しあわせ坂の大石姉妹(7)
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 歩と栄利香が気泡カプセルからISSへ移乗することを主張して止まなかった醍醐が、二人が望む大気圏再突入をサポートすることを決断した理由は、歩には察しがついた、

 栄利香が高圧で逆巻く空気の散弾で、ISSに迫るデプリ群を撃退したことに対する返礼の類などでは決してなく、栄利香がその気になれば、ISSを瞬時に破壊できる能力を備えていることが解ったためであった。

 歩と栄利香の懇願を峻拒し続ければ、今度は、きぼうどころか、ISSがデプリになって、地球へ落ちていく。

 そのような事態を回避するためには、成功しようが失敗しようが、二人を望みどおり大気圏に再突入させてしまえばいい……これが、きぼう実験棟の責任者の判断だった。

 早い話が、やっかい払いであるが、歩に異存はなかった。むしろ、将来は宇宙開発に関連した分野で働きたい、と思う者に実地の大気圏再突入は、望むところだった。

 醍醐は能面のように無表情のまま、

「早速だが、天馬君のヘッドホンマイクを女の子に渡してくれ」

 歩に言った。歩は大気圏再突入が素人の口づてでなし得るほど甘いものではないことを痛感した。言われるままに、歩はヘッドホンマイクを栄利香に手渡した。

 栄利香は歩の体温が残るヘッドホンマイクを、頬を赤くして装着し、

「大石栄利香です。よろしくお願いします」

 ディスプレイに表示された醍醐にぺこりと頭を下げた。醍醐も、

「醍醐 優です。よろしくお願いします」

 神経の細そうな栄利香の性格を瞬時に見極め、努めて声と表情を柔らかくして言い、

「これより、周回軌道離脱を開始します」

 ミッション開始を知らせた。栄利香は目を丸くすると、

「えっ? もう始まっているんですか?」

 思わず尋ねた。醍醐は手近にあった地球儀を手に持つと、日本列島を栄利香に向け、

「宇宙機が目的とする地点へ降下するためには、軌道離脱噴射をおこなう地点は大まかに言って、地球の反対側になります」

 地球儀をくるりと回し、南米大陸を栄利香に向けた。栄利香はきょとんとしてうなずくと、醍醐は言葉を継いだ。

「東京・横浜などの首都圏の臨海部に着陸地点を定めているのであれば、南米大陸上空で軌道離脱を始めることになるわけです」

 歩と栄利香が足元に目を向けると、気泡カプセルとISSは、夜が明け始めた南米大陸上空にあった。

 ……あいつ、ここまで読んでいたのか……歩は栄留那の顔を思い浮かべた。

 横浜市外縁部から低軌道へ放り出され、アフリカ大陸か大西洋上空まで地球を半周した歩と栄利香は、ISSとランデブーし、多少の問答があったとしても、南米大陸上空で大気圏再突入を始めれば、正に定規で線を引いたように地球を一周して帰ってこられるのだった。

 歩は同じ年齢の女子生徒に何から何まで試されていることに、腹立ちを覚えた。しかし、自分がのどから手が出るほど必要としていた情報が、専門の宇宙飛行士から与えられている……今は、ミッションに集中しなければ……歩は自らに言い聞かせた。

 醍醐は地球儀に替わり、やはり手元にあったのか、スペースシャトルの本体でオービタと呼ばれる宇宙機の模型を手に取り、栄利香に言葉を継いだ。

「オービタが軌道離脱をおこなう際、機体を水平方向に百八十度回転させ、軌道離脱噴射をおこないますが、幸い、その気泡カプセルは球状で、前後左右上下同じ形ですから進行方向に対し、高度百二十キロまで減速のための噴射をおこなって下さい。減速量は一秒間に百四十メートルです。高度百二十キロに達したとき、飛行経路と水平線のなす角度が、? 1.5degになっているようにして下さい」

 栄利香は言われるままに気泡カプセルの周囲の大気を集め、進行方向へ圧力を高めて噴射した。

 見る見る周回速度が落ち、上方へISSが遠ざかり、替わって、くるくると回転している巨大な水玉のような南太平洋が、足元に急速に迫ってきた。

 歩は、栄利香が小刻みに『はい、はい』と真剣なまなざしで返事をし、うなずいているのは、醍醐が速度や再突入経路角をきぼうで観測し、適宜、修正のための指示を与えているのだろう、と思った。

