八陣・暗無12 |
試合が終わり、自室に戻ってから煙草を口にしながらワインを傾けた。
「・・・・・・。」
身体が昂ぶっているのを感じるが、それを意図的に抑えようとする。
(―――軽部っ!)
このままではいけないと思いつつも、思考を奪われてしまう。
あの夜のことを、無意識にも思いだす。
「・・・・・・子供、か。そう、・・・だな。たまには・・・・・・いいかもな。」
月を光が遮断されたその場所で、男はキリを取り出してこちらにゆっくりと向かってきた。一歩一歩、まるで、絶対に逃げないという根拠を経ての動きなのか、それとも逃げたところで無駄なのか?どちらにせよ男の中で殺すことは決定事項らしい。
「・・・・・・。」
少年は黒のナイフを取り出す。昔から一番付き合いが長く、切れ味はそこまでよくないが頑丈さでは他のナイフを寄せ付けない。
「・・・・・・黒妖刀・・・か。案外・・・・・・その・・・通りかも・・・・・・な。」
ぼそぼそと聞き取りにくい言葉で男は喋る。
「なるほど。君は自分で妖魔と認めたか。」
昔話があった。
勇者アージスが妖魔と戦いを挑んだ。すると、剣では妖魔は切れず、そのまま何の抵抗もできずに魂を奪われた。だが、黒妖刀を隠し持っていたアージス。それがどういうことかというと、特に何も起こらない。ただ、目の前にいる妖魔だけではなく、全ての妖魔を一瞬で飲み込み、最期にはアージスをも飲み込み、黒妖刀は砕け散った。
結果的にアージスの死は変わらなかった。
「妖魔・・・か。そうだな。・・・・・・だが、・・・君ごとき・・・・・・では・・・・・・足りない。」
言っている意味が所々分からないが、殺しあう行為だけは成立したようだ。
少年は小さな体を左右に揺すり、相手の攻撃を待つ。敵がハンドガン、つまり中距離でないのなら敵の攻撃を交わしてから確実に仕留めると、数字を覚えるのと同じ頃から教わっていた。
「・・・・・・足り・・・ない。」
男はそれだけ言うと、少年の方へとゆっくりと間合いを詰ていく。
100・・・90・・・80・・・70・・・やがて60pと目の前の距離まで迫った時、
少年の肩口から液体が跳ね上がった。
「・・・・・・あっ!」
何をされたのかも分からず、気付くと目の間にはもう男の顔があり、身体中から液体が飛び交う。
びゅ。びゅ。びゅ。
規則的に少年を死へと追い込む。ただ、一瞬で命を奪うことはなく、ゆっくりと。殺しという行為を楽しむように。
びゅ。びゅ。びゅ。
声を挙げることも許されず、抵抗することも許されない。実力差も明確だが、それ以前にこの男は普通ではない。
「・・・・・・〜〜っ!」
かろうじで挙げた声にならない声。
それと同時に背を向け、走り出そうとする。
男にとってはその行為は予想の範疇なのだろう。常に自分より格下を甚振ってきた男は、弱者の行動は全て理解していた。
少年の太ももに向け、キリを刺そうと上体を低くすると、
男の腹部が少し、ほんの少し切れ、そこからつつつ、と血が垂れていった。
「・・・・・・。」
切れたとはいえ、傷は浅い。浅すぎる。本来ならここで仕留めるであろう。
男は少年に向かって足を一歩突き出したが、
「・・・・・・っ!・・・アー・・・ジス・・・・・・か。」
それだけ言い残し、この場から離れていった。
まるで、マジシャンが姿を完璧に消すように。その時の少年はどうやって姿を眩ましたのかも分からなかった。
「・・・・・・っ、かっ、」
膝が折れ、その場に跪くと、今の自分の状態がようやく把握できた。
バケツ2杯分ぐらい溢したと思う血液の数。細いキリとはいえ、開いた穴から流れる血液は、まるで少年の命のエネルギーが零れていく錯覚を覚える。
だが、それは現実として錯覚ではないことを、当事者である少年は理解していた。
世界が歪み、やがて闇が包む。
敗北と絶望。そして死の恐怖を味わいながらゆっくりと意識を失う。
(・・・・・・こんな、)
少年は、不意に思った。
(こんな、情けない気持ちなのか・・・・・・っ!)
今まで命を奪ってきた、被害者の気持ちが痛い程身に染みた。
ただ、それ以上に加害者に対する憎悪と自分の力の無さに対する苛立ちがそれを勝る。
(――――――もしっ!)
暗闇に堕落する直前、少年はその薄い心に刻んだ。
(もし私が生きていればっ!―――次は無いっ!)
それは叶わない出来事だと理解しても、それだけを心に刻んでこの世界から消えていった。
――――だが、その願いは叶った。
「私は地獄から這い上がった。・・・・・・心中したアージスとは違う。」
もしあのまま男、軽部が風間の命を絶っていたらおとぎ話の通りであったであろう。だが、現実は違う。
軽部は風間の黒妖刀に塗られた毒に気付き、すぐに撤退すると、風間も死したものの、キナラに再び命を与えられた。
「―――っふ。」
(今から起こる出来事は、アージスの続きのお話ということか。)
《ブ――――》
風間を現実へと呼び戻す音が響く。手は叩かず、黒いナイフ、黒妖刀をドアに向け投げる。
ガィィィイイン!
鈍い音と同時に、ドアがロックを解く音が聞こえる。
「・・・・・・神海?」
いつもと様子が違うことか、和泉がドアをゆっくりと開けて入ってきた。
「やあ和泉。仕事、ご苦労様。」
「・・・・・・。」
和泉は何も言わず、氷の様な冷たい表情でベットに座る風間に近づいていく。
「今日は掃除なんてしなくていい。・・・・・・そうだ、どこかに食べにいかないか?確か和泉は中華が・・・・・・、」
「お願い。」
気が付くと、和泉は風間を抱きしめていた。
「さっき言った、保険金なんていらない。・・・・・・だから、死なないで・・・・・・っ!」
「・・・・・・え?」
「・・・・・・。」
抱きしめられる力が強くなる。
普段の和泉からは想像できない行動に戸惑った。
何か新しいパターンなのかと思考をぐるぐる巡らせたあと、ようやく一つの結論に辿り着いた。
(・・・・・・つまり、そういうことか。)
自分自身に苦笑してから、それから和泉を抱き返した。
「・・・・・・ご飯を食べに行こう。私は大丈夫だ。」
自分でも驚くぐらい優しい声でなだめる。
「・・・・・・うん。」
和泉の顔は見えないが、とりあえずは安心したようだ。
(・・・・・・最期の晩餐、かもな)
和泉に抱きしめられた意味は、風間はよく分かっていた。
これからあの軽部と戦うということも知らない和泉が、決して風間に好意を見せない和泉が自ら風間に抱きつくという意味を。
(・・・・・・。)
死相が、でているのか――――――。
どちらにせよ、あの男と戦って死ねるなら本望だと、自分に言い聞かせていた。
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