虚界の叙事詩 Ep#.06「逃亡」-1
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メルセデスセクター NK国

γ0057年11月18日

9:32 P.M.(『NK』標準時)

 

 

 『NK』の高級マンション街にある、高層マンションの一つの部屋。そこで、一台の電話が鳴り

響いていた。

 暗い部屋で、室内には誰もいなかった。ただ電話の呼び出し音だけが、一定のペースで鳴り

響いている。

 間もなく留守電になろうかという所で、その受話器は取られた。

「はい…」

 そのように答えたのは、原長官だった。彼は、たった今仕事を終え、自分の部屋に帰宅して

来た所だったのだ。

 受話器の先は静かなままだ。何も聞こえて来ない。いたずら電話かと思いつつも、少しの間

だけ原長官は待った。

 電話の向こうでは、遠くの方から何やら人の声が聞こえてきている。その言葉は、『帝国』の

タレス語だった。

 発信者番号が表示される画面を見る長官。しかし、その表示は非通知になっていて、番号が

確認できない。

 しかしやがて、

「ハラ長官…。たった今しがた、非常にまずい事が起こったぞ…」

 タレス語で言葉が返ってきた。かなり小さな声で、相手は隠れて電話をしてきているようだっ

た。

「何の話だ?」

 原長官も、そのようにタレス語で返した。電話先が誰であるか、長官は知っていた。

「君の部下が捕らえられた…」

「何だと…!」

 原長官は直感すると同時に思わず声を上げた。部下が捕らえられた。それが何を意味して

いるのかはすぐに分かった。

その時だけは、『NK』の言葉が出てしまう。だが、その意味は電話の相手にも伝わっただろう。

 だから相手はすぐに言葉を返してきた。

「言っておくがな、私にはどうする事もできないという事を断っておくぞ…。君に情報を与える事

はできるが、直接手助けする事はできない…」

「おい、捕まったというのは…、『SVO』のメンバーの事なのか? そうなんだな?」

「…、他に誰がいるというのだ…? 君にも良く分かっているだろう」

「何という事だ…」

 原長官は何とか心を落ち着かせようとした。しかし、『SVO』のメンバーが捕らえられた事な

ど、未だかつて無かったし、それにありえない事だった。

 心を落ち着かせ、どのようにしたらよいかを考える長官。

「し、しかし…、彼らには外交ビザが発行されている…。外交官としての免責特権があるはずだ

…!」

 それが、『SVO』のメンバーが捕らえられた時の命綱だった。彼らは外国の法律では裁けな

いはずである。

 だが電話の相手はすぐに言葉を返してきた。

「それはどうかな…? 君の部下は、検疫隔離施設に堂々と潜入して来たのだし、現行犯逮捕

されたんだぞ…! 外交ビザなど気休めにもならん。彼らは捕らえられたんだ。今に始まった

事ではないが、もはや国際問題だな」

「だが、一体誰だ? 誰が『SVO』を捕らえたというのだ…? 彼らは…」

「アサカ国防長官だ」

「何? あの国防長官が…!」

 自分の言葉を遮って言ってきた言葉、原長官は再び声を上げていた。浅香舞の事は彼自身

もよく知っていた。世間的に有名だし、政治的にも彼女の事はよく知っていた。

 しかし、彼女が『SVO』を捕らえたという事は想像し難い。まさか、彼女は、『能力者』ではない

のか。

「一体…、どうやって…?」

 原長官の口からは思わずそのように漏れていた。

「さあな…。だが、ハラ長官。君はどうも自分の部下達の事を過大評価し過ぎているようだ。世

の中には彼らよりも、もっともっと高い『能力』を持った者達がいるようだな。見ていたから良く

分かるよ…」

 耳を疑う原長官。

「まさか…、アサカ国防長官が、『能力者』だったのか?」

「どうやら、そのようだ。しかも、かなりの『高能力者』らしいな。君の部下達は手も足も出せな

かったという話だったよ」

「何と、言う事だ…」

 どうしたら良いか、それを決めかねるよりも前に原長官が呟ける言葉はそれしかなかった。

事は予想外の展開になって来ている。

「ハラ長官。君の部下たちは、たった今、連行されて行くところだ。事態は悪い方向へと動き出

している。しかし、対処するなら早いほうがいい、今の内だ。彼らが裁かれれば君との繋がりも

発覚するだろう。そうなったら手遅れだ…」

 相手の言葉に、原長官は冷静になろうと勤めた。

「そうだな…、そうしよう…」

「…、では電話を切るぞ、長官。この回線もそろそろヤバくなって来た…」

 電話はそのまま切られた。原長官は受話器を持ったまま、しばらく通話終了後の一定の音を

聞いていた。だが、彼にその音は聞こえていない。『SVO』の事で頭が一杯になってしまってい

た。

 原長官は、電話台の前に立ったまま、どうしたら良いのかしばらく思案する。

 しかし彼は、自身が予想していたよりも早く、その結論を出した。

 彼は再び電話機の方向を向く。そして、インプットされているアドレス帳から一つの番号を選

び出した。

 

