スイート・シンドローム |
僕らの住む村は森の中にあって、その一番深いところ、森の中心に僕達は近づく事はできなか
った。
なぜって、それは長老様の言いつけがあったからだ。長老様は優しいお方だったけれども、そ
の言いつけだけは絶対で、その話になると長老様は随分険しい顔になったものだ。
僕らには翼があるし、遠くの方まで見渡せる眼も持っていた。だから、その森の中心に行こうと
思えば、まだ大人になっていない僕達子供であっても、簡単に行く事はできたのだ。
でも、そこには僕らは近寄れなかった。森の奥を囲むようにぐるりと木には印が付けられてい
て、それを超えてはいけない事になっていた。
“その印のされた木を超えれば、どういう事になるか、分かるかね?”
長老様がそう言った時の顔が恐ろしくて、僕らはそこに近寄る事もできなかった。
僕らは少し嫌われ者だった。もちろんそれは、森の中にいる生き物達の間でそう見られている
だけで、僕らの種族の中では温厚な方だったはずだ。
翼があって空を飛べる生き物の中では、僕らはかなり強い方の生き物だって言われている。た
だ、夜の方が僕らにとって動きやすいのと、スズメとか、ネズミだとかが好物だったお陰で、同じ
種族以外の生き物から好かれていなかった。
天敵という天敵もいない。ただ木の上に僕らは村を作っていたから、時々木の上の方にまで登
ってくる蛇とか、ウロの中に潜んでいたりする、脚のいっぱいあって顔のない生き物だけは恐ろし
かった。
とにかく、僕らは、同じ姿、似た姿をしている生き物達の事を、総じてフクロウと呼んでいた。
僕も、そのフクロウの中の一羽だった。
色んな毛の色をしたフクロウが森の中には住んでいるという話だった。フクロウの中でも、一番
大きく分けられるのが、耳があるのと無いのがいるという事。
ミミズクという生き物も中にはいて、それは、耳があるのと無いものの差だと、僕のお父さんは
言っていた。だけれども、僕の友達にも、耳はあるけれども僕たちと同じ顔をした子がいて、その
子は自分はミミズクでは無いと言っていた。
フクロウとミミズクの差って一体何だろう? 僕には分からなかった。
何はともあれ、僕らは、フクロウであってもミミズクであっても、その体が大きくても小さくても、空
を飛ぶ事ができた。普段は森の中にいるから、木と木の間の短い距離だけを飛んだりするのだ
けれども、その気になれば、遠くにまで飛んで行く事もできた。
森の一番奥に入ってはいけないという決まりはあったけれども、遠くへ飛んで行ってはいけない
という決まりは無かった。
大人は時々遠い所まで、大きな荷物を持って飛んで行ったりする。僕らの住む森とは違う森に
も、フクロウやミミズクがいて、中には僕らよりももっと大きな鳥、確か鷲とかいう生き物と会った
りもするらしい。
でも、僕は森の中から出たくなかったし、そう更に言えば、自分の家である木から外へ飛ぶのも
嫌だった。
そんな僕を、いつもお父さんとお母さんは心配していた。
僕はどちらかというと、飛ぶ事ができるようになったのが、他のフクロウに比べると遅くて、中々
木から木に飛び移る事もできなかった。自分の体に羽が追いつかなくて、すぐに下へと落ちてし
まう。
僕がやっと空を飛べるようになったのは、学校に入る年になるほんの一週間前だった。
何年たった今でも僕は、空を飛ぶのが嫌いだった。他のフクロウよりも上手く飛べないし、何よ
りも地面に落ちるのが嫌だった。
その理由は、僕が太っていたからだろう。そう、僕はフクロウの標準的な体重と言われる重さよ
りも明らかに重くて、体がずんぐりとしていた。その割りに羽が小さくて、僕は飛ぶのが苦手だっ
た。
「アレックス! アレックス…!」
お母さんの声が僕の頭に響いてきた。いつも寝ている僕を起こしに来るお母さんの声だ。
「アレックス…! 起きなさい…! いつまで寝ているの…!」
僕はうとうととしながら、身を起こそうとした。お母さんの言うように僕は眠っていたわけではな
い。ただごろごろしていただけだ。起きるのが面倒だし、やる事も無い。だからごろごろしていた
だけだ。
今日は学校も無いし、一日中寝ていたって良いだろう。そうお母さんに言いたかったけれども、
言うのも面倒だった。
でも、お母さんが僕をばたばたと羽で叩いて起こそうとするので、ようやく僕は寝床から身を起
こした。
寝ている姿勢から起き上がる。そして、そこから何かをしようとするのが、僕にとっては何よりも
苦手だった。
「ほら、また寝ながらお菓子なんか食べて…! いい加減、そのお菓子ばかり食べるのを止めな
さい!」
お母さんの声が、僕の頭に錐のようにねじ込まれてくる。以前はそれに僕も反発していたけれ
ども、今では言わせたい放題だった。なぜって、そんな風に反発するのも面倒くさいからだ。
お母さんが羽で示したところには紙袋があって、それは僕のお気に入りのお菓子が入ってい
た。“ねずみクラッカー”は、僕だけではない、学校の皆も、フクロウの若い子達は皆好きなお菓
子だった。
だが、お母さんに言わせれば、
「そのお菓子、村の寄合いでもしょっちゅう話題に出るけどね。あなたみたいにころころと太る原
因になるって言うのよ…! だから、あなたもそればっかり食べていると…」
だけどそのお母さんの言葉は、僕にとって毎日聞いている言葉だから、それ以上聞いても意味
が無かった。
僕は何も言わずにお母さんの側をすり抜け、木の上にあるリビングへと向った。
「ちょっと、アレックス! 聞いているの? そのお菓子は―!」
僕はその言葉を聞いていたが、同時に聞いてもいなかった。木の枝同士の上に板を何枚も橋
渡しにしたリビングには、いつもお父さんがいて、新聞ばかり読んでいた。テーブルの上に置いて
あるのは、僕の冷め切った朝ごはんと、ねずみクラッカーだった。
僕はのろのろとリビングの席について、お母さんのいつも出す、味気ない朝ごはんに目をやっ
た。
木の実と、スズメの煮たし汁は味気が無い。大体、僕はスズメがあまり好きでない。お母さんは
健康に良いし、もっと高く飛べるようになるから、と言うのだけれども。
「お父さんからもアレックスに言って下さいよ…」
と、お母さんはテーブルに座って、新聞ので顔を隠すかのようにしていまっているお父さんに言
った。
だけれども、お父さんはお母さんの言った言葉が聞えないらしく、ただ新聞を読んでいるばかり
だった。
「ほら、お父さん! この子に、ねずみクラッカーばかり食べていると、また飛べなくなってしまうっ
て、言ってくださいよ」
お母さんが声を張り上げてそう言った時、お父さんはようやく気がついたようだった。
「あ、うーむ。今、何か言ったかね?」
そう言ってお父さんはねずみクラッカーに羽を出してそれをくちばしに運んだ。お父さんも僕と同
じお菓子が好きなのだ。
僕も、朝ごはんをそっちのけで、お父さんが手を伸ばした、ねずみクラッカーの皿に羽を伸ば
す。
お母さんは、そんな僕らの様子を、呆れた顔で見ていた。
僕と、僕のお父さんはねずみクラッカーが好きだったけれども、それは別におかしな事ではなか
った。一年程前に、そのお菓子は村で発売されていたのだけれども、瞬く間に村のフクロウ達の
間で話題になった。
それも、特に子供のフクロウ達の間では流行になり、その一度食べだしたら、一袋食べ終わる
まで止められないお菓子の味の虜になった。
僕らフクロウは、大体、スズメとねずみと、木の実が主食だった。他の小鳥や、小さな生き物を
食べる事もある。虫も食べる事だってある。
ずっと大昔には、フクロウ達もそれを自分達で森の中に狩りに行って捕まえていたのだけれど
も、今は、捕まえるフクロウは捕まえるフクロウでいて、食べ物は他のフクロウは買って食べるこ
とができていた。もう何百年も前にできた習慣で、僕らにとっては、食べ物は買うものという事が
当たり前になっている。
大人達が言うには、スズメや木の実が一番健康に良いらしい。特に子供が食べると、良く育っ
て、良く飛べるようになるからだそうだ。
だけれども、僕ら子供が好きなのはねずみだ。丸々と太ったねずみは、おいしい肉だったし、何
よりも食べているという感じが一番する食べ物だ。
大人も、ねずみを食べる事自体に関しては、逆に元気も尽くし、飛ぶのに必要な筋肉も付くから
と僕らに勧めている。
だけれども、僕ら、特に太っているフクロウはどうしても、食べすぎと言う事をしてしまう。そうす
ると、僕らは太って飛べなくなってしまったりする。
それに僕らフクロウを満足させるほどのねずみは、丸々と太っていないと、大した肉を持ってい
ない。そんなねずみを捕まえるのはなかなか難しいから、僕らにとって、ねずみというのはとても
高価で貴重なものだった。
だけどそうであっても、僕らはねずみが好きだった。僕の家でも、時々ねずみ料理をお母さんが
してくれる。
そんな中、僕らの村でねずみクラッカーが発売された。それはねずみの味がしたクラッカーで、
実際、ねずみの肉が使われているらしい。
すぐに食べなければ、痛んでしまうねずみの肉だったが、干して乾燥させられたものを使われ
ているらしく、ねずみクラッカーはかなり長い期間もった。
そして何より、僕ら子供のフクロウのお小遣いでも買うことのできるほど、安いものだったのだ。
同時に村の大人達は心配しだす。太ったフクロウの子供達が急激に増えだしたのだ。中には、
たった半年足らずで、空を飛べなくなってしまったフクロウの子もいるくらいだった。
僕は昔から太っていたのだけれども、ねずみクラッカーを食べてから、やっぱりその味の虜にな
ってしまっていた。
もっと太ってしまったのかどうかは、自分でも良く分からない。
ねずみクラッカーは、村の外、別の村でも人気があるらしかった。でも、そんな太りすぎて飛べ
なくなってしまうようなフクロウの子もいるくらいだったから、村の大人達は、ねずみクラッカーを売
るのを止めさせようと、村の寄り合いで決めようとしていた。
だけど、たとえどうであっても、僕らはねずみクラッカーが好きだったし、それを止めるつもりも
無かった。
「はいはい。今日も授業を始めますよ。ええっと、スペンサー君と、レチェロさんはお休みです」
大きな木の一番てっぺんに、幾つもの丸太を横渡しにして作られた教室に、先生の声が響い
た。そこが僕らの教室だった。
僕ら生徒達は、横渡しにされた木の枝のような丸太に、とまって先生のお話を聞く。だから太っ
ていてはかなり疲れてしまうのだ。
丸々と太っていては、その木の枝にとまる事ができないばかりか、体の重さで枝をぽっきりと折
ってしまう事もある。同じ木の枝に掴まったフクロウの同級生達を巻き添えにして、一気に枝から
落ちてしまうのだ。
僕らは空を飛ぶ事ができるから、枝から落ちても平気だし、万が一、慌てて羽ばたく事を忘れて
も、教室の下にも何本も木の枝が走っているからそれが受け止めてくれる。
とは言え、最近は、教室での授業中に、木の枝が折れてしまったり、枝に掴まっていられなく
て、下へと落ちてしまう出来事が多すぎた。
そんな事を起こして授業を中断させるのが、大抵、太ったフクロウの子達だった。
今日欠席の、スペンサー君や、レチェロさんも、木の枝を折ったり、授業中に転落してしまった
子達だった。
二人とも、ねずみクラッカーが大好きだったはずだ。そう、僕なんかよりもずっと好きだった。
授業中、先生の目を盗んで誰かが会話をしている。同級生のフクロウ達のひそひそ話しだっ
た。
「なあ、聞いたか? スペンサーの奴。太りすぎで飛べなくなったらしいぜ…」
「聞いた、聞いた。しまいにはベッドから起き上がれなくなるよ、あいつ…」
「昨日、見舞いにいったら、やっぱり風邪じゃあないんだ。本当に丸まる太っちまって、まるで団子
みたいになっちまってた。それでも、ねずみクラッカーの袋は放さないんだぜ、あいつ…」
とひそひそ話をしていたフクロウの子達自身も、小太りのフクロウだった。その子達も先生の目
を盗んでねずみクラッカーを授業中に食べたりしている。
そう言えば半年前まで、その子達は普通の体型だったのかもしれない。
教室を見回せば、先生の授業を聞くために、木の枝にとまっているフクロウの大半が、少しず
つ太ってきているような気がした。心なしか、僕も木の枝が狭くなってきているように感じていた
し、皆、以前よりも授業中にぼうっとしている事が多くなってきたように思える。
このまま、皆が皆、丸々と団子のように太ってしまったフクロウになったらどうなるのだろう?
