ある日の…。
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ある日のアイリス。

 

 

 

 

 その1 隊長会議。

 

 

 

 その日アイリスは、近衛の隊長会議に出席した。

 

荘厳で重苦しい海老茶の配色の、天井の高い、中央に長くどっしりとした机と、その両脇に椅子がずらりと並ぶ議場に足を踏み入れると、ローフィスが隊長職引き継ぎの為、ディングレーを伴う姿をその先に見つけ、軽く会釈する。

 

ローフィスは気づいて振り向き、一つ頷くと、項垂れるディングレーも同様、気のない挨拶を返す。

 

ローフィスが移動願いを左将軍ディアヴォロスに受理されたのは、ほんの数日前。

 

ローランデが実家の母の具合が悪く、父を母の養護に当たらせたい。との理由で北領地[シェンダー・ラーデン]地方護衛連隊長職を大公である父親から引き継ぐ為、故郷に戻ってからほんの数日の事で

 

近衛ではローランデと付き合っていたギュンターがとうとう振られた。と、まるで爆弾を落としたようにそこら中で話題が沸騰する中

 

ムストレス派と敵対するディアヴォロス派筆頭のギュンターがムストレス派と争う原因である火種、ローランデが近衛を去った事で、二派の衝突は緩和されると皆が一様に胸を撫で下ろし、その上

 

ムストレス派の標的の一人、ディアヴォロス派のローフィス迄もが隊長職を辞し、近衛を去る事と成って皆が一斉に、ディアヴォロス派とムストレス派の、一触即発の危機は当分回避された。と、安堵する中での会議だった。

 

近衛騎士達の安堵とは裏腹に、ディングレーが随分しぼんで見え、ローフィスと別れるのがそんなに辛いのかと、ついアイリスはローフィスに覗う視線を送る。

ローフィスは気づいたように、項垂れるディングレーの腕を引くとアイリスの前へ、引っ張って行く。

ディングレーは面倒くさげに引っ張られてチラと、二つ年下で、隊長としては先輩に当たるアイリスを睨む。

 

「…言ってやってくれ。アイリス。

別に心配はいらないと。

副隊長は家柄も申し分無いフィンスだし、奴はディングレー同様武術馬鹿だが意外に気の回る男だから、隊員の面倒は奴に任せ、王家の血を引く身分だと、いつも道理ふんぞり返ってりゃいいってな!」

 

アイリスはたっぷり頷くと、ついローフィスにささやいた。

「…つまり…君の辞職を惜しんでるんじゃなく…」

 

ディングレーが途端大きな吐息を吐くと、長い黒髪を散らす勢いで顔を横に大きく振る。

「辞職を惜しんでるに決まってる!」

 

ローフィスはすかさず言った。

「隊長になるのが、嫌でだろう?」

 

ディングレーは途端、俯く。

 

アイリスはローフィスの様子を見て、保証した。

「名前が副隊長から隊長に変わるだけだ。

態度はいつも通りでいいし、面倒はフィンスに見て貰えば。

ローフィスが、フィンスに変わっただけだろう?」

 

だがディングレーが途端に顔を上げる。

「会議に出向いたり、他の隊長と交渉したりしなきゃならんだろう!」

「代理でフィンスにやってもらえ!」

ローフィスの面倒くさげな怒声に、ついアイリスはフィンスに同情して顔を下げた。

「それで済むのか?」

「済まなけりゃ出向いて、いつも道理黙って相手を睨んどけ!」

「睨めばいいのか?」

 

同意を求めるようにディングレーに見つめられ、アイリスは吐息混じりにささやいた。

「君は王族だから、大抵の相手は君に睨まれたら、君の意向を汲むさ」

 

ローフィスはアイリスに、解ってるな?と頷き、低い声で告げる。

「君にはフィンスのフォローを頼む」

やっぱり。とアイリスは、仕方なさげに頷く。

 

ディングレーはそっとローフィスに、顔を寄せるとささやく。

「結局アイリスに後始末して貰う羽目に、なるんじゃないのか?」

ローフィスはたっぷり頷き

「フィンスが慣れる迄は、そうなるな」

 

ディングレーは眉間を寄せるとローフィスに更に顔を寄せる。

「あんたが、移動願いを撤回すれば奴に世話かけなくて済む」

 

がローフィスは真っ直ぐ自分より顔一つ分背の高い男を見上げ、言い返す。

「お前のプライドの為に自分の希望を曲げる気は無い。

それでなくとも俺は旅に出るのが好きだし、戦いは必要以上はしたくない。

シェイルが近衛に居るから付き合ってたが、奴も慣れたしムストレス派のちょっかいも止んだ。

ディアヴォロスが居る限りシェイルは安全だし、もう近衛とはとっととおさらばしたいんだ!

お前の世話焼く為に残れと、本気で俺に言う気なのか?」

 

アイリスはローフィスにそう捲し立てられ、思い切り項垂れるディングレーについ、目をまん丸にしてつぶやく。

「ディングレー。“君と離れたく無いから行かないでくれ"

と素直にローフィスに、本心を言ったらどうだ?」

 

が、この発言に二人共一斉に顔を上げてアイリスを凝視する。

両者に殆ど睨まれて、アイリスはそっとささやく。

 

「睨んでる?もしかして」

ディングレーが、腹の底から怒鳴った。

「まるで去る恋人を引き止めるようなセリフを、よりによってローフィス相手に吐けるか?!」

ローフィスも畳みかける。

「…そんな事奴の口から洩れたりしたら俺は、その場で奴から一目散に逃げるぞ!」

 

ディングレーがローフィスのセリフについ、顔を向けてじっと見つめる。

ローフィスが、怒鳴る。

「何だ!

アイリスの口から聞いても、気色悪くて一瞬吐きそうになったんだぞ!」

 

ディングレーが瞬間、怒鳴る。

「アイリスが言うから、生っちろく聞こえるんだ!

だが行って欲しくないのは俺の本心だ!」

「俺が居ないと不自由するからだろう?!」

 

アイリスも吐息混じりにディングレーにささやく。

「ローフィスは凄く有能な男で、おんぶにだっこで全部面倒見て貰って楽だから、居なくなって凄く不自由なのは解るけど」

 

ディングレーが途端、アイリスを睨む。

ローフィスが立派な体格の、黒髪のその強面の男前をつい、吐息混じりに見つめる。

「奴の言う通りだから、睨んでも無駄だ」

だがディングレーはまだアイリスを睨み、唸った。

 

「…おんぶに、だっこ?俺は餓鬼か?!」

ローフィスが首をすくめた。

「アイリスの言い回しに今更ケチ付けてもな…。

お前の喧嘩好き同様、この年で改まるもんでも無いだろう?」

 

アイリスも肩をすくめる。

「だって、一人前の男は世話役が居なく成っても狼狽えたりせず、自分の世話は自分で焼くものだ。

 

世話焼いて欲しくて残って貰いたいなら、単なる我が儘な餓鬼だろう?」

 

ディングレーは咄嗟に唸った。

「喧嘩、売ってんのか?!もしかして!」

 

アイリスは吐息混じりにささやく。

「ディングレー。君と殴り合う気は無い。

事実を言ってるだけだ。

自分の世話を自分で焼けるなら、ローフィスの門出を素直に喜ぶべきだと思う」

 

アイリスのセリフにぐうの音も出ず、がディングレーはまだそう言ったアイリスを睨んでいた。

だがその時、会議室の扉をギュンターが開け、入って来る。

 

金の髪が鮮やかに散り、相変わらずの無表情の美貌に、議場の皆が目を引かれる。

途端一斉にひそひそ声が飛び交う。

が、アイリスもローフィスもディングレー迄もが

“熱烈に惚れ込んだ思い人に、振られた奴"

の陰口すら耳に入らぬ様子の思い詰めたギュンターの顔につい、揃って顔を見合わせた。

 

そして三人共が、いつもギュンターと顔を合わせると決まって喧嘩になるムストレス派の隊長、ザースィンの方へと顔を、向ける。

 

だが椅子に憮然と腕組んでかける赤毛のザースィンも、ギュンター同様ローランデにはそれは入れ込んでいて、彼が去ってしまった今、仲間のムストレス派の隊長らとギュンターの陰口に乗っかる風でも無く、随分気落ちした様子で俯いていた。

 

ギュンターが中に入って来ると、避けずにわざとぶつかるムストレス派の隊長、レルムンスがぶつかり様ぼそり。とギュンターの耳元に告げる。

「…愛しい奴の為に命迄かけて最前線に懲りずに送られたってのに、相手はつれないな」

 

ギュンターが一瞬で目を、ぎっ!と剥く。

「俺に殴られて顔を腫らしたいのか?そんなに?」

 

レルムンスはついその剣幕に目をまん丸にし、だがにやけた微笑を浮かべて言い返す。

「日頃名高い色男も、カタ無しだ!」

 

ギュンターは頷くと、ぼそり。と低く抑えた、だが鋭い声音で告げる。

「次は警告無しで殴るぞ?」

 

レルムンスはついギュンターを見たが、戦場で敵と相対す程の凄まじい気迫で睨み付けられ、思わず黙った。

 

ギュンターは相手が静まると瞬時に唸る。

「道を、開けろ!」

 

レルムンスが眉間を寄せると、その金髪の派手な美貌の年下の男に怒鳴り返す。

「勝手に通れ!」

 

アイリスが咄嗟に飛び込んで、ギュンターの振り上げた拳にしがみつく。

ローフィスがレルムンスに向かって怒鳴る。

「これから始まる会議を、ブチ壊したいのか?」

 

ディングレーがぼそりと背後で呻いた。

「そうか…。その手があったか………」

 

ローフィスは会議が大嫌いなディングレーの独り言につい、振り向いて睨む。

が、ギュンターはアイリスの掴む腕を激しく振り払い、レルムンスに向かって拳を放とうとし、二度(にたび)アイリスはギュンターの振り上げた拳を、その腕に両腕を巻き付け防ぐ。

