「九段坂恋歌のいる世界」第5章
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 第五章 HG

 

   *

 

「――だな?」

 

 不意に名前を呼ばれた気がして、私は振り返った。

 

 そこは会社からの帰り道。最寄り駅から近道にと、いつも通り抜ける公園での出来事だった。振り返った私の身は固まってしまう。

 

 太陽がまさに沈もうという黄昏時、人気のない公園のど真ん中に黒ずくめの男が立っていた。黒の背広に黒いネクタイ、それに無意味にとがったサングラス。日が暮れたとはいえ今は七月、真っ黒の背広は暑苦しそうだ。その証拠に背広の下のワイシャツが汗ばんで見えた。

 

 そんな男の説明なんて、正直、一言こう言えば事足りてしまう。どこからどう見ても怪しい「不審者」だった。

 

 私は念のために、右に左に後ろも見回してしまう。公園には私とその黒ずくめの不審者しか見当たらない。

 

「そう、お前だ。お前。自分の名前もわからないのか?」

 

 男は妙に偉そうな口調で言うと、私の方に近づいて来た。両手をポケットに入れたまま歩いているのに背筋はピンと伸びているので、なんだか妙に仰々しい雰囲気があった。

 

「え〜っと、どちらのホストさん?」

 

「何を言っている? 私がホストに見えるか?」

 

 そうは言われても、そんな真っ黒のスーツを着ている人種を他に知らないし。

 

「じゃあ、変態だね」

 

「へ、変態ぃ!? お前の目は節穴か!」

 

「私の目は眼球だけど?」

 

「そんなこと聞いてない!」

 

 黒ずくめの男は必死の剣幕だ。

 

 う〜ん 折角、サングラスの下から覗く顔は男前なのに。もうこの際、ホストにしておけば?

 

「私に何か用? 言っておくけど、気の利かないこと言ったら、次は私が悲鳴を上げるターンだからね」

 

 公園で不審者に声をかけられたんだから、とうの昔に悲鳴の一つでもあげておくのが礼儀だったかもしれない。相手が出オチな格好してるので、ついついノっちゃった。

 

「悲鳴という割には、平然としているように見えるが?」

 

「はっは。伊達に場数は踏んでないですから。あんたみたいなのにビビってたら、株主総会の司会や無一文で新宿一周飲み歩きは出来ないのよ」

 

「……か、勘違いしているようだが、私は暴力団関係者ではない」

 

「わかってるわよ。どこからどう見ても、私の美貌を狙った痴漢でしょ?」

 

「いやいや、違う違う」

 

「ありゃ? だったら道に迷った外国人さん? 世の中は広いなぁ、そんなどこからどう見ても不審者に見える民族衣装があるなんて」

 

「だから違うと言っている」

 

「ん? それなら宗教関係? 私の幸せを祈るのは勝手だけど、私は祈りよりゲンナマの方がうれしいわよ」

 

 なにやら顔をしかめて、男が大きな溜息をつく。

 

「情報通りではあるが、変わった性格をしているな」

 

「は? 私? 私は変わってるんじゃなくて個性を大事にしているだけ。でもオンリー1よりナンバー1に君臨したいんだけど、なかなか道は険しくて」

 

「君臨だと? 何を目指しているんだか……」

 

 私の言葉を真に受けて、黒ずくめは呆れ声を出す。

 

「目指すものっていったら、世界征服の一択に決まってるじゃん」

 

「お前が世界を征服したら、世界は終わりだぞ!」

 

「そう! 私こそが終焉をもたらす者! 私のために来たれシュウマツ!」

 

「人類を滅ぼす気か!」

 

「え〜。週末が待ち遠しいのは勤め人の宿命だぜ!」

 

 男の開いた口がふさがらない。

 

 ふっ。ボケさせたら私の方が一枚上手。黒ずくめの不審者だって恐るるに足らず! 私がネタにして成敗してやる。こいつ「ツッコミ体質」みたいだし。それは私にとっては昆布がカツオ節を背負ってくるみたいなもの。

 

「ところで、情報通りって何?」

 

「今頃、そこに反応するか……。別に大したことではない。接触する人間のことを事前に調べるのは当然だ」

 

「え〜。そんな卑怯〜。私にもあんたの情報寄こしなさい」

 

