ビューティフル 11
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「つまんないんです」

洋子はそう言って、ぷうと頬を膨らませた。まるで小さな子供のように。

「仕事もプライベートも、全然つまらないんです。彼氏は構ってくれないし」

居酒屋の喧騒、笑い声、店員の威勢のよい返事が二人を包んでいる。

「あ…そう」

相談ってもしかして、これ?

なんで、こんなしょうもない話におれ、付き合わされているの?

篤は気付かれないように、横を向いて小さなため息をついた。

 

洋子が相談したいことがある、と篤を誘った時、これは先輩として話を聞いてやらねば!と息まいたあげくに肩透かしを食らった。

目の前の洋子は、グチグチと現状に対する不満を述べている。

 

ネエネエ、アタシ、カワイソウデショウ?

カマッテカマッテ。

 

きっとこの子は恵まれた環境で育ってきたのだろう。

有名大学の準ミスだったと聞いたことがある、きれいな顔をしている。

常に注目され、ちやほやされて、自分を中心に物事が進んできたのかもしれない。

だが、社会というものは、生易しいものではない。

歯車となり、与えられた仕事をいかに効率よくこなすか。

篤はそれを初音の後姿から学んできた。

誰も教えてはくれない、自ずと吸収しなければ何も学べない。

「…店長が昔、言ってくれたんだ。会社は会社なりの道理があって、世界はそれで動いている。あたしたちが貰うお給料はその我慢代金も含まれているって」

「それがなんなんですか?」

篤が顔を上げると、洋子は気を害したように下唇を突き出した。

「社会のルールなんて、どうでもいいんです。林田さんは、本当に店長が好きなんですね」

「そういうんじゃないよ」

好いた惚れたではない。

「じゃあ、どういうのなんですか」

「尊敬、かな」

一人の人間として。

「へえー…」

胡散臭げな洋子に、篤は苦笑する。

「人間、全てが恋愛沙汰で生きている訳じゃないしさ。あの人、本当にかっこいいと思うよ。まるで侍みたいだ」

「ほおー…」

自分を見ている目が、きゅっと細まった。まるで蛇に睨まれているみたいだ。

「あの、なんか変なこと言ったかな、おれ」

「いいえ」

蛇の目は一転、ほどかれて、洋子はこれでもか!というほど可愛い笑顔を見せた。

「あたし、甘えすぎちゃいました。飲みましょうよ、林田さん。変な相談事してごめんなさい」

てへっと首を傾げる。

その後の洋子は打って変わって、最近のドラマや新しくできたショップなど、女の子らしい話題を持ち出した。

なんなんだ、この変わりようは。

若干、狼狽したものの、篤も内心、ほっとしてその話に付きあってやった。

 

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やっぱりあたしは、あの女が嫌いだ。

篤がトイレに立った瞬間、手鏡で顔と髪型をチェックし、素早くグロスを塗りなおす。

洋子は初音が嫌いだった。

あんなババアにはなりたくない。

一人で生きてますって顔して、忙しぶって、仕事命って感じで。

そりゃちょっとは美人かもしれないけれど、あたしの方が可愛いし、なにより若い。

あんな乾いた女にはなりたくない。

仕事は全く面白くなかった。

売上売り上げと日々言われるし、なんで店長相手にロープレしなきゃいけないんだ。

「あたし相手にそんなしどろもどろじゃあ、お客様にはきちんと説明できないでしょう」

「ごめんなさい…」

「ごめんなさい、じゃなくてすみません」

「はい…」

別に絵が好きでここに入った訳じゃないんだもん、販売が好きだからここに入った訳じゃないんだもん。

心の中で呟く。

一年たったら、状況は変わるものだと思っていた。変わるどころか、苛立ちは溜まっていく。なんだか自分が汚い泥の中に沈んでゆくみたいだ。

全部、初音のせいだ。もっとかまってほめてくれれば、ちょっとはがんばれるのに。

林田はその店長を尊敬するという。

ああ、馬鹿らしい。

侍? 武士道かっての。

あたしはあの女が大嫌い。

だから、関わる男は奪ってあげる。

頬をつきながら、片手でブラウスのホックを二つ開けた。丁度いい感じに胸の谷間が見える。

篤がトイレから帰ってきた。

「おかえりなさい」

にっこり笑ってその顔を見る。

 

