残された時の中を…(第3話)(2003/10/08初出)
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 「そろそろ時間が差し迫って来ましたので…」

 

  看護士が面会時間の終わりを告げに来た。

 

 

 「そうですか…。それではそろそろおいとましますね」

 

 「あうー、北川…。早く良くなってね」

 

 「北川さん。早く治してまた私達とお弁当

  一緒にいただきましょうね。そのときはまた

  腕によりをかけて作ってきますから」

 

 「北川さんも佐祐理達の大学へ来てほしいです。

  だから早く怪我を治してお勉強してくださいね・・・」

 

 「はちみつくまさん…」

 

 「北川君。早く治してまた皆で遊ぼうね…。ふぁいと、だよ♪」

 

 「遊ぶんじゃなくて、勉強頑張るでしょ?

  でもあたしも北川君には早く良くなってもらいたいわ」

 

 「北川…、退院したら俺にも勉強教えてくれ」

 

 「今の君では成果の方は全然出ないんじゃないか…?

  それこそ北川にとって時間の無駄だ。相沢君」

 

 

 「どういう意味だ…!?」

 

 「言葉通りよ」

 

 「何が言葉通りだ!!?」

 

 「大体君の成績は下から数えた方が早いだろう?

  よほど目の色を変えない限り君には無理な話だ。

  それでは倉田さん達の通う大学には

  一生到達出来ないだろう…」

 

 「何だと!!?面白れぇ!やってやろうじゃん!!

  お前に絶対吠え面かかせてやっからよう!」

 

 「ふぁいと、だよ♪祐一」

 

 「お前だって授業中ほとんど寝てるだろ!!?

  そんなんじゃ大学すら行けないぜ!?

  さすがにヤバイだろ!?それは…」

 

 「まあ…。せいぜい頑張ってくれたまえ…v( ̄ー ̄)v」

 

  久瀬が嫌みたっぷりにため息をついてみせる。

 

 

 「ヤロー…」

 

 「まあまあ…。まだまだ時間はあるんだし…、

  今からでも間に合うだろ…?」

 

 「そうですよ相沢さん…。

  真琴だってここに編入出来たんですから

  必死になれば出来るはずです」

 

 「あはは〜♪もし宜しければ

  佐祐理と舞の二人で勉強教えてあげましょうか?」

 

 「はちみつくまさん」

 

 「やめたほうがいいでしょう…。

  この様な破廉恥な男など欲情して

  すぐに襲いかかって来るのがオチでしょう…」

 

 「待て!俺がそんな奴に見えるのか!!?おい!」

 

 「事実ではないのかい?相沢君」

 

 「何だと!!?」

 

 

 「お二人とも!!もう面会時間過ぎてるんですよ!

  こんな所でまた口喧嘩なんて見苦しいですよ!」

 

  いい加減呆れてきたのか、美汐は

 二人の言い合いが本格化する前に口を挟んだ。

 

 「「(すまん)(面目ない)…」」

 

  あまりの低次元な張り合いに

 二人とも赤面しながら、うなだれた。

 

 

 「「皆さん今日は兄の為に本当にありがとうございました!」」

 

 「それでは本当に失礼します」

 

 「お大事に…」

 

  皆が次々に病室を出て行き、祐一もまた出ようとした時だった。

 

 「相沢…」

 

  不意に後ろから北川に呼び止められた。

 

 

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 「どうしたんだ?北川」

 

 「そう言えばさっきの人達の中に

  あゆちゃんらしき姿がなかったんだけど…。どうかしたのか…?

  確かこの病院に入院しているって聞いたんだけど…?」

 

 「ああ…、あゆもあの中に入れようって思ってんだけど、

  今の状態であれだけ大勢いる場所に入れるのはまずいらしいんだ」

 

 「そっか…。何か残念だな…」

 

 「なあに…。お前の見舞いにあゆを連れて行ってもいいってさ。

  既に許可は取ってあるから大丈夫だ…」

 

 

 「良かった…。じゃあ、今からでも会えるのか…?」

 

 「残念ながら今日はムリだ…。

  あゆの奴今日絶対に北川に会うんだって

  リハビリ張り切ってたらしい。そしたら、

  張り切りすぎて疲れて結局眠っちまったってさ。

  あいつ目を覚ましたら何て言うかな…?

