【空物語】なのはフォックス【化物語×リリカルなのは】
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001

 

 

 正義の敵は、また別の正義である。

 私がこの言葉を知ったのは、つい最近のことである。なるほど、今になって聞けば、納得のいく言葉である。誰しもが、自分の正義に基づいて行動しているのだ。中には、「いや、俺は自分が悪であることに誇りを持っている」という斜に構えた輩もいるかもしれないが、少なくとも、私の周囲の人間にこの言葉を聞かせれば、大体の人がなるほどという顔をして頷くだろう。概ね、一般的に納得できる言葉であるということは、推察できる。

 

 しかし、私はつい最近までこの言葉を知らなかった。

 この言葉を知ったのは、あの、忌まわしくも忘れることのできない事件が終わったあとのことである。

 言われてみれば、フェイト・テスタロッサという名の少女と出会ったときも、八神はやてという少女と出会ったときも、衝突した「敵」というものは、皆一様に、自身の中の正義を抱えていた。そして私も、なんらかの正義を抱いて、彼女らと向い合っていたのだ。

 人類全員が正義を貫いたからと言って、決して戦争がなくなることはないということを、私は二人の少女――フェイト・テスタロッサと八神はやて――とぶつかり、身を持って体験したのである。

 

 この物語は、あの、忌まわしくも忘れることのできないある一つの事件について。

 それは、かの有名なプレシア・テスタロッサ事件のことでも、闇の書事件のことでもない。

 あの事件に名前をつける術を、私は持たない。

 なぜなら、今でも私は、あの事件の本質を、理解できてはいないからでもあり、あの事件の本質を理解できている人間が、私を含めて一般に、いないからでもある。

 ――忍野メメは、それらを総称して、怪異と言った。

 ――それらは、あるときは妖怪と呼ばれ、あるときは魔獣と呼ばれ、あるときはロストロギアと呼ばれるものであった、と、私は考えている。

 

「魔女っ子ちゃん。認識なんてのは、曖昧で脆いものなんだよ」

 忍野さんは、私に向かってそう吐き捨てた。

 私の考え、価値観、人格、様々なものを吐き捨てるように、そう言った。

「僕はねえ、魔女っ子ちゃん。君のことが、嫌いだよ。君のような人間は、大嫌いだ」

 委員長ちゃんよりかはまだ話せるけどね、と呟いて、私を飄々とした表情で見下してみせるのだった。

 

 その事件は、私と、フェイトちゃんと、はやてちゃんにとって、忘れがたいものとなった。

 その他、関わった人々にとって、忘れがたいものとなった、と思う。

 わからないけれど。

 わからないけれども。

 だって、その事件は、空っぽだった。

 始まりは突然に、そして終わってみれば、何も残っていなかった。虚空から生まれ、空虚へと還る。痕には、虚しさだけが残った。

 何がわかったわけでもない。

 何が成長したわけでもない。

 ただ、その事件は起こるべくして起こり、そして終わるべくして終わった。

 結果的に、私とフェイトちゃんとはやてちゃんは、より一層強い正義を抱え込むことになるわけなのだが、それが良いことなのか、悪いことなのかは、今になっても分からない。

 そう、わからないのだ。

 答えがない――ゆえに、空だった。

 そう、あの事件は、空だった。

 空の物語だった。

 

 それは、私が中学生になったばかりのときのことだった。

 

 わたしは、ある狐に出逢った。

 

 

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002

 

 

 私が海鳴市に戻ってきたのは、陽も昇りきって、街が明るく活気づき出す頃だった。

 早朝の戦闘訓練で、手や足には小さな痣ができていたけれど、支障をきたすほどじゃない。

 痣の箇所も、制服の袖やソックスで隠せる場所なので、問題ない。

 私は、教科書と、フェイトちゃんに借りたノートがカバンの中にあることをしっかりと確認して、家を出た。

「行ってきまーす」

 市立聖祥大付属中学校へ行くために。

 

 この頃の私は、時空管理局の任務と、中学校生活の両立を目指して奔走している。授業のあとに時空管理局に顔を出すこともあれば、早朝時空管理局でミーティング、もしくは訓練をこなしてから授業に出ることも少なくない。ハードな生活だとは思うけれど、同じような生活をしているフェイトちゃんやはやてちゃんの存在が、助けになっている。

 二人も、学校に通っているし、時空管理局に所属している。

 たまに、学校の授業を仕方なく休んでしまうこともあり、私が今日、フェイトちゃんにノートを借りてきたのも、昨日の授業を休んだためだった。

 

 戦闘訓練のせいで身体中が愚痴をこぼしているように痛んだけれど、表情は努めて明るく、私は中学校の教室に入った。

 すずかちゃんやアリサちゃんが心配すると、いけないから。

「おはよう、なのはちゃん」

 私が教室に入るなり、すずかちゃんが声をかけてくれた。

 アリサちゃんも近づいてきて、私以外の姿をきょろきょろと探す。

「フェイトとはやては?」

「管理局の方で、ちょっとね」

 アリサ・バニングスと、月村すずか。

 二人は、管理局のことを知っている。

 時空管理局のことを、知っている。

 魔法、ロストロギア――世界を歪める力、時空を歪める力、それらを管理する組織、それが時空管理局。

 

 私は魔法少女だから、この手の魔法で、あらゆる人を助ける。

 アリサちゃんも、すずかちゃんも、私のこの思いを分かってて、応援してくれている。

 

 

「そういえば、なのは」

 その日の最後の授業が終わり、アリサちゃんが声をかけてきた。相談かなにかあるのかと思っていたら、

「相談、ってほどのものじゃないんだけど……」

 というので、私は難しい顔をしたアリサちゃんとともに学校を出た。すずかちゃんは最近色々と忙しいらしく、なかなか一緒に帰れない、とアリサちゃんがぼやいていた。

「それで、話なんだけど」

「うん」

「なのは、ドッペルゲンガーって信じる?」

 

 ……。

 予想の遥か斜め上をいかれた。

「え、ごめん、これ笑うところ?」

「なのは、色んな掲示板とか同人誌で性格悪いキャラクターに改変されてるからって、それに合わせる必要ないからね」

 私は真剣に、アリサちゃんの頭がどうにかなってしまったのではなかろうかと思って笑いを堪えるのも必死だったのだけれど、どうやらアリサちゃんは何か勘違いしているみたいだ。

「あけっ広げに人を悪く言うのはこの本の中では私のキャラクターなんだから、なのはは少しは自重してね」

「そうだったのか! 開始四ページで恐ろしいことが発覚してしまった!」

 びっくりだ!

