真・恋姫無双 〜美麗縦横、新説演義〜 第二章 彼願蒼奏 第八話
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真・恋姫無双 〜美麗縦横、新説演義〜 第二章 彼願蒼奏

 

第八話 絶望

 

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天水を制圧した曹魏は、高々と『司馬』の二文字が彫られた牙門旗を掲げた。

 

それが何を意味するのか。

末端の兵士はおろか、部隊長格の者ですら、それを知るのは後の事である。

 

 

 

 

 

『貴方にお礼と、あの日の答えをもう一度伝える為に、この度筆を執りました』

 

 

月と詠に宛がわれていた私室。

その床に転がっていた書簡は、その言葉から始まっていた。

 

 

『あの日、貴方は私に問いかけました。真に死すべき咎人は、この天下にどれだけいる?と。

 

けれど私は、私の答えはやはりあの日と今でも変わりません。

 

この天下に、死すべき人なんていない。

死ぬ事に、そもそも意味はない。

 

それが、私の答えです。

 

死ぬ事に意味はなくて、それはただの逃げなんだって知ったんです。

 

だから私は、董卓でも月でもない、他の誰でもないただ私として生きる事を……戦う事を決めたんです。

 

あの日、貴方の問いかけがなかったら、私は都を落ち延びてから、何処かで命を絶っていたでしょう。

それを止めさせたのは、一番大事な友達である詠ちゃんの説得と、貴方の言葉があったからです。

 

……御免なさい。覚えてもいない事をこんなに長々と書き連ねて、やっぱり御迷惑ですよね?

だけど、やはりどうしてもこの感謝の思いだけは伝えておきたかったんです』

 

 

カタン、と書簡が手から滑り落ちる音が響く。

 

歪な表情を浮かべ、両の眼から大粒の涙を零し、司馬懿は自らを嘲笑った。

 

 

どうして牢獄で会った時に気づいてやれなかったのか。

どうして茶房で問いかけられた時に思いだせなかったのか。

どうして最初に会った時に深く考えなかったのか。

 

 

幾度悔やんでも、今更。

そうは理解していても、それでも彼の頬を伝う涙は止まろうとはしない。

 

 

『あの日、そして今日。

 

貴方に会えて、本当に良かったです―――』

 

 

失ってしまった。

本当に、もう二度と取り返しのつかない所に、彼女を。

 

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「月…………ゆ、え……ッ!」

 

 

今この瞬間に、この首を刎ねてしまえばどれ程楽か。

心の臓を貫き、肺腑をえぐり出してしまう方が、余程痛みを感じないのではないか。

 

後悔に苛まれるこの身の全てが憎い。

結局、何も守れないこの命が憎い。

 

 

 

愛していた訳ではない。

誰かを―――彼女を愛する資格など、僕にはないのだから。

 

許しを請う訳ではない。

許されざる罪を幾つも重ね続けたこの身に、最早贖罪の価値などないのだから。

 

 

断罪を渇望した。

滅殺を渇望した。

 

この身の一片に至るまでを否定し、拒絶し、消し去ってくれる存在の登場を渇望した。

 

 

 

 

 

―――そうして、再び僕の脳髄を破壊するかの様な激痛が奔った。

 

 

「ッ……ア、ッ……!!」

 

 

苦悶に表情を歪ませ――――――けれど、いっそこの痛みが僕を破壊してくれればいいとさえ思った。

 

それこそが証拠。

僕が咎人である、厳然とした真実。

 

壊してくれ。

殺してくれ。

 

そう希う様にして、痛みに身を任せようとした視界の端に―――『彼』の姿を垣間見た。

 

瞬間、それまでとは比べ物にならない痛みが全身を襲う。

 

 

「ッ!?あ、ガッ……ァ!!」

 

 

一時でも気を緩めれば吹き飛んでしまいそうになる意識を――罪の証として――繋ぎとめ、僕の終焉を導くであろう『彼』が歩み寄るのを、霞む視界の中でどうにか捉える。

 

 

「ッ……ウ、クッ…………!!」

 

 

一歩一歩、彼の闊歩する足音が厭に耳に響く。

 

鈍い金属音と共に、スウッと何かが此方に伸びる音が聞こえた。

 

 

(フフッ…………ようや、く……終わる)

 

 

間もなく訪れるであろうこの命の終端に――激痛の中にありながら――酷く喜悦に溢れた笑みが零れた。

 

 

さぁ、早くこの存在を切り裂いてくれ。

 

 