 この情報化社会、情報のあるなしは死活問題です。私だけ個人情報が流出してるなんて許せない。

 

 私の言葉にしばらく考え込むと、黒ずくめはサングラスの位置を直してから口を開いた。妙に格好つけたがる奴だなぁ。

 

「多くは教えてやれぬが、まあ、いいだろう。私のことはHGとでも呼ぶがいい」

 

「変態芸人?」

 

「違うっ!」

 

「そうだよね。いくら黒い服を着てるからって、そんなパクリはしないよね。う〜ん、でも……」

 

 私はもう一度、黒ずくめの男を足下から舐めるように見直していった。

 

「でも、何だ?」

 

「手の角度はこう。足もちゃんと恥ずかしがらずに開いて。それで、はい。奇声をあげる」

 

「するか! だから私は芸人ではないっ!」

 

 さっきから動揺しまくりのHGこと、黒ずくめの男。私の一言一言にどぎまぎしてるのは見てて面白い。

 

「え〜。ノリが悪いなぁ。それでもHGなの?」

 

「私のHGはコードネームだ!」

 

「だから芸名でしょ?」

 

「ち・が・う!」

 

「はっ! まさか私とコンビを組みたいの? いやぁ、どうしてもって言うならツッコミならやってあげないこともないけど」

 

「お前はボケだろ!」

 

「うまい。うまい。なかなかツッコミが板についてるね」

 

 私は彼のナイスタイミングのツッコミをたたえてやる気ない拍手をする。

 

「くそ! 何だこの女は……」

 

 やっと気づいたの? バカな不審者なんだから。

 

「何だとは何よ! 呼び止めたのはそっちでしょ」

 

「そ、それはそうだが……」

 

 ふっふっふ。完全に私のペース。イニシアチブはもらったぜい。

 

「ならば早く要件を言ったらどう? さもないと、私が全力を投球で必死に助けを求める可憐な悲鳴をあげつつ、この間、合コンで知り合った機動隊のみんなにSOSメール打つんだ……、あ、ゴメン。もう送信しちゃった☆」

 

 うんうん。手ってのは滑るように出来てるもんです。それなのにHGの奴、なんだか冷めた目で私を見ている。

 

「そこ! ツッコミは?」

 

「今メールしたところで、人が駆けつけるまでは時間がかかるだろ。その間に私の要件は済む」

 

 ちっ。妙に冷静になりやがった。

 

「え? そんなに早いの? うわ〜、そりゃ遅いよりはマシだけど……」

 

「何の話だ?」

 

「所要時間でしょ?」

 

「だから何の?」

 

「そんな女性にそんなことを言わそうだなんて、やっぱり不審者ね!」

 

「お前が話を振ったのだろう!」

 

「悔しかったら、あんたがボケなさいよ」

 

「え、あ、そ、それは、え〜」

 

 こいつマジ、ボケ考えてるよ!

 

「い、いや! 私がボケる必要はないではないか!」

 

 やっと気づくところがボケ? いや、これはノリツッコミかな。黒ずくめの男は頭を抱えそうな勢いだった。

 

 う〜ん。あまりおちょくり過ぎると可哀想な気もしてきたよ。

 

「HG。用件を言え!」

 

「妙に偉そうだな……」

 

「あんたよりはエライ!」

 

「なぜそう言い切れる!」

 

「それがツッコミとボケの力関係なのだよ、ワトスンくん」

 

 ち、ち、ち、と私が人差し指を振ると、サングラスの下、男の眉間にシワがよる。

 

「よ、よくわからないが、本当に、本当に要件を言ってもいいんだな? だな?」

 

 何、警戒してるのかな? そんな確認をする時点で負けなのわかってないのかな? 始めからさっさと要件言えばいいのに、私の相手をしているから悪いんだよ。

 

「それでは、ゴホン」

 

 改まった咳払い。そんなに緊張しないといけない用件なの? 不審者が私に用があるなんて、理由がさっぱり思いつかない。

 

「あの件からは手を引いてもらおう」

 

「は? あの件? え〜っと、私のお尻を触った専務の不倫現場を押さえた写真を奥さんに送るって奴? あれはもう郵送しっちゃったし」

 

「いや、違う」

 

「じゃあ、営業部長のお願いで省庁関係のコンパ増やしてること? でも、最近は向こうから誘ってくるし〜」

 

「それも違う」

 

