蒼い鳥
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 わたしは、落ちていた。

 どこに落ちていくのかも分からなかったし、一体、わたしがどこから落ちてきたのかさえも分から

なかった。

 ただ、落ちて行くとき、わたしはとにかく怖かったし、落ちていく先にも、深い闇しか見ることはで

きなかった。

 恐怖、絶望、痛み。

 わたしを襲うものは、耐え難いものだった。だが、落ちていくという事には逆らうことができなか

ったし、周りの闇はわたしを包み込んできていた。

 いつ果てるとも分からないような闇。そして深淵の中へとわたしは、まるで吸い込まれるかのよ

うに落ちていった。

 巨大な闇を前にしても、わたしはたった一人、孤独な存在だった。

 

 

 気が付くとわたしは、砂の上にいた。とても細かな砂がわたしを覆っていて、それは気持ち良く

さえあった。

 砂が、砂とは思えない。あまりに細かすぎた。衣服の中にさえも入り込んでくる細かい粒がわた

しを覆っているのだ。

 時々、吹いていく風が、その細かい砂を、流星の群れのように流していく。さらさらと、小さな音

さえも聞えていた。

 わたしはやがて目を覚ました。ここは、とてつもなく広いところであり、わたしはとてつもなく、孤

独でもあった。

 ここがどこであるかは、わたしにも分からなかった。わたしの周りには、細かな砂が無数に集っ

て、丘を作り上げている。そしてその丘はどこまでもどこまでも、幾つも重なり合って続いていた。

 わたしは砂漠の中にいた。それも夜の砂漠だった。

 だけれども暗くはない。青と、緑の空が、まるでカーテンのように広がっている。砂漠の砂は、そ

んな空の色を反射して、青緑色に見えた。

 広い。ここはあまりにも広かった。それはもう、どうしようもないくらいの広さで、幾ら、身を縮ま

せてわたし自身を守ろうとしても、その広さがわたしに襲い掛かってくるかのようだった。

 この広大な砂漠の中で、わたしはあまりにも小さい存在だった。

 細かな砂がわたしの体を包んでいき、周りを吹く風は、空虚のように感じられる。

 このままここにいたら、あまりにも大きな孤独で、自分自身さえもが砂になってしまいそうだっ

た。

 だからわたしは立ち上がって、砂漠の中を進む事にした。細かい砂に、足を取られそうになりな

がらも、わたしは歩き出した。

 どうしてわたしは、砂漠にいるのか分からない。それもたった一人で。気が付くと、真っ白なワン

ピースのようなものを着ていて、砂漠に倒れていた。靴はない。裸足だった。だから、細かな砂の

感触を直接感じている。

 ここに来る前は、何だったっけ。思い出そうとしても思い出せない。元々、わたしには、以前、な

んていう言葉は無かったのかもしれないほど、思い出そうとしても、思い出せなかった。

 そもそも、わたし、という存在自体が、空虚のようなもので、過去にも今にも存在していないもの

なのかもしれない。ここは、そんな気持ちにさせる場所だった。

 

 

