ヤサシサハ雨 第3章 「雨のメロディ」
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誰もいない学校の屋上。

曇天の薄暗い世界に無数の水滴。

まだ怒りが収まらない。

この怒りはどこからくるんだ。

 

その正体が、スケッチブックを目にして少しずつ思い出す。

ボロボロに破れ、雨で濡れ、もう原型をとどめていないその姿は、見ていてホントにつらかった。

取り返せなかったんだなって……。

 

復讐だよ。

え……?

誰のセリフ?

エイジ?

…………いない。

すべて…………思い出した。

 

地面に放置された、スケッチブックだったそれを手にして、屋上から離れ、校舎に入った。

旧美術室へ向かう途中、ウララと出会った。

「ナオ!?」

ひどく哀れんだような顔。

「そんなにボロボロになって、顔色が真っ青よ! おそろしく、身体が冷たい……! どうしたの、ナオ……誰に、やられたの!」

頭が……痛い。胸を打つような罪悪感が、蘇る!

「ごめん……ごめんなさいごめんなさい……」

「ちょっと……、ほ……保健室に、はやく……!」

ごめんなさい……。

悪いんだけど……、ウララ、僕をほっぽってくれないかな……?

 

不意に、僕に向かってタオルが投げられる。僕の顔面に当たり、肩のところに落ちる。

誰だろう……、え…………?

 

「ナオちゃんは、濡れた身体を拭きたいんだよね」

アサカ……。

タオルを取り、突っ立っている僕の頭をやさしく拭いている。

ウララが困惑してる。

「麻木さん、ちょっと……どいてくれる!?」

「春日さんこそ、どっか行ってくれない?」

「あ……あたしは……、河瀬くんを保健室に連れて行くだけよ」

「保健室は、もう閉まっているよ。もう午後の6時を過ぎているじゃない」

「なら、職員室へ連れて行くわ」

「……。春日さんは、なにもわかってない」

アサカの強い口調。ウララはビクっと肩をあげてキョトンとしてる。

「ナオちゃんは、雨に濡れているんだよ。身体を拭いて、着替えたがっているんだよ。そんなこともわからないの?」

「河瀬くんを休ませて……、悩みを聞いてあげなきゃ……」

「ナオちゃんは、そんなことを望んでいない。少なくとも、あなたに悩みを打ち明けたいとは思ってない」

「なに……言ってるの……」

アサカは僕に抱きつき、耳元で、そうだよねと呟く。

ボクたちは仲間だよね。

仲間同士しか言えないことが、あるんだよねって……。

「ウララ……」

ウララは、泣いている……。

僕とアサカの、異様な仲に、動揺している様子がよくわかった。

「……。迷惑なんだ……。妙に心配ばかりされて……。とにかく、アサカの言うとおり……。僕は、雨に濡れて寒くて仕方ないから、着替えたい……」

「!」

「そして……しばらくアサカと二人でいたい。だからウララ……」

「ば……ばかぁ!」

ウララは立ち去った。

申し訳ない気持ちで、立っているだけで精一杯だった……。

 

旧美術室に着くとすぐ、アサカは僕の服を脱がせてくれ、バスタオルを持ってきて身体を拭くよう勧めてくれた。

「ちょっと待って。着替えを持ってくる」

準備室へ入り、そんなところになにか着替えるものがあるのか疑問だったけど、しばらくしてアサカが戻ると……。

「なに……? その制服……?」

セーラー服。

間違いない。

アサカは、ナオコの、セーラー服を着ていた。

「ボクの制服を着て。女物で悪いけど。もう必要ないから、なんならあげるよ」

「ちょ……。どうして、ナオコの制服を……?」

「ボクが持ってておかしいことはないでしょ? 準備室で待ってるから、早く着替えて」

言われるままに仕方なく、アサカの制服を着る。

ウララの制服を着たとき、エイジたちにからかわれたことを思いだし、腹立たしさが蘇るも、彼らを消した罪悪感で泣きそうになる。

 

エイジたちを消したことをアサカに告白した。

アサカは、そのことについてまだ応えていない。

 

着替え終わったことを伝えると、アサカは準備室から出てきた。

アサカは間違いなく、ナオコのセーラー服を着ていた。

血痕はなく、ナオコが自殺したときに着ていたのではなさそうだった。

「ナオちゃん。やっぱりスカート姿が似合っててかわいい」

「からかわないでよ……」

くすっ。ナオコみたいな笑顔。

よく似てるけど、アサカはちょっと陰りがあって後ろめたい感じ。

 

少しの沈黙。目の前にいるアサカが、ナオコと被る。

ナオコと会ってすぐのときは、この沈黙が耐えられないものだった。

でもナオコは落ち着いていて、僕ばかりが緊張していた。

 

……。少し、落ち着いてきた。

でも、さっきまで起こったことは、とても信じられなく、本当に起こったことかどうか定かではなかった。

「どしゃぶり…………」

雨の音はすさまじい。

今でもなお、薄暗い旧美術室の窓を弾丸のように打ち続けている。

「現実よ」

アサカの突然の声。

「雨は、降ってるのよ、ナオちゃん…………」

下を向いたまま、僕に目を合わさないように言葉を発している。

「屋上が、ナオコの、嫌な、怒りで満ちていた……。なにがあったか、話してくれないかな……? ボク、すごくこわいの…………」

「うん……」

だいじょうぶ……。

アサカなら信じられる。

人を消してしまうという、作文に書こうとしてたお話を軽蔑しなかったアサカなら……。

 

アサカは終始口をはさまず、静かに首を振り、途中メモに書き留めながら、僕の話を真剣に聞いてくれた。

僕は、アサカからの言葉を待ったけど、既に午後6時をまわっているから帰宅しようとアサカに勧められた。

言葉に詰まっているから、そう提案したんだろう。

無理もない。

僕がアサカの立場だとしても、どう声をかければいいかわからない。

 

校舎を出ようとしたが雨の勢いは依然として強い。

アサカは傘置き場から薄汚いビニール傘をひとつ取り、僕に渡そうとする。

僕は拒んだけど、それでもアサカは傘をひとつ盗み、一緒に入ろうと言った。

 

仕方なく入ったはいいが、ちっちゃくってホネの折れた傘じゃ1分も待たずにずぶ濡れになった。

「いいよ。傘なんて……」

「ないよりはマシだよ」

「傘はキライなんだ」

「……」

「傘を差すのは面倒なんだ。まぼろしの雨に打たれ続けるけどみな傘を差していない。だから僕は傘を差さず、雨を受けている」

急にアサカが立ち止まり、刹那、ボロボロの傘を投げ捨てた。

そして、僕の方に手を伸ばし、手の平を返して雨を受ける。

「ナオちゃん。世界が変わったの」

「え?」

「雨は降っているの。強く、冷たい、悲しみに満ちた雨を。感じるでしょ? ナオコよ。ナオコが雨を降らしているの」

「……」

「ナオコは言ったんだよね? 憎しみを込めて、にらみつければいいのよって。そしてエイジくんたちは……」

「やっぱり、僕が消しちゃったんだ……」

「……」

「アサカ……?」

「……。そうよ……」

震えている……。

「ナオコの、仕業だよ」

 

アサカは、僕の家まで送ってくれた。

別にそこまでしてくれなくてもと自分でも思うけど、今の僕にはアサカに別れの言葉を言う余裕さえなく、動揺を抑え、なにが起こったのか冷静に考えることさえままならなかった。

下を向いたままのアサカ。

精一杯の力で、沈黙を破ろうとして出した言葉は……。

「スケッチブック、ごめん……。ぐっちゃぐちゃにされちゃった」

スケッチブックは、一応アサカに返した。

もう、絵なんて見れるもんじゃなかったけど……。

「ボクの絵、なくなってるね。ナオコに、小学校の頃に描いてもらったやつだけどね。けど……」

アサカは僕の目を見て言う。

「ナオちゃんが無事だったら、それでいい」

 