 

途端、議場はムストレス派とディアヴォロス派の真っ二つに別れて睨み合い、緊迫し殴り合いの様相を、見せた。

 

ディングレーは正直、胸が躍った。

会議より殴り合いがいいに決まってる。が、ローフィスに思い切り睨まれ、仕方無しに大声で怒鳴る。

 

「会議前に拳を振る奴は、俺が相手をする!」

途端、議場の全員がそう言ったディングレーを一斉に見つめ、「左の王家」の証の黒髪を背に流す、その長身の立派な体格の、一番身分高い威風ある男前の言葉に静まり返る。

 

そして、やれやれ。と皆次々に黙して席に、つき始める。

 

アイリスはまだ、腕を振り払おうとするギュンターの腕を掴み、力比べをしていた。

ディングレーはさっ!とギュンターの前に出ると、つぶやく。

「奴は、放っとけ!」

ギュンターは一瞬ぎり…!と歯噛みすると、席に着く淡い栗毛のレルムンスの、優美な細面を睨み付けた。

 

が、すっ。と力を抜き、ほっと同様力を抜くアイリスの掴む手を、肩を振って解く。

ローフィスがギュンターの目前へと顔を出し、言って聞かせるように諭す。

「…議場全体を、巻き込みたいのか?」

 

ギュンターは明るい栗毛と青い瞳の、冷静な年上のその男の言葉で一瞬にして我に戻ると、周囲を見回した。

「俺とレルムンスだけで、済まないってのか?」

 

ディングレーが低い声で唸った。

「ここは酒場じゃないし、二派でも腕自慢の代表面子がきっちり、揃ってるからな!」

 

ギュンターは顔を揺らすと、ほっと吐息を吐いてローフィスに謝罪した。

「…そんなつもりは無い。ただ………」

気弱な表情のギュンターに、ローフィスは厳しい視線のまま尋ねる。

「ただ…?」

「気づかなかった」

 

ローフィスもディングレーも呆然と顔を見合わせ、アイリスはギュンターの横で大きな、吐息を吐いた。

 

 

 議長の、右将軍アルフォロイス派のゼーイルースは、そつなく会議の議事進行に努めた。

長い戦闘で各戦闘毎の報告書提出が、滞っている事。

消耗人員の整理、補充。遺族への扱い。そして消耗品備蓄に関しての長々とした説明に、ディングレーはもう音を上げていた。

 

が、議長ゼーイルースがローフィスに視線を向け、彼の名を呼ぶ。

「この度隊長を辞職するローフィス」

ディングレーが横を見るとローフィスは立ち上がり、続いて自分の名が呼ばれた。

「代わって隊長に就任するディングレー」

 

ディングレーは吐息混じりに立ち上がる。

が、皆その大物がとうとう隊長職に就く。と一斉に顔を引き締めた。

 

ローフィスが隊を率いていたものの、皆の視線は常に副隊長のディングレーを意識していたし、隊の交渉事にいつも姿を見せ、その迫力と身分で、ローフィスを下賎の身分の、隊長に相応しくない男と見下す隊長達をいつも、引かせていた。

 

ディングレーが立つ姿は威風に満ち、左将軍ディアヴォロスに心酔し、その後ろで忠実に仕える彼はムストレス派に更なる大きな脅威として意識せざるを得なく、ムストレス派は揃って憮然。と黙り込む。

 

彼らからしたら、ローフィスが隊長の方がずっと組しやすい筈だからな。とアイリスはその様子を、ディングレーらの斜め前の席に座して見つめ、くすり。と笑う。

 

が、当の本人は、座って良い。と頷く議長の言葉に再び腰を、どっしりとした重厚な革張りの椅子に降ろすと、憮然。とローフィスを見つめた。

ローフィスは、取り合う気は無い。と示すように、そっぽ向く。

 

 

 が議会はやっぱり荒れ始めた。

 

ムストレス派隊長が、補充人員が足りない。と議長にゴネ始めたからだ。

 

それを言うのは、ムストレス派ノルンディル准将所属の隊長、フォルデモルド。

 

左将軍ディアヴォロスの右腕オーガスタスと並ぶ程の長身と体格。そしてオーガスタス同様の赤毛で常に比較されまくっていたが腕力だけの男で、頭の回転もその度量もどれを取ってもオーガスタスより劣る。と秘かに見下され、オーガスタスに喧嘩が売れない鬱憤を、その親友ローフィスに機会ある毎にぶつけて来る、嫌味な男だった。

 

議長の、現在の補充人員数が少なく、不足しているので無理だ。との説明に、立ち上がるフォルデモルドは長身揃いの隊長達の中でも一際高い背をひけらかし、肩を揺すってやっぱりローフィスに、最後の機会。とばかり、文句を垂れる。

 

「ローフィスの所は三人も補充した。

俺のところはたったの一人だ。

欠員はこっちの方が多いのに、なぜだ!」

 

右将軍アルフォロイスの親任を得ているだけあって、穏やかな顔をした栗毛の品のいい洒落男で海千のゼーイルースは落ち着き払い、口を開く。

「本人達の希望を、まず聞く。

君には人気が、無かったようだ」

 

フォルデモルドはどん!と議場中央を占める重厚な長い机が、端迄揺れ渡る程激しく叩き怒鳴る。

「人気投票じゃ、無い筈だ!隊の運営は!

ローフィスの隊から最低一人はこっちに、回して貰おう!」

 

…だが同様ムストレス派の隊長ララッツ等は、上手く背後で手を回し、その少ない補充人員を五人も確保していると言うのに。アイリスは内心思ったが、ムストレス派の隊長がディアヴォロス派から、一人でも多くの騎士を奪おうとするのは毎度の事で、直ぐディングレーはかっ!と怒って立ち上がろうとし、ローフィスがその腕をきつく引き戻し、押し止める。

 

がたん…。

 

席を立つアイリスに皆が、注目する。

その長身の優雅な美男はにっこり笑って、議長に顔を向けた。

「発言を、許可して頂きたい」

 

その笑顔に、ムストレス派の男達は揃って首を横に振りまくる。

ローフィスに文句が出ると大抵代わってアイリスが立ち上がり、ムストレス派の文句を詭弁で全て、押し戻すのはやっぱり、いつもの事だったからだ。

 

アイリスは叔父を大公に持つ大貴族だったし身分も高く、彼の発言を誰も、安易に受け流す事が出来ないと、本人も知っての登場で、この中で一番年下であるにもかかわらずその体格と戦闘での実績で、議会外で腕にモノ言わせて、黙らせる事すら出来ない、ムストレス派にとっては最悪に厄介な相手だった。

 

議長はアイリスの知恵で上手く揉め事が収まるのを、知っていたからアイリスにそっと頷く。

 

アイリスはフォルデモルドのいかつい顔を見つめ、ささやくような、だが断固とした響きをその言葉に含ませ、告げる。

「一度配属が決まった隊から移動すると、全てが混乱を来(きた)す。

シャーネンクの隊はシャーネンクが隊長を辞任し、隊員達の配属先がまだ決まってない。

…補充人員として引き受ける事が出来る筈だ。

違いますか?」

 

議長はアイリスににっこりと微笑むと、その通りだ。と頷いた。

「一部隊としては人数も足りず、どこに配属しようか困っていた所だ」

 

そこに居る全員が一斉に顔を、下げる。

シャーネンクの隊員達が皆、ごろつき上がりの最悪に手の負えない乱暴者で無法者達なのを、議場の全員が知って居たし誰もが連中を自分の隊に、引き取るのを拒んでいたから、アイリスの申し出にフォルデモルドがどう言い返すのか、期待せずに視線を振った。

 

アイリスに、勿論剣の腕前でも喧嘩でも、勝つのは厄介だったがそれ以上に言葉で喧嘩するのを、腕自慢の隊長らは皆思い切り敬遠していた。

 

弁の立つこの美男のいけすかない微笑を常に湛えた男を言葉で敵に回したが最後、一言も言い返せず腸(はらわた)が煮えくりかえるのをそこに居る全員が、経験から思い知っていた。

 

アイリスと同様のディアヴォロス派の、ディングレーとギュンターでさえもが。

 

フォルデモルドがその言葉にどう言い返そうか、煮詰まって顔を真っ赤にする。

奪ってやろうとしたのに、出来ないばかりか礼儀も知らないごろつきを引き受けるだなんて、問題外だった。

 

がそれを上手くかわす言い訳は、どこを探しても見つからない。

わなわなと拳が震え、その整った美男のいけすかない顔を殴って黙らせたいのを必死で我慢しているフォルデモルドの姿を、アイリスは冷静に見つめ、にっこりと微笑む。

 

その、チャーミングな女性を魅了する魅惑的な微笑みに、そこにいる猛者達は皆、寒気を感じ、俯いて顔を下げた。

あれはいわば勝利の微笑みだと、その場に居る全員が、戦場で幾度も見知っていたので。

 

「ではそれで補充人員の件は解決だ。

そうでしょう?」

 

フォルデモルドがとうとう怒鳴った。

「シャーネンク隊の男達は正規の訓練を受けていない!

人員が足りず特別推薦で入隊した、ごろつき共じゃないか!」

 

アイリスがきっぱりと言い返す。

「ローフィスの…今はもう、ディングレーの隊だが!」

 

その言葉が強く、フォルデモルドも一瞬、敵にしていた男が今やもう、ローフィスで無くディングレーにすり替わった事を認識し、一瞬ぎくり…!と頑健な体付きの、王族である黒髪の尊大なディングレーの姿に視線を送る。

 

アイリスは口早に言葉を続ける。

「…そして私の隊にすら、推薦枠の男達は居る!

君の隊には私の記憶では一人も居ない!

推薦枠の男が配属先が無く遊んでいる以上!

君も引き受けるべきだ!

人の隊の人員を宛にせず!

