「六ノ二」第3章の3
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 音のないマンションの廊下に金属音が鳴り響く。

 ガチャガチャと耳障りな音だと、西家は自らの立てた音を腹立たしく思った。

 

「ああ、クソっ! このクソキーホルダー!」

 

 高々自分の部屋の鍵を開けるだけで、何を戸惑っているのだろうか。

 昔別れた彼女からもらったキーホルダーだから鍵が開かないんだ、とさえ思えてくる。

 

 苛ついているのは鍵が上手く開けられないのが主原因でないことは分かっていた。

 帰国早々に警察に呼び止められて、済し崩し的に警察署でに連れて行かれた。

 そして安全確認を理由に一晩、警察署に泊まったのだ。

 

 留置所でなかったのは救いだったかもしれないが、警察署の一室で熟睡出来るはずもなく、

 そして日が明けてみれば長時間の事情聴取だ。これが苛つかずにおれるものか。

 

 時間は既に夕飯時を過ぎている。

 警察の車で自宅まで送ってもらったものの、海外帰りの大荷物を抱えて、疲れがどっと押し寄せていた。

 そんなときに鍵を開ける程度のことに手間取ったのだ。頭に血が上るも無理はない。

 

 警察での事情聴取は単に話を聞くという雰囲気ではなかった。

 思い出しただけでも腹立たしい。

 結局、取調室とやらに入る事態にはならなかったが、数人の刑事に囲まれ高圧的に延々とあれこれ聞かれる羽目になった。

 あれではまるで犯人扱いだ。

 

 ただ、自分が疑われるのも仕方がない、という冷静な判断が出来る程度には、西家は事態を把握し始めていた。

 警察は始めに会った二人の刑事以外、捜査状況を全く教えてくれなかったが、

 警察官が投げかける質問内容を考えれば、現状は推察するのは容易であった。

 

 西家が海外にいる間に義田秋仁が死んだらしい。

 それに昨日、士井治の死体が発見されたらしい。そして浦谷太郎は行方不明。

 三人は西家の小学校からの友人であり、今でも一緒にフットサルをやっている親しい間柄だった。

 警察が西家に目を付けるのは至極当然。

 

 カチャ。軽い音を立てて鍵は開く。

 そう、冷静になれば玄関の鍵を開けるなんて出来て当たり前なんだ。

 電気のスイッチをまさぐりながら二週間ぶりの自室に入った。いやに明るい電灯が瞬き点く。

 

「ただいま」

 

 既に習慣として身に染みついている帰宅の挨拶。今日はその声も疲労で弱々しかった。

 

「おかえり」

 

「……」

 

「随分遅かったな、寄り道か? 家に帰るときは『真っ直ぐ帰りましょう』って習っただろ?」

 

「…………」

 

「そんな突っ立てないで、コタツに入れよ。今日は寒かったろ?」

 

「…………はぁ?」

 

 語尾が跳ね上がる不快の声が西家の口から漏れ出た。

 

「それから、冷蔵庫にあったビールもらってるから」

 

「な、何やってるんだ、おい! お前勝手に何を!」

 

 西家は怒気を含んだ声を上げる。

 留守にしていた自分の部屋に、我が物顔で居座る人物がいるとはどういうことだ。

 

「ん? ビール飲んでるけど?」

 

「いや、こんな所で何やってるんだって聞いてるんだよ、浦谷!」

 

 西家の部屋には、こたつでビールの空き缶を並べた浦谷がくつろいでいた。

 それでいて何事もなかったように脳天気な様子は、海外帰りで警察署帰りの重たい旅行鞄を担いでいるの西家と、あまりにも対照的な構図だった。

 

「こんな所って言い方はないと思うけど。だって、ここはPの家だぞ」

 

「そんなのわかってる!」

 

 西家は眉と目で×の字を作るような険しい形相で怒鳴りつけた。

 

「大体、なんで部屋の中にいるんだ? 鍵かかってたぞ」

 

「鍵は俺が内から閉めたから、そりゃ閉まってて当然だろ?」

 

「だから、どうやって部屋に入ったんだ?」

 

「合い鍵」

 

「嘘吐け、なんでお前が俺の部屋の合い鍵持ってるんだ。気色悪い」

 

「じゃあ、鍵が開いてた?」

 

「疑問文で返すな!」

 

 はっ、と思い付き、ベランダの窓ガラスを見るが割られた様子はない。

 だったら、浦谷が合い鍵など持っているはずもないことを鑑みると、本当に鍵が開いていたとしか考えられない。

 

 それでは、二週間前に海外に発つときに部屋を開けっ放しのまま出掛けたってことか?

