ヤサシサハ雨 第2章 「アサカとスケッチブックと悲劇のはじまり」 |
6時半。
雨が降っているにもかかわらず洗濯物を干す。
雨なんてまぼろしなんだから。
お天気雨。
なんだかため息がでる。
学生服に着替え、文芸部の課題をなんとなく眺める。
ピンポーン。
7時ジャスト。
時間に厳しいのは知ってるけど、感心する。
課題を机の上に置き、玄関に向かう。
もう誰がいるかなんてわかってるから、いちいち確認しない。
がちゃ。
「おはよー」
春日ウララ……。
幼なじみの同級生。
ウララが世話を焼くようになったのは1年前から。
朝やってきて、朝食のパンを用意してもらう。
普通の家庭なら母親がやるようなことをウララはやる。
僕の母親はいないみたいなもん。
病院勤務で、朝早く出て行ってしまうんだ。
夜も遅いし、帰らないときもある。
ちなみに父親とは離婚して、兄弟なんていないから一人暮らしみたいなもん。
食事が終わり、歯を磨いたあとでカバンを取りに机に向かうと、ウララが僕の作文を読んでいた。
なにも言わずに上目遣い。
まずいなと思いつつ、気にしないふり……。
「いつも、わるいね……」
ウララと家を出たところで、僕は呟く。
「好きでやってることよ。河瀬くんは気にしないでいいの」
「気にしない……かぁ」
右手を広げ、雨を受けてみる。
ウララは不機嫌な顔をする。
「雨?」
「何度も言ってるけど、まぼろしだよ」
「わかってる」
ナオコが死に、誰よりも僕を労ったウララ。
彼女には、まぼろしの雨のことを話した。
雨なんて降ってないよ。
わざとらしい明るい声で教えてくれた。
「あまりナオコさんのこと、気にしすぎるのは良くないと思うの。
気にしすぎるから雨が止まないの。
だから、河瀬くんは悲しい顔ばかりしちゃうんだよ」
「雨は止まない。気にしないよう努めてもムダ。天気雨は、ナオコの呪いなんだから」
「それがよくないのよ。自分のこと、責めすぎだわ」
「一緒に心中していれば……」
「ナオ!」
ウララは、心中の言葉をだすたびに怒る。
そして、悲しそうな顔をする。
「お願いだからそんなこと言わないでよ。それと……」
言いにくそうにウララが聞く。
「あの作文、ホントに提出するの?」
あの作文……文化祭で出版する文芸部の課題。
ナオコが自殺するまでを綴ったドキュメント。
「もちろん」
「受け取ってくれるわけ、ないじゃない……」
もし受理されないとしても、今更書き直す時間もその気もない。
ナオコがいなくなり、学校ではひとりでいることがほとんど。
ウララとは登校時一緒だけど、女子のグループにいるから学校で話すことはまずない。
一ヶ月後に文化祭を控えているせいか、みなどこか騒がしい。
クラス劇の配役をどうしようかとか話してる人がいたり、昼食をさっさと食べてダンスの練習をしてる人がいたりとか。
ウララは学級委員ということもあって特に気合いが入っている。
中学校生活最後の思い出にしたいと話してたっけ。
僕には興味ない。
文芸部で作文の出版があるくらいで、それを提出さえすればそれで終わり。
クラス劇に関わる気なんてない。
ひとりで済ました昼食のあと、なんとなく居心地が悪いから屋上に出ることにしている。
作文を持って席を立つ。
屋上でひとり読みたいから。
不意に後ろから作文用紙を盗られる。
そういえば、ナオコがいなくなっても、絡んでくるやつがいたんだっけ?
「また屋上にいっちゃって……。ナオコが自殺した場所ばっか行って、まだ引きずってるのかぁ」
相田エイジ……。
コイツはナオコの話題を出し、からかってくるようになった。
エイジは僕の作文用紙を早歩きしながら読み、取り返そうとする僕を翻弄する。
やがてやつは、ナオコと過ごした日々が書かれていることに気づく。
はっとしたかのような真剣な面持ちのあと、
「ははは、こりゃ傑作だぜ!!」
こいつ……なに言ってるんだ……?
お前はナオコが好きだったんだろ?
ナオコが自殺する経緯を書いた僕の作文をあざけ笑うのか?
「怖い顔するなよ。でもよ、なんでそんなにナオコのことで腹を立てるんだ? 今でもナオコを思い、こんな作文書いちゃうなんて、どんな神経してるか理解できないよ」
ナオコは江口先生の暴力に苦しみ、追い込まれていた。
お前は、そのことを知っておいて助けずにクラス中に言いふらした。
お前の方が、理解できない。
駆け足でエイジの腕をつかみ、作文を取り返そうとする。
エイジが阻止しようと強く握るものだから作文にシワができた。
いち早く取り返さなきゃと腕を伸ばすと、不意に誰かに殴られ、地面に倒れ込んでいた。
「おいおい、なにまたつっかかってるんだよ」
「ホントホント、エイジも懲りないな」
長身の茶髪が二人……。
西アキラと輪島リン……。
うちの中学の問題児。
髭づらのアキラの方が僕を殴ったみたいで、右腕が伸びきってた。
少し後ろで笑うリン。
暴力的で傲慢。
こいつらと付き合うようになって、エイジが調子に乗って僕をからかうようになった。
「みろよ。こいつ、ナオコのことを作文にしてるんだぜ。あの屋上から自殺したあのナオコを」
マジかよー。3人がゲラゲラ笑い合う。
「しかし河瀬も女々しいやつだぜ」
「ホントホント、髪長いし、女みたいだなお前」
アキラとリンが蹴ってくる。
エイジもそれをみて、僕を蹴る。
廊下の壁に倒れ込んでも3人は蹴るのをやめない。
アキラとリンは軽くだろうけど、エイジだけが顔面をねらって強く強く蹴ってくる。
「あなたたち、暴力をやめなさい」
甲高い女子の声。ウララだ……。
はいはい。反省してない顔つきでアキラとリンが立ち去る。
エイジは……、僕を見下し、
「女に助けられるなんて。お前ホントに女々しいよ」
ウララは僕にだいじょうぶかと気遣う様子。
でも僕はなんともないように立ち上がり、屋上を目指す。
「河瀬くん。あたしはいつでも味方だから」
ウララに申し訳ない気持ちになる。
なにも言い出せず、お辞儀もせずに立ち去ってしまう僕。
屋上にひとりっきり。
ナオコがいなくなってから、辺りは高いフェンスで仕切られてしまった。
ここで、ナオコは飛び降り自殺をした。
その日から、お天気雨は続いている。
昼食後、いつもこの場所で感傷にひたる。
それがなにになるわけでもないのに。
でも、なぜだろう。
ここに、ナオコがホントにいるように思える。
「君のこと、作文に書いたよ」
無事書き終えたことに少し満足感。
同時に、妙な後ろめたさも感じる。
「受け取ってくれるわけ、ないじゃない……」
ウララの言葉……。
文芸部の課題が受理されないって。
言ってる意味はわかってるつもり。
こんな文章書いて、誰が喜ぶんだろう。
ナオコなら喜ぶ?
