チョコレートパニック! |
街からの夜行列車が着き、一人の男が、町のプラットホームに降り立った。
左手にはブリーフケース、右手には煙草を持ち、渋いグレーのスーツを着込み、同色の帽子をかぶっていた。ちょっと観察すれば、彼の持ち物が、街で指折りのブランド物で固められていることが判るが、同時に、少々古いモードで、多少くたびれていることも見て取れるであろう。
(この町でやりなおそう)
男は煙草に火をつけながら、一人決意していた。
男は、数年前までは、高級洋菓子チェーンの部長だったが、折からの不況で会社は傾き、リストラされてしまった。しかも、通常の倍額で貰った退職金を全部はたいて、その上借金までして自分の会社を立ち上げたが、満を持して売り出した商品が全く売れず、あっというまに会社は人手に渡ってしまう羽目になり、返品の山となったチョコレートは、家の中を占領し、家中がチョコレートの臭いでいっぱいになってしまった。
(なぜ売れなかったのだろう?女性が好むお菓子の中でも随一のチョコレートと、健康食品としても優秀、かつ日本文化に根付き、親近感のある納豆のコラボレーション!あのすばらしい味がなぜ理解されなかったのだろうか?)
男は、チョコレートはさほどでもなかったが、納豆は大好物であった。
(あの繊細かつ大胆な味覚の商品が売れないとは。私にはビジネスの才能がなかったのだろうか?所詮会社の中でしか通用しない能力だったのだろうか?)
男に欠けているものは、ビジネスの才能などではなく、正常な味覚であった。
チョコレートがもともとあまり好きでは無い彼は、この一件で、完璧にチョコレートが嫌いになってしまっていた。そこで、チョコ臭が漂う家を売り払って借金の大半を返した残りの虎の子の200万を手に、この小さな町にたどり着いたのだった。
改札を出ると、少女が、何か名刺サイズの物を差し出してきた。
「今度発売するチョコレートの試供品です♪どうぞ♪」
ひくっ
男は顔がひきつるのを感じたが、甘いものは苦手だといって手を振りながら少女の前を通り過ぎた。
(来て早々に嫌なものを見たな)
男はなんとなく嫌な予感を感じつつ、駅から伸びている商店街を眺めた。
(長旅で疲れた。今日は一日ゆっくりしながら、町を見て回ろう)
男は、そう思いつつ、商店街の入り口辺りの喫茶店に入った。
「いらっしゃいませ」
元気が取り得という感じのウェイトレスが、水を運んできた。
「今日のおすすめは、ホットチョコレートなんですが、どうでしょうか?美味しいって町中の評判なんですよ」
ひくっ
顔が引きつるのを感じたが、欠片ほどの邪心も無い笑顔で熱心にホットチョコレートを勧めるウェイトレスに、なんとかホットコーヒーを頼み終えると、席に置いてあった雑誌開いてみた。今号の特集記事が目に入ってきた。
「おいしいチョコレートの店ベスト10」
すぐに雑誌を閉じると、ふかく息をつき、煙草に火をつけた。
ほどなく、ホットコーヒーが届いたので、砂糖壷のふたを開けた。中からはチョコレートが出てきた。
ひくっ
ウェイトレスを呼び、問いただすと、
「お砂糖は、こちらの壷です。こっちのチョコはサービスとなっていまして、お客様に食べていただきたいとお出ししているものなんですよ。」
礼を言ってウェイトレスを下がらせると、砂糖壷改めチョコレート壷を、テーブルの一番遠くの端に追いやって、コーヒーを飲み始めた。
(コーヒーの香りはいい。それこそ、チョコの香りなんかよりも数百倍いい。いや、数千倍か?)
