お題「時計」 |
「時計」
町には、大きな時計塔があった。ロンドンのビッグベンに似る風貌だが、大きさはあれほどではない。似せてつくられたものなのか、起源は何にしろ、長い間彼はこの町を見下ろし見守ってきた。ボクはその小さなビッグベン、「リトルベン」によく遊びに行く。町の子供達にとっては何の不思議ではない行動だ。程よく入り組んでいる内部は、秘密基地にいるかのような気持にさせてくれる。
リトルベンには住人がいた。リトルベンを管理している老爺なのだが、住み込みで一から十まで面倒を見ている。リトルベンを訪れる子供は多かったが、その中でボクは特にその老爺と仲が良かった。
今日もまた、彼らのもとへ遊びに来た。リトルベンを「彼」と呼ぶのは、その老爺がそう呼ぶにならい呼んでいる。だから「彼」で「彼ら」なのだ。
「おや、今日も来たのかい、ウリー」
「うん、今日もきたよ、ユーレカ」
その老爺の名はユーレカという。ボクの名はウリエルだ。ユーレカは、「彼」の掃除をしていた。なんでも長針を回す歯車の具合が悪かったらしいが、ユーレカは時計を止めることなく器用に歯車の間を掃除している。
「彼は、元気?」
「あぁ元気だ。だってもう四時だろう?」
リトルベンに入るときはもうすぐ四時になろうとしていた頃だった。ユーレカの作業を眺めて間もなく、四時を知らせる鐘が鳴り始めた。広く響き渡る澄んだ音色が、町を覆う。巨大な鐘と今いる機械室は天井一枚しか隔てていないが、やわらかく耳に心地よい音だ。
陽も落ちかけたこの時間。ボク以外の子供はおらず、ユーレカも作業を続けるばかりで、ボクは暇をもてあましていた。あるいは、下の階にいるネズミの一家を追い回したり、部屋の隅に巣くう蜘蛛の住処をつついてもよかったのだが、そうせずただぼーっとしていた。代わりに、前々から気になっていた、ユーレカの過去を聞くことを思い出したからだ。
「ねぇ、ユーレカ」
「なんだい」
ユーレカは埃で汚れた顔をこちらに向けた。年期の入った皺がいくつも刻まれている、白い髭をたくわえたやさしそうな顔だ。
「ユーレカはいつからここで、彼の世話をしているの?」
「さあなあ。俺が若いときからだからな、忘れちまった」
ちょうどユーレカは作業を終えたところで、返事を返しながら体をこちらを向けた。磨かれた歯車は強い力がかかっているのに、きしんだり音も立てずぴたりと他噛み合って回っている。鈍く光る真鍮の色が美しい。
仕事を終え満足げなユーレカが手を差し出した。握られたそのごつごつした拳が開かれるとそこには、あの真鍮の色が小さく輝いていた。
「歯車?」
「ああ。部品を取り替えてな。彼のかけらだ、ウリー、お前にやるよ」
職人気質か、ユーレカは気さくな言葉ながらもどこかぶっきらぼうな口調だ。ユーレカが手を傾けると、こがね色が古い手から新しい小さな手へと落ちた。
「本当? ありがとう。きれいだね」
「何十年も彼の一部だったんだ。大事にしてやってくれ」
「わかったよ。だいじにするね」
ユーレカは、にっとそのしわだらけの顔を笑ませた。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。特にこのリトルベンではそれがあらわだ。楽しいところ、楽しい住人、時を早く感じるにはボクらには十分だ。
窓の影が向こうの壁をつたうほど伸びている。そろそろ帰ろうかな、なんて思った矢先にユーレカも同じことを言った。ボクの家の門限である五時に間に合うためにも、ここを出るにはいい時間だ。
「気をつけて帰るんだぞ。最近は物騒な話が多いからな」
「うん、じゃあまた明日ね」
「ああ。また明日」
別れの言葉を残し、リトルベンを後にした。しかし、なかなかボクの家は、残り時間でたどり着けるほど近くない。かなりの速力を出して帰路を急いだ。ユーレカにもらったあの宝物を握る手にも力が入った。
(間に合わないかな……。時間が止められたらどうってことないのにね)
ふと横に視線をやると、まだ近く見える位置にリトルベンがある。そして長針はすでに“9”よりも上にあった。また母さんにおとがめを食らってしまいそうだ。