どうだろう?
君の死なんか書いて、どうかしてるよね、僕……。
「わかってほしいんだ……」
僕の苦しみを……。
ナオコを失った僕の……。
ウララは、悲しむ僕を気にかけてくれている。
でも、作文を否定された。
エイジらまでにバカにされて……。
誰か、作文を書いてしまった僕の心情を理解し、一緒に悲しんでくれる、そんな理解者を、切実に望んだ…………。
「受理なんてできない。なに考えているんだ、君は……」
放課後、文芸部の部長の京本テツヤが言った。
図書室の裏にある焼却炉の前。
他の誰かに話を聞かれないために、彼はこんな、人気のないとこに呼び寄せた。
「去年、全校生徒の前で飛び降り自殺した……朝倉ナオコさんの話だね……」
「……」
「書き直してくれないかい?」
「嫌だね」
僕の言葉に露骨に嫌な顔をするテツヤ。
僕なんかじゃ話が通じないって様子。
「大スキャンダルだ。そんなこと、僕らの学校から出版すると思うかい?」
「そんなことが問題なの?」
「河瀬くん……」
テツヤがメガネを正して言う。
「どうして朝倉ナオコのことを書いたんだ? 退学した生徒もいて、トラウマを抱えている人も多いんだ。それでいて、なぜ書く?」
「……。わかんないよ……」
わからない……。
ナオコのことが忘れられないから? 許されたいから?
涙が出そうになり、テツヤから目を逸らす。
「とにかく、あの作文は受理できないから。書き直してくれたまえ」
テツヤがそう言い、立ち去る。
ひとりで打たれるまぼろしの雨が痛い……。
焼却炉の周りはごみすて場同然。
そこへ、物語をくちゃくちゃにして投げ捨てる。
今すぐ学校から去ってしまいたい気持ちだったけど、教室に荷物を置きっぱなしだったことに気がついた。
目が真っ赤だと思って気になってたけど、誰にも会わないで済んで助かった。
人気のない裏口から下校するため、再び焼却炉のところへ行った。
すると、女子生徒がひとり立っていて、何か、読んでいる。
はっとした。あれは、僕の投げ捨てた作文用紙だ!
大急ぎで女子から作文用紙を取り上げる。
「あっ」
乾いた声が漏れる。
彼女の方を向いてしまった。
手入れのされていないボサボサの髪。
身長は僕と同じくらい。
目にクマがあり、暗い感じ。
「怖がらなくていいの」
くすっ。
ほほえみ。ナオコを思い出す。でも、ナオコとは似つかずの汚らしい女の子。
彼女はやさしく声をかけたと思う。
けれども、僕は落ち着くことはできなかった。
受理されなかった物語を読まれてしまったことと、作文を強引に奪い取ったあとで恥ずかしさと罪悪感の混ざった、嫌なモヤモヤが体中にいっぱいになっていた。
「ねえ、君が書いたの? カワセ、ナオくん……」
名前を呼ばれ、ついに僕は彼女から逃げ出した。
でも足がもつれて彼女の前に倒れる。
顔を上げると差し伸べてくれる手がある。
僕を誘うような、温かい行為……。
でも僕は手を取らずに立ち上がる。
彼女は静かにまた笑う。
「全部読ませてもらったよ」
不思議な表情。目がきらって大きく開いているのに、どこか陰りがある。
興奮ぎみだけど、目が笑ってない。
彼女は言う。
「楽しかったわ!!」
麻木アサカ。放課後、僕の作文を読んでた女子。
認識してなかったけど、僕と同じクラスだった。
いつもひとりでいる地味なやつ。
あのとき初めて声をかけられたし、初めて声を聞いた。
「麻木さんが? ふーん」
登校中、ウララが少し驚いたように言った。
「意外。女子同士でも話さないもん」
そんなアサカが僕に話しかけた。
「楽しかったわ!!」
正直不謹慎だと思う。
ナオコと出会い、自殺するまでのドキュメントを楽しかったと言うアサカは……。
「でも、目が笑ってなかった」
「気にしないほうがいいと思う」
「どうして?」
「河瀬くんの作文を、そんなギラギラした目で楽しいというなんて、ちょっと普通じゃないよ」
確かに。でも、僕はアサカのことが気になっていた。
「それよりもどうすんの? 文芸部の課題、やっぱり却下されたじゃない。書き直し?」
「……。なにも考えてない」
「でも提出しなきゃならないんでしょ? 文化祭までまだ一ヶ月あるから間に合うわ」
間に合う……? 僕になにを書けというんだ……??