 砂漠は、果てなく続いていた。だが、わたしはこの大きな孤独から逃げようと、砂漠の中を歩き

続ける。幾ら何でも、永遠に砂漠が続いているという事は無いだろう。わたしはそう自分に言い聞

かせ、ただただ歩き続けていた。

 何度か、わたしは眠った。そして、何度も起きた。一体どのくらいの時間が経ったのかさえも分

からなかった。

 幾ら歩いてもこの砂漠は終わりが見えない。もしかしたらわたしは同じところをぐるぐると回って

いるのかもしれない。

 そう考えるたびに、わたしは不安になった。

 幾ら歩いても、不思議と疲れない。お腹も空かない、という事が不思議だという事を忘れてしま

うほど、不安で孤独だった。

 何度目かの眠りに付いた時、わたしは、空に気配を感じて目を開けた。

 わたしは砂漠の砂の上に仰向けに寝ていたから、目の前に降りてきていた影に驚いたのだ。

わたしはすぐに眼を覚ました。

 大きな鳥がわたしの上を飛んでいたのだ。いや、どのくらいの大きさかは分からないけれども、

わたしの体をすっぽりと覆ってしまうくらい大きな鳥だ。

 蒼い翼の色をした鳥だった。青緑色の空がそう見せているのだろうか? この巨大な砂漠の上

に一羽だけ蒼い鳥が飛んでいる。

 何故、一羽だけ飛んでいるのか、わたしには分からなかったけれども、その蒼い鳥は、どこか

を目指しているようだった。

 もしかしたら、あの蒼い鳥に掴まれば、わたしをどこかへと連れて行ってもらえるかもしれない。

そう思ったけれど、わたしがどうする事もできない間に、蒼い鳥はどこかへと飛んで行ってしまっ

た。

 わたしは、蒼い鳥の後を追う事にした。

 相変わらず、細かい砂はわたしの足を取ったし、蒼い鳥はどんどん見えなくなってしまったけれ

ども、わたしは、砂漠の砂の上に落ちた、一枚の蒼い鳥の羽を拾った。

 とても綺麗な蒼い羽だった。手にとって見ると、きらきらと光っている。まるで羽一枚が宝石であ

るかのようだった。

 今の蒼い鳥は、光の反射で輝いているわけではない。確かに蒼い色をした鳥なのだ。

 もしかしたら、あの蒼い鳥が行ってしまった先には、何かがあるかもしれない。そう思って、わた

しは今までよりも急ぎ足で、蒼い鳥の後を追った。

 しばらく歩いた先で、わたしは、砂漠に人影を見つけた。ようやくたった一人の孤独から解放さ

れ、誰かと出会えるのだ。

 わたしは走ってその人影の元までやって来ていた。

 その人影は、わたしより少し年下の男の子だった。わたしと同じような白い色の服を着ている。

多分、同じ服なんだろう。つまりお揃いという事なんだ。

「やあ、君は誰?」

 その男の子はわたしにそう言ってきた。だけれども、わたしは、

「わたしは、自分が誰かって言う事も分からないよ…」

 と、そのように答えた。そう、わたしは自分が誰かさえも分からない。もちろんここがどこなのか

も分からないし、自分が生きているのかも分からない。まして、名前なんていうものも分からない。

「そうなんだ。僕も一緒だよ。僕が誰なのかも分からない」

 そう男の子が言うと、不思議と目の前の男の子の姿が不鮮明に見えてしまいそうだった。

「じゃあ、ここはどこ?」

 わたしはそう尋ねてみた。わたしは自分がどこにいるのかさえも、さっぱりと分からなかった。

「ここは、奈落って言うんだって」

「ナラク…?」

 そんな言葉はどこかで聞いた事があるような気がしたけれども、よく思い出すことが出来なかっ

た。ただ、言葉の響きからして、あまり良い気分にはなれなかった。

 多分、良くない意味なんだろう。わたしはそう思った。

「奈落って言うここは、僕達皆が、落っこちてくる場所で、凄く深い底の底にあるんだってさ」

 男の子はそう言って来る。地面の底の底なんていわれても、わたしが想像できるのは、真っ暗

でとても狭いところだ。

 わたしのいる所は、砂漠のようなところで、周りには全く何も無いし、ずっと夜のままだ。ただ、

いつも空は青緑色に光って光のカーテンがあるようだったし、決して狭いところではない。

 逆に広すぎて怖くなってしまう。そんな所なんだ。

「君は、どうしてそんな風に思うの?」

 と、わたしが訪ねると、

「君は女の子?」

「見ればわかるでしょ?」

 男の子は無邪気に言ってきたが、わたしは少しムッとなってそう言った。自分の存在は何だか

消えてしまいそうに感じられていたけれども、まだ感情のようなものは残っているらしい。

「君と、同じ女の子に聞いたの。もっと小さい子だったけれども」

「ああ、そうなの」

 と、わたしは答えた。という事は、他にもこのナラクとか言う所には、もっと別の子供がいるんだ

な、と思う。

「それで…、どうやってここから出るの…?」

 わたしは相手の顔を見つめ、そう尋ねた。

 するとその男の子は突然立ち上がった。わたしより、少しばかり背が低い。その男の子は、わ

たしに少しにっこりと微笑むと、砂漠をある方向へと歩き出した。

 わたしが歩いてきた方向とは逆方向、どこかへ向おうとでも言うのだろうか?

「ねえ? どこへ…?」

 わたしは、砂漠を歩いていってしまおうとするその男の子の背中に尋ねた。男の子の向こう側

に延々と砂漠は広がっていて、このまま歩いていっても何も無さそうだった。

「“みんな”がいる所にいくんだよ」

 男の子はわたしの方を振り向いてそう言った。

 その男の子は、このとても広い世界の中で、あまりに小さな自分、孤独の自分を感じているわ

たしと違い、ずっとにっこりと笑っていたし、声には、恐れも、恐怖も何も無かった。

 わたしよりも小さな子なのに、この場所、男の子に言わせれば、“奈落”が怖くないのだろうか?

 だが、この男の子がいてくれたお陰で、わたしは孤独から少し解放されていたし、“みんな”がい

るならば、そこへと行く必要はありそうだった。

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 わたしと男の子は歩き続けていた。

 一体、どのくらい歩いているのかも分からない。この奈落とかいう場所では、とにかく時の流れ

と言う感覚が失われてきてしまっていたし、何よりも、自分自身がいなくなってしまうかのような感

覚に襲われてしまう。

 この広大な砂漠の一つ一つを作り上げている砂のように、さらさらと細かい粒になって消え去っ

てしまいそうだった。

「ねえ? 遠いの? 他のみんなの所って?」

 わたしは、先を行く男の子にそう尋ねた。

「もうすぐだよ。疲れたの?」

 と、男の子は言ってきた。不思議な事に私は少しも疲れていなかった。だが、いつまでもこんな

に広い砂漠で、この男の子と二人きりでいるのも嫌だった。

「ううん。だけど、いい加減飽きてきたから」

 だから私は強がってそう答えていた。

 そして、男の子が再び歩き出した時だった。男の子は、砂漠の砂に足を取られたかのように突

然つまずき、その場で転んで膝を付いてしまった。

「どうしたの?」

 わたしは、砂漠に膝をついた男の子の様子を見て言った。

「いや、大丈夫だよ。転んだだけ、平気だから、ね?」

 と、その男の子は言って見せた。不思議だった。わたしには振り向いてきたその男の子が、ど

ことなく、その場にいないかのような気がしたからだ。

 まるで、幻のように、その男の子は姿を消そうとしている。わたしにはそう思えてしまった。

「う、ううん。で、でも気をつけてよ」

 その男の子が幻だと思えたのはその一瞬だけだったようだ。

 しかし、男の子の姿が、ほんの一瞬でも現実味を失った事を、わたしは気にしないわけにはい

かなかった。

 

 

 わたし達はしばらく歩き続けた。幾つかの砂漠の丘を越え、また幾つかの砂漠の谷を越えてい

った。

 砂漠は、全くその姿を変えなかったし、いつまで経っても終わりが見えてこない。そればかりが

永遠とも言える夜の時間が続いている。青緑色の空と、その色を反射する光が、わたし達の時

間の感覚を奪ってしまっていた。

「ねえ…、どこまで、歩くの?」

 疲れて来ないとはいえ、わたしにとってはもうこれ以上歩くのは耐えられなかった。時間の感覚

もない、あまりに広すぎる場所での自分の存在の小ささ、それを感じ続けること自体が限界だっ

た。

「ほら、あそこをごらんよ」

 男の子が、砂漠の丘の一つを指差した。

 そこには、青緑色に光を反射している場所に、ぽつぽつと白い点のようなものが見える。それも

かなりの数の点があるようだった。

 遠くにいたわたし達からは分かりにくかったが、それがわたしたちと同じような服を着た人影で

あるという事がわたしにも分かった。

「あそこに、みんながいるんだ。行こう!」

 そう言って、男の子は、私の手を引っ張って、砂漠の丘を駆け下りていった。

 さっきまでは、その存在すら消えかかりそうに見えていた男の子だったけれども、今は不思議な

ことに、はっきりとした存在がこの男の子にはあった。

 わたしの腕を引っ張る力も、確かに本物だったのだ。

 

 

 男の子の言うみんなは、砂漠の一つの丘の周りにいた。多分全部で30人くらいの子供達がい

た。みんな、わたしと同じか、それよりも少し小さいくらいの子供達で、大人は一人もいなかった。

 そしてみんな、わたしと同じような服を着ている。男の子は、わたしを連れてきた男の子のよう

に、シャツとズボンに分かれた白い服を着ていて、女の子は、わたしと同じように、白いワンピー

スを着ている。

 みんな、わたしがこの場所に来ると、物珍しそうにわたしの方を見てきた。

 どことなく、覚えているような目線だった。どこかで、わたしはこんな目線を多くの人からされたよ

うな思い出がある。

 嫌な目線、どこかで、この目線を味わった事がある。

 だが、わたしはそんな目線をしてくるみんなの事を、誤解していたようだった。

「ねえねえ、あなたはどこから来たの?」

 一人の女の子が、とても興味深そうにわたしに言ってきた。

「さあ…? あっちの、ずうっと、あっちの方から」

 わたしは、自分達が来た方を指差して言った。

「へえ…、実は、あたし達も、みんな、最初からここにいたわけじゃあないんだよ。元々は、やっぱ

りみんな別々の離れたところにいたんだけれども、知らないうちにみんな集るようになって、それ

がここだったってわけ」

「ああ、そうなの…」

 わたしは辺りを見回してみた。ここは、もしかしたら、この終わりの見えない砂漠の出口なんじゃ

あないか、と思っていたのだけれども、どうやらそんな事はないらしい。どこを見渡しても、今まで

と変わらない光景が広がっているだけだった。

 

