隠密の血脈1-5前篇
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第1話「入学式」―5前

 

「……せんぱい」

 切れた携帯をそっと握り締める。

 震える手には涙が滴り。

「せんぱい……せんぱい」

 温かかった。嬉しかった。でもここに来て欲しくない思いも同じだけあった。

 大好きな先輩。だから絶対にここには来て欲しくない。先輩だけは生き延びて欲しい。

「えへへ…まだ、キスもしてなかったのにな……」

 震える手で唇をなぞる。

「でも大丈夫」

 先輩とは一日しか恋人できなかったけど、それでも告白できた。しかもそれが成功したんだもん。これ以上ないくらいの幸せじゃん。

 それでも振るえは止まらない。怖くてたまらない。舞台裏の鍵のしまった裏口に一人孤独に震えている。

 

 助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて……

 

 後悔はしていないとか言っても、まだ惨めに助けを請う自分がいた。

 誰でもいい。先生でも警察でも同級生でもパパでもママでも誰でもいい。先輩意外なら誰でもいいから助けに来て欲しいよ……

「せんぱい……わたし、やっぱり怖いです。怖いんだよ……」

 必至に声を殺しても、すすり泣く音は辺りに静にこだましていた。

 外からは未だ阿鼻叫喚の嵐が聞こえる。

 

 もう何人死んだのかな……

 あと何人残っているのかな……

 あとどれくらいでここまで来るのかな……

 やっぱり隠れてるのばれちゃうかな……

 

 だめだ。必至に先輩の事考えてないと頭がおかしくなりそう……

 先輩……せめて少しの間だけわたしの心にいてください。

 

 ギシッ……

 

足音が聞こえた。

「!?」

 瞬間、頭の先から背筋を通り、足の先まで体中を絶対零度の恐怖が駆け抜けた。

 呼吸が止まる。思考が止まる。動きが止まる。心が止まる。

 足音は静かにこちらへくるように、少しずつ音が大きくなってくる。

「…………せんぱい」

 音もなく彼の名を呼ぶ。それは助けを呼ぶものではなく別れの台詞のように。

 祈り、切なく、その名に、こめる。

 愛しきものへ、最後の想いを。

 

 そして

 

        ギシィ……

 

 静かに息を整えると

 

               ギシ……

 

 全身の力をこめて

 

                        ギ……

 

「っつあああぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!」

 真上の舞台へいる奴に対し、階段を勢いよく飛び出し、襲い掛かっていった。

「ぬなっ!?」

 ガッ!!!

「な、何をするんですか一体!?」

 全身全霊をこめた一撃は、しかし彼の掌に受け止められ、最初で最後の悪足掻きは失敗に終わった。

「くっ……!」

 しかしそれでも彼女は諦めなかい。少しでもあがいてみせると、今まで鍛えてきたことを無駄にしないためにも、先輩とまた笑って会うためにも、彼女は最後の最後まで諦めなかった。

 だが、対する相手はいかにも困惑した様子で彼女を必至になだめようとする。

 その巨体の男は、紛れも無くこの学校の制服を着ていた。

「ちょ、落ち着いてください! 僕は敵じゃありませんから!」

「くっ…この君笠佳代、黙って殺される程平和ボケしてないんだからっ!」

「だから落ち着いてくださいって! 僕はこの学校の生徒です!」

「うるさい!竹刀が無くたって戦え……え?」

 目の前に立つ男はまぎれもなくこの学校の制服を着用していた。ただ異様にパッツパツで制服としてどうか疑いたくなくほど張りつめた状態ではあったが。

「……あなた、誰?」

 そして例の如くその巨体及び強面に軽く怯えだしている。いや、所見であるならばまったくしょうがないことではあるのだが、むしろ一歩たじろいだだけの佳代は豪胆と言えるほどである。普通1m圏内に突然彼を見た女子は十中八九発狂して気絶が定番であるのだから。

