「六ノ二」第2章の2
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 それは当初、単なる事故と考えられていた。

 

 端的に言えば『会社員が自社ビルの屋上から転落死をした事故』といえるだろう。

 過労死や自殺、鬱病が多発する現代社会ではさして珍しくもない。

 

 亡くなったのは義田秋仁。まだ二十代の男性だった。

 その他に際だった特徴はなく。あえてあげるとすれば、墜落死体の側にはサッカーボールが転がっていたという程度しかない。

 事件を目撃した者が誰もいなかった為、詳細は未だに不明。

 しかし、一人で屋上にサッカーボールを持って上がっていたとみられ、そのボールでリフティングをしている最中に、誤って転落したのではないかという推測がなされた。

 マスコミ各社もその線で報道を行い「屋上や車通りのある道では、危険ですのでリフティングを行わないように」という訓話でニュースは締めくくられていた。

 後日、会社員がフットサルサークルのメンバーであると判明。

 遺体の側にあったボールが、通常サッカーボールではなくフットサルで使用される仕様のボールであったことが、リフティングをしていたという推測の裏付けとされたのである。

 

 

 ゆえに、この事件は『リフティング事件』と通称されている。

 ただし、この事件を事故と言い切るには若干の疑問点が二つ残っていた。

 

 『ビルの転落防止フェンスが押し倒されていたこと』と

 『死んだ会社員は普段、屋上に近付かないこと』だ。

 

 従って、警察はほぼ事故と断定しつつも、他殺、自殺の両面の可能性も含め、慎重に捜査を行っていたのである。

 そして、今日の鑑識報告で三つ目の疑問点が浮上した。

 『屋上から採取された部外者らしき人物の足跡』である。

 この事実に、一体どんな意味があるというのだろうか?

 

 

 富竹と守井は、まず所轄の警察署へ赴いた。

 マスコミ報道されている割に、被害者は一人で、しかも転落死という軽微な事件の為、特別捜査本部は設置されていない。

 二人は捜査担当をしているという刑事の元に通された。

 

「ど〜も。本部の守井さんと富竹さんですね。話は聞いていますよ。捜査主任の浜妻(はまづま)ひろゆきです」

 

 浜妻という男は刑事にしては癖のない。むしろ、どこにでもいる気安そうな人物だった。

 

 二人は自己紹介を済ませると早速、事件の話題へと移った。

 

「状況はどうですか?」

 

「いえねぇ、あまり芳しくありませんよ。妙な足跡が出てきましてね」

 

「えぇ、聞いています」

 

 富竹は清水課長から聞かされた話を浜妻に確認した。

 清水課長が強引にねじ込んだ捜査について、浜妻が拒否反応を見せるのではないか、と思っていたが、そんな様子はなく拍子抜けした。

 

「いやぁ、助かりますよ。応援に来てもらえて。事件性の乏しい事件にあまり人員裂けませんからね」

 

 本部が捜査に口を挟むことに、ネチネチと陰湿な言葉を吐き捨てられることを覚悟していたので、浜妻の言葉は意外だった。

 

「ウチも捜査員が足りないんで、猫の手も借りたいって奴ですよ」

 

 警察官不足といわれる御時世、現場の所轄署では人手不足が深刻なのだろう。

 重要拠点と認識しつつ廃止される交番も多いと聞く。

 その客観的事実は理解出来るが「猫の手」との表現に富竹は不快感を覚える。

 つまり、誰でもよかったのだ、労働力として使えるのなら。

 

 富竹はその悪感情を表に出さないように、横に座っている守井の方を見た。

 守井はいつも通りの笑顔。富竹のように感情を抑え込んでいるのか、何も感じていないのか。富竹に守井の心中を察することは出来なかった。

 

「お二人には被害者の交友関係の洗い出しをお願いします。こっちは現場で手一杯で」

 

「了解です」

 

 守井は二つ返事だった。その態度に富竹は更に不快を強める。

 交友関係の調査といえば、足で稼ぐ捜査の基本にして、あちこち駆け回らねばならない最も面倒な作業だった。

 所轄署が本部の人間を下働きとして使うと言うのだ。

 それが気に触らない本部員などいないだろう、所轄には所轄の沽券(こけん)があるように本部員にも本部員の矜持(きょうじ)がある。

 