 

  『うぐぅ!何で起こしてくれなかったんだよ!?

   ボクだって北川君に会いたかったのに…!

   ひどいよ祐一君!』

 

  なんてこと言うかな…?」

 

 

 「ははは…。違いないな…。

  それだったら水瀬や真琴ちゃんみたく

  何か奢ってやったらどうだ…?」

 

 「うぐぅ…」

 

 「おいおい…。それ確かお前が言ってたあゆちゃんの口癖とかいう奴だろ…?

  人の口癖を本人がいない場所でやるのもまずいんじゃないか…?

  後で知ったらあゆちゃん余計すねちまうぜ…?」

 

 「うぐぅ…」

 

 「おいおい…。まずいって…。

  ただでさえお前は奢らされまくってるんだろ…?

  余計に懐が寂しくなるのがオチだぜ・・・?」

 

 「うぐぅ…!」

 

 

 「ははは…。ダメだって…、それやったら…。

  でも今のお前の話からしてあゆちゃんも元気そうだな…。

  明日はあゆちゃん大丈夫そうか…?」

 

 「ああ…、喜んで連れて来させてもらうよ」

 

 「そうか…。待ってるぜ…」

 

 「ああ、じゃあな。北川」

 

 「じゃあな…。相沢…」

 

 

 

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  翌日、北川が入院している上階の病室へと向かって、

 階段を上っている祐一とあゆの姿があった。

 

 

  リハビリにより大分歩ける様にはなったものの、

 階段を歩くのはまだ厳しい状態であった。

 

 

  7年間の眠りから覚めて、まだ一月も経っていないあゆにとって

 階段を上るということは決して容易な行為ではなかった。

 

 

  それでも祐一に支えられながら、あゆは一段ずつ上っていった。

 

 

  祐一と手すりを支えにはしているものの、

 予想を上回る苦痛にあゆの顔は脂汗でにじんでいた。

 

 

 

 「うぐぅっ!!」

 

 

 「大丈夫か!!?あゆ!」

 

  予想以上の苦痛に耐え切れず、崩れ落ちそうになる

 あゆの体を祐一はしっかりと受け止めた。

 

 

 「だ…、大丈夫…、だよ…。祐一君…」

 

  顔をしかめながらも笑顔で答えるあゆ。

 だが、その表情から想像を絶する苦痛を味わっていることは、

 傍から見ている祐一の目にも明らかだった。

 

 

 「もう十分だよ…!初めてでここまで階段を歩けたんだから…。

  お前はよく頑張った。だからもう休めよ…。

  今度は俺がおまえを背負ってやるから」

 

  苦痛に耐えているあゆの表情に

 たまらず祐一が助け船を差し出そうとする。

 

 「ありがとう…。祐一君…。

  でもこんなところでへこたれられないよ…」

 

 「でも…」

 

 「祐一君がボクのことを心配してくれてるのは

  とても嬉しいよ…。でもね…、

  こんなところで甘えてたらだめだと思う…。

  せっかく祐一君とまた会えたのに神様に怒られちゃうよ…」

 

 

 「分かった」

 

  あゆの決意の固さに揺り動かされ、祐一は

 助けてやりたい気持ちをあえてグッとこらえる。

 

 

 「でも無茶はするなよ…?

