空へと続く塔で |
もうすぐ十五歳になる私は、皆がその存在に気が付くことすらない、あの不思議な塔に登ることにした。
一ヶ月くらい前、その塔はなんの前触れもなく現れた。東京のど真ん中に、一晩明けたら建っていた。母親にたずねても、友達に尋ねても、そんなものはないと言われた。テレビのニュースや、新聞でも報道されない。
私は、世界に一人になってしまったみたいだった。
今日は七月二十三日。
私の誕生日までちょうど一週間。
そして、中学生最後の夏休みだった。
皆は塾の夏期講習とやらに行くらしかった。私は、塔を見上げていた。
塔を登ろうと思ったのは、親友のアカリにその不思議な塔の存在を証明してみせようと考えたからだ。
半ば意地にもなっていた。
数日前に、証拠もなしにとアカリに否定されたのが、誰に言われるよりも悔しかった。
私は少し離れたところから使い捨てカメラで塔の写真を撮った。
全景を収めるにはこの塔はあまりに大きすぎる。
塔は、中央線の立川駅を降りて三十分くらい歩いたところだった。背中にアコースティックギターと、水と食料の入ったリュックも背負って。私は無謀にも、そんな大荷物でこの高い高い塔を登ろうとしていた。高さにして、千メートルは軽く超えているだろう。
なんの変哲もない灰色の円柱が、延々上まで伸びている。円錐のようにも見えるが、塔は雲を突き抜けるほど高いため、正確な形状は分からなかった。のっぺりとした壁面は、太陽に照らされた世界に一本の黒い線を落としていた。神話の世界のようだと、私は思った。閑静な住宅地の中で、塔は全ての音を吸い取ったように、一際静かにそこにある。
勿論一日で登って帰ってこようとは思っていない。母さんには、自転車旅行に行くと言ってあった。私の家は、比較的そういうものが許された。
「ただし、毎日場所を報告して、しっかりとした宿泊施設に泊まること」
それが母さんが私に提示した条件だった。
条件と言っても、穴だらけだ。毎日夕方に電話して、
「今日は○○市の××ホテルに泊まります」
と言えばいい。
穴だらけだ。
そういう嘘をつくことに若干の罪悪感もあったけれど、アカリに塔の存在を証明するという意地が勝った。
塔は、住宅地がぽっかりと途切れた空き地にそびえていた。夏草が伸び、草いきれが溢れんばかりに充ちていた。塔の根元、影の部分には苔が生えていた。
草が、素足をくすぐった。ハーフパンツの布地が脚に心地よかった。
見上げたら、塔は真っ青な空に吸い込まれているように見えた。足がふらついた。
塔の入り口は、洞穴のようだった。壁面はその辺に沢山建っているコンクリートのビルと似ている。ただ、入り口はダイナマイトか何かで無理矢理空けたように、粗雑に、ぽっかりと空いていた。辺りは太陽の光がギラギラと照らしていて眩しく、塔の中は暗くてよく見えなかった。
恐る恐る入ると、ひやりとした。
ティーシャツの布地は汗でべったりと張り付いていて、汗が冷えていくのを感じた。
蝉の声が一気に遠くへ離れていった。奥に、階段が見えた。
階段は曲がって上へと伸びており、外壁伝いに螺旋状になっているのだろうと想像した。
私は硬い灰色の階段を踏み締めて、ゆっくりと塔を登っていった。実際、階段は大きく弧を描いて螺旋状に伸びていた。塔には、何メートルかおきに窓があり、町を見渡すことができた。階段の左右には壁があり、外壁よりも内壁の方がひんやりとしていた。叩くと硬い音がして、壁の向こう――塔の中心部に空洞はないようだった。窓からの景色は少しずつ拡がっていき、遠くを望むほど景色は掠れていった。真夏の陽射しに照らされた街は、じりじりと鳴いているようにも見えた。私の肌を包む空気は決して暑くなく、私は目の前に拡がる景色とは別の世界にいるのだと思った。
塔に入ったときに一度は引っ込んだ汗が、再び溢れでてきた。
時折ギターをかける肩を右から左へ、左から右へと替えながら、私はタオルで汗を拭き、ゆっくり塔を登っていった。後ろで結っただけの髪が首に触るのが鬱陶しくなって、髪止めで上向きに固定した。この、後ろ髪が夏草のように跳ねた状態を、親友のアカリはよく「海老の尻尾」と呼んだ。
一度、休憩した。
冷たい階段に腰をおろして、私はごくごく水を飲んだ。窓から見下ろすとだいぶ高いところまできたみたいだった。小学生の時に社会科見学で登った東京タワーはもっとずっと高かったので、まだそこまでは登っていないらしい。
私は持ってきていたおにぎりを一つ頬張ると、荷物をまとめて再び歩き始めた。
携帯が鳴った。
マキ姉さんからだった。
「大丈夫?」
とだけ簡潔に、絵文字などのない如何にも姉さんらしいメールだった。姉さんの友達が、よく私に笑いながら「マキって、ちょっとずれてるよねぇ」と話しかけてきたのを思い出した。確かに、私から見ても姉さんは少し変だった。何と言うか、合理的だとか、理路整然に拘る人なのだ。
