隠密の血脈1-6前篇
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第1話「入学式」―6前篇

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 体育館に隣接してあるプールの横を全力で走り抜ける。極力静かに行かなければ見つかってしまう心配があるが、しかしそんなことに気を配れる程体力的にも精神的にも余裕はなかった。

「佳代! 聞きたいことは…色々あるが、あの……でっかい一年ほったらかしにして……、いいのかよ!」

 もはやしゃべることすら限界な加賀。しかしそれでも彼女があの時とった行動が許せないままでいる。極限状態とはいえ、佳代が無事であったと分かった加賀には、あの彼の安否がどうしても心につかえてしまう。

「いいわけないです! でも、またここで引き返したら元も子もないですよ! あの子が必死で逃がしてくれたんです。ならあの子の気持ちをくんであげましょう!」

 走りながらも力強く告げる。

その手はわずかに震えていた。

「……で、どうするん…だよ」

 わずかな独白ののち、一言だけつぶやいた。

「先輩は本館の校舎からやってきたんですよね?」

 そこで二人は立ち止まる。プールの壁の端にたどりついたからだ。

「あ、ああ。その時に屋根の上にあいつとは別の男が立って外に出た連中を殺ってたんだ」

 自然と息を殺してしゃべる加賀。プールの壁から校庭と体育館側をそっと覗いて周囲を確かめる。

「なら本来本館に逃げるべきなんですけど……」

 佳代も周囲を確かめつつ、右斜め前方約十mの位置にある西門に意識を集中させる。

「あいつが追って来るかもしれないです」

「……それに直線の廊下も多いから格好の的、か」

 静かに冷や汗を垂らす加賀。この極限まで張りつめた空気にピリピリと刺激めいた感触すら感じている。

「あいつらがいなければ西門から脱出してそのまま周囲のビルを迂回しつつ警察にかけむ感じで」

「……ああ」

 緊張が全身を支配する。見た限りでは校庭にあいつらの姿は見られない。体育館の屋上にいた男も今は見当たらない。しかし、それは安心より不安を募らせる。

 どこに行ったのか。もう見つかっているのか。すでに後ろに回り込んでいるのか……

 いやな予感ばかりが頭の中に駆け巡る。

 今までに感じたことのない極限状態。これほどこプールの陰から飛び出すことをためらったことはないだろう。

 決意は固めたはずなのに震える腕が口惜しい。早く逃げないと見つかってしまうというのに……

「先輩、一緒に行きましょう!」

 そっと後ろから手を握られる。暖かくも、かすかに震える小さな手で。

「……すまん、行こう!」

 手を強く握り返し、必死のやせ我慢とともにプールはしから飛び出した。

 

 十m。

全力で走って数秒かかるかかからないかのわずかな時間。しかし今この時に限って言えば永劫続く石橋のように長く、終わらず、そして危うすぎる。

 もはやあたりに気を使う余裕すらなくなり、ただひたすらに走り続ける二人。あの悪魔二人に決して見つからないよう願いを込め続け、やっとの思いで校門を抜ける。

 その先には長い一本道が続く。学校を囲うように立ち並ぶ四辺内の一つ。西から北側へ続く道だ。

 この道を進んでいくとその先に街へと続く道路につながっていく。

 そしてこの七十m超の直線を突き抜けていく。

 半分が間近に迫る。未だやつらの気配は感じられない。

「…………」

 決して楽観していたわけではない。

「…………」

 ただそれでも、どうしても希望は湧いてきてしまう。

 

 だから、自分たちの進路を断つようにすぐ真横の壁を砕いて何者かが出てきた時、二人は何もできなかった。

 

「なっ!?」

「え……!?」

 一瞬の出来事。驚くことも絶望することも悲しむことも焦ること出来ないほど不意を突かれた。頭が一切追いつかない。もはや何かを考えるまでの時間が短すぎる。

 故に、とっさに出た行動は実に明快。彼らの関係そのものであった。

加賀は佳代をかばうように前へでて木刀を構える。そして思わずその後ろにしがみつく佳代。まさに男女のあるべき理想の反応である。

「……ってハッ!」

 でもすぐ加賀の前に躍り出る佳代。とても頼もしい。頼れる漢の背中だ。

「ぐぬぅ、後ろ下がってろよ佳代!」

 非常時とは思えない程お互い意地っぱりだった。

 しかし、そんなことをしている間に粉塵は収まり、中から敵の姿があらわになっていく。

「……くっ!」

「……フッ!」

 徐々に輪郭をあらわにしていくにつれて緊張が臨界に近づいていくのが分かる。心臓がありえないほど強烈に鳴り響いている。全身は汗が吹き出ているのに体感温度は真冬の大地のそれである。空気の僅かな振動が肌を刺すように全身を戦慄かせていく。

