夜は静かに交わっていく
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 双眼鏡の中のその子供を見た瞬間、俺はそいつの強さが解った。

 浮いているような、ただ、一歩の足取りで解った。

「ざけんじゃねえぞ、猿っ! あんな強い奴とは聞いてねえ」

「おや、さすが兵藤さん、解ってしまいましたか」

「何人死んでる?」

 俺に話を持ってくると言うことは、その前に安く動かせる奴をぶつけているはずだ。

「八人やられました」

「どれくらいの連中を当てた?」

「鬼のやんちゃな兄さんを中心に、変化とサトリを組み合わせとか」

「鬼は不器用だからなあ」

 鬼は力は強いが、不器用で武道の水準を深める事が苦手だ。

 荒事は力だけじゃないって事だ。

「変化、禿(かむろ)か、あいつは」

 双眼鏡の向こうの子供はニコニコ笑いながら歩く。

 とんでもないな。

「はい、犬の変化ですね。しかし、どうして強いって解ったんです?」

「わかんねえのか?」

「普通の子供に見えます。変態したら別ですけどね」

 猿は頭を使う方だ。武道の方はからきしだ。

 変態も出来るが、その能力は基本的に撤退に使っている。

「あの子供の頭の上に水が縁まで入ったコップを想像で乗せてみろ」

「え、あ、はい」

 俺も想像のコップを子供の頭の上に乗せて見た。

 子供は歩く。歩く歩く。

「頭に乗せたコップから水はこぼれたか?」

「いえ、その、そこまで想像するんですか?」

「ばーろー、イメージは武道の基本だろうが」

 俺の頭の中のコップは一滴も水をこぼれていない。

 死ぬほど練れた足運びだ。

「犬の変化か」

「大した相手ではないのですけどね、どこにでも居る」

「上級種の魔物なんざ怖くねえよ、怖いのは下級種でありながら強い奴だ。訓練を重ねてるし、慎重だし、厄介だ」

 魔物には上級と下級がある。

 というか、内包する魔力の違いの話だ。

 たとえば狐種の上級は九尾で、下級が普通の狐だ。

 上級の魔力能力は確かに凄いが、その分だけ体術などの錬度は落ちる。

 能力が強いんで錬度をあげる必要が無いわけだ。

 だれが好きこのんで無駄な訓練をするかってんだ。

 本当に怖いのは下級の実力を練りに練った奴というのが俺の持論だ。

 俺もクラスとしては下級だしな。

「武道の方の師匠はだれだ?」

「毛知老師ですよ。最後の弟子です」

「うわ、ケチ爺さんの弟子かよ。かんべんしてくれ」

 ケチ爺さんというのは魔物武道界の、野球で言うと長島みたいな奴だ。いい加減な指導なんでなかなか弟子は育たないが、そのかわり育った五人の弟子はどいつも超絶に強い。あの子供は六人目、最後の弟子になるわけだ。

 ちなみにケチ爺さんは今年の正月、餅を喉に詰まらせて死んだ。

 魔物で武道家でも、餅にはかなわなかったわけだ。

「倒して頂かないと困るんですよ。上がうるさくて」

 あの子供が居る団体は中央という。

 まあ、野球で言うと巨人軍だ。関東近辺が縄張りの魔物組織だ。

 猿が所属してるのは、茅野家という、まあ、広島東洋カープか? 中国地方の組織だ。

 俺はフリーランスだ。

 魔物の組織の喧嘩に雇われて力を貸す、荒事師というか傭兵だな。

「五人、俺レベルの魔物を五人集めろ。それでなんとかやってやる」

 五人集めて、三人死ぬ計算だ。

 残った二人に俺が入る。

「予算が足りませんよ」

「じゃあ、あきらめろ、俺一人では勝敗が解らねえ」

 負ける気はしないが、勝てる気もしねえ。

 相打ちまで持っては行けるだろうが、そこまでする義理はない。

「ことわるというのですか?」

「ああ、プロは無理な仕事はしない」

「じゃあ前金返してください」

「……」

「な、なんですか?」

「使っちゃった」

「なっ! なに言ってんですかっ! あんな大金、しかも昨日ですよ振り込んだの!」

「う、うるせえなあ、その、お金が必要な美人がいてよお、どうしてもって言うからさあ、貸したんだ」

「美人どうしたんですか?」

「どっか行ってしまった……」

「だああっ! 兵藤さんはそれだから駄目なんですよっ! 脇が甘すぎるっ!」

 猿に怒られたよ。

「とにかく一週間待ちます。止めるならお金返してくださいね」

「というか、こうなるの解って、おまえ前金出したんじゃねえだろうな」

「ま、四分六ぐらいで、こうなるかなと」

「きったねえぞ!」

「使っちゃう人が悪いんですよ」

 そう言うと猿は枝をざんっと鳴らして宙に消えた。

 俺はまた双眼鏡の中の子供を見た。

 強いなあ。あの若さで。

 というか、成長が止まった禿なんで年齢は解らないが、たぶん若い。

 あそこまでの錬度の魔物にしては名が売れてない。

 俺も名前を知らなかった。

 犬子と名乗っていると猿は言っていた。

 

 

 新宿で飲んでいた。

 美人は帰ってこないので懐は寒々としていた。

 お金返さなくても良いから、一発はやらせろと思った。

 まあ、良いけどね。

 誰かが隣りに座ったので、見たら猿だった。

「お金用意できましたか」

「できねえ、というかあと二日あるぜ」

「どうせ、二日経っても用意はできないでしょう」

「だまれ、駄目だと解っても、人間は努力をしなければならないのだ」

 猿はわざとらしく溜息をついた。

「美人を探してあげましょうか? うちの諜報網で」

「必要ねえ」

 茅野家の諜報網は組織の規模に合わないぐらいの良い出来で、素晴らしく機能する。

 猿の先代が育て、猿が完成させた。

「兵藤さんはお人好しすぎますよ。荒事師のくせに」

「ほっといてくれ」

「犬子の変態する所を見たくないですか?」

「何か仕掛けるのか?」

「安い金で動くヤクザを見つけましてね。ぶつけます」

「おまえ、里人を利用すると砂犬が怒るぜ」

「誰もやらないような手だから良いんですよ。なんとでも言い訳します」

「おまえ言い訳得意だしなあ」

「調査網に犬子の父親が引っかかりましてね」

「へえ」

「ぶつけるヤクザの中に居ます」

「うわ、えげつねえな」

「会ったことはないらしいですが、おやじさんは微かに魔物の血を引いてます。犬子なら気付くでしょう」

「肉親を盾に取れるかどうか試すんだな」

「はい、人質に取れれば簡単ですしね」

 肉親の情というのは結構良い武器になる。

 超絶に強い奴でも情の方で責められるともろい奴が居る。

「じゃあ、見に行こうぜ」

 俺は猿の誘いに乗った。

 