「あたしもがんばらないと。ああ、クラス劇。河瀬くんも協力してね」
クラス劇……。ああ、ウララは、学級委員だったか……。
文化祭では各クラスごとに出し物をしなければならない。
ジャンルは劇・展示・売店っていったとこ。
僕のクラスではいつの間にか劇をやることになってて、
シンデレラのパロディというありがちなもの。
けど内容はひどいもので、王子様と婚約を結んだことへの報復として、シンデレラが姉を斬りつける……。
タイトル「病ンデレラ」。
これが認められ、僕の書いたナオコの話が却下されるなんて理不尽だと思う。
問題なのは、誰もシンデレラ役をやりたがらないこと。
残酷な役を女子は拒み、男子も女装を嫌がっている。
放課後にシンデレラ役を決めるよと、朝の会で堀北先生が言った。
みなため息。
なかなか決まらない役を決めるために残らないといけないことが誰にとっても嫌に違いない。
「お前、シンデレラ、やれよ……」
朝の会が終わると、すぐエイジたちがやってきて言う。
どの役割にも決まってない僕やエイジらの内、誰かがやらなければならない。
エイジたちに関わりたくないからトイレへ逃れようとしたら、
「絶対にお前に擦り付けるからな」
僕の背中を強く叩き、嫌味な言い方を残す。
「シンデレラ、河瀬がやりたいと言ってたぜ」
放課後、話し合いが始まるなりエイジが言う。
僕がやりたいなんて一言も言ってない。
「おおー」
クラスに歓声があがる。
誰になろうと構わないらしい。
「髪長くて怖じ気付いてるあたりが女らしいし、自分以外ありえないって」
笑い声がどっとあがる。
いいぞとか、変態だぞあいつとか、好き勝手みんなが言う。
司会のウララ、後ろで見守る堀北先生も少し僕を心配してる様子。
でもクラスの雰囲気が、僕の辞退を許さない。
「お前、やるよな」
アキラとリンも威圧をかける。
そして……。
「やるよ……」
僕がやればすべて丸く治まる。
これでいいんだと自分の中で言い聞かすと共に、エイジに嫌悪感を抱いた。
3日後、セリフ合わせをすると言われた。
放課後、ジャージ姿のウララから女子生徒の制服を渡された。
「役に成りきるのに女装するってことでみんなからの要望が多くて……。あたしのを貸すから、着替えてくれない」
ウララは気の毒そうにさらりと言ったが、クラスメイトのみんなはくすくす笑っている。
ウララの付きっきりで別の空き教室で着替え、戻ってくるとみなが大爆笑。
これがいじめなんだと静かに思う。
台本を渡され、輪になって順にセリフを読み上げる。
僕のパートに来ると、もっと女らしく言えなどからかわれる。
エイジたちに。
やつらは役に割り振られてないくせに、僕をからかうためだけに教室に残っていた。
1時間してセリフ合わせを終えると、足早に教室を出て着替えをして帰宅しようとした。
そこでエイジら3人が邪魔をする。
「良い演技だったぜ、ナオ……いや、女だからナオコちゃんか!!」
エイジのその言葉は……、むかついた。
ナオコちゃん……明らかに、ナオコを意識してこいつは言いやがった。
僕をシンデレラ役にしてからかうまではまだ許せた。
だいたいこいつはなんなんだ。
ナオコは死んだんだぞ。
江口先生からの暴力に堪えきれないで。
ナオコが江口先生とえっちなことをしているとこいつは言った。
罪悪感はないのか、こいつに。
「あはは、ナオコちゃんか」
「作文で書いてたくらいだもんな」
「ナオコちゃんしか友達いなかったもんな。
そりゃ今も未練たっぷりなわけか」
「お前らお似合いだったな。気持ち悪くて」
ムカムカムカムカ……。
「なんだ河瀬、そんな怖い顔つきして」
「…」
「お前なんか、殴る度胸もないだろ。はは、くやしかったら殴ってみろよ」
「……」
「河瀬が、エイジを殴りやがった……」
クラスメイトらが僕を捜しに走り回っていた。
僕はウララの制服のまま廊下を駆けた。
廊下にすれ違った生徒は僕を見て笑っていたように思える。
女装している僕は注目の的に違いなかった。
「河瀬くん、どこにいるの」
「ごめん、からかったことを謝るわ」
「たくっナオコちゃんはどこ逃げているんだよ」
クラスメイトらの大声。
どんどん近づいている。
息が切れ、疲れ果てていた。
どこかに隠れないと……。
はぁはぁはぁ……。
気づいたら、旧美術室まで来ていた。
ここに隠れられないかのぞき見てみる。
そこに、思いがけない人物がいる。
麻木アサカ……。
僕の、文芸部の課題を、ナオコとの日々を、楽しかったと笑顔で言った女子。
「いたぞ、ナオコちゃんだ!!」
アキラの声……。
僕に考えている時間はない……。
大急ぎで旧美術室へ入った。
麻木アサカは、絵を描いていた。
その姿、ナオコを思わせた。
目が合う。
そして、くすっ。
えがお………………。
アキラ他、クラスメイトらは中に入ろうとしない。
中に入るのをためらっているようだった。
ひそひそ話合いが行われ、やがてみな立ち去っていった。
アサカと関わりたくないようだった。
クラスメイトらから無事逃れられた僕だが、空気が重い。
作文を読まれたこともあるし、僕が女子生徒の制服を着ていることに恥じらいを感じてることもあって。
でも、そんなことより、驚いたことがある。
彼女は、絵を描いていた。
旧美術室で、ひとりっきりで。
ナオコと被る。
「怖がらなくていいの」
この子は、一体……?
「麻木さん……」
「アサカでいいよ」
「ちょっと……恥ずかしいんだけど……」
「くすくす。動かないでくれる?」
アサカがデッサンをしている。
僕をモデルに……スケッチブックに描き込んでいく……。
「女子の制服着てるのに……いやだよ……」
「じゃあ裸になる?」
「ちょ……それは……」
「ふふふ、かわいいね」
でもこの照れくささ……なつかしい……。
1年前のときと、よく似てる……。
ナオコ……。
放課後、モデルとしてこんな風にスケッチされた。
つかみ所のないナオコを前に緊張した。
今、僕の目の前にいる女の子はアサカ……。
出会ったときからナオコを思わせる人だった。
静かにほほえむとこ。
僕を誘いこむような不思議な雰囲気。
でもナオコとは全然違う。
背が僕と同じくらいで、ボサボサ髪で地味で。
ナオコはおそろしく美人で背が高く、色気があったんだ。
ナオコは、去年の今頃、ここ、旧美術室で僕の絵を描いた。
じゃあこの子は?
「作文、ホントに楽しかったよ」
アサカが言う。
その言葉に僕は戸惑う。
喜んでいいのかバカにされたのか、よくわからない。
「楽しかったとは、心外だった?」
「いや……でも、なんでそう言うのかなって……」
「滑稽だと思ったからだよ」
アサカは、ナオコの死を悔やむ僕をバカらしいと思ったのだろうか?
