動物園-1
[全5ページ]
-1ページ-

 蛙は、自分がどのような状況に置かれているのかさえ理解できなかった。蛙が失われていた自

分の意識を取り戻した時、彼が肌で感じていたのは冷たい地面だった。その冷たい地面は、蛙

にとっては初めて触れるかのようなものであったし、彼はそれが床と呼ばれるものである事を知

らなかった。だから彼は自分が足をつけている地は、地面だと思っていた。

 

 蛙はゆっくりと身を起こした。元々ずんぐりとした体格であった彼は、身を起こすにしても、とても

のろのろとした動作をせねばならず、かなり時間がかかった。

 

 辺りは暗かった。ほんの少し先までしか見る事が出来ない。その中で蛙は自分だけぽつりとい

た。

 

 蛙は辺りに何者の気配も無い事を確認しようとしたが、それよりも早く、蛙の後ろから話しかけ

てくる声があった。

 

「お前は、誰だよ?」

 

 その声はとても特徴的な声で、まるで子供の発するような声だった。

 

 蛙は思わず振り向いた。

 

 そこにいたのは、猿だった。小柄な猿だという事は蛙にも分かったが、それでも蛙にとっては見

上げるほどの大きさがある。

 

「ここは、どこだ?」

 

 蛙はそのように猿に尋ねた。猿は、何故かにこにことした表情をしたまま蛙を見下ろしてきて答

えた。

 

「ここは、“動物園”さ」

 

 蛙にとってその言葉は、非常に大きなものとなって降り注がれた。動物園。何故、自分が動物

園などにいる? 蛙がそう思ったと同時に、蛙と猿は、上から降り注いできた、眩しいばかりの光

に驚かされた。

 

 蛙は思わず身を縮めた。素早く本能がそうさせ、何かに身を隠したかったが、ここには隠れそう

な場所はどこにもない。飛び跳ね、どこかへ行こうとするよりも前に、蛙は辺りが見えるようになっ

た。

 

 突然空からやって来た光は、この場所の全てを照らし上げていた。

 

 ここはどこかの広い施設で、蛙は中庭のような場所にいた。だが蛙にとっては好きな草むらや、

池のようなものは何も無い。ただ、蛙が足で感じている平坦で、何の色もついていない地面だけ

が広がっている。

 

 その施設の中にいたのは、色々な動物達だった。蛙に話しかけてきた猿以外にも、様々な動物

達がいる。

 

 蛙にとっては身近な存在である亀もいたし、豚もいる、他の猿の姿も見かけた。今まで蛙が目

にした事も無いような動物もいる。

 

 蛙は思わず目をまたたかせ、再び猿の方を向いた。

 

 猿は、今ある状況が理解できない蛙の方に向かって来るなり言った。

 

「いいか、ここでは、愛想良くするんだぞ…」

 

 と言われたものの、蛙は困ってしまった。

 

「な、何なんだ? ここは? どうして俺はこんな所にいるんだ?」

 

 蛙は思わず狼狽して、そのように言う事しかできなかった。周りでは様々な動物達が目を覚まし

たらしく、様々な鳴き声を上げながら身を起こしている。彼らの鳴き声は異様な響きを持って、巨

大な波であるかのごとく、蛙に襲いかかってくるかのようだった。

 

 蛙は思わず顔を上げた。天を仰げば何かが見えるかと思った。だが、そのような事は無かっ

た。天を見てもそこにあるのは真っ白な光だけで、蛙には何も見えなかった。

 

 元々蛙の眼というものも、他の高度な眼の機能を持つ動物に比べたら貧弱なものだ。その貧弱

な眼で見える彼にとって見た事もないこの世界は、あまりに異様な世界に思えた。

 

 蛙は恐怖を感じ、それに耐えがたくなっている自分に気が付く。

 

「何で、俺はこんな所にいるんだ!」

 

 猿の方に向かって、蛙は大声で叫んだ。良く見れば蛙を見下ろしてきた猿は猫背で、体も随分

小柄であり、頼りなさそうな姿をしていた。

 

「ぼくに聞くなよ。ともかく、ここは“動物園”なんだ。自分よりも大きな動物には敬意を払わなきゃ

ならない。さもないと…」

 

 猿がそう言ってくるものの、蛙は先ほどからこちらをじっと見てくる目を気にしていた。

 

 その目は鋭く、確かな視線を蛙へと向けてきている。蛙は知らない動物であったが、蛙へとじっ

と目を向けて来ている生き物は、梟だった。

 

 梟の視線は、その生き物の存在さえ知らなかった蛙にとってみても恐ろしいものだった。姿が、

自分にとっては天敵となる鳥達と似ている。

 

 蛙は思わず飛び跳ね、その場から逃げようとした。今にも梟は、蛙に向かって飛びかかって来

そうだった。黙って蛙の方を向いている梟の視線は、強烈なものだった。

 

 だが、蛙が飛び跳ねようとした時、彼は誰かにぶつかった。

 

 それは猿よりも大きなものだった。蛙にとって見上げてみれば、猿などというものではない、巨

大な壁にぶつかったかのようだった。

 

 蛙の体はしたたかに冷たい床へと投げ出された。そんな蛙を見下ろしてくる、巨大な者の姿が

あった。

 

 何故こんなに巨大な生き物がいるのか、蛙には分からなかった。今までに蛙が出会った事が無

い動物である事だけは確かだった。だが、その生き物は確かに蛙の目の前に存在している。

 

 表情が無かった。顔だけで蛙の数倍の大きさがある。

 

 それは、巨大な熊だった。

 

 こんなに巨大な怪物とも言える存在を、蛙は知らなかった。彼は巨大な目で見つめられ、蛇に

睨まれたがごとく、身動きさえとる事が出来なくなった。

 

 そんな熊が立ちはだかる中、背後からひょろりとした姿の、大柄な熊に比べれば小柄な熊が現

れ、蛙に近寄って来た。

 

「新入り、ついてきてもらうぜ。話がある」

 

 ひょろりとした熊の方が蛙にそのように言って来た。まるで相手を挑発するかのような口調で、

蛙の方をじろりとした目で見てくる。

 

 このひょろりとした熊の方は、大柄な熊に比べればまだ小柄な方だったが、それでも蛙よりも遥

かに大きな体を持っていた。

 

「嫌だ。俺はついていかない」

 

 と、蛙は言うのだが、そう彼が言った途端、いきなり大柄な熊の腕によって持ち上げられ、その

顔の部分にまで顔を持っていかれた。

 

 大柄な熊は一言も話さず、表情さえも変えなかったが、それでも圧倒的な存在感を放ってい

た。

 

「さあ、どうすんだ? 断る事はできないぜ」

 

 小柄な方の熊がそのように言った。

 

「わ、分かった。ついていく…」

 

 蛙はそのように答え、大柄な熊に掴まれたまま、どこかへと連れていかれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 蛙が大柄な熊によって連れていかれたのは、真っ白な床の続く平たい場所の奥の方だった。連

れていかれる道中、蛙は数多くの動物達をその目にした。

 

 この場所には、本当に多種多様な動物達がいる。動物園と呼ぶにふさわしい。蛙が一目で見る

事が出来た動物はほんの一部分で、おそらく百は超える動物達がここにはいる。それぞれ種類

も沢山いるようだ。

 

 蛙は、自分と同じ蛙か、それに似た種類の動物を探そうとしたが、蛙はいないようだった。

 

 せめて、同族さえいれば安心する事も出来たのに。蛙は落胆しながらも、熊達によって無理矢

理に連れられていってしまった。

 

 熊達に連れられた蛙が辿り着いたのは、動物達の体が作り出す壁によって形成された、広間

のような場所だった。

 

 その更に奥の位置には、一匹の動物がいた。その前には一列に多種多様な動物が5匹ほど並

ばされていた。

 

 蛙は熊によって、その一列の中へと放り込まれてしまった。

 

「まだ、こんなチビがいやがったか…」

 

 異様に甲高い声が響き渡った。蛙の目の前に、またしても大きな動物が姿を見せる。その姿は

大柄な熊ほどの大きさではないが、やはり蛙よりも遥かに大きい。

 

 その動物は猿で、大猿とも言える体格を持っていた。目が寄っていて、その両目がしかと蛙を

射抜いてきている。

 

 蛙へと嫌悪とも言えるような目を向けた大猿は、一列に並ばされた動物達の方を一瞥し、何や

ら偉そうな態度で話し始めた。

 

「俺はボビー。この“動物園”は俺が仕切っている。これが第一だ。何が起こっても、これだけは

覚えておけ」

 

 そう言うなり、ボビーと名乗った大猿は皆の中心の位置に座り込んだ。

 

