どようび!! 5 |
「あー、もう! いい加減疲れたぞー」
律が階段に腰を下ろして言った。唯を探し始めて、40分は経っただろうか。途中、妙な小芝居入れたせいもあるだろうが、律は少し疲れていた。
律が腰を下ろしている階段は軽音部部室へと続いているもので、2階と3階を繋ぐ部分。その始まり。ウサギの彫像が律を見下ろしていた。この彫像は学校の階段の至る所に造られており、亀と合わせてとても印象的なインテリアだった。通いなれた身の律としては、流石に今更な事だったが。
ウサギと亀の童話がモチーフになっている事は言うまでもない。唯探しに際して、今、自分たちはウサギなのか亀なのか。そう考えると、律はなんとも言えない気持ちになった。一歩ずつ着実に外堀を埋めているわけでも無く、楽観してサボっているわけでも無い。ウサギと亀の中間生物が人間なのだろうか。
澪は律の隣に腰掛け、ムギはその2人の前に立っていた。
「確かに…………学校って、意外に広いんだな…………」
「そういう問題じゃねぇ!」
律の言葉を受け、疲労を顔に滲ませて率直な感想を述べたのだろう澪に、律は容赦なく突っ込んだ。厳しく突っ込まれ、澪の目尻がやや下がる。
まあまあ、と律を宥めるのはムギ。このほんわか天然系少女だけは、何時もと変わらない微笑を浮かべていた。だが、見えていないだけで、少しは疲れているのかもしれない。
この場合、単純には計れない疲労感というものが在る。気だるい、と表現したほうが良いかもしれない。律を襲っているのはまさにそれだ。澪もまた、そうだろう。ムギはどうか分からない。
成果の出ない単純作業というものは、実に過酷なものなのだ。…………などと大層な事では無く、本当のところ、単に飽きてきたのだろう。唯を心配していないわけでは無いが、今一本気になれない所が、3人にはあった。それが気だるさを呼ぶ原因であり、『飽きてきた』というモチベーションの低下である。ムギに疲労感が無いとすれば、彼女と律、澪を分けた要因として、おそらくその辺りが挙げられるのだろう。ムギはその性格上、何でも楽しめる子なのだった。
ムギを見習って、楽しんで唯を探すことが出来れば最善なのだろうが、モチベーションの低下というのはどうしようも無い。そもそも、何かしらの事件に発展している可能性はほぼ皆無だからだ。何処かで倒れている可能性も一応考慮して、普段は人目に付きそうに無い所、そしてトイレの中まで探したが、成果は得られなかった。
当たり前だ。漫画やドラマの世界じゃあるまいし、人は道端に、そう簡単に倒れていたりはしない。そんな事すら、律は考えていた。実際問題、事故や事件というものは突発的に起きるもので、人は簡単に倒れ、現実の世界はフィクションよりもよりフィクションらしいノンフィクションに変貌する可能性は有る。だが、もちろんそれは稀有な例というもので、そうした事態に遭遇する確立はおそらく、普通の自動車事故よりも遥かに低い。
そもそも、普段人目に付きにくい場所というのは、普段から人が寄り付く様な用事がほとんど無いから人目に付きにくいのであって、自分から進んで足を踏み入れる場所では無いのだ。トイレだって、普段使用していない場所に設置されているそれを使用するとは考えにくい。まあ、だからこその万が一では有るのだが、だからこそ起こりえないとも言える。
「ったく、唯の奴、ほんとに何処行きやがったんだよ…………」
頭の後ろで手を組んで、律は仰向けに寝転んだ。階段の段差が、良い感じにベッド感覚を与えてくれる。正直、背中は痛いが。
「おい律、汚れるぞ」
澪に注意されて、律はすぐに上体を起こした。前述通り背中への負担が思ったよりも酷く、澪に注意されなくてもすぐに戻っていただろう。
ブレザーの背中に着いた汚れを澪に払ってもらいながら、律はため息を1つ。
「これからどうする?」
「どうするも何も、帰るわけにもいかないだろ」
「そうね…………まだ探してない所が有るかもしれないから…………」
澪とムギは、諦めて居ないようだった。まあ、律だって諦めたわけでも無いのだが。とはいえ、唯が居そうな所は、取りあえず全部探した。それでも、見つからなかったという事は、これは完全に手詰まりだ。
一度、別の観点からアプローチしてみる必要があるかもしれない。
それを2人に話すと、しかし、難しい顔をされた(ムギは困ったように俯いただけだったが)。別の観点からのアプローチとは何だ、という話から考えなくてはいけない上に、そもそも、そんな事を考えている間に足を使った方が、より効率的かもしれないからだ。
だが、澪が控えめに、敢えて言うなら、という感じて、
「校内放送とかは?」
「校内放送か…………」
確かに、それで唯を呼び出すことが出来れば、すぐに見つけ出す事は可能かもしれない。校内放送なのだ。校内に居て、気がつかないはずがない。
悪くない…………とは思ったものの、難しいとも思った。
「休日に校内放送なんて、使わせてくれるのか?」
「どうだろ…………私的な事だから、難しいかも」
自信無さげに、澪は首を振った。律も同じような懸念を抱いていたため、全くその通りだと感じた。
そして、さらにムギから駄目押しの一言が有り、校内放送を使用する線は完全に消えた。
「あの…………凄く恥ずかしいと思うの」
恥ずかしい。
言われてみれば、確かにそうかもしれない。その状況を想像して、さらには校内放送で呼び出される人物を自分に置き換えて顔を赤くしている澪を見て(澪のそれは何時も通りの過剰さだったが)、そうなのだろうと思った。