「ちがうよ。滑稽だと思ったの。ボクが」
動かしてた右手を止め、鉛筆を机に置き、スケッチブックを両手に持つ。
ページをめくり、しばらくして、僕に絵を見せてきた。
唖然とした……。
セーラー服に長い髪。
思い当たるのがひとりしかいない。
「ナオコ……!?」
なんで……?
「他にも見てみる?」
アサカにスケッチブックを手渡され、ペラペラページをめくってる。
ナオコの絵ばっかり……。
「ボクは、ナオコの絵を描き続けているの」
「どうして……?」
アサカは黙ったまま準備室へ行く。
しばらくして、ポットとティーカップを持ってきた。
「紅茶が好きだったんだよね……」
アサカがティーバックを入れ、ポットからお湯を注ぐ。
「ナオちゃん……」
目を瞑り、僕に紅茶を差し出す。
そして、目を開く……。
アサカと目が合う。
瞳の中に引き込まれるような魔性の目。
この子とならわかり合える……。
そんな気がした……。
「ナオちゃん……ナオコへの呼び名」
アサカが言う。
「君のこと、ナオちゃんと呼んでいい?」
静かに頷く僕。
静かにほほえむアサカ。
「ナオコと、親しかったんだね」
「……。そうね……」
斜め左下に目を逸らし、悲しく笑ってる。
「でも、スケッチブックに描かれてる絵、満たされていないというか……」
散漫なラフ。
特に顔がきちんと描かれていない。
破れているページがいくつかあって……。
「顔が、描けないの」
アサカが目を瞑り、応える。
「何度もイメージを膨らまして描いてるけど、ダメなの。描かれた絵を見て、違うって思って何度も破いた」
「……。まずいこと、聞いちゃった?」
「そんなことないよ、ナオちゃん。でも、苦しんでいるのは確か。描かなくては気が済まずに描くけど、できた絵に納得できずにイライラする。そんな自分がバカらしくて、笑えて、愉快に思えるの。ナオちゃんの作文読んで楽しかったと言ったのは、そのため……」
アサカは、きっと僕なんかより……。
「満たされてないといえば、ナオちゃんも……」
「え?」
「作文、うまく書けてたけど、落ち着いてるというか、
落ち着かせて書いたって印象受けたの。
手加減してるって感じ」
驚きを、隠せていないと思う。
アサカがくすって笑う。
「ナオちゃんがホントは書こうとしてた話、教えてくれない?」
僕は、言おうか言わまいか、いや、できれば言いたくはなかった。
でもアサカが無邪気な子供のような顔でわくわく待っているから、意を決して口にする。
「誰にも言わないって約束してくれる? そして、僕を軽蔑しない、とも……」
「もちろん」
「じゃあ、言うよ……」
黙々とナオコの絵を描くアサカ。
その様子を、紅茶を飲みながら眺める僕。
口の辺りが震え、うんざりするほど動揺している。
アサカは、
「軽蔑なんてしない。
ボクはナオちゃんの気持ち、わかる。ボクはナオちゃんの仲間だよ」
思ってもいなかった返事。
アサカなら、ホントの仲間になれると思う。
アサカが描いてる姿がナオコとまた違った趣きがあり、かわいらしく感じる。
甘くて永遠とも感じるやさしい時間。
でもそれはいつまでも続かない。
静寂を破ったのは、扉が開かれる音。
ジャージ姿の、ウララがいる。
「堀北先生からお呼び出し。相田くんと一緒にお話だって」
堀北先生と聞いて、身体が硬くなる。
「河瀬くんの制服を持ってきた。
今すぐ着替えて。
あたしも着替えて帰りたいし」
そうか、ウララの制服を着ていたんだっけ……。
アサカが旧美術室の準備室にこもり、ウララも廊下に出る、僕は着替えた。
ウララに制服を返したとき、
「ナオコちゃんと言われて殴ったの?」
僕が頷くと、気にしちゃダメだよと忠告をくれた。
旧美術室を出るとき、アサカも出てきて、また来て欲しいと言ってくれた。
僕は小さく頷き、教室へ向かう。
がちゃっ。
教室には、エイジと、20代の女性教師の二人……。
「お待ちしてました……」
予想どおり、先生は硬い面持ち。
エイジは今にも帰りたそうな面白くないような顔つき。
エイジは僕に殴られたけれど、まったく痛くないらしく、少し複雑な気持ち。
エイジが、僕をからかったことについてごめんなさいと棒読み。
先生に謝るよう強く言われたんだろう……。
クラスメイトの仲間同士、協力してクラス劇を完成させましょうと先生が言うと、エイジは立ち上がり、教室を出ようとして……。
「先生にまでかばってもらえて、良い身分だな」
エイジがいなくなり、先生と二人になる。
先生は、さっきまでエイジがいたときとは打って変わって、僕を心配するような顔になる。
「ナオくん……だいじょうぶだった?」
「サエねえさん……」
先生は、腹違いのおねえさん。
学校では先生面してるけど、僕のことをかわいい弟のように見て、心配ばかりしている……。
「シンデレラ役、相田くんが押しつけてるとわかってて見過ごしてた。
ホントにごめんね」
「うん……」
「シンデレラ役、辞める?」
「うん……」
女に助けられてばっかり……。
エイジが指摘してた点がそのとおりだと思った。
サエねえさんは、朝の会で僕がシンデレラ役をやめたことをみんなに言った。
嫌なのにみんなで押しつけてしまった。
そのことで河瀬くんを傷つけてしまった。
自分が押しつけられたらどう?