「え? 毎回、飲み屋から黙って大吟醸を二升ほど持って帰ってるのはお金払ってるはずだし、河渡先生が」

 

「お前はそんな心当たりばかりなのか!」

 

「人間、生きていれば心当たりの一つや萬、当たり前じゃない」

 

「いやいや、万は多すぎだ!」

 

 う〜ん、律儀にツッコんでくれると、ホントにやりやすいなぁ。なんだかこいつを家に持って帰りたくなってきた。冗談だけど。でも、ツッコミは一家に一台必要だよね。

 

「よくわからんが、一番問題だろう私の用件が出てこないとは、お前の人生は何なのだ……」

 

「私の人生は私の人生。あんたにとやかく言われる筋合いがあるような、ないような」

 

「あるのか!?」

 

 そんなことでもツッコんでくれるHG。ホントありがたい存在です。不審者にしておくにはもったいない逸材だなぁ。

 

「確率論的にはあるかもね」

 

「何を言っているんだか……」

 

「ウソ、おおげさ、まぎらわしい。誇大妄想は私の生きる道。人は私をトリビア・テラーと呼ぶのです」

 

 そんなの呼ばれたことはないけどね。ちなみに、トリビアってのは『どうでもいい些細なこと』って意味。豆知識なんて私にはないし。

 

「……帰っていいか?」

 

 疲れた様子のHG。でも、私はノリノリなので止まらない。

 

「はい。どうぞ。御一名様お帰りで〜す」

 

「帰れるか!」

 

「帰れないとは、迷子ですか? それなら駅前に交番があります。なんなら私と一緒に出頭しますか?」

 

「私はまだ何もしてない!」

 

「ま・だ?」

 

 私は、二文字に力を込めて言う。その二つの音にHGは一々びくつくように反応した。

 

「頭が痛くなってきた……」

 

 ホントに頭抱えだしたよ、こいつ。

 

「それはいけません、頭が悪いなんて。頭が悪い人を専門に扱う病院を紹介しましょうか? 頭が悪くても頑張れば治るそうですよ♪」

 

「頭が悪い、頭が悪い言うな!」

 

 私のにこやかな表情と、HGの苦虫を噛み潰したような表情。誰が見ても、不審者と不審者に声をかけられた関係には見えはしないだろう。

 

「………………もう帰る」

 

 ついに我慢出来なくなったのか、黒ずくめの男HGは踵を返し、そそくさと去っていった。

 

 去り際

 

「覚えてろっ! また来るからなーっ!」

 

 と律儀に捨て台詞まで残していく。 まるで三下だなぁ。私でさえ初めて聞いた。

 

 I WIN。とりあえず完勝。不審者を撃退した。

 

 やっぱり女一人の帰り道は危険だね。さて、スーパー寄ってさっさと帰ろっと。

 

 

   *

 

 私は帰りに寄ったスーパーで夕食の食材を買いながら、今度HGとかいう奴が現れたら、どう料理するか考えていた。

 

 また来るとか言ってたし、ああいう輩はしつこいと相場は決まってる。でも、どんなに妄想を膨らませても、私が負ける所がイメージされないのがなんだかなぁ。

 

「煮るなり焼くなりって言うけど、その前にまな板の鯉でぶった切ってるんだから……うん。今日はお刺身にしよう。日本酒にも合うし♪」

 

 今日の献立決定。私はほくほく顔でレジに向かう。さっさと帰って、恋歌を肴に一杯やるぞ、お〜!

 

 スーパーを出ると、どろどろとした蒸し暑い熱気が私を出迎える。梅雨が明けて以来、気温はウナギ登り。

 

 はっ。しまった。ウナギにすればよかった! ウナギは栄養価も高いから、夏の暑さに負けない丈夫な体を手に入れられる。あとは少しの野菜さえあればOKよ! こってり脂ののったウナギが、これがまた日本酒に合うんだよね。

 

「はっはっはっは。待っていたぞ」

 

「あ〜、でもでも。刺身は刺身でおいしいし、今日は諦めます」

 

「さっきはよくもやってくれたな!」

 

「いや待てよ。刺身とウナギがタッグを組んだら、それは究極と至高が手を取り合うようなもの!」

 

「おい! 私を無視しようだなんてベタベタな手は全部お見通しだ! それもいつまで続くかな」

 