  下手したら取り返しのつかないことにもなるからな…。

  これ以上は無理だって思ったらその時はすぐ言ってくれ」

 

 「うん!でも大丈夫だよ…」

 

  そう言って苦痛に耐えながら階段を一段上っていく。

 

 

 「だってボクのことを皆が支えてくれてるし、

  大好きな祐一君が側にいてくれてるから…。

  これくらい平気だよ…」

 

  そう言ってまた階段を一段上った。

 

  そんなあゆの足取りは震えていて、とてもおぼつかない様子だった。

 それでも一歩ずつ時間をかけながらも確実に前へと進んでいた。

 

  そんな必死に苦痛に耐えているあゆを横目に祐一はあゆの体をしっかりと支え、

 そしてあゆの歩調に合わせながら階段を上って行った。

 

 

 

 

 

 「ありがとう…。祐一君。

  ここからはボクだけでも大丈夫だよ…」

 

 「分かった。でも無理はするなよ…」

 

 

  階段をようやく上り終えたあゆは今度は一人で歩いていこうと試みる。

 

 

 

 「うぐぅ!!?」

 

 

  だが階段を上りきるのに30分もの時間を要したのだ。

 上り終えてようやく楽になれたと安心したからだろうか。

 祐一から離れたとたん、あゆの体はあっけなくバランスを崩し、

 そのまま全身を床に叩きつけられる。

 

 

 「うぐぅ〜…」

 

 「ほら…。だから無理すんなって言っただろ…!?」

 

  そう言ってあゆの体を起こしてやろうと手を差し伸べる。

 が、今度も祐一の助けを遠慮し、自力で起き上がろうとした。

 

 

 「ありがとう…、祐一君。

  でも祐一君は何もしないで黙って見てて…」

 

  あゆは近くにあった手すりに必死につかまり、

 全身を震わせながらも歯を食いしばって、何とか立ち上がった。

 

 「全く…。そんなんじゃまたたどり着く前に疲れちまうぜ…?

  張り切んのはいいけどほどほどにな…」

 

 

 「うぐぅ…!今度は大丈夫だよ…!

  せっかく北川君に会えるのにこんな所で諦めたくないもん…!」

 

 「でも眠っちまったら今日もまた会えないぜ…?」

 

 「絶対に大丈夫だよ…!

  今日こそは絶対に会ってお人形のお礼を言うんだ…」

 

  そう言いながら手すりから手を離し、

 そのまま北川がいる病室へと向かって歩き始めた。

 

 

  足元こそまだおぼつかないものの、

 リハビリを始めた当初よりは確実に歩ける様になっていた。

 

 “早く歩けるようになって祐一君や皆と一緒の生活を送りたい。

  ボクを支えてくれた祐一君や他の皆の為にも頑張らなくちゃ”

 

 その想いが想像を絶するリハビリの苦痛によってあゆの心が折れることなく、

 むしろ自分から進んで厳しいリハビリにチャレンジしたほど強くさせた。

 それが少しずつながらあゆの運動機能を確実に元通りにしていった。

 

 

 「こりゃ、思った以上に退院するの早いかもな…」

 

  祐一は一人奮闘するあゆを静かに後ろから見守っていた。

 

 「祐一君も早くー!」

 

 「分かってるよ!」

 

 

 

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  あゆが自分の病室を出て上階にある北川の病室に

 たどり着くのに40分もの時間を費やした。

 疲労の色こそ見せてはいるものの、どうやら大したことはなさそうだ。

 

 

  祐一は北川が入院している病室のドアをノックする。

 

 「北川。起きてるか?俺だ」

 

 「相沢か…?あゆちゃんもそこにいるのか…?」

 

 「ああ…」

 

 「まあ入ってくれよ…。既に話は聞いてるし…」

 

 「入るぜ」

 

  そう言って祐一はドアを開け、あゆを先に病室に入れてから自分も入った。

 

 

 「おじゃまします!」

 

  ベッドで寝ている北川に向かって、

 肩で息をしながらもあゆが元気よく挨拶する。

 

 「ええと…。あゆちゃん…、だったよな…。初めまして…」

 

 「うん!初めまして北川君!」

 

 「何かすごい汗かいてるけど…。どうしたんだい…?」

 

 「ああ…、病室から階段上ってここまで来たんだ。

  階段上りきるのに30分位かかったからな」

 

 「30分て…。大変だったんだな…。

  て言うかそこまでしてわざわざ来なくても…」

 