僕は僕なりに想像してみた。
フクロウの皆が飛べなくなって、木の枝ではなく、地面の上を這うようになって生きている姿。そ
れはもうフクロウじゃあない。何だか、異様な光景のように僕には思えていた。
僕らはころころと太ったフクロウばかりになってしまう。だが、この時の僕には、そんな光景を頭
の中に思い描く事はあっても、恐ろしいとか、僕は痩せようとか、そんな気にはならなかった。
とにかく、毎日、目の前で起こる事を考えているだけで、面倒くさくて、どうでも良かったからだ。
その日も、僕はただただ、授業に出ていて、午後のぼうっとする眠気の中で話を聞いていた。
何だか、良く分からない数の計算を先生は熱心に教えていたように思う。
でも、僕にはそんな計算の方法なんて分からないから、木の枝にとまっている同級生たちの姿
をちらちらと見ていた。
やはり、皆太ってきている。もう、鳥としてのフクロウの姿ではない、丸々とした、まるで太ったも
ぐらのような姿になっている子もいた。そういう子は僕と同じように眠たげに授業を聞いている。
気がつけば、かなり多くのフクロウが太ってきていた。
そんな中、教室の最前列にいた、一羽のフクロウに僕は目を留めた。
真っ白な毛並み。僕らフクロウの中でも、完全に白い毛並みのフクロウは珍しい。僕は茶色だ
ったし、かなりくせの付いてしまっている毛並みがだらしない。
しかしその白い毛並みの子は、きちんと毛やら羽の手入れをしているようだった。
体格は僕と同じくらいだろう。小さかったり、大きい種のフクロウではない。そして、多分女の
子。頭の毛に付けた飾りで分かる。
今まで僕は女の子に興味を持った事など無いのだけれども、その子が、僕には妙に気になって
見えた。
周りがねずみクラッカーの食べすぎで、ころころ太った女の子だらけの中で、一際目立つ普通
の体型。そして真っ白な毛並みのせいなのだろうか。
あの子、名前は何て言っただろうか。僕は思い出そうと、久しぶりに頭を働かせようとした。
「木にスズメが、17羽とまっていました。そこに25羽のスズメがやってきて、8羽のスズメが逃げ
てしまいました。さあ、木にとまっているスズメは何羽?」
先生が、足し算と引き算を合わせた問題を出題してくる。
「はーい」
その白い毛並みの女の子が翼を上げた。羽までも綺麗に真っ白だ。
「はい、マチルダさん。分かりましたか?」
先生がその子を指して言った。
マチルダ。そう、その子の名前はマチルダだ。
「はい、分かりました。先生。木に止まっているスズメは34羽です」
マチルダさんの声は、僕らフクロウにしては割りと高い方だった。僕らフクロウ達は皆、鳥にして
は太く、低い声ばかりを出す。特に、僕らのような大きいフクロウ達は皆そうなのだ。
マチルダさんも、白いフクロウだけれども、身体の大きさは僕ぐらいある。彼女の少し高い声
は、どこか惹かれるものがあった。
「はい。正解ですね。よくできましたね」
と、先生に褒められても、マチルダさんは、特に喜んだ様子も見せなかった。
学校が終わって、僕はとっとと家に帰る事にした。特に寄りたい所も無いし、やりたい事も無
い。早く家に帰って、ねずみクラッカーを食べながらごろごろしていたのだ。
今日の授業で先生は宿題を少し出していたけれども、それは後でやれば良いだろう。それより
も僕は眠かった。家に帰ってご飯を食べる時間まで眠っていたい。
僕は学校から飛んで、家へと行こうとした。
だが、日増しに僕は自分の体が重く、だるくなってきているような気がしていた。羽ばたきなが
ら、時々腰に吊るしたバックからねずみクラッカーを取り出し、僕は家に向って飛んで行こうとした
が、上手く飛ぶ事ができない。
何だろう。いつもはこんなに重くなかったはずなのに。急に僕の体が石の塊でも背負っているか
のようになった。
僕は翼を広げて、力強く羽ばたき、何とか前へと飛ぼうとするが、だんだんと高さが落ちてきて
しまっている。
何で、急に、こんなになってしまったのだろう。
僕は羽で自分の体重を支えきれなくなってしまった。近くの木の枝に止まろうと、必死で羽ばた
こうとする。だが、近くの木の枝にさえ、届きそうに無い。
もしかしたら、僕はこのまま転落して、地面に激突してしまうのかもしれない。
自分が太りすぎた事が原因で? 僕はいつの間にそんなに太っていたのだろう?
