ミレニアム・アンデットデビル上4
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「・・・・・・。」

 気付くと、私は彼の口車に乗せられていた。

「じゃ、ジェットコースターいくぞ。」

 そうやって先陣を切って乗り気ではない3人を引っ張るのが、私が好きな男、佐津間俊である。

「はい。」

「わかりました。」

 双葉と妃子は俊の言葉を素直に受け取り、言われるままに後を追う。・・・・・・ちなみにこの二人はこれを『仕事』と認識しているのだろう。仮にも、男女が二人ずつの平均年齢17歳。周りから見れば立派なWデートに見えるのに、だ。

「・・・・・・。」

 

 俊君のことは、好きだ。それは当然異性としての見方であり、チームのリーダーだからとか、数々の伝説を持っているとか、そういうのは全く関係ない。

 私が12歳の時、気がつくといつも側に俊君がいた。

 12歳。

 それは思春期の真っ最中であるがそういうのよりも私にとってその年には様々な出来事が、いや、イベントが起きたというべきか・・・・・・

 ちなみに私がハプネスに入ったのも、そのもその年だ。

 ハプネスで中途入社、孤児ではなく、実力で入る者は限りなく少ない。それも、二十歳未満で戦闘知識0に等しいなら、それは尚更だ。

 その時、俊君は私に接触してきた。

 始めは新しいイベントに興味があるからだと思ったが、(ここでいうイベントとは中途入社)佐津間俊はそういう人間ではなかった。

 始め、私に簡単に近寄り積極的な態度から軽い男、と、認識したのだが、それは1ヶ月の時間を経て間違いと気付いた。

 俊は、自我を持った人間にしかコンタクトをとらない。

 自我とかいうと、大げさな印象かもしれないが、実際は大したことはない。自分をきちんと理解し、周りに合わせて行動し、優しくはなくてもある程度の情を持った人間のことだ。

 本当に、大したことではない。

 だが、ハプネスでは現にこの自我というものを持っている人間が少なかったのも確かな事実でもある。

 人が、人を殺す。

 ハプネスには、幼い頃から人を殺す勉強に訓練を強制的に学ばさせられていた。逆らう者は、創立以来一人しかいないらしい。一応、規則では逆らえば殺す、等と物騒なことではなく、ただ一般の施設に送られるだけである。

 なら、なぜ誰も逆らわないのか。

 答えは簡単。常識が判断できない、つまり分からないのである。

 現段階で、人を殺すか今までの裕福な暮らしを棄てるかと現代人に聞けば、特殊な人間以外裕福な暮らしを棄てるであろう。だが、ハプネスに所属する10分7は産まれた瞬間からハプネスにいる、孤児である。よって、一般的な常識等知るよしもなく、このハプネスという組織では自我を持つことの許されない人間が多数存在しているのだ。

 症状は人それぞれ、十人十色である。

 言葉を発しなくなった者、人を殺すことに快感を覚える者、後から学んだ一般教養で身に付いた知識で自分への罪の意識で押しつぶされる者。中には突然発狂してそのまま死に至る者まで。

 そういう中で、自我を保てる人間は少なく、自我を保っている人間通しでの交流は更に少なかった。それはやはり、互いの嫌悪感であろう。

 人を殺して生きていく自分を忌み嫌い、そして人を殺して生きていく相手を忌み嫌う。互いが互いを憎みあうが、自分自身も憎む。そこに、誰が悪いなど存在しない。

 俊は、そんな数少ない自我を保った人間の心を緩ませる存在だった。人の心を読むのが悪魔の用にズバ抜けていて、それでいて自分の感情は一切他人に見せないスタイルは、カリスマ性で溢れていた。それは当然だろう。人の悩みは聞いて、自分の弱みを一切見せ付けないその生き様は、その環境で育った者であるなら誰でも魅了し、俊の虜となる。

 欄が俊に惹かれた理由の一つがそのカリスマ性であろう。

 ちなみに、ハプネスで唯一反抗したのが、柳双葉であった。

 柳双葉は、任務を放棄するのは少なくない。いや、どちらかといえば多い。

 人を殺したくないとか言えばかっこいいし、あの人はいい人間だから仕事を選ぶとでも言えば優しさの一つぐらいは印象に残るであろう。だが、柳双葉はそのどれでもない。どんなに重要な任務でも、どんなに給料が良くても、どんなに偉い人間が来ても、一言で片付ける。

『めんどくさい。』

 身体の創りが違うからか分からないが、本人は何もかも気にせず我が道を行く唯我独尊(ゆいがどくそん)バカである。

 私が大嫌いな部分が全て融合して、

 私が大好きな部分が全て欠落する。

 それがこの男、柳双葉である。 

 

「ご機嫌斜めだな。」

「・・・・・・別に。」

 双葉が話し掛けてくる。否定はするが、欄のその見る物を全て凍りつくせそうな鋭い瞳は確かに不機嫌だった。

 先陣を切る俊はいつもと同じスタイルで、いつもと同じ表情。まあ、佐津間俊がどんな感情を抱いても、それを第三者が感知するのは不可能だ。

 その二歩後に続く双葉は何やらご機嫌な様子。双葉も私を嫌っているが、皮肉を言う人間ではない。実際いつも口喧嘩をしているきっかけは互いの態度が気に食わないというのが主なスタイルで、そもそも双葉が必要以外のことを口に出すこと事態なによりも機嫌が良い証拠である。