 高台の公園だった。

 また双眼鏡だ。一応スターライトスコープを付きだ。

 ヤクザは五人。路地に伏せていた。

「ちっ、馬鹿が、大物をもってこいって言ったのに」

 猿が吐き捨てるように言った。

 ヤクザどもが持ってるのは、普通の拳銃だ。トカレフが一人居るが火力不足だな。

「どうしてマグナムとかサブマシンガンを用意してないんだ、馬鹿どもめっ!」

「大物は入手も大変だし、弾代も高いしなあ」

 犬子がひょこひょこ歩いてきて、いきなり銃撃戦は始まった。

 うわ、すげえな、子供の形の物にバンバン鉄砲打ち込んでるぜ。

「銃の効きはどうだ?」

「あまり良くないようですね。皮膚上で止まってる感じです」

 魔物も色々で、銃に特に弱い奴も居る。変化系は肉体が粘土みたいな奴が多いので、銃はあまり効かない事が多い。

 犬子が立ち上がって変態した。

 おお、すげえ、格好いいな。

 良い感じの犬の変化だった。

 凄く鍛えてある筋肉。

 体重は元の五倍ぐらいに増えてるだろう。

 俺と遜色ないぐらいの筋肉の厚みだった。

 速いっ!

 なんて反応速度だ。

 うわ、練れてる上に何の容赦も無い。

 犬子は美しいと言える動きでヤクザをバラバラにしていた。

 凄いなー。魔物はああでなくちゃなあ。

「犬子が父親に取り付きましたよ」

 お、喰っちまうか、と思ったら、変態を解いて、なんか喋ってるな。

「ふ、掛かりましたね。さすがの犬子も父親は殺せないようです」

 猿が勝ち誇ったように言った。

 やれやれ、これで俺の仕事は無いな。

「前金返してくださいね」

「えー、いいじゃんよ」

「駄目です、兵藤さん何もしてないんだから」

 まったく猿はこすいよな。

 

 新宿に帰って飲み直していたら、朝方、猿がげっそりしてまた来た。

「どうした?」

「犬子は父親を連れて、ヤクザの組に乗り込みました」

「ほう」

 オヤジを更正させようってのか。孝行娘だな。

「組員全員、姐さんも子供も全部、殺しました……」

「えー? ヤクザっても里人だろ!!」

「あいつはめちゃくちゃです」

「犬子のオヤジさんは?」

「両手足を粉々に砕いて、事務所に放りだして帰りました。意識不明の重体です」

 命は取ってないが、人質にしても意味は無いってこっちに見せたのか。

「そりゃすげえな」

「意表を突かれました」

 たいがいの魔物は一族の繋がりが強い。そんな思い切った事が出来る魔物は少ない。

 気合い入ってんなあ。

 猿はウイスキーをロックであおった。

「犬子は中央の中でも浮いてるらしいですよ」

「あんまり強すぎると嫌がられるんだよな」

 魔物の組織と言っても、心の中は只の人間だ。

 常軌を逸している奴はやっぱり浮いてしまう。

「茅野家にスカウトしろや。お前の好きな孫子では、敵にするよりも懐柔して味方にせよだろ、確か」

「犬子に茅野の若様が殺されてましてね」

 あー、敵討ちの側面もあったのか。

 そりゃ無理だ。茅野は特に家族の結束が強いからな。

「じゃあ、こういうのはどうだ。猿が独立するんだ」

「独立してどうするんですか?」

「俺が犬子にフリーランスのやり方を教える。お前は仕事を営業して取ってくる。俺と犬子で荒事をする。完璧だ!」

「はは、良いですね、それ」

「お前は目端が利くからさ、どっかに事務所借りてな。事業始めようぜ。新しい組織を作るんだ。俺と犬子が居て、お前がいたら、俺たちの組織はどんどん大きくなるぜ」

 猿は微笑んでグラスを回した。カラカラと氷が鳴った。

「不可能な事を言ってても詮無いですよ。兵藤さんだけが頼りです」

 ま、俺も出来るとは思って無いけどな。

 猿は茅野のお姫様に忠誠を誓っているから、独立は出来ない。上級種である姫様には相手にされてないんだがね。

「犬子を倒してください」

「金はあと幾ら出せる?」

 猿は指で金額を示した。

「解った、なんとか考える。時間を少しくれ」

「おねがいしますよ」

「ああ、なんとか倒せる方法を考える」

 

 

 ずっと犬子の事を考えて計画を練った。

 ずっと思い描いてるので恋してるのと変わらない。

 心の中で愛しく愛でながら、殺害の可能性を探る。

 パワーはほぼ互角。速度は犬子が速い。防御力は俺の方が高そうだ。

 武道の練りは犬子の方が高い。

 俺は犬子の事を知ってるが、犬子は俺の事をぜんぜん知らない。

 ガチンコの戦いは最後の最後だ。

 できれば罠や長距離で仕留めたい。

 写真を見ながら、ベットに寝ころんでごろごろと作戦を練る。

 はたからみればさぼってるようにしか見えないが、戦いはもう始まっている。

 どこからを戦闘というのかは、人によって色々だと思う。俺の定義だと、戦う可能性が出た時点で戦闘は始まっている。面と向かって殴り合う段階は最後の付け足しのような物だ。そこまで行く前に相手の力をどこまで削れるかが勝負だ。

 長距離ライフル……。

 大口径の弾で、長距離から脳か心臓をぶち抜く。

 魔物と言っても不死身ってわけじゃないから急所をぶち抜けば一瞬で殺せる。

 問題は俺が射撃が上手く無い事だ。

 誰かを雇うって言ってもなあ。

 猿に電話した。

「おう、俺」

「あ、兵藤さん、なんですか?」

「狙撃の方は試したか?」

「当たり前じゃないですか」

「どうだった?」

「三回やって、三回とも切り抜けられました。狙撃手人脈が無くなってしまいましたよ」

「殺気を感知する能力が高いのか?」

「勘が良いんでしょうね。一度は天狗の三郎さんを雇って空中狙撃してみたんですが」

「ほう」

「槍投げで迎撃されちゃいましたよ」

「さぶちゃん死んだのか?」

「いえ、重傷です。見舞いにいってあげてください」

「ああ、生きてるか、それは何よりだ」

 俺は猿に礼を言って携帯を切った。

 狙撃は駄目か。

 