 「ううん…。ボクのことを応援してくれてる

  皆の為にも早く動ける様になりたいんだ」

 

 「でもそんな無理しなくても…」

 

 「それにね…」

 

 

  笑顔から少し真顔になったあゆは続けて語りかける。

 

 「祐一君がくれた願いの叶う人形を見つけてくれた

  北川君にお礼を言わなきゃって思ってたから。

  本当は北川君のお誕生日に言おうと思ってたんだけど

  その前の日に交通事故にあったって聞いてね…。

  もう大切な人を失うのは嫌だったんだ。

  だから生きようと必死に戦ってる北川君の為にも

  ボクも必死になって頑張らなきゃって思ったんだ。

  そうすればきっとまた願いがかなうって思ってたから…。

  もうこの天使のお人形には全てお願いしちゃったんだけど、

  きっとまた願いを叶えてくれるんじゃないかって…。

  そう思って頑張ったんだ。

  そうしたら北川君は戻ってきてくれた…。

  だから今度は早く元気になれる様にっていう

  お願いを叶える為に頑張ってるんだ…」

 

 

 「ありがとう…、あゆちゃん…。でも大丈夫だよ…」

 

  見た者を和ませる様な笑顔をあゆに向ける。

 

 「だって死にかけてた俺のことを

  そこまで想ってくれたんだからそれだけで十分だよ…

  だからそれ以上無理しなくても…」

 

 「ダメだよ…」

 

  余計な心配をかけまいとする北川に遠慮がちになりながらも、

 だが自分に厳しく言い聞かせるつもりで話しかける。

 

 

 「北川君がボクの人形を見つけてくれなかったら

  きっとボクはここにはいなかったんじゃないかって思うんだ」

 

 「偶然だよ…。俺じゃなくても相沢や水瀬だって…」

 

 「ううん…。もちろん祐一君や名雪さんにも感謝してるよ…。

  それに人形探すのを手伝ってくれた香里さんにも…。でもね…」

 

 

  うつむき、そして瞳からあふれ出て頬伝う涙を拭うことなく、

 でもしゃくり上げるのを抑えようと必死になりながら続けて話す。

 

 「あゆちゃん…?」

 

 「探しててどうしても…、見つからなかった人形が…、

  見つかったことが…、ボクには…、一番嬉しかったんだ!

  だからどうしても…、北川君にはきちんとお礼を言いたかった…!」

 

 「そんな…。大げさだよ…」

 

 「大げさなんかじゃないさ…!」

 

  泣いているあゆの頭ををそっと胸に抱き寄せながら祐一が言った。

 

 

 「お前があの時いなかったらきっとあゆの人形が

  見つかんなかったんじゃないかな?

  そうしたらきっとあゆはこの世にはいなかった…。

  だからこいつが今ここにいられるのもお前のおかげだと俺も思ってる」

 

 「いくら何でもそんなことで…」

 

 「まーだ分かんないのか!!?昨日も皆言ってたろ?

  今の自分達があるのはお前のおかげでもあるって!

  ここまで言われてんだからもっと自信持てよ…!」

 

  いまだ自信を持てずにいる北川に少々呆れ気味に話しかける。

 

 

 「分かったよ…」

 

  ようやく自信がついたかの様な返事をした。

 

 

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 「あゆ…。もう落ち着いたか?」

 

 「うん…。もう大丈夫だよ…」

 

  泣き腫らした目をこすりながらも何とか落ち着いた口調に戻り、

 先程の生き生きとした笑顔を祐一に、そして北川に向ける。

 

 

 「ゴメンね…。せっかく北川君が無事に戻って来れて

  ホッとしてるはずなのにこんな所で泣くなんて…」

 

 「いや…。俺ここまであゆちゃんに感謝されてるとは

  思ってもなかったから…。正直言って嬉しいよ…」

 

 「そういえばまだボクの人形を

  見つけてくれたお礼まだ言ってなかったよね…!?」

 

 「いいよ…。さっきのでもう十分だよ…。

  感謝の気持ちをたくさん受け取ったから…」

 