 いや、だからこそ課長は若い二人を選んだのか。富竹は合点がいった。

 若手なら所轄も使い易いだろう。元々そういう名目での捜査協力というわけだ。

 その後、簡単な捜査情報の提供を受けた二人は、早速現場でもある被害者の勤め先に向かった。

 

 

 大阪の街に編み目のように巡らされた幹線道路の名称には一つの法則がある。

 東西に走る道には『通(とおり)』南北に走る道には『筋(すじ)』と命名されている。

 

 そんな法則に従い、南北に延びた谷町筋は、御堂筋と並ぶ交通の要所であった。

 その名の由来となった谷町という街は、谷町筋にへばり付くように南北に延び、オフィス街や商業区、それに寺や神社、史跡までが混在する。

 そんな整っているようで落ち着きのない街、谷町の外れにその会社はあった。

 

 リフティング事件で死んだ義田秋仁が勤めていたのは、府内では中規模の商社。

 地元企業に詳しい人物なら知っているが、大企業しか知らないという者なら、名前も聞いたことがないだろう。

 マスコミでも要らぬ混乱を避ける為か、会社名の実名報道は控えているそうだ。

 

 富竹と守井が会社を訪れると応接室に通され、亡くなった義田秋仁と最も親しかったという川絹悟(かわぎぬ・さとる)という人物が応対してくれた。

 

「既に何度もお話して頂いているでしょうが、ご協力ください」

 

 守井が慇懃(いんぎん)に口上を述べている間、富竹は川絹を観察したが、クールビズに身を包んだ普通の物静かな人物に見えた。この世の中、そうそう見るからに怪しい人物というのはいないものだ。

 

「そうですね。まず今回の事件で何か特別に思ったことがあれば、お聞かせ願えますか?」

 

 守井はわざと抽象的な質問をした。

 具体的な事項は既に所轄が何度も聞いている。守井たちに求められるのはその補完である。

 何か後になって思い出したり気付いたりしたことを聞き出すのだ。

 具体的な質問をすると回答者の答えを誘導してしまう。それを避ける為の話の導入だった。

 

 漠然とした質問に、川絹は首を捻って考え込んだが、特に思い当たる節もないのだろう、小さな唸りをこぼすだけだった。

 同僚が自社ビルから落ちて死んだというのに、意外に淡泊な反応といえた。

 

「亡くなった義田さんは、普段から屋上でリフティングを行っていたのですか?」

 

 所轄の捜査記録にもある質問だったが、守井は確認のつもりで質問した。

 同じ質問を何回もするというのは警察の捜査においてよくある手法だった。

 何度も同じ話を聞くことで、忘れていた記憶が呼び起こされる場合もあるし、嘘をついているなら証言が揺らぐ。

 聞き込みというのは、証言の内容だけでなく、その表現の仕方にも注意を払って情報収集するものだ。

 

「いえ、そういう話は一度も聞いたことがないですね。

 ……ただ、『時間がなくてフットサルに行けないから、リフティングぐらいしたい』とか愚痴ることはありましたね」

 

 川絹の口からは捜査記録通りの答えが返ってきた。

 

「それでは川絹さんも、義田さんは屋上でリフティングされていたと思われますか?」

 

「そう言われても、見たわけじゃないんで、なんとも……」

 

 川絹の答えはハッキリしない。

 所轄の聞き込みでも同じだったらしく『リフティング事件』と呼ばれているにも関わらず、実際にリフティングをしていたかどうかは、推測の域を出なかった。

 

「昼休み中の出来事だそうですが、義田さんはよく屋上に?」

 

「いえ、それが……、義田が屋上に行ってたなんて、聞いたことないんですよ。

 ここの屋上では、今は事件があって封鎖されてますけど、昼休みに女性社員がバレーボールで遊ぶだりはするらしいんですけど、義田を昼休みに屋上で見たなんて、聞いたことがありません。

 本人からも『屋上に行った』なんて話はなかったですし……」

 

「その女子社員に会いに行ったとかは? つまりは女性関係なのですが」

 

 富竹が二人のやり取りに口を挟む。非常にストレートな質問だった。

 人間の行動起因として男女の関係が大きなウェイトを占めるのは、刑事部に配属されて、職務上、痛いほど実感させられていた。

 

「義田はかなり女好きでしたけど、社内恋愛には乗り気じゃなかったみたいですね」

 

「それは社内の人間関係が面倒になるからですか?」

 