少しして、アサカが手を振る。

僕も手を振り、お別れの挨拶をする。

少し離れては振り返ってる。

僕はその様子をしばし見て、雨で姿が見えなくなったあとで、家に入った。

 

びしょびしょの制服を脱ぎ捨て、それがアサカの女子の制服だったことに少し驚くも、それは実に些細なことのように思えた。

今日は、色々なことがありすぎた。

暖かい格好に着替えてから、布団にもぐり、すぐに熟睡した。

 

夢で、何度も何度もナオコが出てきた。

なんで消したのかとナオコに聞いたら、復讐と言い続けていた。

起きては眠り、またナオコと会い、それを繰り返したあとで、ホントに僕はエイジたちを消したのだろうかと疑問に思った。

結局どこまでが真実で、どこまでがまぼろしかわからないまま、遠い明日、エイジたちが教室にいるのか、そのことが気になり、ひとり泣き続けた。

 

ウララの6回目のコールでようやく玄関を開ける。

ぷりぷり怒っていると思ったけど、ウララは涙目で下を向いて待っていた。

昨日、僕は心配するウララをほっぽり、アサカについていってしまった。

なのに、今日も僕を迎えに来てくれたんだ……。

 

外は……雨……。それも、すごいどしゃぶり……。

「河瀬くん?」

「ウララ。ホントに、雨は降ってるの?」

「え……。ええ、まぼろしじゃないよ」

ウララは、濡れた傘を持っていた。

 

朝食のときも、僕らは昨日のことの話題は一切しなかった。

もともとウララには話すつもりはなかったから助かったけど……。

なんだかそわそわしていて、ちらちら僕の方を見ては伏せての繰り返しで様子がおかしい。

そのことに気づいておきながら、僕は気にしないふりをした。

 

家を出るとき、傘を差さずに外に出ると、すぐに全身が冷たくなった。

「傘がキライなのは知ってるけど、ホントに降ってるのよ。風邪、ひいちゃうよ」

「……」

「ほらっ! そこにある傘を持って、すぐに差してよ!」

ホントに、ホントに、雨が降っている……。

昨日の土砂降りがウソじゃないとしたら……、ウソじゃないとしたら……!

 

「やっぱり…………」

教室について、愕然とした。

エイジが、いなかった。

取り巻きの、アキラとリンもいなかった。

サエねえさんがやってきて、朝の会が始まっても、3人が現れることはなかった。

そして、さらに驚いたのは、彼らがいないことを誰も気にかけていないことだった。

 

朝の会が終わると、アサカがやってきた。

ナオコの、セーラー服を着ていた。

 

周りでひそひそ話し合うクラスメイト。

無理もない。

あの、全校生徒が集まった朝礼のときに屋上から飛び降り自殺をした、ナオコが着ていた制服をアサカが着ているんだから……。

 

アサカは下を向いたままで、昨日のときのまま暗い面持ちだった。

だけど、どこか堂々としてて、すっきりした表情にもみえた。

「やっぱりエイジくんたちが……?」

「うん。いない……」

僕がそう言うと、アサカが急に笑みを浮かべる。

「出席簿が、面白いことになってるよ」

 

教卓の上に置いてある出席簿の方に近づく。

手が震える。

とてもめくれなかったけど、アサカが開いて見せて、指を差している。

「なんだって……」

わけがわからない。

エイジ……、相田エイジら、3人の名前が、名簿には記入されていなかった。

 

授業中、冷静に、冷静にと、自分に言い聞かせた。

彼らの席は空席になっていたが、元々そこが空席だったかのように、その位置に机と椅子があるだけだった。

どう考えても不自然。

誰も、なんとも言わないけど。

とんでもないことをしてしまった……。

どんなに嫌なやつだったとしても……、僕は消し去ってしまったんだ。

消し去った彼らはどうなったんだろう? 

考えたくない……考えたくない……!

 

「ナオちゃん、そわそわしてて授業どころじゃなかったみたい」

昼休み、旧美術室でアサカは苦笑い。

僕は、アサカがいれてくれた紅茶を少し飲み、ため息をつく。

弁当は、食べる気が起きなかった。

「ナオちゃん、ショック?」

「……。うん……。エイジたちは確かにいなかった」

「ホントに消えたんだよ。残念ながら」

「……」

「でもね、消えたのがわかっているのは、どうやら……、ナオちゃんに、そしてボクだけなんだよ」

「……。どういうこと?」

「出席簿に、エイジくんたちの名前がなかった。そのことに、堀北先生も、他のクラスメイトも気づいていない。エイジくんたち、きっとこの世界で存在自体していないことになっているの。信じられないかもしれないけど、信じたくはないけれど、……、現実なの。それがどんなに好都合なことだと思う? それがどんなにおそろしいことだと思う?」

「……」

「ナオちゃん、ナオコの仕業だよ」

「うん……」

「ナオちゃん、世界が変わったの」

「うん……」

「受け入れるしか、ないのよ」

「うん……」

「ボクはもう、受け入れたよ」

アサカは、自分が着ているナオコのセーラー服を指さした。

どうやら、アサカなりの決心として、ナオコの制服を着ているらしい。

「職員室に呼び出されてね、この制服なんか着るなって言われたんだよ。ナオコはずっとセーラー服だったけど、指摘されなかったのにおかしいね。先生たちは未だにナオコの飛び降り死を思い起こされるのが嫌みたい。でもナオちゃん、ボクの制服はもうないもんね」

アサカの制服は、僕が昨日着て帰った。

「アサカ……」

「なに、ナオちゃん?」

「夜、ナオコの夢を見たんだ。ナオコに、なんで消しちゃったのと聞いたんだ。復讐と返事がきたんだ。復讐って、誰に対してだと思う?」

「わからないよ」

アサカは即答した。

「ナオコの考えていることなんてわかんない。でもね、ひとつ言えることがあるの」

「なに?」

「今起こっていることは序章にしかすぎない。これから、もっとおそろしいことが起こると思うの」

「……」

「ナオちゃん、このことは、他の誰にも言ってはダメだよ」

「うん……。もちろん」

「できるだけ、他の人を避けた方がいいと思う。もし、ナオちゃんがエイジくんたちを消しちゃったとわかったら、ナオコがこの世界に存在していることがわかったら……」

「わかるよアサカ。僕は、アサカの言うとおりにする」

「ありがとう、ナオちゃん……」

そっとアサカが抱きついてきてくれた。

女の子に抱きつかれたことのない僕は恥ずかしくって離れたくなったけど、アサカの身体は温かく、安心感があった。

 

外は大雨で、薄暗い旧美術室は激しい雨の音に包まれていた。

その空間にいるのは二人だけで、世界から阻害されているみたい。

まるでこの世界でアサカと僕の二人だけになったような錯覚。

アサカは信じられる。

アサカなら信じられる。

不安だらけだけど、僕はアサカを信じるしかなかった……。

 

 

放課後に文芸部の活動があった。

文化祭に出版する作文が受理されなかった上に書き直すつもりもない僕は部活に出ることはなかった。

 

旧美術室に向かうときだった。

図書室を通りかかるところで、文芸部の部長の京本テツヤがみえた。

 

たくさんの作文用紙を持っていて、ぶつぶつ音読しながら図書室へ早歩きしているけど、文化祭に提出する作文の指摘事項を確認しているのだろう。

テツヤは僕に気づいていないらしいが、僕は作文を否定されたことを思い出した。

彼は、なぜナオコのことを作文に書いたのか聞いてきた。

スキャンダルを、学校側が出版するわけないと言った。

 

彼の言い分は、わからないでもないが許せなかった。

ナオコを失い書いた悲しみの文に対し労りの言葉ひとつなく、否定した。

冷たくて、わからず屋。

受け入れられないやつ。

 

「消しちゃえば、いいじゃない」

 

え……? 