 脚を投げ出し、一列に並ばされた者達を上から目線で見つめた。

 

「見ての通り、この“動物園”は特殊な所だ。何しろここには、百以上の動物共がいやがる。だ

が、そんな連中共を、差別なく管理しているのは、この俺だ。

 

 ベア達に何かされたか? 何かされたんなら、遠慮なくこの俺に言え」

 

 ベアと呼ばれた大熊達は並ばされた者達のすぐ後ろから、圧倒的な威圧感を持って見下ろして

きていた。このような立場で何が言える。蛙達は押し黙るしかなかった。

 

 そんな者達を見て、ボビーと名乗った猿はさらに言葉を続けた。彼の口調は非常に悠々として

いて、明らかにこの場で絶対的優位である自分に、まるで酔いしれているかのようでもある。

 

「“動物園”では何よりも、秩序を大切とする。いいか? 秩序だ。これはどんな世界で何よりも尊

重される事だ。分かるな? 秩序が乱れた社会は、社会では無くなる。ただのゴミ共の掃溜めに

しかならない腐った社会になる。

 

 俺がこの“動物園”を成り立たせている事ができるのも、秩序を維持しているからだ。分かる

か? ええ?」

 

 ボビーが言っている事はまっとうな事だと蛙も思ったが、その口調と言ったら独裁者そのもの

で、皆、彼の前に無理矢理言い聞かされているも同然だった。

 

「は…、はい…」

 

 そう答えたのは、蛙のすぐ横で小さく縮こまっている、小さな鼠だった。鼠は蛙ほどの大きさしか

なかった。

 

「何だ? 聞こえないぞ?」

 

 ボビーという猿は近づいてきて、鼠にその顔を覗かせた。

 

「あなた様の言う通りです!」

 

 鼠はその甲高い声を発して言った。だがボビーはその鼠をひっつかんで持ち上げると、その鼠

の顔を、蛙の方へと向けてきた。

 

「いいや分かっちゃいねえ、秩序って言うのはそういうものじゃねえんだ。見ろ。あいつを見ろ。ど

う思う?」

 

 鼠はただされるがままになり、じっと蛙の方を見てきた。

 

「ど、どうも思いません!」

 

 再び鼠は甲高い声を発した。しかしボビーは鼠を鷲掴みにしたままだ。

 

「うまそうに見えるか? 見ろ、蛙だ。好物だろう? 食べたい。そう思うか? どうなんだ?」

 

 そう言われてしまうと、鼠は縮み上がる事しかできなかったようだ。

 

「はい、食べたいです!美味しそうです!」

 

 鼠はそう言って甲高い声を上げた。蛙は黙って鼠とボビーを見ている事しかできなかったが、心

底怯えていた。何しろ、鼠は蛙にとって天敵の一つで、身近にいる最大の天敵でもあったから

だ。

 

 鼠は蛙よりも遥かにすばしっこく、そして獰猛だ。犬や猫は蛙など目もくれない事もあるが、鼠

は違う。蛙の事を良く知っていて、蛙を好む。だからこの隣にいた鼠に、蛙が捕食される事はとて

も自然な事だ。

 

 ボビーという猿は話を続けた。

 

「だがな、この“動物園”じゃあそれはいけねえ事なんだ。しちゃあならねえ事だ。これが、秩序そ

の1だ。忘れるな。続いて秩序その2。もし、この“動物園”の中で共食いをする奴が現れたら、そ

いつの処理はベア達にしてもらう。

 

 ベア達は何でも喰う。鼠や蛙なんてのは腹の足しにもならねえ。猿だって喰うし、犬や猫も好物

だ。それを覚えておけ」

 

 そうボビーは言い放った。蛙や鼠達は背後を振り向いた。そこには巨大な体躯の熊達がいる。

彼らは、この社会の支配者なのだろうか。

 

「そして秩序その3。これが絶対だ。お前達は、俺も含めてだが、この“動物園”の住人だ。ここか

ら外に出る事は出来ない。外の世界と交わるのも厳禁だ。柵を越えるな。それが絶対だ。柵を越

えたら、どんな奴でも秩序その2を思い出させる。いいな?

 

 まあ、柵を越えたらそれだけで、誰もその先に行く事はできないようになっているがな」

 

 最後のそのボビーの言葉は、まるで自分自身に対して言い聞かせているかのような声だった。

 

-2ページ-

 

 “動物園”には多種多様な動物達がいたが、あくまでここは閉鎖された世界だった。四方を柵が

取り囲んでいて、そこに床だけがあると言う世界だ。

 

 動物達はそこで生活をしている。その数は百ほどであり、ほとんどの動物達が一個体しかいな

かった。中には同族同士の動物もいるらしく、彼らは彼らでコミュニティを形成していた。

 

 しかし蛙にとっては、同族と言える動物もいなかった。しかも辺りを見回してみれば、住んでいる

のは犬や猫、猿、熊、亀などで、蛙は、いつこの場で彼らに捕食されるか分かった者ではなかっ

た。

 

 ボビーと言うこの動物園の支配者が、秩序を敷いていなければ、蛙はすでに捕食されていただ

ろう。

 

「食べ物は…、どこだ…?」

 

 蛙はあまりの空腹に耐えかね、手近にいた動物に話しかけた。その動物とは亀だった。亀は蛙

の数倍の大きさの体を動かしながら、のしのしと歩いており、蛙が話しかけてくると、ゆっくりとこ

ちらを向いてきた。

 

「何? 食べ物だと?」

 

 亀はその巨大な顔を蛙へと向け、口を開いてきた。亀の顔の威圧感はまるで岩のようだった。

蛙を呑みこまんとするほどの巨大な口が動き、彼は喋る。

 

「食べ物は、どこにあるんだ…?」

 

 蛙は空腹だった。そう言えばずっと何も食べていない。何日食べ物を口にしていないか分かっ

たものではない。体もだんだんと乾いてきている。いつもは水辺でたっぷりと水を飲み、その体に

みずみずしい水分を補給しているというのに。

 

 そして、水辺には蛙にとっては大好きな食べ物である昆虫もいるというのに。ここには昆虫もい

ないのだろか。

 

 むしろ蛙はこの世界では、捕食される立場だった。蛙が昆虫を好物としているように、蛙を好物

としている生物がここには沢山いる。

 

 だが、あのボビーは蛙でも何でも、この動物園の中にいる動物たちの間で捕食する事は秩序

に反し、罰を与えると言っていた。では、彼らは一体、何を食べていると言うのだ。

 

「食べ物は、あそこだ」

 

 亀は大きな口を動かしてそのように言って来た。彼は顔を上げ、上空を見上げる。

 

 そこに何があると言うのだろう。蛙も同じようにして顔を上げた。そこには大きな白い光がある。

白い光が上空から降り注いできているだけだ。

 

 と、上空から何かが降り注いで来た。それは蛙の体にも勝るとも劣らないほど巨大な、果物や

ら野菜だった。

 

 それは蛙にとっては願ってもいない事だった。これは天からの恵みだ。そう思い、蛙は天から降

り注いで来た果物の一つに飛び乗った。果物はあまりにも大きすぎたが、少しずつ舌で舐めとる

ように食べていけば、十分に食べる事ができるだろう。

 

 だが、蛙がその果物を一舐めするよりも前に、果物の上から蛙は振り落とされた。蛙のすぐそ

ばにいた亀が、果物を食べ始めたのだ。

 

 蛙などよりも遥かに大きな口で、亀は果物をむしゃりと食べ始める。

 

「早い者勝ちだ」

 

 亀は大きな口をゆっくりと咀嚼させながら蛙に向かってそう言ってくる。その顔は全くの無表情

だったが、蛙にはどうする事も出来なかった。

 

「お、俺にも少しくれ…」

 

 蛙は亀の無表情な顔に向かって頼み込む。しかし亀は何も答えないまま、目の前の果物を全

て食べきってしまった。

 

 口を大きく動かし、まるで蛙に対して見せつけるかのごとく、亀は蛙の目の前で全ての果物を食

べきってしまう。

 

 亀は何も答えなかった。ただその岩のような視線だけはじっと蛙へと向けている。

 

 蛙はどうする事も出来ず、今度は別の果物に飛び乗ろうとした。

 

 だがその果物に飛び移った瞬間、彼は果物ごと体を持ち上げられてしまった。その果物を片手

で鷲掴みにしているのは熊だった。

 

 それも、あのボビーの元に自分を連れていった、あの巨大な熊だった。この動物園の中にいる

動物たちの中で、おそらく最も巨大な体格を持っているあの熊が、蛙が飛び乗った果物をそのま

ま持ちあげている。

 

