「九段坂恋歌のいる世界」第4章
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 第四章 河渡キリエ

 

   *

 

 暗い室内に揺れるアロマランプの仄かな灯り。どこか懐かしいハーブの香りが、私の脳髄をトロトロにしていた。

 

 私の目の前には一人の女性。オリエンタルな衣装に身を固め、私よりも一回りは年上のはずなのに、生き生きとして謎めいた雰囲気をまとっている。

 

 っていうか、その衣装は詐欺じゃない? 実年齢わかりにく〜い。

 

 私が河渡(かわわたり)キリエの所に駆け込んだのは、じめじめと雨がうっとしい六月のある日だった。

 

 私が彼女に会いに行ったのに深い意味はない。

 

 今日、会社の後輩である迷時数子に

 

「先輩〜ぃ。どうしましょ〜。この週刊誌によると〜先輩の〜今週の運勢は〜、五黄殺で〜天中殺の〜暗剣殺で〜、ついでに天命殺だから〜ずったずたらしいです〜」

 

 と言われたためでは決してない。

 

 断じて生年月日や血液型の分類学という、非現実的なものを信じたなんて説は論外だ。

 

 というわけで、私はよく当たると噂の占い師である河渡キリエ先生のお力を借りに来たのです。

 

「そんなくだらない理由で私の所に来たの? 普段、こっちには顔も見せないのに」

 

 タバコの煙を吐き捨てながら、飽き飽きした様子で河渡キリエは言う。占い用だろう黒い口紅の濃いメイクが、彼女の威厳を数倍にアップさせて、ものすごい凄みを感じさせる。

 

 私と彼女とは、とある居酒屋の飲み仲間である。いつもは飲み屋でしか会わない関係だけど、今日はそんなこんなで彼女の仕事場にお邪魔しております。

 

「仮にも占い師が占いをくだらないとは何たること!」

 

「アンタ、占いなんて信じてるの?」

 

 それは毎日、長蛇の列が出来る河渡先生のお言葉とは思えない。というか、彼女のファンには聞かせられないセリフです。

 

「まぁ、私も今日はこれで上がりだし、他ならぬアンタだから相談があるのならのってあげるわよ」

 

「占ってくれないの?」

 

「アンタねぇ、占い師に占わせたら金取るわよ。うちの料金知ってるわよね?」

 

 そりゃあ、河渡キリエといえば、一回うん十万のぼったくりコースしかないので有名です。それで、毎日客が絶えないのだから、もうガッポガッポでしょ。飲み屋では、いつもいい酒をおごってもらってます。感謝☆感謝!

 

「うちは高いわよ。占って欲しければ金持って来なさい」

 

 いや、そんな守銭奴の香りをぷんぷんさせる言葉を吐かれても……。

 

 実際、河渡キリエは世間からそんな目で見られているとも聞く。それでも客が集まる彼女の占い師としてのカリスマ性は恐ろしいものがある。

 

 前に、どうしてそんな高い料金を取るのか聞いたことがある。すると

 

「人によっては数十万の金なんて端金と思う人間もいるのよ。世の中、金持ちって結構多いもの。そんな人には、私の占いでもそんな気軽に得られる価値しかないのよ。逆に、毎日身を粉にして働いて、やっと二十万ほどの給料をもらえる人には、一ヶ月という時間そのものが詰まった貴重なお金。だったら私の占いは、それだけ貴重な価値があるの。わかる? 己が身が痛くなければ、価値あるものは得られない。ハイリスクハイリターンってのが世の真理なのかしらね」

 

 とかなんとか、長ったらしい台詞を言っていた。まぁ、気軽に河渡先生に占い頼めるような道楽な人に、そんな切実な悩みがあるなんて思えない。どっちにしろ、お金がない一般ピープルな私には関係ない話だ。

 

「私がそんな大金持ってないの知ってるじゃん」

 

「はぁ? 私の耳もバカになったのかしら、貯金を貯め込んでいるはずのアンタが金を持ってないですって?」

 

「それは結婚資金です。勝手に自分の飲み代の勘定に入れないでください」

 

「だから占いじゃなくて、相談なら受けてあげるって私は言ったわよ。それにしてもアンタ、結婚するの? 初耳ね」

 

「ええ、いつかはします」

 

 まだ、相手は見つかってないんだけどね。なかなかイイ男ってのはいないものだ。これだけコンパしても、私を震えるぞハートにさせる男が見つからないとは。

 