さて。まずは色仕掛けといきますか。

 

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「めでたく離婚が成立しました。おめでとう、あたし。新たなる再出発に乾杯!」

所変わってアジア風のこじゃれた居酒屋。カーテンで仕切られた個室の一室、アラサーの女三人が華奢なグラスを掲げた。

一人は意気揚々と、二人はぶっすりと。

「なーにがおめでとう、あたしだ。あんだけ派手な結婚式挙げといて」

「祝儀返せ」

「ごめんごめーん」

ケラケラと笑う彼女は楠絵理子(くすのき えりこ)。保険の営業でバリバリ働いていたものの、飛び込み先の工事現場である男性に一目惚れ。二年前に周囲の反対を押し切って結婚した揚句、離婚した。

「仕事復帰はできたのかよ」

シャンパンに口をつけながら乱暴な口を利くのは浜村樹里(はまむら じゅり)。産婦人科の女医である。勿論、仕事中はもっと丁寧な話し方をする、と力説している。

「うん、喜んで迎えてくれたわ。生保は万年人手不足だからねー」

「うちも人手不足だわー」

溜息をついたのは初音だった。

この三人は幼馴染だ。一年に一度か半年に一度、こうやって会っては好き放題に言いあう。

初音が近所の乱暴な男の子にいじめられていたことも、絵理子のおねしょが小学校低学年まで続いたことも、樹里がかなづちでプールの時間は先生から個別指導を受けていたことも、今となってはいい思い出話だ。

「離婚の原因は何だった訳?」

普通なら聞けないことも、この二人にならずばっと聞ける。

「愛が消えたから…」

うっとりと彼方を見る絵理子に、樹里と初音はドン引きした。

「あたし、やっと夢から覚めたの…」

「こら絵理子! 帰ってこい!」

「寒い! 寒いよ! 店員さん、ヒーター付けて!」

「って、言うのはやりすぎだけど」

真顔に戻った絵理子が、煙草に火をつけた。

「お金なんてどうでもいいわ、あたしは愛に生きるの〜って突っ走ったら、この様よ。愛じゃ飯は食えないわ」

ふう、と煙を吐く。

 

「だから言ったのに。あの時、散々」

「十九二十歳の小娘じゃあるまいしって。なあ」

樹里と初音が目配せをする。

「まあ、家庭に入って大人しくできる女じゃなかったってことよね。稼ぎは少ない癖に、妻には外聞もあるし外で働いてほしくないっちゅーご立派な亭主の為に最初の内は頑張ったわよ。スーパーのチラシもって自転車で走って」

「へえ、あんたが」

「ええ、あたしが」

絵理子は丁寧に巻かれた髪を、ゆっくりと掻きあげた。爪にはスカプルを付けている。

「そういうのに幸せを感じる女もいるんでしょうね。でも、あたしは贅沢を知っていた。働く喜びも知っていた。旦那と二人の狭い世界に閉じこもるのは、我慢がならなかったわけ」