 

 わたしは、みんなとしばらくこの地にいたが、いつまで経っても何の変化も訪れなかった。だが、

ここにいるみんなは、決して絶望しているわけではなかった。

 わたしなんて、この広すぎる砂漠の中で、ただただ、あまりにちっぽけな自分が、か弱い存在で

あるかのように感じていたけれども、ほかのみんなはそうではなかった。

 まるで、いつか、この場所から逃げ出せる。そう確実に思える理由があるかのようだった。

 わたしは、一人の女の子と話すようになった。わたしと同じくらいの年頃の女の子で、最初にわ

たしに話しかけてきた、みんなの一員だった。

「なんて言うかね、この奈落って、大人の言葉で言うと、通過点ていうところなんだって」

 その女の子、わたしよりも髪の短い女の子は、わたしにそう言った。

「通過点?」

 わたしにとってはその言葉を理解することができず、聞き返していた。

「もっと深いところまで落ちていくのを、一旦、ここで受け止めてくれるところなんだってさ」

 別の男の子がわたしにそう言った。

「もっと、深いところ? それってどこよ?」

 心のどこかに、この場所の恐ろしさを感じていたが、わたしはそれを押し殺して、みんなに尋ね

た。

「ぼく達も知らないんだ」

 また、別の男の子がわたしにそう言ってきた。

「でも、この奈落からまた落っこちたら、もう戻って来れないんだって」

「あ、ああ…、そうなの」

 その男の子が言った言葉には2つの意味がある。まず、この広い砂漠、奈落と言うらしいけれ

ども、ここから落っこちる先があるという事。地面はずっと細かい砂で覆われた砂漠だけれども、

さらに下でもあるというのだろうか?

 そしてもう1つ。それは、ここから、戻るところがあるという事だった。

 ここから戻るところ? そんな所があるというのだろうか? わたしは気付いたらこの砂漠に倒

れていただけだ。

 どこから来たのなんて分からないし、自分が何者かも分からない。

 永遠にこの砂漠にいるだけかもしれない。わたしも、他のみんなも。戻るところも、ここから更に

落ちる所も無いのかもしれない。

「あなたにも、戻るところがあるはずだよ」

 髪の短い女の子がわたしにそう言ってきた。

「戻るところ? それって、どこ?」

 わたしはその女の子に尋ねる。ただ、永遠にこの砂漠を彷徨う事が嫌だから、勝手な想像でそ

う思っているんじゃあないのか? そう思ってしまっていた。

「どこ、何て聞かないでよ。わたしにも分からないんだから」

「ああ、そう」

 わたしはみんなからそっぽを向いてそう答えた。やっぱりそうだ。皆、変な希望にすがりついて

いるだけだ。

 わたし達は、ただこの砂漠にいるだけの存在で、それ以上でも以下でも無い。この砂漠こそ

が、世界の全てであって、多分、戻るところも無いんだろう。

 わたしは勝手にそう思ってしまっていた。そう思うに足るほどの広さと、全く無い変化がこの砂漠

にはあった。

 だけれども、わたしは覚えていた。

 確か、わたしは、この奈落へ落ちてきたという感覚がある。

 どこか、どこかは分からないけれども、どこかから落ちてきたという感覚が確かにあるような気

がしていた。

 どこから落ちてきたのかなんて分からない。でも、どこかから落ちてきたのは確かだった。

「ねえ? 何か思い出した?」

 女の子が立て続けに私に尋ねて来た。だが、思い出した事なんて何も無い。わたしの記憶の中

にあるのは暗渠だけだった。

 多分、これ以上思い出そうとしても、何も思い出せないだろうと思い、わたしはあきらめてしまう

のだった。

 その時だった。みんなが俄かに騒がしくなってきたのは。

 一体、どうしたのだろうと、わたしは周囲を見回してみる。すると、みんな、が一直線にどこかへ

と向って砂漠を走っている。

「どうしたの? 一体?」

 わたしにとっては何が何だか分からず、ただ辺りを見回すだけだった。でも、みんながどんどん

どこかへと行ってしまうものだから、わたしも取り残されないように、そのあとを付いていった方が

良さそうだった。

「ねえ! どうしたの? 一体?」

 わたしは慌てて皆の後を追いながら、さっきから話している女の子に尋ねた。

「来るの…!」

 女の子やみんなは、まるで何か希望でも見つけたかのように走っている。この奈落の空のどこ

かに晴れ間を見つけたかのような、そんな勢いで走っている。

「一体、何が来るって言うの?」

 わたしも一緒に走りながら尋ねた。

「蒼い鳥が来るの」

 そういって、女の子とみんなは走っていた。

 すると、砂漠の向こう側から、一つの影がやって来る。それは、確かに一羽の蒼い鳥だった。

 みんなは、一目散にその蒼い鳥の方へと向って走っていくのだった。

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 みんなが何故、蒼い鳥の方へと向って走っていくのか分からなかった。この奈落と言う砂漠の

中では、確かに蒼い鳥は、わたし達とは別物の存在だった。

 だが、蒼い鳥は、あくまで鳥というだけかもしれない。わたしも、みんなの所へ来るまで一度だけ

蒼い鳥を目にしていたが、その時には特に気にしなかった。

 でも、みんなが見ている蒼い鳥の姿は、わたしが見ている蒼い鳥とは全く違う、また違ったもの

であるかのようだった。

 みんなが、蒼い鳥に向って手を伸ばしている。

 なぜ、みんなが、蒼い鳥に向って手を伸ばしているのか、分からない。分からないから、わたし

はただそれを見ているだけにした。

 みんなは、蒼い鳥に向って、飛び上がったり、必死になって呼びかけていたりする。走っていく

途中で、勢いあいまって転んでしまう子さえいた。

 鳥の方はと言うと、一方、蒼い鳥の方はというと、わたし達の方に向って降りて来ようとしてい

る。

 蒼い鳥が近付いてくるにつれて分かった。この鳥は、かなり大きい。多分、わたし達の内の一

人が乗ったとしても、十分に飛んでいくことができるほど大きい鳥だ。

 翼の羽、一枚一枚が輝いており、まるで宝石を散りばめたかのようだ。

 蒼い鳥は、ますます、みんなやわたし達に近いところまで接近してくる。どうやらわたし達を目指

してきているようだった。

 蒼い鳥は、砂漠の上、すれすれまでやって来て、やがて、みんなのすぐ頭の上を通り過ぎようと

する。

 皆が、手を伸ばしている。蒼い鳥に掴まろうとしているのだろうか?