 「ダメだよ…。きちんと言わなきゃ…」

 

 「俺は大丈夫だって…」

 

 「北川。せっかくあゆがこう言ってくれてんだから

  ここは素直に聞いてやれって。こいつも言いたがってんだし」

 

 「そっか…。ならそうさせてもらうよ…」

 

 「うん!」

 

 

  改めて北川の方を向き、そして精一杯の笑顔で

 

 

 「ありがとう!!北川君」

 

 

 あらん限りの感謝の気持ちがこもったあゆの声が病室に響き渡る。

 

 

  その声は傷ついた北川の体にも浸透し、

 そして傷ついた北川の肉体もまた少し癒されていく。

 

 

 「いや…。何か照れるな…。こう…、面と向かって言われると…」

 

 「お前の存在もそれだけ大きかったってことさ」

 

 「うん!おかげで大分動ける様になったしね!」

 

 「まあ、まだタイ焼きの食い逃げは無理だがな」

 

 「うぐぅ!どういう意味だよ!」

 

 「俺がここに来たばかりの頃何度かやってただろ?」

 

 「違うもん!あの時はお財布がなかったから…!」

 

 「それを食い逃げって言うんだよ」

 

 

 「まあまあ…。もうそれくらいにしてやれよ…。

  あゆちゃんかわいそうだろ…?」

 

 「それもそうだな」

 

 「うぐぅ〜…。ひどいよ祐一君…」

 

 「事実だろ?」

 

 「まあまあ…」

 

 

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  やがて面会時間の終わりも差し迫り、

 あゆもまたそろそろ自分の病室へと戻らねばならなかった。

 

 

 「じゃあな、北川。また見舞いに来るぜ」

 

 「ああ…。相沢もあんまりあゆちゃんからかうなよ…?」

 

 「俺がいつからかったんだ?」

 

 「ついさっきだろ…?」

 

 「そうだよ!」

 

 「うぐぅ…」

 

 「ほら…。またからかった…」

 

 「ひどいよ!ボクの口癖北川君の前でまねしないでよ!」

 

 「うぐぅ…!」

 

 「もう祐一君となんか口利かないから…!」

 

 「うぐぅ…!」

 

 「もう!祐一君なんか知らない!」

 

 「ごめん。悪かったよ…」

 

 

  頬を膨らませてそっぽを向くあゆに

 さすがにやりすぎと思ったか詫びの言葉を入れる祐一。

 

 「あとでタイ焼き奢ってやるから…」

 

 「本当に!!?」

 

 「ああ」

 

  タイ焼きという言葉に思わず反応し、あゆの目が輝やく。

 

 (全くゲンキンな奴…)

 

 

 「じゃあな。北川」

 

 「じゃあな…。相沢…。それにあゆちゃん…」

 

 「うん!バイバイ!」

 

  祐一がまず病室を出て、続けてあゆも出ようとした。

 が、何かを言い忘れていたのか北川の方を再び向く。

 

 

  その表情は何かを心配しているかの様な深刻なものだった。

 

 「北川君…」

 

 「どうしたんだい…?あゆちゃん…」

 

 「体の調子どう?大丈夫…?」

 

 「まだそれほど動けないけど大丈夫だって…。すぐ動ける様になるさ…」

 

 「そう…。ボクの思い過ごしかなぁ…?」

 

 

 「あゆ!何やってんだ!!?置いてくぞ!?」

 

 「あ…!すぐ行くよ、祐一君!