 私の隣にいる妃子は眼に私とは別の冷たさを秘めており、こちらは人を近づけるのを拒む印象を与える。言い方を変えれば、

 ただのマネキンだ。

「・・・・・・。」

 妃子は、私のわがままでこのチームに入れた。

 そしてそれは、当然妃子がこうなると分かっていた。

 私の、エゴであった。

 妃子をチームに入れた理由は幾つかある。

 一つは、仕事の内容が増えすぎて、誰も家事をやらなくなったことだ。脱いだ洗濯物捨て、帰りにデパートに寄り新しい衣類を購入してくる。当然、毎日足を運ぶのであればあまり時間も労力も変わらないので、月単位でまとめ買いをする。荷物の運送は引越しやに頼み、本当に誰も自分では何もしない。だが俊君だけは洗濯をする。女である私は流石に自分の下着を好きな人に洗濯させるのは気が引けるし、双葉は汗をかかない体質なので服が汚れることも無ければ匂いが気になることもない。かなり、反則だ。

 食事の面でも私は毎日外食で、俊君はいつも野菜を水で洗い、丸かじり。双葉は飯を1ヶ月食べなくても生きていけるらしく、双葉が食事をしているのを妃子が来てから初めて見た程だ。(牛乳を除く)

 二つ目は、やはり一つ屋根の下に男が二人、女が一人ということで肩身が狭かったというのもあるのだろう。これは、完全に私のエゴだ。

 その他にも、人と壁を作ってきた妃子が唯一心を開いていた母親の死。そこを利用したという点もあるし、社交性の低い妃子は一般人にしてはかなりこういう仕事に順応性が高いと評価したというのもある。まだまだ家事が上手いからとか、数えればキリがない。

 だが、

 

「・・・・・・。」

 心をどこかに置いてきたような、そんな妃子という人間の形をした物体はただ俊君の後ろに着いていく。

 命令された、もしくは飼いならされた犬である。

 

 このチームに所属する立場からすれば、妃子の加入はとても有り難い。・・・・・・だが、本心は後悔の嵐である。

 あのまま母親の死を迎えさせ、厳しいながらもその環境で生き抜くことが良いのか?又は唯一慕っていた母親の命を助ける代わりにここで精神崩壊させ、廃人にしたほうが良いのか?

 それともここで母親と共にこっそり逃がしてあげるのが良いのか?だが、この場合は恐らく双葉が妃子を片付けに来る。俊と双葉は金では動かない。俊君は私達と一緒に居られれば満足らしいが、双葉は違う。双葉はこの仕事に絶対的なプライド持っている。双葉個人としてのアンデット・ファラオとしても、チーム、ミレニアム・アンデットデビルの一員としてもだ。そんな双葉は妃子がチームを抜けるという情報が耳に入った瞬間、ミレニアム・アンデットデビルの名が汚れたとでもいい、妃子を母親もろともこの世界から消し去るだろう。

 

 アトラクションを乗り終え、現地解散となった。

 当然、妃子には終始笑みが生まれることは無い。

 

 俊君は遊園地に忘れ物らしく、双葉は深夜からの任務の準備でこの場を去った。残ったのは、必然的に女子二人。

 二人は入場ゲートで立ち荒(す)んでいた。

 妃子は相変わらず機械のように立っていて、それは立つという動物的な言葉よりも待機しているといったほうが適切だ。

「ねえ、一緒に帰ろっか?」

 双葉に見られたら間違いなく茶化されるぐらいの、甘い、それでいて自分なりの精一杯の優しい声をかけた。だが、

「はい。」

 返ってきたのは、ビジネスと割り切った事務的な用語。もしこれがただの部下だとしたら特に意識はしないが、今、妃子と欄の二人きりでまだ仕事として割り切られているのは、とても悲しかった。・・・・・・だが、私には怒る権利もなければ、当然、何かを指摘できるわけがない。だけど、 

「・・・・・・ね、これから二人きりの時はタメ口でいいよ。敬語なんて、堅苦しいから。」

 私は踏み込んだ。この、閉ざされた心の隙間に、足を入れたのだ。

「欄さんって・・・・・・おもしろいですね。」

 それは、決して友好的な言葉でなかった。妃子の一日中死んでいたいた瞳にこの瞬間、光が差し込んだ。いや、これは光というより炎に近い。何度か、見たことがある。人間を、心の底から憎いと思った時だけに見せる、紅の、瞳。

「私をこのチームに入れようと、それまでは人を寄せ付けないクールで、女の私が嫉妬する程美しかった欄さんが、今、私がこんな心境になったら優しくしてくれる。・・・・・・面白いですね。」「・・・・・・。」

「一応、感謝はしています。母が今生きているのは欄さんのおかげですし、あの二人と違い私のことを丁寧に扱ってくれる。道具としてではなく、川越妃子として。・・・・・でもね、余計、苦しいんです。」