「なのは、ちょっと口調が阿良々木くんみたいになってるわよ。先に言っとくけどこの物語には阿良々木くんは出てこないわ」

「次から次へと爆弾発言が!」

「私はこれでもバリカンの火薬庫と呼ばれているのよ! ついでに言うとこの話に化物語の要素はほぼ皆無だからそこんとこよろしく」

「一文字違うだけなのになんか一気にアリサちゃんが頭おかしいキャラになった! そして恐ろしいことをしょうもないギャグのついでに言ったー!」

「なのは、著者の力量に大きな問題があるとはいえ、あんまり阿良々木暦を彷彿とさせるような発言はキャラ崩壊を招くから気をつけてね」

 頷きつつも、私は聞き流した。せめて私がボケにツッコミにと走り回らないと、なのはシリーズのキャラクターは動いてくれない。アリサちゃんだってとっくにキャラ崩壊してるし、まだ出てきてないフェイトちゃんやはやてちゃんも、今から想像するだけで恐ろしい。

「忠告ありがとうアリサ・バーニングちゃん」

「待て! 私はいつ熱血キャラになった! 私の名前はアリサ・バニングスよ!」

「失礼、噛みました」

「嘘だ!」

「失礼、噛みまみた」

「嘘じゃない!?」

 ほらね、こんなギャグまでやってしまう。

 

 話を元に戻そう。

「で、ドッケルベンガーがどうしたの?」

「どんな言い間違いだ!」

 微妙に似てないかなあ。

「ほら、あれよあれ」

「どれよどれ」

「業界用語よ」

 私は声高らかに、鼻高らかに、胸を掲げて自信を乗せて、言ってみせた。

 慢心創痍とはこのことだ。高飛車よりかは振り飛車のが好きだけど。

 ちなみに根が卑屈なので矢倉よりも穴熊のほうが好きだ。

「それは、シースーとか、サギンとか、ズヒル木六本とかみたいな?」

「そうそう。チーリーとかパツイチモツとかアリアリとかアツシボとかよ」

 お前はおっさんか、とアリサちゃんがぼやく。

「じゃあおっさんと歩いてるアリサちゃんは援助交際してるんだね。そうかそうか、アリサちゃんは不良少女だったのか。フケツー」

 そうかだからアリサちゃんは金髪なのか。染めてたのねその髪は。そう考えるとアリサちゃんは小学生の頃から不良だったことになる。

 あ、金髪で言ったらフェイトちゃんも不良だ!

 私の周りには不良少女しかいないじゃないか!

 なんてこった!

 今すぐ絶交しなければ悪い仲間にされてしまう! 煙草とかお酒とか白い粉とかを勧められてしまう!

「おっさんと歩いてる女の子が皆援交してるわけじゃない! お父さんかもしれないでしょ!」

「そうだね! お義父さんかもしれないね!」

「誤解を招く!」

「ゴカイを招く?」

 ゴカイってなんだっけ。たしかムカデみたいな海にいる生き物だったような。

 もしも当たってたら調べたときに気持ちの悪い写真を見ることになりそうだから知らなくてもいいや。

 この世界には知らない方がいいことがあるからね。

 むしろ知らないほうがいいことのほうが多い。

「なにを考えてるのか知らないけれど、ドッペルゲンガーの話を、」

「うん、じゃあ今度の日曜日に買いに行こうか」

「ドッペルゲンガーを!?」

「え? ブラジャーの話じゃなかったっけ?」

「そんな話はしていない!」

「そうだよね、着けても意味ないよね」

 アリサちゃんの本気の右ストレートが私の顎を薙いだ。

 魔法も質量兵器も必要ない、見事な暴力だった。きっと戦争はなくならない。人間なんて愚かな生き物なんだ。

「なんで殴られた人間から憐れみの視線を浴びなきゃいけないのよ……」

「いや、可哀想だなあと。哀れだなあと。……胸が」

 フェイトちゃんのソニックフォームよりも明らかに速い回し蹴りに見えたのはきっと気のせいじゃない。プロテクションを発動する間もなく私の腿は悲鳴を上げた。

「いい加減話を戻さない?」

 あ、やばい。

 流石にちょっといじり過ぎたか。

 アリサちゃんでも怒ることはあるのだ。

 特に私が地球に戻ってくると怒っているアリサちゃんしか見ることができない。私がいないときには機嫌がいいとフェイトちゃんやはやてちゃんが言っていたけど、きっと照れ隠しかなにかだろう。はやてちゃんも「ツンデレ言うらしいで」って言ってたしね。

 

「で、ドッペルゲンガーの話ね」

「ああ、うん。そう、それなんだけど」

 アリサちゃんはしばらくの間押し黙り、歩き続けた。私もそのあとに続き、アリサちゃんの言葉を待つ。

「よく、噂になるのよ」

「噂?」

「うん」

「どんな?」

「もう一人の自分を見た、って」

 アリサちゃんが私の目を見つめるので、私は逡巡するように視線を落としてさりげなくアリサちゃんの小さな胸を見た。最近フェイトちゃんが大きくなってきて、……はやてちゃんはちょっとスロースターターなだけだと思うけれど、とにかく管理局にいると大きな人を沢山見るので妄想に事欠かない。その点、アリサちゃんは新鮮だった。

「ああ、分かる分かる。あれでしょ、もう一人の自分って。カードゲームしてたら突然男の子が「もう一人のボク」って言い出して、カードに書いてもいない効果いきなり使って敵に勝っちゃう」

「違う! それは二重人格だ! そしてさりげなく超有名作品に対して小学生みたいな批判をするな!」

「じゃああれか、コンビニに入ったらちょっと好みのエロ本があって、はっと気が付いたら財布の中身が減ってて手にはそのエロ本が。これはもう一人の自分の仕業に違いない!」

「完全に妄想癖だからそれ! しかもその妄想で自己弁護し始めるタチの悪い人間だから! なんで女子中学生がエロ本買う男子の心理描写してんのよ!」

「アリサちゃんちょっと声大きい」

 アリサちゃんの叫びが街に響くのは、一緒に歩いてる私としてはなかなかに恥ずかしい。

「アリサちゃん、中の人結構有名なんだからそんなに大声出さないの」

「ああ、ごめんごめん。っていうかそれはあんたも同じでしょ。……というか基本的になのはのメインキャラに無名の人いないし」

「それもそうだね。まあ最悪キモい萌え豚さんに囲まれたらスターライトブレイカー打っちゃえば」

「奥の手をそんなしょうもないことで披露しないで下さい!」

「で、ドッペルゲンガー? もう一人の自分を見たって? 誰がそんなこと言い出したのよ。ぶっちゃけそいつ、妄想癖あんじゃないの?」

「なのは、ぶっちゃけ過ぎよ……」

「それで、なんでそれをわざわざ私に?」

「……私だってどうせならフェイトかはやてに言いたかったわよ」

 よりによってなのはに言うことになるとは、まで言われると流石に私も立つ瀬がない。散々話を振り回して横に逸らしまくってしまったことを少し反省して、私はアリサちゃんの目を見た。

「つまりアリサちゃんは、魔法が関係してるんじゃないか、って言いたいの?」

「そう、察しがいいわね」

 私じゃなくても、フェイトちゃんかはやてちゃん、最悪でも私に相談したいこととくれば、想像はつく。そして、アリサちゃんのように魔法の存在を認めている人間なら、まず初めに魔法の線を疑うというのも分かる。

 

「アリサちゃんの言ってることは大体分かったけど、実際に見てみないことにはどうにもできないなあ」

「うん、まあ、所詮噂は噂だから、話半分くらいに覚えておいてよ」

 

