「これはお礼」 アイマス二次創作SS |
「伊織、まだ練習してたの?」
「アンタこそ今まで事務仕事してたんじゃないの?」
レッスン室の鏡越しに律子は踊っている伊織と目が合って呆然とする。
そういう会話をしながらも彼女はダンスを止めず、曲の終わりまで踊り切った後にまた最初のポジションとして印が入れてある場所に戻り、音楽のプレイヤーから流れてきた前奏に合わせてリズムを取り始める。
「律子、ちょっと見ててくれないかしら」
伊織の真剣な表情に律子は声を出さずにうなずく。
練習として流すような感じではなく、その動作は本番もしくはそれに近い状況を想定しているようなダンスだ。
声には出さないものの唇は流れている歌に合わせて動いている。
室内に響いているせいかプレイヤーのスピーカーから流れているものなのか彼女の口から流れ出ているものなのかわからなくなる。
そして、鏡に映る彼女の表情は輝くばかりの笑顔。
作ったものにも見えるし、自然にこぼれたものにも見える。そこにあるのはまさしくアイドルの笑顔なのだと律子には思えた。
彼女はアイドル。しかもトップになるべくして生まれたアイドルだ。
律子はそのことを痛感させられながらも伊織のダンスを最後まで見つめていた。評価するといった感じではない、何か気づいた良い点があればそれを盗んでやろうという気持ちで。
伊織の頬が上気し、汗が顔の表面を伝っている。
そして、曲が終わる。
肩で息をして、鏡越しで彼女が律子に向かって笑いかけてきた。
しかし、次の瞬間には疲れ果てた表情でフロアに倒れ込んだ。
「伊織!?」
「さすがにぶっ通しで踊ってて、ちょっと本気出すと疲れるわね」
「当たり前でしょ、心配させないでよ」
「にひひっ。律子、こっちにきて起こして。このままだと美希みたいに眠っちゃいそう」
倒れたまま目を閉じてしまう伊織に律子は近づく。
律子がそばまで行って伊織の顔を見下ろしてみると、まるで眠ってしまったような表情だ。先ほどまでのアイドルの表情はどこへやら歳相応のあどけなさしかない。
「そのまま寝たら風邪ひくわよ」
「じゃあ、汗を拭いて」
鏡のほうにあるタオルを指差し、目を閉じたまま唇だけ笑みを形作る。
はいはいと応えつつ、それを取ってまた伊織のところに戻る。
タオルで拭ける場所なんて顔か髪ぐらいしかない。
「伊織? 本当に拭くわよ?」
かすかにうなずいて、首の辺りも拭けということなのだろう、伊織はジャージの胸元を少し開けた。
律子は少し不満に思いつつも顔の汗を拭き取り、首筋をぬぐっていくと少しくすぐったそうな表情をした。
「体起こしてくれないと、髪の毛全部は無理よ」
「わかったわ」
伊織は足を伸ばしたまま上半身だけ起こして、少し肩にかかった髪をいつものように上品に手の甲だけで払う。
彼女の髪の流れに逆らわずに撫でつけるように拭いていく。
「丁寧にしてくれるのね」
「そりゃね、綺麗な髪なんだから当たり前でしょ」
そう言った後に伊織はクスクスと声を出して笑い始めたので、律子は怪訝な表情を作って彼女の顔を見つめる。
「ありがと、髪をほめてくれて。にひひっ」
顔が熱くなってきたのを感じ、横目で鏡に映る自分を確認してみる。
そこに映る律子の頬が赤らんでいて、こちらの視線に気づいた彼女がびっくりした表情になる。
「もう。これ以上は私には拭けないわよ、シャワー浴びるなりなんなりして早く家に帰って体を休めなさいよ」
我ながら母親のようだと思って律子は眉をしかめてしまう。
伊織は何を思ったのかタオルを持っている律子の手をつかむ。タオルを受け取ろうとしているのだろうかと律子が訝っていると、
「これはお礼」
こちらに向かって微笑みかけたかと思ったら、その手の甲にチュッと小さく音を立ててキスをした。
あまりの驚きに律子が声を出せずにいると、伊織は何もなかったかのように律子の手からタオルを取り上げて出口のドアに向かって歩き出した。
「じゃあ、また明日ね。おつかれさま、律子」
そして、「にひひっ」と笑い声を一つ残して、ドアが閉じる。
いきなりのことに呆然としていた律子は伊織に挨拶を返すのを忘れたことに気づき、そういうことじゃないでしょ!とひとりごち、追いかけようとしてここに来た本来の目的を思い出して地団駄を踏み、その場を意味もなく歩き回り、最後にははしたないと思いながらそこにあぐらをかいて座り込んでしまった。
ドアを見つめていてもそれが開く気配はない。
口付けられたほうの手を上げて、その箇所を見上げる。
「なんでこういうことするかなぁ」
ぽつりと言葉を漏らしても答えは何も返ってくるはずもない。
少しの間そうやってぼんやりと見つめ続け、一息ついて気持ちが落ち着いてくると、練習をしようというふうに切り替ってきた。
「じゃ、始めますか」
曲が最初に戻った。
まずは伊織がしていたダンスから。
彼女の振りがまだ目の前に残っているから。
今なら前よりもうまくできそうな予感がしたから。
-END-
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