僕の羽は僕を支えきれず、目の前の木の枝にも足が届きそうに無かった。
だがそこへ、誰かが現れ、僕の背中を足で掴んでくる。その誰かは、落ちていきそうになった僕
をそのまま近くの木の枝へと運んだ。
あまりにあっという間の出来事で、僕にも何が起こったのか、何が何だか分からない。だけれど
も、その誰かは、落ちそうになっていた僕を助けてくれたのだ。
近くの木の枝に運ばれた僕は、助けてくれた者を見上げた。それは真っ白な毛並みの、優雅な
佇まいをしたフクロウだった。
「あなた、大丈夫?」
と、その白いフクロウは尋ねて来る。よくよく顔を見ればどこかで見覚えがある。声も聞き覚え
がある。
そう、マチルダさんだった。
「う、うん…、大丈夫…」
僕は少し気が動転していた。さっきは今にも落ちてしまいそうだったのだから。
「あなた、随分と重いのねえ…。見た感じも結構太っているし…、そのままじゃあ、いつ落っこちて
も不思議じゃあないわよ…」
マチルダさんは僕の姿をまじまじと見つめて言って来た。
確かに言われて見ればそうかもしれない。僕の体と比べれば、マチルダさんの身体はかなり細
く見えた。真っ白な毛並みもそうかもしれないけれども、マチルダさんの方がフクロウとしては普
通の体型なのだろう。
「あなた。どこかで会った?」
マチルダさんは僕の顔を見て言って来た。彼女の眼は大きい、そして、どこか鋭い感じがする。
僕のいつも寝ぼけたような顔を見て、どう思っているのだろう。女の子に、こんな間近で顔を見
られるのなんて、僕にとっては初めての経験だ。
「う、うん。同じクラスだから…」
「ああ、そうだったかしら? まあいいわ。でも、あなた、ちゃんと痩せないと駄目よ。それ以上太
ると、フクロウじゃあなくって、毛の生えた団子になるでしょうから。気をつけてね」
そう、お母さんが言うように僕に言うと、マチルダさんは、すぐに木の枝から飛んで行ってしまっ
た。
真っ白な翼を広げ、木の間を飛んで行く彼女の姿は、他のフクロウ達と比べてもかなり目立つ。
「あ、ありが…」
僕の頭の回転の遅さでは、マチルダさんにお礼を言う暇すらも無かった。彼女は僕などよりも
数段速い速さで木の間を飛んで行ってしまった。
僕は、マチルダさんが飛び去っていく姿を、ぼうっとした姿で見つめていた。
どうやったら、彼女見たいに、優雅に飛んで行く事ができるのだろう? 僕は、今、地面に落ち
そうになってしまった。翼が傷ついたわけでもない、何か、突風が僕に襲い掛かったわけでも無
い。
ただ太りすぎた。それだけの事が原因で僕は落ちそうになってしまっていたのだ。
不思議だった。今まで僕は、自分が太っているという事に対して、こんなにまで考えた事は無か
った。
それが、あのマチルダさんが優雅に飛んで行く姿を見て、僕は不思議と自分自身を見つめなお
していた。
飛べなくなってしまっている自分自身、そして、フクロウとしての姿とは、もはやかけ離れた姿と
なってしまっている自分自身を。
「だからァ! これ以上のねずみクラッカー販売を、この村では禁止しないといけないんですよ
ォ!」
村の集会場にフクロウのおばさんの声が響き渡った。茶色い毛で覆われたそのおばさんの身
体はフクロウの中でも大型の種であった上に、かなり脂肪が付いて太ってしまっている。
だがそんなおばさんの身体がただの見掛け倒しで無い事は、その声の迫力を持っても明らか
だった。
「まあ、まあ、皆さん落ち着いて…」
そう集会場に集ってきた村の大人達を沈めようとしたのは、村長の付き人の人だった。付き人
の人は、木の切り株の反対側に陣取っている、迫力あるおばさん達に比べると、かなり頼りない
大きさのフクロウだった。
「そんな事言っている場合じゃあ、無いんですよ!」
別のおばさんが甲高い声を上げた。
「村を見てご覧なさい! どれだけ太っている子達がいると思うんですか!」
また別の背の高いおばさんが声を上げる。
「あたしの息子なんて、団子見たいに太ってしまって…」
今度、声を上げたのは半泣きになってしまっているおばさんだった。
しばらくの間、村の集会場は騒然としてしまった。ねずみクラッカーの村での販売に反対するお
ばさん達が、一斉に村長達に向って声を上げていたからだ。
「静かに! 静かにして下さい!」
村長の背後にいる、大柄なフクロウが声を上げ、おばさん達の声はだんだんと弱まった。その
フクロウは年を取ってしまった村長を、色々な面で守る護衛だった。
おばさん達の声が弱まってくると、村長はゆっくりと口を開いた。
「村の皆様方…。わし達村の、大切な宝物である子供達のお母様方…。あなた方が、ねずみクラ
ッカーによって、ころころと太ってしまった子供達について心配する気持ちも良く分かります…。そ
れはわし達としても同じ事です…」
村長は厳かな声で話し始めた。
「だったら…!」
どこかのおばさんが村長にそう言おうとしたが、
「しかし、子供達は皆、ねずみクラッカーが好きなのです。あなた方は、そう簡単にねずみクラッカ
ーを村で発売するのを止め、子供達からそれを取り上げてしまう事ができますかな…?」
村長がその言葉を遮ってそういった所、おばさん達の声がますます過熱する。
「できますとも! だからここにこうやって来ているんじゃあないですか!」
「ねずみクラッカー反対!」
「反対!」
村のおばさん達が羽を上げ、皆、一斉に声を上げだす。
おばさん達が興奮しだして来て、また集会場の収拾が付かなくなってくる。何とか、村長の声が
その中に割り入る事ができた。
「ねずみクラッカーについて、村の者に調査させました。今、その者はこの場に来ております!」
村長はそのように声高々に言うと、すぐに咳き込んでしまった。
「是非、その人に話を聞きたいですね! ねずみクラッカーが、どれだけ子供達に有害なのか、
教えてもらおうじゃあありませんか!」
そんな村長の様子になど構わず、一人のおばさんが声を上げて叫ぶ。
「アダム入りなさい…」
咳き込みながら、村長は集会場の奥の扉に呼びかけた。するとその扉の向こう側から、一羽の
白いフクロウが姿を現す。体つきはほっそりとしており、眼鏡をかけていた。羽に持った書類を見
つめながらぶつぶつ言いつつ、集会場へと入ってくる。
「今期の…、純利益は、ふむふむ。であるから、来期は、このぐらい納品すれば…」
眼鏡をかけた白いフクロウは、ぶつぶつ言っているだけで、集会場で起こっている出来事には
興味が無いようだった。
「アダム…。アダム…。村のおばさま方に、報告をしてあげなさい…」
村長にそう言われ、アダムという眼鏡をかけたフクロウは、はっと気がついたようだった。
彼は眼鏡をかけ直しながら、村のおばさん達の目線の中心に立ち、手に持った書類を一枚捲
って話し出した。
おばさん達に見つめられていても、アダムは、独り言を話しているかのような態度を変えようとし
なかった。
「いや、ですねえ…。ねずみクラッカーの成分を、製造会社に問い合わせたんです。そうしたら、
子供が肥満になる原因のようなものは含まれていない。そう返答があったんですね…」
アダムの声を掻き消すかのようなおばさんの声が響き渡る。
「そんなの、製造会社のデマよ!」
「嘘よ! 嘘っぱち!」
と、おばさん達が声を上げても、アダムは続けた。
「いやあ…。もちろん私も独自で調べ上げましたよ。ねずみクラッカーの成分を、隅々までしっか
りと、何度も疑って調べてみました。ですがね…、そんな肥満の原因になるものは含まれていな
いようなんですよ…」
「じゃあ、何が原因で子供達が太っているのよ!」
「原因を教えなさい! 原因を!」
おばさんが、その大きな翼で集会場の切り株テーブルを叩きながら声を上げる。その様子は
散々たる有様だ。
「…、ねずみクラッカーが直接の原因でないとすれば、子供達の肥満の原因は、ただ単純な食べ
過ぎかも…? 何せ、あのねずみクラッカーは大人が食べてもおいしいですからね…。子供達が
食べだしたら止まらなくなるのも、無理は無いですよ…」
しかし、そんなアダムの言葉は、村のおばさん達の感情を逆撫でするばかりだった。
「あなた達がそんな事を言っているから…! ころころ太った子供達ばかりになっちゃうのよ!」
「ねずみクラッカー反対!」
騒然となる村の集会場のおばさん達の声は、その後しばらく止むことは無かった。
僕は、何とか重い体を飛ばしながら家に帰った。あの時、マチルダさんに助けてもらわなかった
ら、今頃どうなっていただろう。
とにかく自分の身体を飛ばす事だけでも疲れていた僕は、家に辿り着くと、さっさと横になって眠
ってしまった。
自分の家の寝床の中で、まだ夜も明けない内に眠ってしまった僕。他の動物達は、これから眼
を覚まして活動するのだけれども、僕達フクロウは、ちょうど、昼間の動物達とは間逆の生活を
送っている。
日が昇っている間は、どのフクロウも眠っているのだ。日が昇る前に眠ってしまうのは、フクロ
ウとしてはかなりの早寝になる。
食事もしないで、学校から帰って来てすぐ眠ってしまう僕の事を、お母さん達はどう思っているの
だろう? どうせ起こそうとしても無駄だから、起こさないでおいているのだろうか?
僕は寝床に入ってすぐに眠ってしまったようだ。まるで丸太のようになって眠る僕は、夢を見て
いた。
夢の中で、僕はまた空を飛んでいた。今日飛んでいた所よりも、僕は高い所を飛んでいた。
飛んでいるのは僕だけではない。他にも大勢のフクロウが飛んでいた。周りを飛んでいるフクロ
ウ達は、皆、僕よりもずっと痩せていて、そこには太っているフクロウなんて一羽もいなかった。
しかも皆、飛ぶのが早くて僕がとても追いつけそうに無い。僕はどんどんフクロウ達に追い越さ
れていった。
フクロウ達に取り残されないようにと、僕は必死に羽ばたこうとするが、とても追いつける様子
は無かった。
やがて、一番後ろのフクロウが僕を追い抜いてしまうと、大勢のフクロウの群れから、僕は完全
に切り離されてしまったようだった。
その時の僕は、自分が夢の中にいるという事を知らなかったから、自分が飛びつかれているも
のだと感じていた。
どこか、近くの木の枝にとまって休もう。それから、後でまた群れを追いかければいいや。そう