 何人かのみんなの上を蒼い鳥はかすめていった。やがて、蒼い鳥の足を、一人の男の子が掴

んでいた。

 蒼い鳥の足は、一人の子の手にぴったりと納まり、蒼い鳥はその子の体を持ち上げていった。

 その男の子は、体を持ち上げられていく。わたし達が飛び上がっても届かないほど高い位置ま

で、体を持ち上げられた。

 さらに、蒼い鳥は、その男の子を足に掴ませたまま、どんどん上昇していった。男の子の体は

みるみるうちに小さくなっていく。

 蒼い鳥は羽ばたき、やがて、青緑色の砂漠の空の中へと吸い込まれるかのように消えていっ

た。

 残された子供達は、蒼い鳥が行ってしまった空を、ただじっと見つめていた。

 蒼い鳥は消え去ってしまった。本当に、あっという間の出来事だった。わたしにとっては蒼い鳥

が何者であるかも分からなかったし、一体、何の目的であの男の子を連れ去って言ったのか、分

からなかった。

 わたしも、みんなと同じように、ただ呆然と、奈落と呼ばれる所の空を見上げて射る事しかでき

なかった。

 やがて、砂漠の中に立ち尽くすわたしの肩に、小さな手が乗せられた。それはさっきの男の子

だった。

「見たかい? あれが蒼い鳥だよ。ぼくらを連れて行ってくれるんだ」

「どこへ…?」

 わたしはその男の子に尋ねた。すると、男の子はにっこりとして答えた。

「ぼくらが元いたところだよ。もし蒼い鳥に連れて行ってもらえなかったら、ぼく達はずっとここにい

なければならないし、もしかしたらもっと深い所に落ちてしまうかもしれないんだ」

 そう言われて、わたしは再び空を見上げた。奈落と言われる砂漠から見える空は、青緑色で、

幾つも雲が重なっているように見えた。その空はあまりにも深いように見えたし、終わりが見えな

かった。

「もし、ここからもっと深いところに落ちちゃったら、どうなるの?」

 再びわたしは男の子に尋ねた。男の子もわたしと同じように、雲に覆われた深い空を見上げて

答える。

「もう戻って来れない。二度とね。ここより深い所に行ったら、蒼い鳥も来てくれないし、自分で這

い上がっていくこともできないんだ」

 わたしは思った。この男の子はわたしよりも小さな子なのに、随分とはっきりとそう言う事を言え

るな、と。

 随分と現実的に見ている。現実、現実って何だろう?

 どこかで聞いたことがある言葉だった。どこかで。何度も何度も、うんざりするくらいに聞いてき

た言葉だった。

 わたしは突然気分が悪くなった。そのまま砂漠の砂の上へと座り込んでしまった。

「大丈夫?」

 男の子がわたしに対して気遣ってくれる。

 だがわたしは息を切らせていたし、気分も良くなかった。一体何なのかも分からない。今頭の中

に響き割った言葉も、何で気分が悪くなってしまったのかも。

「大丈夫。ここから蒼い鳥に連れて行ってもらえば、みんな助かるんだから」

 そう言ってわたしの体を、支えてくれる男の子。

 だが、わたしは自分でも知らず知らずのうちに、男の子の腕を振り払っていた。

「わたしは…、いい」

 男の子や他のみんなから距離を離し、わたしはそう言い放っていた。

「ここから、助けてもらわなくたって、いいの!」

 この奈落と言う名の砂漠に響き渡るような声で、私は叫んでいた。

「どうして?」

 みんなの中の誰かが言った。

「助けてもらえるんだよ」

「蒼い鳥に助けてもらえなかったら、ずっとここにいるしかないんだよ?」

「元にいたところに戻れなくなっちゃうよ」

 みんなが口々に言ってくる。私はその声が頭の中に響き渡ってくる別の声と相まって、とても嫌

なものに聞えていた。

「いいんだよ! わたし、ずっとここにいるんだから!」

 わたしはそう言い放って、みんなから距離を離した場所へと歩いて行ってしまった。だけど、ここ

はとても広くて、どこへ行っても砂しかないところだった。

 多分、ここにいてもわたしの居場所は無いのだから、元にいたところに戻ったとしても、居場所

は無いのだろうと私は勝手に思った。

 みんな、からは距離を離してしまいたかった。だけれども、もしみんなとはぐれてしまったらまた

独りぼっちになってしまう。

 わたしは、みんなからは距離を取ったけれども、みんなの姿が見えるところにいる事にした。

 奈落と呼ばれる砂漠は、変わらずただわたしの前に広がっていた。

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 わたしは、朝起きる事が嫌だった。

 それは多分、いつも変わらない、いつ終わるかも分からない同じような毎日の繰り返しが待って

いるからだった。

 わたしは、一人の人間としてではなく、働き手としてでしか考えられていなかった。

 人が使う道具の一つとしてでしか、考えられていなかった。

 いや、わたしと同じように、子供達皆が、一つの働き手としてでしか考えられていなかった。

 特にわたしは、人の何倍も仕事を押し付けられていたような気がする。男の子の方がよほど働

けるというのに。

 いつしか、わたしはそんな毎日が嫌になっていた。

 何年も、何世代も続いてきた事であるという。だけれども、わたしはそんな毎日から飛び出して

しまいたかった。

 そんな機会はいつでもあったし、わたしは、いつでも、そんな毎日から羽ばたいていってしまう事

ができた。

 だが、わたしはいくら飛び立とうとしても、また舞い戻らなければならなかった。

 そうしなければ、生きていけなかったからだ。

 

 