そんなこと、やっちゃいけないって……。
シンデレラ役には、バスケット部の明るくジョーク好きな女の子が衣装製作と兼任でやることになった。
サエねえさんが昨日のうちにお願いしたに違いない。
誰が反論するわけでもなく、みんなが僕の辞退を受け入れ、朝の会が終わった。
みんなのこと、気にしちゃいけない。
いや、どう思われてもいいんだ。
そんなことより……僕が気になっているのは、アサカ……。
ウララと登校しているときも、サエねえさんが朝の会をしているときも、他の先生が授業を進めているときも。
アサカは心を許せる、僕の悲しみがわかる人物だと思う。
僕と同じで、ナオコの死を引きずってるから……。
アサカは窓側の後ろの方の席。
授業中よく、窓の外を眺めている。
目先は、西館の屋上。
ナオコが飛び降りた場所。
昼食後、屋上に行こうとするとエイジたちがからかいに近づいてきた。
僕と目が合うと、エイジは殴られた頬の辺りを大げさに触れる。
「いやぁヒリヒリするよ。なぁ、どうしてくれるんだよ」
目を逸らすとバーンと手で押してくる。
アキラとリンがいるときのこいつは調子に乗っている。
僕が殴ったことへの不満を言い、暴力まで振るわれるのではと覚悟した。
けれども、エイジが話題に持ってきたことは、旧美術室でアサカとなにがあったかだった。
「スカート姿のお前をかくまったんだ。なんにもないはずはないよね」
リンが落ち着いて言う。
アキラが続く。
「そういや、俺が旧美術室に入ったとき、麻木は絵を描いていたよなぁ。なにを描いていたんだ?」
「まさか、スカート姿の河瀬が描かれているかもな」
「う…うん……」
僕は思わず頷く。頷いたあとで、取り返しのつかないことをしてしまったと思った。
「うそお! マジかよ!」
「おい、麻木の描いたスケッチブック、持って来いよ」
突拍子のないことを言われてしまった。
アキラとリンがはしゃいでいたが、なぜかエイジはシリアスな顔つきになっている。
誰かが近づいてきた。
ウララがまた助けに来たの?
……いや、なんで君が……。
「ナオちゃん、屋上に行くとこだったんだよね? ボクも行っていい?」
「アサカ……?」
僕が戸惑う以上に、エイジが動揺し、黙り込んでいた。
アキラとリンに、どうかしたのかと言われてもエイジは答えない。
少し気になったけど、アサカは僕のシャツを引っ張り急かすので、
二人で屋上に向かう。
少しだけ振り返る。
すると、やっとのことでエイジが口にした言葉は……。
「スケッチブック、絶対持ってこいよ……」
屋上に着くと、いつもより少し強い雨。
目を細めると、アサカはうれしそうに聞いてくる。
「まぼろしの雨って、ホントのことだったんだ」
まぼろしの雨と言われびっくりした。
どうしてそれを……?
作文にまぼろしの雨をみるようになったと書いたけど、それをアサカに全部読まれたんだ……。
「雨は降ってないんでしょ?」
僕が質問すると、アサカは否定した。
「降ってるよ。ナオちゃんの世界で」
僕は首を傾げる。
「他の誰が、雨降ってないと言っても、まぼろしといっても、ナオちゃんは確かに雨に打たれている。それは真実」
「なにが言いたいの?」
「……。自分に、言い聞かせてるの……」
アサカの身体が震え、しゃがみ込む。
屋上は、ナオコが自殺した場所。
僕にとっても、アサカにとっても感傷的なとこ。
ナオコの話題で悲しそうな顔をするアサカが、この屋上に来て落ち着いていられるはずはないと思う。
けど、しゃがみながらくすくす笑い出す。
ふらっと立ち上がり、ニタニタして僕の方へ振り向く。
「ナオちゃんの作文を読んで、ボクだけじゃないんだって……。ボク、ホントにホントにうれしくてうれしくて……ナオちゃんなら理解してくれると思った」
満面の笑みでアサカは言う。でも目は笑っていない。
「ボク、ナオコのまぼろしを見てるんだ……」
え……?
「あの日から、この場所に、ナオコがいるの……。でもナオちゃん、まぼろしの一言で尽きると思う? ボクはナオコを見る度におかしくなりそうなの。それが、まぼろしだって言い切れる?」
「つまり……僕の見る、まぼろしの雨も、まぼろしと言って片付けられるものじゃないって?」
「うん、そう。だって、ずっと見続けているんでしょ? 雨が降ってないって、他の誰が言おうと、ホントに降ってなくても、関係ないの。事実、ナオちゃんは雨に打たれている。ボクは、ナオコを見ている」
「今、ここにいるの?」
「ナオちゃんは、感じ取れないの?」
「えっ?」
「ナオちゃんならわかってくれるはず。ボクと同じ、ナオコに呪いを受けた仲間なんだから」
「……」
「ナオコは、ここから死んだんだよ。亡霊となって、今もこの場所にいるんだよ」
僕はナオコがいないか見渡してみた。
すると、滝のようなひどい雨が空全体から降り注いできた。
禍々しいオーラが、漂っている。
僕には、立っていられない……。
「ナオちゃん、だいじょうぶ?」
僕のずっと近くで、アサカが声をかけてくれたような気がするけど、もうひどすぎて顔を直視できない。
「はやく、校舎に戻りましょう」
なんとか校舎に戻って来れたらしい。
制服がびしょ濡れで、気持ち悪い。
ホントに濡れているのか、僕が濡れていると思いこんでいるのか、もうどっちでもよかった。
「ナオコは、確かにいたでしょ?」
「うん……」
「どう感じた?」
「……。怒ってた」
怒りに満ちていた。
僕にはそう思える。
「たぶん、ナオコは恨みを抱いたまま現世にいるの。生前、消し去りたいくらい嫌な人がいたって言ってたし……」
「ナオコが、そんなこと言ってたの?」
「……。ええ」
あの、いつも平然としてたナオコが……そんなこと言ってたの?
そんなことを、ナオコはアサカに言える仲だったの?