そう強請る様に彼に視線を向け―――瞬間、遠雷が轟音と共に煌々と光る。

 

それに照らされた彼の顔を見た刹那――――――

 

 

「―――ァ、ア!?」

 

 

驚愕よりも遥かに早く。

僕の意識は弾かれた。

 

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この身が名前というモノを失ってから、どれだけの時間が過ぎ去っただろう。

 

後悔の積念に縁取られた様なこの存在が、何時からか、遥か昔から愛しいと感じ続け、その理想を叶えて欲しいと願い続けた少女を陰ながらに支える為にあるのだと知った。

 

 

そこには、俺ではない『俺』が居て。

俺以外の『俺』に笑顔を向ける彼女が居て。

 

 

けれど、そこに何かを感じるという心さえ、悠久の歳月は奪っていた。

 

 

 

 

 

異変を感じたのは、何時だったか。

 

何度目かも忘れてしまったその世界に、そいつは現れた。

 

 

始めは、彼女の夢を支える為に。

やがて、彼女の夢を奪う為に。

 

 

彼女と相容れぬそいつは、何時か反旗を翻す為に存在していた。

 

共に戦い続ける、という世界も存在した。

だが結局は、彼女亡き後にその牙をむき、永劫の平穏を願った彼女の理想をも潰した。

 

 

 

殺してしまえたのならば、どれ程楽だったか。

 

俺ではない『俺』が友と呼ぶそいつを、俺ではない『俺』を友と呼ぶそいつを殺す事が叶うのなら、どれ程楽だったか。

 

周囲に『温い』『甘い』と散々言われ続けた自身の性情が、この時ばかりは笑えた。

 

 

 

 

 

だから俺は『賭け』をした。

 

 

彼が踏み止まれる選択肢を選ぶか否か。

狂気に囚われぬ道を選べるか否か。

 

僅かばかりの可能性を、信じてみたかったんだ。

 

叶う事なら、彼を殺したくない。

そんな俺のささやかな願いさえ―――しかし世界は、許そうとはしなかった。

 

 

 

 

 

五丈原に諸葛亮が没した。

帝都の戦いで董卓が業火に消えた。

諫言を疎まれ程cが暗殺された。

 

 

数多の戦に、幾多の命が散っていく。

敵も味方もなく、皆一様に散り行く。

 

そんな地獄に、己が過去の絶望すら振り払えない彼がどうして抗えるだろうか?

 

 

才があると謳われながら誰一人守れず。

智に長けていながら何一つ上手く往かず。

 

摩耗し、擦り切れたその精神は崩落し、やがて破滅を望み始めた。

 

 

 

時勢は揺れ動き、有無を言わせず彼は前線へと駆り出される。

 

その知略で、策略で、幾つもの命を駒の様に操る事を望まれ、

『国』という柵(しがらみ)に囚われ、抜けだせぬ蟻地獄で徒に弄ばれ、

 

 

「――――――やはり、君だったか。一刀」

 

 

その災禍の果てに、彼は目醒めた。

 

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考えれば、幾らでも思い当たる節はあった。

 

どうして僕の字を綺麗に発音出来たのか?

どうして僕の性情を知った様な行動を取ったのか?

 

 

そう。

よくよく考えてみれば、直ぐにでも思い当たりそうな答えだったのだ。

 

だが、それは同時にありえない答えでもあった。

 

 

 

「『君』が、もう一人いるとは思わなかったよ」

 

 

天の御遣い。

 

それがたった一人であると、一体誰が言った?

それが同じ人間でないと、何処で定義された?

 

あまりにも現実味のない事実は、しかし今この瞬間に、厳然たる事実として僕の前に姿形を成して現れた。

 

 

「北郷一刀」

 

 

黒騎士―――北郷一刀は、僕が知る『彼』より余程逞しく思える顔立ちを鋭くして、腰に下げた長刀の切っ先を向けた。

 

 

「『君』は……どの世界の『彼』なんだろうね?」

「…………全部、思いだしたのか」

「残滓を拾い集めて、歪なりに形が成された……と、言った方が正しいだろうな」

 

 

僅かばかり、彼の表情が歪む。

それが酷く愉快に思えて、僕は口の端を釣り上げた。

 

 

「輪廻転生……いや、『奴ら』は永劫回帰と言っていたな。その世界における魂魄は、次の外史においても共有されるものだと」

 

 

瞼の裏に、魂魄の記憶が蘇らせた一人の男。

眼鏡を掛け、僕より余程歪な笑みを湛えたそいつの、実に嬉々とした表情。

 