私はメール本文に
「大丈夫。良い景色だよ」
と打つと、送信した。姉さんは、私が父さんと母さんに嘘をついて塔に登ることを知っていた。姉さんにも塔は見えなかったけれど、姉さんは私の言葉を信じてくれた。
私は時々立ち止まっては、窓からの景色を写真に収めた。
塔の階段が赤く光る。
夕焼けが塔を照らしている。街は真っ赤な絵具を溢したようだった。
……もう少し歩いたら、今日は休もう。
私は自分にそう言い聞かせて、全身をぐっと引き締めた。一日で登りきれるとは思っていない。明日、頂上に辿り着けるかもわからない。無理して、一日辺りに少しでも登ろうと考えるよりは、なるべく早く休もうと考えていた。早めに寝て、朝早く起きる。明日は昼間の暑い時間は休憩しよう。そして、明日は夕暮れになったら歩こう。そんなことを考えた。
本当ならば、昼間を避けて夜に登り始めたほうが良かったのかもしれないけれど、夜に塔に近付くのは、塔を見上げるしかなかった頃の私からすれば、なかなか恐怖を感じてしまうことだった。登り始めてしまった今では、体力を考えて夜に登ろうと考えるだけの余裕があった。
塔の入り口を思い出す。
昼間だから、日陰に逃げ延びるようにして塔に入ったけれど、夜に塔まできて、あの洞穴のような入り口に入りたいとはあまり思えなかった。
赤の空に僅かに青みが差したところで、私は階段に座って荷物を降ろした。入口からずっと螺旋状に続いていた階段は、全く見た目を変化させることなく続いている。外から見た塔ものっぺりとしていたけれど、内から見た塔もなんの装飾もなく、壁も、階段も、継ぎ目一つない灰色だった。どのようにして作られたのか興味が湧いたけれど、私にはこの塔のことは何一つ分からないのだった。
窓枠の傍の壁にもたれかかって水を飲む。残りのおにぎりを頬張ってから、私はタオルケットを取り出して階段に敷いた。自分にかけるか、下に敷くかという問題は、階段を上り始めてから常に考えていたことだった。結局私は、下に敷くことを選択した。身体が痛くなることと、体温を奪われるかもしれないということを天秤にかけて、塔を登るということに関して言えば、前者のほうが深刻な問題だろうと思った。
午後七時。
脚はとっくに限界を超えていて、午後三時くらいからは少し登っては休みを繰り返していた。
私はどのくらい登ったのだろうか。
そういえば、視線の傾き、そして見ているものまでの距離が分かっていれば、目の高さは求められると姉さんが言っていた気がする。つまり窓から見える駅、その視線の傾きと、駅から塔までの距離を使えば、私が今いる高さは求められるはずだ。けれど、方法を具体的に知っているわけではないし、そんな計算をするのは野暮なように思えた。自分が頂上を目指している。そのことさえ分かっていれば良かった。
なんのためにと聞かれれば、表向きの理由はアカリに証明するためだったのだろうけれど。
頂上を目指す。
それだけあれば十分だった。
私の中で、塔の放つ魅力というのはなかなか融通の利かない位置にあった。
母さんに電話で嘘の宿泊地を伝えたあと、アコースティックギターを取り出して、軽くチューニングした。いくつか気に入っているコードを掻き鳴らしてから、適当にメロディラインを弾いたりして遊んだ。
すうっと息を吸って、弾き語る。私が半ば強引に言って、無理矢理アカリに書かせた詩を、ギターの音色と共に塔に響かせる。
アカリはクラスメイトで、私はアカリとバンドをやる約束をしていた。私がギターで、アカリがドラム。
本当はエレキギターを持ってきたかったのだけれど、流石に重たいエレキギターとアンプスピーカーを持ってこの塔を登るのは無謀だと、私でも分かっていた。アコースティックギターですらこの疲労だ。エレキギターなんて持ってきたらひとたまりもない。
私はギターをしまうと、タオルの上に横になった。暑さと疲労と、ごつごつとした寝床のせいでなかなか寝付けない。それでも無理やり目を閉じた。小学生の頃にやったRPGの主人公のことを考えたりした。彼らも冒険のときに、こうして眠ったのだろうか。そんなことを考えながら、私は眠った。
*
我ながら意地っ張りだと思う。
喧嘩とまでは言わないまでも、私がしつこく塔のことを言わなければ、アカリの機嫌を損ねることもなかっただろう。こうなってはあとには引けず、私は塔を、塔からの景色を写真に収めることに決めた。
「それなら、ただ塔を撮ってくればいいじゃない。うちからでも見えるんでしょう?」
姉さんが私に言ったけれど、姉さん自身それが半分無駄な言葉であることを分かっていた。私が意地っ張りであることも、私自身塔の存在に惹かれてしまっていたことも、姉さんは分かっていた。