 欄は一呼吸置いてから、妃子に向かって言い放った。

「今の私の立場から言えることじゃないけど、これでも一応、心配してるの。この感覚に慣れろ、なんて言葉がおかしいけど、嫌な時や休みたい時は、出来れば私に相談してほしい。」

「・・・・・・。」

 妃子の瞳に宿る炎が、徐々に和らいでいく。

「責任感、というのも正直、ある。でも、私は弱っていくあなたを正直、見たくないのよ。」

 妃子の表情は無表情に戻ったが、それは初日以来の感情を殺している顔つきではなく、ただ単に無愛想な妃子、本来の姿である。

「・・・・・・。」

「・・・・・・なんて、あなたの人生滅茶苦茶にした私が言えた義理じゃないけどね。でもね、これだけは、出来れば約束してほしいな。」

 ここで初めて妃子は欄の顔を正面から見据えた。

「本当に困った時は、私に言って。出来る限りのことはなんとかする!」

 強く妃子の肩を掴むと、今まで着けていた妃子の仮面の奥の素顔が、少し見えた。

「・・・・・・ん。」

 首をゆっくり縦に振ってくれた。

 ・・・・・嬉しかった。自分を信頼してくれたということもあるが、今までの自分の行動が間違っていないと肯定してくれたことだ。

 

 だが、一番の喜びは何よりもこんな自分を少しでもいいから人に理解してもらえたということであろう。 

 

「・・・・・・いきなりは無理だけど、そのうち、タメ口で話せるように頑張ります。」

 その言葉を聞いた途端、衝動的に欄は妃子の手を握っていた。

「・・・・・・ありがとう。」

 一瞬、泣きそうになったが、それは今までの意地とプライドでなんとか堪えた。こんなところで泣いたら、また双葉にバカにされてしまう。

 

 とりあえず一緒に屋敷に向かおうとしたら、妃子はトイレに行くらしく、再び遊園地に入っていった。欄はそこで待ち、今日やる予定だった3人の今月分の給料の精算する。

 人前で指からディスプレイを作るのは流石に気が引けるので、普段使わない欄の左目、テクノ・アイを使って作業を始める。キーボードはいらず、欄は自らの意思で文字を入力し、データ上に並べることが可能なのだ。

 作業を開始して30秒。まだ、妃子が来るには時間がかかるだろうと思った時、緊急用の通信が左目に情報をよこした。

 それは、緑色に映し出される空間に、無数に存在する赤い光。そのうちの一つが点滅し、やがて、消えた。

「―――っ!」

 そんな、バカな。

 赤い光の点滅。それは、『人間の死』を意味している。緑色の線の集結がこの区域のマップであり、その上に無数に存在する赤い点が、人間の存在である。欄の周囲500メートルで人間が命を失うと、緊急回線を通り欄の左目に現状を教えてくれるのだ。

 普段、町を歩いていると、3日に1回はこういう現象が起こる。だが、それは殆どが老衰であったり、半径500メートルに病院があったりと、特に実用性が低い機能であった。だが、今回は違う。その場所は、

 

 欄の真後ろの、遊園地であったからである。

 

「・・・・・・くっ!」

 欄、本人は気付いていないが、この焦りという感情は17年の人生で初めて体験した出来事であったのだ。

 まさか、・・・・・・まさか!

 隠密性0の俊敏でただ速いだけの走りで、遊園地へと切り替えし、風の様に走り去っていった。

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 その後は、最悪だった。

 不幸中の幸いは、死んだ人間は妃子ではなく、栗山貞夫という、全く関係のない中年の高年者だった。

 いや、関係は、大いにあった。妃子を含めるミレニアム・アンデットデビルとの個々人の関係は0だが、この栗山貞夫という人物は私のデータベースにランクDとして載っていた。俊君と双葉の仕事の内容、及びターゲットからその住所や特徴まで私は管理りている。

 そこでは、その二人の仕事のターゲットでは無かった。・・・・・・当たり前だ。人が目の前で死ぬというのなら、わざわざ妃子を連れて行くわけがないし、仕事の内容を妃子に伝えることもしない。ならば、他の誰かが殺したのかというと、そうではない。

 ―――魔瞬殺。

 本当に、人の命を悪魔のようなスピードで刈り取るライフルの扱いは、天才を超えて本当に悪魔に近い。そう、佐津間俊こそ、今回の殺人の容疑者なのだ。

 仕事ではない。それはデータを見ればすぐに分かる。私のデータというのは、ただ入力するだけのメモ帳ではない。日本中の光を使った電子器具の内容、そして、そのNETを繋いだ物質なら、エリア内の全てのアクセス権を握る。つまり、ここでいうデータというのは、この日の丸にある全てのパソコンから、携帯パソコンまでの通信機器、全てである。

 そうなると、俊君はプライベートでの殺人になるが、私の知っている佐津間俊という人物はそういうことをする人間ではない。神がかりな才能を持ちながら、必要以外は虫を殺すことさえ躊躇う人間。・・・・・・だが、それも演技だという可能性がある。佐津間俊の心は、完全に閉ざされている。妃子のような感情を投げ出すという意味ではなければ、双葉みたいに自分以外は道具という考えでもない。