 次の日、俺は駅前で果物を買って、さぶちゃんを見舞いに行った。

 さぶちゃんは元気そうだった。

「おお、兵藤ちゃん、来てくれたのかい」

「ああ、猿に聞いてよ。ほれ、見舞いだ」

「あはは、ありがとうよ」

 猿の悪口を言ったりして、お互い和んだあと、犬子の印象を聞いてみた。

「兵藤ちゃん、犬子とやりあうのかい?」

「前金使っちまってなあ」

「そりゃ、兵藤ちゃんらしい」

「さぶちゃんの腕で犬子のどたまをぶちぬけなかったのかい?」

「どうもなあ、なんか変な血が入ってるなあの子は」

「ほう」

「とりあえず、犬子をスコープに納めたんだよ。こっちは高度三百ぐらいに取ってな。直線で千、撃ち降ろしで風は無風。俺が持ってるのは自慢のレミントンM24よ」

「おうおう、絶好の狙撃チャンスだね」

「あの子の変態前はちびっこいから狙いにくいし、落ち着き無いから難しかったが、信号待ちで止まった時につかまえたんだよ」

 俺は身を乗り出して聞いた。

 さぶちゃんは話がうまい。

「スコープから見える犬子ちゃんの顔が可愛くてなあ。家の子供どもを思いだして切なくなるわけよ。でも仕事なんでなあ」

「ああ、さぶちゃんはやさしいからなあ」

「よせやい。照れくせえ。それでよ、引き金を引こうとした瞬間だよ」

「おう」

「ひょこっとスコープから消えるんだよ。しゃがんだり、伸びをしたりしてな」

「引き金に手を掛ける瞬間にか?」

「そうそう、あれは無意識に気を読んで避けてるんだな」

「さぶちゃんだって、気を消して無かったわけじゃないだろ」

 待ち伏せ前に気を消すなんてのは常識だ。

「当たり前だ。消し切れてない微かな気を読んでるんだなたぶん」

「サトリじゃあるまいし」

「わかんねえぜ、犬子は雑種だしなあ。どんな血が入ってるのやら」

「あ、雑種なのか、俺はまた四国の犬神かどっかから出てきたのかと」

「猿の報告書読んでないのかよ」

「あんな分厚いの読めねえよ」

「兵藤ちゃんらしいや。どうも、里人出で、混血顕現らしいぜ」

「最近多いなあ」

 魔物が人と結ばれて混血が出来ると、まあ大抵は里に出しちゃう訳だ。能力の弱い魔物が夜の世界で生きいていくのは厳しいからね。

 戦争とかが起こったと考えてくれ。というか第二次大戦だな。

 人と魔物が居たとして、戦争でどっちが生き残ると思う?

 当然魔物に決まってるよな。

 で、魔物の混血と普通の人間では、戦争でどっちが生き残ると思う?

 そう、魔物の血を引いた人間の方が生き残る確率が高い。

 というわけで、古来から徐々に続いている混血で、里人の中に魔物の血が結構潜んでいるわけさ。

 時々妙に濃い血の奴が生まれて、変態したりする。

 まあ、いきなり化け物に変態しちゃうんで、たいていは大暴れ、人死に出まくり、落花狼藉な大騒ぎになる。そういう奴は大抵、魔物の組織のどこかがスカウトして末席にいれる。

 この生まれ方をした魔物を里人出と呼んでいる。

 里人出は血がすんごい交錯してるので、何族とも言えない魔物も多い。もう滅んでしまった魔物の特性を持ってたりする。

「そいでよ、撃てないで困ってると、ついに犬子に気付かれた」

「おお、そりゃ大変だ」

「犬子が人前で変態してこっちに猛然と走ってくんだよ」

「ちょ、ちょとまってくれ、昼間?」

「夕方だが、結構人は居た。服脱いで、すっぱだかになって変態したぞ」

 うわー。

 普通の人間にはぴんとこないかもしれないが、人前で変態するというのは、公衆の面前でセックスするぐらい恥ずかしい事だ。

 さぶちゃんは良い、高空にいるんだしな。だが、地上で人前で変態って、そりゃねえだろう。

 俺は頬が熱くなった。

「一族で育ってれば、人前で変態すんなと親になぐられるから、しつけられんだけど。里人出じゃしょうがないわな。はしたない事だが」

「まったく、しつけがなってねえなあ」

「で、あの犬頭の怖い姿でビルの上のぴょんぴょん跳んでこっちに詰めてくんだよ」

「そりゃ怖いなあ」

「犬子が最後にびょーんと大飛びして、気がついたら、銛みたいのが俺目がけて飛んできてんだ。屋上のフェンスかなんかをもぎ取ったらしい」

「ふえー」

「慌てて避けたが、当たっちまってよ。血がダクダクでるわ、高度は落ちるわで大変だ」

「腹かい? 当たったの」

「腹、腹、脇腹やられてよ。必死になって羽ばたいて逃げたのよ。でな、下を見たら、凄い形相で追っかけてきてんのよ」

「うわ」

「まー、生きた心地しなかったな。何とか茅野の関連の屋敷に飛び込んで逃げたが、あれは、怖かったな」

「長距離狙撃は無理か」

「無理無理、あの勘の出所を探って、ごまかす方法が解らないと無理だな」

 勘なんてものは、結構どの魔物でも備わってるからなあ。

 ごまかし方にも種類によって色々だ。

 ……。

 あれ?

「どうしたい?」

「いや、おとつい、猿が犬子にヤクザをぶつけたんだわ」

「ヤクザなんて話にならんべ」

「その時、弾当たってたぜ」

「へえ。それは、なんだろうな。殺気の質かな……。あ、もしかすると、危険でないと無意識に判断したかな」

 うへえ、ピストルぐらいじゃ気にならないのかよ。

「しかし、猿にしては無駄な事すんな」

「いや、ヤクザの中に犬子の親父さんがまじっててよ」

「うわ、猿らしい嫌な手だなあ。で、どうしたい」

「犬子がオヤジをボコ殴って半死半生で病院送り。他のヤクザは皆殺しだ」

 さぶちゃんは愉快そうに笑った。

「やるねー。それでこそ犬子だなあ」

「らしいだろ」

「なー、ああいうのを荒事仲間に入れると面白くねえか?」

「ああ、面白そうなんだが、猿がこだわっててなあ」

「なんでよ」

「茅野の若さんを犬子が殺したそうだぜ」

「ああ、アレは犬子だったのか。なるほどな」

「知ってるのか?」

「ああ、豊田市で紛争あったべ、あの時に殺さなくても良いタイミングで若さん殺されたって聞いた。だれか若いのが先走ってやっちゃったとか」

「ああ、暗黙の了解で人質に出る所をやっちゃったのか。それは不味いよなあ」

「里人出だしなあ、わからんかったんだろ。不憫だな」

 まったく不憫だな。俺はそう思った。

 ひょこひょこ一人で歩いてるのも、中央に的として出されてるんだろうと思った。

 機会は与えるから、殺せるなら殺しても良いという、中央の信号だ。

 さぶちゃんに養生しろと言って俺は病院を出た。

 

 さぶちゃんと俺は仲が良いけど、フリーランスの掟として、敵味方に分かれる時もある。

 敵に回ったさぶちゃんはマジに怖い。高空から大口径の銃弾が正確に頭を狙って来る。

 飛行タイプの味方が居ない時は手も足も出ないのだ。

 それを、人前変態でびっくりしてたといえ、破るとは。

 犬子はすげえなあ。と思った。

 もったいないなあ。

 

 