友達というのは本当に難しい。
私は本当に不器用だし、子供だ。
塔からの写真を持って帰ったら、アカリにごめんと謝ろう。一番よく撮れた写真をアカリにあげよう。……きっと、それは頂上にあるはずだ。
翌朝、午前六時。
私は体中の痛みを覚えながら起き上った。タオルの意味は、あまりなかった。ないよりマシとも言い難い。
おにぎりは昨日全て食べてしまったため、パンを食べて、水を飲んで、私は立ち上がった。少し軽くなったリュックを背負って、ギターを肩にかけて、私は再び登り始めた。
十二時半を少し過ぎて、そろそろ何度目かの休憩をしようかと思ったときのことだった。
上の方から足音が聞こえた。気のせいかと思うほど微かだったその音は、次第に近付き大きくなっていった。昨日気が付かなかったのは相当離れていたからだろうかと思いながら、私は登る速度を少し早めた。ぐるぐると螺旋を登っていき、足音はどんどん近付いて行く。向こうもこちらの存在に気が付いたのか、足音はゆっくりになり、そして聴こえなくなった。立ち止まったのだろう。私は一段飛ばしで登り始めた。脚を大きく開き、塔を登り始めて以来のハイペースで螺旋を登っていった。
そして、その人物を見つけた。
スニーカーと、セーラー服。スニーカーは、私のものよりも汚れがなく綺麗だった。なんと言うか、奇妙な格好だった。田舎くさいとも言えるかもしれない。ただ、髪の毛は腰まで伸びる透き通った黒で、爪や肌も、太陽を知らないかのように真っ白だった。さらに、背中に背負ったギターケースが、余計少女に奇妙な色を添えていた。そして少女も、私と同じようにリュックを背負っていた。おそらく中身は食糧と水だろう。
少女は細かった。
痩せているというよりかは、その頬はこけていると言ったほうが正しかった。
「誰?」
私が聞いた。
「飯島夏帆。あなたは?」
「あ、私は、高浜咲、です」
「昨日ギター弾いてたのは、あなた?」
「うん」
「……そう」
「それ、ギターだよね」
私は、夏帆の背中に収まっているギターを指差した。普通のギターよりもやや長い気がする。夏帆の背がそこまで高くないせいか、それとも。
「うん。ベース。エレキ」
「ベース背負ってここまできたの!?」
ベースギターとは、普通の皆が言うギターとは少し違う。弦が太くて、ずっと低い音が出る。そして、ものすごく重たい。私が持ってきたアコギよりも、エレキギターはもっと重たい。それよりもさらに、ベースギターは重たい。
唖然としてしまった。
私が断念したものよりもさらに重たいものを背負って登っている少女がいた。しかも、見たところその少女は私よりも腕や脚が細く、今にも折れてしまいそうな外観をしていた。……当然、追いつくわけである。
私は夏帆のリュックを持って、夏帆と並んで歩いた。
夏帆のリュックには水と少しの固形食糧しか入っておらず、私はそこでまた驚かされることになった。私がパンをあげると、夏帆は躊躇しながらもパンを口へと運んだ。
二人で話しながら歩くと、少しだけ疲れが吹き飛んだ。
夏帆は私と同い年で、なんでこの塔に登ったのかを尋ねても、「別に」とか「なんとなく」としか返ってこなかった。そんなもので重たいベースを背負って登れるものだろうかと思ったけれど、私も似たようなものだったので、深く追求しようとは思わなかった。
どんな音楽を聴くかだとか、学校でのことだとか、私の姉さんのことだとかを話しながら登った。
夏帆は一言で言うとおしとやかな少女といった雰囲気で、そのどこから、ベースギターを背負うような力が湧いてくるのだろうと思った。
パンを食べ、固形の食糧をかじり、水を飲み、そして私が持ってきた飴を二人で転がしながら、私と夏帆は塔を上へ上へと登っていった。
やはりベースの重量がネックなのか、夏帆は時折速度を落とした。私はそのたび歩調を夏帆に合わせ、また時には座って休んだ。私は二人分のリュックを背負い、そのリュックも水分補給の度に徐々に軽くなった。
余談だが、この塔にトイレなどはなく、それはあらかじめ私も夏帆も想像していたことではあった。二人とも、リュックの中にはかなりの量のビニール袋とジップロック、それにトイレットペーパーのロールを備えていた。
そうやって、段々と、螺旋の円周は短くなっていった。それでもまだ、一周の長さは五十メートルはあるだろうか。登る前に見た時も、遠くから眺めていたときもそうだったけれど、この塔は随分大きかった。
二日目が終わろうとし、もう登り始めて何度目か分からない休憩をした。何の根拠もなく、私も夏帆も、頂上が近付いているのを感じていた。何メートル登ったのだろうか。千メートルだろうか。千五百メートルだろうか。速度から、一気に登ることはできなかったので、私も夏帆も、高所であるがゆえの低気圧に悩まされることはなかった。