 だからこそ、そんな佳代に一哉の方がむしろ驚いていた程である。

「僕は新入生の尾ヶ崎一哉と申しますです。あの、詳しいことは時間が無いので、早急にここから逃げましょう!」

 一哉は最低限のことだけ告げると手を差し伸べた。

「あの…、逃げるってどうやって?」

 佳代は軽く混乱する頭をなだめつつも質問する。

この状況下、おそらく彼の言うことは正しいのだろうと判断はつく。しかしいかんせん出口となりうるような場所は残されていなかった。

 まず正面にかまえる入場口。あそこは奴が入ってきたところであり、ここから一番遠い場所である。今奴は体育館内中央付近にいるようだが、見ればわかる。

 どう頑張ってもあいつの後ろへ行くことは出来ない。

 その狂気がすべてを物語っている。武道を嗜んでいた身としてはなおさらに奴の異常性がよくわかる。

 あいつは人間じゃない。

 本能レベルで襲いかかるその圧倒的脅威は、佳代には大量虐殺兵器のそれとなんら変わらなかった。

 それに伴い体育館内の側面に左右二つある扉もまた奴の射程範囲。何をどうしたってそこから逃げ出すことなどできないだろう。きっと扉へたどり着く前に、あの鎌を連想させる長く鋭利な刃物に切り裂かれ、ただの肉片へと姿を変える。

第一、唯一空いている東側の扉は今でも大量の人が詰め込んでいて、今更行っても出る前にころされてしまうのがオチ。かといって他の扉は鍵がかかっているのだ。出られるはずがない。

 そんな状況で逃げ出すなど考えられない。それは即ちあいつの前に行って殺されろと言っているようなものなのだから。

 しかし一哉は静かに呟くように言った。

「僕、入学前にあらかじめ色々下調べしているんです」

「……だからなんだっての?」

 彼の言うことがいまいちよくわからない。

「この裏口程度のドアなら一撃で破れます」

「……なっ!?」

 そう、この体育館事体かなり古い建造物であり、この裏口のドアなど木製の薄い構造。そのカギなどあってないようなドア一つ、巨体に相応しい力を持つ一哉には破ることなど朝飯前なのであった。

「じゃあ早くここ壊してよ、早くしないとあいつみんな殺してここまで来ちゃうわよ!」

 緊急といっても心に刺が刺さる。自分の命はもちろん大切だが、それでもその他のみんなを蔑ろにするような発言をしたことに罪悪感がチクリと刺す。

 が、佳代の言葉を聞いて一哉の顔は焦りを含みつつも曇っていく。

「………………」

「な、なに、なに黙ってんの?」

 それに感応して佳代にも焦りが伝わる。

 それはこのドアは開けてはいけないのだと。暗にそう言っているように思えて。

「先輩……、さっきから聞こえる悲鳴。聞こえますよね?」

「え、ええ……」

 間違ったことは言ってない、と確認するように佳代は頷く。額には知れず汗が垂れていた。

「あれ、外からも少し聞こえるのが、わかりますか?」

「え、外……?」

 その場で耳を澄ましてみる。確実に少なくなりつつある悲鳴、絶叫。それは体育館東口のドアを中心に広がっている。

 が、確かに。

「……!?」

 その範囲が、外部にまでわたっていることが微かに聞き取れた。

「っ!」

 急いでドアに耳を付ける。外から伝わる音は木製の薄い板を通してより鮮明に外部の情報を教えてくれた。

『〜〜ぁ…ゃああ!……すけ…だれ…、…いやあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』

「ヒグッ!」

 思わずドアから飛びずさってしまった。そのあまりの勢いに後ろへ転げそうになってしまったところへ一哉がそっと背中に手を回す。

 確かに聞こえた。体育館内と比べればはるかに悲鳴を上げている人数が少なくはあるものの、それでも外からも悲鳴が聞こえてきた。

 その発生源は唯一開いているドアの先から校庭にかけての周辺。

「……こっちへついてきてください。その間に理由を説明します」

 そういうとガタガタと震えの止まらない佳代の手をとり、二階へと向かった。

佳代には何がどうなっているのかがまるで理解できない。ここに殺人鬼が、体育館内でまだ殺戮を繰り返しているのになんで外にも!?