 

 

 同じ頃、原長官の住むマンションからは離れた場所の、市街地にあるレストランでは、2人の

男女が遅めの夕食をとっていた。

 2人は窓側のテーブルに座り、並べられた皿の上の料理を食べながら、会話をしていた。

 それは、特に楽しんでという風でもなく、どこかぎこちのないやりとりだった。

 ただ周りから見れば、2人は交際中のカップルのようにも見える。その男女は年齢が同じだ

ったし、テーブルに向かい合わせの食事の様子も慣れていた。

「なあ…、この後どうしようか…?」

 男の方が言った。

 彼は、緑色のジャケットを羽織り、服装はさながらロックシンガーのようなスタイルをしてい

た。銀色のアクセサリーが目立ち、食事中でも両手にはめた幾つもの指輪が光った。そして、

その黒髪は男の割には長く、肩ほどまでの長さがあった。

 しかしそんなスタイルをしていても、彼の話し方は、どこかおどおどしていた。

「さあ…、あなた次第じゃあない…?」

 女の方はそっけなく答えた。

 彼女は、金髪を大きな三つ編みにして、それを腰にまで垂らしている。そして、前身にこんが

りと日焼けをしていた。露出の高いキャミソールを着て、丈の短いレザースカートをはいてい

る。ついでに脚はサンダルだった。見るからに、男を誘惑しそうな格好だった。

 『NK』のどこにでもいるような若者達だ。レストランで食事をしている雰囲気も、何の変哲も無

い。

 しかし、突然、女の方が何かに気付いたかのように言い出した。

「あなたの携帯…、かかって来ている…」

 テーブルに置かれた、黒い携帯電話を指差して女が言った。

「ああ、そうか…」

 そう呟き、男の方は食器を置いて電話機を手に取った。

「はい…」

 耳に電話を当てて、男は電話に応答した。電話に出ていた表示は、音声のみの通話だった。

映像としての通話ではない。

「もしもし…?」

 相手が何も言ってこないので、男は改めて尋ねる。するとやがて、電話の向こうから声が聞

えてきた。

「…、隆文か…?」

 電話の向こうから声が聞えて来る。すると彼は向き直った。

「私だ…、この回線は、安全か…?」

「原長官ですか…? ええ、安全です…」

 隆文と呼ばれた男は、周りを見回しながらそう呟いた。

「他に誰か一緒か…?」

「ええ…、絵倫が一緒です…」

そう答えると、電話の先の原長官は話を始めた。

「…隆文。今、すぐに私の家に来られるか…?」

「な…、なぜです?」

 どもりながら、彼は尋ねた。

「…、それは電話では話せない。ただ、非常事態だという事は言っておこう」

「そ、そうですか…」

「では、これで電話は切るぞ…」

 原長官がそう言うと、電話は切れた。

「原長官から…?」

 女が尋ねた。

「ああ、そうだ。何か緊急事態だってな。すぐに自宅に来てくれっていう話だった」

 携帯電話を仕舞いながら男は言った。

「あらそう。だったら、これからあなたの家に行くっていう話は、どうやらオジャンになるだろうね

…」

 そっけなく女は言った。

「ええッ? そんなあ…」

「だって、緊急事態だったら、急がないといけないものね」

「じゃあ、次の機会にはよろしくな」

「ええ…、次の機会、にはね…」

 相手の方を見ないで、女の方は答えていた。

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検疫隔離施設 ユリウス帝国

9:37 P.M.(『ユリウス帝国』東部標準時)

 

 

 

「放せッ! おいッ! 乱暴に扱うんじゃあねえッ!」

 浩はわめき散らしながら、手錠をかけられていても反抗的な姿を見せていた。彼の罵声とそ

の姿に、周囲にいる、施設から避難した者達は恐れを見せていた。

「無駄だ、浩、あまり抵抗しない方が無難だ」

 浩にそう言う一博も、後ろ手に手錠をはめられていた。彼はそのまま連行されようとしてい

た。太一や香奈も同じだ。軍の兵士によって連行されようとしている。

 香奈は、斬り付けられた肩からの出血で頭がくらくらしてきそうだった。ついでに鎖骨も骨折し

ている。鈍い痛みでそれが分かる。後ろ手に手錠をはめられると、思わず痛みに声が出た。

 自分達は最重要指名手配犯だ。手荒く扱われても仕方がなかった。だが事実、こうしている

今でも、香奈はどうやって脱出しようかと考えている。

 『SVO』の4人は、どうする事もできないまま、その場から連行されていくのだった。

 