「もうすぐかな」
私が言うと、夏帆は肯いた。口を開けるのが煩わしいようだった。そう見てとれるだけの疲労が、夏帆の表情には浮かんでいた。休憩しようか、と声をかけようかとも思ったのだけれど、それを夏帆は無言で拒んでいた。決して脚を止めず、歩く速度は私よりもゆっくりであるにも関わらず、私は夏帆に引っ張られているかのような錯覚を受けた。夏帆は、なにか私には見えない頑なな思いを抱いて、この塔を登っているようだった。
夏帆が、膝をついた。
階段に、脚を引っかけて、夏帆が膝をついた。腕を階段について、夏帆は肩で息をしていた。
「少し、休憩しよう」
夏帆は、首を振った。
「登る」
「休憩しよう」
「いい。登ろう」
私がリュックから水を取り出そうとするのを、夏帆は手で制した。最早、「なんとなく」ではなかった。夏帆は、何かを目指していた。私がほんの出来心で登り始めたこのなんの変哲もない塔は、夏帆にとっては「何か」だった。重要な、重大な、「何か」だった。
夏帆は再び立ち上がり、二、三呼吸をして、そして再び歩き始めた。
思えば、なにからなにまでおかしかった。
夏帆がベースを背負っていることに、私は意味を見いだせなかった。塔を登りきるためならば、このベースはここに置いていくべきだった。
夏帆が持っていた食糧は極端に少なく、また初めて私が夏帆に出逢ったとき、夏帆はそれをほとんど口にしていないようだった。そこから私が受けた印象は、帰りのためにとっておいてある、という風ではなかった。
夏帆が制服であることに、私は何か、儀式めいたものを感じざるを得なかった。
私はここにきて初めて、この塔に登るのが恐くなった。
「夏帆」
「……なに」
私は、窓の外で光っている街が、泣いているようだと思った。この高さまで、蝉の声は届かない。瞬いている街の光が、涙の雫のようだと思った。
「どうして、夏帆は、この塔を登ろうと思ったの?」
夏帆の脚は止まらない。
私は追いすがるようにしてその後を追った。懸命に追った。塔の中は暗く、私は夏帆の輪郭を睨むように見ながら歩いた。気を抜けば、見失ってしまいそうだと思った。心細さが私の中で、浮かんでは溜まっていった。
掠れた声が塔の中の空気を震わせた。
「なんでだと、思う?」
階段を踏みしめる足音が、塔を揺らした。巨大な塔が私たち、たった二人の少女の体重で揺れるわけはないのだけれど。
風が吹き、塔は確かに揺れていた。ぬるい匂いが鼻についた。汗が、じわりと私を締め付けた。
「夏帆は」
私の方こそ、掠れていた。
「夏帆は、その……」
その時夏帆が立ち止まった。私は完全に言葉を呑みこんでしまい、その言葉は二度と私の中から出てくることはないだろうと思った。
「休もうか、今日は、もう」
夏帆が、全てを投げだすようにして階段に体重を預けた。崩れ落ちるようにして、しかし丁寧にベースを階段に置き、夏帆は硬く冷たい階段に横になった。
「うん」
私はリュックから水と食料を取り出した。食糧と言っても、クッキーのようなものだ。腐ったりしないので、固形の乾燥した食糧は大量に持ってきていた。行きに時間がかかるだけ、帰りにも時間がかかる。私のリュックにはまだ随分重みがあった。
夏帆は水を少し飲み、食糧を齧ってから、また少し水を飲んだ。
「ベース、聴きたいな」
私が言うと、夏帆は少し困った顔をした。
「頂上につくまで開けないって決めてるから、頂上についたらね」
声の調子は少し哀しげだったけれど、そう言ってほほ笑んだ夏帆の顔が、先程私が想像した未来とはほど遠かったため、私は安堵のため息をついた。心なしか、先程よりも私が腰掛ける階段は、私を受け入れてくれているように感じられた。
「ギター、弾いてよ」
「……恥ずかしい」
「昨日大声で歌ってたじゃん。今更恥ずかしいもないでしょ」
恥ずかしさで言えば、夏帆にトイレに行きたいということを伝えたときの方が数倍恥ずかしかった。別に、トイレに行くわけじゃなく、取り出してするのはビニール袋なのに、「トイレに行きたい」という言葉で意思表示するのは、なんだか少しおかしかった。
私はギターを取り出すと、チューニングし始めた。チューナーの針は元気よく振れた。間抜けな音を出す弦を見て、私も夏帆も微笑んだ。
「なに弾く?」
「なんでもいいよ」
「なんでもって、うーん」
「じゃあ、歌じゃなくて、なにかギターの曲は弾ける?」
正直に言うと、一人で弾くときは歌よりもギターの方が好きだった。自慢じゃないけれど、同年代でこれだけ弾ける人はそうはいないんじゃないのか、と思っていたりもした。
「大丈夫。……歌、酷かった?」
