しあわせ坂の大石姉妹(5)
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 眼下の雲の切れ間から、アフリカ大陸北部の灯が見え隠れしている。

 旧式のジャイロスコープのように相対角度を検出することを目的に、軸方向と水平方向を示す紙吹雪をまとった直径二メートルほどの気泡カプセルの中に入った歩と栄利香は、概ね同高度、同速度で低軌道を周回するISSと略して呼ばれている国際宇宙ステーションを探していたが、容易には見つけ出せなかった。

 栄利香は、歩が数学のノートに描き出したISSを見直した。

 ISSは、進行方向に円筒形の与圧モジュールが列車のように連結しており、更に枝状にもモジュールが取りつけられている。これと直交して左右方向にトラスと呼ばれる太陽電池の他、ラジエーターなどの廃熱システム、姿勢制御のためのコントロールモーメントジャイロ、通信機器が装備され、直上から見ると、ナスカの鳥を描いた地上絵のようであった。

 一口に低軌道、と言ってもあまりに広大で、日本は午前中であるが、地球の裏側に回り込めば夜間で、一層、視認しづらい。

 これに加え、ISSも全く同一の周回軌道にあるわけではなく、最低高度二百七十八キロ、最高高度四百六十キロの範囲にある。通常の最大高度はソユーズ宇宙船とランデブー可能な四百二十五キロとなっている。

 更に、大気の抵抗と重力傾斜効果によって絶えず下降しており、毎年、数回ブースターによりブーストをかけている。

 これらの事情から、歩と栄利香が気づかぬうちにISSを追い越してしまっている可能性もあった。

 ISSとランデブーし、きぼう日本実験棟にスタッフとして参加している醍醐(だいご) 優(まさる)宇宙飛行士とビデオチャットで大気圏再突入の方法を教わる、というのが歩の計画であり、これを見事に成功させ、栄利香を地上へ送り届けることを、栄留那は期待しているのだった。

 仮に、このまま栄利香が創り出した気泡カプセルで地球の周回を繰り返していても、栄留那は連れ戻しにきてくれるだろうが、それではあまりに男子の面目が立たない。

 しかし、肝心要のISSとランデブーできないのであれば、歩は自分の面目よりも、栄利香の安全を優先させなければならない……ここまでか……歩がISSとのランデブーを断念しかけたそのとき、月の光が差し、くっきりと眼下に浮かぶISSを照らし出した。歩は思わず、

「あれがISSだ! 相対速度を合わせてくれ!」

 反射的に栄利香に声をかけたが、歩がノートに描いた絵が下手で、栄利香はISSがそれと解らなかった。また、相対速度という言葉の意味も理解できず、きょとんとしていると、歩は、

「あのデカいテレビアンテナみたいなののすぐ外側まで近づいて、同じ速さで飛んでくれ」

 栄利香にも解るように言い直した。

 栄利香はうなずくと、気泡カプセルはわずかに速度を落とし、高度を数キロ下げると、ISSの進行方向であるアメリカ側モジュールのすぐ外側へ移動し、貼りつけたように同じ速度で周回を始めた。歩は改めてCNWとしての栄利香の優れた能力に目を見張った。栄利香はISSを見渡すと、

「宇宙ステーションっていうから、大きなリングの形をしているのかと思った」

 古いSF映画を思い出して言った。

 ISSの基幹部であるモジュールは、直径四.四メートルで、これはスペースシャトルの貨物室であるペイロードに合わせたためであった。

 これが一列に連結され、翼のように太陽電池が設置されている。こうしたISSの体積は千二百立方メートル、重量四百十九トン、太陽電池を全開にしたときのいわゆる最大幅は百八.四メートル、進行方向である最大長は七十四メートルと、サッカー場ほどの大きさである。

 歩は、暫し、アメリカ側モジュールの一つにスペースシャトル六番機のホライズンがドッキングし、放熱のためにペイロードのハッチを全開にしている光景を目の当たりにすることができ、感激した。

 しかし、いつまでも見とれているわけにはいかず、ノート型パソコンを起動すると、ビデオチャットソフトを起ち上げた。

 きぼう日本実験棟内で醍醐宇宙飛行士が個人のパソコンでビデオチャットソフトを開いている偶然に期待していると、間もなく、歩のノート型パソコンのディスプレイに円筒形のきぼう内部が映し出された。醍醐が個人のパソコンでビデオチャットソフトを起動させたまま放置しているようだった。歩は、