「そして相手はまだいない、と」

 

「な、なぜそれを!! さすが都内に億ションをもつ占い師! 私の心が読めるなんて!」

 

「アンタ、私をバカにしてる?」

 

「いえいえ、最近私がおちょくられてばかりだったので、ちょっち人をおちょっくてみました」

 

「アンタをおちょくるなんて、相当のやり手か余程の身の程知らずね」

 

「ええ、私の方が身の程を知らされました」

 

「えっ、嘘でしょ?」

 

 河渡先生は本気で驚きの声を出す。って、私をどんな人間だと思ってるのですか?

 

「マジですとも」

 

「そ、それは興味深いわね。アンタ程の人間があしらわれるなんて……」

 

 その戸惑いの声はどういう意味なんだろうなぁ。なんかツッコんだら私的に負けという気もする。

 

「この頃、私の周りに濃い面子が集まって来ている気がするんだけど」

 

「濃い面子ねえ。それは最近出会いがあったということかしら?」

 

 いやいや、あんたも濃い一人ですよ河渡キリエ先生。

 

 しかし出会いかぁ。その言葉に、私は九段坂恋歌のことを思い出した。

 

 もちろん、二ヶ月前に私の部屋に転がり込んで来た家出少女の九段坂恋歌とも出会った。今は赤の他人と同居する不思議な生活。彼女が現れて私の生活は一変した。

 

 だけれども、私が河渡キリエに『出会い』と言われて思い出した九段坂恋歌は彼女の方ではない。高校のクラスメイトだった九段坂恋歌の方だ。

 

 去年のクリスマスに自殺した九段坂恋歌。私はその死の前日に出会っていたのだ。

 

 今もそのことを思い出す。毎日のように思い出す。

 

 アレは本当に偶然だったのだろうか。あのときの出会いに意味があったんじゃないのかと考えてしまう。私が上手くやれば、彼女は死を思いとどまったんじゃないのか。逆に、あのとき私が出会ってしまったのが彼女の自殺の原因なんじゃないのか、とまで思ってしまう。

 

 私が九段坂恋歌にとってどんな存在だったのか、正直言うとよくわからない。私は彼女と友達だったわけじゃない。ただのクラスメイト。なのに彼女が死んで私は戸惑っているのだ。

 

「なによ。随分と深刻な顔して」

 

 話の途中で私が考え込んだのを察知したのか、河渡キリエが呆れた顔をした。というよりも、私を前にした河渡先生はいつも呆れている気もする。

 

「相談にはのってあげるって言ったじゃない。何か悩んでるなら聞いてあげるわよ。聞くだけわね」

 

 そう言ってくれたものの、死んだ九段坂のことを正直に話していいものか、私は迷ってしまう。

 

 数秒、私は下を向いて考え込んでいた。その間、河渡先生は何も言わず、気配を消すように静かで自然な態度で待ってくれた。その辺はさすがプロ。伊達に占い師はやっていない。彼女は私が話しやすい間合いを計ってくれていた。

 

「あの……、人が自殺するときって、何を考えてるのかなぁ、とか……」

 

 私はわざと明るい口調で言った。

 

「へ〜。アンタにしては随分重たいじゃない。まさかアンタの口からそんな言葉が出るなんてね」

 

「なによ。それじゃあ私がいつも悩み知らずのノー天気バカに聞こえるじゃない」

 

「そう言ったのよ。そして頭のお天気がいつも晴れ渡っているアンタは、『死にたい』と思う人の気持ちが、まったく、全然、髪の毛ほども、わからないと」

 

「うぐ……」

 

 完全に言い当てられて、私は言葉に詰まった。

 

「誰か自殺したの? 身の回りの人?」

 

「……高校の友達」

 

 九段坂恋歌とは友達じゃなかったはずなのに、私の口はそう口走っていた。単なるクラスメイトと言ってしまうことに、無意識に抵抗を感じたのかもしれない。

 

「なるほどねえ。昔の知り合いが死んでしまって感化されたのね。案外、純情じゃない」

 

「いえ、その別に……」

 

 そんな答え方しか出来ないのは私らしくない。そう思ってはいても、口が思うように回らない。それはやっぱり言い当てられたからなんだろうか。

 

「その人の死が、喉の奥に引っかかったみたいで気持ち悪い?」

 

