the stories of tea 〜アールグレイに漂って〜
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アールグレイに漂って

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 起き抜けに

「ご主人様、おはようございます。今朝の紅茶はアールグレイでございます」

と言われたら私は迷わず、この重たい体に羽を生やして飛んでいくに違いない。どこかって? 決まっている理想のお屋敷だ。きっとそこには私好みの執事にメイド、庭師にフットマンまでいるに違いない。アンダーバトラーまでいたら、もう言うこと無しなのだ。

が、人生はそんなにきゅん、となるように甘くは出来ておらず、私には片付けないからちっとも片付かないまだまだ寒いこの部屋があるだけで、そこに一人きりで縮こまった体をさらにぎゅっ、と丸くして出来るだけ体温を保つように心がけるのだった。朝日がカーテンの隙間からさらさら差し込むものの、決して温かくもない。うー、人肌の温もりが恋しい。何故夜の布団はあんなにもぬくぬく温かいのに、朝の布団はこうもじーん、と寒いのか?

 くっ、それにしてもあれだけ夢溢れていた生活は一体何処へ行ったというのか? ああ、そうさ。わかってはいたさ、しかし一人暮らしがどうしてこんなに惨めなものだと、あの時思えたのだろうか。

 自由!

確かに親がいなくなってあの時覚えた煩わしさはなくなった。

解放!

しかしその代わりに得たのは、彼氏もいないし友達が毎日いるわけでもない極貧生活の寂寥感。なんということだ、私には家にあった電気ストーブさえまともに使うことを許されないというのか?

 私は布団から顔だけを何とか出すとキッチンへと顔を向けた。あのコンロの上にある薬缶。勝負はあれが握っているのだ。あれを何分で沸かすことが出来るのか? そこに全てが掛かっている。私は決死の覚悟で布団から抜け出そうと、……なぁに確かに、パジャマの合間から滑り込んでくる冷たい空気に私は勝てない、つまりはそういうことだ。

 たかだか起き抜けの紅茶一杯。私は飲めないというのか? 否、断じて否。そのくらいでへこたれてたまるか。昨晩既に水は薬缶の中に沈めておいた。後は火をかけるだけなのだ。それ! 頑張れ、私!

 結局私はそのまま芋虫状態でキッチンまで移動し、布団の温かさと時たま肌に軽く触れていく冷たい空気にぞくりとしつつも、薬缶に火をかけた。

 ち、ち、ち、ち、ち、ち、ち、じょっ、ぷすぅ。

 な、何ということだ! いきなり頓挫、頓挫なのか? そんな、それはあまりにもむごい仕打ち。くっ、だが負けるわけには行かない。ここまでに至る道のり。朽ちていった私の体温達に報いるためにも、いざもう一度!

 ち、ち、ち、ち、じょ、ぼゎぁぁぁぁぁ!

 よし、今度こそ。今のうちに茶箪笥から葉っぱとカップを、と私は茶箪笥を見上げる。葉っぱ缶は上方にありこちらをにやりと見下ろしていた。な、生意気な。貴様ごときに私が屈するとでも思うのか? 

 確かに今日は寒い。体にジンと響くほど冷える。どうせなら靴下でもすっきり履いておけばよかったと思うくらいだ。だが、人間は道具を発明し万物の霊長となったのだ。それはもちろん無機物に対してもだ。えーい、屈するな私。臆するな私。突撃だ!

 勢いよく布団から抜け出て立ち上がり今度は私がお茶の葉を見下ろす。勝った! が寒い。寒いよー。挫けるな。ここで挫けてしまっては全てが終わる。ほら聞こえてくるだろう味方からの声援が。もうすぐ汽笛がなって私の行動に拍車を掛けてくれるはずだ。

 ぐつ、ふつ、ぐてゅ、つ、ぐつ、つつ、つつ、ふつつ!

 微かながら聞こえてくる。遠くからの支援の声が。ああ! やるとも、やるともさ。無念に散っていった私のぬくもり達よ。私はやるよ。絶対やるよ。

 ポットにさらさら流し込み、葉からふんわり香るベルガモットに世界を一瞬忘れる。いつも思う。このときだけは何故か、その香りの中にしん、と漂えるのだ。

 それも束の間、また朝の冷え込みによって現実に引き戻されるが、後ろから少しずつ伝わってくる熱気が、私の挫けそうな心を支えてくれていた。ありがとう、みんな!

 てぃ、てぃ、てぃ、てぃっ、てぃ、ち、ち、ち、ちぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!

 のろしが上がった。準備は整った。いざ、行かん! 戦士達の館、ヴァルハラヘ! 

片手に薬缶を取り高い位置からポポポポポッ、と湯を注ぐ。熱湯にぐるぐると巻き込まれ葉がぶわっさ、ぶわっさ踊る。湯がたまに弾け、私の腕に赤みを残していく。だがそれがどうしたというのだ。この湯気と共に立ち上る芳醇な香りは、今、私だけのものなのだ! 

高笑いしたくなるのを抑えて私は余った湯をカップに注ぐ。もう朝の寒さなどずいぶん昔のことのように思えた。葉をもやもやと蒸らしている間、カップを温め、私はわずかに立ち上ってくる湯気に身を任せた。鼻をくすぐるベルガモットの香りに発祥の地イギリスにぼんやり思いを馳せた。この紅茶の由来となった貴族も私と同じように朝起き抜けに飲んでいたのだろうか? 勿論、イギリスの貴族だ。メイドも執事もいたのだろう。くっ、羨ましい。

紅茶をするりとカップに注ぎ、頂く。あぁ、至福だ。毎日この朝の一瞬のために生きている気がする。きっと彼もそうだったんじゃないかな? 私は名前しか知らないその人へと今日の感謝を捧げた。

 

「おはようございます、御主人様。今日の紅茶はアール(伯爵)グレイでございます」

ベルガモットの香りに私達を同じ空間に包んでくれる。そこに百年の狭間があったとしても。

 

説明
お茶シリーズ第二段投稿です。
まぁ、薀蓄ネタみたいな話ですがどうかお付き合いください。
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オリジナル 紅茶 アールグレイ 

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