 富竹は矢継ぎ早に聞く。

 答える側に考える時間を与えず、反射的に答えさせた方が、より真実に近い回答が得られる。

 それも刑事としての常套手法だった。

 

「ええ、そうだと思います。」

 

「社外なら……、特定のお付き合いをしていた女性はいたのでしょうか?」

 

「……いえ、この前ふられてからは、彼女いなかったと思いますよ。

 義田は、女関係は分かりやすいですからね。落ち込んだり機嫌良かったりで、顔に出やすいタイプでしたから」

 

 つまり、義田秋仁は非常に短絡的な人物だった。富竹はそう認識付けた。

 何事も先入観は誤判断の元ではあるが、既に死んだ人間のことは人伝(ひとづて)に聞いて想像するしかない。

 

「ふられた……ですか」

 

 守井が小さく呟いた。

 

「ええ、数週間前ですけど、落ち込んでたのを飲みに行って慰めましたから……」

 

「その……、もし事故でなければ、自殺の線は考えられると、川絹さんは思われますか?

 例えば女性にふられたのが原因で」

 

「ははは。それはないと思いますよ。

 ふられたのが原因で死ぬなら、もう何回死んでることか。

 他に自殺するような原因も思い当たりませんし、そんな素振りも……」

 

 富竹の言う女性関係の線に、明確に否定の言葉を並べていた川絹が突然口籠もった。

 何か思い出したのか、意味ありげに表情を曇らせた。何か思い当たる節があるようだった。

 

「何か、あったんですか?」

 

「……いえ、自殺かどうかはわかりませんが、あの日は朝から疲れてたみたいで」

 

「あの日とは、事件当日のことですよね。

 すいませんが、事件当日の義田さんの様子を詳細に教えて頂けませんか。

 どんな些細な話でもいいので」

 

 川絹は少し記憶を整理していたのだろう。間を置いてから話し始めた。

 

「あの日、義田は珍しく遅刻して来たんです。

 遅刻といっても三十分ぐらいなんですが、義田が遅刻するなんて初めてだったんですよ。

 普段、真面目な奴だったんで、珍しがるだけで非難するわけでもなく、誰も何も言わなかったんです。

 義田は上司受けのいい奴だったんで、見逃してもらえたってやつですね。

 ……で、遅れて来た彼奴、なんんだか睡眠不足みたいで、顔色が悪るくて」

 

「義田さんは、実際に睡眠不足だったんですか?

 それとも体調が悪かったとか? 本人に聞かれましたか?」

 

「ええ、『昨日は寝れなかった』って言ってました。

 理由までは話してくれませんでしたが……」

 

「理由は川絹さんが聞かなかったのですか?

 それとも、義田さんが話さなかったのですか?」

 

 守井は珍しく強い口調で聞く。

 確かにその二つは似て非なるものだった。

 もし聞いて答えなかったのなら、人に聞かれたくない理由があったことになる。

 それが彼の死に繋がった可能性もある。

 

「彼が言わなかった、ですね。

 私もその時は義田が死ぬなんて思っていませんでしたから、詳しく問い質(ただ)すような真似、しませんでしたので」

 

「そうですか……、それで事件直前の義田さんの様子はどうでしたか?」

 

「それがですね。気付いたときには席にいなかったんですよ。十一時ぐらいには、もう。

 いつ席を離れたのか、見た人もいないそうです。

 義田の仕事はどこかの部署に要件があるときは、一、二時間、席を外すのも、そう珍しいことじゃないんで、その時は気にしてませんでした」

 

「いつから席にいなかったのか、詳しい時間はわかりますか?」

 

「いえ、詳しくは……」

 

「そうですか。実際に何か仕事で席を離れたのでしょうか?」

 

「いえ……、それもよく分からないんですよ。

 私たちの業務は担当を明確に分けていますので、本人以外は当日、何をしているのかは知らないんですよ。

 一々報告もしないですし。本人の裁量ってやつです」

 

「それは義田さんの直属の上司の方も?」

 

「はい。今日は出張でいませんが、上司の角芳(すみよし)も、把握していなかったそうです。

 それは角芳も事件直後に警察の事情聴取を受けてますので、そう言っているはずです」

 

 守井の質問責めにも、多少澱むことはあっても川絹はすらすらと答えていった。

 そして上司の証言に言及されたところで、守井と富竹は目を合わせた。

 浜妻刑事から捜査状況の説明は一通り受けたが、詳しい捜査資料までは把握していなかった。

 

