Cat and me14.愛姫スズ |
「お前たちはなぜ止めなかった」
申し訳ありません、とカイドウ、リンドウが同時に頭を下げた。
命に別状はなかったものの、スズの脇腹には不気味な色の痣が残った。
そして熱を出した。
小さな口を開けて、苦しそうな息をしている。
「一瞬のことで、何が起こったか分からなかったんです」
じっと大人しく腰掛けていたスズ(気が付かなかったが、ボケが膝に乗せようとしたらしい。カイドウたちが必死に守ったそうな)は、あの時人間業とは思えないような速さで駆けていったという。
あっという間もなく、ジュズとわたしの間に手を広げて飛び込んだ。
汗で顔に張り付いた髪を取ってやり、濡れた布で拭った。
「本当に、この馬鹿ネコが…」
ボケはいたく感動したらしい。
王に同調するのが臣下たちの仕事である。
頭の弱い娘が、試合の意味も分からず、ただ純粋にわたしを守ろうとした。
その出来事は、夢見る貴族の女たちや、臣下の心をキュンキュンとくすぐった。
スズの人気は城内で高騰した。
実際、見舞いの品が大量に送られてくる。
「殿下」
ジュズが入ってきた。
「スズちゃんの具合はいかがですか」
「良くも悪くもない」
心配そうにのぞきこむジュズの為に場所を開けてやる。
「殿下。わたくしは明日、ここを発つことにいたしました」
「また、急ですね」
愛おしそうにジュズが、スズの汗に濡れた髪をかき上げる。
「少し思い上がっておりましたわ」
淋しそうに言った。
「殿下。この子は…」
そのまま黙った。
「この子はなんです」
「…殿下のことが大好きなのですね」
ひっそりと笑った。
ジュズが退出した後、今度は国王がやってきた。
「なんのご用です」
「その娘の見舞いじゃ」
カイドウ、リンドウはさっさと消えた(逃げたともいえる)。
「わしはな」
ボケじいさんの為に椅子を用意してやった(なんて優しい息子なんだわたしは)。
「その娘を側室に召そうと思っておった」
この好欲ジジイ。
「見事な礼ができるからだけではない。初めて無垢な娘を見たからじゃ」
そんなことはない。
スズにだって嫉妬心はあるし、(食う寝る遊ぶと)欲もある。
「お前をかばったあの姿は…その極みをこの目で見てしまった。そして、いつもはのらくらとしているお前の、初めて本当の姿を見た。このわしに口応えしたのは、久しぶりじゃの」
「父上。少し美化されているようですね」
スズが小さく鳴く。
「水か」
口移しで飲ませてやった。
よっこらしょ、とじいさんのような(じいさんだが)声をかけてボケは腰を上げた。
そして扉の前で振り返った。
「妃に迎えたいのならば、迎えるが良い。今の婚約者とお前の母は、わしが何とかしてやろう」
わたしの返事を待たずに父は部屋を出ていった。
国王が認めたネコは、公認のネコとなった。
スズの熱は下がったが、まだ体が痛むのか寝台から起き上がれない。
政務を投げ出し、ずっとつきっきりで看病している。
身体を拭いてやるのは勿論のこと、厠まで手伝おうとした。
スズは本気で嫌がり(なぜだ)、キムザを筆頭に女官たちの総スカンを食らった。
「早くお前の美しい声が聞きたいものだ」
激しい運動(あれもそうらしい)を禁止されているため、スズと体を重ねることもままならない。
夜は大人しく手をつないで寝る。
「もう大丈夫でしょう」
老医師のお許しが出て、真っ先にわたしがしたのは、激しい運動だった。
以前のように庭園に出れば、誰やこれやそれやが声をかけてくる。
一様にスズの可愛らしさを褒め、あの試合を持ち出した。
彼らの不幸は、わたしがそれを嫌っていたことである。
庭園からは足が遠のき、馬に乗ってよく遠出をするようになった。
城の塔から燃え消えてゆく太陽を眺めた。
奥深い森の中で湧水を飲んだ。
離れの東屋でこっそり体を重ねた。
しかし、スズを妃に迎えるつもりはなかった。
そうなれば限りない苦労を背負わせてしまう。
国王と人々は戸惑ったらしい。妃でも側室でも愛人でもない娘。
その内スズは、愛姫スズと呼ばれるようになった。