 

それとも君は、私にもローフィスにも出来た事を自分は出来ないと、認めるのか?!」

 

「ふざけるな!

貴様らに、劣る俺ではないわ!」

 

怒鳴った途端、フォルデモルドははっ!とした。

 

ムストレス派の隊長達は全員、首を横に振りまくり、アイリスの挑発に乗った愚かな男から視線を背ける。

 

フォルデモルドは言ってしまった言葉を撤回する方法が思いつかず、必死に援軍を見つけようと顔を椅子にかける同士に向けるが、誰一人として顔を上げる者は居なかった。

 

議長はにっこりアイリスに感謝の微笑みを浮かべ頷くと、フォルデモルドに顔を向け

「ではシャーネンク隊の人員リストをフォルデモルド、君に早急に届けさせる。

内、必要人員を選び、自分の隊に配属したまえ」

 

ムストレス派の、男達のささやきが聞こえる。

「はなから勝負は、見えてたな…」

 

「脳みその無いフォルデモルドと、悪知恵の塊の、アイリスじゃな………」

 

フォルデモルドはもう顔を真っ赤にし、わなわなと全身を震わせていた。

 

椅子に掛けるアイリスに、隣のギュンターがそっとささやく。

「会議後、隙を見せたらフォルデモルドに殴りかかられるぞ」

アイリスは肩をすくめた。

「私を殴ったら、処分だ。

一発目さえかわせば、奴にそれを思い出させてやる」

 

ギュンターはその、余裕の塊のアイリスを見、こんな奴を敵に回すなんて。と思わずフォルデモルドの馬鹿さ加減に首を、すくめた。

 

「俺だってごめんだ…」

ギュンターのつぶやきに、アイリスはつい隣で頬杖ついて顔を背ける金髪の男を見つめる。

「何が?」

ギュンターはその美貌を思い切りしかめ、アイリスに振り向く。

「お前を敵に、回すのがだ!」

 

アイリスはギュンターの眉間のくっきりとした皺を見はしたが、ぼやく。

「君はだって、平気じゃないか………」

ギュンターはくるり。と再び顔を背けつぶやく。

「平気じゃない!」

「ローランデを諦めろと脅しても、聞かなかった癖に………!」

ギュンターは一瞬にして振り向くと、アイリスに言い放つ。

「それに関してはどれだけお前が立ち塞がろうが、断固として戦う気構えが、ある!」

 

アイリスは、言ってる事とやってる事が違うじゃないか。と肩を思い切りすくめた。

 

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ある日のアイリス

 

 その2 会議後

 

 会議の後、アイリスはディングレーと共にローフィスに呼び出された。

 

ローフィスは議場から続々と退出を始める隊長らを横目に、そっとまだ呆けたように椅子に座るギュンターに視線をくべて、二人に告げる。

 

「この後、アモーレス婦人宅で舞踏会がある。

ギュンターを連れ出してくれないか?」

 

ディングレーが目を丸くして唸る。

「憂さ晴らしさせようって腹か?」

 

ローフィスは一つ、頷くと

「いくら煮詰まってる奴でも、ご婦人に拳は振るえないし…」

 

ローフィスの心づもりが解って、アイリスは頷く。

「舞踏会にギュンターが顔を出せば必ずどこかの女性に掴まって、ついでにそっちの方も発散出来るから一石二鳥って事か?

でもローフィス。

私が出ると、やっぱりどこかの女性に掴まると思う」

 

ローフィスとディングレーが揃ってそう言ったアイリスに、振り向く。

 

どこの華やかな場でもギュンター。そしてアイリスが顔を出すとそこに居る女性の視線を一斉に集

め、彼女らにあっと言う間に二人が取り囲まれる光景を、ローフィスは一瞬にして思い出す。

 

忘れていた。とばかりローフィスは俯き、前髪に手をやり、そして振り向くと、言葉を待つアイリスにその真っ直ぐな青の瞳を向ける。

「…お前の事だ。どうせ、やり用があるんだろう?」

 

アイリスは肩をすくめる。

「まあね。でも君は、来ないのか?」

「辞職の事務手続きでちよっと野暮用があって、遅れる」

 

言った途端、ディングレーが胸を、撫で下ろす。

「来るんだな?」

ローフィスが咄嗟に怒鳴る。

「保護者付きじゃなきゃ、舞踏会にも気軽に顔も出せない癖をいい加減、何とかしろ!」

 

アイリスはつい、黒髪の王族を見つめた。

ディングレーがその視線に怒鳴る。

「何だ!」

「………だって………ローフィスが居ないとその………。

舞踏会も一人で、出られないのか?」

ローフィスが、ディングレーに顎をしゃくる。

「奴は王族だ。

玉の輿狙いのハゲタカ女の、上手い断り方もロクに実践出来ない」

 

アイリスはローフィスに一つ、頷くと言った。

「君が仕込んでも、駄目なのか?」

 

ディングレーは相変わらずのアイリスの言い回しに憮然。とした表情で耳を傾ける。

「教えたって、いざとなればかっか頭に来てロクにしゃべれやしない。毎度の事だ。

ご婦人相手じゃ殴れないから、怒鳴りそうになって自分を抑えてるだけで精一杯だ。

お陰で、二人でつるんでるとそれでなくとも近衛の男だからとあらぬ嫌疑をかけられ、不愉快なんだ!

 

でも付き添い無しで奴は舞踏会なんて、出ないし。

この先舞踏会に奴を引っ張り出さなきゃならない事態に成ったら、お前が俺に代わって付き添ってやれ!」

 

ディングレーは凄く、不満そうにローフィスを見たが、ローフィスは意見を引っ込める気は、無さそうだった。

 

アイリスはディングレーに睨まれ、困惑してローフィスにささやく。

「でも………。

舞踏会にディングレーと一緒に出たら、私に押し寄せて来る女性の半数は彼に、喰らい付くと思う」

 

ディングレーも目を剥いてローフィスに怒鳴る。

「アイリスの周囲がいつも女で埋まってるのを、忘れてるだろう?!」

 

ローフィスはとうとう折れた。

「…解った。この件はフィンスに頼もう」

 

アイリスはつい、ぼそり。と言った。

「ご婦人達は胸ときめく男前の王族が、以前は隊長と付き合ってたが今度は副隊長に乗り換えた。と扇の影でささやきを交わすんだろうな」

 

途端、ローフィスもディングレーもが揃って目を剥く。

アイリスはそっと言った。

 

「…今度は、睨んでるって解ってる」

 

ディングレーは途端に、激しく怒鳴る。

「当たり前だ!

お前はちゃんと婦人らに、俺達の間には何も無いと誤解を晴らせ!」

アイリスは不満そうに、その自分よりほんの少しだけ背の低い、頑健な肩の黒髪の男前を見つめる。

 

「でもいつも舞踏会でローフィスとひっついてるんなら…。

誤解を解くのは凄く、難しいんじゃないのか?」

 

ディングレーが咄嗟に怒鳴る。

「ひっついてない!」

 

だがローフィスが顔を下げて俯く。

「確かに、ディングレーは今迄一度も舞踏会で女の腕を取った事が無い」

 

だろ?とアイリスに同意を促すように見つめられ、ディングレーが怒鳴った。

「無いもんは、無いんだ!

誤解する方がおかしい!」

 

「君、世間の見解が解ってないだろう?

誤解しない方がおかしい。って状況なのにどうして、気づかないんだ?」

 

ディングレーはまだ、断固として異論を唱えた。

「だって奴と、寝て無いんだぞ!

どうしてそれで誤解する!!!」

 

ローフィスは項垂れきって顔に手を、当てていた。

「女には、理屈があって無いようなもんだって、解らないのか?」

 

アイリスがつい、二つ年上の男前の王族を見つめ、つぶやく。

「だって…君、凄くモテるだろう?

で、どうして全然女性と関係を持たないのか、理解出来ない」

 

ローフィスがぼそり。と言う。

「身分が高すぎて、迂闊に遊べないんだ」

 

アイリスが異論を唱える。

「私にだって、ハゲタカ女は寄って来るぞ?」

 

ローフィスは顔を上げると、ディングレーには劣るもののやはり身分の高い大貴族のアイリスを見つめ、つぶやく。

 

「訂正する。

不器用だから、遊びたくても出来ない」

 

ディングレーがとうとう、沸騰した。

「悪かったな!!!」

 

アイリスがつい、興味をそそられて尋ねる。

「戦闘の時は“夜付き人"が居るから解るけど、それ以外はどうしてるんだ?

まさか…………」

 

ローフィスもディングレーも揃ってアイリスを、見た。

二人が黙って言葉を待っているので、アイリスは仕方無しに声を潜めてつぶやく。

 

「…自分で、抜いてるのか?」

 

ローフィスは顔を思い切り背けると、怒りに顔が歪み言葉も出ずに拳を震わせるディングレーに代わって、言った。

「ちゃんと執事に安全な女を、宛がわれてる」

 

アイリスはたっぷり頷いた。

「…やっぱり保護者が、必要なんだな?」

 

ローフィスは咄嗟に振り上げようとしたディングレーの拳を握ると、アイリスに慌てて怒鳴った。

「口のきき方を考えろ!

それで無くともムストレス派の連中でさえもお前を殴りたがってるのに!