チョコとの共同生活で、男の鼻は、チョコの匂いに異常に敏感になっていたのだ。
コーヒーを楽しんでいると、ウェイトレスが来て、
「チョコが減っているので、入れ替えておきますね」
といいながら、新しいチョコレート壷を持ってきて、しかも、よりにもよって、男の鼻先に置いていった。
男はティースプーンを使って(触るのが嫌だったのだ)再度チョコを一番遠くの端に追いやった。
喫茶店で勘定を済ませ、レジ横にあったマッチ箱を一つ取って、店を出た。
煙草を咥え、先ほどのマッチ箱を開けると、マッチの代わりにチョコレートが入っていた。
ひくっ
目に付いた一番近いゴミ箱にマッチ箱改めチョコを叩きこみ、ポケットの中のマッチを出して煙草に火をつけなおした。
町は、平日の昼前だからだろうか、閑静な様子で、主婦らしき姿が数人、生鮮食料品の店で買い物をしていた。のどかな町のようだ。
不思議と落ち着くな。都会の喧騒の中で育ったつもりだったが、案外こういうところも心のもやもやが晴れるようでいいものだ。
男は、この町を好きになれそうな気がした。
小一時間ほど商店街をぶらぶらしてみた。小さめの商店街だが、一通りはなんでもそろう様子だった。数件の空き店舗も見つけ、1件は立地条件もほどよさそうだと見当をつけておいたりもした。
煙草を吸おうとしたら、切れていたので、ちょうど見えるところにあった自動販売機に紙幣を入れた。見ると、普段吸っている銘柄は売り切れであった。どうしようか悩んでいると「新製品」という文字が目に入った。
とりあえずはこれを吸っておくか。案外美味いかも知れん。
ボタンを押し、手にとってシーリングをはずし、煙草を咥えた。
妙な味がする。
再度、箱を見直してみた。
「シガレットチョコレート」
ぷっ!
咥えていた煙草を吐き出し、煙草の箱の方は思いっきり力任せにひねりつぶして、自動販売機の横のゴミ箱に叩き込んだ。
(どうなってるんだ、いったい)
男は、口寂しさを我慢しながら駅前まで戻り、煙草屋でいつもの銘柄を購入した。普段以上に煙草が切れるのが嫌だったので、1カートン購入すると、おばちゃんは、おまけだと言って、板チョコを1枚くれた。
ひくっ
(普通はライターとかじゃないのか?)
こめかみが引きつるのを感じながらも、笑顔で礼を言って、店から離れた。
見えない場所まで行くと、板チョコを地面に叩きつけて、足で思いっきり踏みつけて、それからきちんと拾いなおしてゴミ箱に叩きこんだ。男は、この町になんとなくの悪意を感じはじめていた。
(小腹が減ったな。そういえばもう昼か)
男は、近くにあったフレンチレストランに入った。
「いらっしゃいませ!」
店員が案内に出てきた。
「当店は本日、毎月恒例のチョコケーキバイキングの日です。たった500円で当店自慢のチョコケーキが食べ放題!ぜひ・・・」
男は、最後まで聞かずに店を飛び出した。
店を出てすぐ、少女が名刺大の何かを差出しながら声をかけてきた。
「今度新発売のチョコレ・・・」
男は、少女を押し飛ばすようにして、走ってその場から去った。
(和食にしよう。和食だったら大丈夫だ)
男は、てんぷら屋に入った。席はカウンターだけの小さな店だが、落ち着いた佇まいの、小奇麗な店だった。
「らっしゃい!」
マスターがお茶を出しながら声をかけて来た。
「本日の定食は、当店オリジナルチョコてんぷら丼でさぁ。町でも大評判なんですぜ。ぜひ食べてやってくだせぇ」
ぶっ!
男は、口に含んだお茶を全部噴出し、大慌てで店から逃げ出した。
店から出たら少女がいた。
「新製品の・・・きゃぁ」
男は、少女を見た瞬間、突き飛ばすようにして走り出した。
(なんなんだこの町は?狂ってるのだろうか?)
男は、息を切らしながらそう心の中で毒づき、その場にへたり込んだ。男は、とりあえず息が整うまで座っていることにした。
「大丈夫ですか?」
とおりすがりの主婦らしい人が声をかけてきた。
疲れてるので、休んでいるだけだ、と答えると、
「どうぞ、これでも飲んで落ち着いて」
といいながら、紙コップを差し出してきたので、礼をいいながら受け取り、口に含んだ。
ぶっ!!