背筋が凍る嫌な寒気。

昨日感じたばかりの憎しみのオーラ。

ナオコ……。

なんで、また現れたの……!

「憎しみをこめてにらむだけ。簡単でしょ?」

「いや……。消したくない……」

「この人はあなたの作文を否定したんだよ。私たちを否定したんだよ」

「……」

「クズだと、思わない?」

一瞬だと思う。

テツヤが、消えればいいと思ったのは……。

それだけで寒気はなくなる。それだけでナオコはいなくなる。

 

視界にテツヤがいない。

 

目を擦り、見開いてみても、確かにテツヤがいない。

図書室に入ってみたが、テツヤがいない。

それなのに、テツヤが持っていたはずの作文用紙の束が机の上に置いてあった。

 

よく……わからない……。

 

怪訝そうに見ている文芸部部員の何人かが気になり、急いで図書室を出たが、罪悪感で息苦しい。

少しの憎しみで、僕が消した。

たったそれだけのことで、消えてしまった。

 

ひとり、足早に帰宅していた。

アサカのいる旧美術室へは、行けなかった。

アサカを、消してしまうかもしれないという恐怖で、足がガクガク震えていた。

 

家に帰り、布団にくるまり、着替えも食事もせず、寝たいのに眠れず、ただひたすら罪悪感との格闘をしていた。

いつ眠ったかわからない。

次の日起きたのが午後の1時でびっくりしたけど、土曜日で学校がなかったのでほっとした。

でも、土日、外に出ず、誰とも会わず、人を消したという記憶だけが渦を巻き僕の頭を支配し、偏頭痛のあとで意識を失い夢を見て、夢でナオコを見ては発狂した。

 

土日のあとの月曜日。

またウララの何回目かのチャイムで目が覚めた。

扉を開けると、濡れた傘を畳んでうつむいていて、僕とは目を合わせようともしなかった。

「もう、来ない方がいいのかしら?」

登校中、ウララが言った。

「なんだか、あたしがいることに迷惑そうだし」

ウララは気にしてたんだな……。

せっかく迎えに来てくれているのに、僕はずっと黙ったままだし……けど、人を消しているとは当然言えるはずないし……。

「しばらく、ほっといてくれるとうれしい」

きつい言葉……。でも、それはウララのためでもある。

僕は、ウララを消したくなかった。

「まさか、河瀬くんがそんなことを言うとは思わなかった」

「……」

「思い悩んでいることくらい、あたしだってわかるよ。ナオコさんが亡くなってから、ずっと寂しそうだったし、自分で自分を責めているみたいだったし……。だからあたし、心配で朝も迎えに行ってたし、いじめられているときにも制止したんだよ。なのになによ。あたしの気も察しないで……。

麻木さんが慰めてくれる方がいいの? なんであたしじゃあダメなの? いつでも相談に乗るのに……」

「ウララ……」

「もう知らない」

抑えろ……。

感情的になるな……。

僕は……、ウララを消しちゃ、だめだ……。

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ウララが先に学校に行ってしまったあと、冷や汗をかきながら、登校した。

登校している生徒たちに目を合わせないように、ひとり下を向いて、落ち着かせて歩いている様子はすごく滑稽だと思う。

 

ウララは無事だろうか? 

まさか、無意識にアサカも消していないだろうか? 

 

教室についたのはホームルームの1分前。

なんでそんなにゆっくり歩いていたんだろうと自分でも驚く。

 

辺りを見渡す……。

ウララも、アサカも…………今のところは存在してた。

アサカに、話すべきかどうか悩んだ。

アサカは、確かに仲間だ。

そして、僕が人を消しているという事実を知ってて、受け入れてくれている。

でも、僕がまた人を消してしまったことを知ったらどんな気持ちになるだろう?

 

僕はテツヤまで、消すつもりはなかった。

今の僕は、誰だろうと消してしまう危険があった。

アサカでさえも、消すおそれがあるということだ。

 

朝の会が終わったあと、アサカが僕の方へやってきた。

反射的に、僕は教室を出てトイレに行った。

授業開始のチャイムが鳴るまで、教室へは戻らなかった。

 

授業は、テツヤのも空席になったにもかかわらず、やはりみな、そこにテツヤがいたとは気づいている様子も気にする様子もなく、先生の面白みのない低い声が淡々と広がってはいたが、猛烈な雨音に大半は消されていた。

授業の合間の小休憩も、適当に廊下に出ては時間をつぶし、アサカを避けた。

トイレから出てきた女子生徒3人組が、アサカの悪口を言っていた。

ナオコの制服を着ていて気味悪い。

いつも消しゴムの千切ったのを陰で当ててたけど、今日は千切らずに思いっきり当ててやったとはしゃいでいて、周りの友達も甲高い声で笑っていた。

 

彼女らとのすれ違い際、僕は消した。

よかったねアサカ。

これで悪口をいうやつはいなくなったよ。

そのときは、不思議に罪悪感は少なくて、生死を司る神になった気分だった。

 

「派手に消しているね、ナオちゃん」

放課後に入るとすぐ、アサカは僕のところに来てそう呟いた。

他の人は気づかなくてもアサカは誤魔化せない。

アサカには、しっかり人が消えてたことを知られていた。

「気づいてた……?」

「旧美術室へ。ここでは勘操られちゃう」

言われるままに旧美術室へ。

アサカに、まだ人を消してるってバレてしまったのに、ひとりで悩む必要がなくなったうれしさが、複雑に混ざった変な気持ち。

 

アサカは紅茶を用意し、僕はそれを飲み、気を落ち着かせる。

そのあとで、スケッチブックに絵を描くアサカの姿を見てる。

ナオコのスケッチだ。初めてここで会ったとき、絵を描いていたことを思い出した。

「ナオちゃん、もしかして、ボクを避けてた?」

「え? う、うん……」

「ボクは仲間じゃん。ナオちゃんがなにかしちゃってもボクはいつでも味方。だから包み隠さず話してほしい」

「うん……」

言うまでもなくアサカは気づいてた。

そりゃそうだ。

僕以外に消している人物がいないんだ。

 

アサカの入れてくれた紅茶をさらに一口。

落ち着いたあとで観念し、僕は消した人物、その経緯を話した。

アサカは丁寧に一字一句メモをとる。

「たぶん、ちょっと憎いとか、嫌だとか思ったりで、それだけで消してしまう。消した人間は、当然だけど元に戻らない。現に、エイジくんたちは消えたままだもんね」

「う、うん……」

「ナオちゃんの……いや、ナオコの人を消すという動作は、ただにらみ付ければいいだけでなく、消したいと思うだけで消せるほど、簡単でかつおそろしいことになっている。いくらナオちゃんが消したくないと頑なに思いこんでいても、誰でさえも消える可能性がある」

「……」

「人は消え続ける。そして蘇らない。そのことが続き、その終点がどこまでかはボクには判断できないけど、そのまま日数が進んだら、どうなるか……?」

「……」

「躊躇せず、言ってみて」

「……」

答えられなかった。頭が凍り付いてて……おそろしすぎてて……。

「まあ、いいよ。今は答えなくても。でもね、これは復讐なのよね、ナオコの」

「うん。そう思う……」

「復讐というからには、当然ナオコの憎いと思っている人物が消えると考えて、いいんじゃない?」

確かに……。復讐は、誰でもってことではないと思う。

「ナオちゃん。消したとき優越感があったみたいじゃない。ボクに、消しゴムを投げつけてくれた女子を消したとき……だよね?」

「……!」

「気にしたらダメだよ。ナオちゃんの気持ち、わかる。ボクのためにやってくれたんだよね。彼女らこそ、消えて当然の人たちだよ。ナオちゃんは正しいことをしてくれた。ありがとう」

そうだ……。僕は、悪くない。

「ナオちゃんがどんなことをしても、ボクは仲間。ボクはもう決意したよ」

「その……、着ているナオコの制服がそう?」

「そのとおり。でも、正直、どれくらいの人が消えるのか、ボクでも判断できない。ボクでさえも消えないとは言い切れない。だけど……やりとげなきゃならないことがある」

「なに……?」

「ナオコの絵を、描き上げる」

「スケッチブックに、描いてたやつ?」

「そう。そうね、文化祭までには描き上げたい」

「文化祭?」

「ナオコは、文化祭までには描き上げられなかった」

「それは……」

僕の絵?

