少女の航跡 第1章「後世の旅人」2節「ブラダマンテ・オーランド」 |
私達は、《スカディ平原》を馬で疾走した。
『セルティオン』の首都、《リベルタ・ドール》までは、速い馬でも丸一日かかってしまう。王は急
ぎの用事だと言っていたから、私達は急ぐ必要があった。
ここには街道という道も無い、平原の真ん中だった。人の住んでいるような集落はおろか、建
物も滅多に見る事はない、草原は彼方へと伸び、緑色の大地が延々と広がっていた。
とにかく今は馬を走らせるしか無かった。私は自分の白い馬を急がせた。
白い馬が私を乗せて、頑張って走っている。良く回りからは美しく清らかな馬だと言われる雌
馬。でも、騎士達が乗っているような大きい馬では無く、ようやくポニーから大人の馬になった
程度の馬だ。足も特別速いという訳では無い。
走るのに慣れていないというのではないが、ロベルトの馬は大型で早馬だったし、カテリーナ
の馬など、いかにも走るのが得意そうで、全速力で疾走すればどんな馬にも負けないという風
であった。
2人は私の馬の足に合せてくれたが、私もできるだけ急いで馬を走らせた。
やがて夕方が来た。それまで私達は全く休まずに馬を走らせていた。誰かとすれ違う事もな
く、昼間にあったように盗賊まがいの事をする者達に襲撃されるような事もなかったそれだけ
私達が、急いで馬を走らせたという事があるかもしれないが。
その夕方に私達は馬を一休みさせた。
平原自体の景色はあまり変わらない。遠くに見える山脈の姿も変わっている様子はなかっ
た。しかし、落ちて行く夕日の姿は美しかった。空が赤く染まり、平原の向こうにタ日が落ちて
行くのを眺めながら、私達は休憩を取った。
「そろそろ、向こうの山に近付いて走った方がいい」
カテリーナはその休憩中にそう言った。
『リキテインブルグ』と『セルティオン』は同盟国。更に、その『フェティーネ騎士団』の団長とも
なれば、カテリーナは何度も『セルティオン』の首都へと行っているはず、彼女のこの辺りの土
地勘は、私達よりも鋭いようだった。この広大な平原でも、どこに自分達がいるか分かっている
ようだった。
少しの休憩の後、私達はまた草原を疾走した。暗くなる前に、できるだけの距離を走るのだ。
やがて山が近付いてきた。草原は緩やかに上り勾配になり、山脈が迫ってきた。平地のとこ
ろどころに小さな森も見え始めた。
『セルティオン』は山岳地帯にある国だ、さらに《リベルタ・ドール》はその奥地にある。私達が
目の前にしている山脈の尾根は、『リキテインブルグ』と『セルティオン』との国境でもあった。
2つの国は同盟国だから、その国境を越えることには問題はない。国境など意識しなくても、
自由に行き来する事ができる。
やがて日が落ちた。辺りが真っ暗になり、開けていた草原の視界がなくなる。夜の生き物達
が活動する時間になった。
「今日動けるのはここまでだな」
カテリーナがそう言い、私達は馬の足を止めた。そこは山脈の側にある空き地、森が側にあ
る場所だった。
半日中走らせた馬を休め、私達は休憩した。近くの森から枯れた木の枝を持って来て焚き火
をし、簡単な食事をした。
夜も更けてきて、どこかで生き物の鳴き声が聞こえる中、私達は交替で番をしながら寝る事
になった。私が最初に番をした。
自分の白い馬に寄り掛かり、私は座っていた。
焚き火は弾ける音を立てながら燃えている。それだけが明かりで、後は真っ暗闇だった。カ
テリーナもロベルトも私に見える位置で眠っている。それぞれの馬も同様だった。私の白馬も
眠っている。多分、彼女は私よりも疲れているのだろう。
しばらくの時間が経った。草原には何も変化がない。ただ、私は喉が乾いて来た。さっき、食
事の時に森の側にあった小川から汲んできた水はもう無い。水筒の中はからっぼだった。
私は立ち上がり、ランプと水筒を持って森の近くの小川へ行った。そこは、私達がいた場所
から10メートル程しか離れていなかった。
2メートル程の川幅を、水が静かに流れている。水面は揺らぎながら私の顔を写していた。そ
こに手を入れて、私は何杯かの水を飲んだ。冷たい水が喉を潤し、私は少し生き返る。ついで
に顔を洗った。
ひんやりとした水が気持ち良かった。一日中馬で走っていたりしたから疲れていて、眠かった
のだが、それも少し覚めた。
閉じていた眼をゆっくりと開く。すると、小川の水面が白く見えた。
