ゼラニウム
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 竹林の中に雨の音が木霊する。いつものこの時期になると胸が痛む。正確にはこの日なのだが。

 花束をひとつ持っていく。その花は質素ながらも綺麗な桃色と赤色が混ざった色だった。

 あいつにはぴったりの色だと私は思った。

 

 なぜ持っていくのかと問われれば、もちろん墓前に添えるために。どの人間からも好かれていて、人里では先生と呼ばれていた半獣半人の彼女の墓に。

「今じゃ私が先生って呼ばれてるんだよ?」

 お前が先生……いいじゃないか。満面の笑みを浮かべながら、そう言ってくれているような気がする。雨がしきりに降っているのにもかかわらず彼女は濡れることはなかった。水滴など彼女の前では、蒸発してしまっているのだから。

 慧音の墓は何故か綺麗にされていた。雨が流してくれたにしては不自然なほどに。落ち葉どころか、塵一つかぶっていない。

「…………まぁいっか……」

 先程摘んだばかりの花を置く。とある妖怪の協力者のおかげで、これだけ鮮やかなものを集めることができた。これを選んでくれたのもその協力者である。生け花のたしなみなんて私は詳しくなくて、教えてもらったのは非常にありがたい。

「会いに来たよ。慧音……元気だったかい?」

 答えてくれる声はない。静かに雨の音だけが竹を伝っている。それでも彼女は墓にいる友人に話しかける。

「人里には被害はないよ。これも慧音が皆を見ているからだね」

 慧音の希望で人里を一望できるところに墓を建てさせた。曰く、私が皆を見ているから心配するな。ということらしい。

 あれから一体何百年という月日が流れたのだろう。博麗の巫女は何代も代替わりして、幻想郷を幾年も管理している。残念なことと言えば、少し宴会が減ってしまったくらいか。

 白黒の魔法使いは姿を忽然と消していた。魔女になってまだ生きているのだろうか。それとも、人間として使命を全うしているのだろうか。

 人間と言えば、紅魔館のメイドもそうである。彼女はもういない。あれから何度かはお邪魔させてもらったが、あの門番がメイド長の任を担っているとはなかなかに笑わせてもらった。

 

 それでも心に穴が空いている気はする。歓喜という感情を与えてくれたのが慧音なら、悲哀というものを教えてくれたのも慧音だ。皮肉なものである。永久に生きるのが蓬莱人なら、死と言う別れの定めに抗うことなど一生を費やしても永遠にできないのだから。

 

「慧音……どうして先に行っちゃうんだよ…………」

 頬に雫が伝う。もう慣れたはずの空虚でやりきれない感情。方向性が漠然とした置場のない情動。彼女の肩を雨が濡らしていく。しっとりとした感触は徐々に彼女の頭を冷やしていく。

「ごめんな。取り乱したりして」

 息のない石を抱きしめる。わずかな抱擁。そしてその場から離れていく。雨はまだまだ降りやまない。全身が水に包まれているような気分だった。

「そんなぬれ鼠みたいな恰好して、何してんの?」

「……っ」

 声がする方を一瞥してすぐに身体をそむける。

「あんたも腑抜けになったわよね」

「それ以上言うなら許さない」

 上ずっている声。発声した自分が驚いている。

「私から逃げてるわけ?」

「そんなわけが……ないっ」

「嘘でしょう。久しぶりの出会いを無下にする気?」

 そう、久しく会っていない。ずっと逃げていた。慧音がいなくなったあの日から。一人で向かい合うことがもう怖くなっている。

「死にたい? 死ねないけどね」

 自嘲気味の笑い声が妹紅の心に刺さる。あぁ、そうだ。死にたくても、後を追いたくても追うことなんて出来ない。

「何も……なければよかったんだ…………」

 それは独白。誰かに向けて言った言葉ではなかった。だが、その言葉を聞いた彼女は激昂していた。

「ふざけるなぁっ!」

 頬に走る痛み。久々に味わうどろりとした鉄の味。口の中から紅い液体が流れて出してくる。

「あんたはそうやって、いつまでも逃げていくつもりなの!?」

 なにも答えることができない。答える術を持っていない。

「全てを無に帰すようなことを言うな! 意味がない? 会わなければよかった? そんな戯言!」

 妹紅は殴られた。何度も何度も。死ぬことさえも許されていない彼女はその痛みを、黙って受け入れるしかない。

「お前には従者がいるじゃないか……」

 ぽつりとつぶやいた一言。その言葉を聞いてハッと我に返り、殴ることを止めたお姫様。

「私には……いないんだよ」

 弱々しく言の葉を発していく。消えそうな灯のような笑顔。それが輝夜の心にチクリと刺さった。

 二つの影。マウントを取って拳を振り下ろすことのできない輝夜と、その拳を黙って見ている妹紅。すでに二人とも衣服が土まみれになっている。

 冷たい風が吹き抜け、妹紅が小さくくしゃみをした。

「くしゅん」

「風邪引くから……永遠亭にくればいい」

「私は……いいや。輝夜ごめんな」

「はいはい、何しおらしくなってるの。とっとと来なさい」

「おい、おまえ人の話を……」

「聞いてるからわかってるから歩きなさいー」

 強引に袖をひっぱられ、永遠亭に連行された妹紅だった。

 

 

「あー輝夜ごめん」

 少し顔が紅潮しているみたいだ。いや、きっとしている。顔から火が出そうだ。

「気にしてないわ。私も取りみだしちゃってごめんね」

 今は輝夜の十二単を着ている。平安のあの時代に戻ってしまったみたいだ。

「慧音の命日に喧嘩するだなんてらしくないな」

「いいえ、そっちのほうがらしいのよ」

「そうかもな」

 二人は顔を合わせればずっと喧嘩をしていた。その感情ももうない。死なない人間同士通じ合うものは少なからずあるのだ。

 縁側で今は二人並んで座っている。決して近すぎず遠すぎない距離。雨は既に止んでいる。満月がこっそりと雲の隙間から覗いていた。

「それじゃあ、久しぶりの再会を祝して乾杯」

「あぁ、乾杯……」

 酒を酌み交わす彼女たち。戦友水入らず。小さなことから大きなことまで、それこそ夜が明けるまで語りつくした。

「ありがとな。輝夜」

「はいはい。たまにはちゃんと顔だしなさいな」

「あ、お酒貰っていいか?」

「ふふ、いいわよ。行ってらっしゃい」

 

 永遠亭を出て、もう一度墓の前に行く。生前はよく一緒に飲んでいたお酒。久々に飲んだ気がする。

「慧音。一緒に飲もう」

 そう言って、墓石に酒を注いでいく。

「朝からこんなに飲ませるな!」

 突然後ろから大声で怒鳴られた。

「慧音っ!」

 後ろを振り返ってもそこには竹林しかなかった。けれども確かに声はしたんだ。優しい声。心に沁みついていたあの声は慧音以外あり得ないものだった。

「授業があるから……だね」

 くすりと笑う彼女。竹の間から太陽の光が差し込んでくる。

「今日はいい天気だ……じゃあね慧音」

 

 

 無二の親友にそう告げて、彼女は前へと走り出した。墓前は日の光に照らされて、輝き続け、村を見守っていた。

 

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