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桜の木の下には死体が埋まっているという。

 

 それを誰から聞いたのか,いつ聴いたのか,もう思い出せない。

 

 今となってはそんなんことはどうでもいいことだろう。

 

 

 

 「こんばんは。良い月夜ですね」

 

 久しく人と話すということを忘れていた俺に,不意に声が掛けれられる。

 

 「こんなに月が蒼い夜は,不思議なことが起こりそうですね」

 

 コミュニケーションという言葉すら忘れた俺に,少女は淡々と語りかける。

 

 「陽の光に照らされて生命力に満ち溢れた桜もきれいですけど,夜の闇にひっそりとたたずむピンク色の花弁というのも,艶っぽくて素敵 ですね」

 

 いいかげん,俺には返しうる言葉がないことに気づいてもよさそうだとは思うのだが,少女はまだ語りをやめない。

 

 「無視しようとしても無駄ですよ。有象無象の区別なく,私の興味は逃しはしないのだから」 

 

 俺の思考がよめるのだろうか。

 とにかく,少女は俺に興味があるらしい。

 

 「……俺に何か用なのか?」

 

 俺の声はさぞかし苦々しい声だっただろう。

 にもかかわらず。

 俺に話しかけられたのがうれしいのか,少女は俺に笑顔を返す。

 

 

 「用というほどのものはございません。ただ,少し,あなたとお話がしたいと思いまして」

 

 どうして突然敬語になったのかわからないが,慇懃無礼とはこのことなのだろう。

 

 「残念だが,他を当たってくれないか」

 

 今日は日が悪すぎる。しかも,今この時なんてなお悪い。

 

 「そうもいかないわ」

 

 クルリ,と少女が背を向ける。

 その行為に何の意味があるのか分からないが,少女の華奢な背中は,すごく滑らかに見えた。

 

 「たとえあなたに用がなかったとしても,私にはあるの」

 

 蒼い月を見上げながら,既定事項を告げるように少女が断言する。

 なんというか,それには,おかしな説得力があった。

 

 「……なぜ?」

 

 だから。

 俺がそう,少女に問いかけてしまったのは彼女の雰囲気にのみこまれていたからだろう。

 

 「こまるのよ」

 

 ただ一言そう言って。

 少女はこちらに踵を返す。 

 

 「こんなところで死なれては」

 

 再び見詰め合った瞳には,怒気でも哀愁でもない,ただ一言,不可思議とだけ言えるそんな光が宿っていた。

 

 少女に見つめられた俺はその瞳の魅力に引き込まれて……いや,違う。

 俺の,誰にも告げなかった心の奥底の気持ちを見透かされて,何も言えなかった。

 

 「……素敵な詩人は言いました。『桜の木の下には死体が埋まっている』。おかげで,死に場所に桜を選らぶ大馬鹿野郎が多く困るわ」

 

 今や,少女は,少女ではなく妙齢な女性のように,成熟したあでやかさを振りまく芸子のように。

 美しさとあやしさとつややかさと。

 そのすべてを存分にふるまきながら,口調だけは淡々と。

 

 生まれて初めて,俺は,女性を美しいと思った。

 

 「死ぬならほかにしてくれない?,人間。桜は死体なんかなくてもこんなにもきれいに咲くのだから」

 

 言って彼女が腕を振るえば,一陣の風が桜の木々を揺らし,薄紅色の絨毯が隆々と波打っていく。

 

 「……君は,何?」

 

 思わず口を出た言葉がそれだった。

 

 「いい質問だ,少年」

 

 にやり,整った唇を歪ませて,彼女は再び笑う。

 

 「私は,君らの言うところの化け物。でも,人をとって喰ったりはしないけど」

 

 「……ばけ…もの?」

 

 なぜか落胆している俺がいた。

 

 「どうして落胆するのかしら? ひょっとして,私を天使や何かと勘違いした?」

 

  そういうわけじゃない。ただ……

 

 「……ただ,桜の木の精かと思った」

 

 きょとん。

 形容するなら,そのことばがふさわしかっただろう。

 彼女は一瞬だけ呆けたような顔をして。

 

 「あっははははははははははは」

 

 盛大に笑いだした。

 最初にあった高貴な気品はどこへやら。

 それでも,美しさにかげりはないのは,これも本来の彼女だからか?

 

 「面白いな,少年。 名前はなんていうの?」

 

 ひとしきり笑った後,彼女はそう俺に問うた。

 

 「シンヤ」

 

 「シ・ン・ヤ,だな?」

 

 一つ一つかみしめるように,彼女は俺の名前を口にする。

 

 「聞け,シンヤ。お前は生きろ」

 

 それも彼女の自然の姿か。

 高飛車に,命令口調に,彼女はただ断言する。

 

 「お前のような面白い人間が,死んでしまうのは忍びない。その代わり…」

 

 言って今度はウィンク一つ。

 目まぐるしく変わる彼女の雰囲気に,俺はただただ魅了される。

 

 「あなたにこの世の真実を教えましょう。『あなたと私は違う』これがこの世の争いの,もめごとの,すべて。すべての原点にして原因。だから…」

 

 ふわりと彼女の髪が風に揺れる。

 

 「あなたが悩む必要なんて何もない。違うものは違うのだから」

 

 まるでこの世のすべての悪の正体を告げたかのように,彼女は至って勝ち誇る。

 

 「ではいいな,こんなところで死ぬんじゃないぞ」

 

 最後にそう命令して,彼女はすべての役割を終えたのだろう,クルリと振り返り,闇の中へと帰っていく。

 あるいは,俺への用が済んだだけなのかもしれない。

 

 「ちょ,ちょっとまって」

 

 だから,俺がそうよびとめたとき,彼女が止まってくれるとは思わなかった。

 

 「まだ,何か?」

 

 何かあったわけではない。ただ,呼び止めただけ。

 しかし,呼び止めてしまった以上は,何かを言わねばならない。

 そうやって数瞬の間,目まぐるしく俺の脳は回転し,やがて,一つの言葉を紡ぎだす。

 

 「名前……名前を教えてくれないか」

 

 パチクリ。

 たとえるなら,その言葉がふさわしかっただろう。

 彼女は両の目を数回瞬きさせる。

 そして。

 

 「あっはははははははは」

 

 再び盛大に笑いだす。

 どの彼女が本当の彼女か俺にはわからない。だが,なんとなく,そう笑っている姿が彼女の本当の姿であってほしかった。

 

 「やっぱり,あなたは面白い。シンヤ」

 

 言ってクルリと振り返り。

 

 「私の名前は,キルシェ。覚えやすい,よい名でしょ?」

 

 そう言って再びウインク一つ。

 そのままの姿で,彼女は夜の闇へと消えていく。

 その時やっと,化け物というのは本当だったのだなと納得する。

 後には,蒼い月と,満開に咲いた桜の木と,風に舞う小さな花弁だけが残っていた。

 

 

 桜の木の下には死体が埋まっているという。

 でもそれは,一人の詩人の戯言で。

 そんなこと,俺にはもうどうでもよくて。

 今はただ。

 来年の桜が咲くころには,もう一度キルシェに会うことができるかな,と思う俺がいるだけだ。

 

 

説明
 とある歌人の一節からインスパイアを受けて。
 雰囲気はファンタジー,かな。
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