 蛙は果物の上から振り落とされた。彼の体は地面へと転がり、目の前には無言のまま立ち、自

分を見下ろしながら果物をかみ砕く熊の姿があった。

 

 熊は圧倒的な視線で蛙を見下ろしながら、あっという間に果物を平らげると、蛙の目の前へと

その食べた果物の残骸を落とした。

 

 身の部分が大きく露出した食べ物から汁が流れて来ている。美味しそうな匂いが漂う。蛙はそ

の果物に飛び付きたい衝動にかられた。

 

 だが、蛙の周囲に落ちてきた食べ物達は、その場に集まって来た動物達によって次々と奪わ

れていった。

 

 様々な姿をした動物達が、次々と果物を食べていってしまう。それはまるで嵐のような出来事だ

った。嵐のように動物達がやって来て、次々と蛙の周りの食べ物を食べていってしまう。

 

 蛙にとってはどうする事もできなかった。自分よりも遥かに体格の大きな動物達が群れ、あっと

いう間に全ての食べ物を食べて行ってしまう。彼らは野生の動物の本能に従うかのように次々と

目の前のものを食べ上げていってしまった。

 

 蛙は、ただ光降る虚空を見上げて、まだ果物が落ちて来ないかと思う事しかできないでいた。

だが、それ以上果物が落ちてくるような事は無く、蛙はただ茫然とした目を上へと上げている事し

かできないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 動物園で起こる出来事は、不思議なくらいに規則正しかった。夜になると、途端に照明が落とさ

れ、全ての動物達が眠りについた。そして朝になると、突然光が天井から降り注ぎ、動物達はの

っそりとその体を起こしていた。

 

 どうやら、果物が空から降ってくる時間も同じであるようだった。何故、果物や野菜が空から落

ちてくるのか分からない。

 

 何者かが天から動物達のために動物を落としているのだろうか。だったら、何故、自分の為に

食べ物を落としてくれないのか、蛙には分からなかった。

 

 蛙はのろのろと身を起こし、ただ食べ物に群がっている動物達を見ている事しかできなかった。

あの中に飛び込んでいこうものならば、他の動物達の巨体に押し潰されてしまうかもしれない。

 

 もしかしたら、果物と間違えられて、彼らの口の中に入る事にもなりかねない。蛙にはどうする

事も出来なかった。

 

 だが彼は食べ物に群がる動物達の周りで、必死に懇願している一匹の動物を見た。

 

「その食べ物を分けてくれ。ぼくも、3日も何も食べていないんだ。少しでいいから」

 

 それは、この動物園にやって来た時、初めて蛙が出会った、あの小柄な猿だった。猿も、鼠とま

ではいかないまでも小柄な体をしており、この大柄な動物達ばかりの動物園の中では、蛙と同じ

ように肩身が狭そうだった。

 

「少しでいいから分けてくれ!」

 

 そのように猿が嘆願しているのは、昨日、蛙が出会ったあの大柄な亀だった。亀はのっそりとし

た姿で、大きなリンゴをかじっており、彼は次の瞬間、ほとんどの部分が食べ尽くされたリンゴの

食べ残しを猿の方に向かって投げた。

 

 そのリンゴを食べると言う事は、大きな恥だ。だが、猿は恥など何も知らないかのようにそのリ

ンゴの食べ残しに被りつき、一心不乱に食べ始めた。猿が3日も何も食べていないというのはど

うやら本当であるようだった。

 

 蛙も、急いでその猿の元へと近づいた。そして、まるで猿がやったのと同じであるかのように、

蛙も猿に向かって必死に嘆願する。

 

「それを俺にも分けてくれ」

 

 亀と、猿の食べ残しのリンゴだ。破片程度しか残されていないだろう。だが、蛙にとってはそれ

でも十分だった。

 

 だが、猿が渡したリンゴはほとんどの部分が食べ尽くされており、芯の部分しか残されていない

も同然だった。

 

 蛙は理解した。自分はこの動物園の最下層民になってしまったのだという事を。リンゴの食べ

残しは何も言わないまま、その意味だけを物語っている。

 

-3ページ-

 

 動物園は秩序ある世界だとあのボビーは言った。だがそれは食物連鎖の純粋な掟にも反する

ものであったし、ここでは、食物連鎖の下位にいる者が上位の者に捕食されるという恐れが無か

っただけで、力の有る無しによる決定的な差別が存在していた。

 

 それは自然界でも十分に起こりうる出来事だったが、蛙がいるこの世界は自然界とは違った。

冷たく白い床で覆われ、周囲を金属の柵で覆われているという空間で、唯一の有機物と言ったら

動物たちと、彼らの残す食べ残しだけであり、それらでさえ、時間がたてば、柵の外へと放逐され

るだけのものだった。

 

「このままじゃ、ぼくらは死んじまう!」

 

 蛙がこの世界に来て2日ほど経った時、小柄な猿はそのように言葉を発していた。

 

 蛙も猿も、ほとんど食べ物を口にしておらず、空腹が全ての感情を支配しようとしていた。今ま

で感じた事が無いほどの空腹感を蛙は感じている。それは逃れようのないものだった。逃れる事

が出来なければ、猿の言うように蛙も餓死してしまうだろう。

 

 あの大柄な動物達が残していく果物の食べ残し程度では、とても蛙や猿の空腹を満たす事は

出来なかったのだ。

 

 だが、蛙はずっと疑問を持っている事があった。彼は動物園の外周を覆っている金属の柵に乗

り、そのまま外を見つめていた。外の世界はぼうっとぼやけている。幾つかの何か大きな物体が

あるかのように見えたが、蛙の視覚では、はっきりとその物体を見る事が出来なかった。

 

 蛙はその動物園の外の世界を指示し、猿に尋ねた。

 

「この外の世界には、何があるんだ?」

 

 と猿に向かって蛙は尋ねた。すると猿は突然、顔を青ざめさせた。

 

「外の世界は考えちゃあだめだ。外の世界に行こうなんて考えるな」

 

 猿はまるで恐ろしい物でも言うかのように、蛙にそのように言って来た。

 

 外の世界とは、動物園という中の世界に絶望している蛙達にとってみれば、唯一の希望と言え

る。

 

 猿は蛙よりももっと前から動物園にいるようなのに、外の世界には全く希望を持っていないのだ

ろうか。

 

「外の世界に交わっちゃあいけないと、あのボビーは言っていた。だけれども俺は、外の世界にこ

そ、この動物園から逃げられる、唯一の希望があると思う」

 

 と、蛙はまだ希望があるという顔をして見せ、猿に向かって言った。

 

「いいや、駄目なんだ。外の世界には、ぼくも行こうとした。でも、駄目なんだ…」

 

 猿がそのように言いかけた時だった。

 

「外の世界には精霊がいる。あの精霊の前ではお前達、チビな動物なんて、あっという間に取っ

て食われちまうぜ」

 

 猿の背後には、彼の体など非常に小柄に見えてしまう、山のような体躯を持った大熊と、ひょろ

りと背の高い熊がいた。確か、あのボビーにはベアとかと呼ばれていた。

 

 蛙の方に蔑みの眼差しを向け、そのように言って来たのは、ひょろりと背の高い方のベアだっ

た。山のような体躯のベアの方は腕組をしたまま、何とも言えないような表情のまま蛙の方を向

いている。

 

 ひょろりと背の高い方のベアは、山のような体躯のベアの腰巾着のような存在にも見えたが、

それでも蛙や猿に比べれば格段に背が高く体も大きい。ベアは動物園の外周を取り囲む柵に飛

び乗っていた蛙の体を鷲掴みにし、また白い床の方へと投げ出した。

 

 蛙はどうすることもできないまま床の上に投げ出されるだけだった。

 

「おれ達の言う事は絶対だぜ。ボビーに言われた言葉を忘れたか? 秩序って奴だぜ。それを忘

れているような奴には、しっかりと目をつけておかねえとな!」

 

 とベアが言い、彼は蛙へと威圧的な視線を送るなり、蛙と、柵の間に立ち塞がった。それは巨

大な壁であり、蛙の方へとのしかかって来ようとしている。

 

 ベアは蛙の体をひっつかむと、そのまま、動物園の柵から離し、ある場所までやってくると手放

した。蛙は地面に飛び降りて、そのまま柵に戻る事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 だが蛙には考えがあった。この動物園には不思議な事がある。

 

 動物園には昼間に眠り、夜に起き出すような動物も多くいる。例えばフクロウなどがその代表だ

ったが、この動物園では、そんなフクロウでさえ夜に天から注ぐ照明が落とされれば眠りについて

いるようだ。

 