味方に迄、殴られたいのか?!」

 

そう言った途端ローフィスの背後をフォルデモルドが、アイリスにたっぷり『仕返しはするぞ!』と背筋の震える笑みを注ぎながら通り過ぎて行った。

 

ディングレーはそれに気づき、ローフィスの手を拳を振って払い退け唸る。

「奴の気持ちが、凄く解る!」

 

ローフィスは、頷くとディングレーに言った。

「だがアイリスは味方だ」

ディングレーは悔しそうに唇を、噛んだ。

 

「…アイリスを殴りたい気持ちは俺にも解る」

いきなりギュンターが、ローフィスの背後から顔を覗かせつぶやく。

ディングレーが途端、忌々しそうにアイリスに視線を送ったまま頷くと

「やっぱりか?」

と言い、ギュンターは同意して、首を大きく縦に振った。

 

ローフィスが疲れ切って呻く。

「意見が揃って、良かったな。

だが味方内で喧嘩は御法度だ。

もし二人共アイリスを殴ったら、ムストレス派を喜ばせるだけだと肝に銘じとけ!」

 

アイリスはだが、ぼそりとつぶやく。

「拳を握った瞬間、二人共忘れるに決まってる」

ディングレーとギュンターが途端、ぎっ!と目を剥き、ローフィスがアイリスの肩を揺れる程強く握り、言った。

 

「口を、開くな。頼むからもう、それ以上」

アイリスは疲れ切るローフィスの為に、仕方無しに頷いた。

 

 

 舞踏会へと向かう馬上で、三騎横一列に並ぶ中、右端のアイリスはやっぱり中央で手綱を繰るディングレーに視線を注ぎ、つぶやく。

 

「…君、執事に宛がわれた女性で本当に、満足してるのか?」

 

ディングレーはジロリ…!と話題を蒸し返すアイリスに、がなった。

「どうしてそんな事が聞きたい?」

 

アイリスは俯くと、そっとささやく。

「だって君、凄く…その、旺盛だろう?」

 

ディングレーは一つ、大きく吐息を吐くとぼやく。

「お前らみたいに取っ替えひっかえ女を渡り歩く神経が、理解出来ない。

その上お前ら、寄って来る美青年達迄相手してるじゃないか。

よくそれで身が持つな?数を口にしてみろ。

星の数ほど居るんだろう?どうせ。

そっちの方が、俺は信じられない」

 

アイリスはそっとディングレーの向こうのギュンターを見たが、ギュンターも自分の方を覗っていて、ついアイリスがささやく。

「向こうから差し出してくれるものは、毒で無い限りありがたく頂いてるだけだ。

あっちにとっては親切だろう?

君は相手の親切は、受け取らないのか?」

 

ディングレーは詭弁だな。とアイリスを見、つい左横のギュンターに振り向く。

「お前も同意見なのか?」

 

ギュンターは項垂れて顔を揺らすと、ぼそり。とつぶやく。

「ローランデが…俺の相手をしきれないから余所で発散しろと言うから、俺も自棄(やけ)に成って他の相手とする」

 

アイリスがつい、口を挟む。

「それは…相手にとって失礼だろう?」

 

ギュンターは項垂れたまま大きく吐息を吐くと

「…だから、恋人には成れないぞ。と毎回相手に念を押す。

それでもいい。と言うから、付き合ってるだけだ」

 

ディングレーとアイリスはつい、しおれきったギュンターの様子に顔を見合わす。

「…切れたんだろう?ローランデとは実質?」

アイリスが言うと、ギュンターはがっくり肩を落とすと、掠れた小声で答える。

 

「…北領地[シェンダー・ラーデン]に居るんだ。

滅多に会えないし、あっちに恋人を作られたら最後だ」

その、どの場でも一二を争う颯爽とした美貌のモテ男の、げっそりと青冷めた顔をディングレーはつい凝視したし、アイリスは吐息を吐く。

 

「でも君は山程相手が寄って来る。

きっとまたいい出会いがあるだろうし、ローランデの方もそれを望んでる」

それを聞いたギュンターがもう背中迄丸めて項垂れきっていて、ディングレーはアイリスにぼそり。とささやいた。

 

「傷口に、塩だぞ」

アイリスは頷くと

「だけどちゃんとその事を認識しといた方が。

派手に痛む傷ほど、治りが早いと言うし。

希望が無いのにいつ迄も諦めないのは、最悪だろう?だって。

 

彼程の美男だ。彼に惚れ込む相手は君が言った通り、星の数程居る。その中から直ぐ又、好きになる相手に出会えるに決まってる」

 

ギュンターが咄嗟に反撃した。

「惚れた腫れたに、顔が関係あるか。

相手が星の数程居ようが…ローランデはただ一人で、そのただ一人の相手に去られちゃ、どれ程名乗りを上げる相手が居ようが関係無い!」

 

「…奴の、言う通りだ」

思わず同意するディングレーに、アイリスは眉間を寄せて首を横に、振る。

そしてディングレーに馬を寄せると思い切り声を、潜めてささやく。

 

「いい機会なんだ。

ローランデだってもういい加減ギュンターから解き放たれて一人前の男として立派な家庭を築きたいだろうし。

彼がローランデに惚れ込んで一方的に押しまくっていたんだから、ギュンターさえローランデを思い切れば万事全てが上手く行く。

 

君も協力して、ギュンターが真っ当な相手と恋愛するよう持って行ってくれないと。

それで無くともローランデはギュンターに惚れ込まれるわ、ムストレス派からはギュンターを痛めつける恰好の材料としてちょっかいかけ続けられるわ。で大変な目に合ってる。

 

当のギュンターは奴らを相手に常に喧嘩のし通しで、果ては准将迄殴り倒して処罰を受け最前線に送られ続け、こっちはいつ彼が命を落とさないか、はらはらのし通しだったろう?

 

オーガスタスはギュンターを庇い続け、戦闘では常に助っ人に駆け付け、そのオーガスタスのフォローを、私やローフィスがどれだけ大変な思いでして来たか、知ってる…筈じゃないのか?

 

それとも…君はそれに気づかず、ローフィスに任せっきりでただ、戦闘では思い切り暴れ、じゃない時は王族としてふんぞり返っていただけなのか?

 

…違うだろう?」

 

ディングレーは憮然。と唸った。

「だが惚れちまったもんは仕方無いだろう?

あの、どの相手にも素っ気ない奴があんなに熱く成ってんだ。

 

ぼんくらな俺にさえ『マジで惚れてんだな』って、解る程だぞ?」

 

「…君はギュンター側か?

ローランデがどれ程困っていても知らんぷりか?」

 

ディングレーは突っ込まれて、思い切り言い淀む。

「まあそりゃ…。

体格はいいと言えなくとも、俺にすら勝つ程の凄腕の剣士だ。

 

ギュンターに惚れ込まれて女のように抱かれるのは、気の毒としか言い用は無いが」

言ってディングレーはだが、アイリスに思い切り顔を寄せるとささやく。

 

「…だがギュンターはあの通り、星の数を虜にするだけの魅力ある男だから、結局ローランデもその魅力に抗えなかったんだろう?

 

奴らの問題だ。違うか?」

 

アイリスは一つ頷くと、言った。

「君がローランデの立場なら?」

 

ディングレーの眉間が、思い切り寄った。

「…俺を女のように抱きたい。と思う男に、出会った事が無いのに、奴の気持ちなんか解る筈無いだろう?!」

 

アイリスは思わず突っ込んだ。

「でもギュンターが魅力的だと、解ってるんだな?」

「そりゃ、いつもどこでも女に取り囲まれてるからな」

 

アイリスの視線が思い切り疑惑に満ちる。

「でもギュンターが魅力的だと思ってるんだろう?

…君、もし自分がギュンターに抱かれたら。とかって秘かに想像してないよな?」

 

一瞬にしてディングレーの形相が凄まじく成り、アイリスはつい、ごくりと喉を鳴らす。

「…アイリス。言葉に気を付けないと命を落とすぞ!」

 

だがアイリスは尋ねた。

「どうして?」

 

「それは俺を侮辱した言葉だからだ」

「…想像してないか。と尋ねるのが?」

 

ディングレーは解らない相手に言い含める。

「もしギュンターが俺を口説いて来たら、その場で剣を抜いて奴を斬り殺すぞ!俺なら!」

 

アイリスは、解った。と頷いた。想像どころかチラと頭の片隅を掠っただけで、嫌悪の塊に成るらしい。

 

隣のギュンターが俯いたまま、ぼそり。とつぶやく。

「確かに俺も許容範囲は広いが、ディングレーを口説く程悪趣味じゃないから安心しろ」

 

ディングレーは思い切り頷き、手綱を繰った。

「それが利口だ。

…それより明日、久しぶりにディアヴォロスに報告する為、隊長らで集まるんだろう?」

 

アイリスがつい、聞きそうに成った。

ギュンターで無く、ディアヴォロスに口説かれたら乗るか。と。ディングレーに。

 

でもディングレーが真剣にぴりぴりしていて、止めた。

 

「ローフィスの辞職の事と…彼が抜けた後の、対策についてだと思う」

ディングレーはおもむろに頷いた。

ギュンターが途端、一つ大きなため息を付き、ディングレーとアイリスはつい、顔を見合わせた。

 

ディアヴォロス派隊長だけで集まるその場にギュンターはいつも、やはり隊長だったローランデと並んで出席していたし、そんな時彼はローランデを隣に迎え、幸せの絶頂のような微笑を湛えてローランデを見つめていたからだ。

 

だが今度の集まりに、そのローランデの姿は無い。

「…協力しよう」

 

生気が抜けたように俯くギュンターの姿を目に、思わずディングレーがぼそり。と言った。

 

アイリスが顔を、向ける。

「やっぱり君でも、ギュンターが気の毒に見えるのか?」

 

ディングレーがたっぷり頷くと

「いつも颯爽としてる奴の、あんな姿は見るに耐えない」

 

アイリスは、ようやく笑った。

「それに関しては全く、同意見だ!」

 

そして二騎は拍車と共に駆け出し、ギュンターは気乗りしない様子でその後を、追った。

 

 

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ある日のディングレー。

 

 

 舞踏会

 

 

 その、高い天井に素晴らしいシャンデリアが幾つも吊され、白を基調とした壁と手の込んだ彫刻が施された柱が幾本も立ち並ぶ華やかな大広間に、

 

続々と詰めかける着飾ったご婦人達に混じり、

 

先程の近衛の隊長会議で見知った顔がそこらかしこに伺えて

 

ディングレーは思い切り眉をしかめ、隣のアイリスを見る。

 

「ムストレス派の連中も多いな。

大丈夫か?」

 

がアイリスはもう、こっそり寄って来る女性と微笑みを交わしていて、隣のディングレーに振り向きつぶやく。

 

「心配なのはギュンターより君だ。

女性より喧嘩の方が、楽しいんだろう?」

 

理解出来ない。と言う口調でそう言われ、ディングレーは

『その通りだ』と言おうとした言葉を、喉の奥に引っ込めた。

 

「…それよりいつもはあっと言う間にギュンターに並ぶお前なのに、今夜は女性の喰い付きが悪いな」

 

アイリスは吐息を吐く。

「だって女性がこちらに来ようとする度、君睨んでないか?」

 

確かに睨み付けたが、アイリスの手前ディングレーはばっくれた。

「お前の気のせいだ。

 

…確かにギュンターは、あの様子じゃムストレス派と喧嘩してる間は無さそうだ

 

既に周囲を着飾った婦人に幾重にもびっしり取り囲まれ、その中央に紺の近衛隊服に身を包んだ背の高い金髪、美貌のギュンターの姿にディングレーは顎をしゃくる。

 

が言ってる間にもディングレーはこちらに来ようと歩を進めるご婦人に気づくと、憮然。とした表情を向ける。

途端女性はその強面に睨まれて、怯んでその歩を止めた。

 

「ほらまた…!