形のいい鼻に皺を寄せる。

「このまま子供が生まれて、このまま延々と世界が続くなんて考えた瞬間、ぞっとしたわ」

「でも、そう決めたのは絵理子なのに」

初音には解せない。この人と苦労をするのだ、そのために全てを背負うのだ、とはっきり宣言したのは本人ではないか。

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「人間、誰しも間違いはあるわよ」

「旦那はいい迷惑だな」

「そうでもないわよ? ギャンブルであたしの貯金、全部使い果たしたんだから、ちょっとはいい夢みたんじゃない?」

あらまー、と目をぱちくりさせる親友二人に、絵理子は笑う。

「あたしに見る目がなかっただけの話よ。自分のケツは自分で拭くわ。それよりも初音」

いきなり矛先がこちらに向いて、初音は慌てた。

「な、なに…?」

「しばらく見ないうちに、柔らかい顔になっちゃって! 男ね? 男が出来たんでしょう!?」

「ぎゃー! 絵理子! 煙草の火が当たる!」

「やっぱり! おいこら初音、隠すな、全部吐け! 吐いちまえ!」

煙草の火を持ったままの手でむんずと顔を掴まれ、はしゃいだ声を上げた樹里に抱きつかれ、初音は悲鳴を上げた。

そこへ

「すみませーん。よろしければオーダー…」

店員がカーテンをまくり、その光景に目を点にした。

「あ、美少年ください」

にっこり笑って絵理子が応じる。

「グラスで三つね。キンキンに冷やしてください」

樹里も口添えする。

「あ、か、畏まりました」

慌てたように店員が去った後、絵理子がしみじみと言った。

「良かったわねぇ。働く女にとって男は必需品よ、せいぜい可愛がってあげるのよ」

「いや、だから…」

「どんな男なんだよ、まさか草食男子じゃねえだろうな」

「あら、結構じゃない」

絵理子が凄みのある顔で微笑んだ。

「狩りは草食動物相手にするものよ」

「確かに」

「この肉食どもがー!」

初音が身をよじって暴れた。

「彼氏はいません! まだ出来ません! 膀胱が破裂するのでトイレに行ってまいります!」

なぜか凛々しく敬礼をして、鼻息荒く初音が去った後、二人は同時に顔を見合わせた。

「三年前をまだ引きずっているのかしら」

「あの子は箱入り娘だったからな。変に真面目すぎるし」

女子の会話というものは、その場にいない人間が生贄となる。

「痛々しいのよ、初音を見ていると。恋愛でお腹いっぱいになる年でもないけれど、自分を肯定してくれる存在は必要だからねぇ…」

「愛し愛される関係が欲しいなら、ペットで十分。人の心配よりも、自分の心配した方がいいぞ」

「あら、あたしは強いから」

うふふ、と妖艶に絵理子は笑う。

「そして、本物の箱入り娘も強いものよ」

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ふとした瞬間に、昔を思い出す。

「君は真っ直ぐにしか行けないんだね。何事にも全力で立ち向かおうとする」

あの人はそう言った。

フロントガラスを伝う雨、ワイパーの音、くゆる煙草の煙、遠くに滲む海。

「なかなか勇ましいとは思うけれど、軟化することも学ぶべきだ。いつか身を滅ぼすぞ」

「…あたしは、こんなやり方しか知らないし」

灰色の海を見つめながら出た声は、なんだかぼんやりして聞こえた。

「柏木さんに心配してもらうほど、弱くない」

可愛い女ならこういう時、なんて言うんだろうか。

「でも、お気づかいありがとうございます」

横の柏木がひっそり笑った気配がした。

三年前のことだ。

 

記憶は静かに降り積もる。

楽しかったことも、悲しかったことも、悔しかったことも。

 

帰りの電車の中で、初音はこつんと窓に頭を付けた。

無理やり飲まされた日本酒が回っている。

 

 

直隆に会いたい。

驚くほど素直な気持ちでそう思った。

早く帰って直隆の顔が見たい。

 

説明
今回、居酒屋シーンばっかりだわ。

そして遅々として進まない。
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コメント
天ヶ森雀さま:コメントありがとうございます。ガールズトークは男子諸君にお聞かせするものではないと思う…。(まめご)
いや〜〜、女子の本音トークはやっぱこうじゃなくっちゃね! そして林田君は鈍過ぎでしょう(笑)。(天ヶ森雀)
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