僕は思い、近くの木へととまろうと羽ばたいた。
だが不思議だった。幾ら手近な場所にある木に止まろうと羽ばたいても、木が近付いてこない
のだ。
羽が届く所に木は見えているのに、木がどんどん僕から離れていってしまっているかのようだ。
僕は木に追いつこうと必死に羽ばたいた。だけれども、幾ら羽ばたいても、木にとまる事ができ
ない。
必死になってはばたいている内に、僕はどんどん疲れてきて、体も落ちているかのようだった。
僕は、こんなに自分が重いなんて、今まで夢にも思っていなかった。
「あらら…、随分重たそうねえ…」
僕の頭の上からマチルダさんの声が聞えてきた。僕が顔を上げると、マチルダさんは、その綺
麗な翼は羽ばたかせ、僕のすぐ上を飛んでいた。
昨日は彼女が僕を引っ張り上げて運んでくれたおかげで、僕は地面へと落ちずにすんだ。だけ
れども、今のマチルダさんは、僕を引っ張り上げようともしない。
むしろ、自分の重さで飛ぶ事ができなくなっている僕を、くすくすと笑っているようだった。
笑っているのはマチルダさんだけじゃあなかった。そこら中から、他のフクロウ達が僕を笑って
いる。いや、笑ってフクロウだけじゃあない。僕の手の届かない所にある木の上から、ねずみが
笑っている。しかもそのねずみはねずみクラッカーだった。
ねずみが、クラッカーの姿のまま笑っている。
あまりの出来事で、ぼくは羽ばたき方を忘れてしまったかのように、地面へと落下し出した。
マチルダさんの笑い声が聞える。皆が僕を見下ろしてきている。
「こら、アレックス! ちゃんと羽ばたきなさい!」
お母さんの声が聞えて来る。だけれども、僕にはもう羽ばたく力も残っていなかった。羽ばたく
力が残っていないんじゃあなくて、僕は、羽ばたき方を忘れてしまったかのようだ。
どんどん地面が迫って来る。
だけれども、その地面の光景は、僕が落ちているという事を忘れさせてしまうほど、異様な光景
だった。
地面の土の上を、丸い団子のようなものが沢山転がっている。団子にしては異様に大きく、気
味が悪かった。
それは団子ではなかった。丸々と太ったフクロウ達が、転がっていたのだ。
まるでもぐらのように? いや、まるで本当に毛の生えた団子がころがっているかのような、異
様な姿だった。
気味が悪い。こんなのがフクロウなんかじゃあない。
僕は、その団子のようになってしまっているフクロウ達の中へと飛び込んでいった。
僕が眼を覚ましたとき、辺りはまだ明るかった。それはフクロウの時間で言えば、まだ寝ている
べき時間だという事を示していた。
最近の僕にしてみれば、起きてすぐに目が覚めてしまった事でもあった。
夢で起こった事が、現実であるかのような感覚が僕を襲う。本当にまだ脚が枝に届かなくて、必
死に羽ばたいているような感覚だ。
自分の脚が、きちんと寝床についている事を僕は確かめる。
うん。確かに脚はついている。今見た光景は夢だったのだと、僕は自分に言い聞かせようとし
た。
だが、そう思ってもどこか落ち着かないし、僕は眠れそうに無かった。
遅かれ早かれ、僕は今、夢で見た光景と、同じようになってしまうのかもしれない。自分の重さ
を羽で支えきれなくなり、枝まで脚が届かなくなるのだ。
そして僕は地面へと落下する。脚を怪我してしまった僕は、地面にいる他のフクロウ達と同じよ
うに、転がってでしか動けなくなってしまうのだ。
一昔前まではそれでも良いと思っていた。ねずみクラッカーさえ食べる事さえできれば、後の事
はどうでも良かったのだ。
だけど、今、ベッド元にあるねずみクラッカーを見ても、僕はそれに羽を伸ばして食べようという
気にはならなかった。
以前は、寝つきが悪いときに、一袋くらい空にしてしまうものだったのだけれども。ねずみクラッ
カーをあと一つでも食べてしまえば、僕は地面を転がる事になるような気がしてならなかった。
僕は、このまま飛べなくなってしまうのか。そんなこと、今まであまり考えなかったことだけれど
も、今は、僕も不思議とそんな不安に襲われる。
僕は、すでに丸々と太ってしまった体を寝床で縮め、考えた。
今日、地面へと落ちそうになった時からだったのだ。そして、あのマチルダさんが、まるで僕に
見せ付けるかのように飛んでいる姿を見せたからだ。
飛ぶ事ができないフクロウはフクロウじゃあない。僕は飛べなくなってしまう事、そしてフクロウじ
ゃあなくなってしまう事が恐ろしかった。
そうなってしまわない為に、僕ができる事と言ったら、一つしかなかった。
僕にはお父さんとお母さんの他にもおじさんがいた。僕は一人っ子で、そのおじさんには子供が
いなかったから、僕はおじさんにも可愛がってもらった思い出がある。
思うに、僕の両親よりも、おじさんの方が優しかったような気もする。
おじさんの名前は、アダムと言った。
おじさんは、僕達の家の近所に住んでいて、今でも時々会いに行く。ちょうど、今日がその時
だ。
おじさんの住んでいる木の上の家に行くまで、僕は必死になって翼を羽ばたかせながら、やっと
の思いで辿り着いた。おじさんは高い木のてっぺんの辺りに住んでいたから、僕はそこに行くだ
けでも必死な思いだった。
「ご、ごめんください…、おじさん…」
僕は息を切らしながら、おじさんの家へと入って行く。おじさんの家は僕の家と同じくらいの大き
さだったけれども、おじさんが一人で住んでいる。
おじさんの家には物が多い。ねずみやらスズメの入った瓶。良く分からない薬の入った瓶など
が棚にびっしりと並び、本もテーブルや床に置かれていたせいで、まるで物置きの中にいるかの
ようだった。
長年、掃除もされていないらしく、中は埃っぽくて僕は咳き込む。
「ごめんくださーい」
僕が何度か呼んでもおじさんは出てこない。大きな身体を狭い場所に押し込みながら、何冊か
の本を床へと落としつつ、おじさんの家を奥の方へと進んで行った。
家の奥の部屋から、何やら物音が聞えて来る。それは一定のリズムだった。まるで、のこぎりを
ひくかのような音。良くおじさんは何かの工作をして発明をしていたりするから、今日も何かを作っ
ているのかもしれない。
そう思って、僕は奥の部屋に踏み込んで行った。
そこでは狭い部屋の中で本や、何かの機械に囲まれた、おじさんが、何かに集中しているよう
だった。
「よぉぉし…、いいぞ…。我ながら、良くここまで上手くできたものだ…。これでスパイシー風味も
…」
「おじさん…!」
何やらぶつぶつ言っているおじさんに、僕は再び呼びかける。
そこでようやくおじさんは僕が来た事に気付き、後ろを振り向いてきた。おじさんの眼鏡をかけ
た目が僕を見つめる。
「おお、アレックスか…。一体、何の用事だね?」
おじさんは、僕が勝手に部屋に入って来てしまっても、大して気にしていないようだった。
おじさんは真っ白なフクロウだ。ただマチルダさんのように綺麗で白い毛並みをしているというよ
りも、何となく年を取っているから白い毛並みになってきている、そういう感じだった。
「ぼ、僕…、痩せたいんだけど…」
「は…? 痩せたい?」
おじさんは僕の姿をまじまじと見つめ、言ってきた。手にしていた何かの作業も中断する。
「ぼ、僕…、昨日、飛べなくなりそうになったんだ…。多分、体の重さを支えきれなくなって、それ
で、木の枝に飛び移る事ができなくて…」
「確かに、君は少し太りすぎている、な」
おじさんは僕のすぐ近くまでやって来てそう言った。
「僕…、学校に行けなくなったり、飛べなくなったりするの、嫌、だから…」
僕がそう言うと、おじさんは、
「もしかして、君もねずみクラッカーの食べすぎでそんなになったのかね?」
図星だった。
「う…、どうしておじさんが、それを…?」
「どうしても何も無い。村中の大人皆が言っておる。君の向かいの家に住んでいる背の高いおば
さんも、私の近所に住んでる小さなおばさんも、皆、みんな言っておる。ねずみクラッカーが原因
で、子供達が太りだしたと」
「う…、やっぱりそうなんだ…」
僕も、薄々その事を感じていなかったわけではない。ただ大人のフクロウ達がねずみクラッカー
をこの村から無くしてしまうのが怖くて、僕はその事を聞く気になれなかったのだ。
「君は、痩せたい為に、ねずみクラッカーを止める事はできるかね?」
そうおじさんは言いつつ、片方の翼に本を持ってそのページをめくり始めた。
「な…、何だってする…、もう落っこちたくはないから…。ねずみクラッカーぐらい…」
そう言う僕の頭には、今日見た夢が思い浮かぶ。地面をごろごろと転がっていた、フクロウとは
かけ離れたような、不気味な生き物、このまま太っていったら、僕はあんなになってしまう。
おじさんは本をめくりながら僕に言って来る。
「やれやれ、随分な変わりようだね、アレックス。昔は、何をするのにも他のフクロウより一羽ばた
きくらい遅かった。君のお母さんもそれをいつも心配していた。
まあそんな君が、何をきっかけにしろ、私の家まで自分からやって来てくれたのだからね…。可
愛い甥っ子のためにも、痩せる手伝いをしてあげても良い。それに、私の元には、同じように痩
せたいっていうフクロウが良く来るんだ」
「ほ、本当に…?」
そしておじさんは、本棚から一冊の本を取り出して僕に見せた。
「“誰でもできる。団子になってしまう前に! フクロウの秘密痩身法!”この著者は私なんだよ。
この森ならず、ずっと遠くの森でも話題になった本さ」
「あ…、本当だ…、おじさんの名前が…」
その、本屋でも目立つように彩色された本には、おじさんの、アダムという名前があった。
「10羽のフクロウ中、8羽が痩せられた…。それは本当の事なのだよ、アレックス。君がその気
になれば、痩せる事はもちろんできる。君には私がいるんだ。大きな風に乗ったつもりでいたまえ
…」
「そっか、じゃあ、ねずみクラッカーも止めないと!」
つい僕は意気込んでそう言ってしまった。するとおじさんは、
「いかん! ねずみクラッカーを止める必要などないぞ、ないのだぞ、アレックス…!」
おじさんは急に大きな声を立てて僕に言って来た。僕は思わず驚く。
「だ、だって、おじさん、今、ねずみクラッカーが僕らが太る原因だって…!」