「ナオちゃん、お願い」

「なに?」

「ボクだけは、消さないでね……」

 

 

大雨の帰り道。

アサカと別れてすぐ、ピンクの軽自動車が僕のすぐ横で止まり、ドアを開けてきた。

担任の先生であり腹違いの姉である、サエねえさんだった。

「ほらほら、乗って」

周りを見て、誰もいないことを確認して車に飛び乗る。

濡れた傘を後部座席の足場に置き、シートベルトを締めサエねえさんを見る。

弟をみるときのような、サエねえさんの笑み。

「いやぁ。すっごい雨だったけど車で送ってもらえるなんて、ナオくんラッキーだね」

「え……うん。サエねえさんの車に乗るの、そういえばひさしぶり……」

 

サエねえさんが先生になる前は、よく車に乗っけてくれてたっけ。

母さんが構ってくれないことを気にして、よく遊びに連れてってくれたり……。

「夕食、まだ?」

「うん……」

「わたしが作ってあげるよ」

うれしさよりも戸惑いの方が強かった。

サエねえさんが家にあがってくれて、料理を作ってくれることも以前はあった。

そのときは、純粋にうれしかった。

けど今は違う。

サエねえさんをも消しかねないから……。

 

平常心を保つよう、保つよう、自分に言い聞かせる。

「最近、学校楽しい?」

僕は感情を殺しながら応える。

「うん。でも、どうして急に?」

「ん〜。アサカちゃんと仲良くしてるみたいだから」

アサカの名前が出てきて、思わず唾を飲む。

「いやいや、悪く思わないでね。ナオくんとアサカちゃんが仲良くやってそうで、うれしかったから。二人とも、ひとりでいることが多かったからさぁ」

「うん、そっか……」

「どうしたの? しみじみとしちゃって」

「いや……別に……」

「ちょっと、アサカちゃんについて聞きたいんだけど、いい?」

僕は小さく頷く。

「朝倉ナオコさんのセーラー服を、最近着てるからどうしてかなと思って」

きたか……。

当然気にするよな……。

「……。わかんないよ。アサカに直接聞いてみてよ」

「そうだよね……ごめん」

「やっぱり気になる?」

「ええ。わたし以上に、他の先生方、父兄の方々がね」

「……」

「アサカちゃんに説得してみたけど、ダメだった。セーラー服を着てることで、孤独になっていってる。みな、批判的な目を彼女に向けているの。でもナオくんはアサカちゃんと親しくしてるから、ナオくんやさしいなと思うし、アサカちゃんもひとりじゃないってうれしいの」

 

車を降り、サエねえさんを家にあげると、すぐに夕食の準備に取りかかってくれた。

その間、僕はなにをするわけでもなく、ぼーっとしていた。

やさしい……僕が…………?

いや、サエねえさんは考えが甘いから、そんな風に捉えちゃうんだ。

僕とアサカが、もっと深刻な状況だということをわかってないんだ。

その証拠に、消えたクラスメイトについて尋ねてこない。

気づいて、いないんだ……。

 

夕食は、オムライス。

サエねえさんの作る料理はまずくはないと思うけど、今日のは特に味がないように思えた。

サエねえさんから話題が出ず、僕もなにも話すことができず、すごく居心地が悪い。

 

サエねえさんもなんだかそわそわしている。

なんとか沈黙を破りたかった。

嫌な気持ちが、表れていたから……。

 

サエねえさんの視線の先に、ピアノがあった。

サエねえさんが弾いてくれてた姿が蘇る。

「ピアノ……。弾きたいの?」

ひゃ……! 

サエねえさんの驚く顔。

なんでそんなこと、わかったのって感じ。

「そういえば、昔よく弾いてたね」

「うん。歌手志望、だったんだよね?」

「今は音楽の先生だけどね」

えへへ。かわいい笑顔。そして、食事中にもかかわらずピアノの方へ足を運んだ。

すっと目を瞑り、眉間にシワを軽く寄せて、恐怖を覚えるくらいの深刻な顔。

でも、やがてやわらかい温かい雰囲気に変わる。

そして……。

 

冷たい、美しすぎる旋律。

鍵盤を叩く指先が大人な女性のようなのに、徐々に荒々しい幼稚さが見え隠れ。

理性と野生の共存。

サエねえさんは目を瞑ったまま。

全神経を音楽に向けていて、身体全体に魂のままに、感情をそのままに、指に委ねて、メロディーがあふれ響き渡る……。

「その曲……?」

サエねえさんはピアノだけじゃなくて、いつも歌が入るのに……あれ?

こんなねえさん、知らない。こんなねえさん、知らない。

メロディが、夜の雨音と重なり合い、うんざりな雨なのに、ナオコの呪いの雨なのに、雨をも音楽と化して、信じられないほど身震いをしている。

雨だ。

雨の曲だ。

ナオコを失い、溜まりに溜まった鬱積をも、今僕がクラスメイトを消しているという事実をも忘れて、サエねえさんの怒りでも悲しみでもない、よくわからない感情の世界に包まれる……。

 

指が止まったあとも、まだサエねえさんが演奏しているかのような錯覚。

雨の雑音でさえも、曲の続きのよう。

サエねえさんがようやく目を開き、僕をみる。

えがお……。

「すごかった……」

率直の僕の感想。

サエねえさんは息切れをしながらありがとうと言った。

 

サエねえさんが帰宅し、ひとり布団に潜りながら、サエねえさんが演奏した曲を思い返していた。

サエねえさんは、学校の先生ではなくて歌手になることが夢だった。

サエねえさんの意気込みは本物で、音楽大学に進学し、路上ライブで自作の歌を披露し、多くの通行人を足止めさせる程の実力者だった。

サエねえさんの歌は、淡い恋心をテーマにした、かわいらしいものがほとんど。

でも、今日聴かせてくれた曲は、今まで僕が聴いてた曲とは別物の、すさまじい感情に満ちた音楽だった。

 

なにか、思い詰めていることでもあるのだろうか? 

サエねえさんは、悩みを抱えながら、そのはけ口としてピアノを弾いているように思えた。

苦しんでいるのは、僕だけじゃない……?

その考えは僕の気持ちを軽くさせてサエねえさんに気持ちを許しているように思えたけど、それがなぜかアサカを裏切ったかのような申し訳なさがあった。

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「なにナオちゃん。ぼーっとしちゃって」

昼食時にアサカが尋ねる。

雨音広がる旧美術室内で、サエねえさんのピアノのメロディが僕の耳の中で何度もリピートしていた。

そのことをアサカに話すと、面白くない顔をしてしまった。

「ナオちゃんの家にあがってか、ふーん」

荒々しく鉛筆を動かしている。

そのせいで鉛筆が折れ、替えの2B鉛筆で大きくバッテンを描いていた。

「なに怒っているの?」

「別に怒ってなんてないよ」

「ホントに?」

「ホント」

アサカはこれ以上話す様子もなかったので、黙々と食事を進ませることにした。

それでまた雨音に耳を傾け、やがて昨日のサエねえさんの雨の曲になり、耳に響き渡る。

ぐちゃ。

スケッチブックが破れる音。

アサカが破り、丸めて投げ捨てている。

「どうしたの?」

「不愉快な曲が、聞こえる」

アサカにも雨の曲が聞こえている? 