 

 

 そうして連行されて行く、捜し求めていた、国際指名手配犯4人を、舞はすぐ横で見ていた。

 彼女は何事もなかったかのように涼しい顔をしていた。思っていたよりも、大した手間はかか

らなかった。軍の兵士にとってみれば、驚異的な戦闘能力を持つ彼らでも、自分自身の敵では

無い。自分の刀についた血痕を眺めながら、彼女はそう考えていた。とりあえず、これで

『SVO』に関する事は方がつくだろう。

 彼女の刀に、一瞬だけ光が走った。そうすると、付いていた血が振り払われ、冷たく光る刀身

が底に露わになった。そして彼女はそれを腰の鞘に収める。

 だが、まだ全ての事は片付いてはいない。

 舞は、施設の方を振り返る。隔離施設からは、彼女が『SVO』と戦っている最中も、もうもうと

煙が上がっていた。

「長官。大丈夫ですか…?」

 舞の護衛官が彼女を気遣った。

「私の事はご心配なく。それよりも、すぐにこの場を隔離しなければなりません」

「軍の出動を要請しましょうか…?」

「いえ、いえ。それは止めなさい」

 舞は真剣になって護衛官の言葉を遮った。

「なるだけ人目につかないよう、秘密裏に処理したいのです。この事が大事になって、パニック

にならないよう」

 舞がそう言いかけた時だった。突然、地の底から何かが迫ってくるような、大きな揺れが襲っ

てきた。

 爆発の影響などではない。もっと強い、大地を揺さぶる揺れだ。

 地響きと共にそれは迫ってくる。地鳴りも鳴り響き、隔離施設の敷地は地震に襲われた。

「こ、これは…」

 舞は、突然襲って来た地震に、何かの気配を感じ取ろうとする。この辺りでは地震は少ない

はず、なのに地震が起こっている。しかもこんな時に。

 とっさに舞は結論を出した。彼女にとって、答えは一つしかなかった。

「すぐにこの場から離れなさい!」

 彼女はとっさに護衛官にそのように叫んでいた。

「は、はい?」

「いいから、この場所から、皆を連れてすぐに離れなさい! 危険です!」

「し、しかし…」

 舞の護衛官がそのように言うものの、地面の底から迫って来るかのような地震は、更にその

激しさを増していた。

「いいから! 早く! 手遅れにならないうちに!」

「分かりました! しかし、長官はどうなさるのです!?」

「私は…、私は、後から向かいます!」

 意を決したかのような口調で舞は言った。

「そ、そんな! 無茶です。あなたも避難して下さい」

「いいから行きなさい! 命令なんですよ!」

 命令、という言葉には、護衛官も逆らえない。

「わ、分かりました。ですが、必ず長官もすぐに来てください!」

「ええ、行きます」

 舞が答えるのを確認すると、護衛官は、施設から避難して来た者達の方へと向かって行っ

た。

 地震は更に激しさを増した。だが、これはただ揺れているだけの地震なのではない。地の底

から、何かが這い上がってくる。その衝撃で起きている大地の揺れなのだ。

 地震が勢いを増していくのにつれ、舞は自分が緊張しているのを感じた。さっき、『SVO』の

四人を打ち倒した時にはこれっぽっちも感じなかった緊張が、今の舞には感じられる。

 ただ隔離施設の方を向き、迫ってくるものを待ち受けた。

 やがて、地震は収まる。しかしその代わり、一瞬の静けさの直後にやって来たのは、隔離施

設の爆発だった。

 激しい爆発が、隔離施設の建物を吹き飛ばした。

 舞は、敷地の中にいたとはいえ、施設からは100メートル以上は離れていた。爆風に煽られ

たものの、爆発に巻き込まれるような事にはならない。

 しかしそれでも、隔離施設は、木っ端微塵に吹き飛んでしまう。屋根が、まるで紙のように上

空へと舞い上がるのを、舞は見ていた。

 思わずひるんだ舞だったが、再び体勢を立て直す。そして施設の方に向き直った。

 激しい炎が上がっている建物。上空にまで舞い上がった建物の破片が、地面へと落下して行

く。

 舞はしばらくその様子を見つめていた。だが、彼女は感じていた。

 その炎の先から迫ってくるものを、彼女は感じていた。目に見えるわけではない、だが、自分

の方に向かって近付いてきているのが分かる。

 やがて、炎の中に黒い影が現れるのを、舞は見ていた。

 黒い影。炎の中にあるというのに、それは迫ってくる。やがて姿がはっきりとしてくる。

 それは、人間だった。

 人間の男が、舞の方に歩いてきている。しかも、それは見るからにただの人間ではなかっ

た。

 彼は紫色の、光のようなものを纏っていた。それは光のようであって、とても似つかぬもの