 

 アリサちゃんと別れて、私は久々の地元をゆっくりと歩いた。

 先生に、出席日数の件で釘を刺されたし、そろそろ学校にも力を入れなければいけないかもしれない。時空管理局も最近は大きな事件もないし、

「ドッペルゲンガーか」

 もしかしたら、その大きな事件の予兆であるかもしれない、という不安は拭えない。もしかしたら、ただの噂かもしれない。あるいは都市伝説――つまり、まやかし。

 時空管理局にいる誰かに相談してみても良いかもしれない。正直言って信じられる話ではないけれど、アリサちゃんがわざわざ相談したいと言い出すということは、そこまで話半分に聞けるようなことでもないような気がした。戻ってきたばかりで知らないだけで、もしかしたら、相当噂になっているのかもしれない。

 一つ気になることがあった。

 それは、時空管理局で全く噂になっていないということだ。

 地球でそれだけの噂になっていることが、魔力、魔法に関することだとしたら、時空管理局でも噂になってもいいと思うのだけれど。

「まあ、考えてもしょうがないか」

 

 そう、考えても仕方ない。

 元から、考えるのはあまり得意じゃないところがある。抽象的なことを考えるのが苦手だったり、思慮深さが足りないとよく言われる。

 それが短所だと自覚はしてるし、このままじゃいけないとも思うけれど、とりあえず、それはこれから直していけばいい。

 アリサちゃんが私よりもフェイトちゃんやはやてちゃんに相談したかったというのは、結構本音の部分が大きいと思う。それが、今の私の評価。その事実は真摯に受け止めなきゃいけない。

 その上で。

 私は私になる。

 フェイトちゃんでも、はやてちゃんでもない。

 

 二人とも、自分の歩いていく道を定めはじめている。そのことに、少し気後れする部分が、最近になって芽生え始めた。それを自覚するのが怖かった。

 私は、どんな私になればいいのだろうか。

 今まで、魔道士として時空管理局にいた私は、ただ漠然と、人を救おうと思っていた。フェイトちゃんやはやてちゃんと友達になりたいと思ったことも、今考えると、子供だったからこそ、純粋にあんなことを考えられたような気もする。あんなことを、言えた。

 今は違うのかと言うとそんなことはないけれど。

 

 私は、今、この道を歩いている自分を、疑わなくていいのだろうか。本当にこれでいいのかと、考えなくていいのだろうか。

「私はどこを目指せばいいのかな、レイジングハート」

 胸に下げた相棒が、キラリと光る。呟く。

 

『あなたが望む道ならば、私は、ついていくだけです』

 

 

*

 

 

 唐突に、目が覚めた。

 鋭いざわめきが、頭痛のように私の中を走った。

 間違いない、――魔法の発動。

 どこかで、魔力が渦巻いているのが分かる。

 時計を見ると、午前二時を回ったところだった。

 さっき、帰宅して一応フェイトちゃんにつたえたことが、頭をよぎる。

 ドッペルゲンガー。

 フェイトちゃんも、半信半疑で私の話を聞いていたけれど、もしかしたらアリサちゃんの予感は当たっていたのかもしれない。

「レイジングハート」

『はい、マスター』

 

 私は窓から飛び立った。

 窓を蹴った瞬間には、すでに重力から解き放たれている。レイジングハートが一瞬でバリアジャケットを顕現させ、飛行するための魔法を発動させる。私は天高く飛び立つ。

 魔力反応を感知して、大体の場所の目星をつけて飛んだ。

 

 時空管理局の応援を、呼ぶべきだろうか。

 悩んで、しかし、答えを出す前に現場に到着してしまった。海鳴市の市街地からはかなり離れている、大きな自然公園。むしろ、山と言ってしまったほうがいいかもしれない。実際、この公園から登山道への入り口へと続く道も伸びている。

 その公園の林の奥に、それはいた。

 

 私が、立っていた。

 

「あなたは誰」

 完全に射程距離内で、私はそれに、戦闘態勢に入っているレイジングハートを向ける。向こうも、私と全く同じ、バリアジャケットを身につけ、レイジングハートと思しきデバイスを構えていた。にわかには、信じられない光景だった。

「何かの格闘ゲームに巻き込まれてる、ってわけじゃないよね」

 ほら、よくあるじゃない。友達とプレイするんだけど、二人でおんなじキャラを選んじゃうこと。……って、そんなわけないか。

「流石に、今の発言はメタ過ぎるか」

 なんて冗談で心を落ち着けて、その自分とやらを観察してみる。

 見れば見るほど私そっくりだ。

 不敵な笑みを浮かばているのが鼻につくけれど、今鏡を見たら、私もそんな顔をしているかもしれない。頬を、汗が伝った。

「ドッペルゲンガーに会ったら死ぬ、だっけ」

 幸いなことに、私が言葉を発しても、向こうは黙って私を見つめ続けている。これで、私が口を開いたときに向こうも同じように開かれたりしたら、たまったもんじゃない。気味が悪くて思わずディバインバスターを打っちゃうかもしれない。……そんな物騒なことは流石にしないけどね。

「でもそういえば、家で調べたら、ドッペルゲンガーは喋らない、みたいなことが書いてあったっけ」

 そんなことを思い出す。かといって、このまま見つめて立ち往生しているわけにもいかない。

 さっきは喋らなくて良かったと言ったけど、意思の疎通ができないのはなかなかに辛い。結局、最初の「何者か」という質問にも答えてもらうことはできなかった。

 なにもしてこない相手を無闇に攻撃するわけにもいかないし。

「目的は、なに」

 ……返答は、ない。

 目の前の自分は、笑みをたたえつつ沈黙を貫いている。

 痺れを切らして一歩を踏み出したとき、それが動いた、ように見えた。

「ストップだ。お嬢ちゃん」

 

 

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003

 

 

 真横から、その声は聞こえた。

 がさがさと茂みをかき分けて、誰かがこちらへと近づいてくる。声は、男性のものだった。

 茂みから出てきたのは、見るからに怪しい風貌の男だった。私は一段と警戒心を強めて、その男を睨んだ。

「まあまあ、そんな怖い顔で睨まないでよ、元気がいいなあ。何かいいことでもあったのかい?」

 飄々と、あるいはへらへらと、しかし尊大で、睥睨するような視線で、男はふらふら、ぺたぺたと歩いてくる。

「私は時空管理局、高町なのは二等空尉です。あなたは何者ですか」

「はっはー。名乗られちゃあ黙ってるわけにはいかないか。忍野メメ、それが名前だ。……そうだな、何者であるか、か。ただのオッサンだよ」

 あ、私こいつのこと嫌いかもしれない。どうしよう。

「おっと、嫌われちゃったかな。大丈夫。僕も君のことが嫌いだから」

 思わずむっとした。

 基本的に、あらゆる人に対して友好的に、平和的に接しようと努力している私でも、流石にむっとした。むしろ、だからこそむっとしたのかもしれない。

 私はレイジングハートの先端を忍野メメと名乗る男に向けると、やや私的な感情も混じった目で睨んだ。

「このドッペルゲンガーについて、知っていることを全て言いなさい」

「ははっ、脅迫かい。こわいこわい。しかも、知っていることを言いなさいとは、どこかの委員長ちゃんとはまた一風変わってるよ。一風変わってて、気持ち悪いね」

 初対面の人間に、よくもここまで言えたものだ。

 ――嫌い。

 ――気持ち悪い。

 なんだかむかむかしてきた。昔の私だったらここまで短気じゃなかったと思うけど、そこは自分でも自覚している、短所だと思うけれど。

「ちなみにこの君そっくりなドッペルゲンガー(仮)のスリーサイズは、」

「言わなくていいです!」

 よりによって知ってること、そこかよ!