恐る恐る、若干頬をひきつらせながら夏帆に聞いてみる。そんな私の顔が可笑しかったのか、夏帆はにやりとしながら言った。
「まあ、うん」
あっさりと。
意外でもなんでもなく、私は普通にショックを受けた。アカリは、お世辞が上手だったんだなあ、なんて思った。そういえば、人の話を聞くのが上手い人は、人を持ち上げるのが上手い人だって話をどこかで聞いたことがあった。その法則でいくと、アカリは人の話を聞くのが上手くて、夏帆はあまり上手くないのかもしれない。
実際そんなことはなく、夏帆と話すのは楽しい。所詮、噂は噂だった。
「うそうそ」
あはははと夏帆が笑って見せる。私は複雑な表情で笑うしかできなかった。
やがて笑い声が引き、街の明かりが海に映る月明かりのように見え、風が静かに凪いだとき、私はゆっくりと弦を弾いた。
夏帆は一日分の疲れを吐きだすように溜め息をつき、私とは反対側の壁にもたれた。
夏帆の瞳が私を見つめていた。私はじっと指板を見つめ、余裕のあるフレーズの時だけ、ちらりと夏帆を盗み見た。階段の両側の壁、左右に分かれて座った私たちは、お互いの輪郭だけをぼんやりと見つめていた。私は窓枠の近くに座っているので、夏帆からは月明かりが逆光になって、はっきりと表情は窺えないかもしれない。逆に私からは、月明かりで夏帆の表情がよく見えた。夏帆の瞳が濡れていた。少女は静謐な人形のようだった。
三曲目を終えて、私が夏帆を見ると彼女は小さく寝息を立てていた。私も欠伸をして、眠気を認識したためギターを丁寧にケースにしまい、タオルを枕にして横になった。相変わらず塔は静かなままで、夏の風は草が濡れたような匂いを私に届けてくれた。蝉の鳴き声も、蚊の羽音も届かない、けれど確かに夏の匂いのするこの塔は、とても幻想的だった。
母さんにまだ連絡を入れていなかったことを思い出して、私は携帯で電話をかけた。この電波はどこからきているのだろうか。不思議に思ったけれど、私には皆目見当もつかなかった。夏帆を起こさないように、少し階段を下りて電話をした。
戻ってきても、夏帆は目を閉じたままだった。
階段と壁の角に身体を押し込めるようにして、私は眠った。
どちらが先に目を覚ましたのかは覚えてない。
まだ空は暗く、雲一つない濃い闇は、塔も、街も、私たちも、全てを呑みこむように上にあった。
夏帆の周りにも、塔が見える人間はいなかったらしい。
三人くらいの人間にそれとなく聞いて、夏帆は塔のことを深く考えるのを止めたとか。私と同じ、仲間はずれにされるのを恐れたのだろう。
「母さんと、喧嘩したの」
身体は鉛のように重たく、私は目を薄ぼんやりと開けて夏帆の影を見つめていた。
「中学校にあがってからは、しょっちゅうだった。母さんが仕事から帰ってくるたび、口論してた」
私も、親とはよく喧嘩する。けれど、クラスメイトの話を聞いているといつも感じるのは、比較的私の家は家族仲が良い方だということだった。
「このベース、ね。父さんが買ってくれたの」
「……それは、いつ?」
何も考えていなかった。ただ、眠気が溢れて欠伸が出るように、口からぽろりと問が零れた。
「中学生になったとき。私、ギターがやりたくて。でも、父さんがね、ギター、やってたの。全然下手だったんだけど、……嫌いじゃなかったんだけどね、父さんのギター。でも、カッコ悪くて、それで……」
「それで、ベースにしたんだ」
「……うん」
お互い、ものすごく眠たげな声だった。綿あめのようにふわふわした心地で、私も、夏帆も会話していた。私の頭の中で、空間系のエフェクターが踊っていた。
「父さん、喜んでた。音楽はいいぞって、いつも言ってた。音楽があるだけで、人生が二倍にも三倍にも楽しくなる。父さんは、そう言ってた」
私は、胸がじわりと熱くなるのを感じた。
アカリが言っていたからだ。音楽は良い。音楽は人生を何倍も楽しくする。――そっか。アカリは、夏帆のお父さんだったんだ。世界って狭いなあ。
「母さんと、喧嘩して、父さんも、助けてくれなかった。私は、世界中でたった一人になっちゃったんだと思った。私は、一人で、……それで、塔が見えた」
夏帆は塔に気が付いた。
ずっと前から見えていて、けれど自分以外には誰も見えなかった。夏帆は、塔に登った。世界中には自分一人しかいないから。誰にも見えない塔に登った。
「そうしたら、新しい世界が迎えてくれるかな、って。今まで見えなかったものが見つかるかなって。……そんなわけ、ないのにね」
「でも、私は夏帆に逢えて、楽しかったよ」
「ありがと」
お世辞でもなんでもないし、褒めたわけでも何かをフォローしたわけでもない。一番話を聞くのが下手なのは、私の方だった。夏帆が下手だなんてとんでもない。少しだけ、自分の幼さが鼻について、私は恥ずかしくなった。
「明日には、頂上につくかな」
