どようび!! 6 |
4人が部室へ入ると、そこには顧問・山中さわ子の姿があった。先ほど職員室で見かけた時と、当然ながら何も変わらない姿で。
さわ子は腕を組んで、微妙な笑みを浮かべて、律達が使用している机の傍に立っていた。
「あれ? さわちゃん、何してんの?」
怪訝な声で、律は訊ねた。
それに対して、
「え、ええ、ちょっとね…………」
さわ子は、その顔に浮かべた笑みと同じように、微妙な反応。違和感を覚えた。
不審に思いつつも、4人はぞろぞろと部室の中へ入り、机へと向かった。ただ、ムギだけが、
「お茶、入れるわね。唯ちゃんもきっと、飲みたいと思ってるだろうから」
その言葉に若干の違和感を覚えつつ、しかし有り難く受け取る。疲れた時には、ムギのお茶を飲むのが一番だ。気温は昼前になってもまだそれほど上がらないため、暖を取る意味でも有り難い。
「先生、お早うございます」
礼儀正しく、梓は軽音部の顧問に挨拶をした。先ほどまでの勢いは、さわ子の存在によって殺がれたらしい。当然、ぶりっ子をしているわけでは無い。ただ単に、意表を付かれただけだろう。
「お早う、梓ちゃん。貴女も唯ちゃんを探しに?」
「え!? わ、私はそんなんじゃ…………いえ、違うかどうかと言われれば、そうでも無いんですが。……………………ま、まあそんな所です」
実際そうなのだろうが、先ほど先輩に啖呵を切った手前、はっきりとは言いにくいのだろう。手を左右に振ったり、顔を赤くしたり、忙しなく、そして言葉に詰まりながら、梓は答えた。
その反応に、しかしさわ子は心得た様に意地の悪い笑みを浮かべた。そして、
「あらあら、梓ちゃんったら、そんなに唯ちゃんの事が心配だったのね?」
何故か、不自然な程に大きな声で、そう言った。まるで、誰かに聞かせようとするかの様な響きを持っていた。その挙動に違和感を覚えない事も無いが、まあ、部屋に居る人間に通るように、そうしたのだろう。離れた所でお茶の準備をしているムギの眼も、こちらを向いていた。どこからか、ギシギシ、と床の軋む音が聞こえた。澪が周囲を見渡していた。
「さわちゃん、それさっき私がやった」
「え〜、なんだ。つまんないの」
さわ子は腕を組みながら、しかし子供のように頬を膨らませた。彼女のこういう面を、律は好いていた。親しみやすさ、とでも表現すれば良いだろうか。そしてそれは他の部員もそうなのだろう。彼女の子供っぽい面は軽音部でしか見せない顔なので、クラスメート…………いや、学校では軽音部以外の生徒(極1部例外有り)は知らないわけだ。そういう素の面で接してくれる教師というのは有り難いし、何より、軽音部の顧問としては、実に当たりを引いたと律は思っている。…………まあ、さわ子のそういう側面は、軽音部以外の人間にも少しずつ知られ始めているという、もっぱらの噂だが。何せ、去年の初夏に大きな事件を引き起こしてしまったからだ。その時には所謂デスメタル的な部分が強調されていたため、だらしない側面は知られてはいないのかもしれないが。
自分たちが卒業して、さわ子の素の面を引き出す様な人材が居なくなれば、さわ子の押し通したい『おしとやかな先生』としてのイメージが定着するのだろうか。それは、とてももったいない事だと、律は思う。
「はい、どーぞ」
「お、サンキューな」
ムギの給仕を受けて…………寿家の使用人が見たら、卒倒するだろうと何度も想像した…………各々、礼の言葉を述べて、紅茶に口を付けた。
「ああ…………これよ、これ」
「さわちゃん、その台詞おっさん臭いぞ…………」
「体が温まりますね」
「朝とは違う紅茶なのか? 今までとは違う風味が有るけど」
「うん。ジンジャーミルクティー…………体が温まるの」
聞けば、生姜を煮出し、それにミルクを入れ、紅茶と合わせたものに蜂蜜を加えたのだという。
どこに生姜を持っていた。そんな疑問が気にならないほどに(というより、気にしたら負けだと思っていた)、良い風味が出ていた。
朝と同じ様に、いや、それ以上にその暖かさにほっとしつつ、溜め息を1つ。味の感想はそれぞれ違うだろうが、浮かべている表情は皆同じだ。
「しっかし、何処に居るんだろうなぁ、唯は」
何度目かも分からない台詞だった。今更、敢えて口に出す意味もない事だったが。しかし、だからこそ、それはこの場に居る全員の代弁だった。
木製のドアを軋ませる音が、何処かから聞こえた。
「……………………」
その音に嫌な予感を覚えつつ、その音が意味することに薄々気がついて、もはや何もかも面倒になった感の有る律は、今にも溶け出しそうな様子で机に頬を付けていた。こんな場合、何時も同じ様に突っ伏しているはずの唯が隣に居ないのは、何とも妙な感じだった。
やる気の減退が感じられるのは律だけでは無く、澪も同じ様な感じだった。とはいえ、律の様にあからさまでは無いが。ムギと梓はまだまだ元気そうで、梓などは律に抗議の視線を送っていた。どうやら、梓は気がついていないようだった。
「案外、近くに居るのかもよ?」
そんな中で、さわ子だけはあくまでも楽観的だった。カタン、と何処かで音がした。