 女子中学生のスリーサイズをなんだと思ってるんだ!

 友達の間でも胸のこととか胸のこととか胸のこととかは迂闊に話題にできないというのに!

 この金髪のオッサンを今すぐどうにかしてしまいたい!

 セクハラで訴えるぞ!

「まあそう慌てない慌てない。ついでに言うと、誰に聞いたか知らないが、ドッペルゲンガーってのは間違いだ」

「間違い?」

「ああ、こいつは、そんな低俗なもんじゃない。こいつは本物だからね。正真正銘、本物中の本物だ。そうだねえ、吸血鬼に匹敵する怪異、と言っても過言じゃない。それも、特にここ日本に限定しての話をすれば、忍ちゃんレベルと言ってもいいかもね。……っと、そんな話をしても君には分からないか。はっはー。僕らしくないな。こんなに無駄な話をしちゃうなんてね」

 急に感慨深げな表情になる。くらくらするような鮮やかなアロハシャツや、すべてを見下しているような目が雰囲気をぶち壊しているけれど、少しだけ、人間めいたところを覗くことができたような気がした。

 かと言って、野放しにして喋らせておくわけにもいかない。こんなホームレスのような「オッサン」の話を聞くために、わざわざ睡眠時間を削って出てきたわけじゃない。

 正直な話こんなおっさんとお話するために睡眠時間を割くくらいなら、一晩かけてエッチなDVDを見続けたほうがマシだ。

 マシというか、やってみたいというか。

 ……ごめんなさいやったことあります。

 

 ドッペルゲンガーじゃないのなら、なんなのだろうか。

 あれかな、実はこの本は十八禁指定で、同じ顔した女の子が絡んでるっていうなかなか需要の少ないタイプの本なのかもしれない。駄目だよ、ちゃんと表紙に表示しないと。

 あと未成年がそういう本買っちゃだめだよ。

 未成年は例えば「○物語」っていうタイトルの本とか買うと良いと思うな。

「アレは、なんなんですか」

 忍野さんは、笑った。

 含み笑いに近いが、笑いたくてたまらないといった風に。酒でも飲んできたのか、それとも普段からこのテンションなのか、それほどに、この男の怪しさは際立っていた。

 

「空狐だよ」

 

「……くうこ?」

「そう、狐だ。空に狐と書いて空狐。お狐様、って言うだろう? それもただの狐じゃない。狐の中では最上位とされている。三千年以上生きた狐がなるものと言うのが定説だ。神通力を使えるとも言われているし、なんにせよ、神様の域に達している存在だよ。だから、無闇に力を使ったりはしない。無意に現れたりしない。彼らの前に、僕らは無力なんだよ。だから、君もそれに習って、無闇に力を振るわないほうがいい」

 忍野さんが、レイジングハートを指さして、下を指差す。下げろ、ということだろうか。確かに、この男が言っていることが本当ならば、――目の前にいる存在が神様だとしたら、武器を掲げているのは良いことじゃない。

 私はレイジングハートを下げると、デバイスモードを解除した。レイジングハートは赤い宝石のような姿になり、私の胸に収まった。バリアジャケットのままでいるのは、狐に対するというよりも、忍野さんに対する警戒心が解けていないからだ。

「礼という言葉について説きたくなるところだけれど、出血大サービスだ。見逃してあげるよ」

 はん、と私を見下ろして鼻で笑う。

 バリアジャケットのことだろうか。それとも、そもそもの私の態度に不満があるのか、私の想像力では及びもつかない次元の話をしていそうではあった。けれど、想像できないものは仕方がない。私は身じろぎすることなく、忍野さんを睨み続けた。ここで下手に動くと、場の雰囲気に気圧されてしまいそうな気すらした。それだけ、忍野さんは異質で、笑みをたたえ続けている「空狐」もまた、あまりに異常だった。

 

「さて、僕はなにもこんなところまで君とおしゃべりしにきたわけじゃないんだよ、魔女っ子ちゃん」

「ま、魔女っ子ちゃん?」

「君のことだよ、魔女っ子ちゃん。それでだ、魔女っ子ちゃん。僕は、専門家だ。神様だとか、妖怪だとか、そういったあちら側の存在の、専門家だ。まあ、呼び方はそれぞれだし、そこに関しては僕が差し出がましいことを言うつもりはないけれど、僕はそれらを怪異と呼んでいる。つまり、怪異の専門家というわけさ。それでだ、魔女っ子ちゃん。僕は、手出ししない。ただし、目的はある」

 いまいち、私には忍野さんが何を言いたいのかが分からない。

「つまり、なにをしにここに来たんですか」

「簡単に言えば、僕は空狐に手を貸すために、ここにいる」

 ……それは、驚いて然るべき内容だった。

 未だに話が見えないため、私は警戒心を解くことができない。

「同時に、君にも手を貸すことになるかもしれないな。まあ、この場合君の都合で動くわけじゃないから、無償で貸してあげるよ。むしろ、僕と空狐の都合、と言ってもいいかもしれない、と言いつつ、結果的に誰の都合かと言えば、君たちの都合なんだけどね。まあそこはそれ、僕がどうこう言う問題じゃない。僕が動くのは、バランスが歪んだときだ」

「バランスが、歪んだとき?」

「そう、つまり、今だよ」

 よく見れば、忍野さんはタバコをくわえている。それに私が気が付かなかったのは、タバコに火がついていないからだ。

「そう、歪んでいるんだよ。恐ろしくね。あちらとこちらのバランスが、だ。あちらとこちらの橋渡しが、僕の仕事だ。だから知ってるよ、時空管理局のこともね。はっはー。驚いてるねえ、魔女っ子ちゃん」

 驚くに決まっている。

 こんな怪しい男の口から、管理局の名前が出てくるとは思わなかった。

「僕はあくまでも橋渡しを生業としているけれど、管理局はその名の通り、管理を生業としている連中だからね。あまり一緒にされたくはないけど、方向性はそこまで遠くもないよ」

