゃナイ!」

瞬時に頬が打ちつけられた。反動でワカが寝台に叩きつけられる。

「ワカ!」

慌てて身を起こすと唇が切れて、血が流れていた。

「イラン!何てことするんだよ!」

「この女はな」

アオイの腕の中から、ワカが引きずり出された。まるで物のように。

「役立たずなんだよ」

焦げ茶の髪を引っ掴んで、持ち上げる。ワカが悲鳴を上げた。

「もういい加減足手まといだ。丁度、お迎えがきたぞ、さっさと失せろ」

投げ出された床の上には見知らぬ男がいた。

「お前が執着していると聞いていた娘はこれか」

クツクツ笑って、ワカを抱き起こす。ワカはぐったりとされるがままになっていた。

「さっさと連れて行け。煮るなり焼くなり犯すなり好きにすればいい」

「な…!」

身体は動かない。まるで空気で押さえつけられているように、アオイはただ硬直するだけだった。

灰色の髪の男は、見せつけるようにワカに囁いた。

「動けるか」

「はイ…」

「着替えろ。里に戻る」

「分かりマシタ」

イランはただ黙って二人を見ているだけだ。

黒装束に着替えたワカは、アオイを見てにっこりと笑った。

「さようなラ」

待って、行くな。ワカ!

声は出ない。体も動かない。口を開けて寝台の上に膝をついているアオイを置いて、ワカは男と共に消えてしまった。

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「アオイはどうした」

「あんまりにもうるさかったんで、眠らせた」

本殿の屋根の上で、四人は風に吹かれている。濃い闇空には、儚い三日月がひっそりと輝いていた。

「行っちまったな」

アカンのポツリとした声が、風に流される。

行ってしまった。取り上げられてしまった。

これで良かったんだとも、取り返しのつかないことをしてしまったとも思う。

「もう、ぼくたちはワカちゃんに会えないのかな…」

寂しそうにカナンが言う。

「そうね」

シランの声もどことなく頼りなさそうだった。

「でも、あんなひどいこと言わなくても良かったのに」

「なあ、イラン。お前が守りたかったものは何だ。矜持か。それともワカか」

「そんなんじゃねえよ」

「ヒサメのことだもの。今生の別れなんて見せつけられていたら、喜んでワカに手を出したでしょうね」

「そんなんじゃねえって言っているだろう」

ワカが里に売られてきたのは、五つの頃だった。老師が呆れ、その教育を投げ出すほど無能だった少女を押し付けられたイランは、ワカの初な心を利用して自分に惚れさせた。

私利私欲の為ではない。そうでもしなければ、あっという間に任務で命を落としてしまう。

良心の呵責がとがめるほど暴力を振るっても、少女の真っ白な背に容赦なく鞭を叩いても、命を失うよりはマシだ。

それがイランの育て方だった。

その内、他の仲間にはない慈しむ心が生まれた。

無垢な少女は、誰よりも大切な存在になってしまった。過去に愛した女よりも。

あなたはあたしのことをこれっぽっちも思っていないくせに、あたしを縛りつけル。

ワカ。お前はおれのことをそう思っていたんだな。

最後は全く目すら合わせなかった。

ワカ。それがお前の答えなんだな。

自業自得だ。惚れていることを認めて溺れる自分が怖かった。

どっちみち、一緒だったのだ。

それならばもっと…。イランはため息をついて両手で髪を撫で上げた。

過去には戻れない。

「今日はもう…休め」

シランとカナンが去り、アカンが残った。

「なあ、イラン」

草を噛みながらアカンは月を見上げた。

「もしお前が近い将来、騒ぎを起こすなら」

目線は月に注いだままひっそりと言う。

「おれは一も二もなく付いて行くぜ」

「おれがそんなことをする確信でもあるのかよ」

「あるよ」

噛んでいた草を取り出して、クルクル回した。

「お前はそういう男だ」

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久しぶりに見た男に、キキョウはどう反応していいか困惑してしまった。

嬉しいと思う。とても嬉しいと思う。

が、それを素直に出すのは、なんか負けたような気がして嫌だった。

「な、なんだもう帰ってきたの?別に帰ってこなくてもよかったのよ」

「そうか」

そのまま通り過ぎていってしまった。

なによ、あの態度。せっかく人が声をかけてやったというのに!