そしてそれは、律にしても同じ事だ。少し考えれば分かる。
これが平日ならば、校内放送呼び出されようがなんだろうが恥ずかしくは無いだろう。生徒がたくさん居て、校内放送で呼び出されても不自然では無い状況ならば恥ずかしく無い。だが、今はそうでは無い。あまりにも目立ち過ぎる。
仮に、自分がそうされた場合の事を考えてみる。『田井中 律』という名前が、休日では通常有り得ない校内放送で呼ばれたとしたら、部活動をしている生徒達には大きな印象を与える事となるだろう。ちょっとしたネタにされるかもしれない。それは確かに嫌だ。
なるほど、使用許可が下りるか下りないか以前の問題だ(唯がそれを嫌がるかどうかは別にして)。律は嘆息して、
「梓から連絡は?」
後輩の顔を思い浮かべながら、まだ少し顔の赤い澪を見て、言った。
「唯が見つかったら、こっちから連絡する予定だから…………」
「あー…………そーいえば、そんな事言ってた気が…………」
澪の声しか聞こえていなかったので、電話の内容は当然断片的にしか理解していない。印象が薄くなるのは当然だが、思い返してみれば、確かにそんな事を澪が言っていた様な気がした。
「…………一旦、部室戻るか」
「そうね」
「そうだな」
大きく伸びをして、欠伸を1つ。律は反転して階段を上り始めた。澪とムギもそれに続く。
階段の途中で澪の腰に後ろから抱きついて、ずるずると引きずって貰おうとしたが、抱きついたら容赦なく頭頂部に拳を振り下ろされて断念した。ムギにも同じ様にしようかと思ったが、何か悪い気がして止めた。
そんな馬鹿な事をしていたから…………というわけでは無いだろうが、歩いて数十秒という部室までの短い道程の間に、階下から駆け上ってくる足音が聞こえた。部室は目前、という位置だ。
その人物はどうやらかなり急いでいるらしく、1階の辺りですでに足音が聞こえていた。
「なんだ?」
澪に殴られた頭をさすりながら、律は階段の手すりと手すりの間を覗き込んだ。澪も肩越しに覗き込んできた。
階段を駆け上ってきているのは見覚えのある頭で、柔らかいツインテールが体の上下運動と共に、大きく揺れ動いていた。噂をすれば、なんとやら。
程なくして、彼女は律達の前までやってきた。
「よー、梓」
律が声を掛けると、彼女は息を整えてから、言った。
「おはようございます、先輩方」
余程急いで来たのだろう、顔は赤く上気していた。にもかかわらず、挨拶を忘れないのは、この可愛い後輩の、いくらか有る美点の1つだろう。
「あ、あの、唯先輩は…………」
「まだ見つかってないよ。今から一旦、部室で作戦会議」
目元は澪と同じく、真面目な性格を体現したかのように少しきつめだが、それを補って余りある愛嬌を持ち合わせている。澪やムギ同様に髪は長い方なのだが、頭の両側で結んでいるため、そういう印象は薄い。ギターケースと鞄を背負って、学校指定のコート…………やはり、何時もの通学スタイルだった。
「でも、どうしたんだ、梓。憂ちゃんと一緒に待ってるはずじゃ…………」
「あの、私、やっぱり心配で! 私も探したほうが良いと、思いまして…………」
澪の疑問に、梓は走ってきた勢いそのままに言った。しかし、言葉の最後には、その勢いはかなり失速していた。かなり心配しているのだろう。梓は真面目だ。思い詰める様に考え込んでしまう事も、たまに有る。それは彼女の持つ優しさの表われなのだろうが、だからこそ、律は時折心配になったりする。彼女のそういう方面に対して、何が出来る訳でも無いと知りながら。
嘆息しながら、
「おいおい梓。そんなに唯が心配なのか? 梓は唯の事が本当に大好きなんだな」
にやにやと、非常に面白そうな表情を、律は浮かべる。
その言葉に梓は、
「なっ!? そ、そんな事無いです! 憂が凄い心配してるから私も不安になっただけで、私自身はそれほど心配してなんか…………」
「心配してなんか…………?」
やはりにやにやと、口に手を当てて律は言った。先ほど『やっぱり心配で』と自分で言ったのを、梓は思い出したのだろう。言葉に詰まって眼を逸らし、妙な汗をかいている様だった。
ムギも律と同様、非常に面白そうに眼を輝かせており、澪は柔らかい笑みを浮かべて、意味ありげに律を見ていた。なんだその眼は、と言いたくなった。
「も、もう良いです! 律先輩に任せてたら、何時まで経っても見つかりません! 私が見つけてやるです!」
走ってここに駆けつけて来た時と同じような勢いで、梓は部室へと足を運んだ。小柄な彼女の、精一杯の大股。しかし、迫力は伴っているように見えた。
先輩すら引っ張れる行動力が、梓最大の長所だ。空回りすることも多いが、問題無いだろう。落ち込むと誰かに相談したり、思いをぶつけられるのが、彼女の同じくらい大きな長所だからだ。
梓の小さな背中を見ながら、律は声に出さずに笑った。たった1人の後輩。まさか、ここまで可愛く思う事になるなんて、と。
「…………ん?」
口に出しては絶対言わないだろう事を考えながら部室へ入ると、そこには意外な人物が居た。いや、別に意外でも何でも無いのかもしれないが。だが、先ほど分かれたばかりの人物で、自分は忙しいからどうのこうの、と言っていたのを覚えていたから、やはり、今ここに居るのには違和感を覚える。
軽音部の面々がさわ子先生と呼んで親しくしているその人物は、苦笑を浮かべ、律達を出迎えた。
意味ありげな笑みだった。
説明 | ||
後輩登場。 あと2回くらいで終わりです。 |
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