私が聞くと、夏帆はそうだねと答えた。
*
目を覚ますと、私は一人だった。
夏帆の姿はなかった。
夏帆のリュックも、ベースでさえも、階段に丁寧に置かれていた。ただ、夏帆の姿だけがなかった。
「夏帆ー!?」
叫んでみた。アカリに、真剣にボーカルをやる気があるのなら、ボイトレをするべきだと言われて、腹筋を鍛えたり、発声の練習をしたおかげか、私の声はとてもよく響いた。窓の外は寒色と暖色の混じり合ったパレットのようで、まだ朝の、それもかなり早い時間なのだと知った。
探しに行かなくては。
昨日想像してしまった未来を思い出す。心細さが、寂しさが、恐怖が、堰を切ったように溢れ返ってくる。ぱつん、という音がした。髪がぱさりと首筋に広がる。安い髪ゴムが切れた音だった。それが、私の不安を増長させた。
夏帆を探すとして、上へ走るべきか下へ走るべきか。
はっと、あることに気が付いて、恐る恐る窓から外を覗きこんだ。
窓の大きさは、中学生の少女ならなんとかすり抜けられるくらいの大きさはあった。
窓から街を見た、……目眩がした。
私が今いるこの場所は、恐ろしい高さを持っていた。ここから、もしも、仮に、飛び降りたとしたら。私という生の痕跡が、微塵も残る気がしなかった。流れ星が大気圏で一瞬のうちに燃え尽きるように、誰も、私が生きていたことに気が付かないのではないかと思った。
――夏帆が飛び降りたかどうかはわからなかった。
下はあまりに遠かった。
ただ、塔の下には救急車や人だかりがあるようには見えなかった。目を凝らしても、何の変哲もないいつもの街に見えた。もしもとっくに飛び降りたあとで、救急車で運ばれたあとだったとしたら、全てが後の祭りだ。
恐怖が恐ろしい速度で積み重なっていく。この塔の高さだけ、私がいるこの高さ分だけ、私には罪があるような気がした。
なんてことをしてしまったんだろう。
私は、なんて軽い気持ちでこの塔を登ったんだろう。こんなことになるなんて思わなかった。脚が震えた。腕が震えた。疲れたからじゃない。痛いからじゃない。――恐い。
上か下かで言ったら、上だろうと思った。
私は震える脚をひっぱたき、リュックもギターもその場に置いて走り出そうとした。
目に入ったベースに違和感を覚えた。そんなことを気にしている場合じゃないかもしれない。けれど、気になって仕方がない。また、その違和感は、夏帆とも密接に関係がある。そう、私は根拠のない確信を抱いた。
夏帆の持っていたベースのネックが、不自然なところでケースを中から押していた。私はベースを丁寧に持ち、ケースのジッパーを開けた。
ベースのネックは、無残にも折れていた。
ガムテープでネックは固定されていたけれど、どう考えても弾けるような状態ではなかった。弦が振り乱した髪のようにケースの中で暴れまわっている。砕けた木の破片がケースの中に散らばっている。
――ケースが、少し湿っていることにも気が付いた。リュックを開けた形跡はない。水ではなかった。昨晩、夏帆はベースを抱いて眠っていた。きっと、その瞳は潤んでいたはずだ。
私はベースをその場に置いて、走り出した。
体中が痛くて、階段は一段一段が魔物となって、容赦なく私の体力を奪った。けれど私は、単純に恐怖に突き動かされて、階段を上り続けた。夏帆の名前を叫びながら、必死で階段を上った。応えて欲しかった。ちょっと私をからかっているような、あの笑顔で、目の前に現れて欲しかった。
夏帆、かくれんぼをしているんでしょう。ほんのいたずらなんでしょう。
走っていると、塔の螺旋は次第に小さくなっていった。昨日とは違い、みるみる塔の先が細くなっていくのを感じた。本当に、頂上はすぐそこだった。
同時に、自分が起きたのが遅すぎたのではないかと思った。最早、それは根拠のない確信に変わり、執拗に罪の意識を私に与えた。
私は世界に一人だった。
私をこの罪から救ってくれる人は一人もいなかった。だって、世界に一人だった夏帆を、私は救うことができなかったのだから。
「夏帆!」
不意に階段が途切れた。私は頂上に辿り着いたのだと知った。と同時に、私は太陽の光に焼かれた灰色のコンクリートを踏んだ。灰色に光る頂上のコンクリートは、罪深い私を容赦なく焼いた。目が眩み、脚が震えた。
見上げればそもそも、絶対的な神様のように太陽が私を焼いていた。
他に何も望まない。だから、塔の頂上に救いが残されていてほしい。夏帆の姿があって欲しい。
頂上は、三メートル四方ほどの狭い空間だった。その端に、夏帆がしゃがんでいた。しゃがんで、泣きじゃくっていた。
脱いで、丁寧に並べられたスニーカーが夏帆の脇にあった。
手すりもない。
壁もない。ただ、空間がそこにあった。
地球は丸くて、街はあまりに遠く、空は永遠に広い。
その中心に、私と夏帆がいた。
