彼女の自転車
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 梅雨明けの太陽が照りつける中、浩二は決勝戦のマウンドにいた。対戦相手は甲子園大会常連の伝統校で打撃が看板のチームだ。

「どうする。歩かすか」

 チームメイトがマウンドに集まった。一点のリードで迎えた九回の裏、ツーアウト三塁の場面だ。

「俺は逃げる訳にはいかない」

 バッターボックスには四番打者が入っていた。前の打席でホームランを打たれた相手であり、それが唯一の失点だった。

「お前の好きにしろ」

 主将が浩二の帽子を鷲掴みにした。ナインがグラブの背で肩を叩いて散っていった。浩二は顎の下の汗を拭う。

「負けるものか。今頃彼女だって……」

 初球は外角低めいっぱいにストレートが決まった。二球目は外に外した。バッターは踏み込んだがバットは回らない。三球目は初球と同じところへ。内角に来るものと読んでいたか、ピクリとも動かなかった。

(よし、これで勝負だ)

 最後は内角高めに外れるボール球を振らせて空振りの三振、それが浩二の描いたストーリーだった。

 四球目が指先を離れる瞬間、浩二は見た。バッターがグリップを余して構えているのを。ボールは予定通り内角の高めに。だが、打球は金属音を残し、レフトスタンドめがけて飛んで行った。

 

 病院には、彼女の身内が集まっていた。母親に案内されて病室に入る。パジャマ姿の彼女を初めて見た。

「明日勝てば、いよいよ甲子園ね」

 彼女は野球部のマネージャーだった。二年生の秋まで柔道をやっていた浩二を野球部に誘ったのは彼女だった。全国大会を制した浩二の背負い投げは、野球でも日本一を狙えると言った。それ以来、彼女を甲子園に連れて行くのが浩二の宿願になった。県大会に優勝したら、自分の気持ちを彼女に告白しようと決めていた。

「そうだ」

 彼女は布団から両手を出し、その痩せた指先をパジャマのボタンにかけた。

「約束したじゃない。優勝したら私のハダカ、見せてあげるって。明日じゃ間に合いそうもないもの」

 ピッチャーを始めても制球の定まらなかった浩二は、彼女の自転車に伴走されてランニングに精を出した。懸命に頑張る浩二に、彼女がご褒美をあげると言い出したのだ。

「バカやろう。俺は明日優勝する。お前は病気を治す。約束だからな」

 浩二は病室を飛び出した。

 

 飛距離は十分だった。浩二は膝を付く。後悔の念が頭を過ぎった。ところが打球は上空の風にあおられてポール際へ流されていく。グランドの選手もスタンドの観客も一様に追いかけた。線審は両手を大きく広げた。

(助かった)

 浩二は肩で大きく息をした。が、次に投げる球が無い。ストレートは完全に合わされている。浩二には変化球を覚えている時間が無かった。

「あの背負い投げよ」

 彼女の言葉が耳元に甦った。浩二は立ち上がり、三塁ランナーを無視して大きく振りかぶる。全身のバネを生かした独特のフォームから快速球が弾き出された。

 ど真ん中のストレート。呆気にとられて見送るバッター。今までで最も速い球だった。

 主審が右手を上げ、次いでゲームセットを宣言した。ナインが駆け寄った。スタンドも総立ちになった。飛び交う紙吹雪の中、浩二は振り向く。自転車に乗る彼女が立っている気がした。

(おわり)

 

説明
高校球児が甲子園を目指す理由は、一人の少女に想いを告げたいからだった。県大会決勝戦のマウンド、九回ツーアウトで、最強のバッターを打席に迎える。
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高校野球 片想い 

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