 夜の動物園は真っ暗闇に包まれており、そこにはただ動物達の寝息だけが響き渡っていると

言う、異様な姿をしている。

 

 外界からの使者は全くなく、動物園は柵で張り巡らされた、閉ざされた世界でしか無い空間だ。

 

 その空間においては動物しかいない。それ以上は何もおらず、何故かいつも決まった時間に天

から照明が降り注ぎ、そして食べ物も上から落ちてくる。

 

 それは延々と繰り返される、まるでこの世界の理であるかのようだった。

 

 だが蛙はそのこの世界の理を逆に利用しようと考えていた。

 

 蛙は、夜、照明が落ちた後、こっそりと起きだして、動物園の柵を乗り越えようとした。多くの動

物達が、円を描くような位置で平地に眠っているようだから、蛙は彼らの巨体の上を起こさないよ

うにして動物園の外周に出なければならなかった。

 

 この動物園での掟は、動物園の外に出てはならない事。何故かその掟は動物達の間で絶対的

なものであるらしく、動物達は外の世界に恐怖さえ感じているかのようだった。

 

 動物園の柵は、蛙の大きさであっても、蛙の特性を生かせば乗り越えられないものではなかっ

た。蛙は持ち前の跳躍力を生かし、その柵を素早く飛び越えていった。

 

 柵を乗り越えてしまうと、そこには深い深淵が広がっていた。だが、この動物園の外の世界は

完全な闇では無い。所々にぼうっと光る白い光がある。それは蛙にとってずっと遠くの場所に見

えていたが、まずはその白い光を頼りにしながら脱出しなければならないようだった。

 

 この柵を越える。それは、あのボビーとかいう大猿が禁じている行為だ。それを破ろうものなら

ば、あのベア達の何の足しにもならないような小さな食事と成り果てるだけ。

 

 だが蛙はこの動物園の最下層民という立場から脱出したかった。最下層民となり、動物園の中

で朽ち果てていくくらいであったら、この場所から脱出してしまいたい。例えあのベア達に捕まると

言うリスクを背負ってでも、逃げ出したかった。

 

 蛙は一気に跳躍した。自分の体が、高所から飛び降りても平気な構造をしていて助かった。動

物園は言わば、切り立った崖の上の部分を柵で囲っているような構造をしていて、動物達はそこ

に押し込められるようにいたのだ。

 

 蛙が飛び降りた高さはかなりあった。多分、身軽で無い動物が飛び降りようならば、地面に叩き

つけられ、ただでは済まないだろう。

 

 だが、蛙は平気だった。小さく、小柄な自分が最も得意な事は、その跳躍力だ。その気になれ

ば、あの山のような体格のベアの頭上に飛び乗る事さえできるし、その高さから落ちても大丈夫

なのだ。

 

 蛙は、あの動物園の外側の世界には、自分の好きなじめじめとした水場があると期待してい

た。そこには植物が茂り、池があり、そこまで新鮮な水が無いにしろ、せめて沼地のような場所で

もあればと思っていた。

 

 だがそうではない。蛙が降り立った地面も、あの動物園と同じように、冷たく、土も何も無い硬い

場所だった。

 

 蛙の大好きな水も全くなく、乾いた冷たい場所だった。これではあの動物園と何も変わらない。

蛙は地面に降り立っただけで落胆してしまいそうだったが、もしかしたらこの先には何かがあるか

もしれない、そう思い、蛙は歩を進めた。

 

 白い光を頼りにした。蛙の目の前に広がっている動物園の外の世界は、何やら等間隔で白い

光が並んでいる場所で、きちんと区画ごとに道が分けられている世界だった。匂いはほとんどし

ない。植物の香りも水の香りもしない。

 

 ただ光だけが並んでいる。あの空から降り注いで来る白い光は今は止んでいるが、等間隔に

並んでいるその光も、蛙にとってはあの白い光に似ているようにも思えた。

 

 蛙はかなり動物園から遠ざかった。しかし、それでも冷たい地面は変わらないままだった。どこ

まで行っても水の一滴も、草木の一つさえもなかった。ただただ、ずっと同じような床が広がって、

白い光があるだけだった。

 

 もう動物園に戻る事は出来ない。そもそも戻り方さえ分からなくなってしまっていた。だが、蛙は

とにかく先に進もうとした。

 

 いくら進んでも水場も何も無い。暗い場所をただ蛙は進んでいくだけだ。彼は自分が迷宮のよう

な場所に迷い込んでしまったのではないかと、恐れさえも抱くようになっていた。

 

 動物園の外に出てはならないとボビーが忠告したのは、そこには何も無いからなのではないか

と、蛙は思い始めていた。

 

 だったら、自分は一体どこからやって来たというのだ。自分の記憶の中には、水場も、植物も、

他の仲間達も覚えている。なのに、それが動物園の外の世界にはどこにも見当たらないのだ。

 

 蛙は動物園を出たことで、逆に更に袋小路に追い込まれている事を悟るのだった。

 

 動物園を外に出たことで、蛙はボビーに制裁を加えられるわけではない。勝手に外の世界で飢

え死にするだけの運命となっていたのだ。

 

 蛙がその脚を疲れさせ、もはや動けなくなってくるほどにまでなって来た時、突然、彼は床に等

間隔である白い光とは別物の、ぼうっとした光が自分の前をよぎったのを知った。

 

 蛙はその光にはっとした。一体、何がよぎったのか。暗い空間の中を、その白い光はすうっと通

過していった。

 

 そして、何かささやき声が聞こえてくる。その囁き声は、何を言っているのか分からないようなも

のだったが、蛙はその後を追いかける事にした。

 

 もしかしたら、そのぼうっとした白い光が自分を救ってくれるかもしれない。そう思って蛙は後を

付けた。

 

 だんだん、囁き声がはっきりとしたものとして聞こえてくる。

 

「迷子の迷子の蛙さん…、あなたはどこからいらしたの?」

 

 そのように聞こえてくる囁き声があった。囁き声はどこか物静かでありながらも、この暗い空間

の中では蛙に対して圧倒的な迫力で迫って来ていた。それこそ、蛙の体を縮み上がらせるのに

十分だった。

 

 蛙は、そのぼうっとし白い光から思わず後ずさり、逆の方向へと脚を動かした。

 

 蛙の脚はその気になれば、自分の体を身長の何倍もの高さまで持っていく事ができる。横に跳

ぼうとすれば、その速さもかなり速い。

 

 しかしながら、暗い空間に浮かぶ、ぼうっとした白い光はどんどん蛙の方へと近づいてきていた

のだ。その速さは、蛙の速さよりも早かった。

 

 白い光だけが等間隔に並んでいる空間を、蛙は必死になって脚を前へと進ませていくのだが、

それでも白い光は、蛙へと確実に接近してきた。

 

 白い光はとても軽やかな動きを見せ、蛙の目の前へと回りこんでくる。蛙はどうすることもできな

いまま、その場に立ちつくした。

 

「どうして逃げてしまわれるの? せっかく来られたのです。あなたも一緒に遊びましょう?」

 

 と言ってくる白い光があった。そして、蛙は白い光の正体にやっと気が付いた。

 

 ぼうっと光る白い光は人だった。それは蛙よりもずっと大きな存在で、その人は、蛙に向かって

真っ白な腕を伸ばしてきた。

 

 これが、人という存在なのかと、蛙は初めて思い知らされた。毛むくじゃらの体毛に覆われてい

る熊や、いつも相手を挑発するような顔をしている猿とも違う。

 

 目の前にいる白い人は、真っ白な服に身を包み、髪も足下にまで垂れるほど長かった。あまり

にも長く、それは蛙の足元にも伸びているほどだった。

 

「さあ、ほら?」

 

 白い人は手を蛙の方へと伸ばしてきたが、蛙はどうしようもなかった。目の前に突然現れた存

在に、蛙は圧倒されっぱなしで、自分がどこへと向かおうとしているのかという事さえ忘れてしま

いそうだった。

 

 やがて蛙は、その人によって体を掴みあげられた。そして手の平で覆われた。

 

 蛙は、そのまま押し潰されてしまうのかとも思う恐怖に襲われた。だが、そのような事は無かっ

た。蛙の目の前に現れた、白い人は、蛙の体を手の間で優しく包み込んで、どこかへ運んでしま

おうとしているらしい。

 

 掌で包まれているのに、蛙は白い光を感じていた。蛙は、その白い光はだんだんと蛙の視界の

全てを覆い隠すようになっていき、やがて蛙は自分がどこにいるのかという事さえ忘れてしまっ

た。

 

