タイチとサクラ
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 教室の窓からはいつも、丘の上にぽつんと一本だけ植わっている桜の木が見えた。

 春には毎年美しい花を咲かせていたが、場所が悪いのと一本しか無いこと、そして河原沿いの桜並木に人が流れるため、この丘の桜の木を見に来る者はほとんど居ない。

 そんな桜の木の下に堂本タイチは立っていた。

「よいしょ、っと」

 抱えていた画板、そして色鉛筆などの画材を草の上に置く。

 今日は授業で町の風景を写生するというお題が出されたのだが、近場の個性的なモデル――三体並んだお地蔵様や、鳥居、奇抜な屋根の家など――には生徒が殺到し、落ち着いて描ける環境ではなかったのだ。ならば葉桜ならどうだとここまで足を伸ばした次第である。

「本当は桜並木でも良かったけど……まあ良いか」

 人通りの多いあの場所で絵を描くのは小心者のタイチには少し辛い。

 そうしてしばらく無言で鉛筆を走らせていると、自分とは違う別の影が画板の上に落ちているのに気付いた。

 同じことを考えてここへ来た別の生徒だろうか。そう思って振り返ると、こちらを覗き込んでいたのは同い年くらいの女の子だった。

 桃色のスカートと上着、朱色のストール、頭につけたフワフワとした綿のような髪飾り。これからデートにでも行くような出で立ちの、着飾った女の子。見覚えはない。

「近所の子?」

「あ……うん」

 タイチが問うと、女の子はこくんと頷く。

 しかしタイチはとある違和感を感じた。それを確かめるために視線を落とすと……女の子の足は途中から空気に溶け込むように、無くなっていた。

 あっ、と女の子は声を漏らす。

「私、幽霊みたいなの」

 そして、他人事のようにそう言った。

 

 女の子はいつの間にかここに居て、それ以前の記憶はほとんど無いのだという。

 着飾っている理由も、名前も、なぜここに居たのかも分からない。

 初めは丘を転がり落ちそうになるくらい驚いたタイチだったが、話を聞いている内に恐怖心は消え、今度は女の子に対して同情さえするようになってきた。

「ここから動けないってことは地縛霊かな?」

「でも動こうと試したことがないから、もしかしたら離れられるかも……」

 と桜の木から離れてみたが、大通りに出ようかという所で女の子の足が止まり、そこから先には行けないことが分かった。

「何か名前の手がかりがあれば良いんだけれど」

「私の荷物とかがあればなぁ……」

「名札は?」

 さすがに無いと思いつつ駄目元で聞いてみたが、やはりそれらしいものは無い。

 あれは、これは、それはと試行錯誤してみるものの、女の子の記憶の手がかりになるようなものは何一つとして見つけることが出来なかった。

「あの……確かに、私は思い出せなくて不安だけれど、あなたがそんなに必死になることはないのよ?」

 桜の木にもたれ掛って頭を悩ませるタイチを見、女の子が心配そうな、それでいて申し訳無さそうな顔で言った。

「でも知ったからには、さ。俺ってこのまんまにしておけるほど諦めが早い訳じゃないから」

「……」

 女の子はタイチの隣に体育座りする。

「ごめんね、ありがとう」

 聞こえるか聞こえないかの小さな声。

 タイチはここで初めて彼女に頼られた気がした。

 

 それから思い出すきっかけになればと、色んな話をした。

 クラスのこと、町の名所のこと、名物品のこと、行きつけの店のこと。

「そういえばさ」

 タイチが桜の木を指す。

「この木、春になるとすっごく綺麗なんだ」

「き、れい……?」

「そう。なのに皆ここへ来ないから勿体無くてさ」

 ぽつんと寂しく咲く桜の木。でも綺麗で、目を楽しませてくれる。

 タイチはそんな思いを常々抱いていた。

「だから今度花見にでも……」

「思い出した!」

 女の子の声が丘の上に響く。

 

 綺麗。綺麗。綺麗。

 やっと言ってもらえた。着飾って、見てもらいたくて、褒められたくて。

 初めて、綺麗と言ってもらえた。

「タイチ、私は桜。人間の霊じゃなくて、桜の霊なの」

 目を瞬かせるタイチの手を握り、女の子――桜は微笑む。まさに、花の咲くような笑顔で。

 そしてタイチをそっと抱き締め、耳元で小さくこう言って消えた。

 

「ありがとう、私のことを綺麗と言ってくれて。……春にまた、会いましょう」

 

 一瞬だけ見えた、美しく咲いた桜の木の幻影。

 背中に残った抱き締められた感触。

 そこに自分の手を当て、タイチは桜の木を見上げて呟いた。

 春にまた、と。

 

 ***

 

「おい堂本、今頃咲いてる桜の木なんてあったか?」

 タイチの描いた満開の桜を見、先生が首を傾げる。

 少し考えた後、タイチはとっておきの宝物を見せる子供のように笑った。

「ありますよ、凄く綺麗な桜なんです」

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創作超短編。王道ネタです。
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