そう、僕自身も、ねずみクラッカーの食べすぎで、皆がどんどん太っているのだと思っていた。そ
れしか僕は考えられなかったし、他に何が原因なのかなんて想像も付かなかった。
「ねずみクラッカーは食べてもよろしい…。あれはそんなに太るものじゃあない。この私が言って
いるんだから間違いない。ただし、二日で一袋までにして置きなさい」
おじさんは僕に言いつける。果たして二日で一袋に抑える事なんてできるだろうか。ねずみクラ
ッカーの味は、まるで次の味を求める事を誘っているかのようで、とても一袋なんて抑えることが
できそうになかった。
「安心したまえ…、私だって、ねずみクラッカーを食べているんだから…」
そう言っておじさんは、机の脇に置いてある紙の袋を指差した。そこには食べかけのねずみク
ラッカーが置いてある。
「本当だ…。おじさんも食べているんだ…。あれ? でも、そのねずみクラッカーは…?」
袋の色が赤い色だ。僕達が食べているねずみクラッカーの袋の色は、羊皮紙のように茶色い
はずだった。
「これは新製品でな…。唐辛子が入っている。唐辛子といっても、ほんの少しの風味を付けただ
けだから、子供でも食べられる…」
だが、僕はそんな新製品のねずみクラッカーをおじさんが食べている事に疑問を持った。
「何で、そんなお店にも置いていないクラッカーを、おじさんが持っているの?」
「…、そ、それは…、このクラッカーが、この村の子供にも好かれるかどうか、私に試食して欲しい
というので、贈られてきたんだ。何しろ、私はこの村一番の物知りだからな…。子供達がどんな味
が好きか、というものはすぐに分かる…」
おじさんは、少しうろたえたかのようにそう答えた。そんなおじさんの態度など僕には気にならな
かったけれども、知らぬ間に僕は翼を、唐辛子入りねずみクラッカーの袋に伸ばし、そこから一
つのクラッカーを取っていた。
そして、おじさんが振り向いていた隙に、僕は自分自身でも気付かぬ内に、ねずみクラッカーを
頬張っている。
「こ、こら…。ねずみクラッカーは一日半袋と言っただろ…」
「あ…、ごめんなさい…」
僕は自分がねずみクラッカーを食べているという事に気付き、急いでそれを飲み下してしまっ
た。
「まあいい…、この本に書いてある事を、私がみっちり君に指導してあげれば、三ヶ月後には見
違えるように痩せてきているだろう…。すぐにでも始めたいかね…?」
「どうしようかな…」
僕は迷った。僕の回転の遅い頭では、決断をするにはとにかく苦手だった。確かに僕は痩せた
い。でなければ飛べなくなってしまう。でも、痩せる為にしなければならない努力というのも大変そ
うで嫌だった。
だけれどもおじさんは、
「よぉし、迷うのだったら、早速やって見よう。アレックスよ。迷うという事はやりたいという事だ。や
ろうかと迷っているが、ほんの一押しが足りないだけなのだ。私がその一押しをしてあげよう」
そう言っておじさんは僕の背中を翼でぽんと叩いた。
おじさんは少し強引な所があって、一度僕を誘い出す止まるとは無かった。僕も引き下がろうに
引き下がれなかった。
だから僕は半ば強引に、おじさんに外へと連れ出されてしまった。
「ところで…、その唐辛子入りねずみクラッカーの味はどうだった?」
「ほら、もう! 何をやっているのよ。早くしなさい」
夜の森の中に、甲高いフクロウの声が響く。それは若いフクロウの娘の声で、やがてすら
りとした体つきの真っ白な毛並みのフクロウが現れる。
その後から、背の高い茶色い毛並みのフクロウが続いた。白いフクロウの娘は、まるで
獲物を伺うかのように顔をきょろきょろとさせ、辺りの様子を伺った。
「マチルダよォ…。こんなところに一体、何の用事なんだよォ…」
ふてくされたかのような態度で、後から茶色いフクロウが続いてきていた。
「何を言っているのよ! 村の大人達も知らない、森の謎を解き明かすのよ、私達が!」
と、甲高い声を響かせ、白いフクロウの娘は地面へと降り立ち、その脚でどんどん森の闇
へと進んで行く。
彼女達フクロウは、暗闇でも物を見ることができる。だから、どんな生き物よりも夜の闇
が得意だったし、何しろフクロウ達は夜に活動する生き物だった。
しかし、このフクロウ達の住む森の、一番深い森の中心は、そんなフクロウ達の時間であ
っても、他の生き物は全く寄り付かず、何の気配も無かった。ただ、黒く塗りつぶされたか
のような闇が続いている。
それはフクロウでさえも恐れを成してしまうかもしれない程の、深い闇だった。
しかし白いフクロウの娘、マチルダは、どんどんその闇の中へと進んで行く。
「お、おい…、マチルダよォ…、帰ろうぜ…、怖いよ…」
背の高いフクロウは、マチルダよりもずっと年長のフクロウだったが、その闇に恐れを成
しているようだった。
「あーら? 何、怖いの? どうせ、村長さんが話している事なんて、実際は大したものじゃ
あないわ…。でも、何が森の中心にあるのか、気にならない?」
マチルダと年上のフクロウは、村長の言いつけであるはずの、印をされた木を越えて森
の中心に行ってはならないと言ういいつけを破り、どんどん森の中心へと近付いてきてい
た。
「お、おいよォ…!」
背の高いフクロウは、森の闇が怖いらしく、どんどん奥へと進んで行くマチルダにはそれ
以上付いて行こうとはしなかった。
だが、マチルダはある所で立ち止まっていた。
「あら…? 何の匂いかしら…? これ…、よく知っているような…?」
そうマチルダが言いかけた時だった。
「こらァ! 誰だ! 勝手に入って来ているのはッ!」
森の奥から声が響き渡る。太く、図太いフクロウの声が、地鳴りのように辺りに響き渡っ
た。
「きゃ、きゃあッ! バレちゃった! 逃げよう! 逃げるわよ!」
急にマチルダは恐れを成し、今度は大急ぎでその場から飛び去っていった。後から、背
の高いフクロウも続いて、一目散に逃げ出していった。
子供のフクロウ達が飛び去って行ってしまうと、森の闇の中から、一羽の大柄なフクロウ
がぬっと姿を見せた。
「全く…、悪戯好きのガキ共め…。もう嗅ぎ付けてきたか…」
その大柄なフクロウは、片翼に一匹のねずみを手にしていた。必死になって逃げようとし
ているそのねずみを、そのフクロウは、躊躇すること無く、その大きな口で一気に丸呑みに
してしまった。
僕と、おじさんの、痩せる為の特訓は続いていた。
おじさんは自分の書いた本に乗っ取って、僕を痩せさせようと、あらゆる方法を課題とし
て僕に持ちかけてきていた。
おじさんが言うには、僕はまず基礎体力というものを付けなくてはならないらしかった。そ
れが無ければ、痩せるための運動をする事はできないし、今のままでは長い時間飛ぶ事も
できないという事だ。
だから、僕はまず、短い距離でも良いから飛んで、その体力を付ける事にした。
「この木から、あっちの木まで飛んで行きなさい。それができたら、さらに向こう側の木まで
飛ぶようにする」
おじさんの家の周りが僕の特訓場だった。おじさんの家はとても高い所にあったから、途
中で力尽きて飛べなくなってしまったら、かなり下の地面まで落ちてしまうことになる。
「分かった。やってみるよ…」
隣の木まで飛び移る事ならば、僕にもできそうだった。でも、おじさんが課した痩せる方法
は、隣の木まで飛び移るだけで良いのではなく、隣の木まで飛び移ったら、さらに隣の木ま
で、次々と飛び移って行かなければならない。
それを、自分が可能なだけやるというものだった。
最初にその運動をやった時、僕は5つ目の木に飛び移っただけでも、もう息が上がってき
ていた。何とか痩せる為に頑張って、自分にとっては少し無理をして7つ目の木にまで飛び
移ったけれども、それは自分にとっても無理があったらしく、僕はふらふらとなりながらその
場に倒れこんでしまった。
後からおじさんがついて来る。おじさんの方は、何の無理をする事も無く、7つの木を飛ん
できていた。
「まあ、こんなものだろう…、仕方あるまい。私の本を読んだ人の中には、3つの木も飛び
越えられないほど太っちまったフクロウもいたからな…。
息が落ち着いたら、はい、もう一回」
「え、えええ!? これで終わりじゃあないの…?」
僕にとっては、これ一回で、もう限界だったのだ。
「何を言っておる。私の痩身方法は、繰り返し何度もやるからこそ、効果があるんだ。実際
にこれで痩せたフクロウもたくさんいるんだ」
「で、でもぼく、そんなに、もうできない…」
ほんの短い距離を飛んだだけでも、僕の翼はもうフラフラだったのだ。
「だったら、また飛べるようになってからでも構わん。とにかく大切なのは続ける事なんだ」
おじさんは、僕ができない事に対しては何も言わなかったが、とにかく続ける事と諦めな
い事を強調して教えていた。
僕も、息を切らせていたほんの少しの後は、翼の疲れも治ってきて、また飛べるようにな
っていた。
だが、おじさんの言う痩身法とは、実に単純で、同じ事の繰り返しのように僕には思えて
いた。木から木へと飛び移る運動。最初はそればっかりをやらされていた。
「おじさん…。本当に、こんな事ばっかりで、僕は痩せられるの?」
数日もした頃、僕はおじさんにそう尋ねていた。
「もちろんだとも。現に君は、だんだんと飛ぶ距離が伸びていっているではないか?」
その頃には、僕は10本くらい向こうの木にまで飛んでいけるようになっていたし、そこか
ら戻ってくる事もできるようになっていた。
「でも…、普通のフクロウ達は、どこまで飛んでいっても、ちっとも疲れないよ…。それなの
に、僕はまだあの木に辿り着くのがやっとだよ…」
僕は弱気になっておじさんにそう言った。
だがおじさんはそんな僕に向って声を強めて言ってくる。
「そんなに焦ってはいかん! ほんの数日前まで、君は、2,3本の木の間しか飛び越えら
れなかった。それはもう、フクロウとしても、鳥としても失格と言える。何しろ、その翼で体の
重さを支えられないのだからね。だが、今は、その距離がほんの少し伸びたとはいえ、前
に進んでいるではないか…」
おじさんにはそう言われたものの、僕は疲れてため息をつくばかりだった。
「大事な事は続ける事。私の痩身法を実践していれば、誰だって、ものの数ヶ月で痩せら