 

  …バイバイ、北川君。早く…、良くなってね」

 

 

  心配そうな表情のまま今度はあゆも病室を出た。

 

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 「先生。どうですか?」

 

 「うむ。まだ油断は出来んが順調に快復してきてる。

  もうそろそろ薬の量を減らしても良かろう」

 

 「本当ですか!?」

 

 「ああ。もう無理だと私も諦めていたのに…。全く大したものだ。

  一体どうすればここまで快復するのかな?」

 

 「分かりません。でも私を支えてくれた人達がいてくれたから頑張れたんだと思います」

 

 「そうか。彼らはさぞかし君の中では大きな存在だったのだろうな」

 

 「はい!」

 

 

  祐一達が北川の最初の見舞いに行ってから一月ほどが経ち、

 この日は定期健診があったので栞は病院を訪れていた。

 

 

  かつては自分の誕生日である2月1日が命日となる可能性が高かった。

 それ故に病気から快復してきていることは、

 栞にとってはこの上なく喜ばしいことであった。

 

 

  何しろ、今まで怯えてきた死の影を恐れる必要はもう無くなったのだから。

 

 

 「薬の方は今までより少なくなるからから服用の際は気をつけなさい」

 

 「はい!ありがとうございました!」

 

 「お大事に」

 

 

 

  その日の定期健診が終わったのは7時頃のことだった。

 まだ時間的には大丈夫だと思っていたので、

 この病院で入院している北川の見舞いに訪れようと考えていた。

 

 

  ちょうど夕食の時間帯でもあった為、

 看護師も顔を出すだけという条件で許可を取った。

 

 

 「ありがとうございます」

 

 「いいのよ。北川君もあなたのこときっと歓迎してくれるわ。

  それに今妹さん達もいらしてるから、

  お見舞いに来てくれたことを喜んでくださるわ」

 

 「喜ぶというより、慌てふためいたりして…」

 

 「慌てふためく?」

 

  何か予想した通りのいかがわしい展開になることを

 期待するかの様な小悪魔的な笑みを浮かべる栞。

 

 

 「もし妹さん2人が出かけてたら一人でこっそりと

  エッチな本を読んでるかもしれないじゃないですか!?

  そんな時にいきなり来たら、北川さんきっと慌てますよ。

 

  “し…、栞ちゃん…!一体どうして?

   あ…。この本は…、いや…。あの…”

 

  って感じで。そして私が北川さんの弱みを握って

  アイスいっぱい奢ってもらうんです!口止め料代わりに」

 

 「まさか…。そんなことないわよ」

 

 「それだけじゃないです。

  妹さんのどちらかが病室を出てたら

  それこそ抜け駆けしてるかもしれないじゃないですか?

  そんな2人だけのシチュエーションで禁断の情事なんてことも…」

 

 「栞ちゃん…。いくらなんでも…、それは…」

 

 「3人だったにしても、兄の欲求不満を解消する為に

  病室の中であんなことやこんなことも…」

 

 「あのー…。もしもし…。栞ちゃん?」

 

 「もしそうだったら私…。きゃー♪」

 

 

  看護師の呼びかけに反応することなく、

 興奮した様子で両手で顔を覆い、嬉しそうにきゃーきゃー騒ぎながら

 想像を深く、そして間違った方向へと膨らませていく。

 更に栞の目が期待の高さに比例して一層輝きを増していく。

 

 

  ここまで来れば彼女の妄想を止めることはもはや不可能な様だ…。

 

 

 「あの〜…。もうそろそろ北川君の病室なんだけど…」

 

 「はっ!いけません!ついよだれを垂らしてしまいました。

  私としたことが何てはしたない…」

 

  北川に関する禁断の妄想の世界からようやく抜け出した栞は、

 無意識のうちに垂らしていた口元のよだれを慌てて拭った。

 

 「ふふふ…。さて扉の向こう側の北川さんは何をしてるでしょうか…?」

 

  小悪魔的な笑みを再び浮かべ、ドアの取っ手に手をかけたその時だった。

 

 

 

 

 

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 「グスッ…。グスッ…。チキショ…、チキショウ…。何で…、何で俺だけ…?」

 

 

 「お兄ちゃん…。大丈夫…?」

 

 

 「ああ…。何とか…、な…。でも…。何か怖いんだ…」

 

 

 「大丈夫よ…。私達そばにいるから…。寂しくなんかないよ…」

 

 

 「ああ…。ありがとう…、2人とも…」

 

 

 

 

 

 「え…?」

 

  それは栞にとって耳を疑わざるを得ないほど予想を裏切っていた。

 

 