 ただ、自分の感情を外に曝(さら)け出さない、それだけである。

 今まで考えた事はなかったが、自分が利用されている可能性もあるし、俊にとってあれだけ信頼している双葉さえも、統べて演技だという推測もできる。

 そうやって、自分が好きな人を疑っていた時、面白い情報が私の右目に流れてきた。

【栗山貞夫/ランクD/報酬1億/宗教を創り信者を増やして利益を膨大に増やした男】

 それは、ハプネスのデータバンクからだった。

 流石に天下のハプネスというだけはあって、情報の漏洩(ろうえい)にかかる時間が半端なく長い。あのデビル・ウイルスが2時間も要するセキリティなんて、世界中探してもここぐらいであろう。

 つまり、ハプネスはNETを通じずに俊君に依頼を頼んだということになる。そして、それを承諾した。・・・・・・ということになる。

 ・・・・・・何故?

 俊君は、ああ見えて多忙の身だ。

 自分の仕事をおろそかにすることはないが、他の仕事に手を出す程暇なわけでもない。お金を稼ぐ必要も全くなく、そもそも俊は金に対する欲が、かなり薄い。それで、俊が仕事を引き受けた理由といえば直接本人から頼まれたに違いない。

 そして、その話を持ってきそうな人物は、欄の知っている人間が一人。

 

「あの、タヌキめっ!」

 自宅で、枕をデスクトップ型パソコンに向かって投げつけた。なぜ未だにデスクトップを使うかというと、単に欄一人ではデータ容量が間に合わないのだ。テラバイト式の携帯パソコンを更に圧縮して、それを重ねて作り出したのが、この欄の部屋にあるデスクトップ式のマザーコンピューターである。

「・・・・・・。」

 何?何で、こういうタイミングで事が起きるの?

「・・・・・・。」

 自室のベットの上でM字に座りながら布団の端を小さい口で噛み付く。

 そして、同じポーズで5分。

「ああああああああ!何でこうなるのよ!」

 いきなり切れ出す欄。だが、それは仕方がない。あんなことがあった後では。

 

 

「妃子・・・妃子!いたら、いたら返事をして!」

 必死に死体に集まる野次馬を押しのけ妃子を探す欄。テクノ・アイを使えば一発で分かるのだが、感情的になると人間、思考が回らない。

 そして妃子はその野次馬の中にいた。

「妃子・・・・・・・。」

 心の底から、安堵する。今気付いたのだが、もう妃子は欄にとって立派な家族の一員として、かけがえのない存在になっているということを。

「・・・・・・。」

 欄には目もくれず、ただ、1分前までは生きていたであろう老人を見つめていた。

 凍りの瞳で。

「あ・・・・・・」

 言葉が、出ない。この状況で、かける言葉が見つかるはずもない。無理矢理この場から引っ張り出し、犬の死体の様に「汚いもの見たらだめよ」とか言ってしまった瞬間に、何かが音を立てて崩れ落ちるだろう。まあそんな薄情な科白(せりふ)は双葉しか言わない。だが、ここで男の死体を見させることは、妃子の為にならない。

 だがそれは・・・・・・間違っていないのだろうか?

「・・・・・・欄さん。」

 凍りの瞳を死体に向けたまま、妃子は呟いた。

「まるで・・・・・・轢かれた野良猫みたいですね。」

 その言葉と、表情。共に感情は宿ってはいなかった。

「・・・・・・。」

 私は、妃子の気持ちではなく、自分の欲求優先した。

 居心地が、悪い。 

 たったそれだけの理由で、私は妃子を置いてその場から逃げ出したのだ。

 

 

 

「・・・・・・うう、」

 ベットで横になる欄は、未だに布団の端に噛み付いていた。う〜う〜唸ると、静かになり、再びうめきだす。その繰り返しだった。

 悲しんでいるというよりも、理不尽さに対する怒りだ。事態が悪化しても、そこに怒りをぶつけるものが無ければやるせない気持ちになる。欄は物事に執着心が強く、何事も原因を追求しないと気が済まない性格なのである。普段演じている大人びた姿はただの作り物で、本来欄には意外と子供っぽい部分があったのだ。

 

 

 やっぱり、今日の原因は俊君。それは分かった。だが、それを悪いとしても・・・・・・仕方がない。いつか、私達が人の命を奪うということを真正面から見てくればければならない日が来る。それはいつかは分からないが、その日は遠くないだろう。

 ・・・・・・といっても、しっくりこない点が一つある。

 

 そう、それは何故ハプネスがわざわざランクDの仕事を俊に頼んだのか?

 

 ・・・・・・ハプネスの組織の分野を四つに分けるとこうなる。狙撃、暗殺、兵器、情報である。狙撃手世界一の俊や人間兵器とまで呼ばれる双葉はやはり、人を殺すという部分では並みの人間とは比にならない。デビルウイルスとまで詠(うた)われた私を含め、各部門のトップが3人抜けたのは確かにハプネスにも辛いであろう。

 だが、Dレベルの人物の始末を俊に頼むのは、明らかにおかしい。

 ハプネスは、遠慮がちに見ても世界でトップ3には入る膨大な組織だ。確かに私達が抜けた穴は大きいが、それでもAランクの殺し屋は何人かいる。決して外に回す程の大仕事ではないだろう。

 少し失礼な言い方だが、ハプネスは基本的に暇だ。私がやっていた情報処理はまあそれなりに忙しいとしても、皆が皆毎日人を殺しに行くわけがないだろう。

 つまり何が言いたいのかというと、つじつまが合わないのだ。

 世界最高峰のハプネスが何故仕事を外に出すのか?

