不思議的乙女少女と現実的乙女少女の日常 『ネクロノミコンsaint4-3』 |
久遠は勢い良くそのドアを開いた。ドアそのものを破壊せんばかりの勢いで。しかし、忌々しい事に、そのドアを破壊することは叶わなかった。
エリーが住まうこの邸宅には、ドアが多数存在する。ドアの色彩や形状は一部を除いて(厨房やバスルーム等々)全て統一されている。
だが、久遠が開けたそのドアは、全てにおいて異質だった。邸宅の雰囲気に全く合っていないのだ。他のドアは木をイメージさせる色だが、そのドアは無機質なクリーム色だった。ドアにはステンドグラスがはめ込まれており、円形の紋様と薔薇らしき花で彩られている。円形の紋様は、ファンタジー作品で見られる様な、魔方陣にも見える。
そして、異様な程の存在感が漂っていた。
だが、そのドアに気がつく事が出来る人間は少ない。普通の人間には感知する事が出来ないのだ。存在自体があやふやで、まるで空気の様でもあった。
そのドアを開けて中に入ると、そこには図書館が広がっていた。図書室では無い。図書館だ。それも、無限の広がりを見せている。邸宅の構造上、有り得ないほ高さに有る天上。いや、そもそもその天上が見え無いのだから、その存在は疑わしい。奥行きも無限に広がっている様であり、遥か向こうにまで本棚が広がっている。本棚には気が狂いそうな程、凄まじい量の本が収められており、眩暈を覚える。
「……………………おや」
そんな中で。
「そろそろ来る頃だろうと、思っていたよ。小梅川久遠」
明らかに時代遅れの…………それも数世紀は遅れている…………簡素な白いローブを着た男が、椅子に座っていた。
久遠は男の姿を認めるや否や、有無を言わせぬ足取りで近寄った。
足が前へ進めば進むほど、彼との距離が近付くほど、久遠の表情からは余裕が消えていくようだった。
そして右腕で、首を締め上げる。男の鎖骨ごと破壊しかねない程の、強烈な意思が篭められていた。
そのまま右腕一本で首を支点に持ち上げる。
女性が細腕一本で人間を持ち上げるという光景は異常なものだった。しかし、それに驚く人間は、ここには居ない。男も文句1つ言わない。そもそも、苦しがっていない。何一つ変わらない顔色で、冷静に久遠を見下ろしていた。
ごぎん、と鉄を無理矢理捻りきった様な音が響き、男の頭が不自然な方向に歪んだ。首が折れたのだ。
「お嬢様が血を吐いて倒れた。何が起こった。貴様、知っているな」
明らかに即死の様相を呈している男に対して、しかし久遠は冷徹に聞いた。
「酷いな。これでは死んでしまうよ」
首を力任せに折られたはずの男は、しかし、やはり何事も無かったかの様にそう言って、
「…………君は誰に対してでも、そうなのかい?」
声は久遠の後ろから聞こえた。
掴んでいたはずの首はそこに無く、男の体は久遠の眼の前から完全に消滅していた。
「……………………」
声のした方を振り返ると、先ほど、確かに首を折ったはずの男が、簡素な椅子に座って紅茶を飲んでいた。首は折れていない。初めから何事も無かったかの様に、カップを口に運んだ。
「…………失礼。正直…………正直、焦っているんだ。首を折るつもりも無かったし…………いや、そもそも、乱暴にするつもりなんて…………」
気まずそうに手を顔に当てて、苦しそうに口角を歪める久遠に男は微笑みかけた。
「君も知っての通り、私は記憶の集合体だ。先ほどの様な方法で私が死な無いと、君はそれを前提に入れて行動していただろう」
意識的にか、無意識的にか。
男の言うとおり、あるいはそうなのかもしれない。だが、久遠は怒りで我を忘れていたのだと、自分を責めた。
(私は結局、あの時から何も成長してはいない…………)
そんな久遠の心中を察したのか…………いや、そもそも全て知っているのか、男は続けた。
「そうだ。それは君の、最大の欠点だ。致命的とすら言っても良い。怒りは力を与えるが、力が勝利をもたらすとは限らない」
「…………それは教訓か?」
「いや、数世紀に渡る、記憶が語る真実だ」
あるいはそれを教訓と呼ぶのでは無いだろうか。しかし、男がそうで無いと言い張るなら、それはそうなのだろう。彼は真実、彼自身では無かったし、彼の元となった記憶が存在するだけで、彼はほとんど機械の様なものだった。彼がすでに、何かから学ぶことは無いし、故に進歩は有り得ない。ただ、そこに在るだけだ。
「座ってはどうだろうか? 紅茶はどうかな?」
「…………得たいの知れない紅茶など、飲みたくない」
空間自体が不可思議であり、その居住者である彼は人間では無い。全ての物質が、ここでは意味を成しているようで、しかし、全ては幻想だ。得たいの知れない、とは正にその通りで、久遠の理解を超えているのだった。
「君の抱えている不安は最もだが、心配は要らないよ。ここに在る全ては、確かにそこに在る様に見せかけているだけだが、それ故に君もまた同じだ」
「どういう事だ?」
「さてね。そのままの意味だよ」
頭を振って、彼は笑みを深めた。いやらしい笑みだとは思わない。むしろ、好感が持てる。しかし、だから何だと言うのだ。
「…………私がどうだとか、紅茶がどうだとか。そんな事はどうでも良い。さっきも言ったとは思うが、お嬢様が血を吐いて…………」
久遠は、そこで1度、息を呑んだ。
「血を吐いて、倒れた」
エリーは邸宅から最も近い、かかりつけの病院へ搬送された。容態はすでに安定しているが、意識は戻っていないし、酷く苦しそうだった。