幻聴ではなかったの?

「聞こえる? ここから正面の、少し上の階の教室から……。ギターの音かな?」

「ギター?」

耳をすますと、確かにギターの、サエねえさんの、雨の曲が流れていた。

でも、サエねえさんのとはまったく雰囲気の違う、雑で拙い演奏だった。

「ムカムカするんだよね、あの演奏」

 

 

音楽の授業。

一番乗りで音楽室へ入ると既にサエねえさんがいて、僕の家で演奏してくれた題名のわからない曲を演奏していた。

けど、軽く演奏しているようで身震いはしない。

あのとき聴いた曲とは違うのかと思えるほど、別の曲のように感じた。

 

僕がいるのに気づいているのか気づいていないのか、まあどちらでも構わないのだけれども、気にかける様子もなく、次の曲を演奏していた。

これは前に聴いたことある。

かわいらしいポップな音楽。

歌を歌う代わりに小さく鼻歌を歌っている。

 

穏やかな表情ながらも真剣な面持ち。

ライブが近いんだな……。

そんな表情をするのは、ライブ前の他にない。

最近は学校が忙しいのか路上ライブをしてなかったのに……。

 

曲の途中なのに、ある女生徒が来ると演奏を止めて、にっこりとしてサエねえさんは女生徒に話しかける。

その女生徒は……ウララだった。

 

意外だった。

ウララは学級委員で、担任のサエねえさんと話す機会が他の生徒より多いのは確かだったけど、二人ともすごく親しげで……。

生徒と先生って感じじゃなくて、その……会話の内容がライブに関することで……。

 

演奏する曲はあれとこれですよね? 

どこどこのパートが苦手なんですけどどうしましょう? 

まるで一緒に演奏するパートナーって感じだった。

 

音楽の授業中、いつも以上に真剣に歌うウララがいた。

ウララは合唱部に所属している。

中学校に入学してすぐ入部しただけの実力はあるはずなのに、音を外している箇所が多いように思えて気になった。

音楽の授業が終わると、ウララは再びサエねえさんの元へ。

やっぱりなにかあるな……。

鈍感な僕でも察しはついた。

 

昼休み、いつもならすぐ旧美術室へ行くけれども、空き教室へひとり立ち寄ってみた。

空き教室とは、旧美術室の真ん前に位置する、2階の狭い物置。

進学に関する書類が整理されてない状態であったと記憶している。

アサカは、ここから聞こえてくるギターの音に不快感を示していた。

 

ホントは、行かない方がいいのかもしれない。

今の僕は、人を消すおそろしい能力があったから。

けれども、どうしても気になる。

あの耳元でずっと流れる、雨のメロディが……。

 

扉を少し開けて見てみる……やっぱりな……。

けど中には入れない。

彼女には、朝迎えにこないでと言ったばっかりだったし……。

「ナオくん、なにのぞき見てるの?」

背後からサエねえさんの声。

そして良い物を見たぞとにやにや笑みを浮かべていた。

「いやいや、ナオくんにはライブの話、しようかと思ってたところだったから丁度良かったわ。でもナオくんの方から気づいてやってくるなんて、さすがというか昔からの仲というか、良いわね〜幼なじみって」

あの、すんごい気まずいのですけど……。

ほら、ウララがなんで入って来たんだといわんばかりにほっぺをふくらませている……。

「ライブって、やっぱりサエねえさんとウララがやるの?」

「ええ。ほらウララちゃん、ギターを持ってはりきっているじゃない」

僕の目の前にいるのは、ギターを持ったウララ。

僕がやってきたことに、あからさまに不快感な顔……。

「お昼休みにギターの練習しているのってやっぱり……」

「ウララちゃん、ここで練習しているんだよね」

サエねえさんの問いに、ウララはコクって頷く。

「それで、ライブとかなにか言ってたけど……」

「うん、ウララちゃんとコンビを組むの」

「けど……、ウララはクラス劇をまとめるのに大変なんじゃ……。それに、合唱部での活動もあるんじゃあ……?」

「ウララちゃん、合唱部をやめたんだよ」

「え……?」

「わたしと二人で軽音部、つくっちゃったのよ」

…………??

 

もうどこから突っ込めばいいのかわからないけれども、サエねえさんとウララは軽音部を作ったらしく、文化祭で発表をするらしい。

軽音部の創設は争議が巻き起こったとのことだが、ウララのやる気が認められたとのこと。

「最後の文化祭の思い出に……」

サエねえさんのその言葉が決定打。

ねえさんは、ホントにやりたいことは力押しで解決させるところがあった。

弟のように心配されたり、面倒見の良いところがあったり、さわやかで気持ち穏やかになる歌声があったり、強引に物事を進めるところがあったり……。

あ、そうそう。

来週には、二人で路上ライブを行うんだって。

町内会で申請出すとき、ウララの実力が疑問視されたらしいが、路上ライブのベテランのわたしがいるからいいでしょって、サエねえさんが強行したとのこと。

 

ギターは、サエねえさんが昔使ってたのをウララにあげたとのこと。

ねえさんはすぐ挫折したらしいが、そのことがかえってウララのやる気を出させたように思えた。

さらには、路上ライブを控えているのも合わさって。

けど、ちょっと気合いが入りすぎてるみたい……。

「ウララちゃん、ちょっと肩に力入っちゃってるのかな? ここは少しずつ盛り上げるところだから、やさしい手つきで弦を弾かないと」

「は、はいっ!」

ウララは終始真剣に演奏していて、サエねえさんのアドバイスを素直に聞いていた。

けれども拙い演奏はあまり改善されずにいた。

「曲は最後まで弾けるんだからあとは表現の仕方だけ。自信を持って! ウララちゃんならできるわ」

とは言いつつも、音大に出て、路上ライブをこなしているサエねえさんとは実力が違いすぎる。

 

雨は相変わらずの豪雨で雨音に満ちた部屋の中で、必死に抵抗するかのようなウララの雑音。

日数が少ないせいかあせりが見て取れる。

それが伝わり、僕も心身落ち着かない。

考えてみれば、みな文化祭に向けてがんばっている。

ウララは、軽音部としてギターの練習している真っ最中だけど、クラス劇も仕切っているのだから大したものだ。

アサカも、ナオコの絵を仕上げようと今日もスケッチブックと格闘していた。

僕はと言えば……人を消した。

そして、新たに人を消す危険性を秘めている。

そのことを隠しながら、ウララとサエねえさんの前に、僕はいる。

「ナオくん、なに思い悩んでいるの?」

ウララが個人練習中に励んでいるところ、サエねえさんが聞いてきた。

「せっかくみんなでいるんだから、ナオくんも楽しまないと」

「楽しむ?」

「うん! 昔から、わたしの歌をすんごく楽しそうに聴いてくれてたじゃない。ナオくんが心から楽しんでいるから、わたしもウキウキして歌を歌えたの。最近なんだか暗い顔ばかりのナオくんだけど、それを吹き飛ばすくらいの元気な曲を披露するから、期待しててね」

そうか……。

前はそんな風にサエねえさんの曲を聴いてたなぁ。

でも今は……とてもそんな気分になれない。

 

昼休みと放課後、ウララのギターの音は欠かさず聞こえた。

少しは改善されたようだけど、アサカは相変わらずスケッチブックを破り続けた。

昼休みに聞こえるギターの音がウララのものだとは、アサカには言わないことにした。

 

「最近は天気が良くなかったけど、明日は晴れてほしいね」

ライブ前日の帰宅中またサエねえさんに車で拾われ、そう呟いてた。

良くないどころかずっと土砂降りだよと言うのは抑えて、頷いて応えてみる。

「わたしね、雨女でけっこうライブが中止になっちゃったりしてたの。だから今夜はこれをかけるの」

バックからなにか取り出す。

てるてる坊主。

しかも、サエねえさんの顔と同じくらいの大きさ。

今度のライブ、必ず晴れてほしいと胸を張って言ってた。

明日くらいは晴れてほしい。

僕は小さく祈った。

 