「あ、けど今月は食費がアレだったしねぇ。よし、帰りますか」

 

「ま、待て! 本当に帰るのか? い、いやいや、本当にガン無視で一言も返事をせずに行くな。ちょっ、い、行かないでください」

 

 黒ずくめ男は腰の低い声を出して懇願する。そう、そういう態度が始めから必要なんですよ。

 

「再登場がやけに早いじゃないの。間ってのは大事なんだからね。もっと間の取り方を勉強しなさい」

 

 そう言って、私は哀れみの眼を向けるために振り返る。私に無視されて泣きが入ってる可哀想なHGが地団駄踏んでいた。お前は子供か、情けない。

 

 先程公園で尻尾巻いて逃げたはずのHGが、どの面提げて来たのかと思ったけど、さっきと全然変わらない不審者面だった。当たり前か。

 

 スーパーの真ん前に黒ずくめの不審者がいるというのに誰も気にする様子はない。そんなことよりタイムセールの方が大事なようで、獲物を狙うハンターの目をして、主婦たちは私たちの横を通りすぎていく。さすが私の住んでいる街というか、なんというか。

 

「それで何? さっきの今で、また私の前に現れるなんて。あんた猫にキャットフードだってわかってるの?」

 

「……それは猫にカツオ節とでも言いたいのか? 若干意味も違えてるくさいが、ちょっ、なぜ帰ろうとする!」

 

「だって、これから夕食だし。まさか、私の食事を邪魔するとでも言うの? 私のエナジー補給を妨害しようだなんて、あんた、さては変態ね」

 

「脈略なく言うな! だから私は変態じゃないと言うに」

 

「じゃあ何なのよ、その格好。今日日そんな服装しているのはB級ハリウッド映画の勘違いエージェントしか……。え〜じぇんと? あれ? HGって、こ〜どね〜む?」

 

「やっと気づいたか。えらく時間がかかったな。そう、私はエージェントなのだよ。どこの組織かまでは言えんがな」

 

「ぷ、くくくくくく。あはっははっはっはははっはは」

 

「何がおかしい!」

 

「はあっはははっはははっははっははははあっははっははっははっは」

 

「お前、いつまで笑ってい……おい。何、ケータイで私の写真を撮っている!」

 

「え〜っとテレカテレカ。って持ってるわけないでしょ! そんな今時の子がわからないネタやらせないでよ!」

 

「お前が勝手にやったんだろ!」

 

「あれ? 写真写ってない」

 

 私が手にした携帯電話。カメラで目の前の黒ずくめ男を激写してやったはずなのに。深夜放送の終わったテレビのように砂嵐しか写っていない。

 

「人の話を聞けと言うに。それに我々の技術を甘くみるな。盗撮防止のジャミングなどお手のものブゴっ! ……どうしていきなり殴る?!」

 

「私のケータイ壊したな! 壊したな! どうしてくれるの! 弁償する? 身体で弁償する? もちろん容赦なく内臓売るからね? 内臓の需要を舐めるなよ!」

 

「な、何を生々しいことを言っている。それは壊れたのではなくて、写真のデータにノイズを乗せただけだ。ジャミングを解けば、また写るようになる」

 

「じゃあ早く解け、HG!」

 

「……そう言って、ジャミングを切った瞬間、私の写真を撮る気だろう」

 

「うん♪ あったり前じゃん」

 

 私の楽しそうな笑顔とは裏腹に、HGは痛々しい表情だ。そんな顔するなら、再び私の前に現れなきゃいいのに。

 

「ねぇ。出番まだ?」

 

 そんな私たち二人のショートコントみたいな会話に割り込む声が聞こえてきた。私たちのすぐ横に少年が姿を現していた。

 

「先生、すいません。もうしばしお待ちを」

 

 その少年に対して、HGが下手に出た態度で言う。いや、相手子供だよ。おかしくない?