 周回軌道離脱のための噴射は二、三分続けられた。気泡カプセルは大気圏再突入に適した楕円軌道に入った。

 醍醐はオービタに替わり、小さなホワイトボードを手にし、専用の黒マジックでくるりと円を描き、

「大石さん、これより熱圏へ突入します。気泡カプセルのすぐ外側が、摂氏千六百五十度を超え、火の玉のようになりますが、怖がらないで下さい。君達の安全を考え、現在の気泡カプセルを全面、覆うようにオービタの翼を真似て、二等辺三角形を少し上下にふくらませた形の気泡カプセルを創って下さい。大きさは頂点から底辺まで百メートルあれば結構です」

 円がすっぽりと入る二等辺三角形をきゅっきゅっと描いた。

 栄利香は指示されたとおり、直径二メートルの球形の気泡カプセルが、すっかり収まる巨大な二等辺三角形の外装を形成させた。

 醍醐はうなずき、

「それでは、頂点を仰角と呼ばれる水平面に対する傾きを四十度にして下さい。これで大気抵抗により、十分な減速ができます。また、君達が乗る気泡カプセルは、加熱の影響を受けなくなります」

 流暢に説明したが、その言葉が終わらぬうちに、歩と栄利香を乗せた球形の気泡カプセルを包み込んだ巨大な大気の外装が、大気圏再突入を開始した。

 スタイリッシュな外装の底面は、瞬時にして炎の色に染まった。先ほど、醍醐が講義したとおり、外装のすぐ外側は摂氏千六百五十度を超えているはずで、速度も秒速七.八キロと、実に音速の二十四倍に達している。

 歩と栄利香を乗せた気泡カプセルの進行方向から左右へ向かい、三角形の形に炎が広がり、後方へ流れていく。気泡カプセルは、小刻みに前後左右に振動している。

 歩は、SFやアクション映画、リアル指向で制作されたアニメーションの見せ場に放り込まれたような錯覚を覚えた。

 また、スペースシャトル実用一番機となったコロンビアが、二〇〇三年二月一日に大気圏再突入時に空中分解を起こした事故が思い出され、身を硬くした。

 栄利香は、以前に友人の母が、ビスクドールを創作している著名な人形師で、電気炉を用いて人形のパーツを焼成する作業を見学させてもらった体験を思い出していた。電気炉で焼成を始めれば、人形師の仕事場はサウナのようにな蒸し暑さになり、これが何時間も続いていた。

 こうした暑さを避けるため、必要以上に大きな外装を醍醐は栄利香に創らせたのだった。

 歩と栄利香の緊張をよそに、醍醐は姿勢制御のために細かな指示を栄利香に与えた。むしろ、こうした冷静すぎる態度が、歩と栄利香に安心感を与え続けている。

 醍醐は、歩と栄利香をサポートするための必要な情報が逐一、表示されていると思われるきぼうの観測機器に気ぜわしいほど目線を動かしながら、

「高度、五十三キロ。速度、秒速四キロ。大石さん、仰角四十度に保ってきた外装層の頂点を少しずつ下げていって下さい」

 巨大な二等辺三角形の上下を少しふくらませた外装層の頂点は、仰角を四十度から少しずつ下げ、歩と栄利香を乗せた球形の気泡カプセルの姿勢も連動して水平に近づいていった。

 すると、歩と栄利香の眼前には、東京湾がすぐそこまで迫っていた。関東の上空は快晴で、首都圏はまるで航空写真を見下ろしているかのようにくっきりと見えた。

 醍醐の指示に従い、高度、二十三キロ、速度、秒速〇.七六キロに達した頃には、外装層の頂点は、仰角十度で、殆ど水平に近く、熱圏も突破し、歩と栄利香はようやくに一息つきかけたが、まだ、重要な着陸が残っている。

 醍醐は抑揚のない声で、

「大石さん、外装層を解除して下さい。これ以後は、普通のグライダーと同様に大気中を滑空しながら着陸地点を目指します」

 指示を続け、栄利香が巨大な二等辺三角形の外装に使った空気層を消滅させたそのとき、歩と栄利香が乗る気泡カプセルと全く同じものが、地上から上昇してきた。

 二人が目を見張ると、上昇してくる気泡カプセルの中には、栄留那が乗っていた。

 栄留那も帰還が遅れている歩と栄利香に不安を感じ、迎えにきたにも関わらず、二人が見事に大気圏再突入を果たし、残るは着陸だけと、ミッションを消化してきたことに目を丸くした。

説明
醍醐宇宙飛行士のサポートを受け、歩と栄利香は大気圏再突入を開始します。
マッハ24、大気との摩擦熱1600度という過酷なミッションが歩と栄利香を待ち受けます。
小市民の学園サイエンスアクション、最終章の始まりです。
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天馬歩 大石栄利香 大石栄留那 低軌道 宇宙開発 国際宇宙ステーション 大気圏再突入 新世紀の子供達 

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