水面が白く光っている、今まで暗かった水面が光っている。星の輝きに反射して? いや、こ
んなに明るく輝く星があるだろうか。水面は眩いばかりに白い光を発していた。不思議と眩しい
とは感じない。開いた眼で私はそれを見る事ができた、
その光には一点の陰りもない、ただ白い。輝きと言うよりは、白い空間が広がっているかの
ようだった。
やがてその光が強くなって来る。視界の全てがその光に覆われた。
美しい? そんな風に覚えられるだろうか、全てが白く、ただ不気味だった。だんだんとその光
に恐れを覚えて来る私。真っ白。全てを包んでしまうような真っ白な光、そして…、
そして、その光の遠くの方から何か黒い影が現れて来た。幾つも幾つも見えて来る。光の向
こうからやって来る。
私はその光から逃げようとした。思わず手で顔を覆い、また眼をつぶった。
気が付くと、小川の水面は元通りになっていた。元通りに暗い水面が、揺らぎながら私の顔
を写していた。白い光などどこにも無かった。その先に見えていた黒い影も、もうそんなものは
無かった。
水滴が手から垂れて、ぼたぼたと小川に落ちている音、静かな音だけが聞こえていた。さっ
きと様子は変わっていない。
もう一度顔を洗いたい気がした。だが、また眼をつぶってしまうと、またあの白い光が見えて
来るような気がして、それはできなかった。
と、
「ブラダマンテ・オーランド」
背後から声がした。私は、はっと正気に戻って後ろを振り返った。そこにはカテリーナがい
た。
「カ、カテリーナさん…」
突然後ろから呼び掛けられたので、私は驚いた。彼女は私の方に向かってゆっくり歩いて来
る。
「初めて聞いた時、どこかで聞いた名前だと思ったんだよ、あんたのその名前だけど、すぐに
分かった。あんたは、『ハイデベルグ』の《クレーモア》の領主だった、オーランド卿の一人娘、
ブラダマンテなんだろ?」
私は何も答えなかった。
「オーランドと言えば、有名な貴族で、しかも騎士の名門だ。しかし、3年前に彼の治めていた
《クレーモア》は…」
「ええ…、そうですよ」
カテリーナの言葉を遮るように、私は□を開いた。
「私は、そのオーランド家の娘です。でもそれは、大した問題にはならないんじゃあないですか?
カテリーナさん?」
「カテリーナ、で構わない…」
私の横に腰を下ろしたカテリーナが言った。私は彼女の顔を見た。
「え…?」
「どうせ、私とあんたはそんなに年が違わないんだし、そんなにかしこまった言葉遣いをしなくて
もいい」
と、彼女は言った。目線は小川の水面に向かっているようだった。
「はあ…」
「そう、確かにあんたの言うように、どこの家の出だろうと大した間題にはならないよ、私だって
似たようなものだから…」
「…、そう思ってもらって、どうも…、カ、カテリーナ?」
私が見る今のカテリーナは、さっきまでの威厳のある騎士団長に写っていた姿はどことなく消
え失せていた。敬語を除くのにためらいはしてしまったが。話し方に親近感を感じられる。
彼女の顔を見てる私、急にカテリーナは私の方を向いてきた。
「ところで、あんたの父であるオーランド卿だが、3年前から行方不明だって聞いている。それ
に《クレーモア》も…」
私は何も答えなかった。今度はカテリーナが私の顔をちらちら見て来る。
そして私は、《クレーモア》という言葉だけで、色々なものを頭に思い浮かべてしまっていた。
そこは、カテリーナの言うように私の父が治めていた、私の故郷だった。両親の姿、私の家
の姿、街の姿など色々…。それは振り返って見たいもの…、違った。思い出したくないものでも
あった。
「『ハイデベルグ』から入った話は聞いている…」
「うん…、もう《クレーモア》という街は無いの、私の父も、多分、生きてはいない。街の人達も、
皆…」
それは、私にとって□に出したくは無い事だった。喋っている時は、これを喋っているのが自
分かと疑ってしまいそうだった。思い出すだけで、それから逃げたくなってしまう、自分を取り巻
いている、あらゆるものから逃げたくなってしまう。
「悪い事を聞いてしまったかな…」
少しうつむいて、しかも弱々しい口調で言っていた私を、カテリーナは気遣ってくれた。
「…大丈夫、犬丈夫だよ。それは、あれが起きた直後は辛くって、悲しくって、何もかもから逃
げ出したいぐらいだったけど…。もう、3年も経ってしまったから…」