 夜、ジムで汗をながしていると、猿がやって来た。

「美人、見つけましたよ」

「いや、頼んでねえだろ」

「諜報網ってのは頼まなくても動くのが理想でしてね。兵藤さんがらみで上がってきました」

 見つかっちゃった物はしょうがないな。

 お金返して貰いに行くか。

「どこだい?」

「新潟です」

「そりゃ遠いな、また今度でいいや」

「美人、ヤクザに掴まってますよ」

「なにやってんだ、あいつは」

「お金をぱくられたのは兵藤さんだけじゃないみたいです。今夜まで待つが、明日の夜には港に沈めるとか言ってました」

「しょうがねえなあ。猿、送っていけ」

「えー」

「BMのスゲエの買ったんだろ。走らさせてやるよ。ガソリン代は持つから」

「高速代も持って下さい」

 お財布がどんどん軽くなるよ。

 

 猿のBMのワゴンはそれはそれは乗り心地が良い。

 すぐ新潟に着いた。

 波止場の倉庫の一つにヤーさんが群れていた。

 俺が猿のBMから降りると、気圧されたようにやーさんはあとずさった。

「で、でっかいね、あんた」

「良く言われる」

「兵藤さんと猿渡さんだね、こっちにきな」

 サングラスでカマキリみたいになったヤクザが俺たちをアゴで呼んだ。

 倉庫の中に美人は居た。

 もー、美人なんだから、鎖につないでぼろぼろにすんなよ、もったいないな。

「いよ、妙子」

 美人なのに源氏名は庶民的だった。

「ひょ、ひょうちゃんっ!」

「金返せー」

「直裁ですね、兵藤さんは」

 妙子は笑った。

 もう気が狂ったようにげらげらと笑った。

「馬鹿ね、もう送金しちゃったわ。あの穢れたお金は祖国繁栄の礎となるのよ。光栄に思いなさいっ!」

「えー?」

「偉大なる首領閣下の元で有意義に使われるわ! 良かったわね!」

 うわー、隣の共産国に俺のお金がー。

 ヤクザが妙子を蹴ろうとしたので、その足を止めた。

「やめなよ」

「あんた、くやしくないのかっ! このアマに騙されて」

「たかが金だしなあ。この子貰っていっていい?」

「……俺らがつかまえたんだぜ」

「幾らで売る?」

「さ、三百万、迷惑料コミでな」

 俺は猿を見た。

 猿は溜息をついた。

「後金から引きますからね」

「猿は話が早くていいや」

 妙子は信じられないという顔で俺を見た。

「帰るべ、また稼いで祖国に送りな」

 無表情になった妙子の頭をぐりぐりと撫でた。

「なんで、どうして?」

 妙子は泣いていた。

「助けてやるから、一発やらせろ」

「うわ、高い一発ですね」

 猿が呆れた顔をした。

「い、一千万、一千万じゃ」

 ブルドックみたいな顔をしたオヤジが杖をついてやって来てそう言った。

「おまえら金持ちそうじゃからな、一千万、びた一文まからんぞ」

 俺は笑った。

 猿も笑った。

「なんか、お金払わなくて良くなりそうだな」

「ほんと、欲深は身を滅ぼす好例ですね」

「猿がやるか?」

「良いんですかー。嬉しいですね」

「猿には世話になってるからな。ゆずるよ」

 俺は妙子の鎖を解いた。

 小脇に抱えて倉庫を出ようとした。

「ど、どこに行く、金を払わない限り……」

 ヤクザの悲鳴が上がった。

「おおっと、妙子はみちゃだめだよ」

 俺は妙子の目を片手でふさいだ。

「ひょうちゃん。なに?」

「いいから」

 俺は倉庫を出た。

 見張りのヤクザが変な顔をして俺を見た。

「ああ、倉庫でなんか揉めてるぜ、行った方が良くない?」

「その女は?」

「俺の女だ。気にするな」

 妙子をBMの後部座席に押し込んだ。

 倉庫の中から微かに悲鳴や怒声、拳銃の音なんかも聞こえる。

 見張りのヤクザが血相を変えて倉庫へ向かった。

 

 魔物は人を食うと魔力が上がる。

 が、野放図に食べると、魔物の警察とも言える砂犬が怒る。

 理由があれば、砂犬も怒らない。

 ヤクザが無理難題をふっかけて来たとかね。

 砂犬というのは魔物じゃない。人間の対魔物組織だ。

 里人と魔物の間にクッションとなって存在する。

 宮内庁とかまあ、そこらへんから来てるらしい。

 人間に遠慮しなくてもと思われるだろうが、砂犬は強いし数が多い。

 平安時代に全面戦争が起こった時は、魔物側完敗、危うく滅ぼされかけた。

 魔物と言っても結局特殊能力のある人間でしか無いので、一対多だと、結構厳しいのだ。

 一般人、ヤクザ、警察の三すくみのように、里人、魔物、砂犬の三すくみが発生している。

 魔物の事を公にしないのも砂犬の政策だ。

 俺たち魔物の特殊能力の魔力は、どうやら、人が夜を怖れる心から発生しているらしい。人民の少しずつの恐怖心が形をとり魔物の人間の上に付加されているらしい。

 社会の人間全体が魔物の実在を知ると、もうとんでもなく魔物はパワーアップしてしまうらしい。

 だったら魔物なんか滅ぼしちゃえと考えそうなものだが、どうも滅ぼしても良くないらしい。

 平安時代に魔物は滅ぼされる寸前まで行ったが、その代償として、次の室町時代は人民の心が荒れまくった。夜を怖れる心が人民側に行って世情が大荒れになるらしいのだ。

 仕方がないので、砂犬さんたちは、魔物を生かさず殺さずという、江戸時代の水飲み百姓みたいな扱いにしたわけだ。

 里人に迷惑をかけなければ、生存を許す。

 そのかわり、人食い常食とか、そんな感じの迷惑を掛けたり、人前で魔物の実在を示すような行為をしたら、鬼のように追いつめ、ぶっ殺す。というわけだ。

 

 妙子がえくえくと後部座席で泣いていた。

「私は祖国の為にひょうちゃんを裏切ったのに、なんで許してくれるの?」

「当たり前じゃないか、妙子を愛しているから、なんだって許すよ」

「ひょうちゃんっ!」

 妙子が俺に抱きついてきた。

 うひょー。

 今晩は楽しそうだ。

 猿がニコニコして帰って来た。

 メガネに一滴、血が飛んでいた。

「殲滅したか?」

「当然です。お金も払わなくて良かったです。というか、妙子さん、兵藤さんにお金を返しなさい」

「もう、祖国に送っちゃいました……」

「いいんだよ、そんなこと、妙子が生きていれば」

 猿が溜息をついた。

「あ、そうだ、妙子の上の人と話せるか?」

「え? あの、その」

「連絡網はあるでしょ。当然、無線かな?」

「ら、ラジオで乱数表で……」

「おースパイっぽい」

「スパイっぽいですねー」

「あ、あなたたちは何? ヤクザにも警察にも公安にも見えないけど……」

「なんだろ」

「なんでしょうねえ」

 うーん、何と言えば良いのかな?