ライブの日の土曜日は……小雨。

土砂降り続きだったのに、雨が弱まることもあるんだ……うれしいというより、戸惑いが強いように思える。

けど、いつ土砂降りになってもおかしくない重々しい雲が空全体を覆っている。

サエねえさんの車で駅前の会場へ。

小雨でもライブは決行するみたい。

ウララは黙り込んだままで、緊張が僕にまで伝染する。

会場に着くと、サエねえさんは町内会の事務所へ。

そこでライブ許可を頂いているから、挨拶に行ったんだ。

僕はというと、ウララと一緒にライブの準備にと機材のセッティング。

……とはいっても、僕は機材のことがわかんないから終始荷物運び。

 

ウララの表情は重く、身体もぎこちなく、高そうな機材を落としそうになること数回。

どんなにウララがピンチなのか少しくらいはわかっているつもりでも、かける言葉も思い当たらない。

そういえば、僕にとってウララはなんなんだろう?

幼稚園の頃からの付き合いで、たまたま近所に住んでいて通学するときに一緒。

僕はよくいじめられてて、その度にウララが助けに来てくれて。

忘れ物はないか、帰ったら宿題はやるんだよ。

気にかけられてばかり。

「面倒をみてあげずにはいられない。そんな性格なのよ、ナオって」

僕はそこまでだらしなくはないと思う。

母さんがあまり家にいないから、食事だって自分でできるし、洗濯もするし部屋の掃除も最低限はする。

ただウララが几帳面すぎるだけ。

融通がきかずにがんばりすぎる。

それが僕にまで及んでいるだけ。

 

そんなウララが彼女自身良かれと思ってやっているおせっかい。

それは僕にとって有り難いことなのだろうか?

うんざりなのか? 

うれしいのか?

ただ言えるのは、ウララは消えるべき人ではない。

それだけは確か。

だから僕は消してはいけない。

第一、ナオコに対しなにも危害も悪口もしないウララだから、復讐の対象として入ってはいけない。

 

そんなことを考えていると、最近よく話す女子学生が目の前にいた。

アサカ……。

休日なのになぜかナオコのセーラー服姿で、相変わらずのボサボサ髪。

中学校で会うときと全然変わらない。

「来ちゃった。ナオちゃん、来ると思ってたし」

サエねえさんのライブは町の掲示板の隅くらいしか広報されてなかったと思う。

中学校で掲示されてるわけでもないのに、アサカが来たのにびっくり……。

「なんでボクを誘ってくれなかった?」

「ごめん……。でも、アサカはライブのこと、どこで知ったの?」

「ふふふ。ナオちゃんのことはみなわかるんだよ」

ほほえんでいるけど、どこか不機嫌の視線はウララに向けられていた。

「あら、アサカちゃん! ライブに来てくれたんだ! 先生、すごくうれしい!」

サエねえさんが準備の時間を割いて僕とアサカの元へ。

アサカは先生の言葉を無視し、斜め下に目線を向けたまま。

ウララ、下唇を噛んで腹を立てていた。

 

ライブがまもなく始まるとき、サエねえさんがキーボードの前に立ち、一礼すると観客たちは拍手。

サエねえさんは白の花柄のワンピースで、薄化粧で大人の女性って感じ。

そして席につき、演奏を始めようとしているけど、ウララはステージにいなくて、車の中に行ってしまい、出てこなかった。

サエねえさんはウララがいないことを気にかけない様子で、もしくはふりをして、深呼吸。

一瞬真剣な顔をしたあとで、ほがらかな顔、そして……。

 

サエねえさんは鍵盤をなぞり、軽やかなキーボードの音が響きわたる……。

サエねえさんは特異な弾き方をする。

ポップだと思うけど、テンポが速くなったり遅くなったり、そして高い音と低い音が行ったり来たりと、流れるままに指を動かしているのだから不安定な旋律が奏でられる。

 

率直に言うならば、でたらめ……。

けれども、けして下手な弾き方ではなくて、他のミュージシャンにはマネできない独特なメロディーに引き込まれる。

そしてサエねえさんの歌声が聞こえる。

すごく澄んでいて、かわいい声がこもっている。

まるで子守唄のようなやさしい歌。

だけど、母親が赤ちゃんに歌うそれではなく、まだ幼い少女が歌う、子どもみたいな感じ……。

サエねえさんは顔いっぱいにシワを作りながら揺れている。

僕らの方を向いては、にっこり笑う。

みんな楽しもうよ……そう言ってる気がする……。

 

僕は、よくわからない感情に包まれる。

人を消す罪人の僕が、サエねえさんの歌を素直に楽しんでいいのかって。

 

サエねえさんがキーボードから手を離しても、みな少しの間黙ったまま。

そして……大喝采。

力いっぱいのたくさんの拍手にサエねえさんは照れながらありがとうを言う。

「ナオちゃん、先生、あんな不思議な歌を歌うの?」

アサカからの質問。

「うん。自分しかできない曲を、工夫して作ってる……そう聞いたことがある」

驚いたアサカの姿、初めてみる……。

 

拍手が静まり、キーボードのすぐ横に置いてあったジュースを飲んだあとで、サエねえさんがしゃべる。

「今日は来てくれてどうもありがとう! あたし、堀北サエといいます。どうもよろしく!」

そのあと、自分は不定期でライブを行い、自分で作ったオリジナルの曲を演奏していると説明した。

そして、しばらくサエねえさん単独の演奏が続く……。

サエねえさんは、明るい曲は笑顔いっぱいに楽しそうに歌い、悲しい曲は眉をよせて泣き出しそうな顔をして歌った。

曲のほとんどが恋の歌……恋人を想う曲なんだけど、ただきれいな言葉を並べただけの歌じゃなくて、サエねえさんの想いがしみじみ感じるほど胸に突き刺さるところがあった。

どの曲にも思い入れがあって、その思いをはき出して、なにかを伝えようとしてる。

僕がそう思えるほど、サエねえさんの音楽は訴えかけるものがある。

 

お客さんは知らないうちにいっぱいになってた。

ちょっと足を止めた人々がみな去らずに立ち止まってライブをみてる。

サエねえさんの歌に魔力があるみたい……。

 

何曲目か歌が終わって、サエねえさんがどこかに目配せをした。

すると、ウララがいつの間にか車から出ていて、観客の中からひょいと立ち上がる。

黒の破れたジーンズに血の痕が跳ねたようなワイルドなTシャツ、そしていかついガイコツのキャップ……。

ロックシンガーみたいだけど……そんな姿、僕は見たことがない。

ウララはいつでも真面目な格好で、学級委員だし、ちゃっちゃくってあきれるくらい不器用な努力タイプで……ぜんぜん似合ってない。

 

震える手でフォークギターを取り出す。

ベルトで肩にかけ、構えてみる。

小さいウララにギターはちょっと大きくて不釣り合い……。

「ではでは、今日はあたしと一緒に演奏してくれる心強いパートナーがいるのですが……、ウララちゃん、よろしくね!」

サエねえさんの一言で拍手がパチパチなる。

ウララの顔が一層引きしまる……。

「普段のわたしなのですが、実は学校の先生をしていまして……、ウララちゃんはわたしの生徒なんですよ! ギターを練習してそんなに時間は経ってないウララちゃんですが、すっごい一生懸命やったからびっくりするくらい上手になりました〜! みなさん、どうぞよろしく〜」