そう言って顔を上げると、夜空には星が輝いていた。
「あれが起きたって?」
カテリーナは尋ねた。
「…、そう。3年前にあれが起きた時、私は13歳だった…」
私の心の中の記憧の蓋が開けられる。自分でそれを箱に詰めて、鍵を掛けてしまった、私に
とって思い出してはならない、いや、思い出してはならないとしてしまった記憶。3年前に焼き付
けてしまったその記憶の蓋を、私は再び開けようとしていた。
でも、大きく開けてしまってはいけない、少しだけその蓋を開く。カテリーナに話すのにはそれ
で十分だった。
「あれは、白い光だった。あの時、夜だったけど、まるで真昼の太陽の様にとても明るい光が、
まるで流れ星のように空から落ちてきて、それで、その光は地面まで降りて来ると、弾けて、街
を包んでしまったの…」
私はそこで言葉を切らせた。
「だけど、どうしてあんたは生き残ったんだ…?」
息を付く。
「あの時、私はいつものように、寝るふりをして、外へ抜け出していたから…。そう、家の中でじ
っとしているんじゃあなくて、外へ出るのが好きだったんだ。よく、近くの森や草原まで行って、
馬を乗り回したりしていたな」
少しだけ、嫌な思い出から離れる私。頭にはまだ少し幼い少女だった頃の私の姿が駆け回
っている。
「肯族の一人娘が、夜に草原を駆け回る…か」
カテリーナが呟いた。私はそれを聞き逃さなかった。
「何か、言った?」
「聞こえているだろ?」
「そう、誰かに見つかった時はそう言われたよ。いくら、家が騎士の名門だからといって、夜に
女の子がそう言う事していちゃあいけないって。でも、止められなかったな。本とかを読めるよ
うになってからは、世界が広がった気がして、もっと、私の知らない所へ行ってみたかったし
…」
不思議だった。さっきまでの私とはまるで違う。話しかけるのにも抵抗があったカテリーナに
ここまで話せるなんて。少しの間に、私は彼女に打ち解けてしまっているようだった。
今ではカテリーナは、さっきまでの威厳と強い存在感を持った騎士団長ではなく、私の友達
のようだった。傭兵になってから、彼女のような人に会うのは初めてだった。
だが、私は話を元に戻さなければならなかった。まだ、肝心の所を話していない、一番大事な
所を。
「あの時も、街から離れた所に私は行っていた-。あの白い馬と一緒にね。それで、突然、空が
明るくなって、街に光が降りてきて、後は、もう真っ白。私が気が付いた時は、街は、跡形も無
かった…。あの光が全てを吹き飛ばしてしまったみたいに…」
カテリーナは真剣な顔で、黙って私の話を聞いていた。
「私は急いで街に戻ってみたけど…、もう生きている人なんて一人もいなかった。ううん。人さえ
も、どこにもいなかった。やがて、また白い光が離れた所に降りてきたかと思うと、その白い光
の向こうの方から、黒い影が現れた…。幾つも、幾つも、大群を成して街の方にやって来たの
…」
私には、そろそろ限界だった。
「急いで、馬に飛び乗って私は逃げ出したの。もう一目散に街から離れて、何日も何日も馬で
走って逃げて…」
それ以上は、思い出してはならない領域だった。言葉が口から出てこない。
「…、話してくれて、ありがとう」
カテリーナは言った。
私は黙ってうつむいていた。再ぴあの時の記憶をしまい込み、心の中の箱に鍵をかけてしま
った。
「これを話したのは、あなたが2人目…」
私は言った。
「じゃあ…、最初は?」
「彼…、ロベルトさんだよ。最初会った時はちょっと怖くて、話しかけるのだって少し抵抗があっ
たけど、すぐに分かったんだ、悪い人じゃあないんだって。それに、私の事をしっかり理解してく
れる、そういう人なんだって、だから…、話したの」
少 しの間、沈黙が流れた。静かに小川が流れている。
「あんたの話していた、白い光の中に現れてくる黒い影だけど…、正体はかかっているの
か?」
私は少し言葉が詰まる。
「…、うん、大体は…」
「…私もその噂は聞いて知っている。《クレーモア》を滅ぼしたのは、『ディオクレアヌ革命軍』な
んじゃあないかってな、そういう噂が流れている」
「私もそう思っている…」
「あんたは、彼らを追って旅をしている。そうなんだろ?」
私とカテリーナはお互いに顔を向け合い、目線を合わせた。
間近で見つめるカテリーナは相変わらず、冷静な顔をしている。青い瞳が冷たく濡れている
かのようだった。