 

「『この世界の人間は、君という突端が生み出した『役者』であり、筋書きをなぞる為の存在でしかない。それでは『管理者』である自分達はつまらないから、一つのゲームをしよう』」

「『我々の創り出した『駒』と外史の突端である君が創り出した『役者』。そのどちらが生き残るか。『駒』の野望か、『役者』の理想か。最後に残るのは、果たしてどちらか』」

 

 

図らずも、彼の言葉が続いた。

 

 

「……フフフ、これ程のお笑い草があるか?結局『僕』という存在は、『司馬懿仲達』という魂魄は、奴らの余興の一環として生み出されただけなのだぞ?」

 

 

『管理者』達が愉しむ為だけに、ただその為だけの役割を与えられて。

 

 

「『司馬懿仲達。貴方の役目は、曹魏を内より滅ぼす事です。その為の筋書きは用意されています。精々我々を愉しませて下さい』……フフフ、クッ、アッハハハハハ!!!この身も!!名も!!全てが!!奴らの興の一つでしかないんだ!!」

 

 

幾多の外史において、幾つもの選択肢を選んだ筈なのに。

それらは全て、所詮は奴らの掌中の上で踊らされていただけの事で。

 

 

「その為だけに母は殺されたのか!?その為だけに私は一族を殺したのか!?復讐も、思慕も!!全てが偽りの、創られたものでしかないとでも嘲笑われるのか!?」

 

 

優しかった母を殺した一族を殺す為。

そう差し向けた者全てに復讐する為。

 

その為に為してきた全ては―――――所詮、筋書き通りの展開でしかなかったんだ。

 

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「嗚呼、実に滑稽だよ。滑稽過ぎて、最早笑いすら零れない程に愉快だ」

 

 

こんな記憶など、蘇らなければ良かった。

いっそ無知で、矮小な存在のままに歴史の闇に埋もれてしまえれば、どれ程楽か。

 

 

「だが僕はこの眼で見た。朱里の涙を。月の死を」

 

 

その時から、全ては始まってしまったのだろう。

 

止まる事のない運命と云う歯車は。

終わる事のない宿命と云う輪廻は。

 

 

「痛いな……実に痛い。繋がりを絶たれたこの痛みは、『君』にも分かるのかな?一刀」

 

 

繋がりを持ってしまったが故に。

温もりを知ってしまったが故に。

 

それを奪われた悲しみに、絶望に、怒りに苛まれ。

そうして、『僕』は『私』を、魂魄の底から呼び起こした。

 

 

 

 

 

「例え造り物でも、確かにそこに温もりはあった。喜びも、怒りも、哀しみも。あらゆる『人』としての要素が、そこにはあった」

 

 

口の端を釣り上げて、壊れた様な笑みを湛えながら。

その両の目からは大粒の涙を零し、彼は独白の様に呟く。

 

 

「教えてくれ、一刀。『僕』は『人間』なのか?それとも『駒』なのか?」

 

 

脆く、今にも崩れ落ちてしまいそうなその姿が、何処までも痛々しい。

 

 

「『管理者』達の興の一つとして生み出された『駒』としての命なら、どうして僕は君と友になれた?どうして朱里を想えた?どうして―――どうして誰かの死に、涙を流せた?」

「仲達……」

「殺してくれ……いっそ…………家畜の様に生き永らえるぐらいなら、いっそ僕の全てを奪って、この存在の全てを否定してくれ」

 

 

牙が、鈍る。

華琳の夢を、願いを奪う運命を背負った彼を此処で殺せなければ、彼女の理想はやがて潰される。

 

 

「頼む……一刀」

 

 

けど……殺せるのか?

俺に彼を―――『仲達』を、殺せるのか?

 

 

 

 

「……違う」

 

 

違う。

 

彼を殺す事で、確かに華琳の願いは叶うのかもしれない。

 

けれど彼を殺して、俺ではない『北郷一刀』が安らかにその平穏を甘受出来るか?

友人の死によって愛した人の願いが叶うからといって、『俺』はその友人を殺せるのか?