 

「もう、早くしてよ」

 

 少年は渋々に、スーパーの横に山積みされた段ボールの陰に帰っていく。そして、段ボールの陰からチラチラとこちらをうかがっている。

 

「……あのさ。なんか、どうにも見たことある子がいる気がするんだけど?」

 

 段ボールの陰からこちらを見ているのは、どこからどう見ても天井翔太だ。二ヶ月ほど前に知り合った少年で、いつも空ばかり見ている変わった子供。そんな子が、どうしてこんな黒ずくめの不審者と一緒に私の前に現れるのだろう。

 

「な、なに! お前は先生と顔見知りなのか!」

 

 だから先生って何だ? あんたらこそどういう関係なのよ。

 

「顔見知りというか、ステディーな関係な・の♪」

 

「何! 相手は子供だぞ! お前こそ犯罪者ではないか!」

 

「冗談を冗談ととれない人は嫌いです。でも、HGは始めから大嫌いだから、気にしないでね」

 

「そ、それはなんとなくわかっている……」

 

 あれ? なんとなくなんだ。ナイーブに見えて鈍感なんだHG。

 

「で、どうして翔太くんがいるのよ!」

 

「私が呼んだからだ」

 

「だからどうして?」

 

「ねぇ、まだ?」

 

 段ボールの陰から翔太の催促が聞こえてくる。

 

「す、すいません。ただ今、段取りを整えておりますので」

 

 段取り? こいつ何言ってるんだ? というか、子供相手になぜ敬語?

 

「というわけでだ。お前との話を円滑に進めるために、強力な助っ人を連れて来たのだ。覚悟しろ!」

 

「いや、助っ人って。あれが?」

 

 私はこちらをじっと見ている天井翔太を指差した。それにHGは気まずい顔をする。

 

「せ、先生! どうぞ! ……先生? もう出て来ていいんですよ」

 

 やっと出番だというのに、てくてくとやる気がうかがえない様子の少年が、やっとのことでご登場。こんなんで助っ人になるのだろうか?

 

「また会ったね、おばさん」

 

「ねぇ。登場を引っ張った意味あるの?」

 

 私はHGに聞く。

 

「世の中には根回しとか段取りというものが重要なのだよ」

 

「つまり場を温めていたというわけね。前座のHGくん」

 

「ち、違う! 前座違う! あくまで天井先生は助っ人だ!」

 

「だから、子供に何をやらせる気よ」

 

「おばさんを説得するんだって」

 

「翔太く〜ん。おばさんじゃないでしょ〜 お・ね・え・さ・ん! 以上定型文終わりっと。それでHG! あんた翔太くんとどういう関係だ!」

 

「うむ。よくぞ聞いた。あれは、お前への説得が惜しくも失敗に終わったついさっき。半泣きで道を歩いていると、私に熱い目線を送っている天井先生がおられたのだ。一目で先生のお力を見抜いた私は、事細かに事情を話して来て、ブゲっ! ……だ、だからなぜ殴る?」

 

「あんた! 一人じゃ私にかなわないからって、たまたま会った子供に助っ人頼むとは何事だ! それに翔太くんも、翔太くんだ。こんな見るからに怪しいクズについてきちゃダメじゃない。不審者を見かけたら一一〇だ・ぞ☆」

 

「だって極悪非道な性悪女から世界を守るためだって」

 

 翔太くんは無垢な表情で私に訴えかける。そうか、翔太くんも被害者。すべてHGが悪い!

 

「誰が性悪ブスですって! HG、あんたこそ覚悟出来てるんでしょうね!」

 

 私は拳をポキポキと鳴らす。毎日のように会社で山園なる変態をシバいている私だ。腕っ節にはちょいと自信がある。

 

「ま、待て! 私はそんなことは言っていない! それは天井先生が勝手に」

 

「翔太くん、本当?」

 

 少年は首を横に振る。

 

「ま、待て! なぜ先生の意見は聞いて、私の意見……、本当に待って! 話せばわかっ」

 

 いくら見苦しい言い訳をしようと、HGには私の鉄拳制裁を止めることは出来なかった。

 

 ひとしきりHGをボッコボコにした私はスッキリ爽やかだった。

 

「ふぅ。いい汗かいた。さて翔太くんも帰ろっか。もう日が暮れたし」

 

「おばさん。容赦ないね」

 

 いつも空ばかり見ている翔太くんも、今ばかりは地に伏した黒ずくめの変質者に哀れの目を向けている。

 

「ほほほ。私の辞書に中途半端なんて言葉はないの。やるかやられないか、二つに一つ!」

 

「ふ〜ん」

 

 翔太の反応はいつもの如く薄い。張り合いのない私は八つ当たりとばかりに踵を捻り込む。ハイヒールがHGだったモノにめり込んで、耳障りな声を出したけど、起きあがる様子はない。