 わたしははっとして目を覚ました。どうやら眠ってしまっていたらしい。

 この奈落と言うらしい砂漠では、時間の流れも良く分からないし、不思議と疲れも溜まってこな

い。

 わたしは、自分がどれだけの時を過ごしていたのか分からなかった。だが、一つ向こうの砂漠

の丘の上には、まだ多くの子供達が残っていた。

 みんなは、一つの塊となって過ごしているようだった。一つの塊となっていることで、みんなは安

心していられるようだった。

 わたしはどうだろう? なぜか、多くのみんなと一緒にいるのが嫌だった。

 わたしは大丈夫、一人でだって生きていける。そう思っていた。もし、今のわたしが生きていると

いう言葉を使えるのならば、なのだけれども。

 みんなの元に、また一羽の蒼い鳥がやって来ていた。

 蒼い鳥は、青緑色の空から、どこからともなくやって来ていて、今度は一人の女の子をへと脚伸

ばして、その脚を掴ませた。

 その蒼い鳥も、連れて行こうとしたのは一人の子だけだった。決してそれ以上の子を連れて行く

ことはせず、一人だけ掴ませると、一気に羽ばたいていくのだった。

「見たかい?」

 声がしたので背後を振り返ってみると、そこには、わたしが始めて、この奈落で出会った男の子

が立っていた。

「見たって…、何を?」

 わたしは少しぶっきらぼうな声で答えていた。

「蒼い鳥は、一人の子しか連れて行けないんだよ。他の子が掴もうとしても駄目なんだ。蒼い鳥は

一人の子しか連れて行けない」

 奈落の空へと飛び去っていく一羽の蒼い鳥を見上げながら、その男の子は言っていた。

「ああ…、そうなの…」

 わたしも蒼い鳥が飛び去っていく様子を見上げてそう答えていた。確かに蒼い鳥は一人の子供

しか連れて行けないくらいの体の大きさだった。多分、二人も連れて行こうとしたら、翼が持たな

いだろう。

「それに、蒼い鳥は、やって来るときに必ず決めているんだ。どの子を連れて行くかっていう事を

ね。それを蒼い鳥は絶対に間違えないし、他の子を連れて行くこともしないんだ」

「そうなの…」

 男の子の言っている事を聞いても、わたしは大して興味も沸かなかった。

「君は、連れて行って欲しい? ぼくはちゃんと蒼い鳥に連れて行ってほしいと思っているんだ。そ

うすれば、元の場所に戻ることができるから」

「わたしは、別にいいよ…」

 わたしはぼそりとそのように呟いた。

「え? どうして?」

 男の子は興味津々といった様子で、わたしにそう尋ねて来た。だが、そんなに興味を持たれる

事が逆にわたしにとっては不快だった。

「わたしは、別に元の場所に戻れなくたって、良いって言っているの! 一生ここにいたって構い

やしないんだから!」

 私がそう言ってしまうと、男の子はさらにわたしに興味を持ったかのように近付いてきた。

「どうしてどうして? 何で何で?」

 男の子の質問には、わたしは答えられなかった。彼の言う元の場所で何があったのか、わたし

には上手く思い出せない。

 ただ、戻りたくなかったのだ。それだけ。

「いいの。どうせここにたって、疲れやしない。お腹も空かないんだから、一生いたっていいんだも

ん」

 わたしはそう言ってしまうなり、男の子に背を向けてただ座っているだけだった。

 この奈落とかいう場所では、本当に何もかもが変わらない。ただただ、静かに時が流れていくだ

けだ。いや、時さえも流れていないのかもしれない。

 この男の子は、多分、この奈落から外へ出たいと考えているのだろう。多分、あの砂漠にいる

他のみんなも同じだ。

 だったら、このわたしとは違う。

 わたしはここから外へと出たくなかった。たとえここが、わたしにとって、終わりの地であったとし

ても、ここから抜け出したいなんて思わなかった。

 ここから外へ出る事ができたとしても、そこに待っているのは苦しみでしかない。

 わたしは、ただこの場所で、草木のようにいるだけで良いのだ。

 青緑色の空、どこまでも続いていくかのような砂の大地、そしてあまりに広すぎて、自分がちっ

ぽけに思えてくるような感覚も、やがては受け入れられるだろう。

 ただそれは、この地がいつまでもこのまま変わらなかったら、の話だった。

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 わたしが気がつくと、今までわたしや、他のみんなの足元を支えていた砂が、どんどん動いてい