 

答えは否だ。

 

『北郷一刀』なら、その友人も、愛した人も、両方を助ける。

それがどんなに実現不可能に思えても、最後まで足掻き続ける。

 

それが俺であり、『北郷一刀』であり―――『天の御遣い』たる決意だから。

 

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「逃げるな。仲達」

「か、ずと……?」

「死に逃げるくらいなら、俺と共に来い」

 

 

純なる彼はそう言って、僕に手を差し伸べる。

穿つべき存在たる僕に、温もりを与えようとする。

 

 

「この世界を、外史をあいつらの好きにさせる必要なんてない。書き換えるんだ、この世界のシナリオを」

 

 

あまりにも強くて。

あまりにも眩しくて。

 

 

「お前の命は、存在はお前だけのモノだ。例えその身が創り物だとしても、その心は、感情は創り物なんかじゃない」

 

 

僕の存在を肯定してくれる。

僕の存在を認めてくれる。

 

 

「だから……殺してくれなんて言うなよ」

「一刀……かず、と……ッ!」

 

 

その温もりを求めて。

その繋がりを求めて。

 

僕は手を伸ばし――――――

 

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――――――貴方は、『駒』でしょう?

 

 

 

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牙を、突き立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガ、ァ……ッ!」

 

 

伸ばした筈の右手は彼の背を抱き込み。

床についていた筈の左手に手甲越しでぬめりとした感触が伝わる。

 

揺れる彼の髪先が酷くゆったりと見えて、

 

 

「か……ず、と?」

 

 

彼の背から、彼の身体を貫いて僕の左手が見える。

 

 

「……ア、ァ…………ッ、あぁ……!?」

 

 

喉に霧の栓が詰まったかの様に呼吸が苦しくなる。

全身の震えが激しくなり、止まらなくなる。

 

 

「う、そだ……」

 

 

崩れ落ちる彼の漆黒の鎧が視界の端に映る。

血飛沫があがり、床が、壁が血色に染まっていくのが見える。

 

 

「ア……ァッ、こんな…………こんな……!!」

 

 

ガチガチと歯が音を立てる。

 

開けた先、遥か天に暗雲が立ち込める。

 

 

「違う……違う、違う違う違う違うちがうちがうっ!!!こんなの、こんな事!!僕は望んでなんかいない!!」

 

 

また、なのか?

また僕は―――――――僕は!

 

           

 

 

 

「……ちゅ、た…………つ」

「ッ!?か、一刀!!」

 

 

微かに聞こえたその声音に、司馬懿は震える身体を必死に制して彼を抱き抱えた。

止めどなく溢れ出る血は床一杯に広がり、司馬懿の服に赤黒い染みが浸食する。

 

 

「一刀!?一刀!!待ってて、今すぐ典医を―――!!」

「いい、から……聞いて、くれない、か?」

 

 

司馬懿の服を掴み、痛みを堪えながら一刀は途切れ途切れになりそうになる言葉を必死に紡いだ。

 

 

「死ぬの、は……みんな、怖いん、だ。けど、怖くても……戦って、戦わ、され……ている……」

「もう喋らないでくれ!!これ以上喋ったら、本当にもう間に合わなくなる!!」

「だけ、ど……!」

 

 

グッと、司馬懿の襟元を掴んで一刀は力を振り絞った。

 

 

「死ぬ、い、じょうに……生きるの、は…………辛い、んだ」

「一刀……?」

「誰かを殺し、て……傷、つけて…………そうしな、きゃ、俺達は……『人』は、生きられない、から……」

 

 

外の轟音すら?き消えた様に静かな世界で、一刀の言葉は続く。

 

 

「けど…………それ以上に、いの、ちを奪う……乱世は……業は!終わらせなきゃ、いけない、んだ……!!」

「…………ああ、分かった。分かったよ一刀!だからもう喋らないで!!お願いだから、これ以上は―――!!」

「ちゅう、達……」

 

 

涙を零し必死に止めようとする司馬懿に。

 

僅かな笑みを浮かべて、

 

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「―――お前の、ダチでいられ、て……よかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その手は、酷く静かに床に落ちた。

 

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「かず、と……?」

 

 

零れ落ちた手を拾う様にして、司馬懿は問いかける。

 

 

「うそ、だろ……?いつもの悪ふざけなんだろ?なぁ……そうなんだろ?」

 

 

答えなど返ってくる筈がない。

心の何処かでそう理解しながらも、必死にそれを否定するかの様に何度も何度も問いかけた。

 

 

「起きろよ一刀。まだ寝るには早いんじゃないのか?僕に一緒に来てほしいんだろ?『しなりお』を書き換えに行くんだろ?なぁ…………なぁッ!!」

 

 

幾ら呼びかけても、彼はもう答えない。

 

それが、死。

 

そこに結び付いた瞬間、司馬懿の視界が急速に光を失っていった。

 

                  

 

 

 

 

 

一刀を――――――殺した?