「貴様はあの時言ったな。聖域との結びつきがお嬢様の身体を強くすると」
「言ったね」
「なら、どうしてこんな事になった!!」
危うく掴みかかりそうになった腕を、しかし何とか自制し、強く握り締めた自らの拳から鮮血が流れ落ちる。
「安心しなさい。恐らく、もうこんな事は無いだろう」
「…………断定的だな。どうしてそう言いきれる」
久遠が詰問すると、男は立ち上がった。それと同時に、テーブルと、その上に置かれていた何もかもが消失した。
男は腕を開いて、
「初めに破裂音が轟いた。そして、空間の波を目視した。野生的な感で主の危機を察した君は、主の部屋で正しく予感どおりの光景を眼にした。…………だから君はここに来た。そうだろう?」
この部屋に入ってきた時、自分の来訪を予見していた言葉で出迎えられた事を、久遠は思い出した。
「全て理解しているという事か。それがお前の性質か?」
「いや…………前にも言ったと思うが、私は所詮、残滓に過ぎないのだよ。故にそれが本質でもあるがね」
「だが、それがお嬢様の安全に繋がる証拠にはならない。お前が信頼に値する…………と評する事に躊躇いは無いが、どうしてそう言い切れる?」
実際の所、久遠は眼の前に居る男に対して、ほとんど情報を持って居なかった。だが、久遠は、彼の様な存在が敵対しないという事を、知っている。味方にも成り得無いが、平等ではある。
彼は神妙な表情で、
「彼女は知っているからだ」
断定した。
その言葉に、久遠は眼を開く。
「彼女が放った事象変異は、この聖域を取り囲む結界を変質させるには、単純に格が足りない。彼女はそれを知っている」
「彼女…………だと?」
その言葉は、眼の前の男が、今朝の現象を引き起こした『何者か』を知っている事に他ならなかった。
それは数年前の話になる。
時間というのは複雑なもので、感覚以上に経過しているものであるし、必要以上に緩慢であったりもする。所詮、『時計』という利器で形成された概念に過ぎないため、あるいはそれも当然の事なのだろう。そもそも、感覚以上の何ものでも無いのだ。必要にあわせて、いかようにでも姿を変える。
…………まあ、何が言いたいかというと、つまりは、それが数年前の出来事であるというのが信じられない、という事だった。
あの日、出会って。
そして護った。
結果として護る事となり、しかし従う様になったのは必然だった様にも感じる。
命を投げ出すことを厭わない、などと言えば、きっととても怒るのだろう。もちろん、そんな事は言わない。言う必要も無い程に、最優先事項だからだ。
何故だろうか。
そうだ。何故だろうか。
どうしてその様に感じるようになったのだろうか。どうしようもなく狂ってしまい、元の形になど戻りようも無かった運命が、それまでの全てを無かった事にして、そして違和感の付けようも無い程に今の形にした。
運命としか言い様が無い程に、劇的に変化した『生き方』。
ここで投げ出そうとも、決して惜しくは無い。
「……………………」
沈黙。
邸宅の正門近く。木の上で、その幹に背中を預けていたネクロノミコンは、一瞬の事では有るが、沈黙した。それは、人間で言うならば、何か、虚を付かれた時に生じる、隙の様なものだった。
沈黙と表現したが、そもそも、彼女に言葉という概念が必要であるかどうか、それは疑問だった。本人が必要としているならば、当然必要であるし、そうで無いならば不必要である事は間違いが無い。しかし、状況、あるいは状態を鑑みれば、それがとても中途半端であり、必要とも不必要とも言えないのだった。誰かと言葉を交わす機会が皆無に近い彼女にとって、しかしそれが全く皆無では無いだけに、やはり、意味を失いはしないのかもしれないが、ほとんど無意味なのだ。あるいは、沈黙ですらも、そうなのかもしれない。
だが。
今に限って言えば、それらは間違いだ。
それは初め、予感だった。全能に近い彼女にとって、予感という、とても中途半端な感覚こそ、彼女の立ち位置を如実に表していると言えるだろう。
予感は、それを覚えた瞬間に、確信と全知に変化する。この瞬時の変化もまた、彼女の立ち居地を如実に表している。彼女と全能を隔てる壁など、ほとんど薄皮一枚だった。
ともあれ、ネクロノミコンは木から地面へと移動した。飛び降りたのでは無い。瞬間的に、あらゆる物理的運動を無視して、初めから地面に立っていたかの様な状態に移行したのだ。
その数秒後、凄まじく重い音が鳴り響くと同時に、衝撃波が空気を歪める。音と衝撃の発生源は、ネクロノミコンの十数メートル前方。
巻き起こった風が圧力となって、ネクロノミコンの髪を…………揺らさなかった。何事も無かったかのように、また、彼女にとっては事実何も無かったに等しいのだろう。
噴煙が宙に溶け、姿を現したのは1人の女性。
その女は小梅川久遠という女性であり、血がベッタリと付いたメイド服を着用して、決然とこちらを見据えていた。
そう。
確実にこちらを見据えていた。見据えて尚、朽ち果てる事が無かった。
ネクロノミコンはその事実に、微笑んだ。単純に、喜ばしかったのだ。
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久遠は直情的な所があります。 | ||
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