震えるな。臆するな。ビビッたら佳代は守れない。どんなに気圧されても決して折れない芯を持て。

加賀は全身に力を込める。およそ距離感もつかめてきたあたり、ついに加賀は先陣を切って相手に襲い掛かる。

「ぅらああああああああああっ!!!」

「う、うえ!? ちょ、待ってください!」

 相手からは見えないであろう、まだ霞む状態で相手は加賀の垂直の叩き込みを、木刀をつかんで防いだ。

「な!? くそっ!!!」

 初撃を防がれ焦る加賀。

 とっさに木刀から手を離し距離をとったが、そこである異変に気がつく。

「ってあれ?」

 そう、その姿は奴らほどに大きくはあったが、その体躯は明らかに奴らよりごつくあり……

「あー、後輩君!」

 後ろから響いた佳代の一声で加賀の緊張も一気に解けた。

 

「先輩! よかった。ここで会えなきゃどうしようかと思いました」

 巨大な後輩は全身についた粉塵を払いながら、辺りを警戒しながらも安堵の表情を浮かべる。

「あんた、あいつ相手にやっつけたの!?」

「あはは、それが出来たらよかったんですが。生憎と数秒逃げる時間を稼ぐのが精一杯でした」

 ポリポリと頬をかいて言う。どことなく申し訳なさそうだが、二人にとってはむしろ驚愕の域である。

「それより速く逃げましょう。今、壮大に音を響かせてしまいました。奴らじゃなくても気づくレベルです」

 そういうと先頭に立って走り出す。

「あいつ……」

 その、あまりに年齢にそぐわない行動力と決断力、そして賞賛すべき勇猛さに彼は先輩後輩など関係なく、ただ純粋に尊敬の念を抱いていた。

 そして佳代に対する劣等感と罪悪感も。

「……く」

「何くよくよしてるんですか先輩。先輩は先輩ですごくかっこよかったんですから、変な負い目感じちゃダメですよ〜!」

 佳代は顔を覗き込むようにして励ましてくれる。それが一番効くんだが、まぁ事実自分は彼より全然覚悟が足りなたったのも事実だ。

「そうだな、そろそろ先輩らしいところを魅せねえと男としても最低だよな!」

 そういうと加賀は先頭の後輩を抜き、町の方面へと先導する。

「選手交代だ後輩君。そろそろ先輩に任せてくれよ」

 その苦笑交じりの横顔に、一哉は嬉しさがこみ上げてきた。

 刻一刻と迫り来ているであろう悪鬼二人に内心尋常じゃない焦りを感じていたが、それでも今この状況に彼は、尾ヶ崎一哉は確かな安心を感じていた。それはそれまで孤独の中戦ってきた彼にとってのオアシスであるかのように。

 

 と、そこで彼は目撃する。

 遠くから走ってくる四人の男女。そのどれもがこの学校の制服を着てい……いや一人は白衣だ。

 そう、彼はその姿に見覚えがあった。

「……みんなっ!!!」

 思わず声を上げて叫ぶ。佳代たちにとっては初見の相手だが、それでも彼の反応を見ればわかる。向こうから来る人物たちが自分たちにとって助けとなるものなのだと。

 思わず声を上げ手を大きく振ってアピールする。自然とその歩速も上がってくる。向こうからもこちらへ向けて加速しながら向かってくる。

 長かった。最初はただの入学式で、遅刻した彼らをあきれ半分に待っているだけだったのに、何がどうなってこうなったのか。気がついたときには彼らと合流するために決死の覚悟で死線を超えてきていた。