だ。まるで炎のように揺らぎながら、彼の体を包み込んでいる。しかもその紫色のものは、彼の

周りで蠢いているかのようにも見える。

 その発光体が、彼を爆発の炎から守っているようだった。

 男は一糸纏わぬ姿をしているが、その発光体が衣服のような様になっている。彼の肌は、人

の肌とは違う色をしていた。青色に変色しており、髪や瞳さえも、まるで体の芯から染み込ませ

たかのような青色へと変色している。

 そして表情はおぼつか無く、非常に深い眠りから覚めたばかりのような、うつろな表情をして

いた。

 舞は、こちらへとゆっくりと歩いて来る、その男に立ち塞がるような位置に立っていた。すでに

腰に吊るした刀を抜き放とうとしている。

「『ゼロ』、やはり目覚めてしまったのか」

 舞は呟いた。そんな彼女の手は、すでに腰に吊るされた刀を半分抜き取っている。

 目の前の男は、何も動じるような様子もなく、ただゆっくりと迫って来ていた。

「だが、目覚めてしまったのならばしょうがない。私はお前を止めるまで!」

 そう言い放つと、舞は意を決したように、腰から収めたばかりの刀を抜き放った。そして、目

の前の男へとゆっくり間合いを詰めて行く。

 素早く、かつ、流れるかのような足取りで、舞は迫った。『SVO』の4人と戦った際には、余裕

さえ見せていた舞だが、今は違う。

 まるでその視線だけで相手を切り裂いてしまうかというほどの視線を向けている。

 舞は脚を踏み切る。男の方は、変わらぬ足取りで、目の前に刀を向けられている事など気づ

かぬかのように、歩いてきている。

 間合いを詰めた舞は、相手に向かって刃を振り下ろした。

 赤い光のラインが残る残像。空気をも何もかもをも切り裂くかのような斬撃を、舞は浴びせよ

うとした。

 だが、その彼女の刀は、紫色の発光体によって受け止められた。

 まるで金属同士がぶつかりあったかのような、甲高い音が響き渡った。

 舞の刃は、男の体から放たれている、炎のような光で包まれる。紫色に蠢くそれは、刀の衝

撃をまるで吸収してしまうかのように受け止めている。舞がいくら力を込めたりしても、刃はびく

ともしない。

 舞は自分の刀が受け止められた事に驚く。だが、すぐに次の攻撃を食らわせようとした。

 しかしそれよりも前に、男の纏っている発光体の数箇所の位置で、まるで蠢くかのような現象

が起こり始める。

 それは、空間の歪みのように発光体の数箇所が蠢き出し、そして、破裂するかのように、舞

の方に向かって、一直線に光を飛ばした。

 紫色の、レーザーのような光だった。それが次々と、舞の体を貫く。

 最初は彼女も何をされたのか分からなかった。光が自分の方に向かって飛んできた事は分

かったが、痛みを感じるような事もなかった。

 だが、知らぬ間に手に持っていた刀を地面へと落とした彼女は、咳き込んで口から血を吐い

た。止め処なく口から血が溢れ出し、全身を引き裂くかのような痛みに彼女は襲われる。

 舞は、全身をレーザーのような光によって貫かれていた。鋭利なナイフで何度も深々と突き

刺されていたかのようだった。

 全身の力が抜け、彼女は地面に崩れた。地面の上には、舞が流した血で大きな溜りさえでき

ていた。

 彼女はその中に倒れ込む。多量に出血し、しかも猛烈な痛みで、彼女の意識はほとんど薄

れていた。

「ま、待ちなさい…」

 虫のような声で彼女は言った。自分の目の前を、ゆっくりと歩いていく男の姿が、かすれて見

える。血の溜まりとなった場所に彼女は倒れ、それでも、這ってでも男の方へと向かおうとす

る。自分の血がべとりと付いた手を、彼の方へと伸ばそうとする。

 自分が止めなければならない。舞はそう意志を奮い立たせようとしていたが、とても立ち上が

れるような状態ではなかった。

「お、おい! 何者だ? そこで止まれ!」

 避難するように命じたはずの、護衛官や警備員達がまだ残っていたらしい。

「国防長官がやられた! 救急隊へ連絡を入れろ!」

「そこで止まれ! 発砲するぞ!」

 敷地の外へと歩いていこうとする男に向かって、警備員達が叫んでいる。だが、男の方は一

行に脚を緩める様子がない。

「私のことは…、いいから…、逃げて…」

 その舞の言葉は届く事もなく、彼女は薄れていく意識の中で、響き渡る何発もの銃声を聞い

ていた。

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 『SVO』はその時、隔離施設から離れた場所をトラックで移動させられていた。