雲はなく、空にはたった一つ太陽があった。
世界には私と夏帆以外誰もいなかった。
「夏帆」
夏帆が顔をあげる。不器用に握った拳で、鼻水なのか涙なのかよく分からない液体を擦りあげた。出逢ったときはその頬はこけていて、今はぐしょぐしょに濡れていた。夜に見た夏帆の顔は、人形のように美しかったのに、私は思えば、夏帆の酷いところばかりを見ている気がした。
「夏帆」
私は夏帆の手を握った。
赤ちゃんのように細くて小さなその左手を開いて、私は強く握りしめた。触って驚いた。私と同じだ。指先は豆だらけで、老職人のように硬い。無骨な手だった。立派な弦楽器奏者の手だった。
「さ、き、……ちゃ」
夏帆は出逢ってから、私のことを咲ちゃんと呼んでいた。ぐしゃぐしゃの顔で呼んだその声を私は聞き取れなかったけれど、私は強く肯いて、しゃがみ込んだままの夏帆を抱きしめた。小さな身体が壊れてしまいそうなくらい震えている。嗚咽が、心臓の鼓動が、張裂けそうなくらい夏帆を揺さぶっていた。
夏帆は私にすがりつき、わんわんと泣いた。私のシャツが夏帆の涙でぐっしょりと濡れた。
「私、行かなきゃ、いけないのに……!」
「どこに」
「父さんの、ところ」
「……飛び降りるの?」
夏帆が肯く。何度も何度も肯く。自分に言い聞かせるように。私はもっとずっと強く夏帆を抱き締めた。どんな強い風が吹いても、私は夏帆を塔の中へ引き摺り込もうと思っていた。
「なんで!」
「全部私のせいだから!」
「……ベース、見たよ」
夏帆が私の胸の中で大きくしゃっくりした。吐く息が引きつっていた。
「お母さんが、折ったの?」
喧嘩した夏帆のお母さんが、夏帆の大切なベースを折ったのだろう。私はそう思っていた。けれど、夏帆は首を振った。
「父さんが、……折ったの」
なぜ。
なぜ、夏帆にベースを買い与えた父親が、夏帆のベースを折る。
なぜ?
「父さんは、私に……」
夏帆は言葉を詰まらせた。
その喉から漏れる声が苦しくて、苦しくて、私は強く目を瞑った。私まで目頭が熱くなった。
「私がベースを練習して上手くなることに、嫉妬したの」
頭の中を殴られたようだった。
目がチカチカとして、私は目を見開いて、空の青でじゃぶじゃぶと目を洗いたくなった。強く握る夏帆の体温が私を痺れさせる。身体が麻痺して、私も夏帆に体重を預ける形になった。
嫉妬した? 父親が? 夏帆に?
私の中にあった会ったこともない夏帆の父親像が、がらがらと音をたてて崩れていった。
「母さんは、私のことが嫌いになった。父さんも、私のことが嫌いになった。じゃあ、私は、どこで生きていけばいいの?」
違う。いや、私の想像だけではなんの解決もしないけれど、恐らく夏帆の両親は決して夏帆のことが嫌いになったわけじゃない。だって、昨日、夏帆は楽しそうに両親の話をしてくれた。夏帆は、父親のことも、母親のことも、きっと好きだったはずだ。今も、好きなままのはずだ。
なぜかって。
夏帆は一度も、両親の悪口を言わなかった。
喧嘩したとは言った。
仲良くないと言った。けれど、夏帆は一度でも両親をけなそうとはしなかった。それどころか、笑顔で父親にベースを買って貰ったことを話した。
どこですれ違ったのかは分からない。
けれど、夏帆がこうして一人にならなきゃいけないことなんて、なかったはずだ。夏帆の大切なベースを、誰よりも夏帆を大切にしている夏帆の父親が折らなきゃいけない道理なんて、なかったはずだ。
どこか、歯車がうまく噛み合わなかっただけだ。
「夏帆。違うよ。夏帆は一人じゃない。夏帆のお父さんも、お母さんも、夏帆のこと嫌いじゃない。夏帆のこと嫌いだったら、夏帆にこんなに好かれる人にはなれない。夏帆も、二人のこと嫌いだったら、昨日あんな風に両親のことを私に話してくれることなんてなかった。私、昨日、夏帆が二人のことが大好きだって、一杯教えて貰ったんだよ。夏帆、だから、飛び降りるなんて言わないで。一緒に降りよう。一緒に塔を降りて、家に帰ろう」
「違うの!!」
夏帆は、私を突き飛ばした。
しゃがんだまま後ずさりして、少しずつ、更に端へとにじり寄っていく。夏帆の手が、塔のへりにかかった。
私は、いつ夏帆が飛び降りてしまうか気が気でなかった。
夏帆の双眸から、濁流のように涙が溢れた。顔からは力が抜け、ぐしゃぐしゃだった夏帆の顔が、一瞬で人形のようになった。昨日の夜に見た表情に似ていた。魂が抜け落ちたようだった。
「父さんが、自殺したの」
「え」
「母さんから、電話があった。」
「私が、父さんを、殺した」
違う。
「私がベースを始めたから、父さんは死んだ」
違う。
「私が上手くならなければ、私が練習しなければ、父さんは、死ななかった」
違う、――と言いたかった。