 もはやあの悪魔のことも完全に忘れ、目前の仲間に希望の光がともっている。

 どこか天然でつかみどころが無いかと思ったら意外と鋭いツッコミがくる常に白衣の先輩。

 いつも元気が満ち溢れている陸上部のエース。

 優しくておしとやかな性格だけどウラハ君への想いがバレバレの彼女。

そして僕と同じようにいつもハブかれていた白髪の彼。当時絶望に沈んでた僕を救ってくれた、かけがえの無い友人たちに彼は心が完全に弛緩するのを感じた。

 そう、いつだってこのメンバーでいればどんな無茶だってこなせたのだから。

 だからだろう。

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「見〜つけたぜ、坊主」

 その声が聞こえるまでその気配に気がつけなかったのは。

「ッッッ!?」

 壁越しに聞こえたその声に、戦慄が走ったと同時に、彼の左腕はきれいさっぱり根元から切り離された。

 少し離れたところから佳代の悲鳴が聞こえた。残り十mの距離を一瞬で詰めてウラハ君たちが彼の元へ駆けつける。

「ッッッ……みんなその壁から離れるんだ!」

 額に汗を滲ませながらエイラ先輩が叫ぶ。

「おい、大丈夫か一哉!!!」

 同じく、叫びながらも崩れかける一哉の体を支える綾人。その巨体に歯を食いしばりながらもある程度距離をとる。ウラハは蘭を、加賀は佳代を守るように背に隠して眼前の壁を見る。

 そこには薄っすらと傷のように走る一つの亀裂。

「クハハッ、いや〜さっきの一撃は本当によかった。実にいいパンチだったぜ。久しぶりに『痛み』を感じたぜ、ハハッ!」

 その亀裂は一瞬光ったと思ったら瞬く間にその数を増やしていき、壁を自重で崩れるまでに細切れにしていった。

 目に追いきれる速さではなかった。傍から見ればひとりでに傷ができ、勝手に崩れ去ったようにしか見えない。

 しかしその様子にウラハはかすかに見えた。細い剣が縦横無尽に、壁を豆腐を切り裂くように走り抜けていくところが。

 すると崩れた壁の向こうから茶色い髪をした青年がゆったりとした調子で出てきた。その手に身の丈より頭一つ分短い、それでもおおよそ二メートル近くある大剣を携えて。

「!!? なんなんだよあいつ、手にでっけー剣もってんじゃねーか!?」

 そのおおよそ現実離れした光景に緊張と焦りと不安がギリギリまで高まっていた。肩を貸している一哉がいるおかげでかろうじて理性は保っているが、その容姿から放たれる禍々しいまでの殺気は紛れも無く自分たちへ向けられている。

「……ふむ、大丈夫かね一哉君?」

 極限まで張り詰めた緊迫感の中、目線は目の前から僅かもそらさずにそっと尋ねるエイラ。

「は…い。僕は、大丈夫です……」

 明らかに嘘だった。彼自身筋肉を強張らせ血流を抑えようとしているようだったが、根元から切られた痕からは今もとめどなく血が流れ出している。その量は素人が見ても分かるほど大量で、彼自身驚くほどに肌が青ざめていた。