 基本的に人を殺したがらない俊君が何故栗山貞夫を殺したのか?

 そもそもこれは仕組まれた出来事なのか? 

 そして一番の不可解は、この時代でNETを使わずに情報を交換したということだ。これは、間違いなく欄の耳に入らないよう組まれている事件。依頼者の意図は知らずとも、その人物は欄に細心の注意を払っているのが分かる。

 

「う〜う〜う〜う〜」

 とうについてしまった歯型はさらに深く、布団に染み付いていくだろう。

 誰も居ない自分の部屋で呻くのは、恥ずかしいという感情の一つも湧かない。だが、その空間には欄一人ではなかった。

「大丈夫かい、欄?」 

「う〜う〜う〜う〜」

 未だ呻きは止まらない。集中している意識は内部を駆け回り、現実での情報が欠落しているのだ。

「・・・・・・欄?」

「う〜う〜う〜う〜」

 考えてもこればかりは分からない。

「う〜う〜う〜・・・・・・ふう。」

 とりあえず喉が渇いたので、ミネラルウォータに手を伸ばそうとベットから180度振り返ると・・・・・・、

「・・・・・・きゃ!」

 俊君がいつもの細い狐目で欄の一部始終を眺めていた。俊はドアの前に座り込んでいて、まるで出来の悪い座敷童だ。

「・・・・・・体内のアップロード(データの更新)かい?」

 あのポーカーフェイス、佐津間俊が頬を引きつりながらも質問をしてくる。

 ・・・・・・仮面を被ったような俊の表情が崩れたのはこれが初めてだったが、どうせ崩れるならこういう形ではなく、ドラマみたいに純粋な笑顔を見たかった。

「あ、あはは、そんな感じ。」

 慌てて誤魔化すが、欄の演技力ではバレバレであろう。俊だからというわけではなく、誰が見てもあからさまな嘘だった。そんな欄を見て俊はため息を漏らした。

「ま・・・・・・いいけどね。で、ちょっと聞きたいことがるんだけど。」

「は、ははは、えっと、何?」

 笑いを引きつって自分の失態を隠すのはかなり露骨に見える。

「川越さん、今どこにいるか教えてくれないか?」

 ピク。

 俊の一言で正気を取り戻した。途端、勝手に口が開く。

「俊君は・・・・・・何でハプネスからの依頼を受けたの?」

 かまをかけたように聞こえるかも知れないが、ここまでは確かな推測であった。もし、これで俊が違うとでも言えば、終わってしまうだろう。

 俊は自分の内面を見せなくても、嘘はつかない。もし、ここで俊が違うとでも言ったのなら、双葉や欄を好きだというのも嘘になり、この関係は崩れてしまう。

 そう、一歩間違えればこのチームは終わってしまうのだ。

 俊は至って平然に言い切った。

「妃子が勘違いしないためだ。」

「・・・・・何を?」

 俊は苦笑してから続けた。

「この前、オレが双葉に甘いって欄は言ったよね?」

 欄の質問には答えず話の主導権を握られた。

「ええ。」

「欄もさ、川越さんに甘いのは自覚してるよね?」

 一瞬戸惑ったが、下手な嘘や繕いは俊には逆効果なので、ここは素直に答えた。

「・・・・・・ええ。」

「川越さんにとって、現時点で悪者は双葉だけだ。・・・・・・オレが双葉に甘い、甘くない、関係無しに、このチームの現状をありのまま伝える必要がある。」

 このチームのリーダーとして、と一言付け加えた。

「欄が妃子を甘やかすのは、悪いことじゃない。むしろいいことだ。川越さんは元々いい性格だし、優しく接してあげれば心を開くのも時間の問題だろう。」

「・・・・・・。」

「だけど、今の現状を直視できなければ川越さんとの関係はいつまでも平行のまま、雇い側と雇われ側の関係のままなんだ。」

「でもっ・・・・・・、」

「ああ、本当に心に傷を負ってしまっては、もう人形になるかもな。」

 言葉を遮って俊は言い放った。

「・・・・・・っ!」

 そんな言い方!・・・・・・という言葉は、出てこなかった。それを言ってしまっては、妃子との深い溝を一生埋められなくなることを理解しているからだ。

「場所を教えてくれ。今からそれを確かめに行く。欄が川越さんのことを慕うからこそ、今言い切る必要がある。」   

 この言葉を胸の中で繰り返しながら、ゆっくりと目を閉じた。

 俊君はいつだって厳しい。いつだって非常だ。・・・・・・でも、本当に正しいのは自分ではなく、俊君であろう。

 人の居場所は一度見た人間なら波長のパターンを電子に変えてチェックしているので、世界中のどこにいようと欄は居場所を特定できる。

「・・・・・・翔林公園にいるわ。」

「ありがとう。」

 俊はすぐに立ち上がり、欄に背を向けた。

「ねえ、もし妃子が辞めるって言ったら、どうするの?」

「どうもしない。辞めてもらうだけだ。」

「そうじゃなくて!」

 欄は飛びつくように俊の背中を掴んで、身体をこちら側に向けさせた。

「辞めるなら・・・・・・母親はどうするの?」

 まるですがりつく子犬だが、そんなことは言っていられない。人が死ぬからではない。家族が死ぬのだ。妃子は、欄にとってこの短期間でもうミレニアム・アンデットデビルの一員なのだ。