 ただ、白い光に包まれ、そこでは奇妙な居心地の良さを感じていた。白い光は、蛙がかつてい

た、水場であるかのように彼にとって優しい存在であり、蛙はその気持ちの良さに酔いしれた。

 

 しかしながら蛙が次に目を覚ました時、彼は何時の間にか、なじみ深くなってきてしまっていた

世界に舞い戻っていた。

 

「おい、大丈夫か? もう朝だぞ?」

 

 と言ってくるのは、蛙も良く知っている、小柄な猿だった。

 

 蛙ははっと体を起こし、周囲を見回してみる。床は冷たく真っ白な床のままで、周りではのろの

ろと動物達が身を起こしていた。

 

 動物園から柵を登り、外へと脱出したはずの蛙は、またしてもその世界へと引き戻されてしまっ

ていたのだ。

 

-4ページ-

 

 動物園には蛙達以外にも、また新しい動物がやって来ていた。どこから新しい動物がやってくる

のか、蛙はしかと見ていたが、それはどうやら空から降り注ぐ白い光の中から落とされてきている

らしい。

 

 白い光の先にあるものが何であるかは蛙にも分からなかったから、新しい動物園の新入り達が

どこからやって来ているのかは、蛙にも分からないという事だった。

 

 今回、上空から降って来た動物達は、小柄な者達ばかりだった。鼠や、小鳥などがそこにい

た。彼らも蛙が初めてここにやって来た時と同じように、まず、辺りの状況を理解する事が出来

ず、ただおどおどと怯えながら、周囲に目線を回す事しかできなかった。

 

 やがて彼らは、そこに自分よりも遥かに大きな体躯の動物達がいる事を知る。ここには、大き

な熊もいるし、岩のような姿をした亀もいる。彼らの存在に、新入り達は怯える。

 

 何しろ、あのボビーから秩序の掟を聞かされていない彼らにとっては、周りにいる動物達の、餌

となるために放り込まれたのかと思いこんでしまうからだ。

 

 彼ら新入りの前に、大きな熊が2体現れる。それはベア達だ。大きな方のベアがその圧倒的な

巨体を見せつけ、ひょろりと背の高い方のベアが言い放つ。

 

「来い、新入りども。話がある」

 

 そのように言われ、小柄な新入り達はベア達によって鷲掴みにされ、ボビーの元へと連れて行

かれるのだった。

 

 どうやら、新入り達に対してのボビーの話は、新入りが来る度に行われているらしい。あれはた

だ、新入り達に恐怖を植え付けるだけのものでしかない。ボビー達にとって都合の良い掟を叩き

込むだけだ。

 

「これで、お前ももう新入りじゃあないな」

 

 と、憐みの眼で新入り達を見つめていた蛙の背後から猿が言って来た。

 

 だが蛙は背後の猿の方を向いて言った。

 

「おれはここに長くいるつもりは無い。すぐに脱出するんだ」

 

 蛙のその言葉を聞いて、猿は思わず目を丸くしていた。

 

「おいおいおい、あまり大きな声で言うなよ、それを。それに、脱出するなんて無理だ。初めてここ

に来た時に、ボビーに言われただろう」

 

 声を潜めて猿はそのように言って来たが、蛙は構わず言葉を続けた。

 

「いいや、おれはここを脱出する。そうでもしなきゃあ、一生、奴隷みたいなもので終わっちまう。

お前も来るか?」

 

 蛙が顔を上げて猿にそのように尋ねるが、猿はまるで何かに怯えるかのように言った。

 

「や、やめてくれ、そんな話。ボビーやベア達に聞かれたらどうなると思う? それに、この動物園

には沢山の密告屋がいるんだ。お前見たいな奴の噂を聞いて、それをボビー達に報告する。代

わりに上手い食べ物を貰える。そこら中に密告屋がいるんだ」

 

 そのように猿が言って来たので、蛙は辺りを見回してみた。ちょうど今は、動物達も身を起こし

たばかりで、蛙と猿の側では、甲羅の中からゆっくりと体を出してくる亀しかいなかった。

 

 亀は何とも取れないような顔で蛙達を見てきたが、すぐに向き直り、のっそりとした動きでどこか

を目指していってしまった。

 

「おれは昨日、柵の外に出た」

 

 蛙は誰にも聞かれていない事を確認しながら、猿にそのように告白した。すると猿は腰を抜かし

てしまったようだった。

 

「な、何だって。そんな事をしてしまったのか、君は!」

 

 猿のあまりの慌てぶりが周りの注意を引かないかと、蛙は思わず警戒したが、どうやらそのよう

な心配はなさそうだった。

 

「おれに行けない所は無い。体は小さいが、おれは蛙なんだ。柵の先には崖が広がっていたけれ

ども、おれは行ける所まで行った」

 

 と、蛙は得意げに話したが。

 

「もし、ボビーやベア達に知られたら、ただじゃあ済まないぜ。それに、外に出たって言うのは本

当なのか? よくここに戻って来れたな…」

 

 猿は再び声を潜めて蛙にそのように言って来た。

 

「ああ、ある所までは行けた。でも、変なのに出会ったんだ。聞いて驚くなよ、人間だ。人間がいた

んだ」

 

 蛙は、恐ろしいものでも見てきたかのように声を潜めてそう言ったのだが、猿は再び縮み上が

った顔を見せた。

 

「そ、それは…、人間じゃあない。人間なんてものじゃあない。見てしまったのか? 君も? やっ

ぱり外の世界にいたのか…」

 

 猿は恐る恐るそのような声を出す。蛙は彼の顔に思わず身を乗り出して尋ねた。

 

「人間じゃあないって言うんなら、一体、何だって言うんだ? おれははっきりと人間の姿を見たん

だぞ。白い人間だ。何だかよく分からないが、確かに外には白い人間がいたんだ」

 

 見てきた、ありのままの事を話す蛙。しかし、

 

「それは、人間じゃあない。精霊だ。外の世界にいる精霊なんだよ。お前が見てきたものは」

 

 猿は蛙の言葉を遮るかのようにしてそう言って来た。

 

「精霊? それって何だ?」

 

 そう言えばどこかでそんな言葉を聞いたかもしれない。そう思い、蛙は猿に尋ねた。すると猿は

声をひそめながら言葉を続けた。

 

「分からない。だが、ボビーが、外の世界に出る事を禁じているのは、その精霊がいるからなん

だ。精霊の前じゃあ、僕ら動物は何もできない。それに精霊は、僕らを食べるんだ。時々、この動

物園にもやってくると言われている」

 

 食べる。その言葉が蛙の心の中に残った。他の動物を食べると言う事を、動物園の中ではボビ

ー達によって禁じられているらしかったが、どうやら蛙が出会った精霊という存在は、動物園の外

にいるらしい。

 

 蛙は、この動物園の外にいる時、いかに多くの天敵がいるかという事を思い出していた。一歩

動物園から外に出てしまえば、そこは蛙にとっても天国のような場所であるかもしれないが、同時

に別の生き物たちにとっても、捕食できる生物がいるという意味では、天国なのだ。

 

 もしかしたら自分もあの精霊に食べられていたかもしれない。蛙はそのように思った。どのよう

にして動物園に戻って来たのかは蛙にとっても分からない事であったが、蛙は精霊に出会ってし

まったのだ。

 

「俺は、多分、その精霊に出会った」

 

 蛙はただ、淡々とそのように言う事しかできなかった。何故自分が平気でいられたのか、それも

さっぱりと分からないままに。

 

「よく無事でいられたな。もう外に出ない事だ。精霊に食べられなかったのはまだ良い方だ。ボビ

ー達にバレたら大変な事になる…」

 

 猿はそのように言いながら、肩身を狭くして動物達の中に紛れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ここ数日で、蛙も大分、動物園でのやり方を覚えて来てしまった。結局、動物園の中で彼はちっ

ぽけな存在でしか無かったし、食べ物も、大きな動物達の食べ残しにありつく事しかできなかった

が、少なくとも彼は生きている。

 

 この動物園の外も危険な世界である以上、蛙は檻の中で過ごす事しかできなかった。

 

 だが哀れなのは新入りの者達で、その新入りも大型の動物ならまだ良い物の、鼠などは哀れ

なものであった。

 

 大型の動物の食べ残しにしかありつくことができない、小さな鼠、それも自分と同じくらいの体格

の鼠に、蛙は自分の食べ残しを与えたりもした。

 

「すまない、ありがとう。恩に切るよ」

 

 新入りの鼠はそのように言って、鼠からリンゴのかけらを受け取ると、一心不乱にそれにかじり

ついていた。

 