「あんなにアクティブな連中と一緒にされたらたまらないけどね」と呟いた。私だって、こんな人間と一緒にされたくはない。

「それでだ、魔女っ子ちゃん。わけあって、今この空狐はとってもとっても困っているんだ。手を貸してあげる気はないかい?」

 卑怯だ、と私は思った。

 だってこんな得体の知れない男の言葉なのに、私はすっかり耳を傾けてしまっている。その上、「困っている」だ。……私が断る理由は、ない。

「詳しい話を、お願いします」

「いいねえ、魔女っ子ちゃん。そういう眼は嫌いじゃないよ」

 どういう眼だろうか。

 やたらと力が篭ってしまっている気はするけれど、少なくともあまり良い表情をしている自身はない。私の感覚がおかしいのか、この男の嗜好がおかしいのか。

「なあに、簡単な話だよ」

 忍野さんが、笑った。

 歪な笑顔だった。

 その顔こそ、正すべきだと私は思った。

 吐き気がするような、最低な笑みだった。

 

「魔女っ子ちゃん。いや、高町なのは二等空尉。君に、この空狐を殺して欲しい」

 

 空狐は、不敵に笑い続けていた。

 

 

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004

 

 

 怪異を殺す。

 それは、尋常ならざる所業である。

 

 言葉は違えど、そういう意味のことを、忍野さんは言った。

「吸血鬼を怪異の王とするなら、空狐もまた怪異の王なのさ。世界という枠のなかに、国がいくつもあれば、当然王も何人もいるだろう?」

 私が分かるような分からないような曖昧な頷きを返すと、「はっはー、魔女っ子ちゃんはなかなか察しがよろしくないな」と忍野さんは言った。

 

 空狐は、どこかへといなくなってしまった。

 私が、明確に拒絶を示したからだ。

 空狐を殺す。

 怪異を殺す。

 私の姿をした何かを、殺す。

 ――殺す。

 

「いやに拒絶するねえ。中学生の魔女っ子ちゃんには刺激が強すぎたかな」

 そりゃあ……、いきなり殺せと言われてハイそうですかというわけにはいかないだろう。しかし、この、首を捻りに捻った状態で世界全てに対して斜に構えたような忍野メメという男に、手放しで頷くのはあまりに無防備な反応に思えた。全てが見透かされているような気がする。かと言って、警戒心をとくわけにはいかない。

 結局、黙って忍野さんの言葉を待つしかない。じり貧、そして無力感。

「いいよ、僕は良い人ではないけれど、受け取った対価分の仕事は果たすつもりだ。だから、僕が説明役を買って出てあげよう」

 説明、とは。

「なぜ、魔女っ子ちゃんに空狐を殺す権利が与えられたのか。なぜ、空狐は魔女っ子ちゃんを選んだのか」

 忍野さんは大木の根本に座り込み、私を見上げた。忍野さんが私を見上げているのに、見下されているような感覚が拭えないのは、やはり、忍野さんの目付きが悪いからだろう。その人をくった態度が原因だろう。

「そうだな、まずはその前に、なぜあの空狐が死ななければいけないかを話したほうが良いか」

 私は黙って聞くことしかできない。意見する力を私は持たない。

「狐憑き、という言葉を知っているかい?」

「はい」

「そうかい、ならば話は早い。普通狐憑きというと、人に憑くものだと考えるよねえ。その解釈も間違いじゃあない。というのも、「狐憑き」と呼ばれる現象の半分以上は、狐なんて関係ない。おかしな言動をする人を説明付けるために「狐憑き」という言葉を使っただけだ。大事なことだけどね。言葉をあてるということも」

「あの、どういう……」

「ああ、ごめんごめん。つまり、本物の狐憑きなんて、半分もないんだよ。僕の主観では、多く見積もっても二割ってとこかな。噂の中の、本物は」

「じゃあ今回は」

「そう、本物だ」

「けど、それが一体どうしたって言うんですか? ……いえ、そもそも、憑かれた人なんていないじゃないですか。今回とは関係ないように、」

「いやいや、まあそう急くなよ。魔女っ子ちゃんは威勢がいいなあ。何かいいことでもあったのかい?」

 思わずムッとしたものの、忍野さんがにやにやと見上げてくるのを見て私は思い留まった。ここで細かいことに一々腹をたてていても、話が見えてはこない。主導権は完全に忍野さんが握っている。結局私は黙って忍野さんの話を聞くしかないのだ。

 そんな私の沈黙からさらりと思考を読んだかのように、忍野さんは口を開いた。

「つまりだ、空狐は、憑いたのさ」

 憑いた。

 ――誰に?

 

「君たちは、こう呼んでいるんじゃなかったかな。ロスト・ロギアと」

「ちょっと待って下さい」

「なんだい、魔女っ子ちゃん」

 なんと、言ったか。

「空狐が、ロストロギアに憑いたと、言いましたか?」

「そうだよ、魔女っ子ちゃん。僕はいま、空狐がロスト・ロギアに憑いたと言ったんだ」

 バカな。

 そんなバカげた話があるだろうか。

 そんな話を信じろと言うのか、この男は。

「そんな話を、信じろと言うんですか」

「愚問だよ。あまりにも、愚の骨頂だ。それともそれが魔女っ子ちゃんの真骨頂なのかい? そうだとしたら、魔女っ子ちゃんは、本当の本当にお察しがお悪いんだねえ。いいかい。さっきも言ったとおり、僕は確かに専門家だが、立場はあくまでも橋渡しだ。良くも悪くも手出しはしない。助かったと思おうが、酷い目にあったと思おうが、そんなことは知ったこっちゃないのさ。僕は助けない。勝手に助かるだけ。つまりだ、信じろなんて、僕は一言も言ってないし、言う気もないよ。空狐は信じて欲しいと言うかもしれないがね。そこまでは僕の領分じゃない。管轄外だ。信じようが信じまいが、それは魔女っ子ちゃんの勝手だよ」

 忍野さんは、やれやれと溜め息をついた。

 全く変わらない声色でまくし立てられるという奇妙なことをしてみせた目の前の男に、私は完全に抵抗する力を失ってしまった。早い話が、萎えた。どう足掻こうと、ここからこの忍野メメという男を相手に主導権を握ることはできない。と同時に、この男は、私の手に余るということが分かった。

 

 逆に、ここまで徹底的に蔑まれたことで、開き直り始める自分がいた。

 信じようが信じまいが、そんなのは私の勝手。

 そこまで言い切られてしまったならば、私もその姿勢で話を聞くほかない。先程までは、何か私がしなければいけないのではないかという強迫観念のようなものに駆られて話を聞いていた分、いくらか肩の荷が下りたような気がした。

 ――それは、結果的にはただの勘違いで、むしろ私は恐ろしく粘りの強い泥沼に、脚を深く、深く、踏み入れてしまっただけだったのだけれど。

 

「ロストロギアについては、半分以上僕の専門外だから詳しいことは語れないけれど、とにかく、そいつは野放しにしておいていいもんじゃなかった。分かるだろう?」

 頷く。忍野さんの口調も、幾分か適当になっているように感じた。放置するようなていではなく、適度な重さで響いてくるようだった。

「でだ、一般に、ただ人間に害を与えるとされる野狐と違い、空狐の域まで達すると、非常に人間に対して友好的に力を使い始める。僕は狐じゃないから知らないけど、まあ、あれだ。人間で言うところの「悟りを開く」と通ずるところがあるんじゃないのかな」