「それこそどうもしない。とりあえず手術は終わったからあとはリハビリをして退院するだけだ。身体が回復したらまた川越さんと一緒に暮らすだろう。」

 何でもないように平然と、言い放つ。それを聞いて、心から安心している自分と、寂しさは訴える自分がいた。

 多分、妃子はもう帰ってこない。

 母親の命が助かるなら、もう自分たちと一緒にいる理由なんて何一つ無いからだ。

「・・・・・・そっか。」

 そっと、俊の肩から手を離した。

 確かに、これ以上妃子に情が移ってからよりは、今のうちに離れた方がいいだろう。

「じゃ、行ってくる。多分今日は川越さん、働けないと思うから、夕飯は何か出前でも頼んでくれ。」

 そして、ゆっくりとドアは閉まって、再び一人になった。

「・・・・・ねえ、最後に、一つ聞いていい?」

「・・・・・ん?」

 独り言でもいいと思った問いは、ドア越しに帰ってきた。

「わざわざ、妃子に死体を見せなきゃいけなかったの?」

 怒っているわけではないし、悲しいわけでもない。ただ、一人になると寂しいので、こうやって俊と会話して寂しさを少しでも紛らわそうとしているのだろう。

「・・・・・・いや、それは完全にオレのミスだ。オレも2分前までは妃子が死体を目撃したなんて知らなかったからな。」

「・・・・・・え?」

 思わずドアを開けて再度俊と顔を合わせる。だが、その表情から何かを分析するのは不可能だった。

「本当は殺す瞬間を見せるんじゃなく、オレが殺したという事実を新聞でも携帯パソコンでも情報として伝えたかっただけだ。今はまだ、妃子の精神状態が不安定になるだけだからな。」「・・・・・・ならさ、」

 一つ、疑問が浮かんだ。

「何で俊君は妃子がその場所に居合わせたことを知ったのが、2分前なの?」

 この違和感は、少しおかしい。もし俊君が一つでも嘘をついているのなら、今までの話は欄の中で全て嘘になってしまう。だから、この違和感の正体は絶対に掴まなきゃいけない。

 だが、その俊もきょとん、と、少し意外そうな表情をした。

「双葉から聞いたんだが・・・・・・一緒に帰ったんじゃないのか?」

「――――――」

 

『自分は今日、深夜に依頼が一つあるんですけど・・・・・・?』  

 

 俊君の言うことが正しいなら、今日は仕事ではなく双葉はまだこの屋敷にいる可能性が高い。

「・・・・・・オレ、行くけど・・・・・・大丈夫か?」

 放心状態の欄の目の前で手を横に振るが、視界がぼんやりして欄は気付いていなかった。

「え、ええ。大丈夫!行ってらっしゃい。」

「・・・・・・?」

 首を傾げながらも俊は足音一つ残さずこの屋敷から出て行った。

 そして欄は、

「あの・・・・・・馬鹿・・・・・・・」

 こちらは足音をドスドスと不機嫌な歩調で、双葉の部屋に向かっていった。

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「そうはあああああああ!」

 ドアを思いっきり開け、勢いよく入っていった。鍵はかかってないらしい。

「・・・・・・。」

 双葉は平然とグロッキー帳を広げ、机の上に乗せてあったリンゴの絵を鉛筆を滑らしながら描いていた。

「あんた、何で妃子が死体を目撃したこと知ってるのよ!」

「・・・・・・。」

 目もくれずに双葉は描きだしたリンゴに6B鉛筆で影をつけている。その傍若無人というか、常識を外れた露骨な態度に、欄はモデルであるリンゴを蹴っ飛ばした。

「何か行ったらどうなの!」

「・・・・・・いちいち、」

 腰をあげると、転がっていったリンゴを拾って先程の場所に戻した。

「何がいちいちよ!私の質問に・・・・・・・、」

「だああああああ!いちいちうるせんだよてめえは!部屋でああああああ!とか馬鹿みたいに絶叫したと思ったら、今度はどっかの蛙みたいにう〜う〜呻いて、最後はこのオレの部屋にまで入ってきやがって!なんなんだてめえ!発狂でもしたか!」

