ビューティフル 10 |
ヒールを鳴らしながら、自宅への道をたどる。
カツカツカツと小気味よいこの音が、初音は好きだった。
大人であることを認識させてくれる。
家では直隆が待っている。
そう思うと自然に笑みがこぼれる。
誰かが家で自分を待っていてくれること。
「いってきます」「ただいま」といえること。
それは掛け替えのない安らぎだ。
直隆は彼氏ではない。友人でもない。夫でもなければ兄でも弟でもない。
それでも初音の中では特別な存在になってしまった。
今、直隆を初音の元から取り上げようとする輩がいれば、自分は全力で抵抗するだろう。
それが例え本人の為だとしても。
林田兄に言った言葉は嘘偽りではない。
「あたしの唯一の」
癒しなんです。直隆がいなくなったら心のバランスが崩れてしまうんです。
いつかは元の時代に戻ってしまうかもしれない。
ずっと一緒にいることはできないかもしれない。
だから、せめてそれまで。
二人でいさせてください。神さま。
「ただいま」
帰宅した初音に向けられた言葉は、「おかえり」ではなく、
「腹がへったぞ、飯はまだか」
だった。
このクソ侍。メイド服着ているんだから「お帰りなさいませ、ご主人様」くらい言え。
むかっ腹がこみ上げる。
先程の切なさはどこへやら、げんなりしながら靴を脱ぐ。
修理から戻ってきたブラビアと直隆は現在蜜月状態で、お気に入りのお天気キャスターまでいるらしい。
男のテレビ好きは時代を超えて共通するものなのか。
まあ、ともかく、初音が着替えて夕御飯の支度をしている間も、二人でそれを食べている間も、直隆は嬉々としてテレビで仕入れた情報を語るのだった。
ああ、全国のお父さんの気持ちがよく分かる。
人と接して、人にもまれて疲れて帰れば、妻のどーでもいいおしゃべり攻撃。
頼む、飯くらい静かに食わせてくれ…。
「で、な。おかしいと思ったんじゃ。わしらの時代はあんな大きな馬など乗っておらん。もっと足が太くて頑丈で――…」
「ねえ、チビ」
「チビ言うな。なんじゃ」
「早く元の時代に帰りたい?」
「ああ」
即答か。
「わしの生きるべきは五百年前じゃ」
「…そうだね」
「わしはお主とてれびしか知らんが、ここは変じゃ。筋が通っておらん上に、頂点に立つべき人間が不甲斐なさすぎる。我が変わって治めてやろうという気概のある者もおらぬ。好き放題に言うて、見て見ぬふりをしている」
「……」
「世界はもっと単純であるべきじゃ。強いものが勝つ。弱きものは滅びる。それでよいではないか」
「色々と複雑なんだよ」
「初音はここが好きか?」
「えっ!?」
驚いて初音は直隆を見た。名前を呼ばれたのは初めてだ。
「す…好きも何もここしか知らないし…」
「ならばわしと来い」
「はっ!?」
「小谷は良い所じゃ。きっとお主も気に入る」
うんうん、と思いだすように遠くを見る直隆にどう返していいか分からず、初音はフリーズしていたが、慌ててご飯をかき込み、むせた。
「何をしておるんじゃ、顔が赤いぞ」
「う、うるさいッ!」
直隆がここにきてから一カ月が過ぎた。
淡々と日常が過ぎる通過で、お互いのリズムのようなものが生まれてくる。
初音が仕事でいない時、大抵テレビを見て過ごす。
情報を映像で流すものだと言われた。この時代は本当に便利な物で溢れ返っている。
直隆の時代にテレビがあれば、戦はもっとやりやすいものになったかもしれない。
「では、本日は信長の動向に迫ってみましょう。現場中継の山田さん」
「はい、山田です。今、私は尾張の清州城前に来ています」
とかなんとか。
昼を食べて、愛憎渦巻くドラマや、やけに威勢のいい時代劇に飽きると、直隆は一人、愛剣を振ったり、その辺を走り回ったりする。
体を動かさないと、体力が落ちるからだ。
初音が帰ってくると、一緒に夕餉を食べ、風呂に入る。
二人で入ることを直隆は断固拒否した。
一度、無理やり着物を脱がされ、褌まで取られ、まじまじと観察されたことがある。