  扉の向こう側から聞こえてきたのは北川の嗚咽と

 そんな北川を必死に慰めている姫里と空の声だった。

 

 「北川さん…。まさか泣いているんですか…?」

 

  それはかつて病魔に怯えていた頃の自分を連想させても

 おかしくはない、そして初めて知る北川の姿だった。

 そのまま病室に入ることもためらわれた。

 

 

 「栞ちゃん…。今日はやめておいた方がいいかもね…」

 

 「え…?」

 

 「この状況であなたが中に入るのはちょっとね…」

 

  看護師もまた不安の表情で扉を見つめる。

 

 

  しばらく中に入るかどうか栞は躊躇いを見せていた。が、

 迷った末に思い切って扉を開けることにした。

 

 

 「ちょっ…!?栞ちゃん…!」

 

  看護士が静止する間もなく扉は開き、中の3人の視線は一斉に栞の方を向いた。

 

 

  事故から一月は経っていたので北川の体からは

 半分の包帯は取れてはいたものの、頭の方だけはいまだに覆われていた。

 

 

 「栞ちゃん!?一体どうして…!?」

 

 

 ((栞…!?))

 

 

  栞に関して何か思い当たる節があるのか、姫里と空が栞という名前に反応する。

 

 「あの…、さっき定期健診が終わったので

  北川さんのお見舞いに行こうと思ってたんですけど…。

  どうしたんですか?泣いてたみたいですけど…」

 

 「ああ…。何でもないよ…」

 

  慌てて瞳をこすり、ごまかそうとする。

 

 

 「ドラマのAIRが良くてね。つい思い出して泣いてたんだ…」

 

 「何か…、あるんですか…?」

 

 「何でもないって…。悪いけど今日は帰ってくれないかな?」

 

 「え…?まだ来たばかり…」

 

 「そろそろ飯の時間だし…」

 

 「でも…。何か心配です…」

 

 「いいよ。それより早く帰ってくれないか?」

 

 「でも…」

 

 

 「帰ってくれ!!」

 

 

  最後の突き放す様な北川の怒鳴り声に栞の体がこわばる。

 

 

 「ちょっと…!北川君、他の患者さんが驚くじゃない!

  それに怒鳴ることないでしょ!」

 

 「そうだよ!せっかくお見舞いに来てくださったのに…、

  いくらなんでもひどいよ!お兄ちゃん」

 

 

 「ごめん…。栞ちゃん」

 

  さすがにばつが悪くなったか栞から視線をそらし、謝った。

 

 「いえ…。いいんです…」

 

 「でも…。今日のところは帰ってほしいんだ…」

 

 「そうですか…」

 

 「あと、俺が泣いてたこと皆には内緒にしてほしいんだ」

 

 「分かりました」

 

 

 「悪かったな…。怒鳴っちまって…」

 

 「いえ…。北川さんも早く元気になって

  また学校に戻ってきてください」

 

 「そうだな…。そのときはまたお弁当頼もうかな?」

 

 「はい!それじゃ失礼します」

 

  北川達3人に向かって一礼し、そのまま病室を後にした。

 

 

 

 「お兄ちゃん!せっかく栞さんがお見舞いに来てくださったんだよ!

  それなのに怒鳴るなんていくら何でもひどいよ!」

 

 「分かってるよ…」

 

 「分かってないよ!せっかく心配してくださってたのに…。

  あんな突き放す様な言い草はないよ!」

 

 「分かってる…。分かってるよ…。

  やりすぎちまったって反省してる…。

  でも…、でもよ…。あんな情けない面してるところだけは

  誰にも見られたくなかったんだよ…!」

 

 

  2人は悔しそうにうつむき、拳を握り締める北川を

 ただ見守ることしか出来なかった。

 

 

 

 

説明
7年前に書いた初のKanonのSS作品です。
初めての作品なので、一部文章が拙い部分がありますが、目をつぶっていただければ幸いです(笑)。
メイン北川君でカップリングは北川ד?”です。“?”の人物は第1部最後に明かされます。
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