「つまり、あの空狐は放っておくと危険なロストロギアをなんとかするために、自らロストロギアに憑いた、ということですか?」

「その通りだよ、魔女っ子ちゃん。なんだい魔女っ子ちゃん、急に物分りがよくなったねえ」

 少しも誉められた気がしない。

 当たり前だ、全く誉められてない。むしろ馬鹿にされている。しかし、そんな忍野さんの物言いももう慣れた。

 ふと、この人に友達はいるのだろうかという想像をしてしまい、慌ててその想像を振り払った。今は全く関係がないし、なんとなく、触れてはいけない気がした。

「ん、どうかしたかい、魔女っ子ちゃん」

「なんでもありません。それで、ロストロギアに憑いて、空狐はどうなったんですか」

「そうそう、それだよ。……ところが、だ。そのロストロギアは、あまりに強大過ぎたんだよ。空狐の持つ妖力ですら、――この場合は魔力と言った方がいいかな。空狐の持つ魔力ですら、押えきれないほどに、そのロストロギアが持つ魔力は強大だったんだ。空狐自らそのロストロギアを破壊してしまおうとした。しかし、できなかった。今、たった今、この一瞬一瞬、暴走させないようにするので精一杯だ。そこで、魔女っ子ちゃん、君の力が必要なんだよ」

 今まで全く関係ない場所で起こっていたその物語のスポットライトが、唐突に私に降り注いだ。

「空狐の魔力に君の魔力を足して、空狐ごとロストロギアを葬り去る。それが、空狐が描いた筋書きだ。もう言わなくとも分かるだろう、魔女っ子ちゃん。これが、君が選ばれた理由だ。あの空狐を殺さなくてはならない理由だよ、魔女っ子ちゃん」

 

 そんな、そんなことが、あるだろうか。完全に、理解の範疇を超えた話だ。

 ロストロギアが、関わっている。

 ……ちょっと待て。

「忍野さん」

「ん? なんだい魔女っ子ちゃん」

「ロストロギアが関わっているなら、時空管理局が動いているはずです。でも、実際には管理局は動いていないどころかその存在に気が付いてすらいません。そんな強大なロストロギアであるにも関わらず、です」

「嘘だ、と言いたいってわけだ」

「はい」

 ……気がつけば、木の葉の向こう側に見える空がうっすらと闇を薄くしてきているように見える。群青が、滲んでいる。しかし興奮が、

 眠気をはるか彼方へと誘い続ける。私は、忍野さんの人をくったような目を見続ける。

「魔女っ子ちゃんにしては冴えてるね。感心感心。いや、ロストロギアは、確かにある。微弱だが、魔力反応も発している。ただし、管理局が動くに値しない程度にだ。もしかしたら、本当に気が付いてすらいないかも、いや、恐らく気が付いていないだろう。例えば、全ての人間が魔力資質を持っている、というのが管理局の考え方だったと思うけど、とすれば、何かをきっかけにその魔力が使われてもおかしくはない、と考えることは出来るだろう?狐憑き、自然発火現象、ポルターガイスト、エトセトラ。魔力で説明できる現象は山ほどあるが、それが起ころうともよっぽど大事にならない限り管理局は動かない。つまり、そういう意味で、このロストロギアは管理局が動く価値がないと、無意識に判断してしまっているんだよ」

「待って下さい! 世界を危機に陥れるほどの、空狐が自ら抑えようとするほど強大なロストロギアの反応がそれだけって、納得できません」

「今、自分で答を言ったよ」

「え?」

「空狐が抑え込んでいるから、だ。でなけりゃ、良くて今頃この街は何にもなくなってる。悪けりゃ、そもそもこの世界すら終わってるかもね。流石にそうなれば管理局が動くだろうが、まあ、間に合わないだろうね。この世界で蓄えられたものは、めでたくロストロギア入りってわけだ。やったね、魔女っ子ちゃん」

 何が、やったねだ。

 こっちは、二の句が継げないと言うのに。

「言葉も出ないかい?ははっ、魔女っ子ちゃんは平和なんだねえ。でもさ、実際問題良かったじゃないか。だって、僕らはこうして生きている。そして、生き残る術も残されている。そうだろう?」

 ……そうだ。

 私には、術が、残ってる。

 最初に提示されたそこに、結局行き着いてしまった。

 ――空狐を殺す。

「空狐の力にも限界はあるけど、何もあと一分なんてことは言わないから、ゆっくり考えるといい、……と言ってあげたいところだけど、そう甘くもないよ、魔女っ子ちゃん。君が悩めば悩むほど、空狐の力は弱まる。空狐と魔女っ子ちゃんの力を合わせてようやく破壊できる可能性があるというだけだ。空狐が弱れば、それだけ可能性も下がる」

 ……猶予は、ない。

 

「そもそも、どうして私なんですか?」

 私が尋ねると、忍野さんは笑った。

「はっはー。それはねえ、魔女っ子ちゃんが、このあたりでは一番大きな魔力を持っていたからだよ」

 それは、そうなのかもしれない。

 昔、知人に「バカ魔力」と言わしめたほど、自分の魔力が桁違いであるという自覚はある。

 

 空狐はいなくなってしまったが、その点は心配しなくて良いのだろうか。いや、それこそこの男の役目だろう。橋渡しと自ら言ったのだから。

 殺すことになったとして、……って、そうじゃない。

「他に、方法はないんですか」

 なぜ私は、殺すしかないと決めつけた。他に方法があるかもしれないじゃないか。いや、きっとあるに決まってる。ないなんてことは、ない。

 

 ――殺せばいい、

 そんなことは、あり得ない。

 

 

「例えば、管理局からありったけ魔導師を呼んで、皆で力を合わせれば良いじゃないですか。それならきっと……」

「無理だね」

 あっさりと。

 まるで、夕食のおかずでも決めるかのように、あっさりと忍野さんは否定した。

「どうしてですか」

「それは、空狐の主義じゃない」

「主義?」

「そうだよ、魔女っ子ちゃん。あくまでも、空狐が指名したのは魔女っ子ちゃん一人だ。言っただろう?相手は神様だと。僕は橋渡し役だからあんまり余計なことは言わないけど、流石にそれはお勧めしないな。神様相手に、「罰当たり」だよ」

 やれやれと、忍野さんは頭をかきながら続ける。

「まあ、知らなくても仕方ないけどね。魔女っ子ちゃんは今流行りの現代っ子だし、普通は知り得ないことだからね、怪異なんて。普通に生きてりゃまず会うことはない。魔女っ子ちゃんの場合は、その魔力資質のせいで引き寄せられたところがあるけどね」

 忍野さんは相変わらずにやにやとしているばかりだけれど、私の表情は、多分、どんどん曇ってる。

「とにかく、それはお勧めしないよ、魔女っ子ちゃん。空狐は吸血鬼なんかと違って伝承、つまり、ある意味では人によって神様に祭り上げられたようなところがあるから、魔女っ子ちゃんがどうしてもと言うなら、僕は反対しないし、空狐も従うとは思うけどね。しかし、やっぱり賛成はできないよ。他の、低級な奴らですら、怪異ってのは扱いが難しいんだ。気難しい奴らなのさ。それを、よりによってある種神様である空狐相手に気安く意見しようなんざ、僕は願い下げだね」

