双天演義 〜真・恋姫†無双〜 二十の章 中編 |
火をつけた天幕が燃え上がり、煙が空高く昇っていく。
赤々と燃え上がる炎に照らし出された李粛の兵たちの長く伸びる巨大な影が、オレの目にはさながら悪鬼羅刹のようにこの数日で親しくなった兵たちを喰らい尽くすように見える。
撤退の銅鑼が鳴らされ、壊走するのではなくしっかりと部隊としての統制を取りながら撤退する孫策の軍に感心することはするが、その数を見てオレは暗い気持ちを抱いてしまう。
もともとこの陣に孫策の兵は一万五千人くらいいた。
それがざっと見渡してみた限り、半分……いや、五分の一もいないように見える。
やはり三国志演義にあったように孫策の軍は勝つことはできず、連合は結局空中分解してしまうのだろうかとオレは落ち込んでいってしまう。
「十里先の森まで撤退する! 遅れずついて来い」
そこかしこで部隊を預かる人間の怒鳴り声が響き渡り、敗走する軍の統制を保つ努力をしていた。
そこにたどり着けば逆転の目があるというのだろうか。そこにたどり着けば伯珪さんの軍がいて敵を取ってくれるというのだろうか。
十里、約五キロ逃げ切ることさえ難しいことのような気がする。
こちらは歩兵中心だけれども、李粛は追撃にきっと騎兵を使ってくるはずだ。森にたどり着く前に追いつかれ、蹂躙される。
今は陣に火を放ったおかげで相手が混乱して、こちらに手を割く余裕はないだろうが、そのうちその混乱を鎮め追撃を仕掛けてくるはずだ。
いかに追撃を振り切り、多くの兵を逃がすか……そのことをオレは馬上で考える。
越ちゃんから譲り受けた白煌が、思考の海に潜りろくに指示しないにもかかわらず、撤退する兵たちの速度に合わせて常足で移動してくれる。オレを振り落とすことがないようにも気遣ってくれるこの馬は、越ちゃんのことが絡まない限りオレを殺そうとしたりしないし、本当に頭の良い馬だと思う。
だけれど今は馬のことは関係ない。
「御遣い殿、そのような暗い顔をしていては兵の士気に関わりますぞ」
そう声をかけてきたのは、馬に乗った初老の男性で姓を祖、名を茂、字を大栄という。とりあえず昔から孫家に仕えていたようで周瑜を子ども扱いしていた。
「きっと追撃の部隊に追いつかれる。そうなれば……」
「たしかにたしかに。十里先まで退くとなれば徒歩では追いつかれるのぉ。まぁそうでなくては面白くないわ。はっはっは」
祖茂はオレの言葉を肯定して追いつかれることを言葉にしたにもかかわらず、カカと大声で明るく笑う。
その笑い声を上げる祖茂の顔は、本気で追いつかれ戦いになることを望んでいるようであった。
「御遣い殿、あまり深く考えなさるな。冥琳のお嬢ちゃんと一緒に森についた後のことを考えてればええ」
そしてわざわざ馬をよせて思いっきりオレの肩をバシバシと叩く。
「大栄さん、痛いって。そう叩かないでくださいって」
「ウハハハハ。気にするな、ワシは気にしやせん」
オレの言葉を無視して、祖茂は大笑いしながらオレの肩を強引に引き寄せ、その太い腕で首を極めると頭を小突いてくる。
そんな祖茂の態度はオレの暗く沈んでいた気持ちを少し浮上させる。きっとこの不器用で豪快だけど、根が優しい初老の武将はオレを励まそうと来てくれたに違いない。
「それではワシはお嬢ちゃんに話があるでな、向かうとするが、御遣い殿もしっかりせぇよ」
カカと再び大笑いした後、祖茂は馬の腹を蹴り手綱を操ると常足から駈足くらいまで馬の速度を上げて、行軍している先頭集団のほうへ向けて馬を駆けさせていった。
やはり一人でウジウジ悩んでいても仕方がない。
ここは孫策の軍であって、伯珪さんのところで世話になっているオレには実のところ、軍の指揮権はまったくない。陣中で穴を掘ったりで孫策の兵を使っていたけど、あれは好意に甘えていたようなものだ。