 敵意を剥き出しにして目の前にやってくる。双葉は身長が低いので、どんな状態でも欄は見下す立場だ。

「発狂なんてしてないわよ!そんなことより、だから何であんたは妃子が遊園地で死体を見たことを知ってるのよ!」

「黙れ整形ブス!その最新式のコンピュータ使っててめえで調べろ!それともお前が浸けてる便所の臭い香水で頭がやられたか!?」

「誰が整形ブスよ!大体このフリーズアローンは3万したのよ!それが臭いとかいうのはあんたみたいなお子ちゃまだけよ!だからあんたは頭もおつむも身長も足りないのよ!」

 話がずれていく。

「うるせえ!人の部屋にノックもなしに入ってくる無礼者よか頭もおつむもマシだ!この身長はこういう体質のせいで成長が遅いだけだ!こんな所に来るぐらいなら俊さんの尻でも追っかけてろ!この変態発情メス犬が!」

「私がいつ発情した!そもそも私が俊君を好きなのは立派な恋で愛という現象なの!あんたみたいな人の気持ちも理解できない思春期もまだ来てない餓鬼が私と俊君の関係に首を突っ込むな!」

 話がどんどんずれていく・・・・・・。

「はん!てめえみたいに365日が発情期の女が愛とか口にすんじゃねえ!おえええええ!あ〜〜、吐きそうだ。」

 ぶちっ。自分の額から血管の切れる音が聞こえた。

「・・・・・・言ったわね。」

 薄い笑いを浮かべながら、一歩づつゆっくりと双葉に歩み寄っていく。それに対し、双葉は両手を広げ、欄を挑発する。

「俺が女を殴らないとでも思うのか?俊さんの前ならともかく、今は時と場と身分と臭いをわきまえるんだな。」

 この言葉が、ゴングとなった。

 

 

「はっ・・・・・・はっ・・・・・・はっ・・・・・・!」

 30分間の取っ組み合いで変わったのは、ただ欄の体力が消耗しただけだった。

「てめえ、本当に馬鹿だな。俺に勝てるんだったら俺がこのチームにいる意味がないだろ。」

「っ・・・・・・!」

 鋭い眼光を双葉に放つが、この少年は絶対にそんな脅しには動じない。命の危機というものが無い双葉は、恐怖心というものを持ち合わせていない。

「なあ、てめえは何であの一般人の女に必死になれる?」

「・・・・・・。」

 体力に限界がきて、双葉に跪(ひざまず)く体勢になっている。

「ほら、無言だろ。なら、俺もお前に何も教える義理はねえ。」

「・・・・・・何よ、私が答えたらあんたも私の質問に答えるの?」

 力無く言うが、その問いに、意外にも双葉は首を縦に振った。

 ならば、ここは情報交換ということで素直に双葉の言う事に従うのが妥当であろう。・・・・・・どんな形にせよ、双葉のいいなりになるのは癪だが、この際贅沢は言ってられない。

 欄はそのまま跪いた体勢で、口を開いた。

「妃子は、ミレニアム・アンデットデビルの一員なのよ。」

「違う。」

 言葉を言い切るか際どいタイミングで、双葉は言い放った。

「俊さんはこのチームのリーダーで、このオレが唯一尊敬するお方だ。そしてオレは絶対に死なない身体を持つ柳双葉だ。お前もデビルウイルスとまで言われ、言わば俺達3人はこの世界のトップに立つ存在、エリートの中のエリートになる存在だ。」

「・・・・・・何がいいたいの?」

 その欄の問いに、双葉は鼻で笑った。

「簡単だ。一応、てめえも含めてこのチームは成り立っている。だが、あの女は違う。」

「・・・・・・。」

「代わりは、幾らでもいるってことだ。」

 無表情で言い放つ双葉に、欄は再び飛び掛っていた。

「あんたねえ!」

 そう言って手を振りかぶった途端、双葉の小さい手から放たれる張り手は欄の腹部に命中し、有無を言わさず部屋の隅まで飛ばされた。5メートルは宙を舞い、壁に激しく頭を強打すると呼吸が出来なくなってた。

「・・・・・・この・・・・・・取り消せ・・・・・・・妃子は・・・・・・・・・・・・、」

 欄は腹を抑えながらも地面を這いながら双葉に近づいてくる。

「・・・・・・何なんだてめえ?何でそんなに女一人のためにここまでできる?・・・・・・・寂しいのか?」

「・・・・・・・・・・・・・・うる、さい・・・・・・・人を大切に、・・・・・・・・思う、気持ちに、」

 ゆっくりと起き上がり、渾身(こんしん)の力で叫んだ。

「理由なんてないっ!」

「・・・・・・。」

 欄の迫力に怯んだのか、双葉は一瞬固まっていた。だがそれも一瞬で、すぐに鼻で笑い飛ばした。しかしそこには先程の侮蔑の態度は微塵にも混じってなかった。ただ、観念したかのように、素直になれない自分を誤魔化す動作の一つなのかもしれない。