れるのさ…。さあ来たまえ。今からもう少し高度な運動をやるぞ…」
「えええ…、まだやるの…?」
と言って、僕は弱音を吐くばかりだった。
「ねえ…、アレックス…、どこに行くの?」
「また、ねずみクラッカーを買いにいこうよ」
と、僕の同級生達は、学校を帰る時に誘ってきたけれど僕は、
「ごめん…。今日、おじさんの所に行かなくちゃあならないんだ…」
と、それだけ言って、少し必死になって翼を羽ばたかせる。僕の体は羽ばたきで何とか持ち上
がり、教室から飛び立って行った。
「また、おじさんだって。しかも、凄く急いでいるみたいだったね」
「前は、もっとトロトロしている奴だったのに…」
「そういえば、最近、あいつ、痩せたな…?」
と言いつつ、フクロウの面々は、手に持っていたねずみクラッカーの袋から、一枚のクラッカー
を取り出して食べていた。
「おじさん、おじさん」
と僕は言って、おじさんの家へとやって来た僕。おじさんの痩身計画を僕がやり出してから、今
日でもうだいたい一ヶ月くらいが経っていた。
僕自身は、どれだけ痩せてきたのかは分からないけれども、おじさんの家まで、一度も休まな
いで飛んで来れるようにはなっていた。
「おじさん…?」
今日は珍しく、家の中からおじさんの返事が無い。どうやら家の奥の方にもいないようだ。
おじさんの家のテーブルの上には、木の縄、それも、ぶよぶよと伸びる縄が一巻きにして置い
てある。おじさんはそれをゴムとか言うものだと言っていた。僕の痩身計画に使っているものの一
つだ。
ゴムを僕の体や翼に巻きつけて、そのまま飛ぶ。ゴムはぶよぶよと伸びるとは言っても、まるで
鉛でも乗っけられているかのような気分だ。
最初、僕はそんなもので運動をするのなど、嫌だと言った。事実、ゴムの運動はかなり辛いもの
だったし、僕の翼はもう動かせないほどになってしまった。
しかし、不思議だった。ゴムを外した後に、僕に再び飛んでみるようにおじさんは言った。僕は
再び空を飛んで見る。すると、まるで翼がもう一枚付いたかのように体が軽く宙に浮いた。
まるで、本当に翼がもう一つ付いてしまったかのような快感…。僕はそれを味わっていた。
それ以来、僕は、ゴムを使った運動をするようになった。ゴムでの運動はなかなか辛いものが
ある。でも、その分、得られるものが大きいという事も、僕には分かり始めていた。
今では、運動自体を楽しむようになっていた。
と、そんなおじさんとの運動を楽しみにして来たのだけれど、テーブルの上に一巻きにされたゴ
ムの横に、おじさんが書いた置手紙が置いてあった。
(アレックスへ
私は仕事があるから、帰るのが遅くなってしまう。もし良ければ一人で運動をはじめていたま
え。 アダム)
その置手紙を見て、僕は、おじさんの仕事が、一体どんなものなのか思い出そうとした。発明ば
かりしているおじさんだから、それが仕事なのだろうか。
この家の中でしないで、どこかへ出かけてする仕事なんて、どんなものだろうと、僕は想像して
みた。
「ねえ、あなた、ここの人の、一体、何なの?」
そんな時、僕の背後から呼び掛ける声が聞えた。その声には聞き覚えがあった。僕は後ろを振
り向く。
そこにいたのは、真っ白なフクロウ、マチルダさんだった。マチルダさんは、その真っ白な翼を
広げ、僕の所へと降り立とうとしているところだった。
「あ…、マ、マチルダさん…」
僕は少し驚いた目で彼女を見た。なんでマチルダさんが、僕のおじさんの所へなどやって来る
んだろう。
「ねえ、あなた。ここのおじさんの、一体、何だっていうのよ!」
マチルダさんは、何かに急き立てられているかのように僕に言った。
「ぼ、僕は、ここの、アダムさんの…、甥っ子だけど…」
僕がそう言うと、マチルダさんは嬉しそうな表情をして見せた。
「そう。それは良かったわ。じゃあ聞くけど。ここの人、つまりあなたのおじさんは、一体何をしてい
る人なの?」
「えっ? 何の事?」
マチルダさんが何でそんな事を聞いてくるのだろう? 僕の頭がそんな事を考えている内に、彼
女は質問をまくし立てた。
「ちょっと、トロい人ね! あなたのおじさんは、どんな仕事をしている人なの?」
「僕のおじさんは、発明か何かを…」
僕はそれだけ答えていた。するとマチルダさんは、何かに納得したかのような顔をしてみせた。
彼女は翼を叩いてうなづく。
「なーるほどね。どうりで!」
マチルダさんが何で納得したのかは、僕にもさっぱり分からなかった。大体、何で彼女が僕の
おじさんの家を知っているのだろう。
「あの…、僕のおじさんに、何か用なの?」
僕はマチルダさんに尋ねてみる。すると、
「あたし、森の中心に行きたいの」
彼女はいとも簡単にそんな事を言ってしまっていた。普通のフクロウの子達なら、森の中心に
行くという言葉だけで背筋がぞくぞくしてくるはずだ。
何せ、あの村長様の顔が思い浮かぶのだから。
だけれども今のマチルダさんの顔は、そんな恐れなどまるで感じていないかのようだった。
「だ、駄目だよ。森の中心に行っちゃあ駄目だって、大人も皆言っているじゃあないか!」
と、僕はマチルダさんに言ってみた。
「森の中心に行っちゃあいけないって、一体、誰が決めたのよ? どうして? なぜ? 何で森の
中心に言ってはいけないの?」
マチルダさんはその顔を僕に近づけて次々と質問をぶつけてきた。僕にはどう答えていいか分
からない。
「そ、それは…、多分…、森の中心に、怖い生き物とかが、いるから、かな…?」
「ふーん…、そう思うの…?」
マチルダさんは、僕に顔を近づけたまま、僕の体をじろじろと見つめてくる。彼女の視線が、僕
には痛かった。彼女の毛並みが白いのと、つり目が、僕の体を次々に射抜いていく。
「あなた、前よりも痩せた?」
僕の体を見回した後、マチルダさんは僕にそう言った。
「あ、ああ…、た、多分ね…」
僕は自分でも痩せたかどうかはよく分かっていなかった。おじさんは僕を励まそうと、痩せてき
た痩せてきたと僕に言ってきたけれども、それはただ単に僕を励まそうとしているだけだろうと思
っていた。
普段あまり口を利かないマチルダさんから見ても、僕は痩せてきているのだろうか?
「ふーん。やっぱり痩せていた方が良いわね…。前は団子みたいにころころ太っちゃっていたか
らね…、あなた…」
「あ、ああ…。そう…?」
マチルダさんは、ツンとした声で僕にそう言った。前に話した時も感じたけれども、彼女は、同級
生だというのに、どこかお姉さんのような雰囲気がある。
「あなたのおじさんは、お留守なの?」
マチルダさんは首を伸ばして、僕のおじさんの家の中を覗いた。
「そ、そうみたいだね…。帰ってくるのは、空が白んで来る頃だって…」
するとマチルダさんは、おじさんの家の前の木の足場をうろうろとしながら何かを考えているよう
だった。
「じゃあ、あなたに案内してもらおうかな…?」
「えっ…? どこに…?」
「決まっているでしょ? 森の中心に、よ」
僕はマチルダさんの言葉に驚いた。
「ええっ? な、何で僕が…?」
「あなた、おじさんから何も聞いていないの? 森の中心に何があるのか、とか?」
僕は頭を巡らせてみたが、おじさんが森の中心の事について何かを言っていた様子はまるでな
かった。そんな話はこの一ヶ月間も、微塵もしていなかったのだ。
僕は翼を震わせて答える。
「ぼ…、僕は何も知らないよ」
「でも…、あなたを連れて行く事に決めたわ! もし私達が森の中心で見つかっちゃったら、あな
たがおじさんのお遣いで来たって言えば良いのよ」
僕はマチルダさんの言葉に顔をかしげた。
「ええっと…? 君の話だと、何? 僕のおじさんは、森の中心に出入りしていたりするの? それ
で、僕のおじさんは森の中心に何があるのかを知っているから、君はそれを尋ねにでも来た
の?」
マチルダさんは僕の瞳を覗き込む。
「痩せてきた事で、頭の回転も速くなったみたいね。あなたのおじさんが、何度も森の中心に出入
りしている事は、私も知っているの。あなたのおじさんて、村一番の物知りおじさんだったのね。す
ぐに分かっちゃった」
マチルダさんは僕の周りをひょこひょこと歩きながら、次々と言葉を並べてくる。
「あなたのおじさんに尋ねても、多分、森の中心になんか連れて行ってくれないし、何があるのか
なんて、絶対子供には教えてもくれないわよ。だから、あなたのおじさんが、森の中心で何をして
いるのかを、後を付けてみようと思うの!」
「だ…、駄目だよ…! そんな事をしちゃあ…!」
僕は慌ててマチルダさんを止めようとするが、彼女は僕のそんな制止など気にもしていない様
子だった。
「駄目よ、駄目。私はやるって言ったら、絶対やるの。今まで私のお兄ちゃんとかクラスメートを誘
って見たけど、みーんな怖がっちゃって、駄目なのよねえ…。印のある辺りを越える事はできたん
だけど、森の中心にまで到達した事は無いのよ」
「え、ええー? 印を越えちゃったの?」
僕たち子供からして見れば、印の場所を越えた事があるだけでも凄い話だった。
「だから、今度は、あなたを連れて行こうと思っているんだけど…」
「そ、そんな…! だ、駄目。僕は駄目」
僕はマチルダさんに慌てて答える。すると彼女は、
「あらそう? 私一人で、森の中心に行けって言うのね? いいわ。それだったら、それでも。で
も、もし森の中心に、おっきな怪物でもいたとして、私が鳥肉になって食べられない事を、ちゃんと
祈っておいてよ」
そう言ってしまうなり、マチルダさんは、おじさんの家の前から飛び上がって森の中心の方に向
って飛んで行ってしまう。
「あっ! ちょっと、待ってよ!」
マチルダさんの飛ぶ速さはあまりに速く、どんどん飛んで行ってしまう。
どうせ彼女の事だし、マチルダさんが森の中心に行こうと、僕の知った事じゃあない。そう思おう
としたのだが、
マチルダさんが言った通り、もし森の中心に大きな怪物でもいたとしたら…? その怪物に、も
し一人でやって来たマチルダさんを食べてしまったとしたら…? 僕の不安は募った。
もしマチルダさんが食べられてしまったら、それは僕の責任だ。大きな怪物なんかがいなかった
としても、もしマチルダさんが怪我をするような事になってしまったら―?