るように思えた。

 今までも奈落の砂漠の砂が動いている事もあった。しかしながら今度はそうではない。かなり早

い動きで砂が動いているのだ。

 何だろうとわたしは思う。今までこの奈落では、蒼い鳥が現れる以外、空にも地面にも変化は

無かった。

 だがそれが、今になって確かな動きを見せてきていた。

 この砂の動きは風の動きではない。まるで生きているかのように砂漠が動いているのだ。わた

しは砂漠の砂を生き物のように感じ、思わず立ち上がっていた。

 確かに、砂は動いていた。まるで生き物のように。思わず後ずさるわたし、砂漠の砂は、一つの

方向に向って動いていた。

 わたしは、砂が動いて行っている方向に目をやった。

 そして、驚いた。何と言う事だろう。あれだけ、何も変化が無かった砂漠だったのに。

 その真ん中に、突然、大きな穴が開いていたのだ。砂は、どんどんその穴の中へと落ちていっ

ている。

 穴は、遠くからでもはっきりと分かるくらいに大きなものだった。砂が、音を立てて穴の中へと落

ちていっているのだ。

 わたしは思わず砂漠の砂の上に膝をついてしまった。

 穴の底を覗く気にさえならないほど、巨大な口が砂漠に開いている。もしかしたら、穴は本当に

生き物の口なのかもしれない。

 その穴を覗かなくてもはっきりと分かる。砂漠に開いた穴は底も深く、

 落ちたら二度と戻って来れないに違いない。

 何でこんな穴が突然開いてしまったのか、わたしには分からなかった。

 穴が開いていることに気を取られてしまっていたせいで、初めは気がついていなかった。だが、

 わたしの体も、砂の流れに沿って、穴の方へと向っていたのだ。それに気がついたとき、わたし

は慌てていた。

 あれだけ、感じていた地面の感覚が、突然不確かなもののようになった気がした。まるで高い

所にかかった危ないつり橋の上にいるかのような感覚だった。

 わたしは、慌てて砂の流れとは逆の方向に向って逃れようとした。

 だが、上手くいかない。わたしの体が、どんどん穴の方へと向って流されて行ってしまう。

 この奈落から、穴の中へと落ちてしまったら、一体、どうなってしまうのだろう? 考えるだけでも

嫌だった。

 だけれども、その現実は確かにこのわたしを鷲掴みにするかのように迫ってきていたのだ。

 このまま、本当に穴の中に落ちてしまうかもしれない。

 そう、わたしがはっきりと思ったときだった。私の手を誰かが掴んだ。

「ほら! しっかり、ぼくが助けてあげるよ!」

 それは、奈落で初めて出会った男の子だった。わたしの手を掴んで、穴のある方向とは逆へと

引っ張ってくれている。

 男の子の力と、わたしの力も相まって、ようやくわたしは、流れる砂から解放された。

「い、一体、何が…?」

 わたしは砂漠の砂に座り込んでしまったまま言った。

「少し、多くなってきたみたいだよ…。さっきも起こったばかりなんだ…」

 男の子も、砂漠にぽっかりと開いた穴の方を見つめてそういった。

「だから、何が起こったの?」

 わたしは、その場から立ち上がり、男の子に迫って尋ねた。彼が何を言っているのか、さっぱり

分からなかったからだ。

「穴、だよ。時々だったんだけれども、急に大きく現れるようになってきたみたい」

 またこの男の子は曖昧な事を言った。

「穴? どういう事?」

「ごらん? この奈落の砂漠は、平らな地面の上にあるわけじゃあないんだ。ぼくらは、大きな入れ

物の底の上に乗っているだけだって思っているんだ。その入れ物も、砂の重さか何かで、底の

所々に穴が開くんだ」

 私は男の子が言う言葉を、頭の中で想像してみた。

「じゃあ、その入れ物の底から落ちてしまったら、一体、どうなってしまうの?」

 わたしは男の子に尋ねた。

 すると男の子はわたしの方を振り向き、静かに言った。

「ぼくたちは、奈落に落ちてくる前も、そして今も、その入れ物の中で生きてきたんだ。今は、ただ

その入れ物の底にいるって言うだけ。底にいるっていう事は、ほんの簡単な何かによって、簡単

に底から落ちてしまうんだよ」

 わたしが見る男の子は、どことなく、今までわたしが見ていた、何歳か年下の男の子としての姿

とは変わってきていた。

 何だろう。年下の男の子でもなく、また年上の男の子にも見えない、不思議な何かに見えてきて

いた。

「だから、ここから更に下に落ちてしまったらどうなるの?」

 男の子はわたしの質問に、静かに口を開いた。

「もちろん、入れ物の底から落ちてしまったものは、もう戻っては来れないんだよ。ここにはもちろ

んの事、元にいた場所にだって戻ることはできない」

 わたしは周囲を見回してみた。男の子の話を聞いた後だと、この奈落という場所が、静かな場

所として見ていた今までの風景とは違い、何故か、激しく脈動している世界のように見えてしまっ

ていた。

「穴は、いつ開くの?」

「分からない…。でも、穴から逃げることができないんだ。必ず、この奈落のどこかに穴は開く」

 男の子は静かにそう言った。

「それじゃあ…、ここにいる限り、いつかは穴の中に落ちるっていうの?」

 わたしはそう尋ねてまた周りを見回した。

「必ずそうなるわけじゃあないんだ。ほら、蒼い鳥がぼく達を助けてくれる。蒼い鳥は、この奈落か

ら、さらに下に落ちていくよりも前に、ぼく達を助けてくれるんだよ」

 私は遠い空を見つめた。蒼い鳥がやって来るのは何回か見ていたし、その度に必ず一人が連

れて行かれていた。

 蒼い鳥に連れて行かれた子が、どうなってしまったかはわたしには分からないけれども、少なく

とも、この奈落から下に落ちていくわけではないようだった。

 ふと、わたしはある事に気がつく。

 砂の丘の上にいる、みんなの数が、心なしか減ってきているのだ。わたしが離れた所で眠って

いる間に、何人かがいなくなってしまっているようだった。

 蒼い鳥に連れて行かれたのだろうか、それとももしや…?

「君は、まだ元の場所に戻りたい?」

 突然、男の子がわたしにそう尋ねて来た。

「元の場所に…? どういう事?」

「言葉通りだよ。元の場所に戻りたいかって聞いたの」

 そう尋ねて来る男の子は、見た目よりも随分大人びて見えていた。年下の子にそんな事を聞か

れるなんて、わたしにとっては初めてで、少し面食らった。

「さあ…? 何だか、もうどうでも良くなっちゃっている、かな?」

 他の子ならば、そこで、元の場所に戻りたい、戻りたくないなんていう言葉を言ったりするのだろ

う。

 だが、わたしはどうしても、戻りたいという言葉を使う事ができなかった。

 今、この奈落にいるわたしが、自分がここにいるという感覚が曖昧だからなのだろうか?

 それとも、目の前の男の子やみんなの言う、元の場所に良い思い出が無いから、なのだろう

か?

「…、君みたいな子が、時々いるんだ」

 と、男の子が言った。

「どういう事?」

 わたしがそう尋ねると、男の子は話し出す。

「そう言ってしまえる子のところには、絶対に蒼い鳥はやって来ないんだ。ううん。生きたいってい

う気持ちが幾ら強くても、蒼い鳥が来ないときもある。そういうのって、何かで決まっているわけじ

ゃあないんだ。大人の世界の言葉では、運命とか言われている」

 ゆっくりと、まるでわたしに言い聞かせるかのように男の子は言ってくる。

「でも…、君は…」

 最後に男の子はわたしを見下ろし、そのように言う。

「何なの?」

 わたしがそう言うと、男の子は、そっぽをむいて、わたしに背中で言ってきた。

「君のところには、絶対に、蒼い鳥は来ないよ」

-6ページ-

 わたしは、どうやらまた眠ってしまったようだった。この奈落という世界にいると、どうしても時の

流れを感じなくなってしまう。

 だから、わたしは自分がどれだけ眠ってしまっていたのか、分からなかった。

 しかし気がつけば、どうもさっきまでと様子が違う。奈落を吹き荒れる風が、前よりもずっと強く

なってきていたのだ。

 青緑色の空も、激しく雲が動いていくかのように動いている。砂漠の砂も、波のように動いてい

た。

 辺りを見回せば、驚いた。

 わたしの体を支えている地面が、ほとんど無くなってしまっていたのだ。

 あれだけ広大だった砂漠。それが、まるで欠けてしまったかのように無くなっている。わたしが

いる所のほんのわずかな場所を残しているだけだ。

 いつの間に無くなってしまったのだろう。わたしはさながら、断崖絶壁の上にいるかのようだっ

た。

 さっきも砂漠に穴は開いていた。だが、今はもはや穴というものではない。むしろ、わたしがい

る所だけが、広大な穴の中にある、絶壁のような場所と化していた。

 わたしは、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。今まで広大に広がっていた砂漠は、も

う、わたしのいる周囲、ほんの少しの足場しか残っていない。

 しかも、わたしのいる部分すら、今にも崩れ落ちてしまいそうだったのだ。

 どうしたら良いか分からなかった。崖の下を見てみれば、ただただ暗闇が広がっているだけだ。

底、なんていうものはどこにも見えない。

 ただ果てしなく下へと広がっている闇があるだけだった。見下ろしているだけで、そこに呑み込

まれてしまいそうになる。

 もし落ちたら? どうなってしまうなんて、想像もつかない。

 もう二度と戻って来れない? 永遠に? いやそれだけではない。それ以上の、もっと恐ろしい

事を感じてしまった。

 そう言えば、みんなは、どうしたのだろう? 砂漠は、まるで瓦礫が崩れ落ちるかのようにどん

どん闇の底へと消えて行ってしまっている。

 だが、わたしの他にいたみんなは、この砂漠からどこへと行ってしまったのだろうか?