「・・・・・・俺が、妃子が死体を目撃したことを何で知ってるのか知りたいんだろ?」

 照れ隠しなのか、そっぽ向きながら欄のいる場所に迫っていった。

 双葉・・・・・・・。

 双葉と知り合って初めて優しい一面を見たからか、欄は少し、感動した。

 チームの人間以外に関心を抱かず、私達以外の人間を全て電柱だと思い込んでいる双葉が、妃子に関心を抱いてくれたのだ。

「教えてやるよ。」

 そういいながら、欄に足を差し出した。手ではなく、足を。

「・・・・・・??」

 意味が分からず、首を傾げる。

「舐めろ。そしたら教えてやる。」

 だが、そこにいる柳双葉はいつもと同じで、その表情はハラペコの金魚に餌をあげ、それに食いつく姿を見ながら「下等生物が。」とでもいいたそうな程、腐っていた。

「―――――っふ、」

 先程まで指一本動かすのもきつかったのに、今ではスムーズに身体が言う事を聞く。

 人を治す一番の薬は、生命力と強い憎しみであるということを欄は学んだ。

 そして、人間はそう簡単に変わらないというのも分かった。

 ・・・・・・今、第二ラウンドが始まった――――

 

 

「はっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・、」

 もう本当に死ぬかもしれない。冗談抜きで、ヤバイ!

「ほんと学習能力ないな。」

 双葉はしれっと言い放つと、もう欄に興味を失ったのか、再びグロッキー帳を持ちながら鉛筆を構えた。欄は床に転がっている。

「・・・・・・。」

「はっ・・・・・・・・はっ・・・・・・はっ・・・・・」

 しゅ、しゅ、鉛筆が走る音と欄の吐息だけが部屋に響き渡る。

「・・・・・・。」

「はっ・・・・はっ・・・・はっ・・・・はっ・・・」

 しゅ、しゅ、

「・・・・・・。」

 しゅ・・・・・・・

 双葉の眉がピクリと動いた。とても耳障りらしい。

「はっ・・・はっ・・・はっ・・・はっ・・・はっ」

「うるせえ!出て行け整形ブス!」

 堪忍袋が切れたのか、欄の着ているTシャツの襟を掴んで部屋の外に投げ出した。欄はバスケットボールに近いバウンドをして、廊下に追い出された。

「俊さんが来たら俺が何か言われるんだから、早く部屋に行けよ。それと、次叫んだらマジで殺すからな。」

 それだけ言い切り、ドアを閉めようとノブに手を掛けると、

「・・・・・・・ねえ、妃子が辞めるって・・・・・・言ったら・・・・・・どうする?」

 焦点の合わない瞳で双葉を地面の上から眺める。

「どうもしねえ。あっそうですか?って感じ。」

「・・・・・・殺さないの?」

「・・・・・・。」

 何かに気付いたかのように、双葉は欄を侮蔑した。

「・・・・・・殺せねえよ。」

 忌々しそうに呟くと、扉は閉ざされていった。

-4ページ-

 夜、就寝の準備をしていると、ドアをノックする音に気がついた。欄は取り替えたシーツをピンと伸ばしてから、ドアを開けた。時刻は既に深夜を回っており、人が来るには少し失礼な時間帯であった。

 だが、なんとんく誰かは分かっていた

 俊君が、妃子の状態を一秒でも早く伝えるためにやってきたのであろう。パジャマ姿でドアを開けたが、欄の予想は見事に裏切られた。

 ドアの前にいたのは、川越妃子であった。

「こんばんわ。」

「・・・・・・ええ、こんばんわ。」

 一呼吸置いてから、挨拶に答えられた。妃子を部屋に招くが、それは断られた。

「さっき、佐津間さんとお話したんですよ。」

 廊下と部屋の中心で妃子は語る。

「・・・・・・。」

「それで私、ここで働いていこうと決めました。」

 少しだけ明るい表情を見せるが、それは出来の悪い作り物の表情。

「・・・・・・大丈夫?」

 この子を慰める立場ではないのに声をかけてしまう。これは家族としてではなく、チームとしてでもない。組織としての、社交辞令であることを欄は自覚していた。

「はい。もう決心がつきましたから、大丈夫です。」

 可愛い笑顔と拳でガッツポーズを作る。

 痛い程の、嘘を作る。

「・・・・・・そう、」

 もう、溝はできてしまった。決して埋められない、ビジネス以上では接しられない深い溝が。「佐津間さんに伝えて下さい。先程は失礼しました、って。」

「わかったわ。」

 早々会話を切り上げることにした。

 もう、妃子との会話が苦痛としか思えない自分が痛い。

「それだけです。夜分遅くすみませんでした。」

 頭を下げると、妃子はゆっくりと去っていった。

「・・・・・・。」

 もう、全て無駄になった後なのね。

 川越妃子は、もう帰ってこない。

 あれは、よくできた操り人形だ。

 そして、一つの命を人形に変えるきっかけを作ったのは、この私。

 人形に変え、糸で吊るし上げたのも、私。

 人形となった最後の命を消したのは私ではないが、それも時間の問題。早かれ遅かれこういう結果は見えていた。

「・・・・・・。」

 私は、人を殺したことがなかった。

 だが、それをいつも間近で見つめていた。

 怖いとは、思わなかった。

 私は、一度死んでいるから。

 そして今日、

 私は結果的に一人の少女を殺してしまった。

 飼い殺し。

「・・・・・・。」

 つう、頬から滑り落ちる、今の欄にはあまりにも残酷な涙が流れた。

「・・・・・・ねえ、」

 

 私は、泣く権利があるのかしら――――?

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