祖茂の後に続いて周瑜の元に行くべく、白煌にお願いする。
白煌はオレのことを見つめるとブルルと鼻を鳴らした。
オレに白煌をというか馬を操る技術、馬術があればよかったのだけれども、普通の馬でさえ扱えないのにさらに頭の良い白煌を操れるわけがない。
「頼むよ、白煌。今度、越ちゃんに餌やり、お願いするからさ。周瑜さんのとこまで運んでくれよ」
首を撫でるオレを横目で見つめて、仕方ないなぁと言うようにブルルと鼻を鳴らす。
白煌は常足から駈足に速度を上げた。
オレは一瞬その速度上昇に伴う動きに合わせられずに思いっきりお尻を鞍にぶつけてしまった。痛みに涙が滲んでくるけど、我慢する。
白煌のおかげで行軍の先頭集団で指揮を執る周瑜のところにたどり着くことができた。
「周瑜! 話があ……る、んだ……」
周瑜の姿を見つけ、叫ぶように声をかけるけれども、周瑜の状況に声は尻切れトンボのようにだんだんと小声になってしまった。
周瑜は朗らかな笑いをたたえる祖茂に頭をその大きな手で撫でられ、はにかんだように笑う、今までとまったく違う彼女にオレは驚いてしまった。
その顔はオレがどれだけ撤退の銅鑼を鳴らすよう訴えても頑として認めず、甘寧からの伝令を冷徹に待ち続けた指揮官の顔には見えなかった。
「弾の小父様、やめてください。兵たちがみていますから」
「冥琳のお嬢ちゃんが暗い顔なんてしてるのがいけねぇんだよ。たかだかこれくらいでそんな顔するような教育を祭ちゃんがしてるわけねぇんだから、しっかりしろや」
周瑜に嫌がられながらも祖茂は、彼女の頭を撫で続ける。その様は孫娘を可愛がる好々爺と大好きなお爺ちゃんに甘える孫娘といったようでその間に入って、話に割り込むことをオレに戸惑わせた。
「おっ、御遣い殿も来たのかい。どうしたんだい?」
祖茂がオレに気がついて、明るく声をかけてくる。
「えぇと……絶対森までに追いつかれるから、その対策は何かないかと思って」
先ほどまでの雰囲気になんとなく呑まれて少々言いにくかったが、言わなければ兵が失われると思い、思い切って周瑜に尋ねてみる。
そのオレの言葉に周瑜は苦い表情を浮かべ、祖茂はニヤリと我が意を得たりと笑っている。
周瑜と祖茂の表情の違いに戸惑う。なんでここまで表情が違ってくるのかわからない。
もしや周瑜は追いつかれないなんてありえない考えを持っているとは思えないけれど、どうして渋い表情をしたのだろうか。祖茂はいつもの豪快な笑いではなくニヤリと笑ったのだろうか。
「お嬢ちゃん、御遣い殿もこう言っているんだ。雪蓮のお嬢ちゃんに任されたことを全うするにはどうしたらいいか、いつもの通りやってみな」
どうして祖茂がこんなことを言うのか流れが読めないけれど、きっと祖茂も李粛の追撃の兵に対する対策を言っていたんだろう。それを周瑜は却下しようとしていた。だからこそオレが話題をふったとき、周瑜は渋い顔をして祖茂はニヤリと笑ったし、説得するようにオレの言葉に続いた。
「しかし……」
オレは夢でも見ているのだろうか、あの周瑜が若干涙を溜めた上目遣いで祖茂を見つめ、気弱そうな震える声で反論しようとするも言葉が続かず、視線を地面に落としてうつむいてしまった。
祖茂はどういった提案を周瑜にしたのだろうか? ここまで弱気な彼女など短い期間だけれども見たことはない。いつも自信に溢れ、即断のもとに全てを行ってきたような彼女とはどうしても頭の中で符合しない。
「周公謹! 貴様がここにいるのは何故だ。貴様がやるべきことはなんだ。貴様の前にいるワシはそこまで頼りないか。周公謹。シャンとせんか!」
