百物語 |
さあて、それではひとつ語るとしようかね。
なあに、そんな身構えることはない。ただの与太話さ。
妄言と聞き流してもいいし、この話を他の誰かに広めてもいい。それはあんたの自由だ。
幸い、たっぷりと時間はある。暇潰しには、ちょうどいいだろう?
――シャボン玉、って知ってるよな。ストローを口に咥えて、奇麗な水風船吹き出すあれさ。
ガキの頃、俺もやったっけかな。誰が一番大きいシャボン玉を作るか、競争したこともあった。俺はそれが下手でいつも笑われてたが……ま、そんな事はどうでもいい。
大人になって、いつしか忘れていくガキの遊び道具さ。よくある事だ。
これはそんな、シャボン玉のお話だ。
とある、女がいた。
女といっても、まだ二十歳にも満たない、ガキに毛の生えたような女だ。
そいつは普段から素行が悪く、暴走族なんかともつるんでいてよ。酒も煙草も当たり前、何度か薬(ヤク)に手を出したこともあった。身の破滅に快感を得るタイプといったところか。
そいつがなぜそんな非行に走るのか、本人以外誰も知りゃしねえ。家が裕福で親も大層ご立派だったから、その辺が関係してるのかもしれねえけどな。
そんなどうしようもねえ奴なんだが、ある日……彼氏に振られた。
やっこさんも社会のクズだったが、そんなクズに捨てられたというわけだ。別れた理由は些細なきっかけ、よく言えば性格の不一致さ。お互い、相手を許容するには器が小さすぎたらしい。
ともあれそんな事もあり、その日の女は酷くイライラしていた。できる事なら現実を全て否定したかったろう。
そんな時、彼女は路地裏で一人の男を目にした。月のない、晩だった。
男は虚ろな目で小瓶を抱え、ストローのような何かを咥えて座り込んでいる。ぴくりとも動かないもんだから、死人と間違えるくらいだった。
女も、最初は不審に思った。けれどすぐに、男が何か薬の類を吸入しているんだと思い当たった。まあ、そうだわな。
繰り返して言うが、その日の女はムシャクシャしていた。男があまりにも幸せそうに見えたんで、有無を言わさずストローと瓶をふんだくり、自分も相伴しようとしたんだよ。
無抵抗の男から奪った薬を楽しもうと、ストローを口に咥えた女。けれど、いつものような薬の臭気、味覚、高揚感はなかったんだ。
なぜって――そいつは、他ならぬシャボン玉の薬液だったんだからな。
女は驚き、あきれ、そして怒った。理不尽だよな、自分からブン捕っておいて。
けれどもやはり、軽い好奇心の赴くままに女はシャボン玉を吹き出してみた。それはそれは、奇麗なシャボン玉だったよ。こんなに見事な物は、今まで見た事ないくらいだった。
するとどうだ。
奇妙な事に、胸がすっと軽くなった気がした。
何だ、やっぱりこれは薬だったのかと、女は嬉しくなって次々にシャボン玉を作り出す。
その度に、女がこれまで溜め込んでいた鬱屈、怒り、悲哀……様々な想いが溶けていくのを感じた。もう、自分が振られた事さえどうでもいいように思えたのさ。
このままシャボン玉を吹き続けられれば幸せになれるかと、女は更にシャボン玉を吐いた。
すると、出るわ出るわ。女の色んな感情が。人生と言ってもいい。
小さい頃、親に褒められた記憶。友達と遊んだ記憶。愛猫と過ごした記憶……。喜び、好奇、愛情――女の一切合切がシャボン玉に消えていった。
薄れゆく意識の中、女は最後のシャボン玉を見た。虹色に光るそれには、なんと。
――彼女をせせら笑う、もう一人の自分の顔が浮かんでいたのさ。
翌朝、女を見た奴はいなかった。女の傍にいたはずの男や、シャボン玉の小瓶やストローも消えていた。
けれど世間は、ぐれた女の行方になんて興味があるはずもない。すぐに女の事は忘れられた。
それっきり。どっとはらい。
女が吹かしていたあれ、な。心を溶かすシャボン玉だったんだ。そりゃ、奇麗なはずさ。
女は負の感情が強かったから、先にそっちが溶け出ただけの話だ。どっちみち、使っちゃいけない代物だったんだ。清濁合わ持って人間だ、どっちが欠けても立ち行くはずがねえ。
うん? 何で俺がこんな話知ってるか、って?
だから与太話だよ、与太話。よくある都市伝説さ、気にするほどの事じゃない。
……おっと、まだ時間はあるな。
暇潰しに、シャボン玉を用意してみたんだ。
ほら――ここに。
ひひひ。どうだい、やってみるかね。
おしまい
説明 | ||
ちょいとアンタ、俺の話を聞いとくれ。 お代はいらないからさ……ひひひ。 |
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