「ぐ……、まってろ一哉。すぐ病院連れてってやるから、それまで絶対に死ぬんじゃねーぞ!」

 服越しからも伝わってくる。彼の体温はどんどん低下していっている。脈拍も弱くなっており、呼吸も浅い。

「一哉君……!」

 蘭もその声に恐怖が宿る。それは目の前の鬼の脅威によるものではない。自分の大切な存在がなくなってしまうことへの恐怖だ。

立ち止まっているその間にも一哉は確実に死に近づいている。今すぐにでも彼を連れて病院へ行きたいところだ。

だがそれを鬼は許さない。

動けば斬ると、まず行動を起こした者からためらい無く切り刻むと奴は無言ながら語っている。

 ニヤニヤと笑うその顔は、殺人への喜悦と興奮に歪んでいる。

 誰から死ぬか、と。まるで肉食獣が戯れに弱った獲物をいたぶるように粘つく視線をめぐらしている。

 急激な事態の変化に誰一人として動けずにいるなか。

「…………」

 茜部心葉は音も無くすっと前へ出た。

「ナッ、ウラハ!!!」

 最初に叫んだのは綾人。きっと自分も出ようと思ったのであろう、一歩早く出たウラハにいち早く驚愕の声を発した。

 そしてエイラ先輩と蘭、さらに一哉までが力ない声で叫ぶ。加賀と佳代もその行動に驚きを隠せないでいた。

「待つんだウラハ君!」

「だめっ、ウラハ君!」

「動いちゃ…だめだ。ウラハ……君!」

 しかしその声には従わない。こんな異常事態にありながら、彼は自身でも驚くほどに冷静でいた。

「……お前、さっき俺とすれ違っただろ」

 ただ彼はこう告げる。それに歓喜したのか、クハハと高笑いしながらも鬼は公定する。

「おうよ! まさか覚えてるなんてなぁ。流石は薫のガキってところか」

「人違いしてるな。俺の親の名前は茜だ」

 一歩。既に奴の殺陣圏内にいる。しかし臆することはしない。

「クハハ、そうだったなぁ、わりぁわりぃ」

 さらに一歩。奴の殺気が肌を突き刺す。だが恐怖も不安も感じない。

「お前、なんでこんなことをしたんだ?」

 また一歩。奴の腕に力が漲るのが分かる。もうこの状態は長くは続かないだろう。

「そりゃぁ企業秘密ってもんだぜ坊主。これでもオレ一番低い身分なモンでな〜。平に余計な発言権は無いっつーことだわな」

 そして一歩。そこで奴の気配も変化した。来る、と。自身の感覚が、経験が全力で警鐘をならしている。

 そんな状態でも歩を止めない。頭は澄み渡るほど冷静にクリアで、しかしその更に内部、感情を司る根幹たる部分は烈火のごとく白熱している。

 こんな奴を許せるものかと。人を捨てた人間にみすみす仲間を殺させるものかと。深い怒りを心に宿し、歩むその足は決して迷わない。

「そうか……」

 そしてそこで決定的な射程圏内に入る。もはやゆっくりと歩く必要も無い。

「クハハッ、いいねぇその焼けるような視線。憎悪はやっぱりいい起爆剤だ」

 そういうと男も剣を構え、絶対必殺の一撃を繰り出す姿勢に移る。

 互いに一息の後。

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「ギッ!?」

 

背後から何か『嫌な』声が聞こえた。

「……き、キャァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!」

 思いがけない事態に思わず振り返るウラハ。

「先輩! 先輩っ!!!」

 そこに映ったものは、倒れた佳代と、全身に手裏剣状の刃物が幾重にも全身に刺さった加賀の姿であった。

足のスネからから順に太もも、わき腹、鳩尾、腕、肺、首、鼻に右耳に深々と刺さっている。その姿は蛇に巻きつかれたネズミを思わせた。全身に規則的に刺さった刃はまるで縄のように列となって全身に巻きつくような状態で並んでいた。

 倒れている佳代は急いで起き上がり加賀のほうへと近づこうとしている。恐らく佳代を突き飛ばしてその攻撃を一身に受けたのだろう。刃からは生々しく血が流れ出している。

「……ふん、小生意気なことをしてくれるな。こんなことさえしなければ痛みも無く死ねたであろうに」

 加賀の後方より声が聞こえた。そこにはバサバサとした短髪に鋭い目をした無表情な青年が例の手裏剣の束を持ちながらこちらへ向かってきている。隣には同じく無表情だが顔から一切の感情がうかがい知れない長身の女性が並んで歩いてきている。

「グ…が……っ」

 もはや倒れないことはもちろん、意識を持てているだけでも奇跡的な状態で加賀は何かをつぶやこうとした。震える唇は僅かに動こうとしたが。

「見苦しい、さっさと散れ」

 言葉を紡ぐ前に全身を細切れに解体され、ただのモノへと姿を変えた。

「……ぁ」

 一瞬の静寂。その場で起こった出来事を理解することすら危ぶまれるほど鮮烈な状況下、佳代だけが木刀を手に相手へ向かっていった。

「…………ぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ!!!」

 あらゆる感情が彼女の中で爆発した。もはや何も理解できない。状況など把握できない。限界まで混乱したその頭は、しかし目の前の現状だけを捉えて離さない。

 ただ、気がついたときには飛び出していた。目の前もまともに見えないくらいの涙を浮かべて。恐れも悲しみもすべて怒りで塗りつぶして。

「だ、だめだ先輩っっっ!!!」

 飛び出したのはそれまで立っていることすらままならなかった一哉。それまでの生気を失っていた顔が大きく歪む。どこにそんな力があるのか、担いでいた綾人を押し倒してかばおう向かう。

 しかしそこで綾人がなんとか抑え込む。異常なほどの出血量にも関わらず、その力は一切変わっていなかった。

 

「……くだらん」

 一言。本当に心の底から吐き捨てるようにそう呟くと、男の腕はわずかにブレた。

「せんぱ……!」

 綾人の拘束をふりほどく一瞬の間。その足止めで彼の生死は決まっていた。

 ただ一瞬の光明。軌道も姿も、その音すら知覚する間もなく、ただ一瞬光ったと思ったときにはことは終わっていた。

「あ…」

 ほんの微動に思えたその動作で、佳代の体は綺麗に真一文字に胴から切り離された。

 ズルリと落ちる上半身。バランスを保てず倒れる下半身。その両切断面からは赤々とした鮮血が辺りに飛び散った。

「あ…せん……」

 尽きる寸前の命。その際で浅く口ずさんだのは愛しの人で……

 