「すごーい。いっちょ前に付いているんだー…」
「見るな、この破廉恥女!!」
だから、初音が風呂から上がった後、洗面器に湯を張ってもらい、それに浸かる。
上がれば新しい褌をしめて(さらしを適当な大きさに切ったもの)、寝間着(ぱじゃまというものを初音が作った)を着て、蒲団(これも作ってもらった)に入る。
直隆の生活区域は全てコタツの台の上にある。
なので、朝、初音が化粧をする時は、寝ているふりをしてその様子をうかがっていることが多い。
髪を括った後の勇ましく変貌する女の顔を見るたびに、直隆は内心、ふふふと笑ってしまう。
なぜかは分からない。同志に似たような、誇らしげな気分になってしまうのだ。
ある晩。
夕餉の後に電話がかかってきた。
「あ…お母さん」
初音にも母がいるのか、まあ、いるだろう。まさか川から流れてきた訳でもあるまいし、と直隆はテレビを見ているふりをして耳をそばだてている。
自分の母を、産みの母を直隆は知らない。
父がどこぞで手をつけた女だと聞いた。正室で母に当たる女は愛情を注いではくれたが、それでも幼心に違和感があった。
「うん…元気。うん、うん…」
初音もそうなのだろうか。こちらに向けた背が妙に頼りなく見える。
「そんなことを言っても…大丈夫だから。あたしは大丈夫」
威勢の全くない声。
「だから、それは仕事だから…。お母さんの言っていることも分かるけど…」
心細そうな、ほんの少しの苛立ちが混じったような。
「あはは、それ、男の人に言うセリフだよ」
笑いすらも乾いている。
たまにかかってくる「トモダチ」からの電話は、もっと騒々しくて、それはそれは楽しそうに応じているのに。
「…だから! 働いた分お給料をくれるし、そういう仕事を選んだのはあたしだから…!何も知らないのに勝手に決めつけるのはやめ…ごめん、泣かないで、ね? お母さん」
垣間見えた顔は心底困ったよぅだった。
「うん、遅いからもう切るね。体に気をつけて…。おやすみ」
切った後にため息をひとつ。
「…そんなに頑張って、仕事があなたに何をしてくれるの、だってさ」
直隆は言葉が見つからない。
「親の涙って卑怯だよね。ものすごい罪悪感が湧いちゃう」
「……」
「お風呂入ってくる」
「う、うむ」
テレビから場違いなほど明るい笑い声が聞こえた。
夜。
ふと押し殺した嗚咽が聞こえた。
ベッドの初音を見やると、すっぽり蒲団をかぶって丸くなっている。
きっと泣いているのだろう。
声をかけようとして、やめた。
直隆に泣いていることを気付かれたくないに違いない。
あの女はそういう女だ、脆い部分を決して人に見せない。
弱さも甘さも、全てさらけ出してくれればいいのに。
嗚咽はその内、寝息に変わった。
直隆は蒲団を抜け出して、初音の元に向かう。
そっと掛け布団をひっぱると、涙にぬれた女の顔が現れた。
幼子のように片手を軽く握って口元に当てている。
「子供のようじゃの。泣きながら寝入るなぞ」
膝をついて、その涙を拭ってやった。
それから、自分より数倍大きな手をポンポンポン、と叩いた。
まるで子供をあやすように、ゆっくりと優しく。
説明 | ||
身長20cmのお侍さんと現代女子のお話。 働く独身女子が苦手なもの。 |
||
総閲覧数 | 閲覧ユーザー | 支援 |
527 | 509 | 2 |
コメント | ||
天ヶ森雀さま:なんでですかねえ。あれ。不思議です。CMになったらチャンネル変えるし。(まめご) 男のテレビ好きはほんっと謎ですね! そして微妙な接近具合。ふふふ(天ヶ森雀) |
||
タグ | ||
ファンタジー オリジナル 恋愛 侍 | ||
まめごさんの作品一覧 |
MY メニュー |
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。 |
(c)2018 - tinamini.com |