ビューティフル 16
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「ありがとうございました。またどうぞお越しくださいませ」

九十度のきれいなお辞儀をして、客を見送る。その姿が消えた瞬間、初音と林田篤は同時にストックに飛び込んだ。

「やったぁ! ついにペルーノがお嫁入り!」

「店長、かっこいいです! かっこよすぎです! 惚れてしまいしまいそうです!」

手に手を取って、キャアキャアはしゃいだ後、万歳三唱を繰り返す。

この半年間、右にも左にも動かず、見向きさえされなかった渦巻ペルーノがついに売れた。

ツキ、というものを初音は信じている。

今日はいい客に当たる日だとか、なぜか直前で逃げられてばかりだとか。販売に置いてツキに左右される場合は良くあることだ。

勿論、それだけが全てではない。

客は無意識に販売員に信用を求めるし、その為にスキルが必要な時は大いにある。

それにしても、初音はここ最近ツイている。

今まで石のごとく動かなかった十万、二十万の絵画たちが羽でも生えたようにポンポン売れていくのだ。

勢いに乗った初音に続けとばかりに、篤もガンガン売ってゆく。

今月予算は軽くクリアしてしまったし、本社からお褒めの電話まで頂戴した。

「ああ、今月の店長会は肩身の狭い思いをしないで済むわ」

満足げな溜息をつきながら、ストックの扉を開けた。

初音の勤める会社は、北は北海道から南は福岡まで全国二十店舗の売り場を持っている。営業スタンスとして全て百貨店に店子として入っており、月一度の店長会では全国の店長が本社にて集い、会議が行われる。

「明日ですよね。頑張ってきてください」

「うん。気張ってくるわ。あ、林田君、そっち持って」

配送予定のペルーノをこれから梱包しなければならない。

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「ただいま」

帰宅すると、初音は真っ直ぐ直隆の胸に飛び込む。

日中、消費した何かがみるみるうちに満たされて、ふぅ、と息をつく。まるで充電しているみたいだ。

「今日は遅かったな」

「ごめん、電車が遅れて」

睦み合うようにキスを交わしながら、押し寄せる幸せにクラクラしてしまう。

そこで流されるか押し留まるかは、初音の腹のすき具合だった。初音の中で性欲と食欲はほとんど同ラインであり、直隆にいたっては圧倒的に性欲の方が上回る。

が、腹のすいた初音がどれほど不機嫌になるかは身をもって学んでいるので、ご飯を食べ終わるまでは大人しく待っているのだった。

 

直隆は初音がどんな仕事をしているのか知らない。

「日本橋山中屋で絵画を売っているの。油絵とか版画とか」

情事の後、初音はうつ伏せになって頬をついた。直隆は仰向けのまま、そのふっくらした唇をなでている。

「るのわーるとかぴかそとか、そういった類か」

「そこまで高名な画家じゃないよ。ほとんど無名に近い人が多い。有名な人もいるけど」

ほら、と初音が指を差した先には、小さな絵が掛けられている。ロバの親子が二匹、夕暮れを背に小道を行く絵だった。ロバや道は黒い影絵であり、夕日は対照的に真っ赤に燃えている。

「あの人の絵が好きなの」

「ほう」

「そういう、好きって気持ちを後押しするのが、あたしたちのお仕事」

まあ、生活必需品じゃないから、所詮は自己満足なんだろうけど。自己満足も必要だよね。

「お金と気持ちに余裕がないと、中々難しいし」

唇に当てられていた手を取って、初音は自分の頬に押し当てた。

「さて、仕事しなくちゃ」

甘ったるい雰囲気を見事に払いのけて、初音はがばりと起き上がった。そしてさっさと寝間着を着ると、カバンから資料を広げ始める。

「直隆、まぶしくて悪いけど、先に寝といてね」

先程とは打って変わった厳しい顔で、電卓をはじいたり、何かを書いている初音を、直隆は少し拗ねた気分で眺めている。

 

明日、いきなり店を訪ねて行ってみようか。

初音はどんな顔をするだろうか。

そんなことを思いながら、うつらうつらと眠りに落ちて行った。

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面白くない。むかつく。もう嫌。

 