 まさか、この闇の底へと落ちて行ってしまったのだろうか?

 じゃあわたしも、この闇の底へと落ちて行ってしまうのだろうか?

 わたしの周りでは、どんどん、砂漠が欠けていった。気がつけば、私が歩くことができる範囲な

ど、ほんのわずかでしかなくなってしまっていた。

 やがて、わたしの足元でも音を立てて、砂漠の大地がかけていく。私は、ほんのわずかな場所

から、闇へと落ちていこうとしていた。

 最初から、こうなると決まっていたのだ。

 わたしは、この砂漠はとても静かで、誰にも邪魔をされることは無い。移り行く時間さえも無い、

そんな静かな世界が広がっていると思っていた。

 だが、そんな事は無いのだ。

 この奈落は、どんな世界よりも遥かに脈動しており、また遥かに活動的だったのだ。

 わたしの足元の大地が欠けていってしまうと、わたしは闇に向って投げ出されていた。

 だけれども、私はすぐに落ちていくのではない、何かにしがみ付いていた。それは、まだ心なし

か残っている針の先のような大地のかけらだった。

 闇の底から針のようにごつごつとした大地が残っており、わたしはそれにしがみ付いていたの

だ。

 だが、こんな、もろい大地は、すぐにでも崩れていってしまうだろう。

 わたしには、もうどこにも逃れることはできなかった。ただただ、足下に広がっている闇だけが

わたしを待ち構えている。

 ふと見上げると、わたしのしがみついている大地というか、岩のようなものの上に、誰かが立っ

ていた。

 それは、あの男の子だった。わたしがこの奈落という場所に来てはじめて出会った、あの男の

子が立っているのだ。

 そんな不安定な場所にどうやって立っているのかは分からなかったけれども、確かに男の子は

立って、わたしを見下ろしていた。

「どうして?」

 男の子は、唐突にわたしにそう言ってきた。

 わたしは必死になってしがみ付いていたから、答えることなどできず、ただ男の子を見上げてい

る事しか出来ない。

「どうして? 君は戻りたくなんか無いって言ったのに…、こうして必死になってしがみ付いている

の?」

 男の子は、残された崖の上で器用にしゃがみこみながら、わたしに言った。その目はどことなく

冷たく、とても子供の目には見えなかった。

「だって…! こ、こんなことになってしまうなんて…!」

 わたしの足元では巨大な口、いや、巨大な闇が、手を広げるかのように迫ってきていた。

「こんな事になるなんて思ってもいなかった?」

 男の子がわたしにそう言った。わたしはすぐに頷いた。

 しかし男の子は、わたしの体を引き上げる事はせずに、さらに言葉を続ける。

「でも、ここでは確かに、安心することなんてできないんだよ。君が軽々しく、帰りたくない、ずっと

ここにいたい、何て言ったからこうなったんだ。他の子供達もね。何人かは蒼い鳥が連れて行っ

た。でもね、ほとんどの子は落っこちちゃったんだ」

 男の子がわたしにその冷たい目を向け、言ってくる。

「落っこちちゃった子供達は、もう戻ってこれない。どこへいったかなんて、ぼくにだって分からな

い。でも、これだけは確かなんだ。落っこちてしまったら、もう二度と、戻って来れないし、きっと、

永遠に闇の中で彷徨うことになるんだ…」

 わたしが考えてもいなかったような事をこの男の子は次々と言ってくる。わたしは今にも奈落の

底へと落ちそうなのに。

 早く引き上げてもらいたかった。

「何とか…、してよ…。わたし、落ちたくない」

 泣きそうな声になりながら、わたしはそう言っていた。そう。もうわたしを支えている手は限界だ

った。今にも落ちてしまいそうだったからだ。

 男の子がわたしを引き上げてくれなければ、わたしは、落ちてしまう。永遠だとか言う闇に呑み

込まれてしまう。

 もう、わたしの戻る世界に、何が待ち受けていようと、構わない気持ちだった。

「もし、ぼくが君を助けたら、君は、行かなきゃあならない。それでもいいの?」

 男の子はわたしに言ってくる。

「わたし、ここから落ちたくないよ…。だから…」

「だから、何?」

 男の子はわたしにそう尋ねて来た。

「助けて…、わたしを引っ張り上げて…」

 だが、男の子はわたしを引っ張り上げようとはしなかった。代わりに、わたしのすぐ上の崖の上

に立っていた男の子は、その姿をぷっつりと消してしまっていた。

 わたしは、もう駄目だと思った。もう、助からないのだ。いずれは力尽きて、今掴まっている崖か

ら落っこちてしまうのだ。

 今落ちても、力尽きてから落ちても、結局、落ちていく先は、闇の底。同じ事だった。だけれども

わたしはまだ崖に掴まっていた。

 どれぐらいの時間が経ったのかは分からない。わたしは必死になって、腕が痛くなってくるまで

崖にしがみ付いていた。

 奈落という場所を吹く風は、まるで嵐のようになってわたしを捉えて来ていたけれども、わたしは

身を縮めるようにして掴まっていた。

 何かを待っているのだろうか? それは自分でも分からなかった。ただ単に、足の下に手を伸

ばしてきているかのような闇に、落っこちたくないから、なのだろうか。

 手を離して、この辛さから解き放たれたかった。

 でも、わたしの中の何かが、崖にしがみ付かせていたのだ。

 わたしは、待ち続けた。自分の意志が弱まるまで? 力尽きるまで?