いつしか全速力を出すまでに急いでいた。不思議と、人に阻まれることも無く家が近づいてくる。間に合うか、五時の鐘が聞こえるか、どちらでもおかしくない。
「た、ただいま!」
間一髪で、ボクが鐘よりも早く家についた。息が整わない。だけどとりあえず、間に合ったことへ安堵する。そんなボクに母さんが言った。
「あら、今日は早いのね。いつもは五時の鐘と競走なのに」
「……え?」
何を言っているのだ。競走というのはボクの思ったとおり、ボクが帰るか先に鐘が鳴るかということなのだが、今日もそうだった。家にある柱時計、ボクの家からは直接見ることの出来ないリトルベンの代わりのそれが指し示す時刻は、四時四十六分。最後にリトルベンで確認したあの時間と同じだった。
どうなっているのだ。あの地点から家まで、少なくとも一瞬でたどり着く事なんてありうる話ではない。事態が飲み込めないが、ボクが子供だというわけではないだろう。右手を開くと、真鍮が夕日に照らされてきらりと光った。
*
次の日。今日はリトルベンへ向かう前に、幼馴染・アンバーの家に寄ることになっている。彼女は病弱でほとんどをベッドの上で過ごす毎日、外に出ることはほとんどない。
「こんにちわ、アム」
「あっ、ウリー、今日も来てくれたんだね」
ボクの声を聞いて、アンバーは横たえていた華奢な体を起こした。雪のように白い肌、透き通ったオーシャンブルーの瞳、赤みのかかった琥珀色のブロンドの髪。人形のようにきれいな彼女は、黒髪にとび色の目なボクはうらやましくもあった。
アンバーは外に出る事が、それ以前に部屋から、ベッドから出ることもできなかった。外の世界を見るのはいつも窓から。そんなアンバーに、ボクがいろいろな話を聞かせてやるのだった。学校であったくだらないことや、怖い幽霊の出る屋敷、道端でみつけたきれいな花、アンバーはなんだって喜んで聞いてくれる。
今日は、昨日もらったあのちいさな宝物の話だ。これに限ったことではなく、リトルベンの話は数限りなくある。アンバーも気に入っているようだった。
いつも持ち歩いている肩掛けのカバンから宝物を取り出し、アンバーの前に差し出した。
「きれいだね……宝石かなにかみたい」
「もらったばかりだけど、ボクの宝物なんだ」
ひととおり見せびらかした後、ボクは昨日の出来事を話してやった。ユーレカのことリトルベンのこと、そして、あの不思議な時間のこと。
この話はずいぶんとお気に召したようで、アンバーは一段と嬉々とした表情を見せる。女の子らしい、おとぎ話への興味なのだろうか。
「時間を止められるのは、その宝物のおかげなのかな?」
「もしかすると、そうなのかもしれない」
「素敵ね」
アンバーはうっとりと、ボクの手の上を見つめていた。嬉しそうなその表情を見ているとボクは胸が高鳴る思いだ。心が温まるような、しめつけられるような切なげな、なんともいえない気持ちが湧き上がってくる。
「ねぇ、ウリー」
「なに?」
「もし。もしね、時間を止められるのが本当なら、わたし、お外に出てみたいの」
大きな丸い瞳を潤ませながら、アンバーはボクに尋ねた。彼女の願いを断ることはどうしてもできないが、なにぶんボクもどうすればいいのかわからない。
「できる……かな、むり……かな……?」
「きっとできるよ! やってみよ、ね、ね」
憂いのある表情が、ぱっと笑顔に変わった。この笑みのためなら、どれだけ時間が止まっていても構わない、そんな気がした。
アンバーに、手を重ねるように促す。もしあのチカラの源がこれだとしたら、強くお願いすることで実現できるかもしれないと思ったからだ。
「アム、『時間よとまれ!』ってお願いしてみて。ボクもお願いするから」
「うん……」
ふと、アンバーと手をつないでいるということに気づいた。血液が顔に集中して、今にも噴出すのではないかと思った。アンバーは目を瞑り真剣に願いをこめていたので、ボクの上気した顔を見られることは無かった。彼女の小さな手は、暖かかった。