「こちら、天馬 歩。醍醐宇宙飛行士、応答して下さい」

 すがりつく思いで繰り返した。こうしている間にもバッテリーは刻一刻と消費されている。誰もがミッションに集中しているのか、歩からアクセスがあることに気づかず、素どおりしていった。じわりと歩の額に汗がにじんだ。栄利香も不安そうにディスプレイをのぞき込んだ。

 きぼう棟内には、数名の乗組員がぴんっと張り詰めた空気の中で、寸刻を惜しむように観測や実験などのミッションに没頭している。

 しかし、誰もが軽装で、ふわふわと漂うように移動している。高度四百キロでの宇宙空間は無重力ではなく、地上で感じる重力の九割ははたらいている。ISSではモジュールを軸方向に回転させ、人工重力を創り出し、地球の重力を相殺している。これにより、無重力下での実験をおこなえる環境を得ているのだった。

 また、モジュール内は地上と同じ気圧を保っているほか、温度、湿度、成分が生命維持システムにより、調整されているため、軽装でミッションに当たることができる。

 ふと、日本人の乗組員の一人が、用箋ばさみにはさまれた書類にペンをはしらせながらちらりと目線を送ると、

「醍醐さん、家族からだ」

 歩を家族と勘違いし、こともなげに棟内に声をかけた。すぐに温厚そうな五十過ぎで濃紺の作業着姿の男が、歩のノート型パソコンのディスプレイに現れた。

 昨日、四度目のミッションのために、きぼうに着任したベテラン宇宙飛行士醍醐 優その人であった。

 醍醐は高校生のアベックがいたずらをしているのかと思い、柔和な顔の中で、目だけが厳しい光をたたえた。

「君たち、誰? いたずらは困るよ。第一、どうやって僕のパソコンにアクセスをしたの?」

「僕は天馬 歩といいます。覚えていませんか? 二年前の三度目のミッションのとき、横浜の中学生たちに、宇宙から授業をしてくれました。あのとき、僕のパソコンを使ったんです。その日から僕は、宇宙飛行士は無理でも宇宙開発に関連した仕事に就きたいと念願しています!」

 歩は醍醐に深い尊敬の念を抱いていることを伝えたが、醍醐本人は全く覚えていない様子で、二年前の授業のことには触れず、

「天馬君、君は、どこからアクセスしているの? 日本は今、平日の午前中のはずだね」

「きぼうのすぐ外からです。ISS各部に取りつけられている船外モニターで確認できます」

 歩が言うと、

「おい、本当だよ! 子供が二人、宇宙空間に浮いているぜ! しかも学生服姿だ!」

 ノート型パソコンのディスプレイに映し出されてはいないものの、醍醐のすぐ傍らで男の悲鳴のような声が上がった。

 醍醐も頭上にあるらしいモニターにちらりと目を遣ると、愕然とした。

 歩は低軌道に放り出されたいきさつを醍醐に伝えると、栄利香の手を引き、ノート型パソコンに搭載されている小型カメラの前に立たせ、

「この女子生徒は、とてつもない能力をもったCNWなんです。でも、その能力故に自分自身の全てに自信がもてず、いつもうつむいて歩いている。俺は今回の出来事をCNWが社会に認められる機会にしたいんです。どうか、大気圏再突入の方法を教えて下さい!」

 ようやくに用件を伝えると、醍醐は沈思したが、やがて、

「君の要求は受け入れられない。CNWの存在はモニターで見る限り認めざるを得ないが、そんな見るからに脆弱な気泡に入り、宇宙を漂流しているなど、危険極まりない。直ちにISS内に退避しなさい。これは命令だ」

 歩の懇願をにべもなく却下した。

「な……何だって……」

 歩は、まさか、ようやくに低軌道で会えた醍醐に再突入の指示を断られるなど、考えてもおらず、ただ茫然とした。

説明
夜間のアフリカ大陸上空で、歩と栄利香は国際宇宙ステーションの日本の実験棟であるきぼうに派遣されている醍醐宇宙飛行士とのランデブーに成功します。
歩は醍醐に大気圏再突入の指示を熱望しますが、醍醐の返答は……
この小説を書き始める前に、小市民は東京都江東区青海にある日本科学未来館できぼうのレプリカを見学しました。
また、歩と栄利香が乗っている気泡カプセルは、直径2メートル、という設定ですが、これは深海探査挺しんかい6500のコクピットを参考にしました。こちらも日本科学未来館に展示されています。興味のある方はお出かけ下さい。
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天馬歩 大石栄利香 大石栄留那 低軌道 宇宙開発 国際宇宙ステーション 大気圏再突入 新世紀の子供達 

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