「……全く、分かりません」

 忍野さんが、私の提案を避けたいのは十二分に伝わった。けれど、何でかが分からない。なんで、その方法を空狐が嫌うのかが分からない。

「空狐は、死にたがっているとでも言うんですか?」

「そうじゃない。そうじゃないよ、魔女っ子ちゃん」

「管理局の力を使えば、空狐は死なずに済む、違いますか?」

「確かに、間違ってはいない。いま、空狐が死ぬという概念の話をしても大した意味はないからね」

「じゃあどうして……!」

「身を挺してなんとか最悪の事態を避けて、さらにこともあろうにいち神様である空狐が一人の人間ごときに頭まで下げたんだ。そこに、時空管理局さまさまがしゃしゃり出てきて喜ぶと思うかい? 知らないようだから、良いことを教えてあげるよ。時空管理局は、あちらの世界からは嫌われてるんだ。奴らは余計を嫌う。管理局ってのは、整理、管理しようとする連中だからね。普段はあまりかかわり合いがないから何も言わないが、決して好かれちゃいないのさ。管理局ってのは、手出しを好む連中だからね。まさに、僕とは正反対だ。空狐だって、君が管理局の人間と知っていたら、もしかしたら、頭を下げなかったかもしれないね」

 私は、拳を握り締めた。

 そんな言葉は、信じたくはない。そもそも、忍野さんがどこまで真実を、どこまで嘘を話しているか、私には分からない。けれど、忍野さんの言葉は、異様な、異常な説得力を持って私に押し寄せる。

 空が、白んできた。

 

「けど」

 

 けど。

 けれど。

 だとしても。

 頷くことは、できない。

 絶対に。

 私が私である限り、殺すという選択をとることはできない。あり得ない。

 今まで、なぜ、私が頑ななまでに自身の「正しさ」に固執しているのかが分からなかった。誠実さに、正義に、あるいは偽善に、――優しさに。悩んでいた。分からなかった。

 悪魔と言われたことがある。

 けれど、私は自分が悪魔だとは思わなかった。私は、自分の正しさを証明するためだけに動いていた。自分の意志を、あるいは意地を通したかった。

 そのためなら、それによって誰かが救えるなら、救えると思っていたから、例え悪魔と呼ばれようとも、構わないと思った。

 救えるなら。

 助けられるなら。

 ――寂しげな眼をしている、ある誰かと友達になれるなら、構わなかった。

 それは、例えばフェイトちゃんで、例えばはやてちゃんだった。

 なぜ、助けたいのか。

 なぜ、救いたいのか。

 

「嫌」

 忍野さんが、黙って私を見つめる。

 

 私はそれに、答えなきゃいけない。

「殺すのは、嫌」

 

 だって、どうしてそんな悲しいことをしなきゃいけないのか、私には分からない。

 皆、友達になれればいい。

 皆、仲良くなれればいい。

 隅っこで泣く必要がどこにある?

 一人で抱え込む必要がどこにある?

「私は、例えそれが空狐という狐であっても、神様であっても、この意志を曲げるわけにはいかない」

 忍野さんの口が、歪に曲がった。口の端がつり上がっていて、笑っているような形になる。笑みという記号を無理矢理張り付けたような顔。眼は、全く笑っていない。

「管理局の力は借りません。私の友達の力を借ります。それが、最低限私ができる譲歩です。空狐さんが、賛成しようが反対しようが、私はやります。世界は壊させません。誰一人悲しませない。それが、私の答えです」

「……そうかい」

 ふっと、忍野さんの顔から表情が消えた。

「一応言うだけは言っておくけど、お勧めはしない。そのお友達も、管理局の人間なのかい?」

「……はい」

「そうかい。まあどちらにしろ、あまり変わらないけどね。変わらないと思うよ。しかし、まあ魔女っ子ちゃんがそうしたいと言うなら、それを拒む権利は僕にはないよ。……ただ」

 

 ――瞬間。

『Protection!!』

 私よりも早く、それに、レイジングハートが反応し、咄嗟の防御魔法を発動した。

 目の前に、私を庇うように一瞬にして円形の魔方陣が現れる、が、激しい衝撃と音を伴って、その魔方陣は砕かれた。

 硝子のように。

 あるいは紙を握り潰すように、砕かれた魔方陣の向こうから、忍野さんの手が伸びた。

「バインド」

 忍野さんの、冷淡な声。

 見慣れた、ミッドチルダ式の魔方陣が出現し、両の手足を縛りつけた。拘束のための、対人魔法。

 そして、

「ディバイン、」

 信じられない光景が、目の前にあった。

 嘘だろう……。

 忍野さんがデバイスを持っているようには見えない。ただ、私に向かって手を伸ばしているだけだ。

 その手のひらに重なるようにして、大きな円形の魔方陣が出現した。見覚えのある。これは、私もよく使う魔法だ。直線型の砲撃魔法。――ディバインバスター。その発射口とも言える魔方陣が、目と鼻の先にある。

 忍野さんが、笑っている。

 バインドのせいで身動きが取れない。

 一瞬の攻防で、力の差は明白になった。

 忍野さんが口を開き、私は身構えた。その口が「バスター」と呟いた瞬間、私の意思など関係なく、問答無用の力に吹き飛ばされる。

「喰らいたいかい? 魔女っ子ちゃん」

 首を横に振る。

 冷や汗が、頬を伝う。

 見ているだけで、忍野さんの持つ凄まじい強さの魔力資質を感じる。膨大なエネルギーを感じる。私は、勝てない。

「喰らいたくなかったら、空狐を殺すんだ、魔女っ子ちゃん」

 喰らったら。

 もしも、このあまりに強大な砲撃を、この零距離で喰らったら。……死ぬかもしれない。恐ろしいエネルギーが、真紅の魔力光となって爛々と輝いている。

 血の、牙のように。

 

「できません」

 忍野さんは、見るからに不満そうな顔になった。あまりにその表情が似合っていないのと、あまりに綺麗に、ころりと表情が変わったため、作り物のように見えた。わざとそういう表情にした、という感じだ。実際、そうなのかもしれない。今の忍野さんからは、嫌悪感のようなものを感じ無い。むしろ、ただ、純粋に私を試しているような気配すら感じられた。探るような視線が、その気配を匂わせていた。

「できません。私は何があろうと、あの空狐を殺すことはできません。私の友達で、実力のある魔道師を二人呼びます。私を含めた三人で、そのロストロギアを封印します。忍野さんは、その用意をお願いします」

 断固として、意志を曲げる気はない。

 再び、忍野さんの表情が切り替わった。今度は自然体に戻るような変化だった。

「そうかい」

 真紅の魔力光が掻き消える。

 忍野さんが描き出していた魔法陣が消えた。

「分かった。僕は封印の下準備をする。……そうだな。明日、午前二時に、もう一度出てこれるかい?」

 私は頷いた。「とんだ不良少女ちゃんだねえ。これは、魔女っ子ちゃんよりも不良ちゃんの方が良かったかな?」という忍野さんの言葉は、彼なりに場を和ませようとしているのだろうと勝手に解釈して流しておいた。この数時間で、彼の言葉の扱いにも少しは慣れた。