「暴れん坊?」

「いや、それ兵藤さんだけ」

「あの、一応非常連絡先の電話番号は一個ありますけど……」

「わーい、偉大なる首領さまにつながる?」

「そんな、とんでもない、もっともっと下の人ですよ」

 冗談だってば。

 

 妙子がつっかえながら、非常連絡先の人と話していた。

 そりゃそうだろうなあ。

 とりあえず、その人からなるべく上の方に中継してもらった。

『なんだか良くわからないのだが……』

「やあ、同志、俺は兵藤という」

『……馬鹿にしてるなら、切るぞ』

「あのよう、俺のお金なんだが、返さなくても良いぜ」

『……』

「その代わり、欲しい物があるんだ。買いたい、というか商取引にしたいんだな」

『なんだ、情報とかは困るぞ。松茸とかなら良いが』

「武器」

『うーん、それは難しいな、公安にばれて問題になるとなあ』

「俺たちはモノだ」

 電話の向こうが黙り込んだ。

『そうか、なるほどな。担当の者に変わる』

 ああ、隣の国でも砂犬みたいな組織があるのか。

 勉強になるな。

『カワッタ。ナニカ?』

「あんた、モノ? スナイヌ?」

『モノダ、モノ。仲間ダネ』

「居るんだ、そっちにも」

『人ノ居ルトコロ、モノ居ルネ』

「武器が欲しい。地雷とかロケットランチャーとか。いっぱい」

『ニホンニ武器ハ運ンデ無イネ』

「そっちから貨物船で送ってくれよ」

『ウーン。ソウネ。モノノ国際親善ネ。出来ルダケ送ルヨ』

 よしよし。

「詳しい取引の詰めをしましょうか?」

「頼む」

 俺は猿に携帯を渡した。

 ペラペラと韓国語で猿は交渉していた。

 猿は多芸だなあ。

 俺は必要な物をメモに書き出して猿に渡した。

 

 小一時間、猿は海の向こうの魔物と交渉していた。

「三日後に品物は送るそうです。面白いコネクションが出来ましたよ」

 猿は妙子に携帯を返してそう言った。

「これで、妙子に渡した金は必要経費だな」

「なに言ってんですかっ! 市価の何十倍の金ですよっ! 市価計算の分しか経費として認めませんっ!」

「えー、コネクションの挨拶料として、さあ」

「駄目です!」

 猿はこすいなあ。

「あの、あなた達は、何?」

 俺は妙子の頭をぐりぐりと撫でた。

「知らない方が良い、知ると死ぬよ」

「何いってんの、ひょうちゃんったら。ははは……」

「死にますよ」

 こら、猿、怖い目で妙子をびびらせんなよ。

 

 新潟から三人で帰った。

 ま、市価の範囲とは言えお金が少し戻った。

 俺は妙子を着替えさせて、レストランで食事をして、マンションに帰って生殖に励んだ。

 気持ちが良かった。

 

 

 三日後にお隣の国製の武器が送られてきた。

 倉庫で点検する。

「ああ、李さん頑張ったみたいですね、良い品物だ」

「李さんていうんだ」

「虎の変化らしいですよ。あっちの夜の世界も大変らしくてね」

「良いコネが出来てよかったな」

 共産主義下の魔物はどんな生活してるんだろうかね。

「どんな感じの計画なんですか?」

「そんな難しい事はしない。小者で誘って地雷原に追い込んで、グレネードランチャーでぶっ飛ばす」

「あはは、大事ですね」

「狙撃が駄目なら、罠で行くって事さ。囮の小物だが、調達できるか?」

「茅野の新兵を当てましょう」

 死にに行くような兵だが、まあ、しかたがない。戦いに犠牲は付きものだ。

「一撃で死なないように甲冑を着せておいてくれ、逃げる方向に地雷を設置する」

「犬子が超感覚で踏まなかったら?」

「さぶちゃんの話だと微かな気で感知してるんだと思う。地雷は気を出さないから踏む可能性は高い」

「ふむ。まあ、飛び越えられたら、格闘戦で地雷原に投げこんじゃえば良いですしね」

「俺は地雷原の外に居て、グレネードを犬子の足元にぶち込む。だから榴弾ランチャーなんだ」

「面で巻き込むわけですね」

「それでもまだ犬子が立っていたら、俺が地雷原に飛び込み格闘戦だ」

「ふむ、配置を記憶できますか?」

「まかせろ」

 なんとなく昔のプロレスラーの有刺鉄線バリケードマット地雷爆破デスマッチを思いだした。

 どんな度胸がある奴でも地雷原の中では自由に動けまい。

 犬子の足運びを殺せれば、俺が有利だ。

「勝てますか?」

「90%ぐらいかな」

「10%不安が残りますか?」

「犬子の正体が解らないからなあ。これが犬神とかだったら100%倒せると言えるが」

「わかりました、準備をしましょう」

「勝ったら後金をよろしくな」

「今度は妙子さんにむしられないでください」

 解ってる、そうそう隣の国の偉大なる首領さまに献金してはいられない。

 

 作戦地は茅野家のプライベートビーチと決まった。

 なんつうか、上級魔物は良い暮らししてやがるなあ。

 とか思いつつ、おれは隣の国製の対人地雷を汗水流して設置した。

 後で解除もしておかなきゃならないから位置を覚えておかなければ。

 匂いや光で目印をつけようかなとも思ったが、犬子に見透かされそうなので止めた。

 スコップで穴を掘り、地雷を設置。起爆スイッチを押す。

 一日かけて地雷原が完成した。

 猿は市役所に当日映画の撮影をしますと書類を提出したそうだ。

 ここは私有地だし、人は入って来ないので爆発音がしても大丈夫だろう。

 グレネードは単発式、RPG7と言われる物だ。

 李さんは三本送ってくれた。

 とりあえず俺の立ち位置の近くに置いておいた。

 魔物が軍用兵器? とか言われそうだが、いやいや、効果があるなら何でも使うぜ俺たちは。

 

 地勢を見る。

 犬子が入ってくる地点から左側は崖になっていて、反対側は海だ。

 小者たちには地雷の事を知らせていない。

 俺の位置だけ知らせてある。

 恐怖に駆られれば、必ず俺の近くに来ようとする。

 五人の小者は全員死ぬだろう。

 胸の痛い事だが、仕事だからしかたがない。

 海の中には小刀の海童を五人配置した。傭兵さんだ。

 崖の上にはAKを持った茅野の兵。それと地雷。

 小路の出口にはクレイモア対人地雷を仕掛けた。これはリモコン式。戻ろうとしたらドカンとやる。

 さぶちゃんが元気なら、この上に高々度狙撃を重ねたい所だが、奴は病院だ。

 他に狙撃手の手持ちが無いのであきらめる。

 

 作業を終えて一息付いていたら、着物の典雅な娘さんが、てててとやって来た。

 って、地雷原に近づくんじゃねえっ!!