 あの国防長官が連れて来たらしい、数名の『ユリウス帝国軍』兵士達によって、トラックに載

せられ、手錠をかけられ、少しも抵抗できない状態で連れて行かれている。

 トラックは隔離施設から離れて、2台走行していた。一台は軍関係者や『SVO』が乗り、もう

片方には施設の職員が乗っているらしい。彼らは何やら慌しく、息付く暇も無いままにトラック

へと乗せられて、移動を開始していた。

 施設から避難するのだろう。何の事故があったかは分からない。だが一行が離れた直後に、

あの隔離施設は、大きな爆発で粉々に吹き飛んでしまった。

 このままどこに連れて行かれるのか、押し込められたトラックの中で、香奈はとても不安だっ

た。

 トラックで15分ほども走った時だった。

「只今、容疑者を連行中。45分ほどで首都に着く」

 窮屈な荷台にいる兵士が、無線にそう言っていた。返事はすぐに返ってくる。

「了解。緊急事態が起きたので報告を入れる」

「何だ?」

「つい5分ほど前、隔離施設で、国防長官の護衛官を含む、兵士5名が死亡。国防長官一人

のみが生き残ったが重体だ。現在、病院へ搬送中」

「了解」

 香奈はその兵士達の会話を、しっかりと聞き取っていた。

 そして彼女は小声で、隣にいる浩に耳打ちする。

「聞いた? あの国防長官が重体だって?」

 周りの兵士には気づかれていない事を、香奈は確認する。

「香奈よォ、今の言葉、聞き取れたのか?」

「当たり前でしょ? あたしだって、全くこの国の言葉が分からないわけじゃあないの」

 少し怒ったような口調で彼女は言っていた。

「国防長官てのは、さっきのあの女の事かよ、重体だって? 信じられないな。爆発に巻き込ま

れたとかか?」

 浩の声は少し大きい。香奈はひやひやした。

「そうかもしれない」

「おい、おい浩」

 香奈がそう言った時、さらに彼のすぐ横に押し込まれていた一博が彼に囁いて来る。いらい

らしたような様子で浩は彼に答えた。

「何だ、何だ? あまり騒ぎ立てると、まずいだろうがよ」

 と、浩は言うものの、4人は、ほとんどトラックの中に押し込まれるかのように入れられてお

り、警戒に当たっている兵士達は背後にいる。それもトラックも悪路を走っているようで、音もう

るさい。

 小声ならば、会話を聞かれるような心配は無かった。

「太一が、これを使えとの事だ」

 目立たない動きで、一博は浩の方へと、手に納まるくらいのものを渡した。手錠をされたまま

の手で、浩はそれを受け取った。

「何だ、こりゃあ? もしかして?」

 浩の目からは、一博に渡されたものを見ることはできない、だから彼はそれを感触だけで確

認していた。

「ああ、『解除キー』だ。電子ロックの手錠だって外せる。おれと太一はもう手錠を外した」

 一博の言葉に、浩と香奈はあっけに取られた。

「太一の奴め。気が利くな。だがよぉ、後ろ手に手錠をされていちゃあ、ちと、外すのに手間が

かかるぜ」

「だが、行動は早い方が良さそうだ。会話からして、あいつらは今、指揮系統が混乱している。

隔離施設で起った事故が原因だな」

「そうか、じゃあ、お前達、先にやっといてくれないか? お前なら、『力』を封じられていても、余

裕だろ?」

「分かった」

 一博がそう答え、ほんの数秒後の出来事だった。

 走行していたトラックの荷台、その後部の扉が、激しい音と共に外へ開かれた。そして、2名

の『ユリウス帝国兵』がそこから飛び出し、走行するトラックの上から、砂漠の地面へと転がっ

た。

 トラックは急ブレーキをかけながら緊急停車する。荷台には、奪い返した武器を構えた姿勢

の太一と、素手の一博がいた。

 一博は、荷台の奥の方にいた兵士を、背負い投げをしながら、荷台の下の地面へと叩き付

けていた。

「まだ外れないか? やっぱりいつもよりも調子が良くない」