 そうではない、わたしは多分、あるもの、ある存在を待ち続けていたのかもしれない。だがそれ

は、向こうからやって来るものではなかった。

 ふと、自分に影が落ちてきた事に気がつき、わたしは顔を上げた。

 すると、さっき男の子がいた所に、大きな蒼い鳥が姿を現していた。まるで宝石で創り上げたか

のような体を持つ蒼い鳥が、わたしの方にその顔を向けていたのだ。

-7ページ-

 蒼い鳥は、崖から落ちそうになっているわたしを、ただ見つめていた。まるで宝石のような輝き

を持つ瞳は、わたしをしっかりと見つめ、心の底まで見透かしてくるかのようだった。

 蒼い鳥が、わたし達をこの奈落と呼ばれる場所から助け、救ってくれる。

 ここにいたみんなは、そう言っていた。だから、蒼い鳥はもっと優しい顔をしているものだと思っ

ていたが、わたしの目の前に現れた蒼い鳥は、

「やっぱりね。君も、ここにはもういたくないんだよ…」

 と、子供のような声で言ってきた。

 この蒼い鳥の声。どこかで聞いた事がある。しかも、どこかというほど古い記憶ではない、つい

さっきに聞いた声だった。

「君は、自分はもうどうなってもいい、ここにずっといたって構わないって言っておきながら、多分、

助けを求めていたんだ。君だって、やっぱり元の世界に戻りたいだけ。だからこうして、必死にな

って崖にしがみ付いている」

 蒼い鳥はわたしにそう言ってくる。

 はっきりと分かった。この蒼い鳥は、わたしに、あの男の子の声で話しかけて来ていたのだ。

 ついさっきまでわたしの掴まるこの崖の上にいて、わたしを見下ろしていたあの男の子、その声

と全く同じだった。ただ、蒼い鳥はわたしを包み込もうかという程大きく、さっきの男の子とはあま

りに違っていたから、すぐには分からなかったのだ。

「あ、あなたは…?」

 わたしは顔を上げて尋ねた。そろそろ腕の方も限界で、早く連れて行ってもらいたくなってい

た。

「ここに来たばかりの君を、ぼくはずっと見ていた。君は元の世界で何かあったんだね。 元の世

界で起こった何かが、君をこの場所にいたいっていう気持ちにさせていたんだ。

 君は、この奈落が、とても静かで、自分を何も苦しめない、安らかな世界だと思っていたけれど

も、そんな事はないんだ。

 誰でも、さっき、君が見ていた子供達も、いつかは、この奈落から闇の底へと落ちるか、元の場

所に戻らなきゃあならない。それ以外の選択はできないんだよ。なぜなら、この場所自体が…」

 蒼い鳥がそういいかけたとき、わたしは片方の手が限界にまで達していたらしく、滑り落ちそう

になった。

 しかし、そんなわたしの体を、素早く蒼い鳥が受け止めた。

 大きな身体だった。蒼い毛並みはとても優しく、さらに暖かくわたしを包み込んでくれている。と

ころどころきらきらと光っているのは、宝石のようだった。細かい砂のようなものが、蒼い鳥の体

中に散りばめられている。

「君を、僕は連れて行くよ。もし嫌になったら、今からでも闇の中へ飛び込んでいってもいいんだ。

それを、僕はとめようとはしない。君が選ぶんだ…」

 蒼い鳥は、あの男の子の声でわたしに話しかけてくる。

「あの、闇の中には、何があるの?」

 わたしは蒼い鳥の背に掴まりながら、眼下に広がっている深い闇を見つめて尋ねた。

 蒼い鳥はわたしに答える。

「何もないよ。本当に何も無いんだ。崖だったら、底っていうものがあるけれども、ここは崖じゃあ

ないんだ。どこまでだって落ちて行ってしまう。底に辿り着く事、なんて無いんだよ。

 でも、何か、この闇の中にあるって言うんならば、それは永遠という言葉なのかも…?」

 わたしは、息を呑んで闇の中を見つめていた。この蒼い鳥が来てくれなかったら、わたしもこの

闇の中に落ちていたに違いない。

 やがて、蒼い鳥は羽ばたきだした。大きな翼が動き、わたしを乗せた蒼い鳥の身体は上空へと

登って行く。まるで、手を伸ばしてくる闇から逃れるかのように。

「ねえ…、わたしはどこに行くの?」

 蒼い鳥に連れて行かれるがまま、わたしは尋ねていた。闇から逃れ、蒼い鳥が進んで行く先に

は、青緑色の雲が広がっていた。それが、この奈落と呼ばれている世界と、どこかの境界にでも

なっているのだろうか?

「どこに行くって? 君が行きたいところだよ」

 蒼い鳥はそのように言って来たけれども、わたしには何の事やら理解できなかった。

「わたしが行きたいところって?」

 蒼い鳥の体は、どんどん青緑色の雲へと接近して行く。

「いいかい? 君は、自分で飛んでいるんだし、自分の意志で、この奈落から脱出しようとしている

んだよ? 分かるかい? 君が、この世界から脱出したいと強く思わなかったら、ぼくは現れなか

ったんだ」

「何の事だか…、良く分からない…」

 蒼い鳥は羽ばたいて行く。彼は、わたしに飛びながら語りかけてきた。

 その声は、蒼い鳥の口から発せられているものではなく、まるでこの奈落全体から聞えてきて

いるかのように響いていた。

「ぼくは、君自身なんだ。分かるかい? 君は、自分でこの奈落から出ようと思った。君自身のそ

の意志が、ぼくを生み出し、君自身の意志が、君を連れて行っているんだよ」

「どういう事、なの…?」

 蒼い鳥の言いたい事は、大体分かった気がする。でも、はっきりと実感として理解できたもので

はなかった。

 この、わたしの体よりも、何倍も大きさがある鳥が、わたし自身? わたし自身の意志が現れた

姿?

 蒼い鳥は、わたしの意志など関係がないかのように羽ばたいて行く。もう、空は目前に迫ってき

ていた。青緑色の分厚い雲。そこにはいつしか隙間が現れていて、白い光の柱が差し込んできて

いた。

 その光の柱は、眩しく明るい。まるで、別の世界から差し込んできているかのようだった。

 蒼い鳥はわたしを乗せたまま、その光の中へとわたしを導いていった。

「もし、君がまたこの奈落に落ちて来てしまっても、またぼくが現れるかどうかは分からない。

 でも、ぼくは君自身なのだし、また、君が元の場所へと戻りたいという意志があれば、ぼくは現

れる。君が希望を失わない限りは、ね…」

 わたしは蒼い鳥に乗ったまま、光の中へと導かれていった。

 この先に何があるのだろう? わたしには分からなかった。でも、すぐに知る事になるだろう。今

のわたしにとっては、この光の先にあるものこそ、全ての希望だった。

 

説明
童話的な短編小説になります。抽象美というものを求めていったような内容になっています。

某如月千早さんの蒼い鳥の楽曲も、多少意識しているような内容でもあります。
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