 西家は二週間前の記憶をなんとか呼び起こそうとするが、鍵をかけたのかさっぱり思い出せなかった。

 

「Pは不用心だなぁ。気を付けろよ」

 

 小学校時代のあだ名である『P』という名を気軽呼ぶ声に、西家はなんだか拍子抜けした。

 

「お前が言うな。まったく、電気も点けずに……」

 

「明かりを点けたら警察にばれるだろ」

 

 浦谷の一言に西家は息を飲んだ。

 

 そうだ、浦谷のリラックスした様子に忘れるところだった。

 浦谷太郎は義田秋仁と士井治の事件の重要参考人で、しかも現在、行方不明のはずだった。

 

「お前、今日まで何をしてたんだ? もしかしてずっと俺の部屋に隠れてたのか?」

 

 海外に行って二週間帰ってこない人間の家は、確かに隠れ家に適していた。

 

「P。まぁ、座れよ。警察に行ってきたんだろ?」

 

 浦谷に勧められ、西家は自らの部屋のこたつに入る。

 警察は浦谷が犯人だと疑っていたようだか、西家にはそうは思えなかった。

 浦谷が人を、しかも友人を殺すだなんて西家には信じられない妄想だった。

 浦谷とも十数年来の付き合い。殺人を犯すような人間でないのは知っている。

 

「浦谷……、お前、どうして行方をくらましたんだ?」

 

「……。P、その前に二つ聞いていいか?」

 

「こういう場合は『一つ』ってのが定番だと思うけど」

 

「一つでも二つでも似たようなものだろ?」

 

「二は一の二倍あるんだぞ!。……で、なんだよ?」

 

 細かいことを気にする間柄でもなし、西家は浦谷の質問を待った。

 

「じゃあ、最初の一つ。『Pの前に現れたか?』」

 

「現れた? 一体なんの話?」

 

「分からないならいいさ。じゃあ、次の質問。『ヤナの書いた小説を覚えてるか?』」

 

 ヤナ。三年前に死んだ柳沢禎埜(やなぎさわ・よしの)。

 確かに柳沢は昔、小説を書いていた。西家が書かせたものだ。

 忘れるはずがない。しかし、今更それがどうしたというのだ。

 

「ミステリーか何かだったけ? あんまり内容覚えてないけど、それがどうかしたか?」

 

「いや、分からないならいい」

 

 浦谷の聞いた二つの質問の趣旨が、西家には理解出来なかった。

 もしや浦谷はその質問をする為に、ここに来たのだろうか?

 

「俺の質問はそれだけ。次はPが質問をどうぞ。言える範囲ならなんでも答えるから」

 

「なんでも? じゃあ、今、彼女いるの?」

 

「いないの知ってるだろ? そういう冗談はなし」

 

「いやいや、二週間あれば彼女が出来るかもしれないし。

 ……それじゃあ。アキと士井ちゃんを殺したのは浦谷か?」

 

 西家の質問はストライクゾーンど真ん中の直球勝負。

 それなのに浦谷は顔色一つ変えなかった。

 

「答えはノー。俺は二人を殺してない」

 

 その答えに西家は安堵するものの、もう一つのことにも気付いた。

 士井の死体が発見されたのは昨日の昼、西家が帰ってきた空港でだ。

 西家がそれを知らされたのが、今日改めて行われた事情聴取の最中だ。

 

 無論のこと、西家はそれを聞かされて飛び上がるほど驚いた。

 なのに浦谷は士井が死んだことを当然の如く話を進めている。

 警察にいた西家でさえ、つい数時間前に知った話を、この部屋に電灯も点けずに潜んでいた浦谷が知っていたというのか?