 彼らの背後にいる浩と香奈に向かって、落ち着いた口調で一博が言った。彼は、先ほど戦っ

た国防長官の『力』により、いつもほどの力を発揮できないでいた。それでも、楽々と3人の兵

士を打ち倒せるほどである。

「今の急ブレーキのショックで、振り出しに戻ったぜ」

 浩は一博から渡されたキーを、荷台の床に落としてしまっていた。

 何事かと言った様子で、運転席にいる兵士達が、トラックの外へと飛び出してくる。銃を構え

て、荷台の方へと向かってきた。

 一博はそちらの方へと警戒を払ったが、上空からヘリコプターが飛んでいる音が聞こえてく

る。

 サーチライトが、急停止したトラックの方へと向けられた。

「急いでくれないか。応援が来ちまった」

 空を飛んでいるヘリコプターの姿が、光で確認できる。『ユリウス帝国軍』のヘリコプターだっ

た。

 彼がそれを確認したのもつかの間、運転席にいた兵士が、銃を発砲してきた。銃弾は一博

のすぐ側をかすめていく。

「おっと、危ない…」

 思わず一博は、荷台の影へと体を引っ込めた。

「応援を要請する」

 無線で連絡を取っている兵士。銃を向けながら、じりじりと一博の方へと迫っていた。

 しかしその時、いつの間に移動したのか、トラックの屋根の上に乗っていた太一が飛び出し

てくる。目にも留まらぬスピードで、彼は無線で連絡を入れた兵士を、警棒を使って倒してしま

う。

 反対側からも兵士が忍び寄っていた。だが、それには一博も気がついている。自分の背後

から迫っていた兵士を、一博はその方向を振り向きもしないで、蹴りを入れ、一撃の元に倒し

てしまうのだった。

「すぐにも応援がやって来る」

 上空を飛んでいるヘリコプター、その音が聞こえてきている。そんな中、一博が静かに言っ

た。

「手錠が外れたぜ」

「早くあたしにもそれ貸してよ」

 香奈が浩にそのように催促した時だった。

 地上へとヘリコプターが着陸しようとしていた。

「おかしいぜ、ライトでこっちを照らしてくるのなら、空中から発砲してくりゃあいいのによ」

 トラックの荷台から外に出ながら、浩が言った。ヘリコプターは、トラックからほんの10メート

ルの所に着陸しようとしている。ヘリコプターからやって来る、プロペラの風が、砂漠の砂を吹

き飛ばしていた。

「中にまだ、兵士達がいるとでも思って、撃って来なかったんじゃあないの」

 そう言って、香奈は、手錠を外していた。

「さあ、どうだか分からないけど。もしかしたら、おれ達が、トラックを奪ったのに気がついて、撃

ってきても無駄だという事を知っているんじゃあないか?」

 ヘリコプターの方に警戒を払いながら一博が言った。着陸したヘリは『ユリウス帝国軍』のも

ので、2人乗りだった。

 そこから、一人の男が、素早く扉を開け、地面の上へと降りていた。

「お、おい、あれって…?」

 その男の姿を見て、浩が思わず呟く。

「やはり、お前達だったか。『NK』からの来訪者」

「『皇帝陛下』…! 一人では危険です!」

 ヘリコプターの中から、操縦席にいる男が呼び掛ける。

「いいから、黙ってそこから見ていろ。この者達は、私が阻止する」

 そう言って彼は、ゆっくりと『SVO』の4人の方へと近づいてきた。

「『ユリウス帝国』の『皇帝』、何であの人が、こんな所に…?」

 香奈は、自分達の方に向かって迫ってくる『ユリウス帝国』の最高権力者の姿を見て、驚いた

ように言っていた。今まで直接対峙したような事はない。目の前にいるのは、メディアでしか見

た事のない、一国の統率者だった。

「『皇帝陛下』、やはりお戻り下さい! 危険です!」

 ヘリコプターの方からそのように呼び掛ける声。だが、ロバート・フォード『皇帝』は何も言わ

ずに、『SVO』の4人の方へと迫ってくる。

「このまま逃げちまった方が、良さそうだぜ!」