 

女性には優しい態度を取れと、教えられて無いのか?

君、そんなにタチの悪いご婦人にしか、今迄出会ってないのか?」

 

アイリスに呆れられ、ディングレーはじっ。とアイリスを見る。

 

「睨んで無い」

 

「してない。で押し切る気なんだな?」

吐息混じりのアイリスの言葉に、ディングレーは知らんぷりした。

 

 

 広間には今だ人が続々と詰めかけ続け、色とりどりのドレスを纏った婦人達は足を踏み入れるなり、

 

当たり前の流れのように既に女性に取り囲まれるギュンターの元か、アイリスの方へとその歩を進める。

 

だが今夜は…その横の尊大な男前の王族が、その流れを睨み付けて止めていた。

 

それで…女性達は狼狽えて背を向け、チラチラとディングレーがいつ、素晴らしく魅力的なアイリスの横からどくのかを広間の隅で覗った。

 

男達はいつも道理かもしくは、いつもよりもっと凄い数に取り囲まれるその滅多に見ない美男ギュンターの姿を、恒例だ。と肩を竦めて見つめていたし、

 

次に第二の美男、大貴族然とした優雅なアイリスの様子に視線をくべ、

 

その横に黒髪を背に流す、高価そうな特別仕立ての紺の近衛隊服を堂と着こなす立派な体格のディングレーの姿を見つけ、強面の王族と目が合う前に顔を下げた。

 

がついに、ひそひそ声がディングレーの耳にも届く。

 

「いつもは隊長といらっしゃるのに…」

「あら。ご存知無いの?

その隊長、この度(たび)近衛を辞任するんですって!」

 

「まさか…隊長を振ってアイリスに乗り換えたのかしら?

だから…隊長は彼に振られて辞任されるの?」

 

「…アイリスもお相手が王族だから…お断り出来ないのかしら…。

でもアイリスは………」

「そうよ。アイリスは女役はなさらないでしょうから…。

 

まさかあのお方………」

「そうよね。

 

隊長との時はてっきり、隊長さんが女役だと思っていたけど実は………」

 

「まさか!

いくら女嫌いだって、それは無いわ!

それは男らしい、あのお方に限って!」

 

「そうよ!あんまりよ!

 

彼の方が、寝室で女役だなんて!」

 

アイリスが、そのささやきにじっ。とディングレーを見る。

もう、わなわな震える拳を握っていて、アイリスはローフィスの苦労がつくづく解った。

 

「ディングレー。解ってると思うけど、下々(しもじも)の言う事だ。

君は立派な王族だから、聞き流せるよな?」

 

だが俯くディングレーの返答が無く、アイリスは内心

『やっぱり拳を握ったら忘れるじゃないか…』

と吐息を吐いた。

 

「…いいから、お前はいつも道理女と居ろ!

俺はここを離れる。

これ以上お前との誤解を振りまきたくない!」

アイリスは背を向けるディングレーの腕を、咄嗟に掴んだ。

 

ディングレーは巻き付けてくるアイリスの腕から自(みずか)らの腕を引き抜こうと、振り上げる。

「何だ!」

「冗談だろう?

今君を解き放ったら、ダンスの代わりにムストレス派と派手な喧嘩を披露するじゃないか!

奴らを殴ってすっきりする腹だろう?!」

 

ローフィス同様、人の心を読んだようなアイリスの対応に、ディングレーは心の底から忌々しく思った。

が、ここは我慢だ。

「俺は滅多に拳は振るわない」

 

言って、アイリスのまん丸な目を見、しまった。と思った。

「酒はまだなのに、もうそんなに酔ってるのか?

自分の、言ってる事が、解ってる?」

 

まるで説得力が無いばかりか、アイリスに心配げな表情をされ、ディングレーはとうとう腕を掴むアイリスの手を振り解けなかった。

が、更にご婦人達の視線が集まり、ついぼそっとつぶやく。

 

「腕を放せアイリス。更に誤解が深まるだろう?」

アイリスは一つ、吐息を吐くとささやく。

「ローフィスが来る迄だ。

彼が来たらご婦人達だって、ローフィスが来る迄のつなぎだったんだ。と私の事を理解するさ」

 

ディングレーが途端、目を剥く。

「つなぎ…?!」

 

「何も、無いんだろう?

もっと堂々としてればいいじゃないか…!

 

サイシャ。悪いけれど、アデレステンを呼んで来てくれないか?」

 

アイリスはディングレーの腕をまるで囚人を拉致するように掴んだまま

(周囲には、それは仲の良い恋人のように思われたが)、

横に居た艶やかな栗毛を縦ロールに結い、可憐な顔立ちで

光沢ある黄色のドレスの似合った小柄な女性に、

その魅力的な微笑みを向けて屈み、ささやく。

 

ピンクの小花を散らした髪飾りを振り、

サイシャはだが紺の近衛隊服を素晴らしく粋に着こなすアイリスに、そっとささやき返す。

 

「貴方に、一つ貸しよ?」

アイリスは笑顔で頷き、そっと告げる。

「お礼はするから」

 

彼女は笑って、その場を離れた。

 

ディングレーは呆れたようにアイリスを見たが、日頃ローフィスに

『自分の常識でアイリスを判断するな。奴は別世界の常識の持ち主だ』

と聞いていたので、私見を控えた。

が、その腕は幾度もアイリスの腕を、振り解きたそうにぴくぴく動く。

 

アデレステン。と呼ばれる黒髪の細やかな巻き毛を胸に流した、はっきりとした顔立ちの素晴らしい美人が、胸の開いた真紅のドレスに身を包み、そっ。とアイリスに近づく。

 

アイリスはやっぱりその長身を屈めると、アデレステンに何かささやく。

そして念押しするように語気を強める。

「彼は決まった女性が居るから、君に誘われるとマズイんだ」

 

彼女はじっ。とディングレーのその、男らしい体付きと整って気品ある顔立ちを見つめ、心から惜しそうに黒鳥の羽扇を口元に当てて頷き、そしてそっとアイリスの横を抜け出し、ディングレーの横へ行き、扇を胸に落としてにっこりとその魅惑的な微笑を王族の男に向け、

そっとアイリスの掴む反対側のディングレーの腕へと真っ白で華奢なその腕を、滑り込ませて絡ませた。

 

ディングレーは思わず身を寄せる彼女を見たがアイリスに

「誤解避けだ」

と耳元でささやかれ、微笑を向ける彼女に軽く、頷く。

 

途端、そこいら中からカエルが潰されたような呻き声がし、ディングレーはつい、眉間を寄せてアイリスに顔を寄せる。

「あれは、何だ?」

 

アイリスは間近にその整いきった男らしい顔を見つめ、そっと耳元に顔を寄せるとささやき返す。

 

「誰の手もとらない孤高の憧れの男性が、初めて女性と腕組みする姿に悲嘆に暮れる女性の呻きだ」

 

「そんな男が別に居るのか?

…ギュンターもお前も、いつも女の手を取ってるだろう?」

真顔で尋ねるその男に、ローフィスがいつも苦労する筈だ。とつい、握る彼の腕を引くとささやく。

 

「孤高の男とは君の事だ!」

ディングレーは一瞬アイリスを、見る。

 

「俺とローフィスがデキてる。と思って無い女が、居たのか?」

アイリスは素早く小声で言い返す。

 

「みんなデキてる。と思ってるさ!

だけど君は王族だから、世継ぎの子供を産む女性はどうしたって必要だろう?」

 

ディングレーは思い切り眉をしかめた。

「みんな…?!」

 

アイリスは慌てて言った。

「ローフィスが去れば、誤解は直消える!

ローフィスはあれでとっても女好きだから」

 

ディングレーは知ってる。と言うように頷く。

「巨乳好きだな。それでいつも、揉める」

 

アイリスは目を、まん丸にした。

ディングレーは一つ吐息を吐くと、俯き声を落とす。

 

「デカけりゃいいってもんじゃないが、やっぱり存在感が確かな方が、男は楽しいだろう?

俺は口説けないのに奴は口説きに行こうとするから、言い争いになる」

 

アイリスがそっとささやく。

「どうして口説きに行けない?」

 

「俺が行けるか?

口説いたりしたら相手が思いきり期待するだろう?」

「玉の輿を?

期待を持たせないよう口説けないのか?