 もう既にマスコミで報道されているのだろうか? それとも……。

 

 西家の額に緊張の汗がにじむ。

 それを隠すように出来るだけポーカーフェイスを装って次の質問に移った。

 

「アキと士井ちゃんの二人を殺した犯人を、知ってるの?」

 

「その答えもノー。二人を殺した犯人なんて知らない」

 

 わざわざ士井の名を言葉を強調して言ったのに、やはり浦谷は士井が死んでいることを知っていた。

 

「じゃあ、どうして行方をくらましたんだよ?」

 

「身の危険を感じたから、かな。

 次に死ぬの、多分俺だから」

 

 その答えを西家はどこか予想していた。

 浦谷が犯人ではないとしても、何かを知っているのは確かなようだ。

 

「おい、それどういう意味だよ。浦谷は何を知ってるんだ? 順中尾ってのが犯人じゃないのか?」

 

「順中尾? 誰だそれ?」

 

 浦谷は順中尾を知らない?

 いや、それは当然か。西家にしても、たまたま空港であっただけなのだ。

 西家は二週間前の空港で士井と順中尾に会ったときの話をした。

 

「順中尾……。そんな奴、まだ知らない……」

 

「おい、一体どうなってるんだ? 浦谷、何か知ってるなら話してくれよ」

 

 西家の鬼気迫る様子に浦谷は少したじろいだ。

 友人が二人も死んだ。西家も他人事ではないのだ。

 これは西家を含め『6-2』の問題なのだ。

 

「たぶん……、いや、話せない。話しても信じないだろうし」

 

「信じないって、そんなわけないだろ。俺とお前の仲だろ?」

 

 小学校からの友達を信用出来ないなんて、あるはずがない。

 そう西家は浦谷を何度も説得した。

 

「……わかった。それじゃあ言えることだけは言う。

 だけど、恐らく俺はPを助けられない。だからPは自分の力でなんとかしてくれ」

 

「助けるとかって、何を言って」

 

 西家の言葉を浦谷は手で制した。

 

「P……。Pが死ぬとしたら四番目だ」

 

「なっ、何を!」

 

 西家は溜まらず声をあげた。しかし浦谷の顔は真剣そのもの。

 その言葉が適当に発せられた戯れ言ではないと浦谷の表情は語っている。

 

「……四番目? 浦谷が次で、俺が四番目?

 それって、アキが一番目、士井ちゃんが二番目、浦谷が三番目、そして俺が……四番目。

 そういうことなのか?」

 

「ああ」

 

 浦谷は簡潔に、そしてはっきりと肯定した。

 

「浦谷! やっぱりお前、犯人を知ってるのか!」

 

「いや、知らない。ただ、そう言う順番になるだろう予感はあったんだ」

 

「予感って、そんな……」

 

 予感とは単なる勘なのか、それとも何かの情報からの予想なのか。浦谷は何も語らなかった。

 

「悪ぃ。ちょっと喋り過ぎたみたいだ。悪酔いかな。もう行くよ。ビールごちそうさま」

 

 そう言うと浦谷はそそくさと立ち上がり、玄関に向かって行った。

 

「ちょっと待てよ。解るように説明しろよ」

 

 西家の制止に浦谷は振り返りもせず答えた。

 

「P。俺に言えることは……。これは推測だけど、俺の身を守れるのは俺しかいないし、Pの身を守るのはPしかいない。

 そうなるんだと思う。出来れば俺でなんとか止めれるように努力はするけど、もう二回失敗してるんだ」

 

 二回? それはアキと士井ちゃんのことなのか?

 西家はそう問い返そうとした。けれど、浦谷の後ろ姿がそれを許さなかった。

 

「今日、Pに会えてよかった」

 

 そう言い残して浦谷太郎は去っていった。

 取り残された西家は呆然とするしかない。

 二人の友人が死んだと警察に聞かされて、そしてまた一人死ぬと言って友人が去っていった。

 それも西家自身も死ぬという予告付きで。

 

 後で思い返せば、この瞬間が事件の始まりだったのだろう。

 西家はそう思う。

 空港で士井治と順中尾に会ったときでもなく。

 二人の刑事に呼び止められたときでもなく。

 この瞬間、西家の戦いが始まったのだと。

 

 

 

 

(「六ノ二」第3章の4へ続く)

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