 浩は言った。彼は言うまでもなく、その場から逃げていこうとしている。

「さあ、どうだろうか。それもどうやら上手くはいかないようだ」

 一博が答える。彼らの背後からは、もう一機のヘリコプターが迫って来ていたからだ。

 今度はかなりの大型のヘリコプターだった。おそらく、十数人の兵士達が乗り込むことができ

る。

 それは、検疫施設の方へと向かうはずのヘリだったが、こちらの方へとサーチライトを向けて

来ていた。

「『ユリウス帝国』の奴らか!?行動が早いぜ!」

 吐き捨てるかのように浩は言った。

「どうすればいいの?」

 香奈が困ったように言った。

 だが、そんな中、太一が、『皇帝』の方に向かって一歩前に歩み出す。

「な、何だ?太一?」

 と、浩が、彼の方を向いていった。太一の右手には、警棒が握られている。そして、彼の視線

は、『皇帝』の方を向いていた。

「まさか、この『皇帝』とやろうってんじゃあ、ねえだろうな…?そんな暇は無いぜ…!」

 浩が、そう言った時だった。

 一発の銃声が響き、彼の足元の地面が砕けた。砂漠の砂が飛び散り、地面が抉れてしま

う。

「どうやら、やるしかないようだな」

 太一が、浩の方をちらっと振り返って言った。

 ふと見ると、ロバートは手にショットガンを持っていた。彼はその銃口を『SVO』の4人の方へ

と向けている。

「私を見くびるなよ」

 彼はそう呟く。太一は、それに答えるかのように、『皇帝』の方に近づいて行く。

「おいおいおい、まさかお前がこの『皇帝』を引き付けておくから、オレ達はさっさと逃げろ、って

そう言いてえのか?オレ達はさっき、『力』を封じられちまったんだぜ?」

 浩が太一に尋ねるが、彼は『皇帝』の方へとの間合いを一定に保った。

「いや、それについては、心配無用だ」

 彼らの背後からはヘリコプターが近づいてきている。その音が、だんだんと強くなって来てい

た。

 考えている時間は無さそうだった。

「仕方ない。それしかないようだ。砂漠の夜の闇に紛れて、逃げるしかないようだ。おれ達が乗

せられてきた、あのトラックがある…。あれのエンジンをかけよう…。太一、任せた…」

 一博は言った。そして、彼を含め、太一を除いた3人は、その場から後ろを振り向き、走り去

って行こうとする。

「逃げるというのか? だが構わないさ。どうせ軍が見つける。この砂漠では目立つからすぐに

見つけられるだろう」

 太一の方へと銃口を向け、『皇帝』は言った。

「逃げ切れるまでやってみるさ。こっちもプロなんだ」

 2人の間に重い緊張が流れた。迫ってくるヘリコプターの音も、どこか遠くで鳴り響いているよ

うにしか聞えない。

 太一を除いた3人は、すぐに走り出し、自分たちが乗せられてきたトラックの方へと向かって

いる。

 やがて『皇帝』は、その鋭い眼光を太一に向けたまま、何の前触れもなく、手にしたショットガ

ンの引き金を引いた。

 銃声が響き渡り、彼の手にしたショットガンから、幾つもの散弾が解き放たれる。

 一見すれば、ロバートが手にしているのは、ただのショットガン。そして放たれているのは、た

だの散弾だった。しかし、何かが違う。

 その異様さが、着陸したヘリコプターが当てているライトによって照らし出されている。

 その散弾の一発一発が、まるで蠢いているかのような黒いエネルギー体に覆われていた。

 ショットガンの散弾の一発一発は粒のように小さいが、そのエネルギー体のせいで、まるで拳

大の鉄球が襲い掛かってくるように太一には見えた。

 彼は、銃弾を警棒を使って弾く事もできた。だが、今回はそのような事をしない。

 とっさに横方向へと飛び、飛んでくるショットガンの弾を避け切った。

「ほう? アサカ君に打ち負かされたばかりとの報告だったが、もう『力』を発揮できるのか? 