 鼠が空腹になるのであれば、目の前にいる蛙にかじりつけばいいだけだ。少なくとも動物園の

外の世界ならば、鼠は本能に従うがままに、蛙に飛びかかってくるだろう。彼がそうしなかったの

は、ボビー達の掟を守っているからなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 再び夜がやって来た。新入りが幾ら入って来ようと、蛙達を取り巻く動物園の環境は、不思議な

ほどに規則的だった。

 

 しかも蛙は奇妙な事に気が付いていた。動物園には幾ら新入りが入って来ようと、動物達の数

がほとんど変わっていないのだ。そして、そこにいる動物達の面々も大体割合が統一されてい

る。

 

 この奇妙なまでに統率の取れている動物園内の環境に、蛙は奇妙さを通り越して、不気味ささ

えも感じている。

 

 やはり、この環境の中にいては、他の生物に捕食されると言う危険性を持ってしても、蛙は自

分の精神が壊れてしまうかもしれないという恐怖を感じだしていた。

 

 元々、自由に生きる存在であった蛙は、この動物園と言う管理された空間には、不適合なの

だ。

 

 前に脱出しようとした時は、白い精霊と出会ってしまったから、この動物園の中へと連れ戻され

てしまった。

 

 今度は出会わないようにしよう。出会っても、すぐに逃げるようにしよう。蛙はそう思って、再び

夜に柵を乗り越える事に決めた。

 

 柵の外には何が待ち構えているのだろう。前回、この柵を乗り越えた時には、蛙は精霊以外の

誰とも出会わなかった。そこは無機質な空間だけが広がっていると言う世界で、それ以上何も無

い世界だった。

 

 もしかしたら、精霊以上の何か、恐ろしい存在が蛙の前に待ち構えているかもしれない。それに

対して恐怖さえも思い起こしそうになった蛙だったが、彼は意を決して柵から飛び降りた。

 

 相変わらず冷たい地面だった。そこは、動物園にある床と何も変わらない。だが、この奇妙な

世界を乗り越えていった先に、きっと蛙の好きな水場がある。そこには、甘い水があり、そして蛙

の大好きな、昆虫が飛び交っているような世界があるのだ。

 

 白い、等間隔でぼんやりと光っている光が見える。動物園にいる者達が言う精霊の光も、確か

そのぼんやりと光る光とそっくりな姿をしていた。

 

 精霊は光のどこかに隠れているのかもしれない。そして、自分を狙ってきているのかもしれな

い。蛙はそのように思った。

 

 前回、柵を乗り越えた時とは違って、蛙は警戒心も露わにゆっくりと外の世界を進んでいった。

 

 白い光は等間隔で広々とした通路に並んでいる。この光は何者によって作られたのか、そして

何の為にあるのだろう。蛙は思いながら、あまりにも無防備な自分を感じていた。

 

 前後左右、どこから何かが襲って来たとしても、蛙は無防備だった。

 

 しかしその時、蛙は再び白い光が自分の前方をよぎったのを見た。自分が進んでいくべき方向

だった。暗い世界に、白い光が素早く動いている。

 

「誰だ?」

 

 蛙は思わずそう言う事しかできなかった。

 

 だが、何者かの方は何も答えず、蛙の前方の白い光の中にいた。多分、この前出会ったのと

同じ存在だろう。蛙はそう思いながら、なるべくその精霊に気を取られないように、ゆっくりとその

場を通り過ぎる事にした。

 

 白い光のぼうっとした輝きの中から、その精霊は確かに自分を見て来ている。

 

 蛙はじりじりと脚を進めながら、その場から先に進もうとした。白い光の中には、確かに自分が

前に出会った存在が見て取れた。前に会った時、蛙はそれが人間だと判断してしまったが、動物

園にいる動物達からしてみれば、それは精霊だと言う。

 

 精霊は、じっと自分の方を見て来ている。眼が金色をしており、白い髪の中から輝いている姿を

していた。

 

 だが、精霊と言うのは通り名であって、そこにいる存在は、蛙も知っている人間なのではない

か、と改めて疑いたくなった。本当にこの存在が動物園の動物達を食べに来るのか、蛙には分

からなかった。

 

 この場で戸惑っているわけにはいかない。ボビー達は動物園の中でいなくなってしまった自分

の存在に気づき、追ってくるかもしれない。そのように判断した蛙は、素早くその場から移動しよ

うとした。

 

 だが、精霊の方も素早かった。精霊は、蛙の前に立ちはだかって、じっと自分の方を見下ろし

てきていた。

 

「まあ…、どこへ行ってしまわれるの? せっかく、久しぶりにお話ができる方がいらっしゃったと

いうのに」

 

 白い精霊は、蛙の前でしゃがみながら、蛙の頭をそっと撫でてきた。だが、その行為は蛙にとっ

ては恐怖でしかなかったから、素早く自慢の跳躍力を使って、その精霊から飛びのいた。

 

「ああ、どうして逃げてしまわれるの?」

 

 白い精霊は蛙に向かってそのように言って来た。だが、精霊の存在など、蛙にとってみれば恐

怖でしか無い。何しろこの白い精霊は、その無垢であるかのような言葉とは裏腹に、動物たちを

食べると言うのだから。彼はその場から逃げ出したい衝動にかられた。

 

「私は、別に誰をもとって食べようとなんてしませんのよ。そんなに恐れを抱かないでいただきた

いですわ」

 

 精霊が言って来る。蛙はいつでも逃げ出せる姿勢のまま、精霊の方を振り向いた。

 

「それは、本当? 動物園の中にいる皆は、君が他の動物を食べてしまう存在だと言っていた」

 

 蛙は恐る恐る精霊に向かってそのように尋ねた。相手はどのような反応を示すだろう。しかし、

精霊が次に発してきたのは笑い声だった。精霊の発した笑い声が、その場に幾度も反響して響

き渡る。

 

「あははは…、それは誤解ですわ。一体、誰がそんな事をおっしゃっているのでしょう?」

 

 そう言うなり、精霊はゆっくりと蛙の方に向かって手を差し伸べてきた。

 

「さあ、あなたの事を教えて下さらない? あなたが、何処から来て、今、何処を目指していらっし

ゃるのか?」

 

 精霊はまるで蛙の心の中を見通しているかのような声でそう言って来た。差しのべられた手

は、まるでガラスのように繊細そうで、水のように透き通っているかのように見えた。手さえも、ぼ

うっとした白い光に包まれている。

 

「お、俺は動物園から来て、今、どこでもいいから、俺達蛙が住むべき場所を目指しているんだ」

 

 蛙は精霊が伸ばしてきた手を取る気にはならず、そのままの姿勢で精霊の姿を見上げて答え

ていた。

 

「あら、あなたの事を、蛙様と呼んでもよろしくて?」

 

 精霊はその金色の瞳を蛙の方へと向けて、尋ねてきた。白い光の中で、精霊の金色の瞳だけ

が輝き、それは蛙にとっては不気味にさえ映った。

 

「それは好きにしてくれ。それよりも俺はあんたと遊んでいる暇なんてないんだ。もう、水場もずっ

と近寄っていなくて、体も乾いちまってな。あんたが俺を水場へと連れていってくれるっていうのな

らば、話は別だが…」

 

 蛙は、精霊の言動をふざけたものだと思っていた。何しろ、精霊は自分を喰おうともしていなけ

れば、もてあそぼうともしていない。遊ぶと言っているが、蛙にとっては遊んでいる暇など無い。

 

 とっとと水場へと行ってしまいたい。そうすれば、思う存分水浴びをする事ができるし、乾ききっ

た体も潤す事ができるのだから。

 

「うふふ…、蛙様は、まだご自分の事に気が付いていなくて?」

 

 と、突然発せられた精霊の言葉に、蛙は顔を上げた。何を言っているのだ? 自分のことぐら

い分かっている。まさか、この精霊は自分をからかっているのか?