じっと沈黙に耐えた。というよりは、羞恥と幸福の入り混じるなんとも逃げ出したいような状態にだった。振り子時計の時を刻む音よりも、ボクの拍動は早い。
「…………」
「…………」
「……ウリー」
「わ、あ、うん?!」
目の前のとても近い距離に、さきほどまで見とれていた顔が迫っていた。同時にひときわ大きく心臓が跳ねた。
「だめみたいだね……。ザンネン」
ボクの心臓よりもゆっくりと時間を計っている時計は、まだ一秒一秒を数えていた。どうやらこのやり方では時間を止めることはできないようだ。いや、そもそもあの出来事自体が信じられるものなのかどうか。
「……ごめんね。でも、ほんとに時間が止められたら、ぜったい外に連れてってあげるからね、約束だよ」
「うん……。うん? ウリー、みて!」
表情の浮き沈みの激しいアンバーが指差していたのは、秒針が、振り子が、時間を刻むことを忘れたあの振り子時計だった。
ボクは手を挙げて喜んだ。しかしそれはアンバーの手を振り払うことになるのは明らかだ。そして手が離れた途端、振り子時計が本来の役割を思い出した。
その後いろいろ試した。そしてそこから明らかになった事実はこうだ。“時間を止めるには強く願うことが必要”、“そのチカラの源に常に触れていないと効果が解ける”といったところか。なんということだろう、雪の結晶を思わせるような白くて繊細なあの手にずっと触れているだなんて。
「アム、じゃぁもう一度。そしたら外に遊びに行こう!」
「うん!」
ふたたび手を取り合って、願いを捧げる。何も変わっていないように感じるが、窓の外に空中で静止する鳥を見て、顔をあわせて笑った。止まった時の中だが、アンバーがあの鳥のように自由に、外の世界へ羽ばたく時だ。
ゆっくりと、足音を立てないように階段を降りる。誰にも聞こえないのにね、とアンバーはくすくすとこぼす。下の階には彼女の母親がいて、夕飯の支度をしていた。パプリカを刻もうと包丁を宙に止めたまま、微動だにしなかった。
何ヶ月ぶりに、いや何年ぶりに外へ出たのだろうか。アンバーの話だが、あまりにも楽しそうなのでボクまでそんな開放感を感じてしまう。空の上で、時間が止まってもなお暖かい光を被せる太陽や、形を変えない綿菓子も、物珍しく新鮮みをうけた。
アンバーは、知らない町に遊びに来たかのようにはしゃいだ。今まで名しか知らない町だったから仕方ないのかもしれない。
「あっ、アム、だめだよ手をはなしちゃ」
「ちょっとだけ! ちょっとだけだから、ね?」
ボクが止める隙も与えず、アンバーは手を振り払って駆け出していた。風が、彼女の琥珀の糸束を揺らした。
「ほんとに、うれしそうでよかったなぁ」
かわいらしいその女の子を追おうとした、その瞬間だった。黒い影が、ボクとアンバーの間を通り抜けると、そこから彼女の姿が消えた。なぜか、と、その事態を把握するまでに、そう時間は必要なかった。白いドレスを抱え、見知らぬ男が走り去るのを端目に見た。
ある声が、周囲の群衆の目線を引きつけた。
「その男、ひったくりよ!」
ほんのわずか、静まって、その静寂の波を追ってざわめきが広がった。
??気をつけて帰るんだぞ。最近は物騒な話が多いからな。
もう少しだけ、ユーレカの言葉を早く思い出していれば。何ができたかはわからないが、大きな後悔が、胸を満たしていた幸せを塗りつぶした。
*
ボクはざわめきを追って走った。女の子を抱えて走る男なんて、不審極まりない。すれ違った人々は目でだけそれを追っていた。
だんだんと、見慣れた道になってきた。ここをまがりそこをこう行って。そうだ、これはリトルベンへ向かう道だ。身を潜めるつもりか、たしかにうってつけの場所ではある。だがボクら子供はその構造を知り尽くしている。追い詰めるのなんてたやすい。
「た、たいりょくが、あ、あれば、もっと、は、やく…………」
消えかけていたざわめきを引きずって、ようやっとリトルベンにたどり着いた。小さなとはいえ、巨大な建造物だ。たとえ構造を知っていても広大な敷地は一人探すには余りある。
(ユーレカを探す……? それともあいつを追ったほうが早い……? 時間さえ止められれば……!)