雷のような祖茂の一喝。
言われた本人ばかりか周りにいる人間も、感電したかのように背筋をただしてしまうほど、祖茂の一喝は力が籠められていた。
祖茂の一喝対象たる周瑜ももちろんビクンと体を震わせて、俯いていた顔を上げる。
「冥琳のお嬢ちゃんは、この部隊を雪蓮のお嬢ちゃんから任された指揮官だ。
堅殿が逝ってもまだこの世に残っている、老いぼれを活かす使い方をしっかりできる、優れた指揮官だ」
一喝した厳しい顔から一転、いつもの豪快な笑いとは違う優しい笑顔で祖茂は、周瑜に何かの決断を促すように語りかける。その目は真剣で、何かしらの決意に溢れている。
「堅殿が逝った場に居合わせたにもかかわらず生き恥をされしている老いぼれに、華を咲かさせちゃくれないか?」
祖茂の言葉を静かに聞く周瑜の顔色が、だんだんと青白くなっていく。
唇を血が出るほど噛み締め、目を固く閉じ、眉間に皴を寄せて考え込んでいる。
「さぁ、冥琳のお嬢ちゃん」
祖茂の言葉は止まらない。祖茂の穏やかな笑顔は崩れない。
「命令を出してくれ。ワシに……老いぼれの死に損ないにふさわしい命令を」
撤退する軍を守るため、追撃してくる部隊を抑える殿は決死の部隊。
その部隊に志願しているのに祖茂は、何故そんなに穏やかな顔ができるのだろうか。
「……追撃してくる部隊はきっと精鋭の騎兵八千。その足を徒歩の兵が森まで抜けるのに必要な時間止めるには、同じく機動力に優れた騎兵による横撃奇襲からの指揮官との一騎討ち」
周瑜も目を閉じ眉間に皴を寄せたまま、祖茂が行うべき行動を一語一語噛み締めるように言葉にしていく。好々爺と孫娘のような関係をみせていたんだ、その言葉はきっと断腸の思いで口にのせたんだろう。手綱を握る手も白くなっている。
「しかも簡単に勝ってはいけない一騎討ち。できるだけ時間を稼ぎ、足止めをしなさい」
目をカッと見開き、眉間に皴を寄せたまま祖茂を見つめて最後の言葉を告げる。
「冥琳のお嬢ちゃんの命令だ。聞かないわけにはいかないな。雪蓮のお嬢ちゃんに帰ったら、一緒に酒をたらふく飲もうといっといてくれや」
周瑜の命令にカカと笑って答える祖茂の顔は晴れ晴れと澄んでいた。気負いも決意もなく、悲壮も悲観もない。ただただ純粋な笑顔のみだった。
「えぇ、伝えておきます。二人とも飲みすぎないよう私もご一緒しますけれど」
祖茂の笑顔につられたわけではないだろうが、悲壮感に溢れていた周も透明な笑顔を見せる。しかし人生の経験の差か、祖茂のような純粋な笑顔ではなく、透明なだけに彼女の悲しさが隠れて見えた。
「こりゃ、深酒ができんということか。まいったまいった。……では、冥琳のお嬢ちゃん、ちと逝ってくるわ」
一本取られたと豪快に笑っていた好々爺然とした顔から一転、真剣な武将の顔つきになり馬首をめぐらし、殿を目指す。
「御武運を……」
こちらも真剣な顔つきになった周瑜の言葉を背中で受け、祖茂は片手を上げることでその言葉に答えた。
「祖茂隊の負いぼれども! 仕事だ仕事。さっさと馬に乗りやがれ!」
その背中はとても大きく、そして偉大だとオレは感じた。
説明 | ||
双天第二十話中篇です。 また前中後編となってしまいました。しかもまだ水関戦の前哨戦ですよ、これ。どうしましょう。( ̄▽ ̄; そしてまたオリキャラ出してしまいました。まぁ一発キャラですけどね(マテ 私こういったキャラが好きなので、似たようなキャラがところどころで出るとは思いますが、病気が出たと思ってください。誰だよこいつと思われた方、彼は孫堅の影武者で二刀使いの剣士さんです。 |
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