売り場の片隅で洋子は深い息を吐いた。

店内ではカップルが仲良く絵を物色している。

きっと新居祝いか結婚祝いか、自分たちの家に飾る絵を選んでいるのだろう。

それでも、洋子は声もかけずに放置していた。どうせ、そんな金額は見込めない。

初音は店長会でいないし、篤も昼に出たばかりだ。

もう、こんな仕事、辞めようかなあ。

もともと、雰囲気で選んだだけなのだ。有名老舗百貨店、山中屋の絵画売り場で働いているというと、周りの反応はとても良い。

実際はとてつもない苦行だった。楽しいと思ったことは一度もない。

そして、売り場の勢いに乗れない苛立ちは、初音や篤を恨むことに変換された。

 

あの色ぼけババア。彼氏が出来たからって年甲斐もなく浮ついているんじゃねえ。

林田篤の馬鹿野郎。一度寝たくせに、何事もなかったような顔しやがって。

 

ああ、むしゃくしゃする。

もう一度、溜息をついたとき、若い男が一人、入ってきた。

背はそんなに高くないが均等のとれた体つきで、ジャケットの上からもしっかり筋肉が付いていることが分かる。顔もいい。

その男は誰かを探すように辺りを見渡していたが、洋子に気が付くとこちらに向かってきた。

何となく胸がときめく。

 

これは…これは運命の出会いか!?

 

「すまないが、木村初音はおられるか」

「えっ…? 今日は出勤してませんけど…」

男は不思議そうな顔をした。もしかして。

「あのう、店長の彼氏さんですか?」

端正な顔がうっすら赤くなる。

 

そうか。彼氏か。

 

洋子はにっこりと笑った。自分でも分かっているとっても可愛い笑顔で。

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「はい、お疲れー」

五つのジョッキがガチャガチャとぶつかりあう。

店長会の後、大概いくつかのグループに分かれて飲みに行くのが恒例であったが、初音は真っ直ぐ帰るつもりだった。

「一杯だけ付き合え」

と恩師の船橋に無理やり連行されて、今現在溜息をつきながらビールを流し込んでいる。

「今日もきつかったな〜」

「大体、本社のやり方がまずいんだよ。今時、現場に社員三名、アルバイト一名なんておかしいだろう」

「社長はそういうスタイルだからって頑なだしねぇ。その内、絶対潰れるわよ」

不満は一気に流れ出た。

「日本橋山中屋は、随分と調子がいいじゃねえか」

隣に座った船橋は、初音が入社したての頃の店長で、初音は色々なことをこの人から学んだ。真似することも、反面教師なことも。

「一時的なものですよ。今のうちに予算取っとかないと」

「噂なんだけどよ」

船橋は声を顰める。

「全国の山中屋から、六月に撤退するかもしれねえ」

「えっ…?」

初音は驚いて、船橋の髭の濃い顔を見た。

「まさか、そんな。上は今日、何も言わなかったじゃないですか。それに百貨店側も…」

「うちの常務が山中屋の幹部を怒らせたんだってさ」

あの親父か。癇の強い老人の顔を思い出して、初音は眉を寄せた。

「何があったか知らねえし、あくまでも可能性の問題だ。だが、覚悟はしておけ」

「……はい」

可能性の問題。クビになるかもしれない。

そうなったら、どうすればいいのか。取りあえず、雀の涙とはいえ退職金は出るだろう。貯金もある。雇用保険もある。

 

その先は――。

 

体がすうっと冷えた。

直隆に会いたい。無性に会いたい。

抱きしめてもらって、充電したい。

 

しかし息せき切って家に帰っても、誰もいなかった。

「直隆…?」

真っ暗な部屋に、自分の不安げな声がぽつりと消える。

「どこに行ったの…?」

 

 

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王道街道まっしぐら。
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コメント
天ヶ森雀さま:コメントありがとうございます。なにもかも不況が悪いんだ。(まめご)
…とかく世知辛い世の中ですな。そして反面教師の上司も確かにいます(笑)。初音ちゃん、頑張れ!(天ヶ森雀)
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