たった今、元気そうに飛び降りてきて、僕へと向けられていた、あの少しつんつんとした目を思
い出すと、僕はとてもマチルダさんを放っておけなくなってしまっていた。
「待って! 待ってよォ!」
僕は、急いでマチルダさんの後を追っていた。
「結局、あなたも来ちゃったのね」
マチルダさんは、そのトゲがあるかのような声で僕に言っていた。
「それは…、だって…、放っておけないもの…」
僕はマチルダさんと一緒に飛びながら、そう答えていた。
「もうそろそろ、空も白んで来ちゃう頃ね。早く森の中心まで行かないと! 多分、チャンスは今日
くらいしか無いでしょうから」
そう言ってマチルダさんは、森の中心に着くよりも前に、一気に地面へと向って急降下して行っ
た。
「あ! ちょ、ちょっと待って!」
僕は、マチルダさんのように、一気に急降下する事など慣れていなかった。
ようやく僕が地面へと着地をすると、マチルダさんはこそこそと森の茂みに隠れながら、森の中
心の方へと向っていっていた。
僕らの村は森の中心から少し離れた所に出来ていたから、森の中心に向えば向うほど、家は
少なくなって、フクロウの気配も少なくなっていた。こんなに森も深い所までやって来てしまうと、フ
クロウ以外の生き物の気配もしない。
僕らフクロウは夜に慣れていたけれども、夜に動きたがらない動物だって多いのだ。
僕が脚を使って木を跨ぐと、木の葉か何かを踏んづけたらしく、物音がたった。
「しーっ! 静かにしてよ! 気付かれちゃう!」
マチルダさんが僕に注意をした。だがそんな彼女も、その真っ白な毛並みのお陰で夜の闇の中
でかなり目立っていたけれど。
「この印を越えちゃあいけない、ですって? おあいにくさま。私がこの印を越えるのは、もうこれ
で10回目よ」
そんなマチルダさんに対して、僕はもう何も言う気になれなかった。
マチルダさんはひょこひょことした動きで、まるで印なんて見えていないかのように印を越えて森
の中心へと向って行ってしまう。印は、長老様の家にも彫り込んである印で、それは村の決まりと
して厳格に定められたものだというのに。
マチルダさんは、まるで怖れるものなど無いかのように、森の中心へと向って行ってしまう。
僕も付いていくしかなかった。
森も中心へと近付いていくと、夜の闇も深くなって、夜の空でも怖れずに飛ぶことのできる僕た
ちであっても、視界が利かなくなって来てしまう。マチルダさんの白い毛並みだけが、唯一の頼り
だった。
僕は、誰かに印を越えた所を見られたりしていないかとびくびくしていた。マチルダさんは、印を
越えてしまうのは10回目だと言っていたけれども、僕にとっては初めてなのだから。
僕らは、しばらく森の奥へと向けて進んでいった。目立ってしまうから飛ぶことはできない。森の
茂みに隠れながら、ゆっくりと進んで行くことしか出来なかった。
やがて、マチルダさんが脚を止めた。彼女は何かに気が付いたらしく、首を伸ばして周囲をうか
がう。
「ねえ、何か聞えない?」
彼女は僕に尋ねる。僕は耳を澄ましてみたが、森の中を吹いている風の音が聞えるだけで、虫
の鳴き声さえもしなかった。
「何も、聞えないよ…?」
「いいえ、聞えるはずよ。それに何? 何か匂いがするわよ。この匂いは…」
そう言いかけるなり、マチルダさんは、素早い動きで、ひょこひょこと森の奥へと行ってしまっ
た。まるで僕がそこにいるという事を忘れてしまったかのようだ。
「ま、待ってよォ!」
置いてきぼりにされそうな僕は、急いで彼女の後をつけた。
やがて僕らは、何やら森の木々の間にある空き地に小屋が沢山建っている所へとやって来て
いた。
森のその場所だけは奇妙に開けていて、木の間隔が広くなっている。小屋はちゃんと隣同士の
間隔がぴったりになるように建てられていた。
「な、何だろう…? ここ…」
僕は周囲を見回して言った。
「ねえ、あなた。聞えない…? それに、匂わないの…?」
マチルダさんが唐突に言った。
「何が…?」
「聞えてきているのよ。ちゅうちゅうって音が。いえ、鳴き声が、よ。あたしにはちゅうちゅう聞こえ
てきているし。う〜ん。この匂い。この匂いって言ったらもう。あれじゃあないの」
僕は周囲の匂いを嗅いでみた。すると、どこかから、とても美味しそうな匂いが漂ってくる事に
僕は気がついた。
「あ…、この匂い…、もしかして…」
「そう、あれよ!」
と叫び、マチルダさんは僕を差し置いてどんどん奥へと行ってしまう。彼女が向ったのは小屋の
一つだった。僕にも、その方向から美味しい匂いが漂って来ている事に気付いていた。
マチルダさんと僕は、小屋の中へと入る。その小屋を開くと、突然、一斉にちゅうちゅうという声
が響き渡って、僕はびっくりとした。
「これは、ねずみよ」
小屋に入るなりマチルダさんは言った。
「ねずみが、小屋の中に住み着いているの? しかも、この音。凄い量のねずみがいるよ!」
僕らが聞いているちゅうちゅうというねずみの鳴き声は、相当のものだ。あまりに多くのねずみ
の鳴き声のせいで、僕らにはその鳴き声がちゅうちゅうという音には聞えず、まるで小鳥が一斉
に鳴いているかのように、ピーピーという声に聞えていた。
「違うわよ…これ、ねずみが住み着いているんじゃあないの。ねずみが飼われているのよ…!
こんなに沢山!」
マチルダさんは、小屋の中に備え付けられた、ねずみ一匹分が飼えそうな大きさの籠がずらり
と並んだ列を、羽で指し示した。
何百匹? いや、何千匹というねずみが一つの小屋の中にいた。しかもこのねずみ達は、マチ
ルダさんの言うように、飼われているのだ。住み着いているわけではない。
誰が、何の目的で? 小屋の中にこんなにねずみを飼っているのか、僕には分からなかった。
「もしかして、他の小屋にもこんなに沢山のねずみがいるのかな…?」
僕は、目の前のねずみを見て、フクロウとして美味しそうだと思うよりも、逆にこんなに沢山のね
ずみを飼っている誰かが恐ろしく思えてしまった。
「多分ね…。でも、これだけ沢山のねずみがいれば、村の人たちみんなが、一年くらい食べてい
けるでしょうけどね…」
マチルダさんは言った。
「で、でも…、何だか怖いよ…、僕…。森の中心にこんな所があったなんて…。もういいでしょ…?
帰ろうよ…」
僕は恐ろしさに負けそうになってマチルダさんに言った。すると彼女は、全身の白い毛並みを逆
立たせて僕に言った。
「何言っているの! これからじゃあないのよ! こんな小屋があったのよ。もっと奥に行けば、き
っと凄い所があるはずよ!」
と言い、僕の身体を押していくようにして小屋を出てしまった。小屋の外はだんだんと白んで来
ていて、そろそろ夜が明けるという事を示していた。僕らフクロウにとっては、一日で一番大きな
食事をする時間だ。
早く帰らなければ、お母さんが。
だけれどもマチルダさんに翼を広げて急き立てられては、僕も彼女と一緒に、更に奥を目指す
しかなかった。
綺麗そうな姿と声をしているのに、マチルダさんは随分と強引な性格のフクロウのようだ。
ねずみのいるらしい小屋は、10も20もあるようだった。そして、そんな小屋よりも一回り大きな
小屋が、僕らの目の前に姿を現す。それは森の中心に立っている大きな木にそって建てられた
もので、木のずっと上まで小屋が繋がっていた。
「な…、何だろう…。ここ…?」
僕らが見上げている小屋、というよりも建物は、僕が今まで見たどんな建物よりも大きかった。
フクロウがここまで大きな建物を建てられるだろうか。
「何だか、凄い秘密がありそうよ。入ってみましょうよ! さ、早く!」
マチルダさんに身体を押される僕。
押された僕は、建物の窓へと顔を押し付ける形となった。誰か中にいて僕達の姿でも見てやし
ないかとひやひやしながら、僕は建物の中の様子を伺った。
森の中心にある大きな大木に作られた建物は、外側から見るよりも中は大きく作られていた。
よく、こんなに大きな建物をフクロウが作れたと思う。
建物の中からは、リズムにでも乗るかのように何かの音が聞えてきていた。それだけではなく、
ちゅーちゅーというねずみの鳴き声も聞えてきていた。
「何! 何!? ねずみがここにもいるの?」
僕の後ろからマチルダさんが聞いてくる。
「ほら、君も見てごらんよ」
マチルダさんに顔一つ分くらいしかない窓の半分を譲り、僕達は片目ずつ中の様子を伺った。
マチルダさんは、目をぱちぱちさせながら中の様子を僕と共に伺う。
建物の中心には大きな道具があった。それは木を複雑に組み上げて作ったもので、一体どう
やったらそんなものが組み立てられるのか、分からなかったけれども、幾つもの木の部品が回転
したり、叩き合ったりしながらそれは動いていた。
そんな道具の前へと、一羽のフクロウがやって来た。そのフクロウは、カゴの中に沢山いるね
ずみを羽で鷲掴みにすると、道具の中に放り込む。
ねずみをその大きな道具の中に入れると何が起こるのかと、ひやひやして僕達は見ていた。
ねずみのちゅーちゅーという鳴き声はしばらく聞えていた。道具がだんだんと強い音を出してき
て、その音は、僕達を震え上がらせた。
ねずみのちゅーちゅーという鳴き声は、だんだんと悲鳴のような声へと成り代わっていく。
何が、道具の中で起こっているのだろう。想像しただけで僕達は身体を震わせた。今すぐにで
もここから飛び去りたいかのような気分にさせられた。でも僕達は固まってしまって、動けなかっ
た。
僕達フクロウの身体よりもずっと大きな道具、ねずみの身体は僕達の身体よりもずっと小さい。
そんな小さいねずみが、巨大な道具の中で一体どうなってしまうのだろう?