いくら願っても、どうしてか今度ばかりは叶えてくれなかった。色を変えやすいボクの心は、今度は焦りが占拠している。頭が回らない。わかっているつもりが道を間違える。
「ウリーか? いったい何の騒ぎだ?」
気づけば目的地と逆に進んでいたのだが、功を奏したあユーレカと出くわした。絶え絶えの息をさらに絞って、あらましを伝える。それを聞いて、己の住処を荒らされた住人は顔をしかめた。
「……こっちにはきとらん。お前は上を見に行け。俺は隅々見ながら行く」
ユーレカの目は炎を映していた。不埒なやからに対する正義か、縄張りを荒らす者への憤怒か、見たことの無い色をみせていた。
ボクに出来ることは、この小さな体で走り回ることだけだ。めぼしいところだけ確認し、どんどん上へと急ぐ。不審者を異変と感じたか、あの八本足や灰色の住人を見ることもなかった。
途中、不思議な声を聞いた。どこから聞こえるのか、頭の中に響くようなその声。それはボクの道を示し促すもので、おかげで迷うことは無かった。普通なら不気味がってもいいのだが、そんな気持ちは起きて来なかった。その女声の主を知らぬまま従い、たどり着いたのは一番高い鐘のところだった。
「アム!!」
声に反応したのは、身を横たえて動かないアンバーではなく、それを連れ去った男の方だった。
「が、ガキぃ……しつけぇだろぉ……」
野暮ったく髪を伸ばして顔は見えない。が、血走った目だけは、こちらを伺うためにのぞかせていた。狂気??まだ善悪の一部しか知らない子供にすら畏怖を抱かせる視線に、すっと寒気がした。
「アムを……返せ!」
「だ、だまれぇ! くそ、おれを捕まえる気だろぉ? そんなことしたらこいつをここから落とすかんなぁ!!」
残酷にも、か細い少女を足蹴にする。ユーレカの炎が正義のそれなら、ボクにも間違いなく飛び火していた。
だが、手立てが無い。ボクにある唯一対抗できるものも、願いを叶えてくれなければ意味を成さない。わずかにしか身動きしないアンバーが、どうしようもなく不安にさせる。
今にもアンバーを放り投げそうな男から見えない位置で、動いたものがあった。巨大な鉄塊を打ち、その音を町いっぱいに響かせる。鐘を打つ槌がゆっくりとあがってゆく。
その瞬間が勝負だろう。さもなくば男を突き落としてでも、アンバーは救い出してやる。
あと少し、もう少し、止まった、さぁ、その音を響かせるんだ。
「うおぁあああああ!!!!」
間近で聞けば、耳を覆ってもなお響く音色に、男は酷く狼狽した。しかしそれは好機ではなく最悪の結果をもたらした。
「えぁぁああああ」
「きゃぁああああ」
男はアンバーと共に、ただ、地に引かれていった。
「アム??????!!!」
どうあがこうとも、ボクは何も出来ない。でもボクは、アムを追って飛び込んでいた。この高さでは何も出来ないのは、誰よりもわかっているつもりだ。けれどボクは、追わずにはいられなかった。
??これ以上私は、止められませんよ。
地面を蹴って飛び出すほんの刹那に、またあの声が聞こえた。止める? 何の事だ。時間を止めてくれるならお願いだ、止めてくれ。するとボクが飛んだ先には、鳥と同じ高さで停止しているアンバーがいた。時間が止まっている。空中でアンバーを抱きとめて、ボクが手に持っていた歯車を握らせる。
「う、ウリー……ウリー……うええええん」
アンバーは泣いていた。不安と恐怖が、形を成してあふれていた。ボクとアンバーだけが、止まっている時の中落ちてゆく。二人だけの時間、こんなにそばに居るのに助けられないことが人生の心残りでならなかった。すぐそこまで、石畳が迫っていた。
「むぅ……無茶しおって……」
二人分の衝撃を受け止めたのは、硬い地面ではなく、白髭の老爺だった。
「ゆ、ユーレカ? どうして……だって時間は」
「ああ。女神様の気まぐれってやつだな」
「……?」
ボクが願っても、歯車を手から離しても、時の流れは戻らなかった。その間にユーレカは、まだ空をただよう男が助かるように草やゴミなんかを積み重ねていた。あの男には受けるべき罰が残っている、ということらしい。そんなことより、ずっとボクの胸で泣いているアンバーを見て、ボクは誰よりも安堵した。
男を助ける準備ができたのか、ユーレカは時を動かすように合図を送った。すると、時間を取り戻した男は、頭からごみだめに突っ込んでいった。ユーレカが見上げていたのは、しっかりと時間を刻んでいる時計塔だった。
*
大昔、<<機械仕掛けの神<>デウス・エクス・マキナ>>という女神が、人間に恋をしたそうだ。人の世に身を置いた罪は体を蝕み、時を見守るチカラは失われていった。チカラ無くした神はただ、消え行くのを待つしかない。しかし彼女の恋人は、彼女を人の世の「物」に宿らせることで彼女を消滅から守ったのだった。自らの時の運びと引き換えに。
それは半世紀ほど前の出来事だ。年老いたその恋人たちは、その話を町の誰にも知られないまま時の中を生きている。
ボクの手にした女神の一片は、ボクらに素敵な時をもらたしてくれた。それは、ボクとアンバーだけの、誰も知らない時の中だけの思い出。
説明 | ||
いつぞやに書いたものです。 08年4月上旬作、その後いつぞやに改修をし、いつぞやに部活に寄稿し、時を経て今日ぞやにうp |
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