「止まれっ!! 馬鹿っ!!」

「はい?」

 娘さんは止まった。

 はあ、寿命が縮まるよ。

 俺は地雷原を抜けて娘さんの前に出て、襟首を掴んで危なくない所までぶらんとぶら下げて持って行った。

「あらあら」

「いや、危ねえからよ」

「何やってんだ、貴様ー!!」

 猿がやって来て俺を怒鳴った。

「姫様を下ろせ馬鹿っ!!」

「あらら、姫さまだったか」

 俺は丁寧に姫様を下ろした。

「大丈夫です猿。びっくりしましたけど」

「わるかったね」

「貴様っ!! そんな謝り方があるかーっ!」

 猿が切れてますよ。

「猿こそ、ここは危ないって伝えてないのか?」

「いえいえ、猿に聞きましたけど、忘れてましたわ」

 ころころと姫様は笑った。

 上級種は浮世離れしてんなあ。

 猿が土下座した。

「姫様おゆるしください、このでくの坊が大変なご無礼を」

「いいんですのよ、猿。傭兵の方ですし。気にしてませんわ」

「そりゃありがとう、それでなんですか?」

 俺も貴人相手なんで言葉が丁重になった。

「お茶をご用意しましたわ。一緒にいかがですか?」

 姫様に手を引っぱられて行くと、屋敷の離れにあるサンルームに通された。

 俺、土だらけなんだけど。

 と思ったらメイドさんがやって来てブラシで埃を落としてくれた。

 どーもどーも。

 猿がサンルームの戸口で正座していた。

「猿は飲まないのか」

「馬鹿な、俺は使用人だ」

「いらっしゃいよ」

「めっそうもないっ!」

「お前は時代劇の人間か」

 時代錯誤な猿はほっといて、俺は良い匂いのする紅茶を飲んだ。うめー。

「いつもうちの猿がご迷惑をおかけしておりまして」

「いやあ、こちらこそ猿には世話になってますよ」

「猿はいつも兵藤さん兵藤さんって、噂しておりますのよ、一度お目に掛かりたくて、ご無礼をいたしました」

「いやいや」

 猿のやつ、何を姫さんに吹き込んでるのやら。

「兵藤さんは牛の変化さんですか?」

「いえ」

「では、熊さん?」

「いえいえ、豹です。南米のピューマ憑き男ですよ」

「まあ、外国の魔物さんでしたの」

「オヤジは米軍にいた魔物でしてね、沖縄でお袋と恋仲になって、俺が生まれました。里人出なんですよ」

「まあそうでしたの、ロマンチックですわねえ」

 姫様はにっこり笑った。

 まあ、おふくろはパンパンだったのだが、そいつは黙っているのが吉だな。

「どうか、お兄様を殺した憎い憎い犬の子をこらしめてやってくださいね」

「解りました、まかせておいてください」

 俺はにこやかに笑った。

 ま、上級種を怒らせた所でなんの得もないしな。

 紅茶を飲み終わったので姫様に礼を言って俺はサンルームを出た。

 猿が俺の後を付いてきた。

「あー、偉い人と話すのは疲れる」

「失礼ですよ、兵藤さん」

「気さくな姫様だなあ」

「ほっとけないんですよ。あぶなかっしくて」

「彼女が家を継ぐのかい?」

「そうですね、若様が死にましたから、どこからか婿を取って継ぐ事になります」

 大丈夫かねえ、茅野家は。

「良い家臣が沢山いますから、大丈夫です」

「顔に出てたかい?」

「兵藤さんは特別読みやすいですから」

「犬子が死ぬ所が見たいとか言い出さないだろうな」

「絶対に止めます」

「それが良い、万が一、犬子が姫様を襲ったりしたら、切腹じゃすまないぜ」

「あの」

「なんだい?」

「さっきは怒鳴ったりしてすいません」

 猿は頭を下げた。

 姫様を猫の子のように吊してた時の事を謝ってるらしい。

「いいさ、気にすんな、らしくもねえ」

「ありがとうございます」

 猿は律儀だよなあ。エグイ策謀とか組む癖に。

 

 妙子の泊まってるホテルで飯を食い、酒を飲み、メイクラブ。

 偉大な首領様の次に好きとか言われた。なんだか喜んでいいやらわるいやら。

 妙子を抱きながら思う。

 今頃、猿の組んだ陰謀が、犬子を茅野家のビーチに追い込みつつあるはずだ。

 中央にも猿みたいな奴は居て、割と話が通るらしい。あっちの陰謀を通したり、止めたりと、まあ、アレだ、策士系のやつらにも、燃えるライバル関係な友情があるんだろう。

 犬子の隊がこのビーチに攻撃をしかける事になるらしい。

 だが、明日、犬子が来ても誰も居ない。

 隊長が中止命令を出したからだ。

 その命令が、なぜか、犬子には通らなかった。

 そう言うことになるらしい。

 気になる事を、夕食の席で聞いた。

「犬子は殺し癖があって、それで嫌われているらしいです。あと、他になにかヤナ癖があるとか」

 ま、どってことない。

 相手がどんな狂犬だろうと、善人だろうと、俺は仕事をするだけだ。

 境遇が似ているから、今の犬子の孤独が俺には良くわかる。

 心が荒れてるんだろう。

 俺もずっとそうだった。

 だが関係ねえ。

 仕事だしな。

 

 

 一夜明けて、俺は妙子の泊まっている部屋から出る。

 快晴。良い感じだ。

 大仕事前のピリピリした雰囲気が心地良い。

 海を見ながら歩く。

 海童さんたちが挨拶をしてくれる。変態しないと季節はずれの海水浴客だな。

 茅野家の兵隊さんたちも集合。

 元気にご挨拶。

 新兵さんは死ぬのが仕事だ。

「兵藤さんですね、一緒に戦えるなんて、光栄です」

 うわ。

「お噂はかねがね。俺のあこがれです」

 ひゃあ。

 顔はニコニコしているが、胸が潰れそうだな。

 なんとかしてくれ、猿。

 猿がやって来て、新兵さんを持ち場に散らした。

 危うく泣いちゃう所だよ。泣かないけど。

「姫さんは居ないだろうな」

「ええ、見たいと言うのを本家に連絡して引きずって持って行ってもらいました」

 わがまま姫だな。

 犬子と同じ年ぐらいなのになあ。

 かたや上級種で、かたやかちこみ屋だ。

 運命は不公平だよね。

「犬子は?」

「時間通り動いてます」

「よし、あとは待ちだ」

 俺はキャンバスの折りたたみ椅子に座った。

 グレネードランチャーの位置を確認。

 覚えている地雷の位置を暗誦。

 新兵の位置を確認。

 猿が音もなく去っていく。

 俺は飲み物も食べ物も口にしない。

 速度が落ちるからね。

 気持ちだけをくるくると空転させて、テンションを上げていく。

 まず、無傷で勝てる。

 だが、戦闘はやってみないと解らない。

 遠く新兵の一人の肩がブルブルと震えるのを見た。

 