ねずみの、ちゅーちゅーという鳴き声はやがて消え去った。
巨大な道具が、リズムを鳴らしながら動いている。ただそれだけになってしまった。
巨大な道具の反対側を見てみると、そこにも一羽のフクロウがいた。表情の無いフクロウで、た
だ黙々と作業らしき事を進めている。
ねずみの鳴き声が聞えなくなって、ほんの少し後、巨大な道具の中から、管みたいなものを通
して、茶色い色の何かが出てきた。ねずみを入れた側とは反対側にいるフクロウは、管から出て
きた茶色い何かを翼で受け取ると、それを袋の中へと入れていた。
その袋は、僕らにとって、とても見覚えのある袋だった。
「ねえ! ねえ、あれ、ねずみクラッカーの袋じゃあないの…?」
マチルダさんが、狭い窓から身を乗り出しそうになりながらも、翼で指し示した。
「ほ、本当だ、こんな所で、皆ねずみクラッカーで何をしているんだろう…?」
僕らが見ている間にも、建物の中のフクロウ達は黙々と作業を進めて行っていた。道具の中に
ねずみを放り込み、反対側の管からクラッカーを取り出している。
「もう! ねずみクラッカーで何かをしている、じゃあないわよ。トロいわねえ。見ていて気が付か
ないの? ここは…」
マチルダさんがそう言い掛けた時だった。
「おい! そこで何をしている!」
というフクロウの声が頭の上から響き渡り、僕らは毛を逆立てるほどに驚いた。
「あわわ、いけない。見つかっちゃった!」
マチルダさんは叫び、窓から顔を離すと、僕の体を翼で引っ張りながら一目散にその場から逃
げようとする。
「待ちなさい! おい! 待て!」
僕らの姿を見つけたフクロウは、僕らを追いかけてきていた。声が低くて迫力がある。明らかに
大人のフクロウの中でも、とても巨大な体を持つフクロウだ。
「早く逃げるわよ! 逃げて!」
マチルダさんは、自分よりも先に僕を空へと飛ばさせる。僕は急いで翼を羽ばたかせ、空へと
逃げた。あまりに慌てていたので、僕は自分の体重の事など忘れ、空へと飛び上がる事ができ
た。
続いてマチルダさんも僕の後ろからやって来る。来たときはこっそりと地面を歩いてきた僕らだ
ったけれども、今はとにかく逃げるしかない。誰に見られても良かったから、一目散に空を飛んで
逃げ出して行った。
二羽の子供のフクロウ達が逃げてしまった後、森の中心にある施設にいる大人のフクロウ達は
ざわついていた。
森の中心の木に建てられた建物の入り口では、何羽かの大人のフクロウ達が集っていた。
「全く悪ガキ共め。今度は、長老様の言いつけを破って、印を越えてきたのか!」
と言って、大柄な一羽のフクロウは低い声を周囲に響かせていた。
「今度やって来たらどうしてくれよう? いっその事だから、このねずみ共のように、捻り潰してくれ
ようか?」
そう言ってそのフクロウは脚で掴んでいる、一匹のねずみを握る力を更に強くした。すると、より
一層、そのねずみの鳴き声は激しくなる。
チューチューと言う声が、辺りに響き渡った。
「それくらいにしておきなさい。まあ良いではないか。あの子供達は、恐れをなして、二度とここへ
はやって来たりはせんよ」
真っ白な翼で、その大柄なフクロウの肩を叩いたのは、この村の長老だった。
「しかしですね、長老様。子供達に、この場所が知られてしまっては…」
「いやいや、いずれはバレてしまう事だったのだろう。いくら大人の威厳があっても、いつまでも子
供達に隠してはおけんよ…」
と、長老は言ったが、その背後からまた別のフクロウが現れる。
「だけれども、子供達が、我々大人がねずみの養殖などをしていると知ったら、きっとおぞましい
事だと思いますがな…」
それは、アダムという、村でも一番の物知りのフクロウだ。
「しかしアダムよ。ねずみの養殖については、お主がわしらに提案したのじゃろう?」
長老にそう言われると、アダムは眼鏡の位置を直しながら言った。
「まあそうですけどね…。子供のフクロウ二羽に知られただけで、ねずみクラッカーの製造を止め
るわけにはいきません。もうすでに村のおば様達からは大分反対にあっていますが、ねずみクラ
ッカーを求めているのは、何にしろ、子供達なんですからね…」
「そういう訳じゃな。さあさあ、作業開始じゃ。森中の子供達が、ねずみクラッカーを待っておる
ぞ!」
長老にそう言われると、大人たちは再び建物の中に戻っていった。
「しかしですねえ…、やっぱり思うんですよ、私も」
大人のフクロウ達が再び作業を続けている光景を、建物の高い場所から見下ろしながら、物知
りフクロウのアダムは言った。
「何がじゃ?」
長老はじっと、作業場で働いているフクロウ達を見つめるアダムを見て尋ねた。
「やはり、ねずみを大量に養殖して、それをねずみクラッカーにして食べるというのは、残酷な行
為なのではないか、と」
作業場からはリズムでも取るかのように、音がテンポ良く続いている。それはアダムが開発し
た、ねずみクラッカー製造装置が動く音だ。
また一匹、ねずみのちゅーちゅーと叫ぶ音が作業場に響き渡る。
「ではどうする? ねずみクラッカーの製造を、止めてしまうかね?」
長老は、そのねずみの鳴き声を聞きながらアダムにたずねた。
「いえいえ。結局、我々フクロウは、代々昔からねずみやスズメなどを食べて生きてきました。そ
んな我々をおぞましい生き物だと思う者も、森の中には沢山いますがね。
でも、だからってねずみやらを食べないわけにはいかない。我々の体は、木の実だけ食べてい
ては生きていけないようにできています。我々が生活を営んでいくためには、ねずみが必要なん
ですから。例え、それが焼いた肉であっても、クラッカーにしたものであっても、ね」
「じゃが、最近の子供達は、少しねずみクラッカーを食べすぎじゃな」
アダムは少し笑った。
「ええ…、少し、ね。だからと言って、私のねずみクラッカー製造法は完璧です。ねずみの余分な
脂肪を取り除いているんですから、多分、今の子供達が急激に太ってきているのは、ねずみクラ
ッカーの食べすぎが原因なだけじゃあなく、我々フクロウも、豊かになってきたからでしょう」
「じゃが、それで、村のご婦人方は納得するかのう?」
「明日、新聞にでも発表しますよ。いずれ、森の中心でねずみを養殖しているって事もバレるでし
ょうけれどもね。
養殖という行為がおぞましいと思うのならば、私達の次の世代が止めてしまえばいい。私は、た
だこうやってフクロウ達の食べるものも増やせますよって、理論を提示したに過ぎないんですか
ら」
そうアダムが言うと、長老は少し笑った。
「まるで、最初から、全て見通していたかのような口ぶりじゃな?」
長老に鋭く突かれると、それ以上アダムは何もいう事ができず、そそくさと翼を羽ばたかせた。
「じゃあ、私は、可愛い甥っ子の痩身プロジェクトを一緒に手伝わなければならないので、これで
…失礼します」
そう言い残して、アダムは自分が建設した、森の中心のねずみクラッカー製造工場から飛び去
っていった。
次の日の夜、僕らにとっては起き出して、子供のフクロウならば学校に行く準備をする時間、僕
は、お父さんと一緒に新聞を見ていた。
そこには、ねずみクラッカーにはフクロウの子供達を太らせる原因は何も無いという事が証明さ
れた。と書いてあった。
そんなの、ねずみクラッカーを作っている人達が、勝手にそう言っているだけよ。
とお母さんは言いかけたけれども、ねずみクラッカーについて調べた人が、おじさんだと分かっ
たら、途端にそんな事を言わなくなってしまった。
「これで、幾らねずみクラッカーを食べても大丈夫という事だな」
と言って、お父さんは家の居間にあるテーブルの上で、ねずみクラッカーの入った袋を開けよう
としたが、
「ちょっと! あなた。いくらねずみクラッカーが太る原因じゃあなかったとしても! 食べすぎは体
に毒ですよ! せっかくアレックスも痩せてきたって言うのに!」
今では、お母さんにも僕が痩せてきたという事は分かってもらえているようだった。僕が以前み
たいにだらだらといつまでも寝ていなくなったのも、痩せてきたせいなのだろうか?
そろそろ僕も学校に行かなくてはならない時間になった。昨日は、森の中心にまで行ってしまっ
て、村の大切な掟を破ってしまった。あの時、誰かに僕の顔を見られなかっただろうか?
マチルダさんと一緒に森の中心に行ったという事は、僕のお父さんにもお母さんにも言っていな
いし、もちろんおじさんにも言わなかった。
多分、これからも誰にも言わないだろうし、あの森の中心で見た事は、誰にも噂を流したりしな
いだろう。
でも、あそこで行なわれていた事が何であったのか、僕は怖さと驚きのあまり、考える気にもな
らなかった。
マチルダさんは、気付いているみたいだったけれども…。
「アレックス君〜」
僕の家の入り口に白い一羽のフクロウがとまり、僕の名を呼んだ。マチルダさんだった。
僕は急いでマチルダさんの所へと向う。
「あ、あれえ? ど、どうしたの?」
「昨日の事で、話したい事があるの。だから、一緒に学校に行こう」
とマチルダさんに誘われ、僕は彼女と一緒に学校に行くことになった。
今では、何とか彼女と同じぐらいの高さで、一緒に飛ぶことができるようになった僕。まだ、飛ぶ
動きはぎこちないかもしれないけれども、前よりも飛ぶことは楽だった。
僕らは一緒に飛びながら、マチルダさんが尋ねて来る。
「アレックス君。昨日、わたしと一緒に森の中心に行った事は、内緒にしておいてね」
マチルダさんは、そのツンとした目を僕に向けそう言った。
「うん。もちろんだよ」
僕も、誰にも言うつもりは無かったし、また、森の中心に行こうとも思わなかった。
「いい? 二人だけの約束よ」
マチルダさんはそう言って、僕の方に翼を差し出してきた。その翼をお互いに叩き合う事が、フ
クロウの間での、硬い約束の印なのだ。
僕とマチルダさんは、翼を叩き合う。
翼同士を叩き合ったにしては気持ちの良い音がしたな、と、僕は思った。
説明 | ||
フクロウの、フクロウによる、フクロウの為の小説ですが、 モデルはうちのぬいぐるみのフクロウ達です。 | ||
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