「そんな事言うなら、さわちゃんも手伝ってよー。見つからなくて困るのは、さわちゃんも同じだろ?」
敢えて一般論を言ってみた。
楽観的なのは良い事だと思うし、律も普段は楽観を全力で体現している側だが、それを維持するのはモチベーションの保たれる環境が必要なのだ。ここに来て、あくまでも楽観的で居られるさわ子は、流石に緊張感が足りないのでは無いかと思わざるを得ない。唯がこのまま見つからないなどという、この期に及んでいっそ有り得ない可能性すら考慮したとすれば、この場で一番困るのは、立場上自分だというのに。
まあ、律のテンションが低いのは、気疲れと、そしてとても馬鹿らしい事に気がついてしまったからだが。あるいは澪も同じなのだろう、きっと。
「嫌ね、何のために私が部室に来たと思ってるのよ」
「お茶飲みに来たんじゃないの?」
少なくとも、事実上はそうなっている。
「そんなわけ無いでしょ。貴女達の事が心配だったから来たの」
「じゃあ、ムギのお茶を全く期待してなかったって、言える?」
「……………………もちろんよ」
「今の間はなんだよー」
半眼での律の追求に、さわ子は斜め上に視線を逸らして黙った。
まあ、実際、全く期待して居ないはずも無いだろうが。事態は切迫しているとは言い難い。さわ子がここでのティータイムを楽しみにしている事は、軽音部内では周知の事実。それは、律にとって悪く無い事実だった。
だから、その追求はただの雑談と同じだった。本気で非難しているわけでは無い。
「でもこうなると、お菓子も欲しいわね」
「おい教師」
目上の人間の、実に図々しい要求に対し、部員の面々は苦笑していた。しかし、律とて思わない事でも無かったし、他の皆も同じだろう。
まあ、無いだろうと思ってはいたが、一応確認を取ってみる事にした。
「なームギぃ。今日は何も持ってきてないの?」
「うん、ごめんね律っちゃん。まさか、皆集まるなんて思ってなかったから」
見ているほうが申し訳無くなる様な表情で、謝られた。元から心苦しいのに、更に心に釘を打たれた気分だった。そもそも、ムギがこの場面で謝る必要性は皆無だった。何処かで膝を落とす音が聞こえた。割と大きな音だった。さらに言うと、唯らしき声が(とても残念そうな響きを伴っていた)何処かから非常に小さな声で聞こえてきた。
「……………………なあ、澪」
「言うな、律」
先ほどから、誰かが発言するたびに部室の何処かから聞こえてくる音に対して、いい加減に律が言及しようとするが、澪に遮られる。
やはり澪もまた、律と同じ事を考えているようだった。そして、だとしたら非常に脱力ものであり、馬鹿馬鹿しさもここに極まれり、だ。
「あの、律先輩」
「どうした中野」
「なんか、さっきはすいませんでした」
「気にするな、中野」
先ほどまで、律に対して批判の視線を送っていた梓だったが、何か色々と達観したような様子で頭を下げていた。
心配した自分が馬鹿だったと、その眼は語っていた。先ほどの音は大きかったから、気が急いていた梓も、流石に気がついたらしい。
ムギは変わらない微笑を浮かべていた。予測だが、初めから気がついていたのだろう。
「さわちゃん、なんで教えてくれなかったんだよ」
「あら、言ったでしょ? 案外近くに居るんじゃないの、って」
「そうだけどさ…………」
さて、ではどうするべきかと思案していると、梓が鞄を持って机の上に置いた。
「あの、実は唯先輩が見つかったら出そうと思っていたんですけど…………。憂からの預かり物です」
言いつつ、彼女が鞄の中から出したものは2つの容器だった。
両方ともプラスチックのそれは、1つは直方体、もう1つは円筒形だった。
直方体のそれにはラップに包まれたおにぎりが数個。
円筒形のそれは500CC程あり、容器1杯にクッキーが詰め込まれていた。
「おにぎりは、唯先輩がお腹を空かせていないか心配だったらしくて。クッキーは皆さんで食べてくださいとの事です」
「憂ちゃん…………」
「なんて出来た子だ…………」
如才の無い、気配りの達人である唯の妹。唯の普段の言動を見ていると、悲しくなってくるのは何故だろうか。
クッキーを見て、さわ子は眼を輝かせていた。ムギはクッキーを容器からお皿に移すために、準備を始めていた。
そして。
程なくして、1枚のドアが、軋んだ音と共に開かれた。
そのドアの先は、物置と呼ばれるスペースで、歴代の軽音部が備品管理のために使用していた部屋だった。まあ、律達の代になり、そして3年の初めになるまで、ろくな掃除もされず、実質的に私物置き場になっていたのだが。
ともあれ、そのドアが開かれて、開かれた先には1人の人間が立っていた。
もちろん、平沢唯その人である。
彼女は何かを誤魔化す様に頬をかきつつ、冷や汗をかいていた。
説明 | ||
さわ子の態度、そして部室から聞こえる不審な音が、律達を真実に近づける。 次で終わりです。 予想以上に内容が長くなるかも・・・? |
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