ウララは顔を赤くさせて小さくおじぎをする。

みんなから拍手され、もうガッチガチ……。

「昼休みに聞こえてたギターって、あの女が弾いてたんでしょ?」

「う……うん」

「へぇ。ナオちゃん、知ってたんだね」

アサカが意地の悪い顔をする。

「すごいヘタクソだったじゃない。ただでさえヘタなのに、あんなに堅くなってたら結果は見えてるよ」

「アサカ、悪口言うのはよそうよ……」

そう僕は言ったけど……。

僕からみても、ウララはギターを弾くのもままならないように思った……。

 

演奏は……ひどかった……。

ウララが緊張をまぎらわせるためか、目を瞑り力いっぱい弦を弾いたんだけど、サエねえさんのピアノと大きくリズムがずれていた。

ウララのギターはひとり暴走していたんだ……。

ウララが歌い出す。

しかし、いきなり音を外した。

上を向いたまま、小さくなるウララ。

歌えなくなってた。

 

観客たちは、見てられないと目を逸らしている。

聴くのに耐えられないのか、その場を去る人もいた。

貧乏ゆすりをしてる人もいる。

唯一、アサカだけは楽しそうだった。

 

サエねえさんは場の空気を変えようとウララのペースに合わせようとひとり奮闘してる……。

でも、ウララの演奏は不安定で速くなったり遅くなったりしてるから、とても合わせるられていない。

ほほえんでばかりだったサエねえさんの顔にあせりがみられる……。

 

重々しい雲が空いっぱいに伸びていて、いつ雨が降ってもおかしくない天気になってた。

観客は指で数えるくらいしかいない。

曲の終わりもうまくいかなかった。

ウララの演奏がはやく終わりすぎてしまったんだ。

間が悪くサエねえさんも演奏を終わらせた。

さみしく、まばらな拍手が会場を覆う……。そして……、

「ウララちゃん!」

ガコンと、強くにぶい音が聞こえた。

ギターが地面に落ちる音だった。

ウララの姿は、そこにはなかった。

 

ウララがいなくなってすぐのこと。

空からたくさんの雨が落ちてきた。

ライブは路上だったから、通りにいた人たちはみな駅のほうへ急いで雨宿りをした……。

 

機材を急いでたたんでるサエねえさんのところへいく。

オロオロしながらも手伝おうとする僕だけど、アサカはまったく手伝おうとせず、突っ立っていた。

「アサカ……」

「ナオちゃんも機材のことわかんなくって片付けられないんでしょ? なら手をつけない方がいいよ」

「でも……」

そうは言ってみたものの、僕はなにもできず、サエねえさんの顔を見てた。

サエねえさんの顔に笑みはなく、静かにコードを巻いていた。

僕が見てることに気づいたのか、サエねえさんが振り向き、目が合う。

無表情の瞳が目に映る……。

 

サエねえさんも僕もなにも口にしなかった。

でも、サエねえさんがなにか僕に言ってるような気がした。

サエねえさんは、どこかへ行ってしまったウララを心配してるに決まっていた。

サエねえさんは雨の中、機材を置いたままにして探しにいくのはできそうもない……。

だったら、機材を片付けられない、僕が探しに行くべきだって……なんか、そう言ってるように感じる……。

「僕……、ウララを探してくるよ」

「え……?」

サエねえさんは目を大きく開けている。

驚いた顔をしてたから、僕にウララを探しに行けって、言ったわけじゃないんだ……。

でも、やっぱり僕は行こう……。

「ナオちゃん……?」

僕の手をつかんできたアサカ。

ウララのところへ行くのを阻止してるようだった。

「ほっときなよ」

「……。どうして?」

「ボクを、置いていかないでよ」

僕は、アサカの肩に手をやり、アサカを退けた。

振り返るな、振り返るなと自分に言い聞かせて走り去った。

-4ページ-

どうして、僕はウララの元へ走ってるんだ……。

ウララが特別な存在だから? 

幼なじみだから?

なら今探しに行くべきじゃないのでは? 

消すかも、しれないのに……。

 

自問しながら、雨に打たれながら、あせっていた。

ウララがみつからない。

雨は強くなるばかりだ。

はやく見つけなければ、風邪をひかせてしまう。

 

ウララが気になる。

いっぱい、練習してたんだ。

なのに、散々な結果で、聴きに来たお客さんの機嫌を損ね、なにより、サエねえさんのライブを台無しにした。

真面目なウララだからこそ、彼女自身が許せないに違いない。

 

前にも、似たようなこと、なかったっけ…………。

 

小学校の低学年だったと思う。

ウララがピアノを習って一年と数ヶ月。

実力も大したものになり、市のコンクールに出場したときだった。

さっきのライブみたいに緊張していて、演奏が進むにつれてメロディについていけなくなって、ついに指が止まる。

演奏中止。

ウララが泣きながら退場。

そして隙をついて逃亡。

 

そのときもひどい雨に降られ、雨がウララの激しい涙じゃないのかと思えた。

ウララの父さんら大人たちが雨の中探し回り、僕は外に出るなと止められた。

けど、僕にはウララの行った場所に見当がついていた。

 

この光景は、あのときと一緒。

アパートが数件建っちゃったけど、少しの上り坂と細い階段。

そこを曲がってすぐの、雑草のあちこち生えた日当たりの悪い公園……。

ウララって、あのときから音楽をやってたんだ……。

 

ウララは誰よりも真面目だったし、誰よりも一生懸命。

テストの点数は上の方だったし、積極的に行事に携わってて先生たちからの評判が良かった。

それはすごく良いことだと思うけど、取っつきにくくて目つきばかりがきつくなっていった。

強がってるけど誤魔化してばかりなのを、僕はわかってしまった。

 

ホントはすごく泣き虫で寂しがり屋。

コンクールで失敗して泣いてたあの日、知ってしまったウララの秘密。

かわいくて、少し惚れた……。

 

公園に着いた。

やっぱりウララがいる。

雨に濡れてはっきりとわからないんだけど、頬に涙が流れてるようにみえた。

「ウララ……。だいじょうぶ?」

数年前と同じセリフ……。

あのとき僕は、サエねえさんにウララがいると思う場所を言った。

そして二人で傘を差してウララを追って、僕はそう言った。。

「先生のとこへ帰ろう……」

「……」

ウララは立ちつくしてて、動こうとしない。

ウララは黙ったまんま。

僕もなにを話せばいいのかわかんない。

 

雨は弱まることなくまっすぐと降っている。

雨の音だけが聞こえる公園でお互い正面を合わせて、だけど目は逸らしたままの僕たちは傍からみたら怪しいのなのかなぁと思う。

あの日は、サエねえさんがウララをあやし、3人で帰った。

今は、僕ひとりでがんばるしかない。

「ウララ。風邪ひいちゃうよ」

「ひとりでいたいの。だからほっといて」

「……。いやだよ。僕、ウララと先生のとこへ戻りたい」

「馴れ馴れしく、あたしの名前を呼ばないでよ!」

急にどなってきたからびっくりした。

でも、僕は立ちつくしたままでウララと向き合ってた。

「最近、麻木さんと仲良くしてて、あたしのこと迷惑とか言ってたじゃない! あっち行ってよ!」

「ごめん……。でも、やっぱりウララをほっとけないよ」

ウララは顔をごしごし拭いた。

「どうして?」

「どうしてって……。もし僕がウララだったら、ひとりでいるのいやだし……先生、すごく心配してるだろうし……」

うまく言葉にできなかった。

僕もどうしてウララを追ったのか、よくわかんなかったし……。

でも、実はわかりきったことだったかも。

ウララは、いじめられてばかりだった僕を助けてくれた。

恩返しをしようにもできず、がんばってばかりのウララを畏敬し、近くにいて馴染み深いのに、言いたいことも言えない、微妙な距離が僕らの間。

ウララは僕のことを河瀬くんと呼ぶようになった。

小学生ではずっとナオだったのに……!