 

「自分の事くらい分かっている。だから水場を探しているんだろう? 早くしないと体から水が抜け

切って、からからに干からびちまうんだ。俺達蛙は、水に関してはデリケートなんだよ」

 

 蛙がぶっきらぼうに精霊にそう言うと、どういう訳か精霊は笑っていた。その笑みは蛙にとって

は不気味にさえ思えた。

 

 だが、蛙にとっては当然のことを言ったまでだ。蛙は水に濡れていないと干からびてしまう。そ

れは当り前のことだ。そんな、当たり前のことをこの精霊は知らないとでも言うのだろうか。

 

 蛙は、どうやら精霊は自分を喰おうとしているわけではないようだから、さっさとこの場など後に

し、住みかになりそうな水場を求める事にした。

 

 蛙は精霊のすぐ横を過って行こうとしたが、突然、精霊は腕を突き出してきて、蛙の行く手を遮

ろうとした。

 

「一体、何をしようってんだよ」

 

 自分の行動が遮られた事に、不快感も露わに蛙は言った。どうせ、こんな腕なんて飛び越えて

いってやろう。そう思ったが、

 

「蛙様。ここは、何処に行っても行き止まり。あなたが外に出る事ができる世界などではないので

す。ですから、無駄ですよ。蛙様は、動物園にお戻りになって、他の動物達と楽しくお暮らしになら

れていればよいのです」

 

 精霊は金色の瞳を蛙の方に向け、そのように言って来たが、蛙にはそんな言葉は納得できな

かった。そんな事ができようものか。あの動物園に戻ったら、死ぬまで最下層民のまま暮さなけ

ればならない。

 

「そんな事、俺にはできないね。そこをどけよ。俺は水場を探しに行くんだ」

 

 と言い残し、蛙は去ろうとするのだが、それを精霊は受け止めた。精霊の手は繊細そうに見え

たが、蛙の体の大きさからしてみればあまりにも大きく、そこから逃げる事が出来ない。

 

 だが精霊は蛙を押しつぶそうとも、喰おうともするわけではなかった。

 

「うふふ、これを御覧になって…」

 

 精霊は何かを蛙に見せてきた。その何かとは、精霊の腕の手首の部分だった。

 

 人間や精霊の事は良く知らない蛙ではあったが、それは生き物にしてはあまりにも異様な部分

のようにも見えた。

 

 精霊の手は、何か、球体のようなものによって、腕に繋がれている。そして、その腕も、そのま

ま上腕部にかけて球体のようなものによって繋げられていた。

 

 ちょうど関節の部分が球体のようになっている。そしてよく見れば、精霊の手は、ガラスのように

繊細ではあったけれども、それは有機物ではなく、無機物のようにも見て取れた。

 

 蛙は精霊の顔を見上げた。その顔はまるで幽霊のようにぼうっとした光を放ちつつも、瞳の金

色の光は、何やら、自然で見るどのような光とも異なるように見えた。

 

「思いだして、蛙様…。あなたは本当に蛙なの? あなたが、動物園に来るまでは、一体どこにい

らしたの? 思い出して」

 

 精霊は優しく蛙を包みこみ、まるで気持ちの良い水の中にいざなうかのように蛙を包みこんでき

た。

 

 蛙はそれから逃れようとしたが、逃れられなかったし、また逃れようと言う気にもならなかった。

 

 だがその時、蛙は自分の中に流れ込んでくる記憶を感じた。それは、動物園という閉鎖された

空間と時間の外側に位置するものだった。

 

 蛙は、自分が何故動物園にやってきたのか、今まで知らなかったが、それが記憶として流れ込

んでくる。

 

 それが思い出すという事なのだが、蛙は今までそれをしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 蛙は、自分の過去を思い出していた。それは、自分と同じような蛙達が一堂に集まる場所だっ

た。

 

 しかしそこには水場も何も無い。ただ、蛙達が理路整然と並んでいる場所だった。土も、虫も、

石も無い。ただ、同じような蛙達が、一同に集まり、皆が同じ方向を向いている。円を組むわけで

もない。一列に、そして半ば窮屈に整列し、じっと前方を見つめていた。

 

 前方には猿がいた。猿も同じように一列に並び、こちらを見返してきている。そして、それらは、

全く動く事が無かった。更に表情も変わることなく、猿は何やらにやにやとした表情でこちらを向

いてきている。

 

 蛙達の方はと言うと、まるで茫然とした表情のまま前方を向いているだけだった。蛙達は全く動

く事が無い。ただ並んでいるだけ。いや、並べられているだけだった。

 

 蛙にはその記憶が、非常に長い間続いている事を知った。そしてやがてある時、蛙達は、何か

巨大なものに連れられ、その数を減らしていった。

 

 だが、帰るだけは残っていた。ただ自分だけ、その場所に取り残された。やがて蛙は、自分も

巨大なものに掴まれ、視界を暗く閉ざされた。

 

 次に気づいた時、蛙は動物園の中に放り落とされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 蛙が次に気づいた時、彼は動物園の中にいた。まるで、ここに初めてやってきた時と同じよう

に。

 

 そして蛙は全てを悟った。この動物園が何を意味しているのか、そして外で出会った精霊が何

者であるのか、そして、蛙のいる動物園の中の存在が何者なのかという事を、全て悟った。

 

 それは避ける事も出来ない現実となって思い知らされていた。決定的な事実だけが蛙の中にあ

った。

 

 蛙は、蛙では無かった。

 

-5ページ-

 

「なあ、大事な話があるんだ。俺と一緒に、こっちに来てくれ」

 

 蛙は声をひそめながら、猿にそのように言うと、動物園の端の方へと彼を連れていった。

 

 動物園の柵で覆われた世界の端の方は、いつもごろごろとしているような動物ばかりで、あまり

周りの動物達に構って来ない。

 

「何だ? どうしたんだ?」

 

 猿は、何か面白い話でもあるのかという風に、好奇の眼を向けてきたが、蛙の方はと言うと、ま

るで死んだような眼差しを見せる事しかできなかった。

 

「俺は、ある事に気が付いたんだ。誰にも言うなよ。これはとてつもない事だし、誰にも信じてもら

えないかもしれない。だが、俺は気が付いてしまったんだ」

 

 蛙は恐ろしい事を知ってしまったかのような顔をして猿に言った。

 

 猿の方はと言うと、興味深々といった様子で蛙に顔を近づけてきた。

 

「それは、一体何の事だい?」

 

 そのどことなく呑気な質問の仕方に、蛙は、果たしてこんな事を言ってしまっても良いものだろう

かと自問した。

 

 何しろこれからしようとしている告白は、猿を絶句させるに十分なほどのものなのだし、彼自

身、この真実を今だに受け入れられないでいる。

 

「俺は、君を知っている。この動物園に来る前に、すでに君に出会っているんだ。俺の仲間の蛙

達も君を知っているだろうし、君の仲間の猿たちの事も知っている」

 

 蛙はまず一呼吸入れるために、そう答えた。

 

「へええ、思いだしたんだ」

 

 まるで、他人事のような口調だ。蛙は思わず面喰った。これは自分だけの問題じゃあない、猿

たちの、いや、動物園にいる全ての動物に関わってくる問題なのだ。

 

「それだけじゃあない、俺は、この動物園が何なのかも分かってしまった。そして、自分が一体、

何者であるのかという事についても」

 

 もう、全てを言ってしまおうか。そう思って蛙は言いだそうとした。だが、猿は蛙よりも早く言葉を

言って来た。

 

「へええ、ようやく気付きだしたのかい?」

 

 猿の言って来た言葉を、蛙は初め意味が理解できなかった。あまりに間の抜けたかのような声

であり、それは、まるで蛙の事を馬鹿にしているかのようなそんな声だったからだ。

 

「は? 何を?」

 

 蛙は尋ねた。すると、ひそひそ話をしようとしていた蛙とは違い、猿はまるで堂々とした姿を見

せて蛙に言って来た。

 

「君は、随分気づくのが遅かったね。もっと早く気づく動物も大勢いる」

 

 猿の顔は、何故か恍惚に満ちていた。まるで何かを全て悟っているかのように、その顔は爽や

かにさえ見える。

 

「一体、どうしたって言うんだ…?」

 

 蛙は思わず猿から後ずさってそのように言った。まるで猿の姿が恐ろしいものであるかのように

思えてきた。

 

 だが蛙が恐ろしいと思ったのは猿自身ではなく、彼が言ってこようとしてきている、本当の真実

の事についてだった。

 

 蛙は後ずさったが、彼はその時、背後に立っている何者かにぶつかった。その何者かというの

はボビーだった。

 

 ボビーは、その人を小馬鹿にしているような目で蛙を見下ろして言って来た。

 

「てめーは、ようやく気が付いたようだな? 自分が人形だってことに。いや、お前の場合はただ

の縫いぐるみか?