 わあっと、新兵のいる辺りで声がした。

 来た。

 時間ちょうど。

 真っ黒な影が新兵の一人を引き裂いた。

 咆哮が青空に溶ける。

 赤い赤い血が飛ぶ。

 新兵どもは何とか戦おうとしている。

 育てば強くなる奴だっているのによ。

 もったいねえ。

 俺は立ち上がる。

 そろそろだ。

 二人殺されれば、三人の新兵の士気は消えてしまう。

 パニックに襲われる。

 そんなとき奴らが頼るのはあこがれの兵藤さんだ。

 二人、悲鳴を上げてこちらへ走ってくる。

 地雷原の入口近くの地雷には旗が立ててある。

 あ、一人、後ずさりして後退してくる奴が居る。

 くそ、頑張らなくて良い。

 やべえ、猿の馬鹿、なんでそこそこ腕の立つ奴を混ぜるんだ。

……リアル感を出すためだ。

 弱虫五人組ではあまりに嘘くさすぎる。

 だから、一名、腕の立つ奴を混ぜる。

 ザンと砂煙が舞って腕の立つ奴が倒れた。

 すまん。

 弱虫二人は掛けてくる。

 俺に助けてくれって言いながら、駆けてくる。

 犬子はその背を追う。

 よし、良い感じ。

 右手の新兵が轟音と共に吹っ飛んだ。

 左手の新兵が信じられないという顔で止まった。

 俺はグレネードを持ち上げる。

 犬子が左手の新兵の後ろに着地する。

 嘘ですよねという顔で新兵が泣き顔を俺に向ける。

 俺はためらわずグレネードの引き金を引く。

 ……すまん。

 ロケット弾は急速に速度を増し、新兵と犬子の元へ飛ぶ。

 轟音。

 黒い影が煙を突き抜けて飛ぶ。

 榴弾だから何発かは食らってるはずだ。

 俺は二本目のグレネードを構える。

 着地点を目で追う。

 発射。

 オレンジの火をまき散らしながらロケットが飛ぶ。

 爆発、轟音。

 もう一本グレネードを構える。

 爆炎の中犬子は見えない。

 動いた。と思った瞬間、黒い影の下で爆発が起こる。

 犬子は背面に飛び上がり体を丸めて地雷の爆炎を避ける。

 なんてえ反射神経だ。

 だが。

 最後のグレネードを着地予想地点へぶち込み、グレネードを捨てる。

 地雷原に走る。

 もうもうとした煙。

 よろよろと黒い影は動いている。

 よしっ!

 遠吠えが聞こえた。

 切ないような遠吠え。

 小さい気が幾つもこの場へ寄ってくるのが気配でわかる。

 何だ? 犬? 犬操り?

 どーんと遠くで地雷が破裂する。

 犬で地雷を掃除しようってか!

 俺は煙の中に入る。

 そして、変態する。

 体中に力がみなぎる。

 ぶかぶかのつなぎがパンパンになる。

 真っ黒な手。真っ黒な胸。

 豹の鼻が視界の半分を遮る。

 聴力が上がる。

 視力が僅かに下がる。

 火薬の匂いが鼻につく。

 強力な魔物の気配が煙の向こうでした。

 小さい気配は俺の気配を感じて逃げ去った。

 

 轟と海風が吹いて、煙が一瞬で消えた。

 前方に犬子がいた。

 背を丸めて、ファイティングポーズを取っていた。

 驚愕した。

 驚愕した。

 犬子は微塵も傷を負っていなかった。

 馬鹿な、何発か食らったのは視認したぜ!

 あれ?

 犬子の体表の模様が変わってないか?

 さっきはブチなんか無かった気がするが。

 俺の一瞬の隙をついて、犬子のフックが襲ってきた。

 すっげえ速い。

 ぎりぎりスエーバックで避ける。

 しょうがねえなあっ!

 どつきあいだ!

 行くぜ、犬の子っ!

 俺は笑っていた。

 パンチを繰り出す。

 避ける。

 キックを受ける。

 すげえ、地雷を気にもしてねえぜ。犬子。

 と言うか、犬の死骸、新兵の死骸、木の欠片、安全な場所をとびとびに跳んでいた。

 そして、攻める攻める攻める。

 荒削りだけど、熱い闘志の吹き出る攻撃がガンガン来る。

 くそ、ケチ爺さんめ、最後に凄いの作りやがって。

 俺の攻撃も当たり外れ、当たり、避けられ。当てられ、避け、当てて来たのを投げ技、切り返し、回し蹴り、噛みつき、頭突き。

 ああ、久々だな、こんな全力で戦うのは。

 かぎ爪を伸ばし、間合いを狂わせ、蹴りを交わし、膝を胸に受け、衝撃で血を吐き、太股をかぎ爪で切りあげる。

 あー、強ええ、強ええ。

 お前は強ええよ、犬子。

 旋回し、捻り、外され、切り裂かれ、打ち抜く。

 牙が折れ、耳を切り裂き、目の上を掠る。

 一発一発が必殺。

 どっちかが良いのを入れたら、それで終わり。

 足払い、地雷に落とす。爆発しやがれ。トンボを切られてかわされる。

 犬子が笑っていた。

 表情の読みにくい犬の顔を歪ませて笑っていた。

 ああ、楽しいな、犬子。

 俺はよ、一目見たときから、お前に惚れてたんだぜ。

 まったくスゲエ楽しい。

 くそ、さぶちゃんが居たらなあ。

 犬子が地雷の位置を読み始めた。

 こちらがそちらに詰めようとした動きを読みやがる。

 なんてセンスだ。

 天才だな、お前は。

 さらに、俺を地雷に突っ込ませようと動く。

 あはは。

 良いぜー。スゲエや。

 くそ、良いのをもらっちまった。

 やり返す。

 お、深く入った。

 くそ、まだ倒れねえのかよ。

 痛てえ、痛てえ。

 くそくそくそ。

 死ね死ね死ね。

 犬子が肩で息をしはじめた。

 俺も肩で息をしている。

 間合いが離れた。

 にらみ合う。

 お互い血だるま。

 傷の数は、えーと、まあ、どっこいだな。

 半分ぐらいの地雷の位置は覚えられた。

 もう、偶然の起爆を期待するしかねえ。

 本当にとんとん。

 あ、そうか、もしかしたら。

 犬子は、上級種のアレか?

 ま、いい。

 もう関係ねえ。

 殴り合うだけだ。

 関係ねえ。

 俺は吠える。

 犬子も吠える。

 接敵。

 砂埃が舞う。

 俺の手が車輪のように舞う。

 犬子の手刀が真剣のように閃く。

 死闘、死闘、死闘。

 ぶつけ合い、ぶつかり合い。

 しめた! 良いのが入った。

 犬子の肩口を俺のかぎ爪が深くえぐった。

 このままー!!