「……どうしてそんなに、私のことがわかるのよ」

 

「それは、私が占い師だからかしら」

 

「でも、全然水晶玉とか見てないじゃない?」

 

 河渡キリエは水晶占いで有名だった。占星術全盛の昨今では珍しいオカルト占いだと思う。今でも私たちの座っているテーブルの上には、占いで使うだろう水晶玉が置いてあった。私の見る限りどこからどう見ても、ただの透明な玉にしか見えない。

 

「だから、占いじゃなくて相談だって言ったわよね」

 

「どういうこと?」

 

「アンタに占いのレクチャーをする気はないわ。どうせ聞いてもわからないわよ、アンタには」

 

「な、何よ河タンのくせに!」

 

「その呼び方は飲んでるときだけにして。シラフだとキモイわ」

 

 うん。言った私もキモかったよ。反省反省。

 

「じゃあ、今から飲みに行く? 今日はもう店仕舞いなんでしょ? 私も最近ご無沙汰だし」

 

「そういえばそうね。アンタ、最近顔見せないじゃない」

 

 顔を見せないとは、いつもの飲み屋でのことだ。独り暮らしのときには毎晩でも飲みに行けたんだけど、夕食を作りに帰るっているので、ホント最近飲み屋に行ってない。週末の合コンには時々行ってるんだけど、誘われたわけでもないのに飲みに行くという行動パターンが私の生活の中からなくなっていた。

 

「いやぁ、子持ちになると、なかなか出回れなくて」

 

「子持ち? いつの間に作ったのよ。相手は誰? 前に言っていた山園君?」

 

「マジ冗談はやめて! 誰があんな奴と!」

 

「あら? 彼とは運勢的にも相性が良さそうなのに」

 

 それだけは占い師に言われたかないぞ!

 

「だからやめれ! あんなダメ男とカップリングされた日には首くくるわよ」

 

 そんな冗談を言って、自分でドキリとする。

 

 首をくくったら自殺だ。自ら命を絶つ。私が冗談で言うことを、九段坂恋歌は実際にやったのだ。そして逆に言うなら、九段坂が思い詰めて至った結果を私は冗談として扱っている。

 

 そんなことが許されるの? 人の死をそんなに簡単に扱ってしまってもいいの? 私は罪深いことをしているのではないの? そんな問いに、私は答えることが出来ない。

 

「またそんな深刻な顔して。その子供、ワケありなの?」

 

 私が悩んだことと関係があるような、ないような子供。もう一人の九段坂恋歌。正体不明の家出少女は、ワケがあるかないかで言えば、確実にありの方だ。

 

「私の子供じゃないんだけど、預かってるというか、なんというか……」

 

「親戚?」

 

「いえ、何と言いますか、ホント他人」

 

 本当に私と家出少女の九段坂恋歌の関係はよくわからない。私自身がわかっていない。

 

「なるほどね。それはつまり責任感ね。いえ、罪悪感と言った方が正しいかしら」

 

 占い師である河渡キリエの宣告。それに私の心臓は飛び跳ねた。動揺してるのを必死に隠して私は聞き返す。

 

「罪悪感……、って何がよ? 私は悪いことしてないし」

 

「アンタみたいに人を小馬鹿にして人生舐めきっている人間が、人様の子供を世話している。ボランティア精神なんて、アンタ欠片も持ってないわよね?」

 

 Exactly! その通りでございます。

 

「それなのに、どうしてその子供を放り出さないの? アンタが面倒見る義理はないんでしょ?」

 

 私には河渡先生に返す言葉が見つからなかった。本当に彼女の言葉は正しい。どこにも間違いはない。

 

「たぶんだけど、アンタは罪悪感を感じてるんじゃない? 何に対してか、までは私は知らないけどね。もし自覚してないなら、今からでもいい、それを見つけなさい。そう、もう一度すべてをよく考えるのよ。アンタのこと。アンタの周りのこと。アンタが何を思って生きてるのかを。そうすればわかるかもね。『生きる』ってことが何なのか」

 

 稀代の占い師のありがたいお言葉。河渡キリエはすごく回りくどい言い方をした。

 

 彼女の言葉は私の胸に突き刺さる。私は生きる意味を考えたことがないのだ。自分が生きていることに何の疑問も感じずに生きてきた。だから九段坂恋歌が自殺を選んだことを理解出来ない。生きる意味を考えないということは、死の意味も考えないということだ。