 

「それ、どうするの?」

 

 それって、これでもHGですよ。翔太は、私以上にさっぱりしている。私の足下に転がった生ゴミをどうすると言われても、私は知りませ〜ん。

 

「そのうち復活して、泣いて帰るでしょ。なにせHGだし」

 

「そだね」

 

「そうそう」

 

 自分で言っておきながら、ちょっちHGの扱いは不憫かもしれない。そんなことを一瞬でも思ってしまう私はとっても優しい。

 

「はい。翔太くんも本当に帰らなきゃ。もうこれからは変な人に声かけられても、ついて行っちゃダメだからね」

 

「おばさんも変な人じゃん」

 

 と、翔太からいわれなき誹謗をされて、ふと思いついた。

 

「私は変な人じゃなくて個性を大事にしているだけ。でもオンリー1よりナンバー1に君臨したいんだけど、なかなか道は険しくて」

 

 それはHGをもてあそんでいたときに私が言ったことと同じ。それで翔太がどんな反応をするのか、私は実験をしてみたくなったのだ。

 

 私の言葉を聞いた少年は、さしたる反応もなく

 

「ふ〜ん。頑張って」

 

 とだけ言う。

 

 は、話がつながらん! さすがボケ殺しの天井翔太。私の天敵だ。つまりHGは私に弱くて、翔太は私に強い。くしくもHGが天井翔太に助っ人を頼んだのはある意味正解といえる。まぁ、翔太がまともに働けばの話だけど。

 

 私の視線に気づいても、無愛想な顔を翔太は崩さない。この子がまともに働くなんてありえないよねぇ。

 

「帰ろっか……」

 

 私たちはピクリともしないHGを放ったまま歩き出した。

 

 途中まで一緒の帰り道である天井翔太と、二人並んで歩いていると、彼が改まった声を出した。

 

「……おばさん」

 

「ん、何?」

 

「あれ、また来るよ」

 

 あれっていえば、そりゃあのHGとかいう黒い不審者のこと。

 

「そりゃ、ああいうタイプはしつこそうだし」

 

「違う。そういうことじゃない」

 

 翔太の確信めいた言葉。その様子は平時の少年とは少し違う。それは空ばかりを見ているときの天井翔太のような、独特の空気をまとっていた。

 

「おばさんが今のままだったら、きっとあれはまたあらわれる」

 

「翔太くん、何言ってるの?」

 

「とぼけたって、本当はわかってるんだろ? ダメだよ。現実逃避は」

 

 なぬ。私の生き様である現実逃避がダメですと! そりゃダメでしょ。

 

「おばさん、どうする気なの?」

 

「……また来たら、また追い返す!」

 

 私の断言に、天井翔太の口元はきゅっと引き締まる。

 

「……そう」

 

 翔太の声は、ちょっと暗かった。それから数分、私と翔太は無言で歩いていた。

 

「オレ、こっちだから」

 

 ぶっきらぼうに言うと、翔太は三叉路の一方を指していた。それは私とは別れ道。

 

「そう、それじゃ翔太くん、バイバイ。もう変な人と関わっちゃダメだよ」

 

「おばさんこそ、変な人を引き寄せちゃ駄目だからね」

 

 そんな人聞きの悪い言葉を残して天井翔太は帰っていった。後から思えば、天井翔太はちゃんとHGの助っ人としての役割を果たしていた。私はそれに気づかない振りをしていた。考えないようにしていた。現実逃避が私の生き方だから。

 

 それは半分冗談で、半分本当だった。結局のところ、私は楽をしたいだけなのだ。私は悩みたくない。苦しみたくない。ただそれだけなのだ。

 

 私は自身の部屋の前に帰り着き、鍵を開けた。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい。今日は珍しく遅かったんですね」

 

「ねぇねぇ。恋歌ちょっと聞いてよ。さっきね」

 

 そう。私には、こんなに楽しい生活が待っている。恋歌との楽しい一時が待っている。それを無理矢理に考えて悩むなんてしたくない。だからHGとかいう黒いのが現れても、私は悩まない。

 

 いつでも上等。返り討ちにしてやるんだから!

 

説明
ケータイ小説をイメージして書いた軽い作品です。軽い気持ちで読んで頂ければ幸いです。
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