 

僕、が?

 

―――違う!!

こんな事、僕の意思じゃない!!

 

そう否定したくても、彼の腹を貫いたのは違いなく僕の腕で。

 

 

 

――――――貴方は、『駒』でしょう?

 

 

 

あの『声』が聞こえた時、僅かに僕の意識は何かに塗りつぶされていた。

 

僕が『駒』だから?

だから―――彼と共にある事は、許されないとでも言うのか?

 

与えられた役目を果たす為だけにしか動く事を許されないのか?

異なる筋書きを歩む事は叶わないのか?

 

 

 

 

 

そう自問して――――――けれど。

 

 

『ちゅう、達……』

 

 

彼を殺したのは。

一刀を、『親友』を殺したのは、誰でもないこの僕だという事実に変わりなどない。

 

 

「フフ……クッ、フハハハハ」

 

 

そこに至った瞬間、僕の口から哂いが零れた。

 

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耐え様のない喪失感に、僕の胸中に去来したのは何だったのだろうか?

 

 

―――また、守れなかった。

 

 

無力な自分への嘲笑?

無様な自分への侮蔑?

 

『守る』という言葉の、本当の重み?

 

 

―――守りたくて、護りたくて。

 

 

魂魄の求めるままに泣き叫べたら、どれ程楽だったか。

生命の望むままに怒り狂えたら、どれ程楽だったか。

 

 

―――その温もりを失いたくなくて。

―――その優しさを残してほしくて。

 

 

なのに、なのに。

 

 

―――どうして僕の願いは、全て無に帰す?

―――どうして僕の願いは、いつも届かない?

 

 

何時だってこの世界は残酷で。

何時だってこの天下は残酷で。

 

無邪気に全てを与え、無慈悲に全てを奪う。

気まぐれに命を与え、気まぐれに命を奪う。

 

 

―――どうして?

 

 

そこに至り、一滴の何かが水面に波紋を広げた。

 

               

 

 

 

―――嗚呼、そうか。

 

 

願った『僕』が悪いんじゃない。

僕の『願い』が悪かったんだ。

 

 

―――真に罪深きは、願い。

―――真に罪深きは、世界。

 

 

この愚かで醜く、浅ましく煩わしい蒼天の全てが過ちなんだ。

 

 

「フフフ…………アハハ」

 

 

何だ、だったら簡単な事じゃないか。

 

こんな愚かな願いを持たざるを得なくした天下を。

何の罪もない者達のささやかな幸せすら奪わせる天下を。

 

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―――全て、コワシテシマエバイインダ。

 

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「フハハハ……アッハハハハハ!!」

 

 

雷鳴と豪雨が激しい音を立てる中にあって、その笑い声だけが響く。

 

肩を震わせ、嘲笑う様に司馬懿は哂いを零す。

 

ただただ壊れた様な笑い声だけを響かせて、膝をついたままに司馬懿は天を仰いだ。

 

 

 

 

 

その時、漸く全てを知った。

 

嘗て、僕が抱いた願いは。

僕が望んだ理想の全ては、糞の役にも立たないゴミ以下の存在でしかなかったという事に。

 

 

「ハハハハハハ!!アハハハハハ!!」

 

 

全ての人に笑顔を齎す天下?

誰一人泣かない、優しき桃源郷?

 

―――下らない、下らない!下らない下らない下らない下らないクダラナイクダラナイ!!!

 

 

「フハハハハ!!アッハハハハハ!!!」

 

 

何もかも、壊してしまえばいい。

 

奪わなければ望みも叶えられない様な覇王など。

己が理想だけで自己満足に浸る凡庸な仁君など。

ただ己に従う奴しか気にかけない江東の猫など。

 

 

そう。

誰一人、必要ないじゃないか。

 

今の天下を導く事しか能にない奴らなど、この私の上に立つ事は許さない。

ただ安息を求め、己が理想しか叶えようとしない輩なら、全て消してしまえ。

 

 

私は哂う。

ただ嗤う。

 

 

「アハハハハハ!!!ハッハハハハハ!!!」

 

 

雷鳴の中。

暗き雨の中。

 

血に染まる大地の上で。

愛おしき骸の傍らで。

 

 

「フフフ……クッ、アッハハハハハ!!!」

 

 

ただ一人、笑い続けた。

 

                   

説明
狂化司馬懿、遂に誕生です。
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