 俺は踏み込み、必殺の突きを放つ。

 当たれば地雷に落とせるっ!

 犬子の腰が沈んだ。

 手が複雑なカーブを描く。

 あ、畜生っ!

 投げ技っ!

 俺は空中に居た。

 着地点に地雷がっ!

 地面に叩きつけられ、カッと腰の当たりが熱くなり、爆発音が響いた。

 俺と犬子は吹き飛ばされた。

 畜生、犬子の落ちる所に地雷がありますよーに!!

 ごろごろと俺は転がった。

 立つ!

 くっ!

 足がうごかねえっ!

 黒い影が恐ろしい勢いで体の上を飛びぬいた時、俺の両肩が砕かれていた。

 

 犬子は変態も解かないで、ゼイゼイと嫌な音を立てて息を吐いていた。

 負けたかー。

 ギリギリだったなあ。

 犬子が変態を解いた。

 ボロ布のようになった少女がこちらを見ていた。

 俺の変態も解けた。

 痛みが全身を駆けめぐった。

「とどめ、さしてくれよ」

「う、うん。その、ちょっとまって」

 犬子ははあはあと息を吐いた。

「変態しろよ、その姿だと辛いぜ」

「で、でも話、したい、わたし」

「話してたじゃないか、さっきさ、体で」

 犬子が泣きそうな顔をした。

 ああ、まだ子供なんだなあと俺は思った。

「凄く強かったよ、おじさん」

「そんな事言いたかったのか」

「う、うん、楽しかったから」

「楽しかったな。犬子」

「さよなら、ありがとう」

 そう言うと犬子は手だけを変態させて、俺の喉に当てた。

 涙がぽろぽろこぼれていた。

「泣いちゃだめだ」

「うん」

 犬子の手がぐいっと引かれ、俺の喉が熱くなった。

 

 犬子の泣き顔と空が見えた。

 青い青い空だった。

 

 さよなら、犬子。

 さよなら、猿。

 

 

 波が押し寄せていた。

 日の光が反射して、犬子に頭を抱かれた兵藤さんがシルエットになっていた。

 犬子が一息で飛びかかれない間合いに立って、僕はそれを眺めていた。

 ああ、兵藤さんが負けるなんてなあ。

 兵藤さんは死んでも大きかった。

 胸が空っぽになった気がした。

 あ、そうか、凄く大事な人だったんだなあ。

 失って初めて僕は解った。

「なに?」

 犬子が嫌な目で僕を睨みそう言った。

「親友に別れをつげているんですよ」

「そう……」

 悲しいなあ。

 ああ、やだな、泣いてるよ。僕は。

 兵藤さんが好きだったんだよなあ。

 おおらかで、やさしくて。

「……お前が策を張ってたやつ?」

「そうです。全部外されましたね」

 犬子は下を向いた。

「あのさ……」

「はい」

「私を、呼んでいいよ、電話とかで、行くから」

「はい?」

 中央を裏切るっていうのか?

「お前、私のせいで沢山失敗して、困るだろ。そしたら、呼んでいい」

「……」

 僕の胸に怒りが赤く沸き上がった。

「何言ってるんですか、ふざけないでください」

「でも……」

「私たちは敵ですよ。あなたを殺そうとしたんですよ」

「でも……。その。楽しかったから……」

 馬鹿な。

 糞っ!

 餓鬼めっ!!

「楽しかったから哀れむんですかっ! 何様ですかあなたはっ!!」

「ち、ちがう、そうじゃない、そうじゃなくて……」

 犬子は傷ついたような表情を浮かべた。

「お前達は敵だけど、その、すごい強くて、やばかったけど。でもなんか、なんだろう。絆、じゃない。友情、じゃなくてその。なんか、なんか凄く近しい感じというか。味方よりなんか……。なんか……」

「勘違いですよ、そう思いこんでるだけです。交流が起こった気になってるだけです」

「そうなの……かな」

「兵藤さんが聞いたら怒りますよ。そういうなれ合い嫌いでしたし」

「兵藤っていうのか。そうか……」

 犬子の手が優しく兵藤さんの頬を撫でた。

「凄く強かったなあ……」

 ああ、これは。

 子供なんだ。

 大きな力を得て、思う存分使いたいだけの。

 子供なんだ。

「あなたは強い相手と戦いたいだけなんですね」

 犬子がこちらをハッとして見た。

「茅野の若様も強そうだから殺しちゃったんですね」

「い、一対一だった。卑怯な真似はしてない。あの鳳凰も強かったよ」

 上級種を一対一で倒したんですかっ!

 なんて才能だ。

 ふいに気がついた。

 ああ、この子は兵藤さんの子供の頃なんだ。

 あの人も昔は凄い荒れ方をしてて、だんだんと丸くなったって聞いていた。

 そうか……。

 

「中央と紛争してる組織で、一番強い魔物がいる所を教えてあげましょうか」

 犬子が全身をびくりと震わせた。

 ああ、そうだ、あそこにぶつけてやれ。茅野家と付き合いも無いし。

 この戦闘狂をぶつけてやれ。

「魚山市に剣鬼って魔物が居ます。兵藤さんクラスがごろごろしていますよ」

 あの武闘派集団にぶつければ良い。

 あそこに行って殺されれてしまえばいい。

 犬子の目がギラギラ光っていた。

「志願してみなさい。じゃあ」

 僕は犬子に背を向けた。

「あの……。本当に困ったら、電話、して、いいよ」

「何言ってるんですか。魚山市に殴り込んで殺されてください。あなたの存在は迷惑なんですよ」

「うん。そうだね……」

「もしも魚山から生きて帰ったら、また私が狙いますからね、覚悟しててください」

「うん、待ってる……」

「では」

「お前、名前は?」

「猿」

「お、お父さんに会わせてくれてありがとう。……猿」

 何言ってるんですか、あれは策ですよ策。

 僕は聞いて居られなくて、一歩進んだ。

 背後で風の鳴る音がした。

 振り替えると犬子は居なかった。

 兵藤さんの死体だけが、ぽつんと浜辺に残されていた。

 空を見上げた。

 溜息をつく。

「若様さえ……」

 僕は無意識に歯を食いしばった。

 兵藤さんと犬子と僕で新しい組織を作って。

 それは凄く楽しかっただろうなあ。

 いや……、考えてもしかたがない無い事だ。

 もう兵藤さんは居ないんだ。

 胸がきりきりと痛んだ。

 涙がまたこぼれた。

 僕は一人で屋敷に向けて歩き出した。

 

(了)

 

説明
また犬子先生が大きくて熱いものをぶち込まれたり。

『帰る場所』の裏面にあたります。
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タグ
伝奇 バイオレンス 残酷描写 創作 狗張子 

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