 

逆にたくさんの女性と遊んで、身持ちの良く無い男の評判が立ったら誰も、期待しないと思うが」

 

ディングレーは言いにくそうに余所を向いたままアイリスに顔を寄せ、声をうんと落としささやく。

「避妊を忘れる」

 

アイリスはつい、声が上ずった。

「毎度?!」

 

ディングレーはアイリスを見ないまま頷き、アイリスはその男らしい横顔をじっ。と見た。

「それで周囲が、君に安易に女と付き合うな。と痛い釘刺してるんだな?」

 

ディングレーは躊躇ったが、認めた。

「まあ…そうだ」

 

『だからその憂さを晴らそうと、いつも喧嘩っ早いのか…』

 

アイリスは納得したが、爆弾抱えているようなものだった。

 

「だから…お前がよこした横の女はかなり、タイプだ」

アデレステンの、真紅のドレスから覗く白い豊かな胸がディングレーの腕に当たるのを見、アイリスは思い切り顔を下げた。

 

 

 楽隊がダンス曲を奏で始めると、ギュンターの周囲はもう、戦争だった。

 

色とりどりの華やかなドレス姿の女性達にびっしり囲まれ、最初は一人、二人が屈み聞き耳を立てるギュンターの腕を引き、甘えるようにねだり、だがその腕を引き払って別の女が腕を巻き付け

 

…取り合いになり、その内ぎゃあぎゃあ。とカラスが鳴くような声で一斉に喚き始め、女達の戦いが勃発して大騒ぎに成り、ついには揉み合いに成って髪を引っ張り、掴み合う女性達迄出た。

 

「凄まじいな………」

ディングレーがつい、その着飾った髪とドレスを乱し、相手の女に目を剥き手を伸ばし掴み合う女性達を、呆けて眺める。

 

アイリスの隣のサイシャがささやく。

「だって彼、北領地[シェンダー・ラーデン]の貴公子に振られたばかりでしょう?

彼を惚れ込ませるのは自分だと、それは大勢の女性が目の色変えてるのよ」

 

アイリスがくすり…。と笑った。

「女の誇りにかけて?」

 

「だって…貴公子に負けてるだなんて、我慢出来ないんでしょう?

それに彼…本当に、側に寄るだけで胸がどきどきしちゃうし」

 

アイリスが彼女に、にっこりと笑った。

「粋な金髪の、素晴らしい美男だしね」

 

だが彼女は落ち着いた濃い栗毛を品良く胸に流す、濃紺の瞳の優雅でチャーミングなアイリスの微笑にうっとり頬を染めると

「私は勿論、貴方がいいけど?」

と言ってアイリスに顔を傾ける。

 

アイリスはもっと笑って言った。

「それはありがとう」

 

隣でディングレーは思い切り、肩をすくめた。

が視線を前に向けつぶやく。

 

「ローフィス。遅かったな!」

 

ローフィスは二人の前へ来て、ディングレーの隣の黒髪の美女の豊かな胸元に、一瞬誘われるように視線を投げる。

ディングレーがぶっきら棒にローフィスに告げる。

「アイリスが、手配した」

ローフィスは一つ、頷くと爽やかな微笑を彼女に向け、丁寧に言った。

 

「どうも、ありがとう。後は私が彼の護衛を引き受けるから」

 

彼女はローフィスの、明るい栗毛を肩で揺らして明るい青の瞳の、整った顔立ちのとても青年らしく感じのいい明るい笑顔につい、一緒に微笑むと告げる。

「女性の私に彼を護衛をさせた、お礼は頂けるのかしら?」

 

ローフィスはその誘いに肩をすくめると

「今夜は責務があるから無理だけど、後日なら」

 

アデレステンは笑うと

「私への連絡法はアイリスに聞いて」

と言い、ディングレーに絡ませた腕をそっ。と、とても惜しそうに解いた。

 

ローフィスがすかさず彼女の手を取って持ち上げ、その甲に口付けささやく。

「では後日必ず」

 

アデレステンはその爽やかな青年に思い切り微笑を送り、そしてそっ。と黒髪の男らしい王族の男に振り向き、別れを惜しむ視線を送って軽く頷き、挨拶に代えた。

 

ディングレーはつい、深い吐息を漏らし、ローフィスがその様子に呻く。

「ああ…思い切り、好みだったんだな?

文句垂れてもいいぞ?今なら、聞いてやる」

 

「彼女と約束出来たから、余裕か?」

ローフィスはディングレーの、そのふてた言葉に肩をすくめる。

「いや。近衛を去ると、もう文句を聞く機会が無いからだ」

 

ディングレーはどっちの事も胸にずん…!と重くのしかかり、思い切り項垂れる。そして小声でローフィスに告げる。

 

「明日のディアヴォロスへの報告会で、辞職を撤回出来るぞ?」

 

ローフィスが未練がましいその男に肩を怒らせがなる。

「な訳あるか!

決定なんだ!いい加減諦めろ」

 

アイリスもつい、そっとディングレーにささやく。

「ローフィスとの誤解がこれで、解けるじゃないか」

 

ディングレーはふてきって言った。

「どうせ副隊長のフィンスとデキてる。と今度は誤解されるに決まってる」

 

ローフィスが、アイリスに顔を傾ける。

「奴は何、フテてんだ?」

アイリスはこそり。とささやく。

「彼女の胸の余韻がまだ、残ってるんだろう?

腕にずっと触ってたみたいだ」

ローフィスも思い切り腕組んでつぶやく。

「彼女の方も、少しでもディングレーに印象付けたかったんだな」

 

ディングレーが思い切り俯く。

「アイリス。

今度誤解避けに使う女には、俺はちゃんと正常な男だと言っといてくれ」

 

アイリスは言い淀む。

「だってディングレー。君は男しか駄目だと思ったから、アデレステンもそれは控え目なんだ。

正常だ。なんて言ったら…もっと、凄かったと思う。

 

その…印象付けが」

 

ディングレーはそれは惜しそうに俯き、吐息を吐いて言った。

「それは凄く、残念だ」

 

ローフィスとアイリスはつい、顔を見合わせた。

 

が、広間中央のギュンターはもっと深刻な事態に成りつつある。

 

とうとう数名の男性が、掴み合い罵り合う女性達を、取り押さえに出動していた。

ローフィスはやれやれ。とアイリスを見る。

「…どうする?

助けが要ると思うか?」

 

ディングレーは40人近い女性達がギュンターの周囲で揉めまくる姿に腕組むと、ぼやいた。

「モテる男って、大変だな」

 

ローフィスとアイリスはそのディングレーの様子に再び顔を見合わせ、がアイリスは視線をギュンターに戻しそっとつぶやく。

「ああ…大丈夫だ。失恋で呆けても、理性は残ってるみたいだ」

 

アイリスの言葉にディングレーもローフィスも女性の輪の中央の一際背の高い金髪の男に目を向けると、ギュンターは横の黒髪の女に顔を、傾けたかと思った途端、反対側の女性の手を取りその乱闘騒ぎの中を巧みに擦り抜け、

 

横のスペースで踊り始める紳士淑女に混じって、手を取った栗毛の垂れ目の美人と隣の乱闘等無いようにすましきって、踊り始めた。

 

掴み合い、怒鳴り合い揉み合う女性達は彼のそんな姿に気づき、騒ぎは徐々に沈静化し始める。

「…騒動慣れしてるな」

ディングレーの言葉にアイリスは肩をすくめ、ローフィスは投げやりにつぶやいた。

「いつもの事だしな」

 

 

 ローフィスとディングレーがアイリスから離れた途端、隙を伺っていた女性達が一気にアイリスの元へと詰めかけ、あっという間に女性の巨大な輪が出来る。

 

ディングレーはその素早さに、無言で目だけを見開いた。

ローフィスが隣でぼそり。と告げる。

「…待ち構えてたんだな」

 

ディングレーは躊躇いながらも、ギュンター同様輪の中央で一際抜きん出た長身の、濃い栗色の巻き毛を胸に品良く流す優雅なアイリスに顎をしゃくり、ローフィスにささやく。

「だが…奴は最初からずっと居たサイシャって栗毛の女と約束してる筈だ」

 

甘やかな微笑を零しながら、アイリスはダンスをねだる彼女達を優雅にたしなめている様子だった。

が、ディングレーが見ているとアイリスはサイシャに顔を寄せ、耳元にささやきかけ、うっとりとした微笑を向けて確認を取り、サイシャはちょっと憮然。としたが、直ぐアイリスが二言三言足す言葉に、頷いた。

 

そしてアイリスは、群がる女性に微笑を送りながら掻き分けるようにゆっくり歩を進め、まるで約束してるから。と言わんばかりにその舞踏会で一二を争う美人、金髪の素晴らしく豪華なレース仕立ての華やかなドレスを身に纏ったナーデンタール婦人の方へと寄って行く。

 

婦人の周囲には男達の垣根が出来ていたが、その一際整った顔立ちの美人は、姿を見せる長身のアイリスに気づくとにっこりと笑いかけ、自分を取り巻く男達を避けてアイリスの方へ、その歩を進める。

 

その、取り巻きを作る程の美男美女は引き合うように腕を絡ませ、微笑を浮かべて見つめ合いながら、踊りの輪の中へと優雅に歩き去った。

 

「相変わらず、鮮やかだ」

ローフィスの言葉に、ディングレーは呆れてモノが言えなかった。

 

「…あれでどうして女達は懲りずにあいつを取り囲むのか、理解出来ない」

「いつもはあの輪の中から選んでるが、今夜はムストレスの姪、アンリッシュが居る」

 

見ると確かにムストレスの年の離れた姉の娘アンリッシュの、ダイヤで飾られた銀の素晴らしい細工の髪留めで濃い栗色の巻き毛を結い上げ、一目で高価だと解る黄金色の艶やかなドレスに大きなダイヤモンドの首飾りと耳飾りを付け、群れるご婦人達の中一際気取った、つん。とした横顔を見せていた。

 

吊り目気味の大きな青の瞳が色白の肌に映え、小さな真っ赤な唇の、可愛らしいが生意気な顔をディングレーは「左の王家」(黒髪の一族)の集まりで見た記憶を呼び覚ます。

 

その記憶は彼女がまだ六歳くらいの時のものだったが。

 

がその時からもう、自分はとても可愛らしくて魅力的で、どんな殿方でも自分には、平伏すように乞うものだ。と思ってる態度が最悪に気に障ったものだ。

 

あの当時はまだ若いディアヴォロスに事ある毎に絡み、誰にも乞われる魅力的なディアス(ディアヴォロスの愛称)は皆の注目の的で、餓鬼の癖して必死で彼の気を引こうとしていた。

 

そして自分には、未熟な少年。と見下す視線を送り、モノ知らぬたった六歳の少女に思い切り腹を立てた記憶を思い出すと、今はアイリスの取り巻きに群れる彼女に、ディングレーは思い切り呆れた。

 

「…アイリスも、身分も気位も高いムストレス派の彼女を面と向かって断れないから、ああいう手段に出たんだろう?