 

 陽が昇ろうとしているのが、空が白んでいくので分かった。暗闇が、紺が、空の端へ追いやられていく。

 

 

-5ページ-

 

 

005

 

 

 あまり、言うことは残っていない。

 というのも、封印は至極あっけなく、つつがなく終了したからだ。忍野さんが敷いた結界は完璧と言ってもよく、また空狐も残りの力を惜しみなく私たちの手助けに使ってくれた。

 封印の中心に立ったのは、はやてちゃんだった。私とフェイトちゃんの二人で、その脇を固めるようにして立った。

 はやてちゃんが持つストレージデバイスである夜天の書は、もともとが魔力蒐集のための道具であったこともあり、私とフェイトちゃんを含めた三人の中では最も封印に優れているだろうという結論に達したゆえの陣形だった。

 そもそもこのような事態になった一端に、空狐が扱える術が、本来的に封印などを目的としていない、という部分も大きかった。忍野さんいわく、空狐が力任せにロストロギアを抑えこんでいたらしい。

 その点、私たちが扱う魔法の種類は多岐に渡っており、その中には強力な封印術も存在する。そういう意味でも、空狐が抑えこんでいたよりも、私たちが封印するほうがはるかに状況には適していたように思う。問題が起きることもなく、封印は終了した。

 ……予想していたよりも、遥かにあっけなかったと言ってしまえるほどに。

 

 ほとんど誰もが自覚すらしないうちに、ロストロギアの暴走は鎮圧され、時空管理局の中では、この事件のことを知っているのは私とフェイトちゃんとはやてちゃんのみである。

 事件は解決したかに見えた。

 

「分かっただろう、魔女っ子ちゃん。それとも、まだ分からないかな」

 忍野さんが、楽しそうに私を見下す。

 眼は、笑ってはいない。

「それか、理解したくない、か」

 私は、胸の奥に意識を集中した。

 ――リンカーコア。

 魔法を操ることができるできないに関わらず、全ての生命体はそれを持っている。リンカーコアとは、魔力の誰もが持っている魔力の源泉のようなものである。

 それを、私は感じることができずにいた。

 魔道師としては、あまりに異常なことだった。

 代わりに感じるのは、どろりとした感覚。その、恐ろしく粘度の高い何かが、リンカーコアがあった部分に絡みつくように、ある。それが邪魔している、阻害しているという感覚。どろどろとしていて、深く、暗い。

 ――憎悪。

 力任せの抑えこみもいいところだ。

 

「魔女っ子ちゃん。認識なんてのは、曖昧で脆いものなんだよ。恐らく、事件のことを知っている人間は、世界中探してもそう何人もいないだろう。だがその中をさらに探しても、その、お嬢ちゃんの現状を知っている人間は、僕を除いてはいないだろうねえ。皆、解決して良かった良かったと思っているはずさ。良かったねえ、魔女っ子ちゃん。魔女っ子ちゃんのお陰で、事件はめでたく解決だ」

 頷くことは、結局、できなかった。

 忍野さんの冷淡な眼が、私を捉えて離さない。

 

 狐憑き。

 忍野さんは、そう言った。

「勘違いするなよ? 魔女っ子ちゃんに憑いたのは、あの空狐じゃない。あの空狐は仮にも神様だ。そんなせこいマネはしないよ。ただ、それ以上に、セコイ連中ってのは、世間には溢れかえってるのさ。人間と同じだね」

 空狐の方法で封印していれば、空狐を差し置いて出てくる低俗な狐はいなかっただろう、と忍野さんは語った。逆に、私の行動によって、空狐が支配する力が弱まったと、忍野さんは話した。

 そして、低俗な怪異である狐が、私に憑いた。私の魔力を封印するために。……逆恨みもいいところだ。

「そう、まさにキミは、空狐を生かした代わりに、空狐の力そのものを奪ったんだよ。神に近しい存在であるというその存在に、泥を塗ったんだ。そこから先の事情は知る由もないけれど、狐憑きと言ってしまえば、ありふれた怪異だからね。あちらからすれば、理由なんてなんでもいいのさ。これがどういうことか、魔女っ子ちゃんにはまだ分からないだろうけれどね。なにせ、魔女っ子ちゃんの認識の外にある話だからだ。違うかい?」

 答えることができない。

 それは、全く忍野さんの言葉に抵抗する力が、私にないからだ。じりじりと、首を締め上げるように忍野さんは言葉を選ぶ。

「まあ、行ってしまえば所詮は狐の世界の話だ。魔女っ子ちゃんは一生理解しなくてもいい話であることは確かだよ。僕と同じように怪異を専門に扱っている者でさえ、他の輩の社会観はそうそう理解できるもんじゃない。気難しい奴らなのさ、怪異ってのはね。だからこそ、魔女っ子ちゃんの方法を勧めはしなかったけれど、魔女っ子ちゃんの選択を僕が遮る権利はないからね。勝手にしなよ。誰も助けないし、誰も何をしようとは思ってない。君が勝手にやっただけだ」

 頷くほか、なかった。

 そうだ、私が勝手にやっただけなのだから。

 

 私は自分の正義を貫き、空狐も自らの正義を貫こうとした。それだけだ。

 そして、今私に憑いている狐も、もしかしたらただ正義を貫こうとしているだけなのかもしれない。……それに関しては、私には想像のしようもないけれど。

 そして忍野さんも、自分の信じる正義――ルールに従って空狐の願いを聞き、私に接触しただけだ。

 何が良いも、悪いも存在しない。

 ただ、皆が皆、自分たちの信じるルールを貫いた、それだけだ。

 

「僕はねえ、魔女っ子ちゃん。君のことが、嫌いだよ。君のような人間は、大嫌いだ」

 委員長ちゃんよりかは話せるけどねと呟いて、忍野さんは背中を向けた。

「怪異と関わった人間は、引き寄せやすくなってしまう。気をつけることだね」

 忍野さんは、姿を消した。

 私は、ついにその背中に声をかけることができなかった。

 途方に暮れた。私が新たに抱え込んでしまった問題を解決するためには、忍野さんの力が必要不可欠である。そのことは、薄々感づいていた。

 しかし、ついに、声をかけることはできなかった。

 どうしても、できなかった。

 

 恐らくは。

 忍野メメという男に対して、ただただ、圧倒的な敗北感だけを味わわされた。それが声を発せなかった原因だろうと、思う。

 今まで出会ったこともなかった世界に対する畏れと、自分の正義が初めて揺らいだことによる怖れ。それらすべてが混沌と渦巻き、私が口を開くことすら叶わない間に、忍野さんはいなくなってしまった。

 

 私は正義を貫き、世界を救い、一匹の狐を救った。

 ――そして、魔法を失った。

 

 

 ……この物語はまだ、事件のほんの始まりに過ぎなかった。

 

 空の物語。

 その空虚は、埋まらない。

説明
「化物語×なのは」な短編。なお、この話は基本的に忍野となのはしか出番ありません。
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