 

 たぶん、それはもう一人の九段坂恋歌に対しても同じなんだ。なぜ私は家出少女と一緒に暮らしているのか、真剣に考えたことがない。疑問には思っても、その答えを見つける前に考えるのをやめてしまう。

 

 その方が楽だから、何も考えないのが楽だから。

 

 でも、いつかは答えを出さないといけないのだろう。二人の九段坂恋歌について……。

 

 

   *

 

 久しぶりに羽目を外して、私は終電まで河渡キリエと飲み明かした。日付も替わり帰宅した私を待っていたのは、部屋の電気を消したまま深夜の教育番組を半目を開いて、ただただ見つめている九段坂恋歌だった。

 

「うわ、暗っ!」

 

 私の声に、首だけを向けた恋歌は口を開く。

 

「うわ、酒臭っ!」

 

「私の真似をしない!」

 

「語調には特許も商標も、著作権すらないのです」

 

 子供のくせに、相変わらず小難しいことを言う。しかしだね。

 

「ふっふっふ、甘い。キシリトールぐらい甘い! 言葉に音程とリズムがあればすなわち歌! 天下の著作権管理団体が黙っちゃいないよ!」

 

 と、一通り帰宅の挨拶を済ませた私は、真っ暗な部屋の電灯をつけて、ベッドに倒れ込んだ。

 

「酔ってもシラフとテンション変わらないのはさすがというより、無様ですね」

 

 ヒキコモリオーラ全開だった恋歌が表情を正して私を見下ろし告げる。

 

 何を〜。それは私が飲まなくてもへべれけ人生を歩んでいると言いたいの? まったくもってその通り〜♪

 

「恋歌、まだ寝てなかったの?」

 

 もうすぐテレビ放送も終了しようとする時間、小学生だか中学生だか知らないけど、子供は寝る時間だ。

 

「そんな、家主が帰って来ていないのに、先に寝るだなんて。三つ指ついてお出迎えするのが私の役目なのです。お帰りなさいませ、ご主人様♪」

 

 そんなどこぞの喫茶で安売りしてるセリフは嬉しくない。というか、そんな腹黒い笑顔で出迎えられると私もお腹が真っ黒にすすけてしまう。

 

「いやいや、そんなお出迎え、今までされたことないから」

 

「おかしいですね。心の中じゃ炊事洗濯家事全般、完璧にこなしてるはずなんだけど」

 

「心の中でさえも、恋歌が家事をしているのは驚きだわ。完全パラサイトのくせに」

 

「それはちょっとひどいです。絶対、究極、完璧にひどいです。私を囲っておいてそんな」

 

 ちょっち待て。その言葉、本当に意味わかって使ってるのか小娘!

 

 そんなことを思っていると、後からジワジワと九段坂恋歌が発した『ひどい』という言葉が効いてきた。本人はそんなつもりはないだろうに、恋歌の言葉が私の心に突き刺さる。

 

 私はひどい。それはなんとなくだけど自覚している。『罪悪感から恋歌の面倒を見ている』。河渡キリエに告げられた言葉が脳裏を巡る。酒にまみれた私の脳が、よくわからない思考によって更に浸蝕されていく。

 

「……恋歌。私を待ってくれていたの?」

 

 私はそう聞くのが精一杯だった。

 

「あなたなんか待ってないですから、水飲んでさっさと寝なさい。明日も仕事なんでしょ」

 

 なのに、恋歌は微妙に優しい言葉を返してくれた。

 

 河渡キリエは凄腕の占い師だ。たったあれだけ会話をするだけで、私と九段坂恋歌の本質を見抜いたのかもしれない。そして私が無意識に自覚していたことを言い当てた。

 

 私は罪悪感を抱いている。クラスメイトだった九段坂恋歌の死に後ろめたさを感じている。その思いを、同じ名を名乗る家出少女で晴らそうとしているのだ。

 

 だけど、河渡先生にもわからなかったことがある。私はいつの間にか、九段坂恋歌と名乗る少女に依存してしまっているのだ。押しかけてきた同居人が、知らず知らずのうちに私の生活に溶け込んで、私の日常に染み渡っていた。

 

 今、私が少女に抱いている感情は罪悪感ではない。それは言うなれば……。

 

「どうかしましたか? 私の顔はそんな仏頂面で観察するほど興味深いとは思えないんですけど?」

 

