リトバスSS 「温泉」 |
「沙耶さん、どうしたの?」
「どうも、人の気配がするんだけど……」
地下迷宮を歩きながら、沙耶さんがしきりに後ろを
振り返っていた。たしかに、誰かに見られている気が
する。
「この階はクリア済みだよね。どこかに闇の執行部が
いるのかな」
「そんなはずは……」
つけられている? 気味が悪いけど、敵意は感じら
れない。そして地下4階にある温泉を抜けて下に降り
ると、気配は消えていた。
「何だったのかしら」 沙耶さんが首をかしげてい
た。
その翌日。いつものようにピラミッドを組み立てて
地下迷宮の入口を開いていると、突然誰かが近付いて
きた。
「待って、沙耶さん」
薄暗がりの中、銃を抜きかけた沙耶さんを制した。見覚えのありすぎる髪型のシルエッ
トだったのだ。
「ズルいですよ、理樹くん。あんな温泉を見つけておきながら、黙ってるなんて。はるち
んも混ぜてっ」
「なんで葉留佳さんが……」
僕は脱力した。昨日の気配の正体も、彼女だったのだろう。
想定外の事態だが、一般生徒を危険に巻き込むわけにはいかない。今日のところは、僕
たちも温泉に入りに行くことにしておいた方がよさそうだ。沙耶さんに目配せをすると、
仕方ないわねと頷いた。
「理樹くんも隅に置けませんネ。いつの間にかこんな可愛い子と仲良くなっちゃって、こ
のこのこの」
「いやいや、これには色々と事情が……」
葉留佳さんに気付かれた以上、他のみんなに知れ渡るのも時間の問題なわけで……
「わふーっ、温泉なのですっ」
「さあクドリャフカ君、おねーさんに身をまかせるといい」
日を待たずして地下迷宮の温泉は、仲間たちが昼間の疲れをいやす社交場と化してい
た。心得たもので、僕と沙耶さんががいなくても、勝手に入口を開いてぞろぞろと入って
行く。
「こ、こんなことって……あたしのアイデンティティはどうなるのよっ!」
スパイ活動休止に追い込まれた沙耶さんが叫んだ。
「まぁまぁ、落ち着いて」
「まぁまぁじゃないわよっ! いい? あたしは凄腕のスパイなのよ! それが任務をほ
ったらかして、毎晩一般人と『いやー極楽ですね』とか笑いながら温泉に浸かってるって
どうなのよ! あたしがこれまで築き上げてきた実績は? 信用は? こんなことしてた
らクビになっちゃうじゃない!」
沙耶さんは不満そうだけど、僕は別のとらえ方をしていた。
「そうかな。僕は、こうなって良かったかもって思うんだ」
「どういうこと?」
「だって任務が終わったら、沙耶さんはいなくなっちゃうんでしょ」
「当然じゃない。最初に話したはずよ」
「だったら、任務を終わらせなければいい」
「……」
「沙耶さんにいなくなって欲しくないから。僕のわがままかもしれないけど」
「あのねぇ……」
「命のやり取りをする仕事なんかより、普通の生活のほうが似合うよ。きっと」
「……」
長い沈黙があった。
「……そうね、あたしがつかめなかった想い出とか……」
沙耶さんがぽつりと、なにか言いかけた。
「え?」
「ううん、何でもないわ。しばらくは様子を見ましょう」
一方、迷宮の奥深くで仮面の男が憮然と立っていた。
「どうして誰も来ない……」
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地下迷宮探索を続ける理樹と沙耶に、思わぬ妨害が…… | ||
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