「私のせいで母さんは不幸になった。私のせいで父さんは不幸になった。私がいるから、皆が不幸になる。私なんて、いなければ良かった!!」
「違う!!」
「違くないよ! 父さんは、じゃあ、なんで死んだの!? 私が嫌いだから、私の存在を認めたくないから、死んだんでしょ!?」
「違う!」
私は少しずつ、夏帆に近付いて行く。
「嫉妬を感じたのは、抑えきれなかったのは、夏帆の父さんの罪かもしれない。責任かもしれない。けど! それは夏帆のせいじゃないでしょう!?」
「そんなことない! そんなこと意味ない! 咲ちゃんは、何にも分かってない!」
そりゃあ、分からない。
けど、夏帆のせいじゃない。
夏帆は悪くない。それだけは、何としてでも伝えなくちゃいけない。どうしたら、私は夏帆を救えるだろう。
私は、なにも言えない。言えなかった。姉さんのように、論理的に夏帆を説き伏せることは私にはできそうもなかった。何も思いつかず、ただ夏帆に飛び降りて欲しくないという思いだけが、広がる空のように無限に積っていった。私にはどうしようもできず、途方に暮れるしかない。
それでも夏帆をこのままにしておくわけにはいかない。
「ごめん。夏帆」
私は。
「私は、夏帆も、夏帆のお父さんも、お母さんも、全員を同時に救う方法を、知らない。でも。夏帆が飛び降りるのは、私、見たくない」
私は夏帆に近づき、そのつま先に触れた。怯える夏帆に不用意に近付いたら、そのまま飛び降りてしまいそうに思えた。私に一番近いところにあった夏帆のつま先に触れて、私はなおも語りかける。
「お願い、夏帆。私、夏帆が好きだよ。夏帆がいなくなるなんて嫌だよ」
夏帆の目は、真っ赤に腫れている。
「だから、私。咲ちゃんがくるまでに、飛び降りなきゃいけなかったのに」
その言葉は、私も、夏帆も、苦しめた。
夏帆は、この塔で私と出逢っていなければ、躊躇なく飛び降りていたかもしれないのだ。逆に、夏帆は私と出逢ったことで自殺を躊躇してしまった。そう、やっぱり夏帆は、自殺するためにこの塔を登ったんだ。
「なんで……」
夏帆は言葉を呑みこんだ。
そうなのだ。夏帆はここで恨み言を吐けるような人間じゃない。どこまでも、それはそれはしつこく、夏帆は自分を責める。だから、父親の死に責任を感じる。
「夏帆。お願いだから、私と一緒に塔を降りよう」
「駄目だよ。私は、飛び降りなきゃいけない」
「夏帆のお父さんが死んでも、夏帆がここで死んだとしても、夏帆のお父さんの罪が消えるわけじゃない。壊したベースも直らないし、抱いてしまった嫉妬も消えなかった。夏帆のお父さんは、間違ってるよ! どうして、夏帆が、お父さんの思いに引き摺られなきゃいけないの? どうして、夏帆がお父さんの後を追わなきゃいけないの! 間違ってる!」
夏帆の足首を、私は掴んだ。
「夏帆がここで死んだら、お父さんとおんなじだよ。無責任に死ぬなんて、私は絶対許さない。私、夏帆が好きだよ。夏帆が死ぬなんて耐えられない。勝手にいなくなるなんて許さない。もしも夏帆が、お父さんのことで罪を感じて死ぬのが正しいなら、私も、夏帆が死んだことに罪を感じる。夏帆が死んだら私も死ぬ。だから夏帆、お願いだから死なないで」
「そんなこと、言わないでよ……」
「いや!」
にじり寄って、夏帆の脚をまたぐようにして、顔を近づけた。
「私もっと、夏帆と仲良くなりたい。夏帆のベースも聴きたいし、夏帆の歌も聴きたい。色んなことを話したい。私、もっとギターも、歌も、上手くなるから。そうだ、夏帆。私ね、友達とバンドやろうって約束してるの。私がギターで、友達がドラム。夏帆、ベース、弾いて。私夏帆と、バンドがやりたい」
「私は、……」
「夏帆、私、夏帆の居場所になりたい。夏帆は一人じゃない。だから、私も一人にしないで」
「私は……、いなくならなくても、いいの……?」
「違うよ。いなくなっちゃ、だめなの」
今度こそ、しっかりと、私は夏帆の手を掴んだ。
真夏の太陽でも与えられない温もりを、たった一人の少女に与えるために。塔を登りつめて、すっかり冷えて、痩せて細くなってしまった手を握る。努力の証を握り締める。夏帆を強引に引き寄せて、私は赤く腫れた瞼にキスをした。私のこの想いを、一部の隙間もなく少女に詰め込むために。
身体を強く引き寄せて、私は泣いた。夏帆も泣いていた。二人分の泣き声が、深い青に吸い込まれて消えていった。
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オリジナル短編小説。夏、空、少女たち――「もうすぐ十五歳になる私は、あの不思議な塔に登ることにした。」 | ||
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