「おそろしいことが起こる……そんな気がするの……」
「最近、麻木さんと仲いいみたいだね」
「ん……」
「麻木さん、なんだか楽しそうだし……。
河瀬くんの作文、拾って読んだんだよね。それから変わったみたい」
「ん……」
「他のクラスメイトと話さないのに、
河瀬くんばかりに積極的に接してくる」
「……」
「ナオコさん、そっくりじゃない……」
雨降る朝の通学路、ウララがアサカの話題をしてきた。
「去年……あたし、河瀬くんと同じクラスじゃないから、詳しいことはよくわからないんだけど……、ナオコさんと付き合うようになって、河瀬くん変わっちゃった。みんなを避けてるようにみえるし、ナオコさんばかりかばって、気を病んでるようだった。そしてなんて言うか……ナオコさんが、そう仕向けているようにもみえてた。同じようなことを、今度は麻木さんが行っているんじゃないかって思えちゃう」
「アサカから離れろと言うの?」
「いえ……。いや、そうね……。離れてほしい。絶対変だもん。大人しくて、いつもひとりでいた麻木さんが急に……。ちょっと聞きたいんだけど」
「なに?」
「麻木さんとナオコさん、どんな関係?」
二人の関係? 親しい友人くらいしか思ってなかったけど……。
「実はね、奇妙な噂がたってるの」
ウララは、エイジのことに話題を移した。
放課後、エイジはアサカのいる旧美術室へ行っては、腹を立てて出て行くそうだ。
エイジの目的は、スケッチブックじゃないかと思った。
思えば去年も同様。
エイジがナオコのところへ行き、好きだと言ってたことを思い出した。
「オレも親がいないから……」
エイジは、そう言ってた。
でも、ナオコは江口先生の援助で学校に通い、暴力を振るわれていて、その中で気を許していたのはエイジじゃなくて僕。
エイジは、ナオコが江口先生とえっちなことをしてると言いふらす……。
そのことで、ナオコを苦しめた……。
エイジが身勝手で、うんざりする。
消えてしまえばいいのにと思える。
「河瀬くん……」
ウララが心配そうに言う。
「さっき、すごく嫌な顔をしてた。
ホントにだいじょうぶ? なにかあるならすぐ相談してほしい」
こうして心配されることが困るのに……。
ウララはわかっていない。
明るい声で、事務的な連絡事項を言ったあとで、トイレに行こうとした僕をサエねえさんが呼び止める。
「シンデレラ役をやめてから、なにか嫌なことない?」
「……特に」
「エイジくんとはどう?」
「別にどうってことは……」
刹那、後ろを振り返る。
エイジたちがいる……。
アキラとリンは、なんだかあきれたような顔をしてるけど、エイジだけがジロジロにらみつけている。
「先生は、エイジくんと仲良くやってほしいのがホントの気持ち。でも、どうしてもダメでいじめてくるようだったら、先生に言ってね」
先生は、後ろにエイジらがいるのに気づいていない……。
昼休み、エイジたちが僕の席までやってきたのと同時にアサカが来た。
旧美術室で昼食を食べましょう。
僕はアサカに従い、一緒に行く。
エイジはやはり追ってこない。
昼食用のお弁当を食べつつ、アサカのいれてくれた紅茶を飲む。
ご飯に合わないけど、断るわけにもいかず飲むが、おいしく感じる。
「相田くんに付きまとわれてたんだね」
「うん、なんでこうしつっこいんだろう」
「そういう人なんでしょ。ボクにもしつこくやってくるんだよ」
「もしかして、放課後?」
「うん。誰から聞いたの?」
「噂でだよ」
エイジが腹を立てて出て行くと、ウララが言ったことは伏せておいた。
「なんで、エイジがアサカのとこへ?」
「スケッチブックを見せろって」
「そんなにスケッチブックを?」
「ボクになぜって言われてもわからないよ。でもね、相田くんはボクが絵を描いてる姿をのぞいてはムカムカしてた。ナオコと被るとか言ってたんだよ。
そしてナオちゃんが旧美術室に来るようになってさらにムカムカ……」
「去年も、僕がナオコと親しくなり、エイジが妬んでた。
オレも親がいないからとか言ってて、ナオコが好きだった……」
「実はね、親がいないの、ボクもなんだ……」
「え……?」
「まさか。ボクにまで惚れちゃってるとは思えないんだけどね」
アサカがため息混じりで笑う。
「スケッチブックのことで聞きたいんだけど……」
「なあに?」
「ホントに、エイジが求める理由に心当たりはない?」
「……。心当たりなんて、ないよ」
5時間目後の掃除の時間。
アサカと離ればなれの隙をつき、エイジたちがやってきた。
「ようやくひとりっきりになってくれたな!!」
「……。スケッチブック?」
「わかっているならどうしてもってこないんだよ」
エイジが必死になって言っているわりには、後ろにいるアキラとリンはうんざりしてるよう。
「どうしてそんなにしつっこいの」
「いちいちうるさいんだよお前は」
アキラが一歩前に踏み出し膝蹴りをかます。
「ホントホント。お前は大人しく従えばいいの。エイジの望みをかなえてやれよ」
「リン、なんでエイジに味方するの?」
「ん?」
「どうしてスケッチブックだけのために、エイジなんかに……いたっ」
「河瀬をからかえればそれでいいんだよ」
リンまで蹴ってきた。
「でも、まぁいいじゃないかよ。エイジにも面白いところがあってよお、麻木に惚れ込んでる様子なんだよ」
「リン、うるさいよ」
エイジが過剰に反応する。
リンは動じないどころが逆ににらみつける。
すると、エイジはすぐ視線を僕に変えてどなる。
「河瀬、放課後奪ってこい。見張ってやるから逃げるなよ」
やがてウララがやってきて、エイジたちは逃げていった。
エイジは、廊下にある掃除ロッカーにホウキを投げ入れ乱暴に扉を閉めた。
僕は、アサカからスケッチブックを奪わなければならないのかと、気が滅入る思いでいっぱいになった。
放課後、ひとり旧美術室。
アサカはまだ来ていない。
アサカがいないことを良いことに、
こそこそスケッチブックを捜すのは悪い気がする。
なんで僕はこんなことをしてるんだろう?
どくんどくん……。
旧美術室にはどこにも見あたらない。
あるとすれば、準備室。
鍵がかかってて、入ることができない。
アサカが来た。
僕はあわてて準備室の扉から離れる。
アサカは聞く。
「スケッチブック?」
どくんどくん……。
「相田くんたちを来るとき見かけた。多分どこかからのぞかれている。
ナオちゃん、脅されて捜しているんだね」
「う……うん……」
「相田くんたち、ひどいね」
どくんどくん……。
「ナオちゃん、どうしたの? 調子悪そうだけど……」
わからない……。さっきまでこんなんじゃないのに、
心臓が破裂しそうなほど嫌な罪悪感。
どくんどくん……。
「ちょっと……聞きたいんだけど……」
「なあに?」
「なんで……アサカはナオコと被るの?」
「…」
「旧美術室で絵を描いてて…ほほえんでばかりで……ナオコ…ふり……してるように思える…………」
「…」
「たぶん……エイジは……、ナオコに、惹かれていた…………。だって……僕だって惹かれてた…………」
「…」
「けどね…………。エイジが……、アサカの描いてるスケッチブックを見たがっている」
「…」
「なんで旧美術室で絵を描いてるの? なんでナオコのこと…そんな詳しいの? なんでナオコと親しくなったの? なんで僕の作文を楽しいとか言うの? なんで………」
「…」
「アサカ……。ナオコ…………どんな…………関係…………?」
ウララ……朝……してきた質問…………。
ナオコ……友人がいないよう……みえたし…………作ろうとも…………しない…………。
どくんどくん……。
なんで……心臓…………高鳴っている…………?