「麻木さんは、どうしたの?」

「……。置いてきたよ」

「麻木さんの方がいいんでしょ? あたしなんかより」

「……」

「……?」

「ウララは、アサカとは違うよ」

なにを言ってるのだろう。自分でも疑問。でも、ウララはほほえんでた……。

「帰ろう、せんせのとこへ……」

 

「ずっと前からナオのこと知ってるけど、すぐに泣いちゃうし、堀北先生に甘えてるの知ってるからすっごいむかつくの。今日だってなに? なんでナオがあたしのお迎えにくるの? 情けない男のくせに」

傘も差さずにサエねえさんのとこへ戻る僕らだけど、ウララが別人のようにおしゃべりになってる……。

さっきまであんなに静かだったのに……女の子って、よくわかんない……。

「でも、一番ありえないのはあたし! あんなクズみたいな演奏をして走り去るなんて子供みたい! ダメだよね。堀北先生に迷惑なんてかけちゃって」

サエねえさんの名前をたくさん言ってることが気になった。

すると、思いがけないことをウララは言った。

「あたし、堀北先生が好き。思えば、先生に憧れてピアノを覚えたの」

ウララは子供のように目を輝かせてしゃべってた。

中学校に入学してまもなく、サエねえさんが顧問を務める合唱部に入ったこと。

「でも、合唱部、やめちゃったんだよね? 軽音部作って、そこに入ったんだよね?」

「ええ。もともとあたし、自分で曲を作って、その曲を歌いたかった。ピアノや合唱で歌う、既にある曲をやるんじゃなくて。そのこと堀北先生に相談したら、ギターはどうって? 一緒にライブをやらないかって言われたの」

サエねえさんは誰かとライブをやりたいと、前々から言ってた。

「うれしかったわ! 大好きな堀北先生と演奏できるんだもん! 先生は、昔使ってたギターをあたしにくれた! ピアノでじゃないけど、ギターっていうのもいいかなって」

「でも……。ウララ、ギターを弾いたことなかったんだよね?」

「うん。だって、ギターを練習したのは一ヶ月前だもん」

サエねえさんが残酷な人のように感じた。

素人のウララにギターをやらせて、時間がないなかでライブをやらせたから……。

ウララのギターはまだまだ拙いけど、一ヶ月前に初めてギターを練習したことを考えればすごい上達ぶりではないだろうか。

「ウララ、演奏よかったよ」

「お世辞は言わないで」

「お世辞じゃないよ。もし僕だったら、一ヶ月前練習してライブなんてできなかった。すっごい、練習したんだね」

「でも、うまくいかなかった。まだまだ練習が足りなかったわ」

「違うよ。ウララはがんばったよ! ひどいのはサエねえさ……」

少し沈黙……。

「堀北先生をひどいと言わないで。あたしがやるって言ったんだもん。堀北先生は機会を与えてくれたの。だから時間がないとか、わがまま言えない」

ウララってすごい……。もし僕がウララだったら……。

「……。ありがとう」

ウララが呟く。

「あたしを探しに来てくれて、演奏がよかったなんてほめてくれるなんて……」

ウララは素っ気ないように言ったと思うけど、頬を染めてて少し動揺してる。

でも、僕はほめられるだけの人間じゃないはず……。

 

前から誰か近づいてきたのに気づくのは、ウララがぽかんと口を開けたとき。

ウララは冷たい目で彼女を見たけど、むこうは笑みを浮かべて余裕があるように感じる。

「ナオちゃんのこと情けないとか言ってたのに。なんだ、やさしくされてヘラヘラしちゃって。あんたの方がみっともないじゃない」

アサカ……。

傘も差さずに突っ立っている……。

細く鋭くウララをにらみつけてて、あからさまに非難してる……。

「ナオちゃん、知ってる? この女、ナオちゃんをシンデレラ役に押しつけようと計らってたんだよ」

ウララはバツが悪そうに下を向く。

「ほら……。黙り込むっていうことは事実なの。ナオちゃんを劇に参加させたくて、相田くんたちを利用して強要させたんだよ。ひどいことをした、最低な女だよね」

「麻木さん……うるさいよ……!」

ウララはどなったつもりなんだろうけど、今にも泣きそうな顔で弱々しかった。

「ねぇ。ナオちゃんと幼なじみだったんだって? よく世話を焼いていたんだっけ? でもホントはただ堀北先生に近づきたいだけだったんだよね?」

「ちょ……なに言って……」

「ナオちゃんが情けなくって堀北先生に甘えるのが見てられないって? ホントは自分が情けないんだね。堀北先生に甘えたい……確かにそう言ってたよね」

「……!」

アサカの、ウララに対する悪口はひどかった。

僕は悪口を止めようとしたけど、アサカはウララをにらみつけたままで口をはさめない。

 

ウララはずっと下を向いてしまった。

雨で濡れててよくわからないけど、泣いているんだと思う。

震える声で、ごめんなさいごめんなさいと……繰り返している……。

僕は……アサカに聞いた。

「ウララに、どうしてあんな悪口を言ったの……」

アサカはひどいことをした……。僕は静かに腹を立ててて、アサカを消す衝動にかられてた。

 

僕の横には……、ほら、ナオコが現れている! 

どっちを、消そうとしているんだ……。

 

足が硬直する……。

僕は……どちらにも、消したいくらいの憎しみが芽生えた! 

でも……、消しちゃって、いいのか!

「憎しみこめてにらむだけ。なんなら、私が消してあげようか?」

ダメだナオコ! 

頼むからやめてくれ!

だって、だって……。

二人とも、僕の大切な人なんだから……!

「じゃあ、君が消える?」

それで……、構わない。

人を消してる、僕の方が消えるべきなんだから。

「ホントに? ……仕方ないじゃない」

なに……が……。

「憎しみが生まれるのは、仕方ないじゃない。人間なんだから」

なにを、ナオコは言っているんだ! 

ナオコ、君の言葉ひとつひとつが、絶望に感じる。

どうして、仕方ないとか言うんだ。

「聞くけど、君は消されちゃっていいと、本当に思うの?」

「え……」

「こわくないの? こわいよね? なら仕方ないよね?」

なにを、言ってるんだ……!!

 

バサ……。

頭が、混乱したそのときだった……。

僕の目の前で女の子が倒れる……。

さっきまで堂々としてて、きつい眼でにらんでた女の子とは思えないくらい弱り切ってて……。

アサカが、倒れた。

「ただ二人でいただけなのに、なにをボクは妬いていたのかなあ」

倒れたアサカを僕は抱えてた……。

制服は濡れてて、身体は冷たくて震えてる。

「お願い。ボクを、消さないでね……」

 

ナオコはいつの間に消えてて、ウララも、僕から離れ、ひとりでどこか行ってしまった。

僕はアサカを抱えたままサエねえさんの元へ向かった。

アサカは僕と一緒に歩いてるけど、疲れ果てているのか瞳を閉じてる。

 

ウララにアサカに僕……。

みんな罪人なんだと思う。

それぞれがひどいことをした。

許されなくても仕方ないことをした。

 

僕らに必要なのは寛大さ……。

ひどいことをしても許してくれるやさしさ……。

アサカと僕には雨が降り注ぐ。

でも、今まで感じてた悲しさの雨じゃなくて、温かく、いやされるような雨……。

今はいないけど、そんな雨をウララも受けているはず……。

 

アサカを抱えた僕はやっとの思いで駅前に着いた。

キーボードの音が響いていた。

きっと、雨でライブは終わったはずなのに、確かにサエねえさんの弾くキーボードの音だった。

弾いてる曲は、ずっと耳元で響いてた、名前のわかんない雨の曲……。

 

サエねえさんは、雨に打たれながらキーボードを弾いて、叫んでいた。

説明
中学生暗黒小説
幼なじみと腹違いの姉が文化祭のライブに向け演奏するが、ナオはそのメロディに心打たれて……
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