その日、わたしとスズは、森の奥深くへと入っていった。
大分と寒くなった。
二人と馬の吐く息が白くなるほどに。
「寒くはないか」
大丈夫、とスズが腕の中で鳴いた。
馬に乗る時、まずスズを鞍の前方に抱きあげる。
落とさないように、すぐにわたしが後ろに跨る。
ちょこんと横座しているスズを包み込むように手綱をとり、風を切って進む。
スズは寒がりのくせに、馬を走らせることを好んだ。
速い、と楽しげに声を上げる。
森の入口からは、ゆっくりと歩に変える。
中の小道を駆ければ、木の枝で足が傷つく。衣の上からでも容赦なく。
わたしはどうでもいいが、スズの白い肌に傷をつけるのは嫌だった。
つまらない、と鼻を鳴らした。
けぶるような暗緑、上から大小の光の線がいくつも差し込んでいる。
その内、小川の流れる音がした。
辿って上流へと馬を進めると少しだけ開けている場所に出た。
わたしとスズが発見した、二人だけの秘密の場所だ。
小さな黄色い花が所々に咲いている。
「飯にしようか」
小川の近くに馬をつなぎ、大きな布を二人で広げる。
スズは嬉しそうにぺったりと寝そべると、パタンパタンと足を鳴らした。
わたしも座り込み、木に凭れてキムザが用意した握り飯と水筒を取り出した。
握り飯をちぎってスズの口に運んでやる。
スズは美味しそうに、口を動かした。
わたしの手に付いた米粒まで丁寧に舐めとる。
その感覚にゾクゾクする。
舌を出して舐める顔に見とれてしまう。
が、スズは早く、次、と口を開けて待っている。
「お前は飯の事しか頭にないのか」
――だって、お腹がすいたのだもの。
催促するように、足をパンパンと鳴らした。
キムザは果物まで付けていた。
「葡萄か」
皮を剥いてスズに食べさせる。
「うまいか」
――うん、甘い。
にっこり笑ったその顔を引き寄せて、唇を舐めた。
「確かに」
味わうように舌を絡ませてゆく。
「甘いな」
口を下げつつ、スズの帯を解く。
戸惑う声はいつものように、甘い鳴き声に変わった。
――あのね。
スズが小さく鳴いた。
――看病してくれて、ありがとう。
甘えたように顔を肩に擦りつけた。
下衣と上着を引っ掛け木に凭れているわたしの腕の中に、すっぽりとスズは納まっている。
その体は上衣を巻きつけており、覗いている細い足が頼りなげに見えた。
「礼を言うのはこちらだ」
頭に口を付ける。
「お前はわたしを守ってくれた」
死にはせずとも、あの一撃はもろに食らえば相当な致命傷だったろう。
ジュズはとっさの判断で僅かに逸らした。
――だってあたしは、あなたを守ると約束したもの。
「なあ、スズ」
――なあに。
「わたしと会う前、お前はどこにいたのだ」
スズはしばらく考えるように黙った。
それから小さく鳴いた。
闇、と。
「闇か」
――今は。
白い指が上がって、わたしの唇を撫でた。
――あなたの横にいる。
そう鳴いてにっこり笑った。
光の中に。
国王と城がスズを受け入れても、そうは問屋がおろせないものが一名いた。
セリナである。
セリナのことは忘れていた。きれいさっぱり見事に忘れていた。
果敢にも元婚約者はわたしの部屋に押し掛けてきた。
その時、わたしはスズを膝の上にのせて本を読んでいた。
スズはぺっとりとわたしに抱きついて、リンドウの玉(好みの周期が巡った)をいじっている。
向かいではキムザが編み物をしていた。
女官が王子の前で内職などあり得ないことだが、編んでいるのはスズの上着らしい。
カイドウ、リンドウが毛糸を玉にしている。
スズは興味深そうにそれを見ていたが、わたしから離れるのが嫌なのだろう(寒くて)、再び玉で遊び始めた。
目の前には、湯気を立てた茶が置かれている。
「失礼いたします」
控えめに扉が叩かれた後、セリナが顔をだした。
「来てしまいました」
招かざる客は、そう言ってにこやかに笑った。
「久しぶりだね、セリナ。何の用だ?」
わたしも負けじとにっこり笑う。
「少しお話がございまして。人払いをしていただけますか」
そのネコちゃんも。
「スズもか」
「ええ。目障りですの」