「……」

 眼前に倒れる佳代の血を顔面に受けながらも一哉はわなわなと震えることしかできない。

 愛する人に庇われ、仇を討とうとして返り討ちにあい、最後には最愛の人の名さえ言いきれずに息を引き取った若い命。

 その、あまりに無残で無様で滑稽な有様。その姿を前に死にかけの身など顧みず、一哉はしばし視線が離せずにいた。

「先輩……」

 あの血と臓腑の渦巻く体育館で一緒に逃げだせたのに……

恐怖に打ち勝ってなんとか脱出できたと思ったのに……

やっと最愛の人と再会できたというのに……

ウラハ君たちとも合流できて、やっと希望が見えてきたと思ったのに……

「佳代…せんぱい……」

 全身の震えが次第に大きくなってくる。その震えの意味も徐々に変貌をとげ……

 

「くだらん。はなから散る命ならば潔く散れ。くだらん浅知恵で俺の手を煩わせるな」

 その言葉を聞いて一哉は理性を失った。

 もはやなんら一切の策も知謀もなく、内に猛る衝動のままに目の前の戦鬼に襲いかかる。

「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

「ふん、浅はかな」

 真っ向から襲いかかる巨大な人影。しかしその姿に目をかけることもなく、静かに右手の連刃に手をかけたその時……

 目の前で閃光が炸裂した。

「この馬鹿野郎っ!」

 一瞬の出来事・不意を突かれたことにより瞬間動きが止まる。すぐに目はなれたものの、その時にはすでに十五メートルは離れた位置に少年らが逃げていた。細目の少年が巨躯の少年を叱咤しているのが見える。

「ぐ、うぅ……」

 綾人に無理矢理に奴から引きはがされ一気に手をひかれ一線を離れた一哉。しかし彼はもろに閃光を見てしまったために未だ何も見えずにいるままだった。

「ふむ、怒りに身を任せても彼女の二の舞だぞ一哉君。いったん落ち着け」

 聞こえてくるのはエイラ先輩の声。そうか、先輩が閃光弾を投げたのか。

「ったく、スタングレネード持ってるとかどんな高校生だっつーんだよ……」

 冷や汗が止まらないこの状況下で呆れながらもわずかに安息する綾人。正直今の局面では、まさに一命を取り留める起死回生の手であったのは違いなかった。

「いや、今の局面ではただの閃光玉に過ぎんよ。さすがにこの場で音まで付けたら一哉くんを助け出せなかっただろうからな」

「って持ってんのかよ!?」

「ふむ、これで通用しなくなったがな」

 そう言って全力で駆ける彼女も、内心は到底穏やかではなかった。その証拠に、普段では絶対に見ることのできない冷や汗が頬を伝うのが見える。

「先輩、ウラハ君が……!」

「今は逃げることが先決だ。奴もこちらに引きつけられている。少なくとも挟み撃ちにはならんよ」

「でも!」

 後ろを振り返る余裕などない。今もすぐ背後にあの男がいるような錯覚さえ起こすほど濃厚な殺気が蘭たちを襲っている。もはや平常心を保って逃げるという行動が出来ること自体奇跡のような状況だ。

 しかしそれでもウラハのことだけは譲れない昔から苦楽を共にしてきた友だから。くず少ない、それでも大切な仲間だから。そして、それ以上に意識のある特別な存在でもあるから。

 どんなことがあっても彼を見殺すことなんてできない。たとえその結果自分が死んでしまったとしても……

「信じられんのか蘭君。君が好いた男子はその程度のものだったのか?」

「そんなことありません! でも、それでも……」

 横目で一瞬彼を捕える。またあの大剣の男と対峙している。しかしその顔は普段では見せないほど真剣で覇気があり勇猛、そして何よりも集中していた。

「ウラハ君……」

 その姿は今までの頼りなげな面影など一切なく、寸分の迷いも持っていなかった。だからだろう、それ以上蘭が何も言えなかったのは。

「……行きます、エイラ先輩」

「ふむ、それでこそ女たる矜持というものだな」

 そういうと先輩はふっと笑い、だが……とつなげる。

「それ以前にこちらが逃げられればいいのだがな」

 

説明
第一話最終前篇です。長かったです。あと結構グロテスク表現があるので、少し気をつけてもらえるとありがたいです。
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