 私がじっと見ていると、恋歌は羞恥など微塵も感じていない無表情で聞いてくる。

 

「もう寝なさい。夜更かししてたら私みたいに大きくなれないよ」

 

「あなたも酒は飲むわ夜は遅いわで、お肌がボロボロになりますよ。それに世の中には小さい方がいいという殿方が多いと聞くけど?」

 

「ダメ! 絶対ダメ! そんな大きなお友達とかに関わっちゃダメ!」

 

「特に、あなたの会社の山園何某(なにがし)とかね♪」

 

「ちょっと、山園シバいて来る!」

 

「はいはい。それは明日、会社でしましょうね」

 

 酒に重たいはずの身体をベッドから飛び起こした私を、恋歌がなだめて寝かしつける。

 

「うが〜。あれは野放しにしちゃダメなのよ〜。それだと公共の福祉が乱れる! 存在自体が違憲!」

 

「はいはい。それじゃあ、その人の首に鎖でもつけておきましょうね」

 

「ダメダメ〜〜。それじゃ、アイツが喜ぶだけ!」

 

「ドMって怖いです」

 

 私が上げる声の中、恋歌はジト目で切り捨てた。

 

「それにアイツはMでヲタでロリでショタもごちそうで、百合もやおいも守備範囲のどうしようもない奴で、私をナイチチ分類する絶対悪なの!」

 

「あなたは実際ないでっ、ぷぎゃ☆」

 

 私は失礼なことを言おうとした恋歌を容赦なくぶっとばした。

 

「恋歌ちゃ〜ん♪ もう夜も遅いから寝ましょうね♪」

 

 こめかみに青筋立てる私に恋歌は、段ボール箱で捨てられた子犬みたいな目をして首を縦に振った。

 

 そうして私たち二人の夜は更けていく。

 

 私がシャワーを浴び終わるまで、恋歌は律儀に起きていた。眠りにつくその時まで、私たちのお喋りは続く。たぶん、そんな楽しい時間は私一人だと絶対に味わえないものなのだろう。実際、恋歌が来る前の私の生活を思い出すだけで、私は寂しさと侘びしさを感じてしまう。

 

 出かけるときは「いってらっしゃい」。帰ってくると「おかえりなさい」。恋歌がそう言ってくれるだけで私は救われる。いつもおちゃらけている私だけど、そう感じる心ぐらい持っている。

 

 『もう一度すべてをよく考えるのよ』。床につくと河渡キリエに言われた一言が蘇る。消灯した闇の中で私は考える。何を考えるべきなのかを考える。

 

 九段坂恋歌のいる世界。いない世界。

 

 九段坂恋歌の生きてる世界。死んだ世界。

 

 九段坂恋歌が誰で、九段坂恋歌がなぜ死んだのか。

 

 私と二人の九段坂恋歌。

 

 酒に酔った頭で答えが出るはずもない。なんだか泣きたくなった。ふとんの中で密かに泣く。悲しいかどうかもわからないのに私は泣いていた。

 

「どうかした?」

 

 何も見えぬはずの闇の中から、もう寝たはずの恋歌の声が聞こえてきた。私は泣き声なんて出してはいないのに……。

 

「……何でもない」

 

 そう強がって、今度こそ私は眠りについた。

 

 

   *

 

「あぁ……。飲み過ぎた……」

 

 私がそう漏らすと、私の隣で同じく受付嬢をしている陸道(りくどう)さんが顔をしかめた。

 

 えぇ、えぇ、わかりますとも。私の口から「飲み過ぎた」なんて言葉が出るなんて、平日なのにどれほど酒を飲んだの、ってことでしょう? だって、河渡先生バケモノなんだもん。あの人の身体どうなってるっていうのよ。私より小柄なのに私の倍は飲むんだから。私だって、伊達に酒樽扱いされてないのに。

 

 結局、二人で何リットルのアルコールを分解したことかさっぱりわからない。勘定も河渡先生がカード払いで、二人ともどれだけ飲んだのか気にもしていなかった。

 

「……胃薬、いります?」

 

 受付嬢の基本である正面への笑みを崩さずに、陸道さんが小声で声をかけてくれた。というか、陸道さんは基本的に声が小さい口下手の女性だ。その代わり、ウィスパーボイスというのだろうか、非常に可愛いらしい声をしている。ハスキーボイスの私には羨ましいかぎりだ。

 

「胃薬って飲み過ぎに効いたっけ?」

 

「……さぁ?」

 

 だったらダメじゃん!