「わかりました。それはこちらで確認をとります。

 あと、仕事上で悩んでいたとか、そういったことはなかったですか?」

 

「確かに拘束時間が長くて、休みが少ないですけど。自殺を考えるほどとは思えません。

 多少は愚痴を言うようなこともありましたけど……」

 

 会社の愚痴なら誰でも言う。それが普通の勤め人のあり方だ。

 そんなことで自殺するなら、とっくの昔に世界からサラリーマンは絶滅している。

 

「……そうですか。

 川絹さん、もし今回の事件が事故以外、義田さんが自殺か、もしくは誰かに突き落とされたとすると、何か心当たりはありますか?」

 

「えっ? 事故じゃないんですか?」

 

 川絹は守井の言葉が心底意外そうな口ぶりだった。

 既にマスコミは事故と決めつけて報道をしている。

 今、義田秋仁が事故ではない、ましてや他殺だったと考慮しているのは警察以外には一人もいないのかもしれない。

 

「いえ、もしもの仮定の話です。

 我々も事故との見方をしていますが、何事も可能性は鑑みて捜査をしないといけないもので」

 

「……いえ、特に心当たりはないですね」

 

 川絹の口からは予想通りの答えが返ってくる。

 今までの話しぶりから安易に予想が出来た答えだった。

 彼の表情に怪しむ点もなく。真実を語っているように思える。

 

「そうですか……。

 川絹さん、この会社ビルに部外者が入ってくるなんて可能と思いますか?」

 

 今度は富竹が変わって質問する。

 義田秋仁が落ちたらしいこのビルの屋上から発見された靴跡について探りを入れたのだ。

 

「部外者ですか?」

 

「ええ、社外の人間です」

 

「そう言われても……。でも、スーツ姿なら誰も不審には思わないんじゃないですか?」

 

 顔をしかめ、川絹は答えに苦心した様子だった。

 

「スーツ姿なら、ですか? それじゃあ、例えば運動靴を履いているようなラフな服装なら目立って誰かが気付くということでしょうか?」

 

「そりゃそうでしょうけど……。

 うちの会社、警備員は常駐してませんからね。

 なんか聞いた話によると、ちょうど事件の日は通用口にある防犯カメラが壊れてたらしいですしね」

 

「ええ、その話はもう裏をとってあります」

 

 部外者の可能性が出て、一番始めにあたるべき防犯カメラだったが、間の悪いことに事件数日前に故障したまま、未だに修理されていない状態らしい。

 

 警備員もいない。防犯カメラも作動していない。それでは社員にさえ気付かれなければ、部外者も入り放題だったわけだ。

 部外者による突き落とし殺人があった可能性は0%ではないのだ。

 

 大体の話が聞けたので、富竹は守井に目で合図した。

 時間は有限である。そろそろ別の聞き込みに行った方がいい。席を立とうと無言で催促した。

 それが伝わったのだろう、守井は用意していたであろう最後の質問を口にした。

 

「最後に形式的質問なのですが、事件当時、川絹さんは何をされていましたか?」

 

「……あの? それは?」

 

 さすがに川絹も困惑気味の顔に変わる。

 

「川絹さん。お気になさらずに。今のは守井が言ってみたかっただけですから、今のセリフを」

 

「刑事になったら一度やってみたかったんですよ」

 

 今までの守井のマジメな口調が崩れ、いつもの軽いノリになっていた。

 

「はは、お気持ちは分かりますけど、これって結構、嫌な気分ですよ。

 ……形式的にお答えすれば、昼休みになるまではこのビルの二階で仕事をしていましたよ。

 義田とデスクは同じフロアです。昼休みは社員食堂でお昼を食べて、その後は直ぐ自分のデスクに戻りました。

 毎日そんなパターンですね。昼休みに屋上に行く人はあまりいません。先ほど言った女性社員たちぐらいなものですよ」

 

「そうですか……、ありがとうございました」

 

 そう締めくくった二人だが、川絹の話はどうも歯の抜けたようなものだった。

 義田が自殺するような動機も、義田を殺すような相手も思い当たらない。

 しかし、義田が自ら転落死したという確証もない。

 

 つまり、何もわからないということだった。

 

 富竹と守井の二人は、厄介な捜査を押しつけられたと溜息を吐くのだった。

 

 

 

(「六ノ二」第2章の3へ続く)

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依頼内容は
「指定の登場人物27人を使った作品」
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