「明日にはティエンランを出るよ、姉さま。お別れしたい人がいたら、挨拶しておきなよ」

「そうね」

ロッカとモクレン、マツバは、幸いなことに政務室にいた。シラギと初めて会うもう一人の副将軍、タカトオもいた。

「またいつかそちらの軍も拝見したいものだな」

「できればお手合わせも願いたい」

「その頃にはおれが副将軍になっていますからー」

「じいさまを倒すのはロッカよ、マツバ!元気でね、キキョウさま。クズハにも遊びに行きたいな」

「これこれ、ロッカ、マツバ。そんなことを言うのはわしから一本取ってからにしておくれ。お達者で、クズハの王女。その内、孫を連れていきますわい」

ぜひ、みなさんで来てください。

キキョウは笑顔でそう答え、丁寧なお辞儀をして別れた。

「キキョウ、変わったわねー」

付いてきたシランが感心したように言った。

「そう?どこが?」

「人回り成長したような…。そういうお年頃なのかしらねー」

「ふふふ」

お年頃じゃあないのよ、シラン。今まで知らない人と出会って、知らないものを一杯見て、初めての体験だらけだった。

わたしはまたあの王宮に戻るけど、違う目線で物事を見ることができるだろう。いままで無関心だった人々を思うことができるだろう。

「道中お気をつけてください」

旅立つ朝、スオウは美しい跪礼をした。

「キキョウさまのお世話を出来たことを、わたしは誇りに思います。どうぞお元気で」

小さく震える肩に手を置いて、その前に膝を折る。

「本当にいろいろありがとう。いつか遊びに来て。今度はクズハの城下の甘味処を制覇しましょう」

スオウは泣き笑いの顔になった。

もっとたくさん遊びたかったな。

「あなたは」

ゆっくりと抱きしめた。

「わたしの最初の友達で、一番の親友だわ」

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馬なんて初めて乗ったけど、何とかなるものだな。

カナンは手綱を取りながら呑気な足音と共にゆられている。

前方にはアオイとキキョウを乗せた馬車をぐるりと取り巻く様にイランたちが馬に跨っていた。

ワカはいない。もう会えないかもしれないという事実は、カナンの心を重く沈ませた。

大門まで見送ってくれた女王と夫君でさえも、ワカのことを覚えていた。

「あの娘はどうした?」

一足先にクズハへ戻ったとイランが答えると、残念そうに微笑んだ。

「ヒスイが大層なついていたから、礼を言いたかったんだけどな」

「ワカ、いないの?」

その腕の中で、幼子がしょぼんと頭を下げた。

「お兄ちゃん、また来る?」

「うん。それまでヒスイも一杯食べて、大きくなるんだぞ」

アオイが頭を撫でると、元気よく返事をした。

「そろそろ参りましょうか」

「道中お気をつけあれ」

「お元気で」

「本当にありがとうございました」

にこやかに笑ったアオイは、馬車に乗った途端にむっつり不機嫌になった。

あれからアオイとイランの二人は言葉を交わしていない。キキョウはどうでもよさそうだった。

 

「アオイさん」

スザクを出港した船の上でぼんやり風に吹かれている少年に声をかけた。

「何だよ、珍しいな」

「お話が。そのまま何事もないように聞いてください」

イランたちは船室の中だ、今しか機会がない。

「ワカちゃんからの伝言です」

アオイの肩がぴくりと動いた。

「これから先、ジンはクズハかティエンランに戦を仕掛ける。悟られないようにその準備をして、備えてほしい。イランさんたちは知っています。けど、内密にしておいてください」

「どうして」

「ぼくらの管轄ではないからです。ぼくだって言いたくない、でもワカちゃんはアオイさんたちやヒスイくんを見殺しにするのは嫌だったんでしょう」

お願い、カナン。ここではアカンたちに気が付かれてしまう、あたしはもうすぐみんなと別れなきゃいけナイ。イランたちがアオイから離れた隙に知らせテ。

「あの子は優しいから」

イランは心が弱いというが、そうではない。闇者には不必要な優しさを持っていた。非情になれなくて、何度もイランから折檻を受けていた。

「ワカは…どうして闇者なんだよ…。どうしてそんな仕事をしているんだ…」

海を見つめている赤茶けた瞳から涙があふれてきた。

「売られてきたからです。職業の選択なんて出来ない、それはアオイさんも同じでしょう」

アオイはただ、黙っている。

「ティエンランには、礼を言う手紙を書いてそれとなく知らせてください。お願いします」

「分かった」

「それからもう一つ。ワカちゃんからアオイさんへ」

カナンは咳払いをした。

「一緒にいてとても楽しかったです。西の王子さま。民に慕われる王になってください。もし、今後あたしと会うことがあったとしても」

小さな嗚咽の声が聞こえた。

「その時は、知らない振りをしてくださいね」

 

 

 

 

説明
ティエンランシリーズ第五巻。
クズハの王子アオイたちの物語。

「さようなラ」

視点:ワカ→イラン→ミカゲ→アオイ→イラン→キキョウ→カナン
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コメント
天ヶ森雀さま:コメントありがとうございます。この後の話が「ネコとわたし」なんですが、投稿しようかどうか迷い中。(まめご)
急転直下、王様がやはり一番の狸でしたか。今後のワカちゃんの運命が気になりますね。(天ヶ森雀)
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