 

 それっきり、私たちは会話もなく黙々と受付業務をこなしていた。私だって、勤務中は真面目に仕事をしてるんです。

 

 こんな雨がうっとしい日は、会社を訪れる人も少ないみたいで私的には大助かりだ。なのに自動ドアが開いて来客を告げる。まったくもって面倒臭い。

 

 自動扉から姿を現したのは上品な和服の女性。華道か茶道の先生に見紛いそうな、女性が丁寧に傘を畳んでいた。

 

「げっ」

 

 出迎えの挨拶すらする間もなく、私の口からそんな声が漏れていた。隣にいる陸道さんも、私の声に驚いて本来の仕事を忘れてしまう。受付の出迎えの声がなくても気にする様子なく、和服の女性は私たちの方へ向かって来た。

 

「……か、河渡キリエ?」

 

 その姿に気づいた陸道さんが驚きの声を捻り出して言った。

 

 そう、昨日の占いの館のファンタジーな衣装でも、いつも居酒屋に現れるジーンズを履いたラフな服装でもない。私も話には聞いていたが初めて見る『良家の奥さんモード』の河渡キリエだった。家では純和風の奥様をしているって話は本当だったんだ。

 

 彼女はテレビにも結構出るし、陸道さんが彼女を知っていても不思議ではない。私は本人を知っているので、逆にテレビに出ているのを見る気はしない。だから放送されている彼女の姿をあまり知らないのだ。

 

「アポイントはないのですけど、よろしいかしら?」

 

 完全に猫を被った物静かな声だった。いつものおばさん臭はどうした。気持ち悪〜い。

 

「ど、どなたに面会でしょうか?」

 

 その答えを100%予想しつつも、私は仕事なので一応聞いてみた。

 

「それは決まっているでしょう」

 

 おほほほ、と上品に笑う河渡キリエはやっぱり気味が悪い。

 

 これまた確認のため、私自身を指差すと彼女はにっこり笑った。

 

「銀行に行ったついでに寄っただけよ。別に一言だけ言いに来ただけだから、仕事抜けろとは言わないわよ」

 

「私に何か用?」

 

 うざったい感情を隠すことのない私の声。その横で陸道さんが「……河渡キリエと、知り合い」とかなんとか、小声でブツブツ呟いているけど無視。

 

「いえね、昨日言い忘れてたから。……もし、本当にどうしても困ったのなら占ってあげるから、私の所に来なさい。それだけよ」

 

「私は昨日行ったじゃない」

 

「まだ本当に困ってない。違ったかしら?」

 

「それはそうだけど……」

 

「料金は一晩の飲み代で手を打ちましょう」

 

 げっ。それって私の給料何ヶ月分!?

 

「それじゃあ、私はこれで」

 

 丁寧なお辞儀が和服にピッタリとマッチしていた。

 

 ホントにそれだけ言いに来たのか。それにしても話には聞いていたけど、あの飲んだくれがここまで化けるとは……。

 

「……あ、あの?」

 

 そんな河渡キリエを、私の横で呆けるように見ていた陸道さんが、消えそうな声で呼び止める。首をかしげて立ち止まり、河渡先生は優しい笑みと共に振り返った。

 

「……あの、サ、サインくだ、さい」

 

 緊張した面持ちで陸道さんはハンカチとペンを差し出していた。そして深々頭を下げる。

 

 別にこんなおばさん相手に緊張する必要はないと思うけどな私は。それに有名人だけど河渡キリエのサインを欲しいと思ったこともない。

 

「お顔をあげなさい」

 

「……は、はい」

 

 声を返されて陸道さんの緊張は更に張り詰めた様子だ。

 

「そういうことわね。私のお店に客として来てからにしなさい!」

 

 叱咤するような声。河渡キリエ大先生は、占い料も支払わずにサインをねだる陸道さんを、ウジ虫を見るかのような見下した目をしていた。

 

 何事かと目を白黒させる陸道さんを残し、彼女はさっさと去っていった。

 

 さっすが河渡先生。私も見習わなくっちゃ♪

 

説明
ケータイ小説をイメージして書いた軽い作品です。軽い気持ちで読んで頂ければ幸いです。
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ライトノベル 少女 

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