鎧を身に纏い、刃のような銀髪と、鉄線の入っているらしいバンダナを巻いているが、顔その
ものは、17歳の女。カテリーナの眼と瞳は割りと大きい。
「…そうだよ」
そう言う私、
「何か、分かった事はあったのか?」
「今の所は何も…。本当に『ディオクレアヌ革命軍』が関わっているかどうかも、分からないし。
ただ、手掛かりがあればと思って…。私は、あの時に何が起きたのか、どうしてあんな事が起
こったのか知りたい…」
するとカテリーナは、
「じゃあ、教えるけど、あんたの追っている、そして、私達『リキテインブルグ』や他の同盟国の
敵でもある、『ディオクレアヌ革命軍』の盟主の『ディオクレアヌ』は、10年前までは私達の『フェ
ティーネ騎士団』にいた男なんだ」
「…本当ですか?!」
少し驚いた。そんな事を聞いたのは初めてだったし、まさか、あの『ディオクレアヌ』がカテリー
ナの騎士団、つまり『リキテインブルグ』の人間だったなんて。
「私の母さんも、私と同じように『フェティーネ騎士団』の団長だったんだ。『ディオクレアヌ』は、
母さんの部下の一介の騎士だった。別に将軍とか、階級があったわけでもない、普通の騎士
だったんだ」
カテリーナのお母さん…、私も父から聞いた事がある。とても有名な騎士だった人だ。カテリ
ーナがその娘だという事は知っていたけれど、まさか、『ディオクレアヌ』が彼女のお母さんの部
下だった人…。
「どうも分からないんだ。彼は平凡で、いたって普通の家の出だった。そんな男が突然、騎士団
を抜け出し、たった10年くらいの間に《リキテインブルグ》や、その他の同盟国に匹敵する勢力
を持ったなんてさ…」
「ええ…」
カテリーナは続ける。
「彼らは、長年の抗争で勢力が衰え、壊滅状態だと言われてはいるが、私はこのままでは終わ
らないような気がする。もっと何か、裏があるような気がするんだ」
私は再び彼女の顔を見た、
「だから、あなたは『セルティオン』の王に会いに行くの?」
「そういう事さ、あんたにとっても、新しい情報が入るんじゃあないのか?」
彼女はそれだけ答えた。
私は、カテリーナと一緒に少しの間そこにいた。辺りは変わらず真っ暗で、私の持っていたラ
ンプだけが燃えている。
「しかしあんたも、その名前で旅をしているとはな…」
「え?」
突然カテリーナが言った。
「偽名にするとかしなかったのか? あのオーランド家の人間というだけで、色々と不都合なん
じゃあないか?」
「いいえ…」
「もし、《クレーモア》を滅ぼした連中が、オーランド家の生き残りがいる事を知ったら…」
「…、私は、私でいたい…。だから、名前を変えるとか考えなかったし….それに、あの連中に知
られたら知られたで、逆に、私の方におびき寄せられていいんじゃあないかな」
カテリーナは少し苦笑したようだった。
「あんたも、見かけによらないな…。まあいいさ、自分の故郷を破壌した連中が『ディオクレァヌ
革命軍』だと思っているなら、私達と目的は同じだな」
「…そうですね」
と私が答えると、突然カテリーナは、背後、私達の馬やロバートのいる方を向いた。
「彼はどうだ? 何の為にあんたと一緒に行動をしているんだ?」
「分からない…。彼の事についてはほとんど知らないの。でも、とても頼りになるし、色々な事を
知っているみたいだし」
「私はあんたは信用する、色々な事を話してくれたから。だが、彼については何も知らない、味
方だっていう保証も無い」
「うん…」
「味方だったら心強いだろう…。でも、敵だったら…」
「分かっているよ」
私はカテリーナの言葉を遮るように言った。
「分かっている…」
それだけ言う私。
「そうか…。それより、明日は早いから、私は寝かせてもらうよ。あんたも、あんまり無理をする
んじゃあないよ…」
「大丈夫です」
と、私は元気が良さそうに言ってみたが、
「…夜更かしをするとかいう事じゃあなくて、色々な事に気張りすぎるなって事さ」
カテリーナはそう言って、寝床へと戻って行った。
今では、彼女はまるで、私の友達であるかのようだった。騎士団長であるという威厳のようなも
のは、私の目には写っていなかった。
説明 | ||
カテリーナと出会ったブラダマンテ。 彼女をセルティオンに連れていく道中の話で、彼女が何故、何でも屋稼業をしているのか、過去を語ります。 |
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