だが「右の王家」(金髪の一族)の血を引くナーデンタール婦人が相手じゃさすがのアンリッシュも、引かざるを得ない」

「腹黒いな」

 

ディングレーの感想につい、ローフィスは顔を下げた。

「だがあいつはあれで、変な誤解を受けてない」

 

ディングレーはぐっ!と言葉に詰まった。

 

「お前と一緒に舞踏会に出席した時居合わせた婦人を口説くのに、お前とは何でも無い。と説得するのに俺がどれだけ苦労してるか、知らないだろう?」

 

ディングレーはふて切った。

「俺とデキてると、思われてるんだろう?

いつもはあんたと一緒だから不愉快な噂は耳に入らないが、今夜はずっとアイリスと一緒だったからな」

 

ローフィスはたっぷり頷くと、ぼそり。と言った。

「あいつの言い回しに腹立ててないで、世間を良く知るあいつの側で少しは勉強したらどうだ?」

がディングレーは即答した。

 

「それは俺に何度、握った拳を振り上げるのを我慢出来るか試せ。と言う試練か?」

ローフィスはそう言ったディングレーの男らしい真顔を思わず見上げ、つぶやいた。

「…悪かった。俺の考えが甘かった」

 

ディングレーはたっぷり、頷いた。

 

 

 がディングレーは、広間の続き部屋でそこらかしこに置かれた椅子に掛けて話し込む客達に混じって、隊の騎士達の今後の扱いについてローフィスと酒を煽りながら話し込み、ギュンターの事もアイリスの事も念頭から消えている事にふと、気づく。

 

ローフィスが思い出したようにその控えの間の長椅子から身を起こすと、両開きの開いた扉から、そっと広間を覗う。

 

「…………………」

 

呆けて固まるローフィスの横顔に、思わずディングレーも立ち上がる。

 

「どうした?」

「奴の姿が無い」

 

ディングレーも広間を見ると、まだかなりの数の男女が曲に合わせて踊っていて、その中でも長身で美男のアイリスは一際目立ち、ナーデンタール婦人の手を取りそれは優雅なダンスを披露し、会場中の視線をかっさらってそこら中のご婦人に、ため息をつかせていた。

 

「ギュンターの事か?

どうせどっかに、しけ込んだんだろう?」

 

ディングレーの言葉にローフィスは、固まったまま青く成った。

「まさか…最初に踊ったご婦人とじゃないだろうな?」

「なぜいけない?」

ディングレーの問いにローフィスは言葉を詰まらせながら、それでも言った。

「俺の記憶が確かなら………あの栗毛で垂れ目のご婦人はアッサリアス准将婦人だ」

 

ディングレーは一瞬、言葉を見失った。

「…ムストレス派のか?

その記憶は、本当に確かなのか?」

ローフィスはそう言ったディングレーを見上げ、素早く言った。

「いや。確認を、取って来る」

 

駆け去るローフィスの背を見送り、ディングレーは広間を見回すとムストレス派の隊長達が集い、ひそひそ話す姿を見つける。

 

嫌な、予感がした。

 

が、ローフィスがアイリスの元へと辿り着くその前に、アイリスは婦人の手を取ったまま優雅に踊りの輪を抜け出す。

 

どっかで休む腹か。

 

ディングレーはそのまま見ていたが、踊る男女に阻まれ、両開きの扉の向こうに消えたアイリスの背を追い、ローフィスも「失礼」と男の背を掻き分けながらその姿を扉の向こうに、消した。

 

ディングレーはつい、年長のアルフォロイス派の隊長を見つけ、側に寄ると尋ねる。

「ギュンターが一緒に消えた相手は、アッサリアス准将婦人か?もしかして」

 

彼は尋ねるディングレーに顔を向け、目を見開いて喉を、詰まらせた。

「消えた時一緒の相手は、見ていない。

踊っていた姿は見たが」

 

「で………?」

そうだ。と彼は頷いた。

「確かに、准将婦人と踊っていた。

 

私はローランデが去った今、彼にはもう何も恐れるものは無い。と言う程自暴自棄に、成っているのかと思った」

 

ディングレーは愕然とした。

「…そうじゃない。失恋のショックで単に、我を忘れてるだけだ」

「どう違う?」

 

言われて、ディングレーは説明に詰まる。

そして思い切り動揺してつぶやく。

「…つまり踊っただけでも…まさかお咎めか?」

 

「准将婦人だぞ?

隊長夫人相手でも揉めるのに!」

 

ディングレーは思い出すとたっぷり、頷いた。

 

前回ムストレス派隊長夫人とやっぱりギュンターは踊り、夫は妻の手を取り、ギュンターに喧嘩を売っていた。

「………確かに」

 

「アッサリアス准将がここに居ない事が救いだ。

ご婦人だけの出席なら多分、遊びの邪魔だから一緒に来るな。と婦人に言われてるんだろうから、ダンスくらいなら表だってのお咎めは無い」

 

ディングレーの、眉間が寄った。

「表だっての?」

明るい栗毛を肩で揺らして隊長はたっぷり頷き、言葉を続ける。

「そりゃ、睨まれるのは確実だ。

婦人の実家の方が家柄が良くて准将は妻に頭が上がらないが、あれで婦人にはベタ惚れなんだ。

 

それに…知らないのか?

婦人が准将を連れず舞踏会に出てるのはつまり…つまり………」

 

凄く言いにくそうなその年上の男に、ディングレーは促すように顔を寄せ、頷く。

「つまり………?」

 

その言葉にとうとう隊長は顔をさっとディングレーの耳に思い切り寄せ、うんと潜めた小声でささやく。

「あっちが下手で楽しめないと、ご婦人に足蹴にされてるからだ」

 

ディングレーは顔を上げると、隊長は目を合わせ、頷く。

ディングレーは呆けて言った。

「……つまりそれって…婦人はここで楽しめる男を見つけ、浮気しようって腹で?」

 

隊長は気品の塊の黒髪の王族の男が、実はかなり言葉使いが下品なのを知っていたが、それでもやっぱりつぶやいた。

「言い回しは最悪だが、その通りだ」

 

ディングレーは言い回しにこだわってる場合が。と思ったが言った。

「それじゃ……その…もしギュンターとしけ込んでたら………」

 

隊長はまた、ディングレーの耳に思い切り顔を寄せた。

「私の姪も彼に入れ込んでいたが、ギュンターはその…床上手だろう?

 

一晩過ごすだけでも最悪なのに、更に彼がご婦人を…その、思い切り満足させたりしたら…………」

今度はディングレーも、たっぷり頷いた。

「最悪に恨みを買うな。准将の」

隊長も同様、頷く。

 

そして彼はもう一度、ディングレーの耳に顔を寄せてささやく。

「なあ…。ギュンターはもしかして今度は、自殺志願でその………」

ディングレーは一瞬青冷めた。

 

確かに、思い詰めていたが………。

去られて自殺を考えるような柔な男じゃない。

 

離れていたならどうして距離を詰めるかを、現実的に考え続ける男だ。

 

「そんな心配はいらない」

隊長はほっ。と胸を撫で下ろした。

 

「姪から妹からいとこから…彼のファンが多くてね。私の血族には。

 

彼がローランデを庇ってムストレス派の男を殴り、最前線に送られる度、私がせっつかれる。

『彼を、死なせるな』と。

だが…………」

 

ディングレーも確かに、と頷いた。

「自ら好んで相手と喧嘩してる奴に、大人しくしろと言っても無理だな」

 

隊長は頷くと、ディングレーの肩をぽん。と叩く。

「君達は本当に、彼の為に苦労のし通しだ!」

ディングレーは叩かれた肩を見、隊長はついその年下の男が王族だと思い出し、手を慌てて引っ込めた。

 

「俺に気兼ねはいらない。

でもつまり、あんたの見解だと今度もまた………」

 

隊長は一瞬で顔を引き締めると、言った。

「今は戦闘が無いからな。

今度はどんな処罰を、奴らは考えるやら…………」

 

ディングレーは思い切り俯くと、ため息を吐いた。

隊長は心配そうに、ディングレーを覗き込む。

「また…助けてやるんだろう?彼の命を?」

 

ディングレーは顔を上げると言った。

「左将軍は彼を見捨てない。

あんたの血族の女性達に、本人は死ぬ気が無いから左将軍はきっと助ける。と言っといてやってくれ」

 

彼はやっと笑うと、またぽん。と、ディングレーの肩を叩いた。

 

 

 ディングレーは集まったムストレス派隊長らの一人が、こっそりその場を抜け出すのを見て、そっと後を付ける。

そしてその男が下僕に使いの男を寄越してくれ。と廊下で告げるのを聞き、扉の影で使いの男が来るのを、その男と一緒に待った。

 

間もなく使いの男がやって来て、頭を下げる。

ムストレス派の隊長は彼に顔を寄せるとささやく。

「アッサリアス准将に。

 