「ひどいのは……僕もだ……アサカ…………」
「ナオちゃん、ホントにだいじょうぶ!?」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
頭まで痛んできた…………。
なんでだろう……こんな気分が悪くなるなんて……。
「エイジなんかより…………僕はアサカを………………!」
「ナオちゃ……。準備室の鍵開けて持ってくるから……。とりあえず、横に……………」
意識が遠ざかり……、暗闇の世界で誰かが僕に話しかけてくる……。
「相田くんなんか、消えちゃえばいいのにね」
アサカの声? 眠っている僕に語りかけているみたい……。
「ナオコもボクも迷惑してる。ボクらのこと考えないで傷つけてばっかり。ナオちゃんもいじめちゃって……消えればいいと、思わない?」
「ううう……うん…………」
そう思う。そう思うそう思うそう思う…………。
偏頭痛がするなかで、エイジのことばかり思い浮かぶ。
憎たらしくて仕方ない。
ナオコの名前を出されていじめられたことが、ここにきて堪えられないくらいのストレスになっている。
はっきり言って、気に入らない。
ナオコが言ってたという、消し去りたいほどの嫌な人物に
エイジが入ってるだろう……。
「そのとおりよ」
……!?
「私を自殺に追い込んだ。とんでもない人……」
なつかしい、美しすぎる声……。
「気をつけて。彼ね、今頭に血がのぼってるから……」
エイジは、しつっこい。
僕に奪ってこいと言っては、アサカに直接押しかけてきた。
そんな彼が今、旧美術室で見張っている。
アサカが準備室を開けるとか言ってた……。
そしたら彼は…………。
視界が開けていく……。
アサカのところに、男が3人……。
やつらが、誰かなんて考えなくてもわかった……。
「さっさとそれをよこせばよかったんだよ」
「ダメだよ」
「いいから!!」
「あ……」
「たくっ手間かけさせやがって……なんだよ、その目……」
「ゆるさないから」
「あ?」
「ナオコとの大切な思い出だもの。ナオコが、ただで済ますわけがない」
「……」
「ナオコが、復讐するんだから」
あたまが……いたい……。
けど……そうも言っていられない……。
僕が立ち上がったときには、エイジたちは旧美術室を出ていた。
アサカに近づく。
エイジに押されて倒れたとき、足をひねったようで右足を触っている。
「……。取り返しにいくよ……つつっ」
「ナオちゃん、無理しちゃダメ」
「ナオコとの……思い出だったんだね……」
「え……うん……」
「い……行かなくちゃ……」
アサカは僕を制止しようとしても身動きができない。
振り向かずに、振り向かずに、旧美術室を出る……。
廊下にエイジらが待ちかまえていて、すかさず足をひっかけられ、派手に転ぶ……。
視界がぼやけ、廊下が歪んでみえる。
「河瀬のやつ、気持ち悪そうだぜ」
「そうだな。屋上まで走らせ、苦しめさせてやるか」
エイジらが僕の様子をうかがいながらゆっくり階段を登る。
僕は歩くので精一杯で、壁にぶつかりながらあとを追う。
階段がきつい。
すぐに息が切れ、休み休みで階段を登る。
「どうしたんだよ。取り返すんじゃないのかよ」
「はやくしないと、破り捨ててしまうぜ」
ワハハ。汚らしい笑い。
僕は、必死で一歩一歩階段を登る。
やっとのことで3階。
屋上に繋がる5階まで遠い。
エイジたちは、僕のペースに合わせるのがつかれたのか先に行ってしまってもう見えない。
4階まで登り、ひざまずいた。
もう体力の限界で、吐き気がした。
仮に登れたとしても、どうやってエイジたちからスケッチブックを取り返すんだ……?
「あきらめちゃダメ。取り返すんでしょ? スケッチブック」
まばゆい光が僕に射し込み、懐かしい雰囲気に満たされていく……。
朝倉ナオコが、いた……。
ナオコが、僕の頭上を飛んでいく。
少し前で、手を差し出して。
僕にほほえみながら……。
アサカと屋上へ来たとき、確かにナオコの気配を感じた。
怒りに満ちたオーラ。
でも、今はセーラー服姿で、顔がしっかり見れる。
けど足はなく、亡霊になってしまったんだと受け入れるしかない。
5階まで登ると、ナオコは消えていた。
最悪な体調の中、気を引き締めて、屋上への扉を開けてみる……。
ギィィィィン。
ものすごい土砂降り。
僕の見る、お天気雨のまぼろしなんかじゃない。
この雨は本物?
エイジらがいない。
雨がホントに降ってて、引き返したのだろうか……。
「ずいぶん遅かったなぁ!!」
エイジだ! エイジだ!
どこかに隠れていたのか急に後ろから現れ、土砂降りの屋上に向かって押し出す。
転げ落ちた僕はなかなか止まらず、全身ずぶ濡れになって汚れた。
痛いし寒い。
立ち上がれない……。
「待ちくたびれちゃったよ。けどお前、具合が悪そうだったからきつかっただろ?」
「しかし、わざわざいじめられにここまで来るとはね」
エイジたちが雨の中にもかかわらず、僕の方へ寄ってくる。
イモムシのように丸くなる僕に向かって思いっきりエイジは蹴った。
蹴りは腹に入り、息が止まり、死ぬんじゃないかと思えるくらいの痛みが走る。
「ううぅ……」
泣いてる。
僕は泣いている。
そんな僕に構わず、もう一回、もう一回……何度も何度も蹴ってくる。
リンのやつが、雨の中スケッチブックをめくっていた……。
「す……スケッチブック……汚すな……うわぁ!」
リンは僕の顔面を蹴り飛ばしやがった……。
「麻木って、けっこうヘタだな」
「丁寧に描いてるようじゃないね」
「……」
「エイジ、真剣な面持ちでみてるね。セーラー服の、ナオコの絵」
「……」
「あれ、この絵だけきれいに描かれてるね」
「ひょっとして……やっぱり。 これ河瀬だよ。エイジ殴った日のスカート姿で!」
「あ、ホントだ」
「わはははははは!!」
「おっこれはナオコが描いた絵かな?」
「うまいなぁ」
「おい河瀬。お前もみたいか?」
…………。ボコっ!