お前が一人で私に挑むというのも、無謀ではないな?」

 ロバートはそのように呟いた。

 彼の言うとおりだった。太一の体にはすでに戻っている。いつもながらの『力』が、多少、あの

国防長官との戦いの際の負傷で動きが鈍っているが、『力』は戻っている。銃弾を避けるという

事が、再びできるようになっていた。

 だが、その際に彼は感じる。まるで、爆風のような衝撃が自分の側を通過していくのを。ロバ

ートの放った散弾は、太一の後方へと飛んでいった。

 太一はとっさに体勢を立て直す。そして再び、ロバートの方へと向かって行こうとした。

 しかし、再び何かがおかしい。ロバートは、一回ショットガンの引き金を引いただけで、それ以

上太一に向けて攻撃をしてこようとはしない。ただ、太一の方にその鋭い視線を向けているだ

けだ。

 何かが異様だった。ロバートはまるで何かに集中しているかのように見える。

 警戒心を強めた太一は、背後から迫ってくる気配に気がついた。そしてとっさに身をかわす。

 背後からは、たった今太一が避けたはずの散弾が、少しの勢いも衰えさせずに迫ってきてい

た。

 再びその攻撃を避ける太一。だが、今度は若干遅れる。一発の散弾が、黒いエネルギー体

を撒き散らしながら、彼の体を掠めていく。

 強烈な衝撃が彼を煽った。まるで、大きな鉄球に体がなぎ倒されるかのような衝撃が、太一

を襲い、彼を強くよろめかせる。

 勢いの衰えていない散弾。しかもそれは破壊力を増し、一発一発が、まるで誘導されるかの

ように太一の方へと襲い掛かって来ていた。

 その散弾を放ったのはロバート。太一は、ロバートの方を振り向いた。

「あんたもか!」

 思わず太一は言った。

「私が、『能力者』だという事を知って驚いているのかね? 君達も諜報組織の人間であるから

には、私の過去の経歴についても良く知っているのだろう?」

 太一は、再び空中で旋回して自分の方へと襲い掛かってきた散弾を避けた。

 強い衝撃が、またも彼の体を大きく煽る。

「こう見えても、私は元軍人でね、特殊部隊に所属していた経験もある」

 ロバートが呟くように言うのと同時に、空中を飛び交っていた散弾が、空中で停止する。蠢く

ような黒いエネルギー体が、幾つも空中で停止している。

 そして、まるで解き放たれたかのように、一斉に太一の方に向かって迫って来た。

 空中で停止しても、まるで勢いが衰えていない。発射された時と同じスピードで太一の方へと

襲い掛かってきた。

 この散弾をロバートは操作している。しかも離れた所から自由自在に、それも何発も。散弾

の一発一発を正確に操作している。

 太一の方に、あらゆる方向から弾が迫ってきていた。彼は、それらを素早い動きで次々と避

けていくが、一発が避けきれない。

 警棒を使い、彼はその弾を防御しようとした。

 だが、警棒だけでは防御し切れない。太一の体は大きく吹き飛ばされた。

 警棒を使って、散弾の直接的なダメージは防いだものの、衝撃は彼の体を大きく吹き飛ばし

たのだ。

 太一は、何メートルも飛ばされて地面を転がった。

 だが、その場所は、たった今、香奈達がエンジンをかけたトラックの荷台のすぐ下だった。

 その様子を見て、ロバートは鼻で笑う。

「ふん。自分が吹き飛ばされた場所を計算に入れ、そのまま逃げていこうというつもりなのか?

 甘いな?」

 吹き飛ばされた太一を追って、ロバートは次々と散弾をその方向へと向かわせる。その狙い

はトラックのタイヤへと向かっていた。

 太一は、自分の方へと飛んできた散弾を避ける。しかし、黒いエネルギー体を帯びた弾それ

自体は、トラックのタイヤに命中する。

 一発の弾が命中しただけで、トラックのタイヤはバラバラに破壊され、破片が飛び散った。

相当な破壊力だった。近距離ならばショットガンでそのくらいの破壊を引き起こす事はできる。

しかし、ロバートはかなり離れた場所から発砲した。それでもトラックのタイヤが破壊できてしま

っている。

「これで、トラックを使って逃げる事はできまい!」

 ロバートがそう言った時、大あらわの様子で、香奈と一博と浩が、トラックの運転席の方から

飛び出し、急いでトラックから離れていこうとする。

「おい、早く離れろ! もう仕掛けたからよ!」

 浩に呼びかけられ、太一も急いでその場から立ち上がり、トラックから距離を取ろうとする。

「逃がさん」

 逃げていこうとする彼らに向かってロバートは言い放つ。彼は、ショットガンの銃口をその方

向へと向けた。しかしその時、

 突然、トラックが爆発した。

 軍用トラックは一瞬の内に粉々に吹き飛び、炎と爆風を辺りに振り巻いた。

 

 

 

 突然の爆発に、思わずロバートは怯み、彼は、思わず身を伏せた。かなりの勢いの爆発だ。

離れた所にいる彼の元へも、強い爆風がやって来る。

 ショットガンの散弾が、発火物を破壊してしまったのだろうか。だが、ロバートはそうならない

よう、タイヤしか狙わなかった。

 だが、すでにトラックのタイヤの側に、発火物が置かれていたならば。

 軍用トラックの動力は水素電池。水素電池は破壊されると不安定になり、強力な爆発を引き

起こしてしまう。

 それが偶然起こったとは考えられなかった。

 水素電池も、ただ破壊しただけでは安全装置が働き、爆発は起こらない。だが、爆発を起こ

せるように細工されていたのだとすれば。

「何! まさか、奴らは初めからトラックを使って逃げる気は無かったのか? 私を騙し、爆発

に紛れてこの砂漠を走って逃げようと言うのか?」

 ロバートがようやく体勢を立て直した頃、背後から声が聞こえてくる。

「『皇帝』陛下! 大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」

 ヘリコプターにいたパイロットが気遣ってくる。

「ああ、私は大丈夫だ。だが、すぐに周囲に非常線を張れ。絶対にやつらを逃がすな!」

「了解しました」

 彼はそう言って、急いでヘリの方へと戻って行った。

 『SVO』め。なかなか大胆な奴らだ。あんな爆発を起こしたならば、自分たちも危険だというの

に。奴らが今まで逃げて来れたのも分かる気がする。

 ロバートは、炎の中に包まれているトラックの残骸を見ながら、心の中で思っていた。

 だが、このままで済むと思うなよ。お前達は、決して逃がさん!

 

説明
巨大大国の裏で行われている、陰謀を追い詰める、ある諜報組織の物語です。
隔離施設から謎の存在が脱出をし、同時に主人公達も脱出を図るのですが―。
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オリジナル SF アクション 虚界の叙事詩 

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