笑顔で言い放ったセリナに、スズ大好き女官一名とお付きニ名の怒りの視線が突きささる。
「スズ。カイドウたちと一緒に待っていてくれるか」
ふっくらした唇に口づけすると、分かったと鳴いた。
しかしスズは、目障りと言われて黙って出ていく娘ではなかった。
セリナの前にトホトホと歩くと、ベエと舌を出した。
そのまま何事もなかったかのように、笑いを堪えているカイドウたちと部屋を出ていった。
まったくわたしの愛姫ときたら。
腹を抱えて笑いたいくらいだ。
元婚約者は怒りに顔を赤らめている。
「座るかい」
「ありがとうございます」
向かいに腰を下ろした。
「話とは」
「わたくしはヤンさまに捨てられたのですか。あの頭の足りない小娘に負けたのですか」
「そうだね」
「わたくしは」
セリナは静かに語る。
「幼い頃からあなたの許婚として育てられました。それを当り前だと思って育ち、部族の期待を一身に受けてまいりました。ヤンさまは、婚期が過ぎても迎えて下さらなかった。そしてあの娘を傍においていらっしゃる。わたくしの立場はございません。父も母も、お母さままでなじるのです。わたくしがあなたを愛していないからですか。愛など結婚に関係ないではないですか」
一息にいうと、小さく息を吐いた。
「重圧に息苦しくなる時がございます」
「それでセリナはわたしにどうして欲しいのだ」
「なにも。王はあの娘を認めておしまいになられた」
セリナも、その家族も、母も、大変なのだろう。
知ったことではない。世の中、うまくいかないことだらけだ。
「もしあなたが、わたしを愛している振りなどせずに、今のように素直に話していれば」
セリナが顔を上げた。
「話は違ってきたのかもしれない」
共犯者のような仲間意識が芽生えていただろう。
「仕方がございませんわ」
そう言って寂しそうに笑った。
「なにごとも恰好が必要ですもの」
「下手な芝居だったな」
「黙って娶って下されば、万事うまく進みましたのに」
愛など結婚に必要ない。
真理だ、とも違う、とも声がする。
どちらにせよ、わたしは出会ってしまった。
スズに。
「疲れたのです。もう」
今度はふてくされたように、足を組んで肘をついた。
貴族の娘にあるまじき姿だった。
「だから、異国にでもゆこうかと思います」
「異国」
「ここにいてもうるさいだけですし。いっそ海を渡って新境地へ」
「セリナは」
クスクス笑って、目の前の女を見た。
「もっと早く、その本性を見せてくれればよかったのだ。中々にわたし好みだったのに」
「仕方ないでしょう」
セリナも笑った。
「恰好が重要と教えられましたもの」
「その恰好をわたしが嫌っていると知っていたか」
「ええ、存じておりました。でも、貴族の娘ですから」
今更になって親しみが沸いた。多分、向こうもそうだったろう。
「ボイルにゆこうと思っています。雪というものを見てみたい」
「また物好きな。あそこは一年の半分が雪に埋もれているぞ」
「冬が好きなのです。草木が枯れて、すがすがしいあっけらかんとした風景が」
父たちにはまだ内緒にしてくださいね。
そう言ってセリナは片目をつぶった。
「さようなら、ヤンさま」
静かに礼をすると、沁みるような笑顔を残して消えた。
その後、セリナはボイルで再会したアオイと恋に落ち、クズハ国の王妃となる。
勿論、わたしは知らない。
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ティエンランシリーズ第六巻。 ジンの無責任王子ヤン・チャオと愛姫スズの物語。 光の中に。 |
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天ヶ森雀さま:コメントありがとうございます。何度かやな奴にしようと思ったんですが無理でした(笑)。(まめご) あらら、セリナ姫がそんな事に。やっぱり好みです、セリナ姫♪(天ヶ森雀) |
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