「見せてやるかっていうんだよ!! ぎゃはははは!!」
殺してやる……!! 殺してやる……!!
「で、エイジ。スケッチブックもみれて満足かい? オレたちそろそろ行くよ。だからよこせよ」
「……。ほら!」
「千円かぁ。二千円だせよ」
「目的果たしてやったんだからな」
「……」
「なにためらってるんだよ。おらっ」
「!!」
「いいのかよ。サイフ全部奪っちゃって」
「いいのいいの。コイツなんかに恨まれてもなんでもないよ。それに今日こそ倒したいだろ?」
「そうだな! じゃ、さっさと行こうぜ」
アキラとリンが校舎に戻ろうとする。
けど……やつらも許せない……。
「……。どこ行くんだよ……」
「……。ゲーセン」
「格ゲーでボスまでいったけどさあ。今日こそ全クリすんだよ」
「逃がさないよ……」
「あ?」
「まだ暴力振るわれたいのかぁ?」
バコ―――――――――ン――――――。
頭がまっしろになる……。
夢?
アサカがいる。
記憶が、蘇る……。
「人を消す話……。ナオコを死に追いやったやつらを、この僕が……」
アサカが、僕の書いた作文が満たされていないと見破ったあのとき……、ホントは人を消す話を書きたかったと告白した……。
「ナオコが、未練を抱えてて、成仏できずにいる……。僕にナオコの魂が乗り移り、ナオコを苦しめた連中、自殺に追い込んだ連中を……。この僕が、この僕が、ひとりひとり消し去ってしまうんだ……。そんな話を思い浮かんだ僕はなんてひどいやつなんだと思った。その一方で、僕はなんともいえない感情の昂ぶりを感じたんだ。僕が、人を消したいんだって知ってしまった。うれしさと罪悪感が交互に表れ、死んだ方がいいと思ったんだ……。だから…………」
「ナオちゃん。自分を責めるのはやめて」
「え……?」
「ナオちゃんの考えは間違えてない。ナオコはなにも悪くなかった。悪いのは誰? 消されるべき人物は誰?」
「……」
「軽蔑なんてしない。ボクはナオちゃんの気持ち、わかる。ボクはナオちゃんの仲間だよ」
僕は悪くない。
アサカはそう言った。
悪いのは……悪いのは……。
悪いのは、僕の目の前にいる3人……!!
意識が蘇る……。
冷たい雨が視界をぼかし、雷がピカピカひかり、轟いてうんざりする。
ただエイジが憎い。
僕をからかうエイジたちが許せない。
アサカの言葉が頭の中に響き渡る。
「相田くん、消えちゃえばいいのに……」
「ゆるさないから」
「ナオコが、復讐するんだから」
もう一回の雷がひかった。
視界が蘇る。
ナオコがいる。
そして、おそろしいことに気づく……。
ひとり、消えていた。
今、僕の視界に映るのは二人だけ。
スケッチブックを持ってたのはエイジだから……。
アキラかリン、どちらかが消えている……!!
やつらは驚いた目で僕をみている。
目が点で飛び出てる感じ。
ナオコを見る。
わらっている。
「憎しみを込めて、にらみつければいいのよ」
僕は、理解したときには……高笑いをしていた……!
僕は立ち上がり、やつらの前に進む。
エイジはまだだ。
横のやつをやってやる。
アキラなのかリンなのかも判断つかない。
でも僕には関係ない。
「消えてしまえ」
瞬く間にアキラかリンか、どちらでも関係ないやつが消える。
残りはひとり、エイジだけ。
「あとは、お前だけだぞ……」
エイジは呆然と突っ立っている。
なにが起こっているのか理解していないって感じ。
いや、理解している。
消え去るのがおそろしくて放心しているだけ。
意を決したのか、エイジはページをめくり、スケッチブックを僕にみせる。
「ナオコの絵……。アサカはずっと、描いていたんだな……」
エイジは、どこか悲しそうに言った。
「ナオコが死んでから、アサカが旧美術室でひとり、絵を描き続けていたのは……、知ってたよ。なにを描いてたのかも知ってたけど、考えたくもなかった。でも、肝心なことはそれじゃない」
スケッチブックをめくり、僕に向けると……。
「え?」
「アサカの絵……。ナオコが描いたやつだよ……」
少し幼い面影の、満面の、すてきな笑顔……。
目元のクマはなく、無邪気で陰りがない。
でも、雨に濡れめちゃくちゃになり、泣いているようにみえる……
。
「みんな、オレが悪いのかなぁ……」
こいつ……なに言ってるんだ……?
「そういえば、どうしてスケッチブックにこだわるか、
気になっていたよな」
「うん……」
「復讐だよ」
「え……?」
ビリビリビリビリ―――――――――――――――!!
どのくらいの時間、僕は屋上にいたのかわからない。
誰もいない。
僕が正気になってからは……。
エイジがスケッチブックを破ったとき、怒りのあまり記憶がない。
偏頭痛をも忘れ、ものすごい暴力性が僕自身を支配していた。
「これは、復讐よ」
エイジを消す直前、確かに聞いた……。
そう言ったナオコも、今はいない。
雷もいつの間にか落ちるのは止めて、
ビュービュー吹き付けていた風もウソのようになくなっていた。
でもものすごい大雨だけが来たときからのままで、真っ直ぐと真っ直ぐと僕に降り注いだ。
僕はひとり、消してしまった……消してしまった……と、罪悪感に駆られていた……。
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中学生暗黒小説 自殺したナオコが亡霊として主人公に取り憑いて、クラスメイトらを消し去ってしまうパート |
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