ご婦人と不届きな時間を過ごすディアヴォロス派の命知らずが居る。と、大至急」

 

ディングレーは顔を上げた。

そして隊長が広間に戻り来るのを、扉の影で背を向けてやり過ごし、直ぐ使いの男の後を、追った。

 

長い廊下を抜け、扉を開け裏口へと回るらしく、その暗い廊下でディングレーは扉の向こうに消えようとする男の背に、素早く迫った。

 

「ディングレー殿」

 

ふいに背後から声を掛けられ、その使者の肩を掴もうとした手を慌てて引っ込める。

振り向くと暗い廊下だったがその男が、ムストレス派銀髪のララッツだと解った。

 

ムストレス派でも立ち回りの上手い男で、ディングレーはちっ。と舌打つ。

直情型で無く、奴と渡り合えるのはアイリスみたいな海千の男だ。

 

「…こんな所で、ご婦人と待ち合わせですか?」

 

ほら。敵対勢力の俺にすら、つっかからず言葉使いも丁寧だ。

ディングレーはチラ…!と扉の向こうに消えて行く使者の背を見、舌打ちしながらつぶやき返す。

 

「いや。酒が切れたので、探していた所だ」

「召使いに届けさせましょう。貴方のお席に」

 

「俺がどこに陣取ってるか、知らないだろう?」

だがララッツは銀のさらりとした真っ直ぐな髪を揺らし、理知的で腹を隠した喰えないすまし顔で言った。

「先程迄ローフィス殿とお話していた、あのお席ではどうです?」

 

ディングレーは唸り出しそうだった。

「…銘柄はローレンタールだ。あるのか?」

「私はさっき迄、それを飲んでましたよ。

切れて無い筈だ。直ぐに。お席に」

 

だからお戻りを。とじっくり見つめて来る薄茶の瞳に、ディングレーはつい、睨み付けたいのを我慢し、頷くと歩を踏み出し、その背にララッツは付き、何としても使者の後を追わせないやり用は敵ながら念がいっていて、ディングレーはとうとう使者の足を止めるのを、諦めた。

 

 

「どこに行ってた!」

席に戻り様振り向き怒鳴るローフィスに、ディングレーはそっとささやく。

「やっぱり、アッサリアス婦人だったか?」

 

「ギュンターと踊ってた女は、そうだ。

だがしけ込んだ女が彼女だと、確認が取れなかった。

 

目端の利くアイリスなら見てる筈なんだが」

「で、アイリスは?」

ローフィスは肩をすくめた。

「ナーデンタール婦人とどっかに消えた」

 

ディングレーは吐息と共にため息を吐き出した。

「ムストレス派の奴らが准将に使者を送ってた。

ディアヴォロス派の男と婦人がしけ込んでると」

ローフィスは慎重に尋ねる。

「ギュンターの名は出てないのか?」

ディングレーが頷く。

 

「どうする?

ディアヴォロス派の男の点呼を取るか?」

ローフィスが思い切り顔を下げた。

「誰が来てるか、全部把握してないのに意味無いだろう?」

ディングレーも思い切り、吐息を吐き出した。

 

ローフィスは顔を上げると語気を強める。

「ともかくアイリスを、あぶり出そう」

「しけ込んでる場に、乗り込むのか?」

「召使いに伝言を頼む。

 

婦人連れの寝室に俺達が入れるか?」

ディングレーも、そうだな。と頷いた。

 

 

 間もなく、アイリスが何事も無かったかのように衣服が乱れる様子すら見せず、微笑を、挨拶する人々に向けながら優雅な長身を現し、迎えるようにディングレーもローフィスも、椅子から同時に立ち上がった。

がアイリスは二人の姿を見つけると途端、さっとローフィスに寄る。

「非常事態か?」

 

ディングレーはつい、そのアイリスの素早い対応につぶやく。

「邪魔したと、文句も出ないな…」

アイリスはさっ。とディングレーに振り向き、言った。

「ローフィスは野暮な男じゃない。

邪魔するのは相当ヤバい事態なんだろう?」

 

ローフィスはそう言うアイリスの手を引き、椅子に掛けさせ自分も座る。

ディングレーも思わず掛ける。

そしてローフィスはアイリスにそっと尋ねる。

「ギュンターの最初踊っていた婦人がアッサリアス准将婦人だと、知っていたか?」

 

アイリスは一辺に青冷めた。

「…准将婦人なのか?彼女が?」

 

ローフィスは慎重に言葉を足す。

「栗毛の…」

「ピンクのドレスの、青い瞳のたれ目の美人だろう?」

 

ディングレーはさすが垂らし。とアイリスの観察眼に感心した。

がアイリスは顔を横に振って呻く。

「聞いた噂が本当なら、最悪にマズイじゃないか!」

 

ディングレーが咄嗟に尋ねる。

「聞いた噂?」

ローフィスが、口を挟む。

「准将が、下手だから寝室から閉め出されてる。って噂だろう?」

アイリスが続ける。

「練習の為に五人も愛人を抱えてるそうだ」

 

ディングレーは一瞬、呆けた。

「…五人?」

 

ローフィスは額に手をやると、俯いた。

「それだけ必死なんだな?」

アイリスは、思い切り頷く。

 

ローフィスは顔を傾け尋ねる。

「で、ギュンターはその婦人と…」

「早々に、消えた」

アイリスの即答に、三人は顔を上げるとお互いの目を見た。

 

誰も、暫く口を開かなかった。

 

ディングレーがようやく、ぼそりと言った。

「ムストレス派は准将に使者を送ったぞ」

アイリスがディングレーにさっと振り向くと尋ねる。

「婦人がギュンターと過ごしてると?」

ローフィスが後を継ぐ。

「いや。ディアヴォロス派の男とだけ。

 

ギュンターとはっきり言わないのは現場を押さえない限り、今の所疑惑だけだからだ」

 

ディングレーがほっとして、つぶやく。

「じゃ一緒に居るだけで、寝て無い可能性も有る訳なんだな?」

 

アイリスがディングレーをじっ。と見つめる。

その濃紺の瞳が真剣そのもので、ついディングレーの喉がごくり。と鳴った。

 

「…無いのか?」

「当たり前だ!

ギュンターがしてない筈無いだろう?!

 

消えた、って事はまるっとその気に決まってる!」

 

ディングレーは頭を抱えた。

ローフィスも俯き切ってつぶやく。

「使者が着いて准将がここに駆け付けて来る迄、まだある」

 

ディングレーがそっ。と窓の外を見た。

薄く空が、明けて来ていた。

「夜明けには、着くな」

 

アイリスが早口でつぶやく。

「いや。彼の屋敷は離れてる。

もう少し時間がある筈だ」

 

ローフィスが額に手を当てたままつぶやく。

「ともかくギュンターを、探そう」

 

アイリスは顔を上げると、そっとローフィスにささやく。

「私と違ってギュンターは居場所を知るのが難しいぞ?多分」

ローフィスは呆けて顔を上げると、そう言ったアイリスを凝視する。

「どうして?」

 

アイリスは労るように説明する。

「ローランデの時の習性で………。

 

ほら。ローランデとの仲を私達下級生(教練時代の)は、監視しまくり、邪魔しようと隙を伺っていたから。

 

それにこういう場ではローランデも、大公子息の立場がある。

だからギュンターはしけ込む時、本能的に見つかりにくい場所を選ぶ。毎度」

 

ディングレーが呆れたように言った。

「ローランデ以外の相手の時でも?」

アイリスは肩をすくめる。

「習性だろう?

 

彼のところの副隊長でギュンター同様色男のディンダーデンが毎度舞踏会でははぐれたギュンターを探すのに苦労していた。

 

酒場では直ぐ見つかるらしいが」

 

ローフィスはため息混じりに言った。

「酒場は狭いし、場所もあまりないからな」

 

ディングレーはこの屋敷の広さを考え、思い切り吐息を吐き出し、ぼそり。と告げる。

「だがそれなら駆け付けた准将も、居場所を探すのに時間がかかるんじゃないのか?」

 

アイリスとローフィスが顔を見合わせていて、ディングレーはつい、尋ねた。

「…どうした?」

 

「って事はつまり…」

アイリスが言うとローフィスが立ち上がる。

 

がたん!

「ムストレス派の連中も、探してるな!」

アイリスも立ち上がる。

 

がたん!

「奴らより先に、見つけないと!」

ディングレーは座ったまま、背を向け去る二人に視線を送った。

 

ローフィスが気づいて振り向き

『お前も探せ!』と一睨みする。

ディングレーは『本気かよ』と内心思い切り文句を垂れ、ため息付くと仕方成しに、腰を上げた。

 

 

 広間の続き部屋の一室で、ディングレーはギュンターで無く、室内に慌てて駆け込むローフィスと出会った。

「居たか?!」

ディングレーは首を横に振り、肩をすくめる。

「ムストレス派の連中が血眼で探してる姿は、見た」

ローフィスはがっくり。と肩を垂れて俯く。

「それは俺も、見た」

ディングレーはそっとささやく。

「…アイリスは?」

 

「庭の周囲の、離れを探してる」

ディングレーは頷く。

「俺は右回りで広間の周囲を全部当たった」

 

ローフィスは項垂れたまま、頷く。

「俺は左回りだ」

 

ディングレーは顔を下げ、落胆した声でささやく。

「で、どうする?」

 

「元の場所で酒で喉を潤し、アイリスの首尾を待とう」

ディングレーは顔を上げると、ローフィスのアイディアにたっぷり頷く。

 

「俺の舞踏会での、唯一の楽しみだ」

 

ローフィスは疲労しきったように明るい栗毛の髪に顔を埋もれさせていたが、髪を揺すって頷き、つぶやいた。

 

「好きなだけ、飲め」

 

 

 

 

説明
ローランデが故郷北領地[シェンダー・ラーデン]に帰ってしまい、しょげかえるギュンターの巻き起こす騒動…。

まだ続きます。
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