 

 お前はその事に気づいていないから、動物園から逃げ出そうなんて考えてたんだぜ。逃げても

無駄なんだってのにな。何しろ、おめーはどこに逃げようとも、ただの人形でしかないんだ」

 

 ボビーの姿が、蛙にとっては今まで見た中で最も大きな姿であるかのように見えた。そして、蛙

にはボビーの姿がはっきりと、本物の猿ではないように見えていた。

 

 今まではボビーは猿にしか見えなかった。だが、蛙が決定的な事実に直面し、自分たちの真実

を悟ってからと言うもの、動物園で暮らす全ての生き物が、本来の動物達の姿とはかけ離れたも

のであるかのように見えてしまっていたのだ。

 

 それがどうして起こったかは分からない。だが、蛙の眼はもう変わっていた。昨日までの蛙の眼

とは全く異なる目となってしまっていたのだ。

 

 彼らは、自然界に見られる動物達と比べて、どこか滑稽な姿をしていた。頭身は低く、例えば、

蛙と親しくなったはずの猿など、2頭身くらいの頭身しか無かった。今まで蛙は猿とは皆、そういう

ものだと思っていたのだ。

 

 だが、今では猿のその姿が何を意味するのか、初めて悟った。

 

 ただの人形でしかないとボビーが発した言葉は、蛙に対して、大きな衝撃を鳴らしていた。巨大

な鐘が頭の上で鳴らされ、審判が下されたかのようでさえある。

 

 人形でしかないという事は、この動物園で最下層の民である、蛙である、という事実よりも更に

強烈なものであり、蛙はその衝撃に凍りつくしか無かった。

 

 だが、ボビーは更に追い打ちをかけてくる。

 

「それに、てめーは全く気付いていないようだが、この動物園は、おれ達人形やぬいぐるみ無勢

にとっても掃溜めの世界だぜ。行く末は、ゴミになって捨てられるだけだ」

 

「ど、どういう事だ?」

 

 蛙は思わず身構えてボビーにそう言った。

 

「おれ達は所詮、スクラップって事だよ。ぎりぎりの所で、ゴミ袋に詰められて、腐った生ごみと一

緒に焼き捨てられるのを免れているってだけなんだぜ。どこかのお偉いさんの慈悲ってやつで

な。

 

 だが、おれ達にもいずれ終わりは来る。新入りがこの動物園に増え過ぎれば、古い奴から消え

ていく事になる。そうさ。おれ達はすでにゴミになってんだ」

 

 ボビーの言ってくる言葉が、正直、蛙には理解できないでいた。自分達がゴミと言われて信じる

事ができようはずがない。

 

「じゃ、じゃあ、この動物園って一体、何なんだ? 俺達は、一体、どうしてこんな場所にいるん

だ!」

 

 蛙は言い放った。他の動物達が、蛙のボビーに対しての声に、こちらを向いてきている。皆、自

分がゴミだと言う事を知っているのだろうか? 今まで、蛙だけがその事実に気づかなかっただ

けだと言うのだろうか。

 

 だが、ボビーは容赦なく言って来た。

 

「ああ、動物園て言うのは、ジャンク売り場なんだよ。売れ残った、大して価値もねえおれらが、お

情けで誰かに買ってもらうための、ただのワゴンセールに過ぎねえってわけだ。つまりおれらは、

明日にでも捨てられる。そういう運命にあるんだぜ」

 

 ボビーはいとも簡単にそのように言ってくる。まるで自分は部外者であるかのようにそう言ってく

るのだ。

 

「お前はどうなんだ? お前もそうなのか? 大した価値もない一員なのか?」

 

 蛙は怒りにも似た声でそのように言い放った。だが、いつの間にか蛙の背後に迫っていた巨大

な熊、ベアの大きい方によって体を持ち上げられた。

 

「いいか? 生意気な口効いているんじゃあねえぜ? お前は、蛙だ。それは人形のせかいでも

変わらねえ。例え、ゴミになろうともな?」

 

 ベアはその巨大な顔を近づけ、蛙に向かって言ってくる。そして言葉はボビーが並べ立てた。

 

 蛙は乱暴に床に落とされた。そこは冷たい床でしかなかった。そして、この動物園の正体が、蛙

には初めて分かった。

 

 ここは、何でもない、ただのゴミ捨て場だったのだ。

 

 蛙が床でばったりと倒れていると、ボビーはそれを見下ろし、次には、動物園にいる動物達全

員に向かって言うかのような声で、声高らかに言った。

 

「いいか? この動物園は、おれ達、“モノ”の掃溜めだ。だが、おれはこの掃溜めで、一番長生

きをしている。何でかと言ったら、おれは貴重な存在だからだ。薄汚れて汚い奴はとっとと捨てら

れる。だが、おれはこの動物園を治める事が出来ている。何故か? それはおれにしかそれが

できねえからだ!」

 

 それは、ボビーがこの動物園の“動物”達全てに対し、宣言した言葉だった。

 

 動物達は、蛙や猿、ベアも含めて、ボビーに向かって、まるで焦点も合っていないような目でた

だそれを見つめる事しかできなかった。

 

 蛙は動物達の姿を見まわした。動物園似る動物達は、ボビーを除いて皆、目が死んでいた。彼

らの眼は、何かのガラス玉が埋め込まれているかのように生きておらず、更に、動物達の毛並み

もくすみ、色あせている。

 

 ボビーは彼らを掃溜めなどと言っているが、それも一理あるのかもしれない。ここにいる動物達

は、蛙も猿も含めて、取り残されてしまった廃棄物でしかないのか。

 

 

 

 

 

 

 

「なあ…、このままずっと動物園にいると、俺達は、どうなっちまうんだ?」

 

 蛙が猿に尋ねた。蛙は金属の柵に寄りかかり、ぼうっと動物園の外へと目を向けていたが、そ

こに見えるものは白い世界にぼやけて見えてしまっている。

 

 この先に何があろうと、自分達に待ち受けているものを、蛙は知っておきたかった。少なくとも

自分が人形であるならば、この動物園の外の世界に行って一体、何があるというのだろう。それ

さえも理解できなかった。

 

「ボビー達が言うには、僕らはしばらく経つと、廃品になって、ゴミと一緒に棄てられて、燃やされ

るらしい」

 

 猿は、何の感情も篭っていないかのような声でそう言って来た。猿の言葉はほとんど死んでい

るようなもので、まるで人形。そして実際に彼は猿の人形だった。

 

 自分が燃やされる。それは避けようの無い事実であると蛙は思った。自分が本当の蛙だったと

して、自分の捕食者に食べられるのと、それほど変わりはしない。だが自分は生き物でも何でも

無く、ただの廃品でしかないのか。

 

 まだ、蛙には自覚が湧かなかった。

 

「それは、どのくらいの時間で来るんだって言っていたんだ?」

 

 蛙は再び尋ねた。

 

「さあ、よくわからないけれども、ぼくがここに来てから、幾つかの古株が持ち去られていって、そ

の時、ぼくはこの世界にいる動物達、いや人形達が、いつか廃品になるんだって事を知らされた

んだ」

 

 猿も同じように目の前に広がるぼうっとした白い世界を見つめている。

 

「でも、その動物園の古株達は、何ていうか、もうぼろぼろな奴らでね。もうゴミと区別がつかない

ような奴らだったのさ。だから、廃品と言われても仕方が無いのかもしれない」

 

「じゃあ、ぼろぼろにならなければ、廃品にはならない?」

 

 と蛙は再び尋ねた。

 

「さあ、それも分からない。ボビー達のような奴らだって廃品になるかもしれない。結局のところ、

それはどうなるか、誰にもわからない事なのさ」

 

 猿はそう言うなり、再び、定期的に落ちてくる動物園の食べ物にありつくため、その施設内の中

心へと向かおうとした。

 

「だが、俺達がただの人形でしか無いって言うんなら、この食べ物は一体何なんだ? 俺達が人

形だって言うんならば、食べ物なんか必要ないだろう? 何で、この食べ物はこうやって降り注い

で来るんだ?」

 

 蛙は、動物達がありついている食べ物、果物やら野菜やらがある方を指し示してそう言った。も

はやそんなものにありついても仕方が無い事を猿は悟っていた。

 

 だが、奇妙な事がある。ここにいる動物達の大半が、自分が人形であると言う事を自覚してい

るはずだ。それなのに、何故か食べ物にありつこうとしている。それは一体、何故なのであろう

か。

 

「それは知らない。この事は、ボビー達にだって分からないんだ。ただ、ぼくらは本能に従ってい

る。人形とは言え、食欲はある。それと、いつまでも食べないでいると、死んでしまいそうだと思

う。だからこうして食べ物にありついているんだ」

 

 そう言うなり、猿は大型の動物達が食べ残し、放り棄てられた、果物の破片にありつきだした。

だが蛙はとても猿のように、食べ残しにまでありつく気は無かった。何しろ、食欲さえも今では湧

いていなかったからだ。

説明
動物たちの動物たちが織りなす物語で、ある意味抽象美というものを求めている物語になります。
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
327 284 1
タグ
オリジナル 短編 ファンタジー 

エックスPさんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。

<<戻る
携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com