紙コップの中身はホットチョコレートだった。
「大丈夫ですか?慌てて飲まずにゆっくり飲んでください」
むせたのだと思われたらしい。
男はむせたように空咳をしながら、礼をいいつつ、その場から小走りに逃げ去った。
道を曲がった瞬間に少女が立っていた
「新製品の・・・」
男は、方向転換して反対に向かって走り出した。
腹が減ってどうしようも無いので、コンビニで弁当を購入した。おにぎり2ことから揚げが入っている、オーソドックスな軽食である。男の趣味では無いが、どの店に入ってもチョコレートを食わされそうだったので、それを思うと、とてもリッチな昼食気分であった。男は公園のベンチに座った。
実際、鮭のおにぎりは美味しかった。梅干のおにぎりも美味しかった。
ただ、から揚げの中身は、鳥ではなく、チョコレートだった。
男は、チョコから揚げを地面に叩きつけると、ゲシゲシと踏みまくって、そのまま側溝に蹴り飛ばした。
ため息を一つついて、お箸の袋に同封されている爪楊枝を咥えた。
チョコの味がした。
箸袋を見ると「ホワイトチョコ入り」と書いてあった。
爪楊枝を吹き出し、箸袋とセットでゲシゲシと蹴りまくって、同じように側溝に蹴り飛ばした。
ふと見ると、周囲が男に注目している。
男は、顔をひきつらせながら、作り笑顔で、いかにも何もないんです、という風を装いながら、ゆっくりと公園を出て行った。
公園を出た瞬間に、少女が、
「新製品のチョコ・・・」
男は耳をふさぎながら走り出した。
(もういい・・・今日はもう休もう・・・)
男は、予約していたホテルにチェックインすることにした。
ホテルの玄関先で、少女が
「新製品のチョコ・・・」
男は、耳も目もふさいでホテルの中に入った。
フロントでチェックインすると、部屋のキーを渡された。
(やっと落ち着く)
エレベーターで同乗した親子連れの子供の方が、チョコレートを食べているのに多少びくつきながら、無事部屋の前まできた。
(フロントでチョコレート出されなかったな。もう安心だ、きっと)
部屋に入り、スーツを脱ぎ、ネクタイをはずして、アームチェアに座りこみ、テレビをつけた
「美味しいチョコケーキの作り方」
チャンネルを変える
「チョコレート工場の現場より」
チャンネルを変える
「バレンタインデーの傾向と対策」「カカオの産地を歩く」
「チョコレート商戦の実態」
テレビを見るのを諦めて、冷蔵庫を開けた。
黒ビールを取り出して、栓を抜き、コップに注ぎ、一息で飲む。
次の瞬間、男は飲んだものを全部吐き出して、瓶を見た。
「チョコレートカクテル」
冷蔵庫の中をチェックすると、「チョコレートカクテル」のほかには、缶入りのチョコと、瓶に入ったココアだけであった。
諦めてルームサービスを頼むことにした。
フロントにTelを入れると、すぐに応対してくれた。
「軽食でしたらチョコサンドがお勧めですが」
電話を切った。
夕食もコンビニにすることにした。
先ほどの弁当ならば、間違いない。から揚げさえ食べなければいいのだから。
男は、先ほどのコンビニで同じ弁当を購入して部屋に戻った。
舌鼓を打ちながら弁当を広げる。
男にとって、人生で一番楽しみな食事だと感じられた。
今回は、おにぎりの具と海苔がチョコレートだった。
男は、早々にチェックアウトして、ホテルを出て、駅に向かった。
駅の自動券売機で行き先ボタンを押すと、切符の代わりに板チョコが出てきた。
いつものようにげしげしと踏み潰して、今度は駅員に声をかけて切符を売ってもらった。
改札に入る直前、少女が
「新製品のチョコ・・・」
男は、少女と改札とを同時に飛び越えて改札の中に入った。
男は、すぐに到着した夜行列車に飛び乗り、次の町に向かった。車掌がサービスだと言って、板チョコを配りに来たので、また、げしげしと板チョコを蹴り飛ばさなければいけなくなったが、無事次の町に着くことが出来た。
男は、その町で店を開いた。今度は奇をてらわず、普通の洋菓子を販売したので、まあそこそこの売上が出来るようになった。ただし、チョコレート菓子は置かなかったが。
生活が落ち着きだした頃、仕入れの業者から聞いた話では、隣町では、半年くらい前、街で大量にチョコレートを買い求めている業者があると聞き、その業者に売りこむために、町ぐるみでチョコレートを仕入れたそうだ。しかし、売り込みの商談の直前に、その業者が倒産したので、チョコレートが大量に余ったため、町をあげてチョコレートを消化しなければいけなくなり、どの店でもどの業種でも、果ては一般市民も含めて、1ヶ月の間、チョコレート漬けになったのだそうだ。
男は、その期間にその町を訪れたことになる。
(そうだったのか)
男は、あのときの悪夢の原因が、なんとなく納得できたので、ほっとした。
業者は、楽しそうな男の顔を見て、嬉しくなったのか、調子に乗って話しつづけた。
「そうなんですよ。しかも、その倒産した業者ってのがね、なんでもチョコレートに納豆を入れて売ろうとしたっていうから大笑いですわ。そんなもの売れっこないって、そう思いません?しかも試作も満足にせずに全財産突っ込んだっていうから、立派なもんですよ。って、社長さん?どうしたんですか?大丈夫です??社長さん!社長さん!」
男は、半年前の悪夢の原因が自分であるという衝撃に、立ったまま気絶していた。
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なんつっか、文章でスラップスティックコメディーが成り立つかどうかの実験。 | ||
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