考えればなんてことない理屈。ただひとりでこんなことをする殺人狂の道楽ではなかったというだけの話だ。そう、これはなんらかのグループ。複数犯による計画的な犯行であるならば話がつながる。ただ外にも奴の仲間がいただけどいうだけの……

頭ではそこまで発想が追い付く。だがあまりにも現実離れしたこの状況では心が信じようとしない。ありえてたまるかこんな現実は、と自己を形成する最深の要素が佳代に現実を認めさせようとしないのだ。

だから混乱する。処理が追いつかない。

先輩がいてくれたらと、わずかな希望だけが彼女の心に突き刺さる。

「落ち着いて聞いてください」

 しかしそれでも今は進んでいる。迷っている暇も余裕も時間もない。だからできる限りのことをしなければいけないと彼は歩みを続ける。平静を保ってなくてはならないと、助けたい者がいるならば自分自身が強くあらねばならないからと、その心を鋼に変えて。

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舞台裏は体育館の側面に伸びる二階へとつながる階段が左右についていた。

一哉は佳代に慎重に語りかけるように静かに話す。

「まず、冷静になって考えると、なぜ東側のドアだけ開いていたのかとう疑問が出てきます」

 足音を立てず慎重に、だがなるべく急いで階段を上る。幸いにも今上っている西側の階段は佳代の隠れていた裏口のドアのすぐそばに位置していた。

「たしかに。なんであそこのドアだけ開いてたんだろ?」

「それはおそらく東側のドアが校庭と接していたためだと思います」

 二階に着く。東側の方に放送室があり、こちらの西側はただ体育館の二階の廊下につながっているだけの簡素なつくりをしている。

「校庭……と?」

「……はい。っと、ここでとりあえず止まってください」

 二階の廊下前のところで立ち止まる。その先からは奴の視界に入ってしまう位置になてしまうのだ。

「この体育館は配置的に西側に体育倉庫及び西門、東側に校庭、北側に校舎及び正門、南側にプール。大まかにこんな配置になってます。」

「よく知ってるわね。でもそれは東側の出口だけ空いていた理由にはなんないわよ?」

 今もなお聞こえる悲鳴、絶叫、嗚咽。しかし確実にその騒音は静かになりつつあった。

 それが佳代の焦りを増幅させる。だからこの巨体の後輩に答えを促す。一刻も早く、一秒も待てないといった面持ちで。

「はい、おそらくは逃げる経路を一つに絞ることで全員逃がさずに襲うことができるんだと思います。」

 静かに告げる一哉。それは、まぎれもなく犯人が複数人いることを示している。

 予想が外れていないことに顔色をさらに失う佳代。しかし一哉にはいくつもの疑問が浮上していた。

(そもそも、複数人、しかもあんな化け物がいるならば、なぜ挟撃せずにあえて逃がしたところに襲うんだろう……。いや、そもそも袋の鼠にしておけばどこから入ったって結局は逃がす暇もなく殺ることもできるはずなのに……)

 刻一刻と静まり返る体育館には既に猶予時間がわずかしか残っていない。

(それに外には警備員さんが正門に5人はいたはず。ほかの箇所も含めて考えたら、少なくとも何かしらの対処をしていてもおかしくないけど。やっぱり……)

 一哉は巡る思考を一端停止し、今後についての限りなく薄い可能性の実現へ思考を移し替えることにした。

「この犯行から数はおそらく2名以上。犯行にここと外にいるだろう複数人が考えられます」

「じゃあどうやってここから抜け出すのよ!?」

「まず薄い可能性として考えられるものでは、西側の出口から出ることです」

 はぁ!?と思わず口から出てしまった。

 今さっき自らが言ったことをそもそも聞いてなかったような発言に懐疑の心がにじんでくる。しかしまだ口には出せない。少なくとも自分には全く助かる方法が思いつかないのだから。

「西側の出口には隣接して体育倉庫があります。下からいってもまずたどり着けないなら上から行くしかありません」

「なっ!?」

 上から。そう、彼が言っているのは実に簡単なことだった。二階の窓をそっと開け、そこから体育倉庫の屋根に飛び移ればいいというものである。

「……でも」

 確かに妙案ではある。この窓から体育倉庫の天井までの高低差は1m前後、幅も2m弱とわたるには容易な構造をしている。しかも体育倉庫のすぐ裏には西門もあるためそこから外にもすぐ出られるのである。

 しかし不安はぬぐえない。圧倒的に成功確率を下げる要因が目下で暴れているからだ。

「……はい、奴に見つかればまず追いつかれて終わりでしょう」

 あの怪人の異常な身体能力は一般人から見ても普通ではないとわかる。

 そしてそのほかにも、監視や補完要員など体育館を、いや学校を囲うようにしてまだ何人もの人間が潜んでいる可能性も高かった。しかしこの状況でそのことを伝えてしまうと彼女は本当に壊れてしまう。だからこそ危険であると知ってもなお唯一この可能性を提示するよりほかなかった。

(今浮かぶ最善の方法はこれだけ……。だから君笠先輩にはつらいだろうけど、頑張ってもらうしかない……)

「なので、僕が下で奴の注意を引きます。その間に先輩は窓から逃げてください」

「……え」

 予想外。それこそ信じられないという以前に言葉の意味が理解できないと、佳代は一瞬戸惑いの声を上げてしまった。が、そのすぐあとから思考が追いつく。しかしその時には既に彼は階段を下り始めていた。

「ちょっと待って!」

「はい?」

「あんた、本気で言ってるの!?」

 一哉は首だけこちらへ回転させいつでも駆け下りれる体制のままそっと伝える。

「……あはは、勘違いしないでください」

 佳代は自分と近しい人間にしか道徳観が働かないが、それでもこの巨漢の下級生の言っていることは納得いかない。いくら自分が助かりたいとはいえ、そんな犠牲をともなったものなど彼女は受け入れられるはずがなかった。その面影があの先輩とほのかに重なってしまうから……

 しかし彼は軽く笑って一蹴する。

「これでも僕は自分の身の安全が一番大切なんです。だから『僕にとって』この方法が一番生き残りやすい。ただそれだけですよ」

 そういうともう彼女の顔は見ず、前に視線を移し、

「僕は自己犠牲に陶酔するようなナルシストじゃありません。あくまで僕の利益のために行動してるだけです。だから、君笠先輩も変に勘ぐったりしても損するだけですよ?」

 それでも彼女には声しか向けられず、

「じゃあ、うまく奴の注意がそれたところで、そっと窓から逃げてください。くれぐれも、どこか安全な場所に避難するまで気を緩めないでください。では……」

「だからちょ……!」

 二の句も告げさせずに彼は戦場に向かった。

「…………」

 そして残された彼女には後味の悪い感情が泥のように身にこべり付いていた。

(なにバレバレなこと言ってるのよ……)

 あんなこと言ったからって、私が責任感じないとでも思ったのかな……

「……はぁまったく」

 だめだ、完璧に先輩とかぶるじゃない……

「でも……いや、ならばこそその言葉に甘えてやるわよ!」

 泣きたいくらい怖いし、叫びたいくらい震えが止まらないこの状況でもあきらめたりはしない!

 そう、何があっても先輩とまた一緒に帰るんだから!

「……?」

 そこでふと違和感があることに気がついた。

(先輩……せんぱ……い?)

「…………しまった!!!!」

 決意とともに安定した思考回路は、直後溜まっていた情報を的確に整理し、そこで決定的な情報を思い出してしまった。

 

 先輩がくる!!!

 

 あの連絡が絶ってからもう数分が経とうとする。時間的にはもう来てしかるべき時間では、と思った瞬間

 

「佳代っ!!!」

 

 体育館の入口から、凄まじい雄たけびが響き渡った。

「……どうしよう、まずいよ!?」

 急転直下。この殺戮の宴はこの不確定要素により、なお混迷を極めつつあった。

 

説明
1-4の続きです。長いので前後編で行きますです。
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隠密 血脈 戦闘 バトル 伝奇 うえじ オリジナル 

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